性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

来年やりたい事を考えるだけの日記。

2016年もそろそろ終わるとなると、2017年の目標みたいな話もチラホラと出てくるものの、このチラホラの出所というのがクリスマスの予定が無い界隈だったりするので妙に切なくなる。結婚しただけでその界隈から黙殺され追い出されてしまう節もあるし、仲間では無いという認定を下す側の気持ちも解らなくはない。

だけれど、結婚したからといってそういう世界の住人になれるという訳ではないという事もご理解頂きたい、という主張は贅沢なんだろうか。贅沢なんだったらごめん。僕は贅沢なんだよ。

 

今年の秋に引っ越したマンションにはパーティールーム兼ゲストルームが併設されており、それを住人が借りる事が出来るのだけれど、まだ全戸入居している訳でもなさそうな微妙に人気の無いマンションなのにパーティールームの予約はパンパンだ。その予約表を眺めながら、この世にホームパーティーというイベントは実在するのだと激しい衝撃を受けた。生きてるステージが違う。早くお家に帰ってベッドで眠りたい。

そんな気持ちになった。

これを覆すにはパーティールームでパーティーを主催するしかない気がする。

こんな精神的フィジカルの強い世界でも隙間があって、そこで細々と過ごしている自分は一体何者なんだろう、という気がしている。

これを書いている今も、パーティールームでは意味解らないアッパーなアレンジが施されたクリスマスソングが流れ、脂質と糖質とアルコールで膨らんだキラキラとした明るさで満たされているのだろう。凄い。

まあ実際は大したことないというか、普通に楽しい世界なんだろうと容易に想像がつくものの、経験値の有無はその理解を当然の様に超えてネガティヴに作用する。

 

さて、そんな訳で2017年の目標を考えてみる。

話が逸れ過ぎて突然の感もあるけれど、書き出しからするとこれが本筋なのでしっかりして欲しい。話が長い上に湿っぽくてごめんね。

最近、承認欲求についての本を読んでいてそれが中々に納得いく内容でそんな事ばかり考えてナーバスになっている。それについてはまた6000文字くらいかけて書くとして、だ。

目標というと大それた響きなんだけど、やってみたいなーという事が幾つかあるのでここに書いてみる。

 

その前に今年やったことを簡単に振り返る。

○マンションを買った

○自分にしては高い私服を買った

以上である。少ない。他にも何かあったんだろうか。しかも買い物ばっかり。楽天市場かよ。

その反省を踏まえて、以下2017年の目標。

 

1.ボイストレーニングを受ける

半年に一度のペースでガス抜きとして突発的にヒトカラ(3時間コース)に行くんだけど、その時に毎回「もっと気持ち良く歌えたらいいなー」と感じていて、そんな同期でもボイストレーニングを受けている人がいるのかと検索してみると、高齢者が趣味のカラオケの為に通っているとの情報を得て一気にボイストレーニングに親近感が湧いた。

ただ、高齢者のカラオケの最終目的地はストレス発散ではなくカラオケスナックのコミュニティーにおける熾烈なポジション争いを有利に進める為の一手である事を知っているので親近感は得ても仲間意識は芽生えない。

高齢者になっても一芸に秀でなければキャラクターを確立出来ないというのは、考えてみれば当然なのだけれど切なくもある。

あとは雨宮まみさんがボイストレーニングを受けていたのが楽しそうで、というのもある。

何だか完全に後追いみたいになっているけれど、それだけ喪失感が凄い。雨宮さんに対する感謝の気持ちというか、彼女が与えてくれた影響を自分の中に探しているのかも知れない。

ちなみにコレも完全に雨宮さんの綾波レイコスに感銘を受けた結果である。

 HOT LIMITスーツを買ったよ。 - 性格の悪そうなBLOG

まあ色々あるんだけど、半年に一度、3時間のヒトカラで気持ち良く歌う為に月に2回くらいレッスンを受けるのも良いのではないかと思っている。身1つで出来る習い事としても秀逸ではなかろうか。

 

2.あんまり知らない人と遊びたい

存在は知ってるけど、とか顔見知りだけど、くらいの人と遊びたい。

何となく自分の世界(社会ではなく、世界。ここ重要)が狭い気がして、とりあえず何かしたいという気持ちがある。

書き出しの根暗つらつら節も要は世界の引き出しの少なさ及び狭さが影響している。

単純に世の中には色んな人がいるのだなと思いたいので何かしたい。

とは言え、そこそこ社交的ながらパーティーピーポー気質では無いのでどうしたら良いのかなと考えた結果、以下の様な候補を定めた。

a.誰かと服を買いに行ってお茶をする

b.誰かと美味しいご飯を食べに行く

c.誰かと映画を観てお茶をする

ただ会うだけより楽しいのでは無いかという気がする。一緒に何か目的を果たす為に会うとなるとワンクッションというか、ハードルも低くなる気がする。(僕の場合は)

どの様に募っていけばいいのか解らないけれど、まあやってみようと思う。(相手がいないと始まらない話ではあるけれど)

 

