性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

2000本の芝を刈る筋トレ。

今年に入ってから甲子園付いており、夏の高校野球を2回、阪神タイガースペナントレースを3回観戦に訪れている。

これまでの人生において甲子園カウントが2のまま生きてきたのにキャリア初の1年複数回を達成したばかりかそれまでの来場数を倍以上更新したことになる。

こんな覚醒の仕方ってあるんだろうか。

つい最近、当日に譲って貰った席が懸賞に使われるテレビ局の年間シートであり、周りがほぼ年間シートのお客さんで自分たち以外全員顔見知りという住宅街の個人経営の飲食店に無謀にも突撃してしまった気分である。

年間シートのお知らせみたいな広告を見やると、僕が譲って貰ったシートは購入すると11万円程度とのこと。色々お話を聞かせて貰ったりと楽しかったけれど、かなりエネルギーが必要な席で、相手の攻撃中とかホント全然観ないで喋りかけてくるので試合の流れがよく解らなくなる。それでもなかなか楽しくって、ちょっと年間シート欲しいなと思ってしまった。

そこまで足繁く通えないし行けない試合のチケットの譲り先もないので買えないものの、将来的に野球しか生き甲斐のない中年サラリーマンになったらその時は買おうと思ったし、あと全然関係ないけどUSJにほぼ行ったこともないのに年間パスポートが欲しかったりする。とりあえず万博公園の年パスを購入することでこの欲を紛らわせて次のステージへ向けての糧にしたい。

ちなみに試合は以前観戦に行った際に鳥谷選手が達成した2000本安打の記念試合であり、来場者に記念品としてメッシュキャップがプレゼントされた。

僕は奇跡的に2000本達成の現場に居合わせていたのだけれど、これまた奇跡的にチキンに夢中で見逃してしまっており、この奇跡的に次の来場でその記念品をもらえるという流れにも一抹の申し訳なさがあるものの、まあ記念だしねと有り難く頂戴した。

そして試合は巨人の大エース菅野投手の前に圧倒的敗北を喫した。

 

で、その試合が水曜日だったんだけど終電を逃した。厳密には途中までしか帰れず、そこからはタクシーだった。

最近、水曜日に終電を逃す事が多い。3回中の2回は時計を見ていなかった自業自得であり、残りの1回は酔っ払いの介抱である。

しかし翌日が仕事でもそんなにキツさはない。

これは全体的に労働環境が改善された為か、えっちらおっちらボチボチダラダラ続いている筋トレの成果か判断がつかない。両方の可能性もあれば、単純に自暴自棄になっており酷使に対して無頓着になっている可能性すらある。

恐らく筋トレの成果だと僕は踏んでいる。

何故始めたかもよく解らなくなってきた筋トレであるが、最近では単純に自分の腹筋がどんな形に割れるかが一番の関心事である。その癖に相変わらず負荷はそんなに高くないので永久に結果を目の当たりにすることはないか知らない。

この習慣が年明け辺りまで続けば、本当にジムに再び通ってさっさと腹筋を割ってしまうのが良いかも知れない。暇なのにやる気にならない、それまでのルーチンを亡き者にしてしまう正月を超えてなお続くんであればご褒美的に通うのもアリではあるものの、腹筋が最大のモチベーション(重ねて言うがその癖に運動の負荷は低い)なので、目標を達成した途端に意欲を失う可能性があり心配である。

身体のキレは正直中学時代を凌ぐ過去最高の領域に到達しそうなレベルにある(どんだけ低い所を推移してるんだ僕の人生は)のだけれど、生涯を通して何故だか一番疲弊してもいるのでアッサリ折れてしまいそうである。

ちなみに最近一番違和感があった「アッサリ」の表現は「なか卯は親子丼大盛りに唐揚げ5個、そこにはいから饂飩(小)を足しても1000円超えないし、うどんがあるから最後までアッサリ食べられる」という評のネットニュース記事である。

どこがどうアッサリなんだろう。ずっと考えているが、これをアッサリと評して違和感を感じない人生というのは非常に豊かで楽しげな気がして羨ましい。隣の芝は青いどころかボーボーでしかもギトギトである。そのまま刈り取って炒めたら美味そう。自炊が捗りそうで尚のこと羨ましい次第である。

 

話の流れを見失って(ロストと読んでください格好良いので)してしまったのでこの辺で。

 

またー。

卵かけ納豆ご飯の段。

食に無頓着で予定のない日は三食とも卵かけ納豆ご飯を食べているという人がいて、普通にその食生活に退いてしまったのだけれど、僕は卵かけ納豆ご飯が結構好きなので、オススメの食べ方を教えてあげたら今度は僕が退かれてしまってお互い「何なのコイツ」みたいな空気になってしまった。

振り返り戦(後に脳内で行われる反省会。頻繁に行われる割に活かされることはほぼ無い)を経ても自分の切ったカードがどうしたって悪手には思えないのでここに正当性を主張すると共に、新規組員募集の意を含めて卵かけ納豆ご飯の最高の食べ方を記しておきたい。

 

