性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

カンボジアに行った話。

カンボジアを旅行した。

 

呆れるほど長い(まあ有難いので文句を言うつもりはないけれど)連休の前半を賭して人生二度目の海外旅行。

まさかのカンボジア、まさかの遺跡群である。

東南アジアの食べ物と治安、そして何より狂犬病のリスクに自分は耐えられるのだろうかと不安になる余り、ウルトラCの噛まれ方をして狂犬病リスクを抱えた筆者のブログを探し当てたり、日本人スタッフが在籍している病院の場所や診療時間を調べたり、野犬に襲われた時の動作をイメージトレーニングするなどに手間を掛けてしまい、肝心のカンボジアの売りである遺跡群の知識ついてはノーマークとなってしまった。

その上、出発前日の夜は金曜ロードショーで「名探偵コナン零の執行人」を観ながら安室のオンナをしていたせいで準備がギリギリまで終わらなかった。

マジ半端ないノーガード戦法である。

 

遺跡の歴史的浪漫を浴びる心積りが一切出来ていないで出国、ベトナムホーチミンを経由してカンボジア入りした。

到着したのは現地の夕方であり、空の色や空気の匂いが日本とまるで違った。

サッカー日本代表がアジア杯やW杯予選で東南アジアへ遠征して試合を行っている際の、テレビ中継で観る空の色そのものが広がっていて、完全に失礼なんだけどカメラの性能が悪いからあんな色になっていると思い込んでいたので衝撃だった。皆さん、あの色の空はね、実在するんですよ。

カンボジアは、とにかく暑かった。

元々一番暑い時期に行ったというのもあるんだけど40度を超えるような、そして湿度も中々高い環境だったので先述したサッカー選手たちが如何に凄いかを思い知る毎日だった。


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カンボジアの主な移動手段はトゥクトゥクで、行き先を告げ、値段を交渉して口約束で成立させてから乗る。普通に倍額くらいを吹っかけられるので、最初は丁寧に値下げ交渉していたけれど面倒になり「お前、地元民でもその値段言えんの?」という半ギレ状態で「は?5ドル?3!3ドル!」と金額しか話さなくなっていった。相手もそっちの方が楽そうだったけれど、自然と値段交渉役に落ち着いてしまい、メンチを切るのが異常に上手くなった自分に滋賀のイオンモールでイキっている中学生を重ねて異国の地で切ない気持ちになった。(因みにカンボジアで最高のデートスポット兼便利スポットはイオンだとガイドさんが教えてくれた。カンボジアは滋賀なのかも知れない。)

トゥクトゥクという乗り物はカンボジアの交通マナーのマッドマックスっぷりと砂塵の凄まじさでもってただの移動をアトラクションに変えてしまう素晴らしい乗り物で同行者も皆虜になっていた様に思う。

トゥクトゥクに限らずバイクも含めてノーヘルは当たり前、電話しながらも当たり前、乗れるだけ乗るのも当たり前という感じで制服姿の子供がノーヘルで三人乗りし、一番後ろの子がスマホでゲームをしているという光景に感動すらしてしまった。ヤバ過ぎる。

基本的に車間距離が死を意識するくらい狭かったり、割り込み方や曲がり方が無茶苦茶で、何に対して鳴らしているのか解らないクラクションで現地の人たちは確実にコミュニケーションをとっていた。(たまたま飛行機の中でラリーを題材にした東出昌大新田真剣佑の映画を観ていて先のコーナーを予測して先に曲がるという仕組みが披露されており、そのクラクション版かなーなどと考えていた)

トゥクトゥクに初めて乗った時、町の一角で停電が起こって真っ暗になったというのに何のリアクションも見せずスピードを落とさず走り続けるトゥクトゥクに遺書を書いてくれば良かったと思ったものだけれど、最終的にはチャンスがあれば乗りたいという気持ちになっていた。

ツアーガイドさんが手配してくれた観光向きのトゥクトゥクよりもその辺にたむろしている野良のトゥクトゥクの方が運転が荒くてアトラクション向きで楽しかった。


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街並みはというと、遺跡より高い建物が建てられない規制があるので京都や奈良に近い高低感だった。道路の状況は悪く、バスがバウンドしまくって尻が若干腫れるというスパンキング仕様のアトラクションであった。

あとは道端という道端がゴミ捨て場みたいになっていて、綺麗な歩道というものが街中には存在しなかった。街中を移動しているとゴミの匂いが常にするという感じ。自分からすると非日常的だから良いけれど、現地の人たちは気にならないんだろうか。最後まで聞けなかった。

 