3.パーティールームでパーティーをする。

これはもう、完全に書きながら思いついたんだけども、この脳内にあるホームパーティーを具現化せねば一生この影に付纏われるのではないかと感じ、ならばやるしかあるまいという結論に至った。

自分が想像するホームパーティーに沿って料理やイベントを用意する。そしてそれを参加者に強いる。かなりエグみのある企画であるし、場合によっては会費が発生するという恐ろしい展開が待ち受けている。金を取るのか。

とりあえずパーティールームで何かする、くらいから始めて最終的にパーティーを目指す方が良いかも知れない。突然100m全力疾走したら痛めてしまうのと同じで、取り返しのつかない傷(精神的なもの)を負う可能性がある。

アラサーでこの類の負傷をすると将来設計に関わるので多少なり慎重にならざるを得ない。

誰を呼ぶのか、パーティーとは何なのか、それを1年かけて考え、夏にとりあえずパーティールームの全貌を把握する何らかの催しをして、冬に本番のパーティーを実行する長期計画となるだろう。どうしよう書いてて全然楽しみにならない。いや、でももうこれは楽しみというより己との闘いとも言える訳で・・・。

好きなアーティストに集まってもらった自主企画よりも全然緊張を伴う。だってその時のお客さんの目当てはあくまで音楽。パーティーのために集まるとかマジちょっと今の所「日本語としては読解出来るんだけど意味は解らない」という状態だ。このパーティー偏差値から上げて、あ、アゲていかなければならないのである。道程は果てしなく遠い。

まぁ、年が明けても覚えていれば、そして他にこれより叶えたいものが無ければ実行したい所存。

 

とりあえず何でも良いけど、2016年と違う発見を自分の行動で得たいという気持ちはある。

その前に、今年の残りを楽しまねば本末転倒ではあるのだけれど。

頑張ルンバ!(懐かしい)

 

またー。

コートを買いに行くというタイプの冒険譚。

スーツに合わせる良いコートが欲しくなったのでなけなしのボーナスを握りしめて買いに行った。

本来、仕事着にお金をかけることを嫌っていたのだけれど急にコートは良いやつでもアリなんじゃないかと思い至って買いにいった。

 

事前にネットで調べてみると、タケオキクチとかポールスミスとかがお手頃かつ身の丈に合うかと思っていたものの、マッキントッシュのサイトでコートを見た時に好み過ぎてマジ新垣結衣星野源スクラム組んで迫ってくる感覚に陥ってしまい、逃げるは恥だが役に立つ!逃げちゃダメだ!逃げるは恥だが役に立つ!逃げちゃダメだ!と押し問答した挙句、えーいここだ!ここしかない!!となって、マッキントッシュと言えどピンキリとのことで阪急メンズ館及び大丸に行った。

まずは普通の紳士服売り場で2万円とかのコートを物色する。徐々にグレードを上げていかないと、急にプールに浸かって心臓がビックリする展開になりかねない。接客にも慣らしておく為にも試着などもさせて頂く。

3万円、4万円で充分可愛い。いざとなったらココでも良い買い物が出来ると自身に入念に暗示をかける。「このフロアで買えるコートの時点で去年の倍の予算だぞ」と言い聞かせる。

そう、去年は場当たり的に安い1万円ちょいのコートを購入し、かなり後悔したのだ。可愛かったんだけど劣化の速度がマジ烈&豪でマグナムトルネード。

しかし4万円など出せば余裕で何年も着れそうで一安心だ。色んなお店で試着などさせて貰い、準備運動をする。世の中には素敵な服屋が沢山あるのだなと思うも、目的はキッチリ果たさねばならない。いざ。

 

まずはセレクトショップマッキントッシュを取り扱っている所へ行くも怖くて入れず、表面をサラサラっと流す感じで逃亡。

その後意を決してマッキントッシュ ロンドンに突入し、ビクビクしながら選び、候補を絞りに絞って試着したのは15万円台のショート丈のウールのコート。

滅茶苦茶柔らかいし軽いしスタイリッシュで最高!ネットには「マッキントッシュは言うほど暖かくない」みたいな事が書いてあったけど大阪の冬は暖かいんじゃコレで寒けりゃ何着ても寒いわ!」という印象だった。

しかし、何だか違和感がある。完璧に素敵だけれど、この感覚は何だ?

15万円のコートから「15万円のコートはまだ君には早いよ坊や」という声が聞こえた気がした。

そう、コートを着ているつもりが、完全にコートに着られていたのである。ランドセルが歩いていると揶揄される小学校の入学式を彷彿とさせる「着られてる感」がこの違和感の正体だったのだ。

同年代で年齢的に15万円のコートを着ている人は世の中に幾らでもいる。だけど、そういう人たちは15万円のコートに見合うスーツを、鞄を、靴を身につけているだろう。

そうでなければ、そのコートに気圧されないセンスもしくはメンタルを兼ね備えている必要がある。

その両方が自分に欠けている事が明らかになってしまった。これは自虐でも何でもなく、単純かつ清々しいまでの事実で、これまで自虐の裏に隠れてセンスを先天的なものと思い込もうとしていた事をマッキントッシュからご指導賜わった状態。背伸びしても自分が違和感を感じている時点でどんなに商品が素敵でも、それを好きになれる訳もない。あ!り!が!と!う!ご!ざ!い!ま!す!