これは向井秀徳の如く僕の口から繰り返し主張される「ご飯のおかずはご飯」の応用編である。

世に出回る「調味料でアクセント」とか「ここで一手間」みたいな、普通それ家に常備されてませんけど?的な展開にもならない、誰でもすぐに楽しめる卵かけ納豆ご飯の有意義な食べ方なのである。

 

まずは丼にご飯を盛る。お茶碗でも良いのどけれど、ご飯が好きなので丼で盛る。あと単純にお茶碗よりも広いフィールド(と言い表して良いのか)が確保出来る丼を推奨したいという意図もある。

ちなみに卵かけ納豆ご飯の臭みが気になる方は、ご飯を冷やご飯で試すと良い。ご飯の温度で卵や納豆が温まり匂いが増すのを防げるし、夏場などはサラサラと食べやすい。もう秋だけど来年試して頂きたい。まあ僕は年がら年中、気分によって使い分けているけれどお腹冷えるといけないので素人にはオススメしない。

逸れたけど有意義な情報だと自負しているから許せの精神で話を戻すけれど、ご飯が盛れたら納豆と卵をご飯の右半分でも左半分でも良いので表面積の半分にかける。

そして、その半分だけを箸やスプーンでかき混ぜ、卵かけ納豆ご飯を作るんである。

そうすると比較的緩めな卵かけ納豆ご飯のエリアと白いご飯のエリアが丼の中に形成されると思う。もうお判りであろう、緩めの卵かけ納豆ご飯をおかずに白ご飯を食べるんである。

食べ方的にはカレーライスみたいなイメージで良い。

不思議な事に納豆というのは気分や体調によってどうにも味が濃く感じる事があり、食べたいんだけどあんまり進まないという状態に陥る事がたまにある。あるよね?ね?あります。あるある!あるんだよ!!で、そもそも卵をかけるとそれが緩和されるんだけど、それを更に白米ゾーンで薄める事が出来るので気分を問わず納豆を食べる事が可能なのである。

しかも、卵かけ納豆ご飯と白ご飯が合わない訳がないので(合わなかったら凄い)、結果的に白ご飯を追加投入するなどして沢山ご飯を食べられる訳である。丁度良い濃さなので普段よりも沢山ご飯を食べたくなってしまうんである。

 

好きが暴走してしまい、最後の方の説明が色々すっ飛んでしまっている気もするんだけれど大事なのは熱意である。(この思考は実社会においてはやりがい搾取などに繋がりかねない危険なものであることを認識し、上手いこと扱っていかねばならない)

毎日のルーチンに卵かけ納豆ご飯が組み込まれている方は全国に何十万人といるであろう。

そのルーチンの中において、細やかながら新しい楽しみとして是非ともお試し頂きたい食べ方である。

 

とまあ延々と説明してきたんだけれど「卵かけ納豆ご飯を白米と食べる」の一言で済んでしまう内容である。ここまで何で読んでしまったんだろうという気持ちになっている人もいるかと思うが、こちらとしても何でこんな長ったらしい文章になってしまうんだろうという気持ちになっている。

とんだ痛み分けである。割合としては6:4くらいでそちらの方が過失が低いと思われる。え?10:0?読んでしまったことに責任が生じないとでも?

ちょっとギスギスしてきたのでこの辺りで終わりにしたい。

ちなみに、食が細くてそんなに食べられないけど試してみたいという方は、卵かけ納豆ご飯をご飯にかけ、ご飯とは混ぜず、ご飯に卵かけ納豆を乗せるイメージで食べると同じ結果が得られる。

繰り返しになるが、是非ともお試しアレ。

 

またー。

ニンテンドークラシックミニスーパーファミコン収録タイトルの追憶日記。

ニンテンドークラシックミニスーパーファミコン」というゲーム機を予約したのは9/16の土曜日だった。

朝の8時55分からヨドバシ.comに張り付いて、9時の予約開始に喰らい付いて幾多の接続切れを乗り越え整理番号を貰い(それでも700番くらいだった。戦友の多さよ)、届いた購入者用に届くURLすらひたすら落ちまくるというダンジョンというより運ゲースーパーロボット大戦で命中率2%のライフルをボスに当てようと繰り返しリセットしまくった中学一年生の頃を思い出し完全に意地になって挑むこと1時間半、無事に予約出来たのであった。

この時点でゲーム性高過ぎ。暫くゲームはいいかなと思ってしまうレベルでのドタバタ劇であった。

とは言え、プレステどころかソシャゲすら全くやらないというのに何で急にここまで欲しくなってしまったんだろうと考えると、なんていうか懐かしさに縋って現実をどうこうしたいんじゃないかという暗い気持ちに足首掴まれそうになってしまうので、今回は収録タイトルに対する記憶を振り返る事で届くまでに膿を出し切り、前向きな気持ちに転化しておこうというよく分からない趣旨の日記を書こうと思う。

普段の記事よりはよっぽど趣旨が明確な気もするんだけど、よく分からないってことにしておかないと日々の薄さが透けてしまうのでよく分からない趣旨ということにしておきたい。

 

題して「ニンテンドークラシックミニスーパーファミコン収録タイトルの追憶日記」略して「スーファミ追憶編」、暇な方はどうぞ。

 