カンボジアの食べ物は基本的に唐辛子ではなく胡椒と香草を濃縮した辛さがあり、それが毎食続くと段々食欲が湧かなくなっていった。

味はかなり日本人好みだと思うのだけれど、やはり根本的に食べ慣れていないのだなと痛感した。あと硬いくらいに火が通り過ぎていたにも関わらず、川魚の揚げ焼きでお腹を壊してしまい人生で初めて正露丸のお世話になった。正露丸は凄い。効果も匂いも凄い。

帰国して丸2日経つこれを書いている今では腹痛は無いのに未だに便が水の様なのでそろそろ病院に行かなければいけないのではと思い始めている。氷や水や生野菜、フルーツに物凄く警戒していたのにまさかガッツリ火が通った料理にオーバーキル食うとは予想外だった。

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僕のお腹を破壊した川魚。憎い。味はサバっぽくて美味しかった。

 

カンボジアのお土産事情は単純で、ナイトマーケットに行けば空港やホテルより格安で同じものが買える。Tシャツなら2着で9ドルとかその辺。

日本語がバリバリ通じる店は随分と高くふっかけてくるので電卓を使って頑張って値切る。Tシャツとバックで50ドルと言われたのを20ドルまで値切った際には僕も店員も半ギレを通り越していたと思う。「あっちの店なら同じTシャツ二着で9ドルだった」と言えば「ウチの方が質が良い」と意味不明なことを言うので「ここにH&MのタグついたTシャツがあるけどじゃあこれ幾らなんだよ!」って聞いてやろうかと思ったけど面倒なのでやめた。絶対日本で買った方が安い値段を言われるのは目に見えている。

このアトラクション的な経験にお金を払うと思えば良いとも思っているので他店より高くても早めに折れて購入するなどした。(ぶっ飛んだ友人が相手の言い値で購入してあげていて仏かよと爆笑した。観光客の鏡だよアンタ)

シルクと胡椒、銀細工などがポピュラーなお土産だと思う。胡椒は本当に美味しくて料理が好きな人なんかにはマストな逸品だと思った。あと観光地特有のダサいTシャツは星の数ほどあるのでそういうのが好きな人にもたまんなく良い国だと思う。

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現地に生まれ育たないと食べられないだろうな…という食材の売り方がなんとも良い雰囲気だった。

 

何故順番的にこれが最後にくるのか解らないけれど、観光自体にも触れておきたいと思う。

とは言えこんなブログで歴史的背景なんかを言及してもあまり意味がないのでサラっと書きたい。

カンボジアで観光と言えばやはりアンコールワットを筆頭とした遺跡群であり、その最大の魅力は何と言っても石である。

石がこれでもかという次元でてんこ盛りであった。

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石を積んで、組んで、その表面に壁画を掘る。建築としてあまりに重厚過ぎる構造でもって馬鹿デカい遺跡があちこちに存在するということに物凄くテンションがアガり、写真を無限に撮ってしまうのだけれど全部石で全部茶色いので特別個性が強くない限りは見返した時点でどこの遺跡の写真なのか解らなくなってしまう。

一日に何箇所も見学出来る贅沢な密集具合なのもあって、貪欲に数を沢山見学するのも重なって境界線がどんどん曖昧になり、石の重厚感と壮大さに魅入られて最終的に若干キマっているかのようなラリっぷりに到達してしまう。石は重くて硬くて最高。石は宇宙とか言い出す。

ツアーを担当してくれた現地ガイドさんが本当に超当たりで説明が解りやすくて面白かったので宗教観だったり壁画の物語がバンバン頭に入ってきて楽しかった。親戚のおっさんに顔が似ていた。

このガイドさんじゃなかったら早々に暑さにダウンしてただスケジュールを消化するという旅になっていた可能性があるくらい雲泥の差だったと思う。僕らは本当に幸運だった。

本当はもっと色々書くべきなんだけど3000文字をとっくに超えてしまっていて指が疲れてきた(フリック入力で書いている)のでこの辺にしたい。

ポルポトや内戦についても見て回りたかったけれど、遺跡徹底攻略ツアーだったのもあり、最終日にキリングフィールドに立ち寄っただけとなってしまった。そこは残念だった。

 

カンボジアに行って良かったかと問われると「超良かった」と答えたいけれど、食事の仕方を現地料理に偏らない様に工夫する様にはアドバイスしたいとは思う。

またいつか行く事があるかも知れない。

その時、カンボジアはどんな国になっているんだろうなー。日本も。

帰りの乗り継ぎで立ち寄ったホーチミンで日本の改元の瞬間を迎えた。眠過ぎたから特に何も感慨とか湧かなかったけれど、良い時代になるといいなとは思った。

 

とりあえずそんな事よりカンボジアで痛めたこのお腹を治さなければ。

 

またー。