性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

無題ノート。

旦那デスノートというサイトを延々と読んでいた。匿名制のサイトの中では突出して語彙数が少なく、反比例するかの様に憤りの度合いが凄まじい世界だった。

何がどうしてこうなった、を全て端折って怒りに直で繋ぐ姿勢は思いの強さの表れである。そして、匿名制なので何も見えない分だけ手加減しなくて良くなる。表現の既視感、集約される語彙、定型文化されていく十人十色の痛み。

このサイトに対しての感想は「別にあっても良い」に尽きる。

一方、それに対するアンサーとして爆誕した(と紹介されていた)のが「俺の嫁が可愛い」なるサイトであり、これもまた個人的な感想としては「別にあっても良い」しかない。

ただ、旦那デスノートに対するアンサーという持ち上げられ方がミスマッチ過ぎやしないかという気持ちで一杯である。

これはそれぞれのサイトの問題ではなく、その様な取り上げ方をしたメディアに問題があるというだけなのだけれど。

構図として一見クロスカウンターに見えるものの実は遠近法を駆使してすれ違っているだけでした、みたいな明後日感を僕は非常に感じている。

大体、「旦那デスノート」を酷いと言い「俺の嫁が可愛い」を素晴らしいと思う感性の持ち主に「旦那デスノート」の切実さなんて理解出来ない。ネタで、ストレス発散で書いている人もいるだろうけど、ここでしか発散出来ないという人がいる限り必要なのだと思う。

加えるならば、「旦那デスノート」に本心から書き込む人にとって「俺の嫁が可愛い」は回復薬になるのであろうかという思いもある。そんな素晴らしい旦那が世の中にいるのかという希望を抱かせるのだろうか。どっちかと言えば真面目に全部受け取ったとしてより絶望が深まるのではないだろうか。手持ちのカードが違い過ぎる。絶望のデュエルモンスターズではなかろうか。

そして、旬が過ぎたかの様にどちらの話も人から聞かなくなってしまった。旬とカテゴライズ出来てしまう人たちは、特に「旦那デスノート」を悪く言うべきでは無い、と今更ふと思ったので書いておく。

 

暗い話ではないつもりなのだけど、そう取られても仕方のない話をついでに1つ書いてしまおうと思う。

実の家族の話ではあるのだけれど、僕はあまり家族に対する執着も愛着もあまり無くて、それが何故なのか時々ぼんやり考える。

その時々は、あまりに連絡しない僕に対して親がメールを寄越す時で、大体3ヶ月か4ヶ月に1度やってくる。

別に親を恨んでもいないし、とても感謝しているし、だから呼ばれれば会いに行くのも全く苦じゃ無い。でも自分から欲したり、発した事はない。て言うか「苦じゃ無い」って何だ?と我ながら思うんだけど「苦じゃ無い」が一番しっくり来るので仕方がない。

それは、何かが欠落しているのかも知れないし、そんな大した問題でもなくそういうものなのかも知れない。だけど、ぼんやり考えてしまう。

そうやって考える度に1つの仮説に辿り着く。

僕は家族の中で手のかからない子供という役割を勝手に負い、既に全うした気でいるというものだ。

母は仕事柄他所の子供の相手をしており、僕は他所の子の世話をする母の帰りを待ちながら家事の手伝いをして過ごしていた。

でも別に学校が終わったらすぐ家の手伝いだった訳ではない。僕の門限は5時だった。早過ぎるだなんて思ったことはなかった。親も目一杯遊んでも当番をこなせば喜んでくれたし褒めてくれた。サボっても別に怒らなかった。

だけど自分の母は他所の子供の面倒をみる為にいるのだという気持ちが強く、手を煩わせない様にしようという意識がとても強い子供だった。その割に成績はそんなに良くなかったけども。どうにもツメが甘いのである。

反抗期もほぼ無く、常に親が安心する方を選んだ。決して強いられた訳ではなく、ただそっちの方が良いと思ったからである。

全ては緩やかで、自然だった。

僕には妹が一人いて、その妹は僕とは逆に親の迷惑を考えず、良い事も悪い事もとにかく自由に選んだ。

ワガママを言う、言うことを聞かない、学校に行かない、親に学費を払わせて身につけた技術で就職した業界も呆気なく辞める、親も会ったことのない男とデキ婚する。

単純にスゲーと思った。憎いとも、羨ましいとも思わないし、憧れもしなかったけどスゲーなコイツと思った。そして僕は勝手に「コイツの分まで手のかからない子供でいなくては」と思った。

