性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

ウォシュレット仕事術。

自宅のトイレは元々ウォシュレットが装備されてて、初めて対面した時には「標準装備ってやつか俺も成り上がったモンだぜ」と思ったものなんだけれど、今日では大学生が住むワンルームマンションにすら標準装備されてる事も多いそうで、特段ステップアップした訳じゃないんだなと思うとあの胸を張っていた自分は何だったんだろう…と遠い目をすると共に、周囲に言いふらしたりしなくて本当に良かったなぁ、イオンをデパートと勘違いしていた小学生の頃の自分と同じタイプの恥ずかしさを感じてしまう。子供でない現在の方が圧倒的に痛手であるのは、やはり社会におけるキャラクターというものが自分にもあって、そのイメージから逸脱することは避けたいというプライドによるものなのだろうか。

トップバリュー的に安いプライドである。

などと悲しい話をしたい訳じゃなく、そのウォシュレットは洗浄ボタンなどが壁掛けのリモコンに集約されているタイプで、本体と別であるが為に電池で稼働している。

これは利便性というよりも省エネを謳った家電業界が、人々の浮いたお金を徴収しようと電池式リモコンを率先して採用しているのではなかろうかとみみっちい邪推に至る訳であるが、もはや地理も積もれば論は馬鹿にならないほどにウォシュレットは普及している訳である。あながち間違いでは無いのでは、と僕は思っている。

それはそうと、そのウォシュレットのリモコンは電池が無くなってくると電池マークが点滅して取り替え時期ですよと知らせてくれる優れものである。

まあこれがなくてある日突然電池切れを起こし、それがシャワー洗浄稼働中だとしたら、お尻を洗う水を止める術が無くなるという地獄絵図。

即座に濡れたままの尻をあげ、コンマ数秒で便座の蓋を閉めることでシャワーの拡散を防ぎ、リモコンを片手に電池を探しに走るという展開もあり得るので、電池切れを知らせるサインがあるというのは良心的であると言える。(やったことは無いけど、便座から腰を浮かしたら重みでセンサーが反応して水が止まるのではないか、という安全設計が成されているのではないか、僕なんかより100倍賢い人たちが作ってるんだからとも思っているが、まだその信用に根拠が無いので何とも言えない)

最初こそサインが出たらすぐに電池を取り替えていたものの、慣れてくると「まだいけんじゃね?」という気持ちで少しずつ取り替えるのが遅くなるのは怠惰な人間の常。段々と点滅し始めてから取り替えるまでの期間が延び、最初は1週間、次は半月と放置を繰り返し、まだいけるな、え?まだいけるの?と引き延ばしを続けた結果、今回は点滅し始めてから丸3ヶ月が経とうとしている。

電池側からすれば「こんだけ知らせてるんだから早く交換しろよ、そろそろキレんぞ(バッテリーが)」だと思うんだけど、こちらからするとチキンレース的なスリルと同時に「え?こんな保つ癖に3ヶ月前から交換しろって煩かった訳?(無音だけど)」という気持ちになってしまっていて、3ヶ月経った今もその電池交換を呼びかけるランプの点滅に「どうせまだいけるんでしょ」と半信半疑になってしまっている。

完全にウォシュレットと僕の心がすれ違ってる。ワンチーム、ワンチームと昨年度の飲み会の度に繰り返していたラグビーのルールも知らないおっさん達くらい足並みが揃っていない。どうでも良いけどあいつらどこ行ったんだろうね?今は何を同じ口で言ってんだろう。在宅で干からびてるのかな。知らんけど。

ただ、冷静に考えるとウォシュレットの方が正しいのである。

先日、何故だか眠れない夜、ベッドに横になり、真っ暗な部屋の天井を延々と見つめながらずっとウォシュレットの電池が全然切れないということを考えていたのだけれど、余裕を持ってエネルギーが切れるよ、と呼びかけるウォシュレットの姿勢を自分も、ひいては社会全体が見習うべきではないのか、という結論に至った。

ウォシュレットが正しい。(凄い日本語)

世の中のギスギスした感じは、余裕のなさが根源であり、自分に余裕がない分、人にもそうであって欲しいという心の弱い願望が生み出しているのではないか。

時として全力を出すことは大切だけれど、無闇矢鱈と代償もなく全力を求められる世の中に応え続けては疲弊してしまう。そんな社会の仕組み、皆の認識を変えることは個人では難しい。

だとすれば、ウォシュレットの様に早めに「限界でーす」と言っておく方が良いのではないか、と言う事である。別に手を抜くという事ではない。ウォシュレットが手を抜いたことがあるだろうか。

お願いした通りの水圧、水温で、お願いした分だけ送風するし、お願いしただけの水量で汚物を流す。ウォシュレットは自分の仕事に手を抜かない。

そう、手を抜くことと余裕を持つことは全く違うことなのである。

キチンと仕事はしますよ、でも平時はここまでを限界と仮定して仕事をしますよという姿勢である。

だからこそ踏ん張りどころでちゃんと頑張れる。

ウォシュレットが正しい。(2回目)

そう結論付けたあたりで、ようやく眠りについた。

そして、あまり覚えていないが紛争地帯で出前館みたいな派手なケースを背負って物資を届ける仕事をするという悪夢をみた。

ウォシュレットについて延々考えてしまうほどにこんがらがった思考で眠った結果、何の整理もつかなくなって悪夢をみたのだと思う。

大体怖くない?眠れない夜にウォシュレットのことを考えてる成人男性。事案だろ普通。

 

結局、見習おうとか言ってる癖に今も電池は替えていない。

ウォシュレットよ、これがな、社会という名の化け物の根源だよ。

まあ、これを投稿したら替えるけど。

流石にこのタイミングを逃したら切れるまで替えなさそうだし。

 

最近おかしな日記ばかりになってるので、そろそろ平常運転に戻りたい。

 

またー。