スーパーマリオワールド

僕の家は「お正月にお年玉で自力でソフトを買うこと、ただし予算は1万円」という厳格なルールがあった為、皆が持っているソフトというのは友人宅で出来る可能性が高いとして購入対象から基本的に除外していたのだけれど、それの最たる例がスーパーマリオワールドだった。

スーパーファミコンのソフトは当時1本で1万円以上するものがあるくらい高価なものだったので「予算1万円」とはつまり「年に1本しかソフトが買えない」という非情な通告に他ならない。ここで変に慎重で妙に打たれ強い性格が培われた可能性がある。

なので友人宅でプレイさせて貰うソフトという思い出になるのだけど、周りの友人と違い自力で色んなステージをクリアしてきた訳ではないのでマントで空を飛ぶ方法も未だに知らず、入った事もないエリアが数多く存在する。

皆が会得し出来た事が自分には全く出来なかったという思い出にケリをつけるべくプレイしたいものの、思い入れがその程度なので優先度が低く、最悪プレイせずに飽きてしまう可能性を秘めたタイトルである。

 

F-ZERO

これは年に1本というルールを僕に課していた父親が秘密裏に購入し夜な夜なプレイしていた忌まわしきソフトである。(その他にもウルトラマンスターフォックス、なんかのカーレースなど、大人の財力に密かにモノを言わせ購入していたソフトが数々ある。勿論名探偵コナンばりの洞察力と嗅覚で持ち出しては勝手にプレイしていた)

サイバーさと電流デスマッチのレース版みたいな世界観がとても格好良かったものの、肝心の車体が琴線に触れなかったのもあり(その癖滅茶苦茶プレイしてたけど)、大人はこういう渋いキャラが好きなんだなとパッケージを見ては思ったものである。

対戦したことはないが、間違いなく僕の方が親より上手かったと思う。

 

がんばれゴエモンゆき姫救出絵巻

全く記憶にない。がんばれゴエモン2は滅茶苦茶遊んだ。

 

超魔界村

これは自力で購入したタイトルであり、非常に思い出深い作品である。主人公が髭面のおっさんである事以外はマジ最高という感じで、おどろおどろしい世界で魔物を倒しまくるという構図にどハマりしたものの、難易度が高く、幾度も投げ出そうとし、その度に「年1本のソフトだぞ!!」と呪いのように繰り返し己を鼓舞してやり続けていた。

そんな僕を尻目に父親があっという間に全クリしてしまい、いや僕の買ったソフトを勝手にやった挙句に先にクリアすんなよ!!!という気持ちになり心が完全に折れてしまい、結局やらなくなった作品である。

これを書いててまた「子供を厳しく律しながら自分はソフト買うし、更に子供のソフトを勝手に全クリする」という悪行を犯した父親に対する怒りが復活してきたのでクリアした暁には「あの時勝手に全クリされてやらなくなった超魔界村、遂にクリアしたわ」と連絡してやろうと思っている。絶対覚えてないだろうけどな。

 

ゼルダの伝説-神々のトライフォース-

主人公の顔が好きじゃなかったのと、ゼルダをプレイしているクラスメイトの知能指数が高くてあんまり接する機会がなく、そいつらは大体塾も忙しく、中学からは私立に進学してしまったので結局接点のないまま別れてしまった。

ソフトの思い出ですらないけれど、正直僕の中ではそれくらいの存在である。

 

・スーパーフォーメーションサッカー

これは全然運動出来ないクラスメイトが「ゲームでは凄いんだぜ」みたいな感じでやり込んでいた記憶しかない。鬼気迫っており、近寄り難かった。

 

魂斗羅スピリッツ

初見です!!!

 

スーパーマリオカート

これはマリオワールドに続く「人の家でやらせてもらうゲーム」であった。

対戦が醍醐味のゲームであるが、我が家は共働きで、親不在時は友達を家にあげてはいけないという家庭だったのでそういう意味でも持っていても楽しみ尽くせないソフトだった為に購入対象から外れた記憶がある。

しかし、ワイワイガヤガヤと滅茶苦茶楽しかった記憶もある。64版を一番プレイした気もするけれど、とてもお世話になったソフトなのでまた出来る日が来るというのが素直に嬉しい作品である。

 

スターフォックス

先述の通り、親がこっそり買って隠し持っていたソフトなので印象が悪い。

ディズニーやらジブリのお世話に散々なっていた癖に「動物が喋りやがって」という気持ちでプレイしていた。嫌な子供である。

 

聖剣伝説2

パッケージが通っぽかったので購入を見送った作品で、殆ど内容も知らないが幾度となく「聖剣伝説ごっこ」に付き合わされた記憶がある。

先述の親共働きによるルールにより、基本的に他所様の家で遊ばせて頂く機会が多かった為、郷に入っては郷に従えというか、何をして遊ぶかは場を提供してくれた相手に委ねる癖がついていた。感覚的には阪神タイガース夏の高校野球の期間中、地獄のロードと称して本拠地以外を転々として試合する様が延々続くという感じである。ほぼアウェー戦で年間スケジュールが埋まっているので、聖剣伝説ごっこをしたいと言われれば未プレイでもやるしかないんである。

