性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

今度の舞台は自由の国アメリカ!な続編は桃鉄くらいしか知らない。

年末になると貧困もしくは人口減少を題材にした本を読む癖がついていて、縁起が悪い様な気もするんだけど、どうしても12月になると只でさえボンヤリしているのに加速してしまうのでシビアであり自身にも関係のある情報を得て重しとして地に足をつけたい気持ちもあって読んでしまう。

今年は遂に日本を飛び出し、舞台をアメリカに移して(こんな表現でいいのかって話だけど国内すらそこまで知識として蓄えられてないのに海越えちゃったよ感がある)の貧困の現実で、オバマ・ケアに関する報道やマイケル・ムーア監督の作品程度の知識しかないのでこれをキッカケに色々興味を持てたら良いのだけれど、と企んでいる。

年末年始はテレビが似た様な番組ばかりになるのでどうにも退屈だし、浮かれた空気感に何か馴染めない元来のネガティヴさと出不精に拍車が掛かるので本を読む時間が増えてしまう。

まー本を読むこと自体悪いことではないと思うので読めるだけ読みまくってしまえたらと思う。

 

あとは冬休み中は毎日何かしら運動したいという目標があって、やり切りたいと意気込んでいる。

足腰にもう少しドッシリ感が出るとバッティングフォームが安定すると思うので無理のない範囲で下半身を追い込みたく、その土台がちょっとでもこの休み中に出来れば嬉しいなーと思っている。

子供の頃、野球をやっていた身としては一つ覚え的に走り込みがやっぱり効きそうな気がしていて、実地とルームランナーだとどうしても実地の方が良い負荷が掛かり効率が良さそうだなと思うんだけれども、ここまで12月感のないのんびりした気候だったにも関わらず年末に無理くり間に合わせたかの様な寒波到来でとにかく冷え、ルームランナーが恋しくなってしまう。

この甘えをお年玉的に許すべきかどうかはもう少し脳内会議が必要と思われる。

 

急にインドアに振り切れてしまうけれど、こみっくがーるずNEW GAME!を立て続けにプライムビデオで観た。

それぞれ面白かった。

行き過ぎた同性社会っぷりの作品って多いけど何でだろうという事をふと考え、その傾向が強そうだなと思ってこの二作品を観た。何故こういう世界の描き方をするのか考えながら観始めたものの、結局ただ楽しく観てしまったけれど。

こみっくがーるずの主人公たちだけでなく出版社が見渡す限り女性、学校の先生も女性だったりする世界観や、NEW GAME!の主人公たちだけでなくゲーム製作会社、ゲーム発売日の列に並ぶお客さん、居酒屋やレジの店員さんまで皆女性という世界観はとても不思議だなと思う。

両作品とも登場人物が皆優しく、一生懸命なので平和で癒される。様々な性格のキャラクターがいるのに、皆お互いをリスペクト出来ていて、夢がちゃんとあって、それを眺めているとちょっと元気になる。こみっくがーるずの主人公かおす先生に対する担当編集さんの想いなんかでホロッときてしまった。

純粋に応援するってこういう事か、と教わった気がする。

一方、サブどころかモブとしての男性キャラもいないのは女子校神聖化みたいなものなのかなーという気がしている。勿論、男性キャラしか出てこない作品にも同じ歪さがあって、同性同士で社会を形成している、ということに異性としてどこか安心する側面があるのではと考えていた。

別にアニメに実社会を持ち込む必要なんて無いのではあるけれど、何となくそんなことを思ったというだけの話。(但し、NEW GAME!の続編NEW GAME!!では早々にセルフツッコミが入り、別部署には男性がいると明かされているし、その後相変わらず男性の影が無さ過ぎて前述のセルフツッコミが何だか強烈な蛇足に感じられる)

それはそうと遂にdアニメストアに課金してしまったので劇場公開が迫るユーリ!!! on ICEも復習として観られるし、これまでプライムビデオで観られなかったアニメも大体観れる環境になった。

自分の中のアニメ好きをアニメオタクの領域に持っていける強力な味方を迎えることが出来た。

アニメオタクというのは個人的にハマりっぷりが探究心に繋がるタイプの人のことを指していて、階級的にアニメを楽しく観てるだけの自分はただのアニメ好きである。

ここからアニメオタクの領域まで持ってけるくらいハマれる作品があると嬉しいなーと思いながらあれこれ観たい作品を検索しまくっているのが現状である。

 