妹が荒らした家の中で、自分だけは淡々と普通でしっかりしようと思い、振る舞った。

自分が就職してからは、妹がデキ婚して実家を出るまで毎月小遣いをあげていた。妹と、あと親にも記念日や誕生日やクリスマスや正月にプレゼントを贈っていた。妹の、父の、母のそれぞれの話の聞き役が僕だった。

なかなか手のかからない息子であったと思う。

ただ、長い目で見てどうだったんだろうと思う。手が掛かって仕方なかった妹は結果として世間一般の親が欲する(とされるが実際は知らない。親じゃないし)「近くに住み、よく顔を見せてくれて、孫がいる」を全て実現しているし、色々手を煩わせたという自覚もあるのか、とても僕を含めた家族に感謝し大切に思っている様子であるし、両親も楽しそうである。

一方僕は、自分を献身的に緩衝材として使った挙句に執着も愛着も無いなどど供述しており、勝手にフェイドアウト気味である。書きながら不思議なのだけれど、寂しくないし、後悔もしていない。

ただ何となく、そんな感覚でいる事を家族に申し訳なく思っている。

僕の家族は皆いい人で仲も良いし、とても感謝している。

好きよりも先にいい人だの感謝だのが飛び出す自分を、家族に申し訳なく思っている。

だからそれを悟られないように、仲良くしていくこと(幸いそれは自然に出来る。だって仲が良いから)が自分に出来る孝行なのだと思っている。

うわーイタイ事書いてんなーと思う人も、意味不明だなーって思う人も、お前のような人間は許せないという人もいるかも知れないけど、あくまで自然とそんな人間になってしまったので仕方がない。

こう書いてしまうと何だか矛盾している点も多い気がするのだけど、矛盾してるけどスッと収まってしまっているので、これが自分にとっての対肉親の自然なのだと思う。

その他人付き合いや感情表現については、人に共感してばかりなので普通なのだと思う。そう考えると家族とは特別なのだなと改めて感じる次第である。

なんにしても、今後も仲良く暮らしていきたいし、親も妹も元気でいて欲しいものである。

それに、心変わりというか考え方も少しずつ変わっていくかも知れないので、そんなに心配することではない気もする。

良くも悪くも人生は長そうだから。

 

またー。

最遊記への恋と嘘。

恋と嘘」という作品を何となく観てみたかった。

プライムビデオにあがる予定とのことで、それを楽しみにしていた。

設定としては結婚相手が政府によって決められる世界で己の恋を貫かんとする男女の物語ということで、可愛らしい絵柄の割に重たいテーマだなと興味が湧いたのである。

有頂天家族2からリアルタイムでアニメを追う生活を始めたのでアニメっぽいアニメ作品を観たい!という気持ちも大きかった。(有頂天家族は何て言うか、森見作品って感じでアニメって印象が薄い)

第1話を鑑賞して、そのラブコメ漫画らしいご都合主義っぷりに参ってしまう自身(分別ある大人になったつもりなんでしょうね的な)にゲンナリしつつも、盛り上がる度にドーンと政府通達による結婚制度が行く手を阻むのでブラインドの向こうにシリアスが常に待機してて時々顔を出すという、中々に中々な作品だなと思った。

続きが気になり過ぎて本屋さんで4巻まで単行本を購入し、一気に読んだ。

先述した社会で生活する登場人物がとても優しくて皆漏れなく愛らしいので、感情移入出来ない代わりに全員の幸せを滅茶苦茶願って応援してしまう。

アニメも漫画も続きが楽しみ。 

もっと沢山読むなり観るなりしたら改めて感想を書きたい。

 

それはそうと、最遊記に最初にハマったのは中学生の頃だった。

当時の僕は意味もなく年に1度か2度ファンロード(今で言うpixivの雑誌版と考えてもらえばそう遠くない気がする)を買う趣味があり、そこでやけに流行ってる印象で、たまたま入ったブックオフで1冊100円で売られていたので試しに立ち読みした結果、その日の昼食代をつぎ込んで全巻購入し、翌日にはブックオフに流れてきていなかった最新刊を書店で購入していた。

当時何故か出入りしていた同い年の女の子の家(お兄ちゃんとゴエモンマリカーをプレイしたり、お婆ちゃんと時代劇や新喜劇を観るなどしていたがその子とは幼馴染という訳でもなく、付き合ってもいなかったし家もそこそこ遠かった)のお姉ちゃんに話を持ちかけた所、高校の漫研女子の間で強烈に流行っているらしかった。

