性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

移動都市に住む水木しげる先生タッチのサラリーマン。

ベージュのステンカラーコートに強い憧れがあった。

これまで何度か試着したものの、水木しげる先生が描くタイプのサラリーマンの様な似合い方を高い再現度で成してしまい「なんて需要のない等身大フィギュア…」という気持ちで、おもちゃ博物館ですらお嫁に行けないとペタンコになるまで凹み、少しずつ時間をかけて原型を取り戻した頃にまた同じことを繰り返し、今ではほんのちょっと凹みが戻らないくらいになってしまっていた。

しかしながら年齢が似合い方に追い付きつつあるのでは、という逆転の発想が誕生日を前にムクムクと湧き上がり、遂にはセールで1万円になっていたベージュのステンカラーコートを自身へのプレゼントとして手に入れるに至った。

決して「今の俺のお洒落レベルなら着こなせる様になっているハズだ!!!」などというポジティブな理由ではなく、水木しげる先生風サラリーマンとしての自分もこの歳になれば自然の摂理である、受け入れる他ないのだからいっそ着てしまおうぜという切ない言い訳をタラタラ述べ述べしている結果の購入といった感じである。

前向きでなくとも自己実現と言えば自己実現、どんな形でもゴールに入れば得点は得点という開き直り精神で春や秋に大活躍して貰おうと思う。折角手に入れたのだから。

ちなみにポチったその日、寝落ちしたソファの上で未だ届いてもないコートを着て歩いていたらイキった小学生の集団に囲まれてセイタカアワダチソウでコートをバシバシ叩かれまくって半泣きになるという悪夢をみた。どんな夢だよ。

子供相手に怒鳴る訳にも暴れる訳にもいかず、やめて…と言っていた自分の弱さに起きて泣きたくなったし、お風呂に入る元気も無くなってそのまま寝た。

 

映画「移動都市/モータルエンジン」を公開初日のレイトショーで観た。

タイトルの通り、都市が移動する未来の話なんだけど、予告編でロンドンが動いて他の小さな都市を狩らんとする様に滅茶苦茶惹かれて絶対観たい!!!と意気込んで初日を迎えた。

子供の頃、自転車の行動圏に図書館が点在する地域に住んでいたのに移動図書館という存在が大好きだったし、移動動物園も好きだったし、大人になった今でも献血カーやら健康診断の移動レントゲン車なんかのお世話になる際に「移動する施設」にドキドキしてしまう為、そんな自分が移動する都市を目の当たりにしたらどうなってしまうんだろうというワクワク感もあった。結果、フィクションなのでフィクションとして処理され何事もなく映画を楽しんでしまったのだけれど。

感想としては軸が移動都市そのものと復讐劇と逃亡劇の3筋あり、それを同じくらいの派手さで押し出した結果、移動都市の魅力が物語が進む程に薄まるという事態を招いていたのでは、というものである。

どれも単体ならば面白かったろうに、もしくは補助的に描かれていればこれまた面白かったろうに、世の中にある名脇役という称賛をストーリーそのものに対して必要だと思う日が来るとは、と唸った。

でもヒロインは可愛いし(故に安く値踏みされるシーンでは「しばくぞてめえ」と普通に思った)、彼女と行動を共にする主人公もギーク感が程良くて素敵だった。

期待を上回るほど衝撃は無かったけれど、映像も格好良くて楽しめたとは思う。

 

またー。

白牌を待ち続けるお前らはまるでハチ公。

ドンジャラについて衝撃事実を得たのでこれを読んでくれている人にも是非教えてあげなければ、という気持ちでフリック入力猛威を振るわせんとしているんだけど、そもそもドンジャラってどれくらいの知名度があるゲームなんだろう。

ドラえもんとかONE PIECEのキャラクターが牌に描かれた、どう考えても将来雀荘の空気を形成する大人を育成しようと狙って生み出された玩具なのだけれど。

遊戯王にもカイジにも登場していないということは少なくとも闇のゲームではないので親御さんは一安心だろう。

そのドンジャラに無地の牌、正式名称「白牌」があるんですけど、その白牌って柄のついた牌を無くした時に活躍する予備の牌という訳じゃないって知ってました?