年末には良く解らない熱量と分量で意味不明な自由研究をしていた様な気がするんだけど、今年はやる余力が無かった。残念。年始に思いついたら何か書きたい。

今年はずーっとバタバタしてた気がする。

もうあんまり振り返りたくもないというか、振り返るだけで疲れてしまいそうで怖いというか、よく無事で走り抜けられたなーというくらいのもんで、とりあえずお疲れって感じである。

そこら中に過去に自分で埋めた地雷が埋まってて、それを上手いこと避けてこれたかな、と思うのでそれだけで十分褒めに値する、という事にしてしまいたい。

来年も頑張れるかは解らないけれど、真面目だから頑張るんだと思うし、まー来年は来年で程々に頑張れよって声をかけてあげたい。自分に。

 

こんな中身のない長文を読んでくれた方、兎にも角にも良いお年を。

来年もよかったらお暇な時にでもお付き合い頂けたら嬉しいし、超ラッキーです。

 

またー。

2018年に観た映画をまとめただけ日記。

今年は映画をよく観たので勝手にその振り返りというか総括をやってみようと思う。

ネタバレだけは気をつけたいと思うけれど、予告編で流れている内容くらいは触れる可能性があるので予告編すら許せないネタバレ極刑主義の方はどうか自己責任でお願いしたい。

 

ちなみに2018年、映画館で観た作品はコチラ。

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自分用の記録としてメモに書いていたものなので表記的に端折ってしまっているものもあるけれどこんな感じである。

全23作品でそのうち1作品は2回観たので24回映画館に足を運んだことになる。半月に1回のペース。

今年公開の作品に限らず、過去の名作「バグダッドカフェ」や「灰とダイヤモンド」もスクリーンで観たのでカウントに入れている。

個人的なペースとしては例年に比べてよく観た方だと思う。

 

映画って本当にメインテーマだろうがそうじゃなかろうが人間関係が何となく歪で、それを根っこにして進んでいくことが多いなと思っていて、人間集まればそりゃ関係性も生じる訳で、そこをすっ飛ばして捉えようと思うと僕のキャパ程度ではもう1人で無人島で暮らさせるくらいのことをして貰わないと無理かなーみたいな気がしている。極論的にはナスDの無人島生活くらいのニュアンスで単独突破というか。

だから何を観てても関係性に目が向いてしまう。本筋が面白いより先に気になってしまう。

今回はそういう部分ばかり目を向けて書いていこうと思う。

そういうのではなかったナスD的な映画は「ヴェノム」と「ジュマンジ」くらいかも知れない。ヴェノムは関係性を創り上げていく映画だったし、ジュマンジスクールカースト的なやり取りが設定としてあるのに作品の深みに全く繋がっていなくて機能していなかった。(面白くなかった訳ではない)

 

まず家族における人間関係にエグさを感じた作品を挙げていこうと思う。

「blank 13」と「バーバラと心の巨人」、「ヘレディタリー」は家族における葛藤が三者三様で凄かった。「blank 13」は家族の生活を滅茶苦茶にして失踪した父親との向き合い方を淡々と描いた作品で、予告編でも死んでるので言うとその父親は死んでしまうし、失踪してる間に色んな人と生活して好意を抱かれている事への「残された家族」としての納得のいかなさと受け止め方が良かった。コミカルでまぁしゃーねーな的な落とし所から、少し先にある「とは言ってもなぁ」まで持ってってくれた感じが良かった。

家族の評価に葛藤があるという意味では「パシフィック・リム アップライジング」も割としっかり描いていて、ロボットかっけー!!怪獣こえー!!みたいなのを観に行ったのに「あ、お疲れ様です…」となる部分があった様に思う。

バーバラと心の巨人」は立ち向かう事で逃げる、もしくは逃げる為に立ち向かうという、誰でもやってしまう「没入することで死角を無理やり作る」と言う事で主人公と主人公の姉が心を護ろうとしているのが痛々しかった。