それはジャンプか最遊記の二択となっているという情報で、ジャンプという掲載誌一括りに対して最遊記という作品単独で派閥を分けるというのは僕からすると衝撃であり、また自分が高校生でない為にリアルにそれを感じられないことが少し寂しくもあった。

バリバリ体育会系の部活に属していたこともあり最遊記の話が出来る親しい人は身近におらず、実質漫画研究会の癖に美術部と名乗っているクラブには運動部というだけで敬遠されてしまい上手く近付けなかった。逆の立場なら何故スポーツゴリラが文化部に来るのだと警戒しただろう。気持ちが普通に解るだけに取りつく島もない、というか自分から無いと思い込む様にしていた気がする。冷めていると言えば聞こえはいいが、何事も期待しないというのと諦めるのは違うものであると教えてやりたい。

さて、僕の中で最遊記の位置付け及び登場はガンガン、エニックス系の作品(ハーメルンのバイオリン弾きアークザラッドなど、王道の少年漫画にはない残酷性と艶っぽさを備えていたものが流行っていた。僕は浪漫倶楽部PON!とキマイラなどハートフルかつコミカルな作品を特に好んで読んでいたので掲載誌は同じでも別の畑という意識があった)が培った土台に降り立った天性のアイドルという印象であった。最遊記Gファンタジーなので別誌ではあるが。

モーニング娘。ゴマキが加入した瞬間がイメージとして伝わりやすいかも知れない。人気を博していたグループにとんでもない新人が加わるというイメージ。要するに僕にとって最遊記ゴマキであった。では加護ちゃん辻ちゃんはどうであったか。黒乃奈々絵とか、まぁその辺なんじゃない?

一方自分自身と言えばジャンプとマガジンが幅を効かせる体育会系に身を置き(サンデーはオタクの読み物という風潮があった。皆コナン観てる癖に)、最遊記と遠い所で生活していた。せめて世の中の最遊記熱を共有したいが為にアニメイトに通ったり、高校の学園祭に潜入し、漫研の展示を見ることに精を出していた。年上の漫研所属の彼女を作ればいいのではないかという発想にまで達したのは行き過ぎであったと反省している。

ともかく、骨の浮く程痩せた身体や煙草の煙や友情を挟まない単純な暴力、倫理的タブーなどなど、全てが乾いており尚且つ艶っぽく、詩的にすら感じられる色気にクラクラしたのを未だによく覚えている。ワンピースや封神演義からは感じ取れないものが最遊記にはあり、それに完全に魅せられた。

それ故に当時のアニメ化による最遊記は、作画に納得がいかなかったりテンポが想像と違ったりと散々でアニメの限界を思い知らされた気がして絶望してしまった。(EDに起用されていたチャコールフィルターにはその後何年かドハマりするなど収穫はあったが)

とにかく、そんな思い出を胸に、2017年の7月、アニメ「最遊記RELOAD BLAST」の第1話を鑑賞した。

放送局はサンテレビであった。当日は録画しているのにソワソワしてしまい、開始の30分前からテレビをつけてチャンネルを合わせた結果、ケバケバした甘味で財を成した女性経営者が女性モデルをはべらせてゴルフをするというよく解らない番組を見守る羽目になってしまった。

そうして始まった最遊記は、作画も崩壊していないし声優陣も懐かしくてあっという間の30分であった。

懐かしさよりも、峰倉かずやの線にアニメが少し近付いたという感動が大きかった。

しかし、直近どハマリしていたのが12話に世界観を完璧に詰め込んだユーリ!!!on ICEだったのでそれと比べると1話あたりの中身のなさが凄くて笑ってしまった。

何がどう好きだったか、そして今も何が好きかなどなど、好きについて言及し無さ過ぎてサイコパス感もあるんだけれど、まだ書かない方がいいんじゃないかという気持ちが大きい。

いつか、地獄の門を開け、地獄の釜の蓋を開け、地獄の業火に身を焼かれくらいの掘り下げを行なった後に淡々と述べたい。

続きは次回の講釈で(何故か黒乃奈々絵オチ)

 

以上、オタクの話は要領を得ず長いという日記。

 

またー。

狸と猫が見つめ合うのを見守る夜のお仕事。

残業代が時給2500円なのを「夜のお仕事」と称してゲラゲラ笑っていたけどネオン街で蝶にならずとも残業なぞ大抵夜のお仕事なのであったし、席を外していると思っていた上司にしっかり聞かれており若干の教育的指導を受ける。押忍。