聖剣伝説ごっこを提案していたクラスメイトとは中学生になってからというもの疎遠になり、以後会ってもいない。当時のごっこ遊びが如何程の再現度であったのか、記憶を掘り返しながらそのうちプレイしたい。

 

ロックマンX

自腹購入ソフトである。めっちゃプレイしたし、Xが格好良過ぎて自由帳にめっちゃ描いていた。漫画版の掲載誌がコロコロでなくボンボンであったことからも解る様に、「存在は知ってるけどメインストリームから外れた存在」としてクラスで目立つタイプの子供は誰もプレイしていなかったが、ちょっと大人しいヤツは大体やっていたという思い出深い作品。

大人になった今も社会のパワーバランスは変わっていない気がするので世の中そんなもんだかと思う。

三角飛びを真似しようとして歯を折った友人もいたし、僕も擦り傷を作った。「良い子は真似しないでね」と言われていないことの中にも危険な事があるのだなと思い知った。

 

ファイアーエンブレム紋章の謎

友人の当時高校生の兄ちゃんが不登校になり、今で言う引きこもり状態でプレイしているという話を聞いて子供心に「これは手を出したらアカンやつや」と思った作品。

 

スーパーメトロイド

スマブラでしか見た事ない。

 

ファイナルファンタジー6

4と5はやったのだけれど6は購入を見送ってしまい、友人に借りた。

ちなみに我が家はソフトの貸し借りを禁じられており(高価なものなのでトラブルになると困るとの事で)、秘密裏に借りてコソコソプレイしていたものの親の検閲行為で発覚してしまいかなり序盤の状態で返却を余儀なくされた作品である。自分の親は口癖の様に「成績は悪くても良いから元気でいてくれ」みたいな事を言うタイプだったのできっと英数字が読めないだろうと高を括っていたが、当然それくらいは読めた為にバレてしまった。大人を舐めると痛い目に遭うとここから学んだ気がする。

シャドウとエドガーが好きだった。どんな活躍をするか定かではないが、必ずプレイしたい作品である。

 

スーパーストリートファイター2 ザ・ニューチャレンジャーズ

格闘ゲームは完全に対戦ありきなので購入対象外であるものの、大変な人気だったのでやる機会も多く、所持していないので技も上手く出せずにボコボコにされがちだった為かあまり良い印象がない。2だのターボだのニューチャレンジャーズだのの区別もついておらず、皆同じソフトでそんなに長く遊べてスゲーなと普通に思っていた。

格ゲー自体を購入対象から外して思春期を過ごしてしまったので単純に苦手なジャンルと化してしまっている。恐らくプレイしないと思われる。

 

スーパードンキーコング

 同じマンションに住んでいた年下の子の面倒をみる事が多く、その子が持っていたのでよく一緒にプレイした思い出深いソフト。

内容もだけど、ゴリラ=バナナという発想のドストレートさがツボにハマってしまいウホウホ言いながらバナナを食べて親に叱られた記憶がある。今でも朝食を食べ損ねた際にはコンビニでバナナを買う程に好きなのはその名残なのかも知れない。

とても面白かったのでドンキーコング2は僕が購入し、その子と一緒にたくさんプレイした。

とんだほのぼのエピソードが登場し、我ながら驚いている。

 

スーパーマリオヨッシーアイランド

友人がどハマりしていたのだけれど、僕はその友人が所持していた地獄先生ぬ〜べ〜にどハマりしておりプレイしている様を一切見ず、コントローラーが回ってきても見てるだけで楽しいから!(ぬ〜べ〜に夢中で見てすらない)と遠慮しまくった記憶しかない。

そいつは高校入学まで親交があったのだけれど、急に先輩から送られてきたエロ画像を自慢する様になり気持ち悪くて疎遠になってしまった。思えばあれは高校デビューに失敗したキョロ充だったのかも知れない。

敗れはしたけれど、挑んだ事に意義があると今なら思える。優しく出来なくてごめんな。

 

パネルでポン

これ好きな人頭良さそう!!!という頭悪そうな印象しかない。

 

スーパーマリオRPG

自腹購入したソフトの中で一番面白かった気がする。音楽、グラフィック、システム、ストーリー、全部最高で、レベル30までしかない所とか隠しステージ、ミニゲームまで含めて楽しかった記憶がある。

絶対今やっても楽しい気しかしないので真っ先にやりたいソフトである。

書いているだけでワクワクしてきて語彙が溶けてしまい、特に言うことがなくなってしまった。わーい楽しみだな!!!