ちゃんとゲーム上で存在意義がある牌なんですよ。無地なのに。FFVでいう「すっぴん」くらい最終的には最強の存在なのかと思いきや全然そこまででも無いらしいんだけど、そこまで突き抜けてなくてもちゃんと役割あるってだけで凄い気がしてしまう。柄がないから。

で、僕は人生そこそこ長く生きてきた、生き抜いてきたという自負があるんだけども知識としても興味の度合いからしても盲点過ぎて知らなかったんですが、それ以上に「ドンジャラの白牌は予備である」と子供の頃の自分に確信させる出来事があったから認識の上書きを必要に感じていなかったいうのが大きいから言い訳としてその理由を書いておきたいというのが本音。教えてあげたいとかじゃなくてそっちが本音。

それは小学校の2年生の頃、住み慣れた土地から引っ越し、転校先の担任の先生がヒステリック過ぎて生きるの辛いなと思っていた頃に仲が良かった安藤くん(仮名)の家に遊びにいった際に起こった出来事だった。

安藤くんと安藤くんのお兄ちゃんとクラスメイトの和田くん(仮名)と僕で遊んでいる中、おもむろに安藤くんが「久々にドンジャラがやりたい」と言い出してドラえもんドンジャラを押入れから引っ張り出してきた。

ルールを知らなかった僕と和田くんに安藤くんと安藤くんのお兄ちゃんは高圧的になることもなく懇切丁寧にルールを教えてくれた。

同じ柄の牌を3枚ずつ集めて役を作ってポイントを稼ぐ、という基本ルールが解った所で実際にやってみようと始め、ゲームが進む中、僕が引いた牌が他と比べ異彩を放っていて手を止めてしまった。

小さな牌に無理に描いたからだろうか、下手くそ過ぎる黒マジック単色のドラえもんがそこにいた。

「変なドラえもんが出てきた」

思わず口にする僕に安藤くんは笑いながら教えてくれた。

ドラえもんのコマひとつどっかいってしまってん。だから予備に描いたんや」

成る程、と完全に納得しながらもこの尋常でない下手さのドラえもんの作者が気になるので僕は悪気もなく「誰がこのドラえもん描いたの?」と続けて尋ねた。

この下手さからすると安藤くんか安藤くんのお兄ちゃんしかあり得ないと予想はしていたが、安藤くんは思いも寄らない回答を寄越した。

「父ちゃんが描いた!下手だよな!!」

大人になっても絵が下手な人はいるという事実があまりに衝撃的だったし、そんな大人になりたくないと思ってしまったことが僕を休み時間に自由帳に絵を描くタイプの子供に変えてしまった。人生単位での影響がデカ過ぎる。

野球チームに所属している癖に学校では漫画クラブに所属するという歪なバランスの子供を誕生させてしまったことを安藤くんのお父さんは今も知らないし、知らない方が幸せだと思う。別に知ってても不幸になんかならない話だけども。

ともかく、「大人が白牌を予備の牌と認識しているという」という事実の説得力が僕に「白牌は予備」という認識を根付かせたんである。

これを思い出したキッカケは覚えていないけれど、こんな出来事を幼少期に経たことを考慮すると勘違いも仕方なしではないだろうか。それとも自分に甘いのだろうか。

これに限らず割と平然とピンポイントで常識が欠落している大人になってしまったので物事に興味を持つというのはとても大切だなぁと己を反面教師として考えてしまう。

大人版ドンジャラこと麻雀を覚える為に通う場所こと大学にも四年間みっちり通って納めたというのに一度もやることなく卒業してしまった。学生生活をドブに捨てた可能性が沸々と湧き上がってくる。いや、麻雀がなくともまーまーちゃんと楽しかったけど、もっとスリリングさを加味できた可能性を感じている。これが後悔というやつだろうか。

あと単純にドンジャラやりたい。ああいう組み合わせて点を競うゲームが吐くほど弱いので賭け事にしない心優しい人たちがいらっしゃいましたらお声掛け下さい。

 

アマゾンプライムビデオで「黒子のバスケ」を見始め、そしてあっという間に見終わってしまった。75話くらいあったのに実質2〜3週間で見てしまった。謎の集中力、もっと発揮すべき場面がいくらでもある気しかしないが、黒子のバスケテニスの王子様的な魅力的な性格のキャラクターを生み出し続ける天才的センスだけで競技の名を借りた架空の武術を展開している作品だと思っていたのだけど、技のトンデモ度もテニプリに比べると地に足がつきすぎて膝上まで土の中に埋まって根を張ってやがて大きな木になるくらいマトモな発想によるものが多く、ちゃんとバスケで勝敗を決めていて滅茶苦茶見応えがあって面白かった。