2500円が世の中的に高いのか安いのか解らないしどうでも良いのだけれど、今まで給与に元より見込みで幾らか上乗せされていたので毎月ちゃんと働いた時間分振り込まれていてドキドキする。恋かな。

1時間残業するとライブに一度行ける計算になるのだけれど、相変わらずライブハウスから足が遠のいている。折角なのになーとか思うけど、折角なのになんて思ってる時点でノリが悪いのが透けて見える。今必要だと思ってないだけだと思い知れと自戒。

 

先日、梅田をボンヤリ歩いていると、あ、梅田って言うのは大阪の中で屈指の都会で、東京で言うと新宿みたいな街なんですけれども、これは別に新宿ほど発展している大きな街という意味ではありませんで、要するに東京をスケールダウンしていって大阪に当てはめた場合は新宿みたいなイメージなんですよ。まあぶっちゃけ新宿よりも買い物や混雑っぷりという意味では全然便利なんですけども。(謎かつ突然の東京dis)

そんな感じの梅田をそんな感じで歩いていたら、目の前を歩いていた5歳くらいの男の子が突然一緒に歩いていた父親と思しき男性に向かって「僕、右にも肺がある!!!」と言い放つ現場に出くわして感動してしまった。

彼の中では左胸にしか無いと思われていた肺が右胸にもあるという発見を教えられるでも無く自分自身で急に果たした訳で、これが滅茶苦茶嬉しそうでたまんなくなった。

父親の返答がまた「そうだね、肺あったね!」だったのも良かった。何を言ってるんだとか、当たり前だとか、そういう無粋な返答でなく気付いたことを認めてあげるニュアンスで素晴らしく可愛い親子だなと盗み聞きの分際でグッときていた。

自分で何かに気付く、答えを導き出す事に対する喜びというものが随分と鈍ってきた様に思った。僕なぞが願わずとも健やかに育ちそうな彼ではあるものの、どうかスクスク素敵な男の子に成長して欲しい。どうかどうか。なむなむ。

 

さてさて、有頂天家族である。

不覚にも有頂天家族2にハマってしまい、僕は気合い十分、聖地巡礼すべく平日の京都に乗り込んだ訳であるが、六道珍皇寺再訪による地獄巡りから始まり、喫茶マドラグを予約した後に六角堂へ足を運び、見知らぬ留学生のアニオタ女子の専属カメラマンとして何十枚も写真を撮って差し上げ、願い事を書いた紙を尻に突っ込んで封をして飾ると叶うという文字にするとなかなかになかなかな小鳥の置物を買い、舞い戻ったマドラグで玉子サンドを頬張り、下鴨神社に行こうかと思いつつ推し猫カフェが空いているとの報をTwitterで見かけて突入を図り、推しの猫(話しかけるとスゲー嫌そうな顔をするんだけど、それでもずっと一緒にいてくれる)と見つめ合って微笑み、それでも一切心が通じている気がしない所がまた良し、他の猫にも非常にしっっっっかりとうつつを抜かし、労働を終えた皆様と電車に揺られて大阪まで舞い戻り、友人を呼び出して飲みに行ったのに30分で体調不良に陥り解散という華麗な流れで一日を過ごした。

せっかく身支度をして梅田まで出て来たのに体調不良でぶっちぎられてしまった友人だけは不憫であるが、まぁ世の中そんなもんである。

未来なんて見えないし、将来なんていらないし、明日なんて解んないので、30分先なんて知らないのである。

とは言え、申し訳無さだけはしっかり持ちたい。ソファにダイブ後に一体化しそうな程にゴロンとしつつ回復に努めている。

 

あと2日しっかり働けば土日。

やり切りたい。

 

またー。

プロ餃子ペナントレース初観戦日記。

人生初のプロ野球観戦に甲子園まで行った。

野球部だったにも関わらず、プロ野球中継でアニメを筆頭とするテレビ番組が延期・遅延するのが許せず(攻守交代の際など自分は常に全力疾走を求められるのに金貰っている上にテレビ番組阻害している癖に走らないプロ野球選手が許せなかったという意味)、プロ野球が好きではなかった。

それでも縁あって観に行く事になったので拒否するのも変な話だなと、野球を全く知らない同行者もいるとの事で解説役くらいになれたらラッキーという気で行った。

大抵の人が中止を予想していた中、急激に天候が回復したので無事に開催されたゲームの対戦カードは阪神対ヤクルト。

ホーム側の一塁席でダラダラとビールを飲みながら眺めて、というつもりがプロ野球選手のガタイの良さだったり球のスピードだったりファンの応援だったりにテンションが上がってしまい、特に7回のジェット風船を飛ばしてからというもの、阪神の攻撃中は声出しっぱなしで終わってみれば喉はガラガラであった。