 

星のカービィスーパーデラックス

購入対象から外してしまったのだけれど、本当に憧れのソフトだった。

音楽が凄く好きなのと、能力をコピーするという所がロックマンに通じており、人がやってるのを見るのですら物凄く楽しかった。

貸し借り禁止の我が家のルールの上にセーブデータの消えやすさというリスクからか借りる訳にもいかず、カービィが痛い目に遭うのも見たくないので上手い人のプレイを鑑賞することがとても好きという思い遣りに溢れた神童の様なエピソードがある。(単に頭が悪かったという可能性も高い)

流石にセーブデータの消えやすさまで再現されていないだろうから思い切り楽しみたい所存である。

 

スターフォックス2

あったの知らなかった。

 

以上、思ったよりエピソードがあって5000字に届かんとするボリュームになってしまった。

後は予約ミス(入金確認までメールが来ているので大丈夫なハズ)や配達ミスなどのトラブルがなく手元に無事届いて欲しい気持ちで一杯である。

まだ発売していないのにこんだけ長々と書いてしまう程に楽しみなので、その他の心労は死に直結するんである。どうかどうか、宜しくお願いしたい。

また既にネットオークションなどに高額転売目的の悪質な購入者がウヨウヨしているけれど、そういう人達を駆逐すべく、任天堂には早めに次回出荷日の発表などの措置をお願いしたい。

何にしても楽しみだなぁ…この歳になってゲームの発売日を待ち遠しく思うことになるとは考えてもいなかったし、ゲームをまたやりたいと思える人間性が残っていた事が驚きですらある。

発売日まで色々頑張るぞー。

 

またー。

猫の錬金術師〜バチカンへ征く者〜

鋼の錬金術師に「全く成長しない生意気な従兄弟みたいな少年があまりに可愛くて文句言いながら見守ってしまう」という歪んだハマり方をしてしまって、劇場版である「シャンバラを征く者」を鑑賞したのだけれど、コレ本当に凄い良くて、何が良いって僕の歪んだハマり方を最大限に肯定してしまう様な中身なんですよね。

で、鋼の錬金術師の大事なポイントを個人的には「足りない事」と「エゴ」の2点だと思っていて、それとの折り合いの付け方というか受け入れ方、立ち向かい方みたいなものがどのキャラクターも何とか貫こうと、敵キャラすら貫こうとして踠いている様が本当に良いなと思っているんですね。

どいつもこいつも不自由で、だけど自分の為を誰かの為とすり替えたりしつつも向き合っていて愛らしい。余計なお世話過ぎる思い遣りで結果的に重たいものを背負い背負わせ。その辺の謎のリアルさよ。

派手なバトル物にはない重たくて暗いシビアさが全編に横たわっててとても良かった。

実写の予告を目にする度に、その辺の希薄さ(そんな長さもないので読み取れる訳がないんだけど)がどうにも不安で仕方ない。観に行かないと何も言う資格ないと思うので、とりあえず楽しみに待つ今日この頃。

ちなみに「嘆きの丘の聖なる星」はタッチのジブリ感が強いのと真保裕一先生ということで中学時代好きだった為に色々思い出してしまって気が回らずもっかい見ないと感想がまとまらない。作画監督の小西さんがどうやらジブリ作品に関わってらしたのが色濃いのかも知れない。

監督もそれまでと違う村田和也さん(この方もジブリに数作関わってらっしゃる)という方が担当されてるので、シャンバラを征く者までに通じていた重みがが薄まったのかも知れないなーと今の所思っている。

時系列的にも「この大騒動をぶち込む間ありましたっけ?」と思ってしまう損な性格なので勿体無い。その辺をバッチリ忘れてもう一度観なければなーと思う。

 

アニメと言えば、最近「バチカン奇跡調査官」という声に出して読みたい厨ニ病拗らせタイトルの作品を観てる。公式からの過剰供給モノとしてテーマ部門と二次創作部門へ「当たりに行きますよ!!!」と至近距離で大声出しながら走ってくる様な作品である。

収穫祭というより即売会という色が強く、おそ松さんやユーリ!!!on ICEなどにあった与えられた畑を自ら耕すという過程を完全にすっ飛ばした親切設計によりかなり好みが分かれそうな気がする。

個人的にはキャラの関係性が親密な割にそれだけの根拠を感じない内容なので、もっぱらバチカンとか奇跡とか、そういう要素に根暗ならではの喰いつきを見せてガンガン観てるという状況。

最近購入した書籍は「世界をまどわせた地図」「世界の果てのありえない場所」で2冊合わせて6000円近い出費。完全にバチカン奇跡調査官に喰いつきそうな人間のソレ。期待を裏切らない厨ニ感で逆に意外性のないアレがソレという感じである。これらの本もかなりビシビシ来るものがあるのでまたダラダラと感想を誰かに押し付けたい。

 

最近、ベンガルという種類の猫に魅せられており、画像検索しては癒されており完全に心の支えと化している。

あまりにしんどい時など、名前も知らぬベンガル猫の画像を半泣きになりながら眺めている。

前にも述べた気がするが、こんな調子ではいつか猫を飼った際に可愛がり過ぎてノイローゼにしてしまいそうで怖い。

しっかりせねばならないが、しっかりせねばならないと思い続けた結果がこの不自由な性格と生活な気がしており、その辺はどうにかこうにか、という感じである。

 

親にLINEで煽られて腹立つから既読無視している話を書こうと思ったけどあまりに大人気ないので差し控える。

ただし大人気ないのは僕ではなく、親だけれども。(凄いお互い様感のあるフレーズ)

 