主人公のチームが魅力的過ぎたし展開もアツ過ぎた。

そもそもバスケットボールはボウリングをカウントしなければ一番嫌いな球技だったんだけど、スラムダンクもI'llも黒子のバスケも凄い面白くて複雑な気持ちになる。

各話の切り方が憎くなる程に先が気になる上手さで、リアルタイムで観ていた人たちは本当に辛い思いを毎週していただろうなと思う。

こんなんちゃんと毎週待ち続けたとか偉過ぎだろ。お前らの前世ハチ公かよ。

何かご褒美あげたいわ。猫でいうチュール的なシャブ感あるご褒美が犬にはないんだろうか。黒子のバスケそのものがそういうポジションなんだろうけど、そういう気持ちになるくらい興奮しながら一気に観てしまったからオススメしたいようなオススメするのが怖い様な、そんな感じである。

 

またー。

美容室でアニメ雑誌を読む背徳感を元手に業務用スーパーを建てる。

美容室に行って席に着いた時に出される雑誌のチョイスから自分がどう思われてるか知る、というのが緊張感がありながらも「君はこんな感じかな?」みたいな他者からの評価でもある気がして参考になるなーと思っていた。

デイリーポータルZの記事特選本、大阪の美味しい呑み屋が掲載されたグルメ本、編集部が選んだ名画ベスト100。通えば通うほどにヘアカタログやファッション誌から縁遠くなっており危機感を抱いていたし、そこに費やすお金もない(というより購読するほど情熱がない)から美容室でしかファッション誌を読めない身としては読ませて下さいませんか、という状況であった。恥ずかしくて言い出せなかったけど。

だけど世の中は便利になったもので、通っている美容室にもネットの雑誌読み放題サービスが導入され、席につくとiPadが一台渡されて好きな雑誌を勝手に読める様になった。

美容師さんからの雑誌チョイスによる自己のフィードバックは得られなくなったものの、代わりに読みたい雑誌が無くてヤキモキすることも無くなったんである。

読み放題にはファッション誌だけでなく自動車だったりスポーツだったりと、色々提供されている雑誌があり目移りしてしまう。

その中にアニメ情報誌の雄、「アニメディア」が当たり前の様に混ざっていて思わず選択してしまった。自身が中学生の頃、金がある奴はアニメージュ、ない奴はアニメディア、チャラい奴はニュータイプという共通認識が成されており、実際そこまでの価格差がある訳でもないのになーと思いつつアニメージュを購読してる人から借りるなどしていたのを思い出す。

しかし、美容室でアニメ雑誌を読むというのは中々の背徳感があり、こんなお洒落な空間でアニメ雑誌なんか読んでいいのだろうかという気持ちになってしまい躊躇われた。

一度もアニメオタクとジャンル分けされたことで嫌な目に遭った事がない自分でも「アニメオタクは肩身狭い」みたいな感覚があるのだなと思うと少し悲しかったけれど、どうやら表紙にまでなっている特集が見逃した「名探偵コナンで新一と蘭が彼氏彼女認識となる修学旅行について」だったので待ち時間にそこだけ読もうと思ってコソコソとタップした。スポーツ新聞のエロコーナーを家で隠れて読むお父さんみたいだなとボンヤリ思っていたんだけど、ある違和感に気が付いた。

雑誌の読み放題については、未読、既読の表示が出る様なシステム(その他、新着などもある)が採用されているんであるが、このアニメディア、未読の表示が消えているんである。つまり、この端末を利用した客の中にアニメディアを読んだ者がいるという事であった。

耳をすませば」の聖司くんの存在に気付いた雫の様な気持ちになった。誰かが先に読んでる…アニメディアを、このお洒落な美容室で!どんな人だろう!但し、特にトキメキは無い。

何となく密教者の様に地面に模様を書くことで互いの存在を分かち合うところまで妄想していたら肝心の読みたかった記事に到達するまでに待ち時間が潰えてしまい読めずじまいとなってしまった。

付き合いの長い美容室であるので切りながら読んでも何の問題も無いのだろうけど、視力が悪い為にカット中はメガネを外す為に雑誌を読む事が出来ない。次回はコンタクトを装着してから訪店しようかと割と真剣に企んでいる。

 

髪を切った後にカレーを食べ、その際にインドのウィスキーを飲むなどしてホロ酔いとなった状態で業務用スーパーへ買い物へ行ったら滅茶苦茶楽しかった。

これは普段自炊しているけどたまにしか業務用スーパーに行けないという全ての人々へ本気でオススメしたい最高に楽しい娯楽だった。

ただでさえ安い業務用スーパーの食材が酔っているので更に安く感じられ、肉類のグラムあたりの金額を見ては小さく歓声をあげてしまう程である。

1キロで900円程度のスモークチキン、500グラムで500円程度のベーコン、5玉で150円の冷凍うどん、500グラムで300円の冷凍チーズケーキなどテンションがあがってしまいカゴに放り込んでしまう。しかも食料品なので服の衝動買いと違って日々の食卓に出せる為に無駄にならない。味がイマイチだったとしても我々は自炊民である。己の腕さえあればなんとでも出来るという強みがある。