阪神は最後の最後まで粘ったものの負けてしまったのだけれど、それでも生で観る分には楽しかった。(単純にテレビを観なくなったせいで好感度が持ち直して来ていたのかも知れない)

負けた試合で楽しかったのだから、勝った日にはどんだけテンションがアガるんだろうと新たな興味が湧いた。

ただ、惜しい負け方をしたお陰か想像上のTHE阪神ファンな強烈な野次が飛び交う空気感を味わえたのも収穫と言えば収穫であった。

その後、おかしな興奮により時間の感覚を失った一同は焼肉を食べて感想を述べているうちに終電を逃し、カラオケで朝を待つ展開となってしまった。控えめにいってもバカ。瀕死の状態で始まった土曜日は散々な出来であった。

そんな中で観た有頂天家族2の最終話は、親近感と縁遠さを同時に成してしまう京都の雑多さに少し嫉妬してしまったのと、1を観ていないのせいか最後まで主人公に感情移入出来なかった。

それでも12話を毎週楽しみに観れたのは単純に面白かったから。地獄の話などとても好きだったので、改めて六道珍皇寺に行って地獄の勉強をし堕ちる日のために心構えをすると共に下鴨神社などブラブラと聖地巡礼をしたいなと思った。

  

そう言えば、餃子の王将で聴くAqua Timezの「決意の朝に」のBGMがマジでノスタルジックJPOPである、という話なんだけど。

スーパーやファミレスや餃子の王将で流れるJPOPのよく分からない電子音アレンジのBGMは好きな曲よりも割と思い入れのない曲の方が琴線に触れる気がするのは僕だけなのだろうか。

僕にとってのキラーチューンが何故かAqua Timezの「決意の朝に」であり、そのカードの効力が最大限に発揮されるフィールドが何故か何故か餃子の王将なのである。

ファンだった訳でも世代だった訳でもなく、バイトの都合で主題歌となっていた映画ブレイブストーリーのDVD販促映像を一時期延々と観ていた期間があっただけの曲なのだけれど、この原曲から良くも悪くも主張を削ぎ落としまくったBGM版が何故だか毎度ガツンと後頭部をぶん殴ってくる。切ない気持ちになる。

餃子の王将に行くと結構な頻度で聴こえてくるので、数多あるであろう曲の中ではかなり相性は良いのかも知れない。

切なくなるものの、肝心の切なさの中身がまるで空っぽなのでどんな顔をして聴けば良いのかまるで解らず困惑してしまう。

思い出したくない強烈な出来事を記憶の奥底に沈めて封印している可能性もあるにはあるけれど、嫌な事は大体3歳から今に至るまで残念ながら願えども忘れられなかった性格と精神構造に難のある人間である。その様なドラマチックな展開は期待できそうにない。

今後もこのBGMに鉢合わせる度に、苦笑いしながら出自不明な切なさにぎこちなく挨拶をする事になるのだろう。

ちなみに僕にとっての餃子の王将は「京都王将」なので「大阪王将」がホームグラウンドな皆様におかれましては勝手が異なるかも知れない。

僕が餃子の王将と認める大阪王将は石切の駅前にある大阪王将だけである。大学時代、卒業制作に関して協力して下さったとある施設の近くにその店舗があり、ロリコンでDir en grayが好きだった井口くんと一時期通った思い出があるだけという理由及び承認判定のガバガバさよ。

それはそうと、メニューに炒飯と書いてあるのに復唱で焼飯とコールする店員さんがいるんだけど、あれ公式メニュー表記と店員さんとのプライドがぶつかり合う音が聴こえてきそうで好きなんですよね。ふふふ。中華一番!