「ヘレディタリー」に至ってはすれ違いや思い込み、押し付けのオンパレードがスカイツリーくらい積み上がった状態で映画が始まっており、昼集合で延々飲み続けていた地元の集まりに夜9時ようやく帰省し直行、合流したくらいのぶっちぎり具合で「あ、仕上がりまくってんなー」という感覚だった。入店した頃にはOASISの合唱が始まってる感じ。

ヘレディタリーの場合は「この愛を何故解ってくれないんだ」というのがナイフ同士のクロスカウンターと化していて、その押し付けが生んだ想像を絶する恐怖映画って感じなんだけど、この愛情の押し付け方については「リメンバーミー」が案外ヘレディタリーに近いものを感じた。

近いと言っても蒙古タンメンとミネストローネを遠くから見て似てるなと感じるくらいに同色異味ではあるんだけど、リメンバーミーは兎に角「幸せとはこうあるべき」「愛してるからこうなって欲しい」という家族ならではの押し付けが凄くて、教育熱心な親とか絶対このテーマ発狂しそうなモンだけど全然話題にならなくって、押し付けてる側ってまず押し付けてる感覚がないから自分がこういう事をしてるって気付かず楽しく見れちゃうんだなーと思うと本当に恐ろしい映画だった。主人公みたいに主張し続けないと解って貰えないんだなとちょっと陰鬱とした気分になった。作品としては滅茶苦茶面白かったけど。

 

人間関係と言えば社会とか組織における関係性もドラマチックで凄く気になってしまう。

孤狼の血」はこれがマル暴とヤクザという任侠感ドカ盛りの世界観でギュウギュウに描かれていて滅茶苦茶面白かった。粗暴な様で繊細なバランスの上に社会が成り立っていて、何かを満足に得る為には誰かに退場して頂かなくてはならない、という社会の縮図。おおきくふりかぶってやH2しか知らずに高校野球の観戦に行ったらガラの悪さというか無骨さにビビるくらいのインパクトがあった。

暴力抜きにこれを表現していたのが「ビリオネア・ボーイズ・クラブ」で、表現っていうか実話に基づいているから現実にこういう事はあるんだよなーと思う。どちらの作品にも金と地位に追われる脅迫観念みたいなものが横たわっていて足を取られまくっている。

両作品とも格好良い男性俳優が山程出ているので、そういう意味でもオススメである。ビリオネア〜の洋画あるあるな非日常全開のイケメンスーツじゃなく、日常にいそうなイケメン大集合なのが妙にリアルでその辺りを特に推したい。ニベアのCMに出てくる外国人くらいの親近感。

これを全員難があるのにチャーミングなおじさん、おじいさんに置き換えたのが「スターリン葬狂想曲」で、ソ連のお偉いさん達が皮肉めいた笑いをバンバン提供してくれたんだけど、社会主義の冷徹さへ急に舵を切るそのタイミングが絶妙で「あ、この人たち政治家だったわ」と思い知らされた。ハロウィンにお菓子くれても銃声したわヤクザはヤクザだったわみたいな。

他にも「名探偵コナン ゼロの執行人」も意外とこのカテゴリーに入ると思っている。「安室のオンナ」を全国的に生み出した強烈な褐色キャラ推しアニメ(昨年は全国的に平次の彼女が爆誕した。コナンで人気になる為には日サロに通うか怪盗になるのが近道)ではあるけれど、トリックや動機のガバガバさに反して組織に対する葛藤みたいなものが色濃い。えっ…そんなん気にして観てないんですけど…という憧れのバンドマンの対談記事で着ているTシャツの英文だったりテーブルに置かれたペットボトルのラベルに写真のピントが合っている様な気持ちになる。ただそこを細かくあるものとして描いてくれているから骨太感が出てくるという気はしている。

そりゃバンドマンがTシャツ着てなかったら服着てってなるわな。着てる方が対談内容が頭に入ってくるし良いに決まっている。(着てなかったらそれはそれでご褒美なのかも知れないけど)

あとは「プーと大人になった僕」も家族というより社会との関係性についての重さが強かった様に思う。管理職の苦悩。世間という同調圧力が作った幸せを目指さなければならないという使命感による疲弊。100エーカーの森にお住いの皆さんはいちいちとっても可愛らしくって癒されまくったんだけれど、でもこいつら税金払ってないし、食ってく為にお金がいるとか理解出来ないしな…と求めてはいけないものまで求めてしまって己の小ささに軽く凹んでしまった。

