性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

進化した母。

ハッピーニューイヤー!!!と言うどころか寒中見舞いもそろそろ遅いのでは???と用意もしていない年賀状の返事のことを思い出しては狼狽え、その癖準備しない自業自得の気疲れにHPを削られ続ける毎日を過ごしているうちに1月も終わろうとしている。返事をしてなくても送ってきてくれた義理堅い嵐からの年賀状も途絶えた(それともウチだけ見切られた…?)2021年だというのに、未だに送ってくれる人がいるというのは恵まれているのかも知れない。出来るだけ早めに何かしら便りを返せたらと思ってはいる。(本当に。動いてないけど)

薄い毒に侵され続ける異常ステータス、この調子で毒に慣らしていけばキルアの様になれるのではないかと淡い期待を抱いている。足音を立てないで歩くことも心掛けようと思うのでどうにかなりませんかね?

それにしても、人間は1日に決断を下す度にエネルギーを消費していくので温存する為にもその場で解決出来る決断はしてしまおうという話を読んで「なるほどなぁ」となっていた癖に、仕事から外れた途端にガンガン先送りにする姿勢たるや相変わらず現金なものである。先送りにしよう、というのはまず先送りにする事でエネルギーを消費した挙句、未来でも改めて「やるぞ!」「やめよ!」もしくは「先送りにしよう」と決断する為に二重にエネルギーを消費する愚策であるので、出来る限りやめるべきなんだけど、それが出来てりゃこうはなってねえって話よ!ワハハ!(日本昔ばなしの山賊をイメージした笑い方)

 

年明けしてからずっと悪夢ばかり、「え?『ひぐらしのなく頃に業』の猫騙し編インスパイアですか?」くらいに連続で続くので「初夢こんなんでした日記」も書く気になれず、何か書けることはないかなーと探した結果、たまには親の話でも書いてみようかなと何故か思い至った為、そうしようと思う。

 

親が老いていくということについて、まぁそこそこ疎遠でも感じることが増えてきた。

先日も父が心筋梗塞で倒れ、連絡が入った頃には緊急手術が終わっていたという出来事があり、関わってくださった方々のお陰で無事に一命を取り留め、とりあえず入院の手続きもあるだろうし母だけだと大変だろうと駆け付けたら、その母に金額も聞かされず支払いの連帯保証人の欄に名前を書かされて「え?いや、払うって信じてるし、別にこっちに請求がきても払うけども、知りたいのは額なんですよね?」という悶々とした気持ちを打ち明ける暇も無く看護師さんの説明を受け、電車の時間がそろそろヤバいということで解散したんだけど、それ以降待てども待てども自分が幾らの連帯保証人になっているのか解らないでクリスマスは愚か年まで越してしまって絶賛今日に至っている。バレンタインデーに送られてくる請求書を想像してしまう。カカオ200%くらいのビターさで震える。濃さに歯とか抜けそう。

しかし「お金のことはちゃんとしよう」と教えて来られたのハズなのに、それを説いた親がやんのかい、という気もするが単純に母も気が動転していたのだろう。そして術後安心して忘れ去ってしまったんだと思う。親、鈍っていやしないか。採点が甘くなってはいやしないか。それが悪い事だと断じたい訳ではないけれど、単純に当社比したらそう感じた訳である。

後日、その父へ荷物を届けるついでに母とガラガラの喫茶店に入ってお昼ご飯を食べる機会があった、のだけど、母が喫茶店の定番ナポリタンを啜って食べており滅茶苦茶老いを感じてしまった。

フォークで巻いて食べることを教えてくれたし、小学生の頃は注意してきた母が啜ってパスタを食べている。やっぱり母、老いている!!!!と衝撃を受けた。最短距離を最速で歩いていくこの感じ、祖父母で感じていたものを思い出した。懐かしさ、そして若干の切なさ。

しかし、そのしんみりした空気を吹き飛ばすのもまた親なのである。

お会計のタイミングで母が急に「PayPayで支払いが出来ないかしら?」と言い出したのである。

テレビ番組の録画も出来ない母がPayPay払い出来るか自分に尋ねているという事実がうまく飲み込めず、「PayPayで支払いが出来るか聞いた?」とオウム返ししてしまう。オウム返ししながら「今、確かに母は僕にPayPayで支払いが出来るか聞いたはずである」と自分に対して復唱を行い、同時にレジ横に表示されている利用可能な支払い方法一覧にザッと目を通す。どうやらキャッシュレス決済はクレジットカードと交通系ICカードに限られているらしい。

「PayPayは使えないってさ、いいよ、これくらい出しとくから」と残念がる母を横目に会計を済ませた訳であるが、自分の母がPayPayで支払いが出来るというのが失礼ながら面白過ぎて、支払いする姿を見られなかったことがジワジワと、しかし確実にショックになってくる自分がいて、父への届け物を看護師さんにどう言って渡したかあまり覚えていなかった。

阿部寛のホームページくらい変わらないと思っていた母のデジタル方面が究極進化している。

変わらない事が世に受け入れられ好感度にひと役買っている為、アップグレードさせることを避ける戦術を取っている阿部寛のホームページの様に、そこにキャラクターを見出していたと思われる母がキャッシュレス対応に進化している。

ということは阿部寛のホームページも変わっているのでは?と逆説的(どこからの?)に思い至り、慌てて検索してみた結果、特に仕様変更もなく「変わってないんかい!」と強めに当たってしまった事をここにお詫びしたい。

 

兎も角、親も変わると思い知った年末年始であった。

病に倒れた父は父で大きな転換点を迎えている(職業選択とか)んだけれど、まあそっちは病という明確なキッカケがあるので特に驚きがないような気がしている。

頭文字Dの単行本を子供達に見つからない様に、エロ本みたいな隠し方をしていた程に車が好きなので、車を手放したり免許を返納したら流石に驚くだろうけども、それでもまだ想定のシナリオ内な訳で、キャッシュレス仕様の母と渡り合いたいのであれば是非とも予想外のカードを切って貰いたいものだなぁ、と口では「お大事」にと言いながらもそんな目で父親を見ている自分がいる。

遊戯王的に考えればマリク(母)にかなり追い込まれたシーンで次回に続く、という状況である。遊戯(父)のあっと驚く戦術を期待したい。

 

本年もそんな感じでボチボチ書けたらば。

 

またー。