 

またー。

住民税にローライズ割引適用。

転職した最後の一手間として住民税の支払い切り替えが生じ、家に払込書が届いたのを期限ギリギリまでどのスタイルで納めるか迷った。

四半期に一度全て自分で支払うか、四半期の1回目のみ自分で支払い残りを会社に引き継いで貰い給与から差し引く処理をして貰うか、いっそ1年分まとめて自分で払ってしまうかである。

ここで既に頭が丈夫でない僕の様な人は訳が分からなくなっている可能性があるけれど、僕も最後までよく解っていなかったので少なくとも仲間がいるという希望だけは捨てないで欲しい。ただ、もし僕以外の全人類がこれをスムーズに理解出来るのだとしたら僕は希望を捨てて絶望を抱かねばならないので、その点についてはわざわざ理解出来たという報告は寄せないで頂きたい。くれぐれも、である。

そんな感じで考えた結果、1年分を一括で支払った。

滅茶苦茶高い。細かく書いてしまうと昨年の所得が賢い皆さんに察されてしまうので金額は伏せるが、強いて表現するなら大学の同級生の細谷くんが住んでいた天満のワンルームマンションの家賃で言うと3ヶ月分である。

因みにその界隈はタクシードライバーのおじさん曰く、一見落ち着いた地域に見えるが頭のおかしい人が異常に出没する地域で独り暮らしはマジでオススメしないという地域である。その割に別に安くない小綺麗なワンルームであった。僕はその部屋で生まれて初めて当時ネットを騒がせていたXboxの起動音の凄まじさを目の当たりにした。今となっては良い思い出であるが話が思いっ切り逸れているのでこの辺で方向修正したい。

で、そのクソ高い1年分の住民税をコンビニで払い込んだんだけど、コンビニで高額を払うのが生まれて初めてだったせいかキチンと払込み出来ているのか凄く疑ってしまった。

提示金額も領収書も何も誤りがないというのに、徹底的に僕らの便利の為に特化しまくってくれたコンビニ様を疑うなんて最早発想としてバリバリの昭和生まれな気もするが、疑ってしまうのだから仕方がない。

もう少し便利な世の中をスマートに使いこなし闊歩したいものだなとボンヤリと思った。

ちなみにウチの同僚は1つ年上かつ異性にも関わらずネットショッピングもネットバンクも信用ならず使った事がないらしい。何について逆なのかは定かではないがついつい「逆にスゲー」と言ってしまう事案ではなかろうか。上には上がいるので、この先に現代っ子の仲間入りをすべくコンビニとの距離をグンと縮めたい所存である。

 

先日、クールビズの一環としてスーツの夏用パンツを買い求めたらどちらも冬用に比べてローライズ気味のデザインであり激しく動揺した。

デザイン的にはシャツのボタン1つ分、股上が浅いのである。今回の人生で股上という単語を使う日が来るとは想定していなかったので言い慣れない、読み慣れない、打ち慣れないの三冠王である。動揺が見て取れる表現ではなかろうか。

服飾的な腰の位置がボタン1つ分下げられた為、視覚的に胴長に感じられる。こんな微々たる丈に振り回される様では胴長を大声でアピールして歩いているのと同意であるけれど、まあ事実なので致し方ない。

そもそも何故股上を浅くする必要があるのだろうか。この方が涼しいのだろうか。お腹が冷えないか、ちょっとした拍子にヘソが出てしまわないかハラハラする。

マンチカンの可愛い短足っぷりにコンマ1ミリ近付く事が出来るという点以外に僕の目ではメリットを見いだす事が出来ない。もしかして節穴なのだろうか。なんとなくそんな気はしているので大したショックも受けないで済みそうで、それはそれで切ないものだなとしんみりした気持ちになってくる。忙しいなぁ。

ともかく、コンマ1ミリ近付いた所でマンチカンの様に多くの人々から愛でられるには距離にして100億光年くらい手前の領域なので、ローライズであることにメリットはほぼないと考えている。ネットで調べれば解るのかも知れないけれど、こんだけ文字を打つ癖にその手間が面倒なのとそのメリットに納得いかなかったら折角購入したのに着なくなってしまいそうなので調べない事にしたい。

着ないのは流石に勿体無いので、調べない事が自分の中で最善の策となっている。

クールビズが終わるまで、ほんの少しマンチカンに近付いた僕に会える職場の人たちはほんの少し得した気分になって欲しい。いや、得した気分になれ。お願いだから。

 

またー。

ウェイウェイバーベキュー閉店。

会社のバーベキュー大会に参加した。

200人規模の催しとなり、4月に入社した上にSPECで言うと警視庁公安部公安第5課未詳事件特別対策係、ショムニで言うと庶務2課の様な会社の中でも目立たない上に少数(精鋭かはさて置き)の特異な集団であり、その部署の同僚も何故か半分が来ないという過酷な環境に置かれ、ウェイウェイした部署や大所帯の部署の隙間を縫って肉を食べるなどして過ごしていた。