現実社会の政治、宗教を踏まえた関係性という意味では「華氏119」と「ガザの美容室」が強烈だった。華氏119についてはドキュメンタリーなのでリアリティーという言葉を使うのもおかしな話なんだけど、例えば水道事業の民営化や銃社会なんかについてはマジでこうなる可能性もあると思うと怖くて仕方がない。

勿論上手くいく可能性だってあるけれど、知らないままで決められてしまう事への恐怖を知るというのはとても大切なことだと思った。

ガザの美容室は宗教と政情不安を丸々描きながら、美容室という閉鎖空間で二重にそれをゴリ押ししてくるので心が締め付けられる思いだった。頼んでもないのに大盛りカレーをサービスで更に大盛りにしてくれた様なインパクトは凄かった。

 

家族の関係性が素晴らしくても社会的な関係が追いついていないという複雑さが主題に大きく影響を及ぼしたのが「君の名前で僕を呼んで」だった。性的マイノリティーという言葉すらまだ無いのではという時代に同性愛を描いた作品というポジションになるのかも知れないけれど、とにかく美しくて素晴らしい恋愛映画だった。

主人公エリオの背伸びしてフラついてしまう自身の足元への苛立ちだったり、投げたボールが思ったところに返ってこない拗ね方が胸を締め付けたし、オリヴァーの社会を知っているからこその葛藤とエリオへの気持ちが痛かった。

映像も風合いと言っていいのかとても色彩が美しく、テンポも絶妙だしエンディングも素晴らしかった。

 

その他、全然触れてない映画も面白いものばかりで「カメラを止めるな!」は二回観た。最初は関西では京都のイオンでしか放映されてなかった時で2回目は拡大上映のタイミングだった。映画って面白いなー!映画って最高だな!という気持ちで観られた楽しい作品だったけれど、気持ち的に惹かれるポイントがほぼ無い作品だった。

ボヘミアン・ラプソディ」はライブシーンの再現度と臨場感が凄くてテンションがブチ上がった。リアルタイムの世代では全くないので彼等がどんなポジションのアーティストであったのか勉強になって良かった。

他にもあるけどとりあえずこれくらいにしといた方が良い気もする。

 

今年観た作品の中で無理やりベスト3を選ぶとしたら、

1位:君の名前の僕を呼んで

2位:孤狼の血

3位:名探偵コナン ゼロの執行人

今の気分ではこの感じ。

 

来年も観たい作品が控えてるし、もう公開中なのに行けてない作品も複数あるので時間とお財布に相談して観にいきたいと思う。

 

またー。

俺が夢子なら相手は二宮くんしかない。

一時期、国民的アイドルグループである嵐の夢小説に何故かどハマりして貪る様に読んでいて、その中でも櫻井くんがNEWS ZEROの放送中にカメラ越しに夢子(夢小説の主人公のことを総じて夢子と名付けている)にプロポーズするという話が大のお気に入りでこのままいくと65とか70とかになった時に校外学習の一環で老人ホームを訪れた見知らぬ小学生とかに「おじいちゃんの大好きな昔話を聞いておくれ」とか前置きして語り出しそうなので困っている。子供にボランティアかったりーって思い出を手渡しかねない由々しき事態である。

ラ・ラ・ランド」及び「ボヘミアン・ラプソディ」のスタッフ総動員してこの夢小説を映画化して映画史に足跡をガッツリ残してもらうしかこの惨憺たる未来を美談に転化する術はないと本気で考えている。

本気で考えた結果がコレなのかと愕然としなくもないけれど、自身が長生きするという最悪のシナリオ(ネガティヴなので最悪のシナリオから想定してしまう)をなんとかするには超常現象の域で他力本願、おててのしわとしわをあわせてしわが消えるくらい擦って拝み倒すして願うしかない。

人生ライトプランだと老人ホームに入る前にあっさり死んでいるハズなのでこの鬱展開は回避されるんだろうけど、まあ人生って何があるか解らないのでいざという時の備えはしといた方が良い。

そう自分に言い聞かせてバカ高い半年払いの生命保険の引き落とし額を納得させようとしているって話、をするつもりも無かったけどそうなってしまったのでこっちはそんな感じ。

そっちはどう?