またー。

血管の細さを煽られ大臣御用達のネカフェ。

会社の健康診断の採血で看護師さんに血管の見えにくさを徹底的に煽られた。

「全然見えなくないですか?」「(左腕を見ながら)うーん、右も見ていいですか?あ!全然一緒ですね!ない!!」「いつもこんな感じですか?」「結構ガッシリしてるのにねぇ」「たまに血管見えないけど針刺したら凄い勢いで血が採れる人がいるんですけど…お兄さんはそのまんまですね」「予想を裏切らない出なさ」「残念だなー」

痛い思いをして血を抜かれてまで積極的に煽られていくスタイルのドMさに震える。

しかし、これが全然嫌味じゃないから凄い。間を良い感じに繋いで頂いてどうもどうもという印象で明るい性格の人間は本当に凄いなと感心したのだけれど、事をたまたま眺めていた上司に「怒らんかったな」と言われ、ただ鈍かっただけの可能性が浮上して悶々とする。

その可能性には気付かない方が幸せってものなので聞かなかった事にする。

そもそも採血中って、針が刺さってる腕を見たくないタイプとかいるのに頻繁に「あんまり勢いないですよ、ホラ」と素人の中に比較基準などないにも関わらず血が出る様を見るように促してくるプレースタイルでゴリゴリ削りにくるから凄い。自分の血の抜け方がショボいという事だけはこの度判明したので、今後、人様の採血を見守るなどのイベントが生じた際は、その血の抜ける勢いに注目、積極的に「初速に優れている」「追い上げが凄い」「持久力がある」「世界を狙える」など声掛けを行うなどしたいと思う。優れた選手が優れた監督になるとは限らない様に、劣等生が名コーチになる可能性もあるんである。モチベーターとして名を馳せ、献血協会のイメージキャラクターに抜擢され、最終的に不労所得で生活したいので何卒宜しくお願い申し上げます。

 

好きなイラスト、デザインを定期的に投下してくれる友人とサシ飲み。

お互い「ここに行って以来、この店に勝る唐揚げに出会ってない」という事で唐揚げメインのお店を再訪。バリバリのチェーン店なのでそんなに特別感はないものの、店舗数があるという事はポジティブな要素である。味が計算できて気安い。根暗にはたまらないんである。

職場の話、オフの話など基本的にギットリとした重油の様な内容を延々とサクサクした口当たりで前後半構成で話した。そういう話が出来る相手というのが本当に少ないのでとても有り難かったし面白かった。

田舎の高額当選が出た宝くじ売り場は2度と当たらないんではないか、という話が非常にツボだった。1等が出てしまった一番くじを想像した。

唐揚げは美味しかった。また行きたい。

 

その帰りに家のそこそこ近くにあるネカフェに寄る。普通のカラオケと1〜2人用のカラオケがあるらしく、どんなもんじゃいと思ったので寄った。

ダウンロードしたアプリで空席状況が確認出来るのだけれど、普段行きたい時間は他の人も行きたい時間らしく満席続きで「空席状況を確認して一喜一憂するだけのアプリ」と化していたのでようやく活用に至った。

通されたのは1〜2人用のカラオケだったんだけど、1.5畳程度の個室にレコーディング用のマイクみたいなのが設置されている部屋でカラオケするというものだった。ヘッドホンを貸し出してくれるのでそれを使っても良いし、別に使わずに歌っても良いというスタイルだった。(ちなみに使わないと隣の歌が普通のカラオケの2割増しくらいで聴こえる。こちらのバラードターンにお隣さんがパンクチューンを歌うと我慢は全然出来るけど結構気になる、くらいのものである。

ヘッドホンを使うとかなり明確に自分の声が聴こえるので「こんな声で歌ってんのか」という自覚があって面白いんだけど、こう、下手なりに大きい声で発散みたいな気分でカラオケに行く部分もある為、そういう意味では自分の下手さが明確に届く分だけ現実に引き戻されてしまう。その辺りは気分で使い分けするしかないだろう。僕の場合はでっかい声出せればどうでも良いみたいな所があるのでそんなに気にはならなかったんだけれど、一緒に行く人はこんなもん聴かされてんのかと申し訳なさが芽生え、人とカラオケに行きたい欲が普通に半減した。ももも申し訳ない。お互い様なんだけれども。

カラオケはお互い様の支え合いであることを思い知る。そりゃ会社飲み会の二次会で行きがちな訳だわ。測り測られてる。

とりあえず近場にカラオケが無かったのでギリ徒歩圏内みたいなところにヒトカラを公然と推奨する施設があって良かった。

大きい声出したくなったら今後も行きたい。

 

またー。

2000本の生足vs2000年問題。

肘から装填したコッペパンが膝から揚げパンになって出てくるんですけど、これって何なんですかね。

いや、あの、キメてるとかヤッてるとかトンでるとかそう言うのじゃなくて、夢でみたんですけど。夢にまでみたとかそういう切望じゃなくて、なんか見てしまったんだけど何を示唆しているんだろうって意味で気になる。しかも2回みた。何のアンコール放送だよ。NHKか僕は。

夢の話って本当に読み返すとクソつまんないし、夢の内容を記録し続けるとなんかヤバイんでしたっけ?と思うのでこれはこの辺で終わっとこうと思います。それにしても何考えてんのかよくわかんねーな。

 