俺にはまだ早かったぜ!アバヨ!とする前に変に吹っ切れてしまったのでカシミアの27万円くらいのコートを試着させて貰う。

店員さんに何てお願いをすれば良いのか解らず「後学の為に・・・」と意味不明な事を口走り最早供述の域。僕が警官なら調書を取るがそこはショップ店員、サラリとした対応でフワリと着せてくれた。

え?着た?え?着てる???という軽さと柔らかさ、これはコートではなく、羽衣!?羽衣だわコレ!かぐや姫!どっちかと言うと一反木綿!マジで地面からちょっと浮いてない?などとミスター味っ子の領域に爆ぜる語彙力。

 

40代とかで買える様に頑張って働こうと思いながら退店し、マッキントッシュフィロソフィーへ。

 あ、買える。俺はここで買う事になるであろう。

店に入った瞬間にそう思った。

一着のコートに吸い寄せられる。

ストーン!と効果音がつきそうな綺麗なストレートのコート。軽くて柔らかい。着る。綺麗で滅茶苦茶しっくり来る。お値段8万円。あー買う。もう買う。店員さん、早くこれをくれ。ワシにコレをくれ!となった。

冷静に考えても8万円というのは前任の7倍のお値段。スーツ2着分。

あれ?これ悪徳商法によくある「最初にスゲー高額の商品ふっかけて、後から安い商品出して買わせる」的なアレじゃね?自分でその流れを作ってセルフ落とし穴にハマってはいないか?と思いながらも、もう欲しくて欲しくて入店5分でお会計してしまった。

あと何故かついでにマフラーも買ってしまった。アンゴラウサギ何匹分か定かでないマフラーは柔らかいが普通に神妙な面持ちになってしまう。でも買ってしまった。

 

最近、ようやく服を買ってウキウキするという感覚が解りつつある気がする。

大事に着よう、40代にあのコートが着れる様になる為にはどんな感じでやっていけば良いんだろうなーと思いながら、買ったコートを着るのを楽しみに帰りましたとさ。

 

因みにフィロソフィーは何故か2店舗行った。

それにしてもマッキントッシュもこんなに連呼されるとは思ってないだろうな。なんかごめんな。

 

またー。

それっぽい歌詞を書くという黒歴史の話。

このブログでGIZA所属アーティストっぽい歌詞を思いつきで書いたら曲をつけて歌って貰えた。何でも続けていると良い事がある。

 

ちなみに歌詞はこちら。

 f:id:oka_p:20161215230119j:image

こんな展開になるなら、もう少しGIZA所属アーティストの曲を聴き返し、名探偵コナンのEDタイアップとしてデビューという設定に絞り、もっと自我薄めのそれっぽい言葉選びが出来たのにという後悔もあるけれど、最初から拘れなかったのが自分の今の限界。あとの祭りなのでこれに限らず普段から何事も何かアレしていきたい。

 

この「○○っぽい歌詞を考える」というのは地味に継続歴の長い趣味とまではいかないけど時々やってる行為で、これには週刊少年マガジンで過去に連載されていた西山優里子先生の「DRAGON VOICE」が関係している。

このDRAGON VOICEという作品は、僕にとっては少年マガジンの漫画にも関わらず所持しているのが微妙に恥ずかしく公言し辛いものだった。好きだったけれどあまりクラスメイトに読んでると言えなかったその理由は、男性アイドルグループの青春サクセスストーリーだった為である。

思春期においては、萌え漫画よりも全然言いにくかった。萌え漫画は割と同志というか、特定の層に支持を得やすいので共有出来るものの、男性アイドルグループの青春モノ(恋愛要素ほぼ無し)というのはそもそも読んでいる同性が少なく、また週刊少年マガジンという掲載誌からして女子の読者も非常に少なかった。

ここに女性読者も非常に多いジャンプの凄さをヒシヒシと感じたし、これが少女漫画雑誌ならもっとヒットしたのではないかと苦い思いをしながら読んでいた。(大きなお世話)

で、その中身はというと、主人公の天海凛がひどいしゃがれ声というコンプレックスを武器に変えてBEATMENというアイドルグループに所属して成長していく様を描いているこの漫画は、最終的にBEATMENのキャパを超える才能がアレして音楽十字軍なるアレでノーベル平和賞をアレするに至る、中々熱い展開をみせ、そこまで話題にならずにそこそこの長さで完結した。

アイドルグループ、音楽十字軍、ノーベル平和賞。どうだこの並びは。凄いだろう。(とは言うものの、凛は平和賞を受賞していない。何故か気になるそこの貴方!読もう!)

