性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

思いついた事を思いついた順に書く。

オシャレなお店にハンバーガー食べに行ったら、コーラが売り切れていた。バリバリのランチタイムにコーラが売り切れるとかアメリカかよ、ていうかアメリカですらそうそうお目にかかれないイベントな気がしてオレンジジュースを注文したらそれも売り切れていた。
どんだけ飲み物人気なんだよ。ここは砂漠か。ハンバーガーは美味しかった。
コーラが無いハンバーガーのパフォーマンスには若干の不安があるものの、そこをピシッと締める本格派のお店であった。でも、コーラが売り切れるハンバーガー屋は個人的な感覚からソワソワしてしまうのできっと再訪する事は無いと思う。ふらふら歩いて結果的に花見をした。桜の歌で何を一番思い出すだろうかと考えていたらまさかの175Rが先頭を駆けてきて「え!お前いたの!?」という気分になった。

この歳になって冠婚葬祭以外で友人の親に会うというイベントはどうにも稀で、実家住まいの人の家に行くというイベントは社会人になってから経験すらしていなかった。
それが久し振りに巡って来たので、恋人の親に会いに行くくらいのハードルの高さに感じられ変な緊張感があった。
何を着て行けばいいんだろう、と彼ママに初めて会うのヤフー知恵袋に相談だ、いや発言小町お前じゃねえ。
そうそうアバンギャルドな服もパンキッシュな服も持ってないので何着ても平気なんだろうけど、とりあえず襟付きのシャツを着ていれば何とかなると思っている節があってシャツを着ていった。襟は偉い。来世では女子に生まれて襟と名付けられたい。嘘だけど。
ちなみにウチの母親は彼女(現奥さん)にフェリシモのよくわからない物をプレゼントしていて気遣いの方向性が明後日過ぎて何のコメントも出来なかった。実母がまさかのナックルボーラー。メジャーを目指して渡米。夢に、ひたむき。
友人のお母様はウチの母親に比べて非常にしっかりした方で本当にお世話になってしまって、という感じだった。
楽しい時間をありがとうございました。

それにしても幼少期にシールを自由に貼って良い、という教育方針は偉大だと思う。
何故なら、そこで培われた美的感覚というか、シールが貼られる事によって生まれる空間、シールを光と捉えるなら隙間は影、そのコントラストを愛でる技術は生花に近いのではと思うからである。その感性を幼い頃から自由に育てあげるとどうなるか。
大学生が持っているプラスチックのケースやスーツケースにオシャレに貼る事が出来るイカした子供が爆誕するのではないか、僕はそう睨んでいる。
大学生になると何故か持ちたくなるプラスチックのケース。全然中身が入らない上に安っぽいただ持ち手がついたプラスチックケースが異常に持ちたくなり購入し、ステッカーを貼ってあまりのセンスの無さに持ち歩くのをやめた。
スーツケースのそれもイマイチ魅力を引き出すに至らず、後悔はしていないけれど自分への失望みたいなものが残った。
そして、これは幼少時にシール遊びをせずに育ってしまった反動ではないかという結論に達した訳なんですね。
うちの場合は禁止されていたんじゃなく、僕自身が慎重派と言う名のケチだったのもあって貼って良かったシールを大事にし続けてしまった故に招いた事態だと思われ、誰も責められない。
シールは貼る為に生まれたんだよ。
ホラ、接着剤の力強い粘着力を君も確かに感じるだろう。
シールは君をずっとずっと待ってる。
さぁ、怖がらないで。
シール、貼ろうね!とあの頃の僕に言ってあげたいからタイムマシンを早くくれ。TOYOTAかHONDAか。それともKAWASAKIか。まさかのHINOか。確かに重力も2tはありそうだし。
この仮説が正しければ、そこを変えれば大学生の僕はELLEGARDENBUMP OF CHICKENのステッカーを貼り付けたプラスチックのケースを颯爽と持ち歩いているに違いない。颯爽と。うん、プラスチックケース自体がダサい気がするのでやっぱり今の無しで。

新入社員の研修の為の資料を作っていて、普段楽しく読んでる文章から貰ったものがまるで活かされておらず凹んだ。
スポンジみたいに吸収してるけど、その都度ちゃんとしぼっているんだと思う。ビショビショだとホラ、雑菌繁殖しちゃいますからね。使っているのは勿論、除菌も出来るJOY。
そんな訳で無能極まりない律儀さだと我ながら思うし、読み方的に活かす事を前提にしていない、場当たり的に楽しみを貰ってわっはっは的な感じなのでそろそろ見直さないとな、と反省した。
読書法を説く本という存在意義みたいなのが微塵も理解出来ていなかったんだけど、こういう事かと身に染みた次第。

またー。