映画銀魂をレイトショーで見に行く。

レイトショーって何か響きがカッコイイよな、観るの銀魂だけど。the kitty cat swingers'clubという好きなバンドに「late show.ep」というタイトルの作品があって、late showという夜の深い部分が全編にあって上映されてる感があるのにepならではの端的な儚さが共存していて凄い好きでよく聴いていた。

まあ今回観るのは銀魂なんだけれども。

で、レイトショーの前に腹ごしらえと思ってオシャレなハンバーガーが食べれるけどそれ以外にも色々ある屋さんに入ったんだけど、ハンバーグの焼き時間の話から映画を観ることを見抜かれ、更にそれを銀魂だと見抜かれた結果、事あるごとに近寄ってきて「堂本剛の生足」「堂本剛がヒロイン」「山田孝之の生足」「グラブってますか?」などなど良く分からないことを言っては去って行くスタイルの空知先生作品と言うよりは増田こうすけ先生作品の様なエンタメ接客を受けつつ、ボリュームとインスタ映えと味を両立した結果、食べにくさに特化したハンバーガーを食べるという難易度兼強度の高い夕飯をバタバタと済ませた。

美味しかったし楽しかったのだけれど、なんて言うか油断出来ない店であった。気が向いたらまた行きたい。

映画銀魂は、パロディー要素を惜しげもなくぶち込み、テンポが全編通して最高で、程良い、本当に程良い詰め込み具合でとても面白かった。登場人物がちゃんと似てるし、男女共に絶妙に可愛くてたまんなかった。

清潔感ある男女は鼻をほじっているのすら可愛いから凄い。電車で鼻をほじっているおっさん達とは次元が数段階違う。

見始めて、先の店の店員の発言が全て銀魂に込められたパロディーネタであったことが発覚し、最終的に店員の接客の伏線を回収する為に映画を観ている気もした。

何者なんだあの店員。1人で再訪する勇気がないので誰かついてきて欲しい。

しかし、確かに彼が言う通り、この映画のヒロインは堂本剛であった。生足がとても綺麗だった。

 

翌日、阪神vs横浜を観に元同僚と第2回プロ野球観戦の会を開催。

比較的時間があったので1人でケーキを食べようと思って現地入りしたものの、良い感じのカフェが見つからず、どうにも欲を満たす為に教えて貰ったテイクアウト専門店でケーキを購入し、百均で紙皿とフォークを手に入れ、子供が駆け回るららぽーと甲子園の公園で野食いを敢行した。ちょっとした事案である。警察のお世話にはならずに済んで一安心、ほんの少し危ない橋を渡った気がする。

元同僚とケンタッキーで数種類のチキンが入ったパックを購入し、プレイボール。

試合は横浜に先制されたものの、鳥谷選手の2000本安打を皮切りに阪神が得点を重ねて見事勝利。最高であった。

ただ非常にメモリアル感ある2000本安打が放たれたその時、我々はケンタッキーのチキンに夢中になっており誰もその快挙の瞬間を目撃しておらず、何の騒ぎですか?みたいな感じになってしまった。間抜けではあるものの、場の空気が高揚する感覚など素晴らしく楽しくて良い思い出になりそうな気がしている。

鳥谷選手おめでとうございます。

適当に飲み食いし、最寄りの終電を逃したので徒歩45分の道のりを音楽聴きながらのんびり散歩して帰宅。2時半ともなると誰も歩いていなかった。

 

ダラダラと無気力に過ごし、スーパーで買える大雑把な味のミルクレープをドカ食いするなどして休日を過ごす。

深夜のネカフェのカラオケに行ってみたいので眠くなかったらチャレンジしてみたい所存。

 

またー。

肉々しい肉日記。

T.M.RevolutionのライブDVDが発売になり、これを購入した。

元々、余りライブDVDを観ない。

折角CDの初回盤にライブDVDを付属してくれていても、まーかなりの確率で観ない。「折角だし初回盤買おう、こんだけ好きだし観るでしょ!」と思って買っても本当に観ない。宝の持ち腐れである。

これは、まあ単純にCDとしてリリースされているのでCDを目一杯聴こう、DVDはオマケでしょ的な舐めた根性のなせる技だと自負している。どんだけ「DVDも力入ってます!」とか言われても「え?でもCDに付属してるんでしょ?」で終わりである。観たら観たで感動したり買って良かったと思う癖に、全然その基準点から動かない不思議な観点である。

ただ、ライブDVDとしてリリースされた作品についてはよく観る。何が違うんだろう。よく解らない。

今回のT.M.RevolutionのライブDVDは、103本に及ぶ全国ツアーの最終公演として今年の正月に行われた武道館公演を収めたものだ。

熊本の震災を受けて「演出に地域差が出ない手法」を模索した結果、ステージ装飾や派手な演出を抑えた化け物じみたボーカリストと化け物じみたバックバンドによるガツガツに肉弾戦のライブツアーとなっていたものの、映像化である。

中身については最高過ぎてロックが好きな人全員に観て欲しいくらいなのだけれど、書き出すと多分1万字くらい費やす事になるので「めっちゃ良かった」の一言で片付けたい。

そのDVDは同公演のライブCDが付属しており、MCやアンコールは除外されているものの、コレが本当に素晴らしい出来で、素晴らしい販売形態だと思ったのでそれについて端的に書きたい。