作中でアイドルソングの歌詞が登場する為に作者である西山先生が作詞教室に出向いて勉強に励む様子がオマケ漫画に描かれていて、僕はそこで初めて作詞をする為に勉強する場が世の中に存在しているのだと気付いた。

西山先生が自分にではなく、作中の登場人物の性格から歌いそうな歌詞を考えて書くというこの流れに触れて、自分のイメージではなく、人や曲のイメージを伝える為に歌詞を書くのが作詞家なのかと衝撃を受けた。(それまでは例えばつんく♂さんがモーニング娘。に書く歌詞は願望というか性癖だと思っていた。本当に、本当にごめんなさい)

 

そんな訳で、それっぽい歌詞を書くというのが面白く、イエモンLUNA SEASHAZNA藤原基央、細美武士に至るまで何か書きそうな歌詞を音源を聴いたり歌詞カードを読んだりしながら稀に書いており、去年もBase Ball Bearの小出氏が書きそうな歌詞を考えこのブログに掲載するなどしていた。

例えば細美武士なら、和訳っぽい日本語で「あの日俺たちが池に沈めたボートは  今じゃ魚の愛の巣さ 冷めた不味いコーヒーを飲み干して くたびれた顔して家に帰ろうぜ」というものを書いた覚えがある。

これは細美さんが「俺たち」と複数形で呼びかける歌詞はカースト的にはナード寄りであり、皮肉を含みながらもポジティブなものが多く、また日本の日常風景というよりはアメリカの青春映画っぽさがあるという当時の自分の見解が生み出した「それっぽい歌詞」だ。

かなり省エネかつ自己満足を得られる謎の趣味である。それが何かの役に立ったことは無かったけれど、当時の自分としてはとても有意義であった。

 

何かこの記事が今までで一番恥ずかしい気がしているのは黒歴史をリアルタイムで今まさに更新しているからだろうか。冷静になったら死ぬ。あと一息だ。このまま押し通るぞ。

兎に角、そうやって気が向いた時限定であるものの、その趣味に結果的に曲がついたというのは単純に喜ばしいし、この経緯を微塵も知らない人が叶えてくれたというのも嬉しい。

気まぐれに重たい意味を後追いで背負わされて当人はきっと子泣き爺による通り魔的犯行に震え上がっているかも知れないが、そんなもの知った事ではない。

読んでいる人たちもかなり寒い思いをしていることと推測するが、こちらもこれまで言わずに荒れた庭に埋めていた黒歴史を掘り起こして満身創痍気味。

痛み分けといったところで今日はここまで。

お疲れ様でした。

 

またー。

 

オリオン座(前前前夜)

まとまらない文字を、いっそ、そのまま。

 

運動不足解消の為、三時のおやつを買いにコンビニに行った帰り道は職場のあるフロアまで階段で登る。

4分程度、のんびりと窓のない非常階段を登る。

コンクリートで囲まれた竪穴区画に足音がよく響くので「そこまで響く必要ある?」と大袈裟なボリュームにゲンナリしながら登る毎日だった。だけど、毎日の様にある階の踊り場でサラリーマンが休憩していて、その人のリアクションを見るにつれてこの足音には意味があるのだと思った。

初めは、足音の主に警戒しているのかこちらの姿が見えるまで視線を向けていた。だけど今では足音で僕だと判別がつくのか全く気にされなくなった。彼に取っては非常階段が一息つけるシェルターの様な場所なのかも知れない。

そこに立ち入る人間が同僚だった場合、やり過ごす事で消耗してしまうのかも知れないし、居場所が知れたらまた違う隠れ場所を探さなければいけないかも知れない。彼がいるのもそこそこ中層階なので、わざわざ階段を使う同僚がいるとは思わないが、それでも万が一を想定しているのか警戒している様子だった。

僕の足音に関心を示さなくなったという事は、無害な通行人と認められたからであり、何となくそれが誇らしかった。

 

彼を見かける様になって数年は、自分にとっての職場におけるシェルターは幸いにも必要無く過ごせた。

中間管理職に就いてから、急に誰とも接しない時間が欲しくなった。少し遠くのコンビニまで出掛ける様になり、帰り道も少し遠回りして帰る事が増えた。

社内に嫌な人間なんていないのに兎に角毎日ヘトヘトになって、そうなってしまう自分が嫌で嫌で苦しかった。

泣きたいとは思わないけれど、どうにもギリギリ表面張力で保ったコップを持たされてフラフラしてしまう様な状況が続いた。

限界かも知れない、と思って「マジ限界集落」という口癖を生み出したら「気が滅入る」「世知辛い」「オヤジ臭い」と好評を博し、こんなに社会人するの下手くそだったっけと地味に打ちのめされた。

 

そんな中で手に入れたのが、大森靖子さんのライブで配られた「オリオン座」の歌詞が印刷された紙だった。

何となくそれをiPhoneケースの蓋についたポケットに折り畳んで入れた。ライブが終わってカバンの中でクシャクシャになるくらいなら折り目の方がマシだと思ったんだと思う。

ある日、あまりに疲れ果てて、思わずトイレの個室に篭ってボンヤリしている時に(松本大洋『ピンポン』のドラゴン的に)ふとその存在を思い出して広げて小声で読んでみたら、究極的に自分が肯定された気がして心の平穏を取り戻し、無事に業務を乗り切れた。

