性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

30・40年後に向けたキャラ設定。

「さよならソルシエ」という漫画を読んでいて最終的に思ったのは、やっぱり大抵の人生は平凡で、人の人生をロマンチックにするのは周りの人間の羨望やら愛憎やら含めた、こうあってくれという願望なんじゃないかな、と。

こういう歴史に名を残すってどういう事なんだろうと考えるといつも、Perfumeのあ〜ちゃんがさんまのまんまに出ていた時に明石家さんまをテレビの中の人、歴史上の人物の様、と評した上で「(どう歴史の教科書に載るか)喋り続けて...一生を...終える?」と言っていたのを思い出す。
縁起でもない話ではあるけど、実際何十年かして彼が死んだ時にはこういう形で人達の中で伝説になるのだろうと思う。
芸人さんが話芸で伝説になる。内容はともかく実にロマンチックな気がする。

こういう事を考えてみると自分が誰かの中に残るだけの人望やらズバ抜けてインパクトかつキャッチーなセールスポイントがあるのかどうかは別にして、どう残るのかなどを妄想してしまう。
根暗を拗らせて「誰にも触れられず消えたい」などとTwitterで書いてしまう人もいるにはいるけれど、それに近い気質を持っているだけにその通りになるのを望んでいるならばそんな事を人に話したりしないだろと思う訳で、結局自虐思考も自己陶酔の一種なんだから最終的に誰も誰一人記憶に残らない人生を送りたいなんて考えてる人間はいないんじゃないかという結論に行き着く。
あれ?何これ?いきなり何言い出してんの?大丈夫?酔ってる?自分に?うん、まぁ酔ってる。自分くらい自分に酔ってなきゃ生きて行けないだろうが!
ナルシズムは人間の全ての根源。人間なんだから徳を積んだ高僧だろうが何だろうが自己陶酔からは逃れられない。
僕は小説なんかに出てくる人格者として知られる太った高僧なんかが穢れを浄化した存在ですって感じに高説垂れるシーンが大好き。その腹の肉と肌ツヤに全てが凝縮されてる。

そんな訳で源流に戻れないくらい流れてしまって歴史から記憶にトーンダウンし切ってるけれど、凡人の歴史なぞ記憶に依るしかないのでこのまま続きを書く。
基本守備表示の主人公はどんな風に記憶に残って行くんだろうか。
「あ、目立たない人だったね」
ベースは間違いなくこれだ。
例えばヤンキー母校に帰るとマイナスからプラスにストップ高の勢いで振り切れるけれど、基本守備表示で日々誰にも迷惑をかけまいと慎ましく生活してきた人間にはそもそもこういうドラマチックさがない。
街一番の不良が実は子供に優しかった、とかそういうキャッチーさがない。
殺人犯が牧師になりましたというインパクトもない。
毎日電車で通勤し、電気代の引き落としすら滞る事を恐れる人生送ってりゃそうなるわ、という感じだけど大半の人はむしろそっちに寄ってるハズ。
世間的にはヤンキー母校系の方が評価されている様な気がするけれど、実際は違う気がする。後者が好きだ。
僕の父は健在で、まだ随分頑張って欲しいのでこういう話題に挙げたくはないが、正にそういう人だ。
何か際立ったポイントはないけれど、母と協力して子供二人が片付くまで頑張り、今は孫の相手をしていたりする。
そんな父を僕は尊敬している。父の日じゃないから何もあげないし今から電話して感謝を述べる気は微塵もないが。

じゃあもう、それで十分じゃないかと言えばそうではなく。
何て言うか人様に迷惑掛けずに生きようをモットーとし過ぎて「目立たない人だったね」だけで葬式の席の会話が終わるのが耐えられない。
話題を。話題をもう2、3提供したい。
しかし死人に口無しなので、今からそういう事を考えたキャラ作りが必要な気がする。
幸いにも何故か奇抜なフレームを採用したことも無いのに安定したメガネキャラで通っているので(私の個性、薄すぎ...?)このままメガネを貫くのが手っ取り早く、またメガネで何かするのが最善である気がするので、度数も落ち着いてきた昨今、メガネの多数買いを決行してより強固にするのが一番簡単だな、などと考えている。
自炊生活も長いので、ここらで保存食作りに手を出すのもキャッチーさがあって良いかも知れない。
そんな感じで無理の無い範囲で話題を提供出来る土台作りを50歳くらいから頑張りたいと企んでいる。
鬼が笑うとはこの事なんだろうか。辞書貸して下さい。

まぁ、万が一このBlog癖が続いて老衰でこの世を去ったら「Blogが五月蝿い人だったね」なんだろうけど。

・追記・
そう言えば、このBlogの開設要因になった人には無言リムーブ喰らいましたありがとうございます!


本日の漫画
さよならソルシエ/穂積
炎の画家ゴッホはこうして作られた、という設定の話。
愛と憎しみは表裏一体。