高速道路に生身で放り出された気分というか、大型トラックがビュンビュン行き交う長いトンネルをママチャリで抜けようと試みる様な気分であった。

話し掛けられるともう「お、オイラが視えるのかい!?」という気分で、まーこれも社会経験という名のアトラクションみたいなものかと半ば諦めて対応した。待ち時間0分のディストピアUSJ、人生は百味ビーンズだよね、今日は例えるなら犬のヨダレ味かな!とんだホグワーツ、超グリフィンドール、見渡す限り全員マルフォイもしくはダンブルドアただし双方共に上裸。

ウェイは決して悪い人種ではないと元々解っていたし、その認識自体も新たにしたのだけれど、マジで笑いのツボがロンドンハーツみたいなソレかつテラスハウスだったりするので、夜な夜なyoutubeでチョコレートプラネットやインパルスのコントを漁って低い声で笑っている僕のような人間とは住む世界が違うとも思った。おはようからおやすみまで脳内にEDMが流れ、飲んだ水をウォッカをレッドブル割ったやばいTシャツ屋さん飲料に自動変換出来るのではないかと疑ってしまうテンションであった。

最終的には半ばヤケ気味になったのかそこそこ楽しい時間を過ごすことに成功したのだけれど、この催しが今後3年連続雨天中止で自然消滅することをほんのり願っている自分がいることも事実である。疲れて寝て悪夢をみた。

仕事や飲み会では是非とも仲良くしたいけれど休日は御免被る。これが根暗の根暗たる由縁である。

 

よく利用する店が結構な確率で閉店するんだけど、要するに人があまり来ない店が落ち着くという発想で選んでいる為に、周囲の客もそんな少数派であり、店の採算ラインにあまり貢献出来ずに閉店してしまうのだと思う。

閉店してしまうと賑やかなお店に行くか、また人があまり来ない店舗を探すかしないといけなくなるのだけれど、結局後者を選ぶのでまた暫くするとその店も閉店するという悪循環に陥る。

それでも、最後の1店舗が閉店してしまうその日まで、僕は人があまり来ない店舗を愛用したい。はてなブログをわざわざ読んでる人には割と理解して貰えそうな期待感の薄い延命措置ではないかと思う。

 

欅坂46 『二人セゾン』 - YouTube

正直、ここ一年で一番良い曲だと思っている。

何の思い入れもないし感情移入も出来ないのにあまりに思い出すので単純に凄く良い曲なんだと思う。

以前ヒトカラに入った際、ふと思い付きでこの曲のカラオケの公開参考動画的なもの(客がカラオケで歌っているのを撮影して誰でも観れる様に登録出来るサービス)を観てみたら、声高めの男性客が席に座ったまま真顔で歌っている映像が多くて衝撃を受けた。なんて静かな愛と承認欲求のぶつかり合いだろう。単純に羨ましい気持ちになり、延々と色んな声高めの男性客が席に座ったまま真顔で歌う映像を見た。

2時間コースのうち30分はコレに費やした挙句、結局自分では二人セゾンを歌わなかった。僕は立って歌う派だったからである。

この30分はどう言い訳しようにもカラオケ的には無駄な30分であったとしか評価出来ないものの、今後も色んな曲で公開参考動画をウォッチしていこうと心に決めたのであった。だって皆、どこか誇らしげなんだもの。気持ちが上向く。

 

またー。

霊魂が差し出したベーコンが気持ち浮腫んでいる。

会社の会議の待ち時間にボンヤリしていると周囲が頻りに「ベーコン」と口にするので加工肉大好きクラブ名誉会員(ただし赤いウインナーには厳しい)として参戦せずにはいられず、「僕大好きなんですよ!アスパラベーコンかハニーマスタードが特に」と華麗に飛び込んだらまさかの聞き間違いで「ベーコン」ではなく「霊魂」の話をしていたという大変恥ずかしい体験をしたのでせめてもの発散としてここに記しておきたい。

霊魂の話をしてたとしても急に「僕大好きなんですよ!」って墓場生まれか水木さん(水木しげる先生の一人称)育ちのどっちかしかねえオカルトアラサー野郎が登場したら普通に引くわ。まあ僕は後者ですけどね。幼少期、局地的に流行ったメンコブームで祖父の家から発掘した古びた鬼太郎のめんこで周囲を圧倒して「過去から来た凄いやつ」みたいな扱いになっていたくらいに本格的に水木さん育ち。あまりの無双っぷりに腹を立てたガキ大将がメンコでなく石を投げてきて流血するという騒ぎに発展した。オイオイ坊や、ママのお腹の中で習わなかったのかい?「ルールを守って楽しくデュエル」ってな、などと言う余裕もなく病院のお世話になったというオチがつくくらいの水木さん育ちなのである。心なしか水木さんどんどん関係なくなってるけど。