ここで胡散臭いと感じた人はきっとまだまだ余裕のある人なんだと思うし、願わくば一生余裕があるままで生きてって欲しいと思う。

良い歳したおっさんが、と思った人は同じ様に下の世代から思われている事から一生逃げ通せ。どうせなら捕まるなよ。

おっさんは加齢であるので個性として頼る事は本当に本当にダサい。でも良い歳したおっさんに逃げてしまうくらいに疲れ果てている。そんな自分が哀れで虚しくて悔しい。

兎も角、この通信販売や新興宗教勧誘的に見えてしまう精神衛生上のどんでん返しは、きっと当人にしか解らない。

声に出して読むという行為は特にその側面を色濃くさせる気がするけれど、無意識に声に出して読んでいたというのはそれだけメンタル的にかつてないレベルで追い詰められていたのかも知れないと分析する。

その非現実味を解っていながらも書きたいと思ったのは、先の非常階段の彼に警戒されなくなった時に感じた「彼にとってのシェルター」が自分にとってこれではないかと感じたからだ。

それからと言うもの、あまりに辛かったり疲れた時はスマホケースから歌詞を取り出し、小さな声で読んでいる。(まあ別に辛い事は多くないので正直そこまでの頻度ではないけど)

お守りの様に持っているだけで、何か1つ武器が増えた気がして心強い。

小さく声に出す時、いつも非常階段の彼を思い出す。僕は生き残りたいし、彼にも生き残って欲しい。

 

毎日辛いって自分を呪ったり、世の中を呪ったりする事が歳を取れば取るほど億劫になり、控える様になり、それで大人になったと思い込む。

そして、この辛いを「幸せ」に、呪うを「祝う」に置き換えても全く同じことが起こりうる。大抵の事は年々ボンヤリしてくる。

それを内側からダイレクトに正してくれるのは当然ながら奥さんの存在なのだけど、外から正してくれる存在がここ数年は大森靖子さんだったし、大森さんの旦那さんだった。(理想の大人像、旦那像を諦めないキッカケになった)

幸せも不幸も嬉しいも悲しいも、自分がそう思ったならわざわざ鈍化させなくても良いと教えてくれた。

これまでもそうだったのだけれど、オリオン座の歌詞が僕に気付かせてくれたものは本当に大きく、明確であると自分で思っている。事細かに記すことも出来るけど、書いても何の意味もない。

 

普段、人がどうして自分と同じアーティストが好きなのかというのにはあまり興味が湧かないし、逆に自分がアーティストを好きな理由を同じファンに共感して貰えたり消費して貰えたりする物語性は必要ないと思っている。

なのに、物語があるんじゃないか、いや、あるだろと思わせてくれて、挙句引きずり出してこんなことをダラダラ書かせてくれる。

自分の面倒な部分こそを白昼に突き出してくれるのが、僕が大森さんを好きな理由なのかも知れない。

本当に音楽が魔法であるのかないのかは、結局受け手によるのだろうけれど、出せる手は全部差し出す千手観音状態大森靖子さんは僕にとってちょっとした仏ゾーンだよ。(照れ隠しでも何でもなく仏ゾーンも凄く好きだというアピール)

勝手に救われて勝手に幸せになるんで、大森さんがもっと好きなこと沢山出来ますように。

 

 

またー。

2016.12.11 オワリカラ(@京都nano)アイドルネッサンス(@梅田クアトロ)Gigantic Roar、SuiseiNoboAz(@梅田HARD RAIN)を観てきました。

結果として3本ライブをハシゴするに至る日曜日であった。

 

2016.12.11@京都nano

オワリカラ

久し振りの真昼の実験惑星。

新曲だらけの実験中間報告的ライブ。

インスト有り、クーラシェイカー的アプローチ有り、謎コール&レスポンスの提案有りと非常に実験的だった。

「L」と「はなとゆめ」聴けたの嬉しかった。カメダくんの鍵盤は大森さんのツアーでも聴いたけれど、やっぱりオワリカラの方が圧倒的に良い。(当たり前)

モグラさんのサックスもフレーズが渋い。グッと楽曲に色気が出る。

新曲はどれも面白かったのだけれど、本編最後の楽曲(東京もあるので書いていいのかなって気もするんだけどゲルニカのやつ)が一番好きだった。

次から次へと面白いことを思いつくなーと思った。来年もオワリカラ何本も観れたら嬉しい。

 

帰りがけ、アイドルネッサンスのライブにどれくらいサポートバンドとして参加するのか聞いてみるとまさかの1時間程度とのことで電車の中で行くか行くまいかみたいなことを考えた。

 

完全にスタートから行く方向で考えていたんだけど、その理由は前日、北海道でモーニング娘。のライブが中止になり、そのファンが同じ様に雪に阻まれ辿り着けなかったファンに代わって関ジャニ∞のライブに行った話を読んだことにある。

何か当日券があるなら、自分にとって新しいものを観てみたいなと思った。

検索してみると、実験惑星を観に来ていたアイドルネッサンスのファンの方が数人いて、楽しかったとツイートしてくれていて、だったら僕もアイドルネッサンスのライブ観て楽しいんじゃないかと思って行くことにした。