そして自炊民であるが故に酔って気が大きくなっているのに変なところで冷静になってしまうのも自分を知れるという意味で興味深い。

500グラム(しかも可食部のみ)で600円の冷凍アボカドがあり、種ぬきで500グラムって何個分だよマジでお得じゃん!と思ったけれどそこまで日常的に食べる訳でもないよなーと控えたり、生肉滅茶苦茶安っ!すご!と思いながらも、いやでも近所の肉屋の特価1キロ1000円の方が絶対美味いしとりあえずやめとこ冷凍庫もそんな空いてないしと買わなかったりした。

酔っている癖にお得さと生活スタイルを天秤にかけまくって一番損せずに満足感を得ようと滅茶苦茶頭を使っているのが自分でも解って笑ってしまった。

カゴに入れながらざっくり計算してしまう自炊民の習性もあり、お値段に感動する前に「よし、計算あってんな、想定予算内だ」となってしまい切なかった。お祭りの屋台にお小遣い1000円で立ち向かった小学生の頃を思い出した。

何度も書くが、これが一番楽しいのは食費をしっかり把握している自炊民である。台所に立たない奴にも安さは伝わるかも知れないけれど、伴う実感、リアリティーの有無は雲泥の差であろう。

自炊民の皆さん、お酒を飲んだあとに業務用スーパーへ行こう。絶対に楽しいから。(酔って人に迷惑をかけるタイプの人はお控えください)

ただし、買い過ぎると帰り道に重さで酔いがさめるので注意が必要である。

ハチクロの真山もおんぶした山田さんが途中から急に重くなったと証言していたが、持った肉が急に重さを発揮するのは道のりを半分踏破した頃である。お気をつけ頂きたい。

 

またー。

サスペリア搭載のエクスペリアについてウィキペディアで調べリア。

乾燥肌である。

たまたまこの記事を開いた人からすると赤の他人の個人情報が真っ先に飛び込んで来てマジで不要だなと思うかも知れないけれど、この先も何一つ有益な情報は無いので読むだけ時間の無駄、時間が惜しくないという人だけ読み進めてくれたら書いてる身としてはラッキーである。

乾燥肌であるが故に、冬のお風呂上がりにはニベアのボディークリームを身体中に塗りたくる習慣があるのだけれど、ニベアを塗りながら「今、この瞬間に死んで霊になったら、どこからともなくニベアの匂いがすると思ったら霊がいたみたいな怪談話として世間を騒がしてしまわないか」みたいなことを考えてしまう。

ただ、あまりの乾燥肌な為かニベアで最もポピュラーな青缶の硬度だと全く伸びない。(ので化粧水で伸ばして使っていた)

kiriのクリームチーズをトーストに塗る時の方がまだ滑らかに伸びるんじゃないかというくらい伸びないしkiriのクリームチーズをトーストに塗るのを想像してお腹も減ってきて乾燥と空腹のダブルパンチである。どうしてくれよう。

そこで乳液とクリームの間、みたいな硬めの乳液みたいなやつを使うんだけれどお求めやすいものは割とファンシーかつフローラルな香りがして良い歳した男が桃の香りがする液体を乾いた身体に塗りたくっているのを目の当たりにすると仕方ないと解っていても目が徐々に死んでいくのが鏡を見ていて解る。

もっと高いメンズ用のものを買うという解決法もあるけれど、そこまで高いものを買う気にもなれず、だとすればその意識の低さからしてフローラルおじさんという魔法陣グルグルの登場人物っぽい立ち位置がお似合いであるという自虐へと辿り着く。

寝る前に塗りたくっているので、布団の中に匂いが篭ってLUSHみたいな空気の層を形成する。LUSH及び大多数のLUSH好きに何の罪も無いのは解っていても、身の回りでLUSH大好きみたいな人とソリが全く合わないので眠りにつくまで己自身とソリが合わず、自己否定を繰り返しながら嫌になりきる二、三歩手前で眠りに落ちるという精神的に負荷の掛かってそうな日々を送るに至っている。

LUSHと違い、匂いはあっという間に散ってしまうので朝には何事も無く目覚められるのが救いである。生活レベルを上げると戻れない気がするのでこのステージにしっかり慣らしていきたいところ。

 