ライブDVDを何故あまり観ないのかと言うと、多分「まとめて観たいからそのうち時間を取りたい」が結局そのまま流れてしまうというのがあると思う。今回は「ライブDVDを買った」というのがメインなのでどうしても時間を取って観なければならないという気持ちになったのだと思う。

このまとめて観たいという願望がそもそも自分の生活スタイルに合っていない鑑賞方法なので、そこを変えた方が良い気もしているんだけれど、まあそういう事である。

それで、専らCDを通勤中やジョギング中に聴いているのだけれど、これが非常に良い。

ライブDVDを観る→CDを聴いて復習出来る、新しい感想を得る、時間がなくてもライブに触れていられる→新しい着眼点をもってライブDVDを観る、という楽しさのループが凄まじいのである。オリジナル曲に去年のツアーのDVDも勿論ファンとしては有難いんだけれど、本当の本当に素晴らしいので色んなアーティストに採用して欲しいスタイルである。

因みに、これまでこのスタイルはあったのだろうけど、僕が初めて触れたのはTHE NOVEMBERSクラウドファンディングのリターンで、「美しい日」という周年記念公演のDVD(これも滅茶苦茶良い作品だった)へ出資したオマケで同公演のCDが貰えたのが初体験であった。画面の前でまとまった時間が取れない分、CDがその間を埋めてくれたのがとても嬉しかった。

流行ってくれないかなーと思いながら今日も音源を聴き、次にDVDを観られる日を伺っている。

それにしても西川貴教、美しく、あまりにも強靭な野性味である。本当結婚したい。

 

野性味繋がりで言うなれば、けものフレンズの録画をボチボチ観ている。

しまじろうやディズニー界隈の様な「徳を積んだ動物とそうじゃない動物がいる説」が生じる隙もない優しい世界で、食というパートすら基本的に饅頭で片付けてしまう辺りに潔癖感すら感じる。(劇中、料理パートもあったけれど)

平和で、皆が優しく、頑張り屋で、誤解もあるけど互いに思い遣って生活している様を観ると心が穏やかになる。

これが脳が溶けるというやつだろうか。何となく目を細めて見守ってしまう自分がいる。

最後まで観てないので、どんな結末を迎えるのかとても楽しみにしている。

 

けもの繋がりで、夜にジョギングをしていた際、茂みからタヌキが飛び出してきたので有頂天家族ファンである僕としては当然「矢三郎?」と弁天様口調で問いかけるのが礼儀だと思ってそうした訳です。

そしたら、タヌキは死ぬ気でやるってこういう勢いの事を指すんだなって惚れ惚れするくらいの逃げ足で走り去ってしまいましたね。アイツ、世界狙える脚だなって思った。

まるで不審者扱いである。そりゃ大人の男性が汗だくの癖に高めの撫でる様な声で知らぬ名前を呼ぶなど完全に都市伝説なのでタヌキでなくとも逃げると思い直し、失礼しましたという気持ちで家に帰りましたとさ。

 

そうそうタヌキと言えば肉ですけど、肉屋の肉は高いのではなく、スーパーでは活かしきれない高いものもあるのである。肉屋が高いってのは基本的に間違いである。

しかもその肉がタイムセールなどで半額になったりするのだから肉屋とは恐ろしくも尊い商いである。

肉屋の100グラム120円のウインナーは大変に美味で、70グラム2束でえらい高い流通品などとはえらい違いだった。いや、その流通品がそもそも美味しいと思っていたのだけれど、それを完全に覆されてしまった。

肉は肉屋、野菜は八百屋の様な生活は生まれた時にはもう身近になかったのだけれど、折角美味しかったので今後も積極的に活用したい。

美味しい肉は偉いしエロい。

 

積極的に休日であるからして、ベランダが涼しいので消極的に椅子を出してダラダラと本を読むなどする。

前からやってみたかったのだけれど、そう思うことは案外やらないもんで、ようやく初めて実行に移した。

程々の階数ではあるので虫も殆どおらず、陽も上手いことささず、絶妙に過ごしやすい。

カフカした何らかを敷いてゴロゴロしたいけれど流石にそんな事が出来る程広くもないのでボンヤリしていた。

これを繰り返すと徐々にグレードが上がっていき、毛布に包まりながら朝日を待ち、コーヒーを飲みながら「お空綺麗…」というレベルに到達出来る気がする。若干皮肉を含んでいるのも事実だけれど、結局やってない人間には良さは解らんのである。やってみればハマるかも知れない。ハマったらまた改めてご報告申し上げる。

ただ、残念なのは自身をベランダに駆り立てたのはその様なお洒落な発想ではなく、ベランダをドチャクソに愛でるおっさんが描かれた清野とおる先生の『その「おこだわり」、俺にもくれよ!!」に寄るものである。非常に残念だけども、しっくり来るので満更でもないのであります。

それにしたってエネルギーは尽きる。どうしたって仕方のないことなのかも知れない。冗談みたいに当たり前に、何も考えず生活出来ればいいのになー。

 

またー。