チケット売り切れてたらお茶でも飲んでボンヤリしようと思っていたら当日券無事に買えた。

 

@梅田CLUB QUATTRO

アイドルネッサンス

コンセプトすら知らずに来てしまったのだけれど、過去の名曲をカバーするアイドルとのことで知ってる曲のオンパレードで楽しかった。

カバーというか、アイドルらしい爽やかさと軽やかさでもって原曲を解体再構築しまくっていてスゲーと思った。

最早ただのカバーでは無いというか、懐かしい曲歌ってんなで終わらせない馬力の様なものを特に往年の名曲枠から感じてアイドルスゲーと感心した。

コーラスに低いパートが無くて可愛さが1.3倍くらいになる事や、ダンスしながら5曲ぶっ通しで歌ったり、レパートリーが広いからか曲名を敢えて言わずに演奏に入るワクワク感などを味わう。

バックバンドとして登場したオワリカラは普段絶対やらないだろうというパワーコードガシガシの進行だったり2ビートだったりで笑ってしまったものの、新鮮で良かった。ただしタカハシ氏がバンド外の人様の鍵盤に土足で立つのだけは何かアレだった。コラー!

そしてカワノくんはアイドルのバックに座してもドラムの音がクソでかい。弱パンチが中パンチくらいの打力でやっぱり好き。

FUNNY BUNNYや夜明けのBEATなどを聴きながら、バンドは現役バリバリだとしてもこうして歌い継がれていくんだなーと不思議な感覚。

キンモクセイ岡村ちゃんが凄く嬉しかったしカッコ良かった。

Youtubeで数曲観ていたものの、本当にYoutubeってCMとしては優れてるけどアテになんないんだなと感じる程に生の方が断トツで良くて、あんなモンで優劣判断するの無理だよなと改めて反省したしキッカケがあって良かったとオワリカラに感謝したし、KANA-BOONを弾くオワリカラを観る日が来るとは思わず爆笑してしまった。 

オリジナル楽曲もリリースされるということで、それが我らがベボベ小出氏によるものとうのを聞いて武者震いじゃ。遂に小出氏の時代が来るのかと思いつつも、名曲カバーをコンセプトにしてきたアイドルにオリジナル楽曲というのはその名曲たちに負けない作品を作らねばならないというとんでもないプレッシャーが伴う作業だ。ファンとしては小出氏なら何ら問題ないと大船に乗ったつもりでいたい。(何視点だコレ)

また機会があれば観たいしとりあえずアルバムが発売されてるらしいので買いたい。

それくらい「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」が良かったし、セトリから外れていた「17才」が聴きたい。

 

その後、バタバタと近所のライブハウスに。慣れ親しんだ空気感にただいま。

@梅田HARD RAIN

 Gigantic Roar

昼間に京都から帰る為に電車に乗っていて、同じ車両に外国人が楽器を持って乗ってるなーとぼんやり眺めていた。途中でこの人たちがGigantic Roarではないだろうかと思い至ったのだけれど、マジでこの人たちだった。

「俺、Gigantic Roarと同じ電車に乗ってたんだぜ」って将来孫に自慢しよう。

あー僕、オルタナ好きだったんだよな!!!とガンガンにドチャドチャしたドラムとペラっとした様で妙に硬質で鋭いギターを聴いて思った。不穏かつキュート。

加えて台湾国語のリズムと、Gigantic Roarのコーラスを乗せてくるタイミングが普段聴いてるものと全然違う魅力があってテンションがブチ上がった。歌い方的には朗らかでラップっぽくも聴こえて面白かった、

透明雑誌にもそういうものを感じて好きでCDを買っていた経緯があるので、台湾のロックバンドが基本的に好きなのかも知れない。

カッコ良かったのでアルバムと旗を購入。旗は滅茶苦茶可愛いのだけれど、どこに飾ればいいのだろう全く見当がつかない。

ステージはガツンとオルタナなのに、ライブ後は穏やかな人たちであった。また来て欲しいなと贅沢なことを考える。

 

SuiseiNoboAz

細胞が歓喜してるって感じだった。

絶叫してしまったし汗だくになってしまった。

やっぱり好きだ。色んなものが浄化というかぶっ飛ばされてしまった気がする。

新曲もどえらい格好良くてゲラゲラ笑ってしまったしmy discoは泣く。

どんどんバンドとしての熱が上がってる気がして、全員殺気みたいなものが漲っている一体感がバシバシ出ていた。サポートの概念は消し飛んでる。

楽し過ぎた。もうなんも説明いらん。格好良い。

また観る。

 

1日でチケット代のだけで1万円削って得たこの楽しさを削ってチマチマ消費しながら今週も頑張らねばって感じ。

 

またー。

Love Somebodyの悲劇(DJカオリremix ver)