イオンの食料品売り場へ買い物に行き、レジに並んでいるとたまに前で同じ様にレジを待っているお婆ちゃんに5%オフのクーポンなどを貰ったりする。

クーポンをくれるのでお礼を言うのだけれど、特別話好きな方という訳でもない様でそれ以外ほぼコミュニケーションが発生しない。

彼女たちは大体が銀の細縁の眼鏡と複雑な柄のニットのベストを着用しており、そういう民族衣装の親切な部族がイオンにはいるのかも知れないと思っている。

ひとりで買い物に行った際に恩恵にあやかっているので、恐らくはお婆ちゃんたちの中で「男の子がひとりで買い物して偉い!」みたいなのがあって使わないクーポンをくれるのではないかと分析している。

男の子なんて歳でもないんだけれど、今の所どう見てもおっさんという領域に達してはおらず、自身が歳を重ねまくった結果「どれくらいまでが若いのか」という判定基準がかなりガバガバになってしまったお婆ちゃんたちにとっての褒めてあげたい枠に滑り込むことに成功しているのだろうと思う。

「これ使いや」と声を掛けてくれるお婆ちゃんもいれば無言で差し出してくれるお婆ちゃんもおり、中には「お米は通販が楽でええで」と生活の知恵(?)を伝授してくれるお婆ちゃんもいる。アマゾンプライム会員なんで解ります、と言いたい所だけど活用出来てない時点で「そうなんですね!試してみますね!」以外のリアクションが取れない。お婆ちゃんたちは満足そうにレジを済ませて去って行く。

あの、お名前だけでも!!と声を掛ける程の施しでも無いので彼女たちの生態は未だ謎に包まれたままである。

 

映画「サスペリア」を鑑賞。

ドイツの超名門ダンスアカデミーに憧れてアメリカからやってきた主人公がその学園の恐ろしい秘密に迫って超怖い!!!という作品。

本当はもっと色々言い様があるんだけど、その辺りの関係性なんかは何を言ってもネタバレになっちゃいそうなので割愛。

物語の鍵は「どこから始まっているのか」を自分なりに考える所にあって、それによって見え方がガラッと変わる作品だった。

アーミッシュ、東西分断、強制収用、男尊女卑、女性の自立などなど、かなりメッセージ性が強い要素を滅茶苦茶さらっと放り込んで映像美で比喩しまくる手法で目を逸らすと一気についていけなくなる恐ろしい作品だった。

見終わって暫く経つ今も自分の解釈に穴が開きまくっていて納得がいかないものの、ホラー苦手勢なので見返すのも勇気がない。

君の名前で僕を呼んで」の監督作品だけあって映像が本当に美しかったのと、ヘレディタリーもそうだったけどホラーにおける肉感、実体の描き方が滅茶苦茶ハッキリしていて鉛筆の濃さで言えば6Bなのは流行りなんだろうか。もうちょっと薄い方がホラーっぽいのではと思うものの、ガッツリ太い輪郭でマジ圧倒的にそこにいるという描かれ方も怖いもんなんだなーと感心した。

2時間半に渡り映像美と謎と恐怖をバンバン投げ込まれる作品なので実に人に勧めにくいんだけど、トム・ヨークが担当した音楽が少ない音数でエグいくらい不穏で深みのある旋律オンパレードだったのでトム・ヨーク好きには普通にオススメしたいと思う。

 

またー。

歌劇と筋トレといえばマッスルミュージカルが思い出される。

「少女歌劇レビュースタァライト」をdアニメストアで一気に観てとても面白かったのでオススメしたい。

まどマギ」や「少女革命ウテナ」に通じる設定もありつつ、自身がより高みへ進む為にぶつかり合うキラキラとした登場人物たちが非常に魅力的で、12話にこれだけの個性を上手くまとめたなーと感心した。

「ユーリ!!!on ICE」も話数が少ない割に凄い上手くキャラクターの個性を描いていたけれど、ユーリ!!!の場合は公式からばら撒かれるオンエア以外の情報をファンが更に噛み砕いたものが拡散されることによってその辺りを成していた感もあるので、そういう意味ではレビュースタァライトは歌劇に対する姿勢と目標へのアプローチそのものに性格付けを行っていて上手いなーと思った。

昨年のアニメと言えば「ゾンビランドサガ」が断トツで面白いと思っていたけれど、ゾンビランドサガに匹敵する面白さだった。

エンディングのバージョン化は「おそ松さん」に近いアプローチで各話キャラクターが代わる代わる担当するというもの(但し本作は歌詞が全員同じだと思う)で、その歌い方にまた性格が出るのが良かった。

などなど、何だか無難な事ばかり書いている訳だけど、この作品の一番良いと感じるのは歌劇における演者と客が求めるものが同じではあるけれど、目指し、体現する側である演者と憧れ、受け取る側である客との根本的な違いをしっかり目に作中のメインイベントであるオーディションによって揶揄しているところだった。