 

それはそうと、会社からインセンティブ表彰を受け、現金を数万円頂いたので全くアテにしていなかった収入であるのを良いことに数年ぶりに宝くじを買うことにした。

存在がセンシティブなツイートみたいな僕がインセンティブを???と狼少年的な見方をされるかも知れないけれど貰えてしまったものは仕方ない。ちゃんと狙ってバッタバッタと案件を倒した結果無事に授与されるに至った。小さくとも立派な俺の物語、俺の冒険なんである。アバンストラッシュ!!!

唐突なアバンストラッシュに驚いたかも知れないけれど、子供の頃、歯医者に行くのを渋る(怖いとかじゃなくてアニメの時間だから嫌だとネチネチとゴネた)僕を「漫画を買う」とエサで釣った母親が「これでええやろ男児が好きそうやし」と買い与えたのがダイの大冒険の四巻で、それからというもの僕の中で冒険と言えばダイの大冒険となった。

何故選ばせてくれなかったのか、そして何故1巻でなく4巻を買い与えたのか未だに納得がいかないし、その後他の巻を買い与えてくれることもなく謎は謎のままであるが、冒険と言えばとなる程には影響を受けた。何故ならカッコいいからだ。

話が逸れたけれど、月給やボーナスとも違う、第三の収入を前に「これがアシがつかない金って奴か」という謎の背徳感を得るも、ただ仕事を頑張ったのに加えて運良く業績も上がったから貰えているので何も卑屈になる事はない。自分を偉いと褒めて良い。

しかし、やる事やってようが制度が無ければ貰えなかったお金であることを考えるとツキが向いてきたのではという気もする。お小遣いの外側に突如湧いたこのお金でさらなる飛躍を果たすべく宝くじを購入する事にした。

とは言え、全額突っ込む勇気は流石に持ち合わせていないサラリーマンなので合計30枚だけ購入した。

これでもし1等が当たったら仕事を辞めたい。

物凄く恩を仇で返している発言な気もするけれど、こんな事を考えている社員なぞ上手いタイミングで辞めて貰う方がきっと会社の為でもある。

辞めたら現金の預金と資産運用を半々くらいにして、猫を飼って、コンビニでアルバイトして暮らしたい。

社会との接点として働いてはいたいと思うので、憧れのアルバイトであるコンビニバイトにチャレンジしたいと思った。

大抵のことは機械が助けてくれるとは言え、あの地味に多岐に渡りまくる業務内容を気怠いテンションでそつなくこなすコンビニ店員への憧れは年々強くなる。メインの職業としては中々収入的に難しいところもあるので、宝くじで高額当選した暁にはコレ幸いと面接を受けたいと思っている。

思っているだけで「でも1枚300円のクジとか勿体無いな」と思って舞台にすら立てていなかったこれまでに対し、今年はちゃんと豚に立てている。凄い。

凄過ぎてこれはもう当たったも同然。将来は明るいな。は?舞台じゃなくて誤字って豚って打ってる。

所詮資本主義の豚ってことなんだろうか。

ブーブー!

 

あとはゾンビランドサガめっちゃ面白いから全人類見て欲しい、くらいかな。

 

またー。

///20180919-20181220///

///傷ついた虎の子、大きな声で有りもしない国の名前を叫んだ/繰り返す文鳥、近付いては離れ、円と輪の違いをガラス越しに見ていた/何に生まれたら、何に生まれても、隣の運命ばかり奇跡みたいに輝いて/その箱の中にある棘の痛みを知らずに僕ら/来世は、来世は、来世はきっと///

 

///霧に包まれた明け方、駅までの道/カラスが荒らす前のゴミ袋は忘れたいことの死体/後悔とほんの少しの満足感で赤く腫れた目で交差点を走り抜ける車のナンバーを追う/僕にとって何の意味もない数字で心を埋められたら、どんなに楽に、曖昧でいられるのかを始発まで考えて缶コーヒーで吞み下す///

 