DJカオリという名前を未だに覚えているにも関わらず、何者なのか、そして顔も全く思い出せないという現実に何故だか突然ぶち当たり動揺した。

他人の曲を集めてきたiTunesのプレイリストに自分の名前をつけて売り出していた人、という認識ではあるのだけれど、それにしたってファンでもない自分ですら名前を覚えているのだからとんでもない人物なのではないかと容易に推測出来る。

これまで最高に褒められた僕のプレイリストはライブハウスで自主企画をした際のもので、GLAY星野源を含む60分足らずのソレはTwitter換算すると4ファボ程度の好評を博した。この最高記録を金額に換算すると頑張っても1円になるかならないか。そこから鑑みても恐るべきはDJカオリの求心力、そして選曲センスである。

ここまで書いて調べた所、DJカオリは自身でCDのリミックスを手掛ける芸名ではなく職業としてのDJであることを知る。数々の勘違いと非礼を詫びまくらなければならない。

DJカオリさん及びファンの皆様、本当に申し訳ございませんでした。

そして、何故かDJカオリが土佐藩の出であるという事だけが記憶に残っていて、それが勘違いではない事が今回の検索で確認出来た。何故高知県ではなく土佐藩と紐付けられているのか、思い返すも定かでない。

ただ安藤くんという男が元ギャルの彼女の家からCDを持って大学のゼミ室に来た時に「DJカオリって実在するんだ」という話で非常に盛り上がった覚えがあり、そこで彼女の来歴を調べた気もするのだけれど、それにしても何故土佐藩という表現に落ち着いたのかは全くもって不明。

DJカオリは2013年にEXILE TRIBEのリミックスアルバムを発売しており、どう考えても江戸時代の偉人ではない。ただ、そこはかとなく彼らと近しく感じる訳は、DJ文化に明るくない自分の中でDJカオリは歴史上の偉人と同程度の「名前は知ってるけど」属性であるからだと思う。なんにしても何百万枚もCDを売り上げた偉大なアーティストであるので、マジで反省しないといけないと認識を改めるに至る。

 

それにしても、リミックスという作品形態との付き合い方は未だによく解らない。

最初にリミックス作品と出会ったのは小学生の頃、その多くは小室哲哉プロデュース、所謂小室ファミリーのシングルのカップリングであった気がする。子供心に同じ曲のバージョン違いを収録するくらいなら他の曲聴かせろと思ったものだった。

大人になった今ではリミックスは大胆だったり繊細だったりとその楽曲がもつ色んな側面を楽しむのに最高の表現であると思っているけれど、大体の子供にはそんなものは通じないハズだ。通じる子供なら今頃DJカオリみたいにバリバリと音楽の世界で働いているか趣味として没頭しているハズだ。

何がここまでリミックスの評価を下げ、破壊された自然の様に取り戻すまでに時間を掛けさせたのだろうと考えた結果、1人の男の存在に行き着いた。

 

織田裕二

それがその男の名前だ。

僕が織田裕二に抱いた最初の感情は憧れだった。地黒な上に日焼けを極め、アニメ化されれば確実に褐色キャラとして描かれたであろう思春期の僕にとって、織田裕二は最高に格好良い色黒の俳優であった。

ホワイトアウトに憧れて、ダムに就職する方法を調べるも怪談話のあまりの多さに断念するなど大いに影響を与えたのか与えてないのか判定が難しいヒーローであった。

僕は演技は勿論のこと、歌手としての織田裕二にもドが付く程にハマった。

後追いではあったものの、「歌えなかったラヴ・ソング」を筆頭に歌いまくり親戚の叔母さんにトレンディードラマの亡霊として煙たがられた。

特によく聴いたのが「THE BEST TRUCKS」「SECRET RENDEZ-VOUS」「11 Colors」の3タイトルで、その中でも楽曲としては優しく温かみがある泣きの「FLY HIGH」、珍しく淡々とシリアスな「SECRET RENDEZ-VOUS」などが好きだった。

そんな織田裕二が何故僕のリミックスに対する評価を下げるに至ったのか。それは1997年から始まったLove Somebody攻勢である。

本家シングル、既発アルバムにLove Somebodyを加えての再発、劇場版シングル、ベストアルバム、ラブソングベスト、リマスターシングル、新劇場版シングル・・・流石に愛し合い過ぎだろうという頻度でリリースが続き、その中で多数のバージョン違い及びremixが生み出された。

これが「こんだけ何回も同じ曲を聴くの辛い」という気持ちと「織田裕二の名曲はLove Somebodyだけじゃないハズだ」という悔しさに繋がり、リミックスに対して良い印象を抱けなくなったのだ。

その後、傷を癒してくれるアーティストとポツポツ出会いながら社会に出た僕に対し、その苦しみを風化させまいと2012年に投下されたのが「Love Somebody完全版」という作品だった。これまで発表された12曲のLove Somebodyが全て収録されているというニュースにクラクラした。

最早笑うしかない。僕はLove Somebodyの呪縛から逃れられないのか、と割と本気で落ち込んだ。

しかし、それ以降織田裕二が音楽作品をリリースしたというニュースは聞こえてこない。

あまりに聞こえてこないので、最近段々寂しくなってきてもいる。だけど決して油断は出来ない。またいつLove Somebodyのリミックスが投下されるか解らないからだ。

せめてそれがDJカオリremixである事を願いたい。

 

何でこんな話になってるんだろう。

 

またー。

先輩としての鬼門。

後輩との接し方が未だによく解らず、仕事の話より雑談の方が多い為に先輩と言うより、よく話し掛けてくるおじさんみたいな立ち位置に甘んじている気もするし、先日は「普段108円のレトルトカレーを食べているんだけど気が向いて130円のククレカレー食ったら笑う程美味かった」と話したら「先輩なのに詫びしい・・・」という顔で「もう少し良いもの食べてください・・」と憐れまれたんだけど皆様におかれましては最近調子どう?