「わかります」が口癖のキリンがオーディションの責任者(意味わからないだろうけどマジでさうなのでそこが気になるキッカケでも良いから観て欲しい)として登場するのだけれど、これがまー女性シンガーソングライターばかり追いかけてるおじさんなんかと物言いが合致しまくってて、高尚さ目指したエゴみたいなバリバリ消費っぷりが「こっわ!こんなんなりたくな!」という具合だった。

オーディションというよりはリーグ戦みたいな展開の仕方をしていて、選ぶことをしないで「わかります」って言っててキツい存在だった。物語そのものではなく演者の自己との葛藤や解放という作品そのものではない所に重きを置いているキャラクターなので、普段音楽を聴くにしてもリリースされた作品とかライブそのものじゃなくてインタビューとMCのことばっか言及するタイプの消費者と完全に一致で、あ…苦手なやつだ、となった。

身近さが愛着に繋がるのは良いことだけど、それと投げかけられた表現への評価は別軸だと思っていて、それを混同されると個人的にウッとなってしまう。

その消費者の想像を覆すような輝きを主要キャラがぶつけ合う様がとても良くて、一気に観てしまった。

ゲームもあるみたいだけど、アニメ自体がしっかりまとまっているので蛇足になっちゃいそうで(出来はとても良いと聞いた)、そもそもゲーム自体続かない性格なので、まずはもう一周見返そうと思う。

 

それはそうと、筋トレしてると結構な確率で「松本人志目指してんの?」みたいな事を言われてゲンナリしてたんだけど、この何のストイックさもない筋トレ界でも最弱みたいな自分でさえラーメン屋のポイントカード換算なら二杯くらい無料でラーメン食えるくらい言われている訳で、日本全国に統計を広げていくと1時間に1人くらいはどこかで「松本人志目指してんの?」って言われてるのではと推測してしまう。

これだけ言われると「じゃあ松本人志さんよりムキムキだったら何を目指してると思われるんだろう」という考えに至って凄く気になってくる。松本人志さんの向こう側には誰が立っているんだろう。ミスチルで言う「閉ざされたドアの向こうに新しい何かが待っていて」の何かって何だろうという話。あ、この例え全然いらなかったな。

まー実際のところ「お前、誰々っぽいよね」みたいな表現で他人を評する人はそこで想像止まっちゃってるタイプが殆どだとは思うので「松本人志目指してんの?」と言ってる人には何の期待も出来ないのは明白であり、じゃあどうしたらいいのかと言うと、最寄りに肉体美を誇る知人がいない場合はもうマッチョバーに言ってお金を払って質問させて貰うしかないんじゃないかと思うんですよね。(Twitterとかで適当に質問送りつけるのも世の中的にアリなのかも知れないけど学習には対価を払うべきだと思うので躊躇している)

僕の予想としては、松本人志さんを超えるともう他者からオリジナルとして認められるんじゃないかというのが一番強い。

松本人志さんを超えるまでは「俺がガンダムだ」に対して「お前はガンダムじゃない」や「お前もガンダムになれ」と返されていたものが、松本人志さんに並ぶ事によって「お前もガンダムか」になって、松本人志さんを超えた場合「お前はガンダムを超えた」と言われる。要するにそこから先はもう想定されてなくて、そこまで行くとオリジナルというか、滅茶苦茶松本人志ガンダム連呼してるけど滅茶苦茶解りにくいな。文章の頭回ってない感が凄い。なんか体調悪いのかな。自分で心配になってきた。

次点としてはマンガのキャラクターを目指してるのかに移行するというのがある。「悟空目指してんの?」「刃牙目指してんの?」みたいな。むしろこっちの方が強いのかな。

何かよく解らなくなってきているのでこの辺でやめといて、マッチョバーに行く機会をそのうち設けられたらと思う。

 

またー。

身体を動かすことについて書いている割にインドア感が全く拭えないブログ。

ジムに行ったり、バットで素振りをしたり、家の近所を走り回ったり(ジョギングという言葉を使うのが何故か照れ臭い)する際にスポーツウェアを着るんだけど、フードが付いたウェアがとても好きでそればかり購入してきた。

元々私服もパーカーが好きで、そればっかだといつまでも子供っぽいままだと思って意図的に着数に制限をかけて避けてきた反動がそこに出ているのだと思う。

スポーツウェアのフード付きのものをフーディーと呼ぶパターンが増えている気がして、そのフーディーという響きがポケモンの様で愛らしいというのもフード付きのものを買ってしまう理由の一つだった。(パーカーとフーディーの違いについては、そもそも日本におけるパーカーの意味が捻れてしまっていると人から聞いた。調べてみたらこういう事らしいフーディー・パーカーの違い - Tshirt.st)