///踏まれて解けてしまった靴紐の結び方も知らずに赤いニューバランス/誰に倣って歩いてきたのかも思い出せない生活が当たり前な顔して続いていくんだろう/この先も、この先も、この先もずっと/皆もそう思っているよ、実数不明な正解はミスタードーナッツ/甘さを飲み込んでしまえば 食べた側から欲しくなる/何度でも、何度でも、何度でもきっと/この先も、この先も、この先もずっと///

 

///解らなくなった非番の兵隊は/淡いニットについて乾いたチョコを血の跡かと思った/知っていたつもりの勝ち方も負け方も/言葉に出来なくて舌先は痺れた味オンチな兵隊だ///

 

またー。

2018.12.07 大森靖子さんを観て来ました。(@心斎橋BIG CAT)

昼から日本酒を飲み、大好きなキャラクターの新作ぬいぐるみを買いに行くなどした。

ぬいぐるみを集める大人は精神的に成熟していないみたいな記事をどこかで目にしたのだけれど、まあ自身について僕がどう捉えているかと言うと「管理職が風俗で赤ちゃんプレイしに行く」みたいなものと親戚だと思っているので全く異議申し立てるつもりはない。

ただ、日々の降りかかるストレスからそうやってガス抜きをしている人たち(しかも合法で)を何らか欠落してまっせみたいに指摘するだけ指摘してオチが無いままドヤ顔してるのは、それはそれで人のことをあーだこーだ言って気持ち良くなってる性癖にしか見えないけどな、という気持ちにはなる。

 

何度も書いたり話したりしているので初見の方以外は「おじいちゃんまたその話してる」と思って貰って良いし、初見の方には初めましてなのにこんな話しててごめんなという感じなのだけれど、幼少期ミニ四駆(烈豪世代)が爆流行りしていて、ミニ四駆が主人公達の想いを乗せてコースだろうがオフロードだろうが走りまくるという世界観だったのに影響を受けた僕たちは車通りの少ない道路でミニ四駆を走らせるという遊びをしていた(とても危ないので真似してはいけない)

コースと違い力でマシンに追いついて止めなければならない為、子供ながらに自身の運動能力に見合ったスペックのマシンを組み上げる必要があり、そんな環境に身を投じた僕らのコミュニティーはそこそこ自身とマシンのバランスについてシビアに比較を重ねている何か嫌な子供の集まりだった。

自力で追いつけないということは、クラッシュしてひっくり返ったり、草むらに突っ込んだりして止まらない限りは己の限られた小遣いで手に入れたミニ四駆を失う事になるからである。

最悪のシナリオとしては壁に当たって方向を変え、ミニ四駆がマジ四駆に轢かれたり、マジ四駆なら受け止めてくれるハズのガードレールの下を潜って川にダイブして還らぬものとなってしまう。実際何台か尊い犠牲を出しながらも、僕らの中では自己責任が招いた凄惨な事故と処理し、当たり前のものという認識で過ごしていた。サバンナかスラムみたいな価値観である。力を見誤ると運にしか頼れないことを僕らはよく知っていた。

今振り返ると「ミニ四駆を早く走らせたければミニ四駆より早く動ける様になるしかない」という大前提がガバガバであり、コースで走らせるべきなのは明白なんだけれども、僕らの中では前者が当たり前だった為に後者について考える事はまず無かった。

自身の走力を上げる者、自転車やローラーブレードを駆使する者(僕はローラーブレードを駆使した結果骨折するに至る)、己の運に賭けるギャンブル狂いを起こす者など色々いた。

勿論、ミニ四駆はマシンの速さを競う遊びであるので追いつくことを放棄してぶっ飛ばすギャンブル狂の命知らずが一番強かった。それでも僕らの中ではそれは邪道で、「如何に速く走らせ、そして追い付けるか」の両立こそが最上の評価を得ると考えていた。技術点と芸術点みたいなものだろうか。

何が言いたいかというと、傍から見ていると「何で公式の外側から自分たちでそんな苦しいルールを課してやってるんだろう」と感じる事が2018年にも多々ある、ということだ。

メルカリの謎マナーだったり就活の謎ルールだったり仕事のメールの謎長文だったり、そういうものを見る度に自分が身を投じていたミニ四駆界隈のルールを思い出すんである。速いだけでいいハズなのによくわからない別の作法がある、というか。