 

そんな綱渡り状態の先輩ライフを送る僕に突如後輩主催の後輩が集う忘年会の招待メールが届いた。

わーい僕、後輩に好かれてんなー!というメンタルではなく、このポジションに収まってしまったのかと戦々恐々としている。気分は赤紙がロッカーに張られた絶望に近い。F4もいない赤紙とか最早平和ではない一択。道明寺の天パも拝めず、彼方から微かに軍靴の音が聞こえてくる。

この度の評価は好かれていない訳ではないが、極端に好かれている訳でもないというグレーゾーンのものだと自己分析している。実際は知らないし知りたくない。怖いし。

先輩よりも後輩の方が怖い。根拠はないが怖い。

そんな後輩が集う忘年会という事は、主な議題は仕事の愚痴と恋バナである。恋バナって表記2016年に使っても大丈夫ですか?カタカナ部分対象年齢に引っ掛かってたりしません?携帯小説世代ですらないけど大丈夫?

で、そこに先輩として呼ばれるということは、即ち悪口を聞かせても外部に漏れないだろうというタイプを選りすぐった結果自分に白羽の矢が立ったのだと思っている。その矢には文が結われており、流血しながら読んでみればそこには「話せば殺す」という脅しがMSゴシック体で記されているに違いない。関係ないけど好きなフォントの話って性癖暴露に似てるよね。

何の誇張も無く、そう言った心境なのだと同僚に相談したら「無限にストレス創出し続けて抱えて40で勝手に死ぬタイプ乙」みたいな返事を残し電話は切られた。

親身なアドバイスだと思いました。(棒読み)

服装としてはスーツで働く職場なので変な冒険をして失敗する可能性が皆無。ここは有難い。彼ママに会いに行く彼女か僕は。

残された課題の内の一つが会費だ。幾らなのか、前日となった今でさえ連絡が来ない。店もどの様なグレードなのか不明で、もしかして誘ってみたものの人数から省かれてる?と不安になる。

飲み会のお金は勿論小遣いからの支出となる。

小遣いについてはセルフ小遣い制を導入しているだけであり、実際奥さんからの要請は一度も無かったことを彼女の名誉の為に記しておく。もう頭が上がらないくらい甘やかされて自由に遣わせてもらえており、気をつけないとそのうち頭の代わりに尻が上がってくるのではと気を引き締める次元なのだ。

だとしても、所詮中小企業の中間管理職。後輩との給与差など雀の涙を通り越してハチドリの涙である。ハチドリ可愛い!OK!何がだ。

先輩=奢り要員もしくは会費多めに出す芸人だと位置付けで招集レターが送られているのではという不安も拭えない。僕の精神の安定を図る小遣い残額が崩れ去る由々しき事態が迫っているのではという懸念がある。

取り敢えず「先輩 おごる」や「先輩 会費多めに払う 目安」でググるものの、ケースバイケースでいまいち要領を得ない。あとケースバイケースって入力したらcase-by-caseって出てきたんだけど何かGIZAの所属アーティストのデビュー曲(コナンのEDテーマ)みたいじゃないですか?サビは多分「case-by-case あの日あの時 心になぞらえて生まれた言葉なら きっといつか真実になる」とかどうせそんな感じだろ。

挙句同期にどれくらい払ってんのか電話をかけると金額は教えて貰えなかった挙句に「自己評価低過ぎてウゼー」と叱られるに至る。

決して自己評価は低くないとおかしな自信があるんだけども、自身による査定に対し自分が周囲にどう捉えられているかについてはかなりのマイナススタートがデフォルトではあるので、つまりそれは自己評価が低いとも言える気もするしそれは後輩云々ではなく自分が自分に厳しいのかなどと文章がこんがらがって来て何を言っているのか解らなくなってきたぞー。

己の敵は己の中にあり、ということかと思いましたし何だかんだ飲み会楽しみだなー。

 

「case-by-case」

21時に夜景の一部  モブキャラに成り下がる主人公

勝手に不幸になって 君を傷つけたまま

毎日は味気なく最終電車が滑り込むホームで

「ごめん」とメール 会いに行くよ

 

case-by-case あの日あの時

心になぞらえて生まれた言葉なら

きっといつか真実になる

遠回りしてもいい 迎えに行こう

道程は 2人なら case-by-case...

 

 

こんな感じでどうですかね。

 

またー。