性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

カラオケMVの登場人物の幸せを願う会。

カラオケのMVというかイメージビデオって結構同じ素材を使いまわしたりしてると思うんだけど、そうなってくると曲や歌詞の世界観で同じ俳優さんの同じ映像が色んな曲に登場する訳で、カラオケで同じ機種を使い続けると、毎朝決まった時間の決まった車両に乗って通勤すると生まれる名前も知らず会話もしない顔見知りという関係に似た存在になってくる。

僕は普段DAMという機種しか置いていないカラオケ店を居心地一択で利用しており、毎回同じ曲を歌う事に一切の抵抗が無く(しかも一切の上達を見せないというオマケ付き)、先述の顔見知り感覚を非常に強く覚えるに至っている。

流石にカラオケのイメージビデオも立派に権利の世界であるので写真掲載は控えるけれど、例えば茶色に白いラインの入ったペラペラのvansのパチモンみたいな靴を履いて宗教勧誘感すら漂う朗らかな表情で無闇矢鱈と街を駆け回ったりベンチに座ったりしている黒短髪塩顔の男性だったり、ちょっと目を離すとすぐにKEEP OUTのテープの向こう側でキメ顔しながら手をぬ〜べ〜みたいに掲げる峰倉かずやも真っ青なカップルだったり、晴れの日に水玉のレインコートを着てポリゴンショックみたいな部屋に住んでいる女性などが僕にとっての「顔見知り感ある対象」として挙げられる。

かなり際どい、親兄弟なら心配のあまり泣きながら止めたくなる様な振る舞いを毎度毎度繰り返し見せて頂いており、余りにパーソナルな部分に触れてしまっている気がして申し訳なくなってくる。

感情移入の方法が間違っているという自覚はあるが、実際そうなのだから仕方がない。カラオケのイメージビデオというのはどうしても低予算でダサく、素人感が拭えないキャストでドラマもザルではあるが、それが本当に日常に、自分の生活圏に全員居ても不思議じゃないという親近感を与える。

トルコの塩を振るシェフは身近にいないけど、吉野家の店員さんは生活圏に沢山いて身近な存在であるのと同じである。前者は物珍しさも伴いイイネ押せるけど後者は当たり前に居てくれるのでスルーしがち、というか。うん、かなり無理がある上に繋がりが弱めな例えだって解ってる。大丈夫、自分でも解ってるから。友達ってだけで全然ジャンル違いのブログを相互リンクしてるくらいの弱々しさである。あああ無理だ、どんどん無理の上塗りが成されていく。我ながらどうか落ち着いて欲しい。

そんな魅惑のイメージビデオ界隈であるが、僕が好んで歌う曲に出演する役者さんの中でも一番強烈で、カラオケに行ったら絶対この人だけは拝んで帰らねばならないとついつい意気込んでしまう俳優さんがいるので彼についても書いておきたい。

彼はGRAPEVINEの「想うということ」やTHE NOVEMBERS「最近あなたの暮らしはどう」、Syrup16gの何らかの楽曲で登場する事のある(意外と複数パターンあり切り替わる気もするので若干濁している)ハイキングウォーキング鈴木Q太郎さんに似たロングヘアーの男性である。

この男性、結構派手なダサいシャツに結構ボロボロの和室タイプのアパートに住み、結構昭和感漂う女性と結構貧乏ながら幸せにお付き合いしていたハズが結構ガッツリと失恋してしまい、結構その喪失感が足腰にきてしまい、結構ヤバい感じで草むらにへたり込んでしまったりしてる。結構、結構、結構。

それを観て毎回「頑張れ!しっかり!俺がついてるぞ!」みたいな気持ちになり、ついつい応援上映状態に陥ってしまうのである。

劇中で公園デート(お洒落な公園ではなく児童公園なのもポイントが高い)の際に逆上がりを彼女に教えるという演出があり、そこで派手なシャツから覗く肌の質感がどうにも圧倒的におっさんで物語以上に何らかの精神的ダメージをこちらに強いてくる。何度観ても受け止めきれない。

そして勿論展開はいくら応援しようがバッドエンド一択。

これまで述べた通り、喪失感という重々しいテーマが全編に渡り横たわる映像作品なのであるが、どうしてもダサいし取り敢えず髪の毛切れよ、ていうかさだまさしもタオル投げるくらいベタな昭和デートっぷり誰に習ったんだよソレ、という気持ちが湯水の様に湧いて来て変な親近感を煽る。結果、段々身近に感じてきてしまい応援したくなるのでカラオケに行くと気分でもないのに彼が出て来そうな楽曲を歌ってしまうのである。

 

さて、ここまで勢いで書いてきたものの、どうこの話を締めたら良いのか全く解らない。まとまってる気も微塵もしないので読み返すことすら苦痛で放棄しようとしている。

この親近感の抱き方は人に薦められるものではないだろうし、そもそもそれを目当てにカラオケに行くという構図もおかしな話。

あるあるネタとしてまとめるにも残念ながら肝心のあるある度が低い気がする。違う機種を利用する人にすら通じないのだから話題としての強度が元から低すぎたのである。

まーそんな感じで困ってしまうのだけれど、今これを読み進めている人はきっともっと困っているだろう。本当に申し訳ない。

なので、カラオケは大きな声を出せるだけではなく、そういった楽しみが見つかるかも知れない素敵な遊びであるという辺りに不時着させたい。あとは各々上手く処理して欲しい。ここまで読んでしまったあなたには、きっと、その力があるハズだから。

 

またー。