冬になり、ジムに行く際にフーディーの上から防寒着を着るとフード部分がどうにも邪魔に感じられる様になってしまった。

これまでは会社から直でスーツのままジムへ行っていた為に表面化しなかった問題が、家から通える施設へ移籍した事により発覚した形である。便利になるにつれ不便が気になるとは人間は実に欲深い生き物である。

しかしながらフーディーが可愛いという気持ちも変わらずに持ち続けているので、首回りに巻き付き、窮屈に感じている事実を「ちょっと!フーディー、そんなにくっつかないで!甘えん坊だなぁ」と空想上のポケモンっぽい生き物=フーディーに好かれているという設定を自身に課すことにより着心地の悪さを楽しんでいる。

春になればまたフーディーが最大限に活躍するのでそれでの辛抱と思えば冬の風物詩的なアレで何とかなるのではと企んでいるが、文字にしてみると「こんな程度の問題に対してまで自分を誤魔化して生きてんのどうなんだろう」という気持ちと「僕がフーディーだったら僕なんかにはそんな懐かないなぁ」という何視点なのか解らない冷静な様で色々見失ってすっ飛ばしている評価に苛まれ、思わずフードがないウェアを買い足してしまった。ごめんよ、フーディー…春にまた会おうね…。

因みにフーディーに似た響きのポケモンことフーディンは一度も使ったことがない。フーディンに滅茶苦茶懐かれたら首筋にスプーンが当たって寒そうだな、と思う。

 

その筋トレだの何だのの体動かすメニューを12/29〜1/5まで毎日、内容は楽でも続けてて、その記録を残していたのでここに書いて自慢しときたい。物凄いインドアで面倒くさがりがここまで出来たのを自分で褒めたい。

12/29

家にて。腕立て伏せ50回×2、腹筋50回×2、スクワット30回×2、踵浮かすやつ50回×2、腰回すやつ50回×6、太ももあげて体ひねるやつ50回×3

12/30

家の周り走り回るやつ5km。ストレッチ適当に20分くらい。

12/31

ジムにて。補助付き懸垂みたいなやつを補助30kgにて30回×3、重たいやつ押し出すやつ重量35kgにて30回×3、レバーを前から横に引っ張るやつ重量35kgにて30回×3、重たいやつを太ももで挟んで閉じるやつ重量50kgにて30回×3、重たいやつを太ももで開くやつ重量50kgにて30回×3、ハムスターみたいに走るやつ5km。

1/1

家にて。12/29と同じメニュー。

1/2

家にて。12/29の半分のメニュー。

1/3

家にて。12/29と同じメニュー。

1/4

ジムにて。ハムスターみたいに走るやつ10km。ストレッチ適当に20分くらい。あと軽めに何かした。

1/5

家にて。12/29と同じメニュー。

連続で筋トレするのあんま良くない?というか効果薄いっていうのも解るんだけど、とりあえず年末年始は食べるか飲むか寝るかアニメ観てるか本読んでるみたいになりがちだから、寒くない所で身体を動かそうと思うと筋トレしかやる事が無かったというやつ。

結局休み中に身体を休めたのは1/6だけだったけど、無理をしなかったのでどこも痛めずに済んで良かった。普段は家の筋トレを週2回とジムを週1〜余程元気だったら稀に2回というレベルなのでちょっとやり過ぎた気もする。

あとジムにあるマシンの名前が未だに全然覚えられない。同僚に話す時に「ワイルドスピードみたいな響きのやつ…」って言ってしまったけど、自分でもどれを指して言ったつもりなのか解らないしそんな名前のマシンは無さそう。

 

ちなみに家で筋トレしている時はアマゾンプライムビデオでプロスポーツに密着したドキュメンタリー「ALL or NOTHING」を流しながら行うと捗った。

たまたまサッカーのマンチェスターティーに密着したやつを観て面白かったのがキッカケなんだけど、同シリーズの別作品はアメフトばかりでルールすら知らないんだけど筋トレ中に丁度良いから解らないまま観ている。

屈強な男たちが滅茶苦茶叱られたり、試合に負けて落ち込んだり、褒められた時に嬉しさを隠し切れず満更でも無い顔になっちゃったり、試合に勝って大盛り上がりしていたり、黙々とトレーニングに励む姿を観ていると「こんな対峙しただけで殺されそうな強者でも頑張ってるんだなー」と思って筋トレが捗る。

根暗でインドアなのでモチベーションが上がるとかじゃなくて、こんな人たちでも大変なんだから自分がしんどいのは当たり前(負荷全然違うけど)だし医療費かさむより絶対安上がりだからやっとこ、という程度だけどその域に持っていくのも一苦労なのでその補助となってくれる番組に感謝している。

引き続き上手いこと続けられたら良いのだけれど。

 

3日連続で日記を書いてるの随分久しぶりな気がする。

 

またー。

アフリカから荷物が届いてまーす!