今回は徳利の謎マナー「注ぎ口から注いではならない」を目にしてそれを思い出した。

美学であることは間違いないので謎マナーなどと呼ぶのは申し訳ない気持ちもあるけれど、では何の為に注ぎ口がついているのか良く分からなくなってしまう。

日本酒は美味いから素敵、で完結出来ている人たちの存在を認めてくれたらと思った。

何の話だ。

 

あとライブに行った。

2018.12.07 大森靖子 @心斎橋BIG CAT

沢山ツアーを回ってくれていたのに結局地元の1本にしか行かなかった。その分、一本に並々ならぬ意欲で臨んだのでコイツ、乾いたスポンジみてぇにどんどん吸収しやがる…という感覚だった様に思う。

今回はアルバム「クソカワparty」のレコ発ツアーということで、その世界観に溢れるライブだった。コンセプトというよりも世界観だったと思う。

「クソカワparty」のシリアスな一面は同じものを別の角度から同じ様なアプローチで描かれていると僕は感じていて、聴いてて諭されている気持ちになることもあった(自分のコンディションが悪かっただけ)んだけど、このツアーではある意味ロックオペラみたいな、組曲的な通しで大きなテーマを歌ってくれている壮大なライブとなっていて凄く凄く感動した。

こんな広い景色を見せようとしてくれていたのに俺は…俺は…という気持ちになった。

アルバムの再現ではなくて、より効果的に届く様に組まれた最強のデッキ、封印されしエグゾディア、いやもう辞めとかないとこれ以上は自滅する。

そう言えば、今期のナナちゃんのCVが完全にボブネミミッミで2018年を象徴する表現だったと感心した。来期はどんなナナちゃんが観られるのだろう。

それはそうとバンド編成もここまでメンバーを固定してツアーを重ねると、バンドの無敵感が出て来て滅茶苦茶に格好良い。

元々バンド畑から来たリスナーなので、個人でも演れる凄い人がバンド編成を採用するとどうしても演奏は素晴らしいのにバンド感が弱くて「やっぱバンドのマジックは起こらないな」と思ってしまうんだけれど、大森さんのバンドからはバンドのマジックを感じる。

各パートの演奏に再現だけでなく個性も求められているからだと思う。実際はどうだか解らないけれど。M-1で審査員を務めた富澤さんが仕切りに口にしていた「人間力」というやつだろうか。

畠山さんのギターがH MOUNTAINSの複雑で大道芸の様でサイコな間合いじゃなくてドッカリしたバンマスとして完成しまくっていて元々大道芸の方の畠山さんのCDを滅茶苦茶聴いていた身としてはバンド「シン・ガイアズ」で今回一番度肝抜かれたのはそこだったかも知れない。

鏡を持って来たり、神様になってみたりしてきた大森さんが今度は生身で目の前にやってきて「お前めっちゃ良い顔してんよ」と優しく教え続けてくれるの本当に超歌手って感じだったしとても素敵だった。

 

またー。

お笑いとホラーには共通点があるとか言われても無理。

ドキュメンタルのseason6を毎週楽しみに観ていた。

過去5シーズンと異なり、女性芸人が多く登場していて笑いの質がこれまでと全然違った。

勝敗や内容はネタバレになるので触れないけれど、ドキュメンタルの場合、「結局最後にモノを言うのは下ネタ」という小学生男子的な原始の笑いが根強かったと感じていて、これはやっぱり男女比がそうさせるのだなという結論に至った。

日頃から鍛えてきた筋力が違うのでここ一番で頼れる笑い取り方がこうも違うのかと感心した。ゆりやんレトリィバアと友近の2人でギアナ高地に3年間篭ってハイレベルな組手を延々やって来ました感のあるやり取りは本当に素晴らしかった。

一方で相手あってのドキュメンタルではあるので、普段のネタに下ネタが少ない芸人(男女関係なく)がその土俵に乗っていく為の対策を考えて動く様子も異種格闘技っぽさがあってドキドキするものがあった。力技を得意とする巨体相手に細身で小柄な選手がどう立ち回るのかに似ていた。

個人的には一番面白いシーズンだったと思う。

次も楽しみ。

 

