性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

場所と食べ物の相関性は寝落ちと悪夢のソレに近いみたいな。

場所と食べ物が結びついているという経験があるだろうか。

僕は人よりも食い意地が張っているという自負があるので結構あるんだけれど、周囲にそういう人がおらず寂しいばかりであるし、何かそういうの通り越して自分の単純さとか卑しさみたいなものの表れなんじゃないかと心配になることもある。

例えば野球を観に球場へ行くと唐揚げとポテトとビールが欲しくなるし、祖母の家に行くとコンビニに行きたくなるし、髪を切りに行くとビックリマンチョコが食べたくなる。

球場の例はまあ売店や売り子さんが売っているので伝わりやすいが、他は繋がりが人には解りにくい。

祖母の家に行くとコンビニに行きたくなるのは幼少期、祖母が都会に住んでおり交差点の4つ角のうち3つがコンビニであり、遊びに行く度にそのうちのどこかに連れていって貰ったからである。当時自分が住んでいた家も田舎では無かったが最寄りは山崎パン兼駄菓子屋みたいなお店であり、コンビニという無機質で最先端な存在に強い憧れがあったものと思われる。

髪を切りに行くとビックリマンチョコが食べたくなるというのは、幼少期に親に連れていかれた床屋が家族ぐるみでビックリマンシールをコレクションしており、食べきれないビックリマンチョコを梅酒を漬ける様な大きな瓶に目一杯詰めて客が自由に食べられる様にしていた事に起因する。シールに一切興味がないけれど食い意地が非常に張った子供だったので髪を切る為にというか食べたくなると伸びてもないのに髪を切りたいとせがんで親を困惑させた記憶がある。普通にスーパーとかで買って貰うという選択肢が浮かばなかったのはその店でしか食べられないものだと思い込んでいたのか、それとも買ってもらえないと思い込んでいたのかが思い出せないものの、今でも髪を切るとビックリマンチョコが食べたくなるという刷り込みだけが残った次第である。

因みにビックリマンには全然興味もないのだけれど凄く強い老人(ゼウス?)がとても苦手だったことをよく覚えている。自分の祖父母は腰が痛いだの動きが緩慢だったりするというのにこの老人は随分強いらしい、きっと世の中のお爺ちゃんお婆ちゃんのエネルギーを吸ってその機敏さを得ているのだ的な妄想でもって苦手であった。

よく考えられた設定ではあるものの、思い込みや言い掛かり以前に2次元と3次元を混同している残念感が実に子供らしい。

話が逸れている気もするので戻すけれど、そんな感じで何かをする時やどこかに行った時に今でも特定のものを食べたくなったり飲みたくなったりする癖が続いている。

大人になるとその辺には折り合いがつく、みたいな事を言われたのでまだ子供なんだと思いたいが、流石に子供を名乗るには無理しかない年齢の為どうすべきか、とこれを書いている今もボンヤリ考えている。

結論は出ていない。

 

それはそうと、「仕事で徹夜する」という悪夢をみて寝落ちから目覚め、げんなりしながらも深夜に家事をこなし、無事片付けて寝ようとする、という夢をみて寝落ちから目覚めた。

ややこしい言い方なので簡単に言い直すと「夢の中で夢をみていた」という事だと思うんだけど、実際の寝落ちから目覚めた瞬間は「家事までしたのにまた寝落ちしてしまったのか」というレベルの軽い自己嫌悪だったものの、実際家事をしていたのも夢の中の話であり食器も洗濯物もそのままであることに気付いてからは本格的に落ち込んで半泣きになりながら深夜に家事をした。春だというのに深夜の水はまだまだ冷たかった。

僕の直近の寝落ち悪夢コレクションとしては「猫を触るのが有罪の世界で懲役2年の判決を受ける」というものや「駅で揚げ過ぎて茶色になってしまったカリカリのゴボウみたいなEXILE系のウェイに絡まれて豚肉が好きという事をギタギタに否定される」というもの、「友人が所有しているAVを全て預かってくれと言われて承諾したら友人が入院して病死した」というものなどがある。実際は猫に触っても投獄されないし、豚肉が好きだからと言って責められる国ではないし、友人はAVを預けてこないし健在である。

この様に、寝落ちしてみる夢において悪夢である確率が割と高い気がしている。身体もさして休まらず、心もさして癒されない。寝落ちのダメージの深刻さを知りながらも人は寝落ちてしまう。

寝落ちる瞬間の心地よさには恐らく中毒性がある。

皆さんも寝転んでこんなよくわからない日記を読んでないでさっさと風呂入って歯を磨いて寝て欲しい。寝落ちしない為に。(と寝転んでこれを書いている)

 

またー。