ただ、事実がそうであれ社会生活においてキャラが確立出来ていない新しい環境であることを考慮すると完全に不要な一撃であるし、何より霊魂をベーコンと聞き違えて好きなベーコンを用いたメニューを発表までしてしまっている。

自ずと話の流れは霊魂からベーコンへ移行する訳だけど、本当にその優しさが心に痛い。恥ずかしさを助長する。いっそ流してそのまま霊魂の話をしてくれた方がいくらかマシである。でも優しい人程そんな事は出来ない訳で、有難いんだけど辛いという状況を味わい変な汗をかいた。

ていうか霊魂って言い方する?霊じゃね?そこは霊じゃね?という八つ当たりから、夏になるとどうして怪談話が持て囃されるんだろう涼しくなった事などないというのにという回りくどい八つ当たり、挙句単純に怖い話無理という直球な八つ当たりまで(とか言いながら怖い話スレを滅茶苦茶読む。怖さの予防である)、とにかく八つ当たりを網羅する展開となってしまい我ながら器が小さくて大変ダサいなと悲しくなるに至った。

せめてアスパラベーコンをお腹いっぱい食べたい。

 

最近、何故か非常に身体がむくんでしまい手も顔も当社比で丸々として見える。

このままでは丸くなり過ぎてゆるキャラとして生計を立てねばならない日がくるのではないかと考えている。

キャラ設定やらポージングやら、強者揃いの業界でスポットライトを浴びる活躍が果たして自分に出来るのか、不安は募る。

流派としてはゆるキャラではないがヤクルトスワローズつば九郎の様にフリップコメント芸人枠を狙うのが一番可能性があるのではないかと踏んでいる。

土屋太鳳さんの様に毎日長文のブログを更新し、上手くいけば名作選という体で異常に爽やかなどっかの出版社の編集さんがまとめてくれて書籍化、著名人との対談、日めくりカレンダーなどで一山当て、不労所得で毎日猫カフェに行く生活が出来るかも知れない。ただ働いていない僕に懐いてくれる猫様などこの世にいるのかという新たな不安が生じる。

猫に嫌われるくらいなら働くし、ゆるキャラになんてならなくて良いし、ていうかまずこのむくみと一生付き合っていくのマジ無理だし、身体の異変で一儲けすることについての虚しさはムーミンコミックス「黄金のしっぽ」で痛い程学んだハズである。

それを忘れてこんな事を書いてしまい本当にお恥ずかしい限りでミン。

ムーミンコミックスは面白いので全員買って読むように。むくみの妖精ムクミンとの約束だミン。

 

それはそうと自分はちゃんと頑張れているんだろうかみたいな事をひたすら考えてしまい、やれ甘えているのではないか、やれ自己愛以外が実際のところ理解出来ていないのではないかなど堂々巡りを脳内で繰り返し、最終的に慢性的な頭痛に悩まされている。

同世代の同性が何を考えて生きているのかなどが無性に気になり、友人とご飯に食べに行ってあれこれ聞いたりして(そんな小難しい話はしてないけど)少し楽になったり、単純にこれまで以上にその人の事が好きになって花*花の「あ〜よかった」が帰り道エンドレスリピートされるなどしてその根深い何かと上手い事付き合っていこうとしている。

自分が頑張り過ぎていること、その逆で甘えきっていること、それは抑えた方がいいのか、もっと素直に出すべきなのかなど、全然判断がつかない。

インターネットにはヒント(実際にはヒントのフリしたドヤ顔であることが多い)は沢山溢れているが、答えらしい答えは全然転がっていない。

自分から突き放してどうするんだと思わなくもないけれど、まー自分なりに「こうしなきゃいつか死ぬ」「こうしたら結構スッキリする」などなど、色んな部分で自分がどうしたいかを考えなくてはいけない気がしている。もしくは全部ポーンと諦めてしまうかである。

そう、あらゆる場面で「ついで要員」としてかなり優秀な成績を修めてきた自負はあるんだけど、結局未だに諦めがつかないんだなーと思った。ララランドを観た時にそれを認識した。世間が言う程に素晴らしい映画だとは思わないけど、たまたまタイミングが合致したというか。

これ以上意味不明な主張を書いても意味ないのでそのうちまとまったら書くかも知れない。

 

またー。