映画「ヘレディタリー〜継承〜」をレイトショーにて鑑賞。

ホラーの類が苦手で、ギャグ映画の金字塔扱いされている「貞子VS伽倻子」ですら普通に怖くてふざけんな誰だよ観ようとしたの僕だったわ状態だったんだけど「IT/それが見えたら終わり」が全然いけた(それでも怖かったけど)のでパスポートないと行けない土地が舞台ならいけるんじゃなかろうかと思って観ることにした。パスポート切れてるし行き様がないし、海外が向こうからやって来る訳もない。万が一やって来ても何に数ミリから数センチである。そんなちんたら来られても触れられる距離に迫る頃にはこちとらとっくに死んでいるので関係ない。

生活習慣やそもそもビジュアルに親近感が無いというのはフィクション性を加速させ、「滅茶苦茶怖いんだけど自分とは関係ないもの」として処理しやすいんだと思う。

加えて自己分析の結果「スプラッタよりもメンタル系ホラーの方が得意」という勝算(?)がある様に思えての決断だった。

そんな感じで観たんですけども。

「あ、いらない決断って世の中あるんだなー」って凄い後悔した。何なら最初の30分くらいで痛感した。皆知らないと酷い目にあうから敢えて言っとくけど、怖がりはホラーを観るべきではないよ本当。ホラーってのは人を怖がらせる為に撮られた映画だからね。覚えておいて。

それにしても最近の映画館って凄くて、物音が背後から迫って来ては遠のいたりするんだけど、故に最初は誰かのポップコーンの咀嚼音かなキャラメルかかってる硬さだなコレと思ってたのが恐怖の導入音だったりするなんて事もあって、その中で恐怖のあまり何回か「ハッ!!!」って勢いよく息を呑み過ぎて気弱な和田アキ子みたいなニュアンスである種の舞台装置として隣のカップルを効果的にビビらせてしまった。余計なエフェクト追加して本当ごめんな。iTunesに突然追加されたU2みたいだったよな。でもU2は良いから聴いてくれよな。マジで怖かったんだ。ごめんな。

ただ、内容として当初の予想通り、海外の宗教観や生活様式に馴染みがない分だけ「ただ超怖い映画を観た」という感覚で済んだ。いやこれを書きながらまだ動悸がしてるんだけど、それを夢眠ねむさんのアルバムを聴くことで紛らわせているんだけど、これが日本を舞台に親近感あるアプローチじゃなくて本当に良かったと思った。

二度と観ない。

二度と観ないけれど、この映画の恐怖の起源については信仰なんかがバリバリ関わっているので調べて把握したいという興味がある。激辛料理愛好家の「辛味の中に甘さがある」みたいなよくわからない感覚と同じだと思う。解せないけど興味深い。

あとレイトショーオブレイトショーだったせいで危うく終電逃すところだったのも実に怖かった。

 

またー。

グーテンヌーボ2018冬

グーテン休日出勤の朝は本数も乗客も少ない電車に揺られて街へ出るのだが普段と違い座っていると怒涛の様にどうでも良いことを考えてしまう平日よく乗り合わせる男が電話をしており田中と名乗っていた為に思いがけず君の名は田中状態前前前世から云々お互い座れてよかったなお前のネクタイのセンスどうかしてるぜあとソクラテスの胸像に似ているぜソクラテスがソックタッチを愛用していたとしたら繊細さマジ哲学という受け取り方が出来るのかどうかという妄想及び田中サイゼリヤ好き?今季のグラコロはもう食べた?ストロングゼロで溶かせるとされているものって本当に溶けてはくれないから客観的に見てすごく切ない気持ちにならない?CDに封入されてる先行予約って大体忘れない?などと田中について無知であることに甘えて散々心の中で語りかけるなどした訳だがソクラテスインスパイアかその間中「無知の知でございます」とサザエさんの声で脳内再生エンドレスリピートでどうにかしてくれ田中お前のせいだぞでもお互い土曜日まで働いて俺たち偉いよなきっと幸せにならなきゃいけないぜその為に一緒に頑張ろうな。

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グータンヌーボの意味に一切かけれてないけどタイトルをグーテンヌーボにしてしまったお前の遠い遠い友より。

『グータンヌーボ』ってどんな意味ですか? - どこかの国の言葉で... - Yahoo!知恵袋

 

またー。