住んでいるマンションのエントランスがオートロックで、開錠した際に宅配ボックスに荷物が届いていると「宅配ボックスに荷物が届いてますー」とか言ってくれてマジそこまでして頂いて宜しいんですかって感じなんだけど、何故だか結構教えてくれない事もあって、その謎のムラっ気が滅茶苦茶人間臭い。

ていうか開錠時と入力した際に予測変換に開錠寺と出てきて「そんな寺あんの?」って調べたら無かった。何この時間。微妙に騙された気分。

基本的に擬人化というか機械が心を持つみたいな設定が好きな方(歴代のiPodにそれぞれ名前をつけてシャッフル機能使用時に選曲について心の中で逐一語り掛けていた)なので、気持ちに余裕がある時に教えてくれなかったりすると「今日は嫌な事でもあったのか、それとも僕が気にさわる事をしでかしたのかな…」とか思うんだけど、何故そんな微妙な差があるのか解らない。気持ちに余裕がない時に教えて貰えないと普通にちょっとムッとする。贅沢でごめん。

推測としては設置された宅配ボックスの利用率が満杯に近付くと次が入れられなくて困るから教えてくれる様に設計されてるんじゃないか、というものなんだけど、ある程度埋まるまでは言わなくていっかーみたいなの自分でも経験があるから余計に感情移入してしまう。そういう仕組みかどうか定かでないのに既にキャラ付けして感情移入してしまう。

絶対この子(エントランスのパネル)、人間だったら外線の取次ぎとかあんまり好きじゃないから3コール目まで放置しがちで先輩にやんわり注意されたりするし、それがまたストレスになって昼ごはんにビックマックのセット食べてイヤホンしてソシャゲとかやってるし、ユニゾンスクエアガーデンとか10年くらいずっと好きだろうし、アラサーになっても変わらずオチケンのラジオを聴いているだろうし、休みの日は昼まで起きられなくて行きたかったライブのチケットの発売に乗り遅れてそうだなーとか考えてて本当に気持ち悪いな僕はと思った。

 

全部じゃなくても良いとは思うんだけど、読んだ本の感想はちょっとだけでも残しておいても良いんじゃないかと(去年のどこらへんかまではまとめて書き残してたけどぱったり辞めてしまった。まとめるのが面倒だったから)思ったのでたまには書く。

 

松本仁一さんの「アフリカ・レポート〜壊れる国、生きる人々〜」を読んだ。

2008年に出版された本なのでリアルタイムの情勢には触れられていないんだけど、アフリカの国々が独立した後、どういう経緯で政情不安だったり経済的困窮に陥っていったかが解りやすく、意図的にザックリと数例を挙げてまとめてくれてあって読みやすかった。

農業が権力者にとって利権的に旨味のない事業であることは想像に難くないんだけど、旱魃地帯でそれやっちゃうかーというのがスパッとやらかされてて、おぉ…となった。

そもそも植民地支配の影響で部族関係なく外野が国境を引いてしまっているのが人類の悪事TOP10に入ってきそうなレベルの大問題だと思うんだけど、独立後も部族の割合で不満の矛先逸らしたりしてる訳でここまで続くと植民地支配が根元としても別の問題もあるんじゃなかろうかと言いたくなる訳で、それをレイシストとか言われちゃうとその言葉に甘えてんの誰?って気持ちになってしまう。(僕自身の平和ボケもあるだろうけど)

興味深かったのはどの様にチャイナタウンが生まれるかについて記されているのと、新宿や心斎橋で見かけるナイジェリアなどから来た人たちがどの様な経緯と目的で日本へやって来たかについてが成る程なーと納得してしまった。勿論、この本に書かれている以外の経緯も山ほどあるだろうけど、一例すら考えてみなかった人生だったので勉強になった。

普段の生活では全然知り合うこともない国の人たちなので、どうしても身近な存在では無いアフリカの人たちでも、生まれた国によって価値観が違えど人間が求める暮らしの根っこにそこまでの差異は無いんだなと感じられたことが一番良かったかも知れない。

 

またー。