性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

タカハシヒョウリ京都ワンマン。

自分が四歳とかの頃、家に8mmビデオのデッキがあって、父親がよく見せてくれてたのがウルトラマンの怪獣百科みたいなのを延々録画してる奴で、それがお気に入りだった。
それは毎回一体の怪獣をフィーチャーして、カタカタカタってキーボード叩いてプロフィールが紹介される1.2分の番組で、それをわざわざ録り溜めたやつで、僕はそのキーボード素早く叩くのマジかっけえな、と怪獣そっちのけでそっちにばっかり憧れてた。
父親は特撮の英才教育を僕に施そうとしてたんだと思う。寡黙な人だから絶対口を割らないけど、今になって考えるとそう思う。
そこで一回諦めて、僕が6歳の頃にスーパーファミコンっていう今の10代には最早馴染みもないハードが出て、その初期のソフトにウルトラマンとスーパーバトルドッヂボールっていうのが出てて、ゲームならハマるんじゃないかって父親の考えた末の策だったんだと思う。
それにハマった僕はゼットンが憎くて憎くて、それでいてミサイルで死ぬのかよお前的な。でも人間の手で、というか自分の手で仇を取ってやった感があってゼットンには何か一つ教わった気がする。今ではゼットンが一番好きな怪獣だ。
で、バトルドッヂボールは内野が当時最新だったウルトラマングレートに加えてタロウとセブンで、外野がウルトラマンだったんだけど、初代が外野って何だよっていう憤りが最初はあったんだけど、そのゲームは外野が強くなると凄い使えて無双状態になるので、後々そのウルトラマン外野設定が推せるようになる、という。
そこからトントン拍子で特撮オタクになると父親は思ったろうけど、忍たま乱太郎と富士見ファンタジア文庫に出会ったせいであっという間に脱線しちゃってごめんね。
でもその頃の経験値があるからオワリカラの特撮感が衝撃的だった訳で有難いね。たまには特撮の話でも降ってみるかな。

そんな事を考えながら聞いていた「宇宙人のバラッド」を歌うタカハシヒョウリのワンマン公演@ソーレカフェに行ってきました。
京都のバスはホントに筋トレになるくらい運転が荒くて凄い達成感がある。ドが付くメジャー路線に恐怖心を植え付けられていて京都でバスに乗る=命懸けみたいな気負いっぷりだったんだけど、荒さを除けば何てことない市民の脚だった。
しかし京都の夜は寒い。容赦がない所に潔さと美しさを感じてしまう。ツンデレっぽい。

ワンマンというだけあって本当に盛り沢山の曲とMC。
曲になる想い出は文化になる、というか。よくわかんないけどそんな事を感じながら話を聞いてた。
ブルーたちの楽曲はショートフィルム以外全部演って、それ以外はQ&A、ともだち、砂場、マーキュリー、最果てソング、ウルトラマンのテーマ、げんがく的な男、三途の星で甘いパンを買う、moon、さよならグランジボーイくらいだった気がする。多分。
「宇宙人のバラッド」と「僕だけのこの気持ち」の昔の自分と向き合わされる感覚のむず痒さと開放感と穏やかな気持ちになれる所が好き。
マーキュリーの美しさは弾き語りでも健在。涙腺にくるとんでもないラブソングだと思う。
最果てソングは弾き語りになると本当に日本語ロックの結晶みたいな曲で渋い。
さよならグランジボーイの前にカートに憧れていた、という話をしていて彼でもそういう高校生にありがちな道を歩んでいたのかと驚いたのと同時に、カートの伝記は僕も買ったけど彼と違うのは読んだら負けな気がすると速攻で友達にあげてしまった所で、読んでいたらまた何か違ったんだろうか、としみじみ思った。
弾き語りの新曲部門のげんがく的な男は何度聞いても泣ける。歌の主人公が死んでげんがく的な部分がこの世から消えていく様が泣ける。こういう部分は誰にも残さず消える事が微かな希望なのだと思う。そうであって欲しい。
甘いパンを買う、は凄くディープで枯れた世界観でとても良い。根が暗いから響く、なんて言葉では片付けてはならぬ説得力がある。よ。
Q&Aの歌い方がラブ人間金田さんによるソレになっていて、良いものは何でも取り入れていくんだなって所がまた良かった。

こんなに長くソロを観れるとは思ってなかったので早々に感情のキャパをオーバーしてしまう。凄く良かった。
また観たい。
四日続いたライブも三本目までが終わってあと一本。
ここまでに負けじと良い一日になると良いな、と働くワタシに輝きを!みたいなOLっぽいノリだけどそんな感じなのだから仕方ない。偽る暇はない。
月曜日が迫ってくる。
楽しまねば。

またね。