性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

諸子百家のグッズで各哲学家ごとにテーマカラーあったら老子は何色なんだろう、みたいな日記。

徳って何なんだろう、大阪に生まれ落ちた因果か単に努力が及ばないのか得しか知らねえ、となる。

定期的に「わかりやすい哲学史」みたいなもので閉ざされたドアの向こうに新しい何かが待っていて状態になりながらも最近ミスチル何してんのかなぁとか思いながらノックは控えめ、終わりなき旅は日帰り、西洋哲学史は横文字で目が滑り、東洋哲学史サイゼリヤの間違い探しか大家族みたいに名前が似通っていて頭に入りきらず、どっから手をつけようかなぁと思っているうちに漫画やアニメや小説にハマってしまって後回しになってしまう。

いつでもドンと存在して意義が失われない学問(学問として触れてはないけど)という安心感とその割にその服良い柄だね〜って近寄っていったらストライプじゃなくてビッシリと「論語と算盤」が小さな文字で書かれていてヒッ!渋沢栄一のオタク!!?となってしまう取っ付きにくさがあってどう接して良いか解らない。

単純に自分がそこまで必要としてない状態にあるとも取れるんだけど、必要になった時に初めて触れても宗教的に扱ってしまいそうであんま意味がない様に思え、とりあえず向いてそうな道家から入ろうと思っている。

道家と言えば老子老子と言えば太上老君だから、藤崎竜先生の封神演義太上老君が割と好きだったのもあって身近であるし、普段バチバチの社会で帝王学かよ、兵法かよ、みたいな勝つ為には!という生活を大なり小なり向いてないなぁと思いながらしてるから、それと真逆の緩い(と見えてしまう)道家は自分の素に近い気がしている。怠惰スーツに憧れてるし、ゆるキャンとか流行ったし。(ゆるキャン道家の流れを汲んでいるかは知らない)

ただ、そうなった時に徳って何なんだろう、みたいなことを考えると頭の「得しか知らねえ」という自虐に至る訳ですよ。ややこしいな。(自分が)

まあ知らない訳ないんだけども、自分の世界できちんと何を指すのかというのを言語化出来るようにしとくくらいまでは今回行けたら良いなぁと思ってここに戒めの様に書いておく。

あまり読み返さない方なので意味が無さそうな気がするけど、年度末とかには仕事の振り返りしなきゃ!という現実からの逃避として読み返したりするので、その時の自分へのメッセージとして残しておきたい。お前、この頃また哲学に手を出そうとしてたんだよ、何か1つでも納得出来たの?と。

 

それはそうと、珍しいことをすると雪が降るんじゃね?みたいなやつあると思うんだけど、最近それが我が身に起こったので書いておきたい。

たまたまTwitterをボンヤリとスクロールしまくってたら、誰かがRTしていたツイートで保護猫活動をされている人たちの報告書みたいなのを見つけて暇だし読んでみようと開いたら中々大変な現場に挑まれており、自粛生活で飲み代浮いてるし何か役に立てないかなーと思って公開されてたAmazonの欲しいものリストで物資を支援した。

災害の時に募金はしたことがあったけど、こういう形で額と言える額を支援したのは初めてだったので「珍しいことしちゃったなー雪でも降らなきゃいいけど」と思っていたら眼鏡を踏ん付けて壊してしまった。

普段は置かないところに置いて、普段は落ちないのに寝相が悪く眼鏡の真上に落ちてしまった。

壊れたメガネをみて「雪、降ったわ」と思った。

支援は微塵も後悔してないけど、珍しいことをした代償(単にドジなだけだが)として眼鏡を新調するために2万円程度の出費となり、連休を挟むので納期も当然長くなり、不便な日々を過ごしている。

2万円も散財する予定は無かったので、支援と合わせると結局赤字である。自粛期間じゃなかったら大赤字だろうから全然マシなんだけど。

珍しいことをすると無意識に刺激を受けてて色々変化するのかなー。ソワソワするというか。などと考えたりして、壊れた原因である自分の怠惰な行動を反省するのを先送りにするなどした。棚卸しより棚上げの方が楽なんである。

そんな中、わざわざ保護猫団体さんがお礼の葉書を送ってくれて、切手代は猫ちゃんに使ってくれたらいいのにと思いながらも、たまにでも続ければ珍しい事でも無くなるかという気になれた。

筋トレが継続出来てるんだから、猫のためにお金を払うくらいは続けられそうな気がしている。

あとは無事に眼鏡が出来上がりますように…。

 

久々に普通の日記が書けた気がする。

 

またー。