性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

思いついた事を思いついた順に書く。

成人式が荒れているニュースを眺めながら、どうしたら滞り無く成人式が進むのか毎年考えている。

もう親と来たらいいのにと思ったり、世の中で流行っているとされる2分の1成人式を一緒に執り行って子供の目に晒せばいいのでは、とか。
どれもこれも浅い案だなと思って終わるのだけれど、自分が暴れるタイプでは無かったからそもそも対処法がよく解らない。
自分だったら何が効くかなと考えたところ、RPGのキャラクター名をあの子やその子に書き換えていたものを発表されるのが一番堪える気がした。全米より先に泣くと思う。
対応に追われて疲弊する市の職員の方々にお前なら一発で黙らせられる、と言う癒しと自信を提供出来る善良な市民であると自負している。

 

仕事用の手帳を新調した。
去年は手帳を使わずに仕事をしていたのだけれど、四半期ならまだしも半期、1年と振り返りが必要な時に見事に何も思い出せず、「思い出せないという事は平穏無事だった何よりの証拠じゃないですかね」と述べた所「お前が良くても俺が困る」と上司に言われ、今年は仕方なく手帳を再導入することにした。
そんな訳で別に拘りも何もなく、会社の近所の文房具屋さんで手帳を選んで買った。
無駄に黒革の手帖なので松本清張から「まっちゃん」と言うあだ名をつけて可愛がっている。
使い始めて2週間になり、まっちゃんには致命的な弱点があることに気付いた。
大体の手帳に装備されている、しおりとして挟む紐も、ページの端の月のインデックスも無いのだった。
まっちゃんに予定を書き込んでも開く時はまたパラパラとその日のページを探さねばならない。
頭にTHEを冠したい程に不便だ。冠した所で何だって話だけれど。
最初は「黒革の手帳界の落ちこぼれかよ、松本清張も泣いてるぜ」みたいなことを思っていたんだけど、段々その至らなさが愛おしくなってきて今では「まっちゃんは本当にしょうがないなぁ」みたいな感じで案外和気藹々とやっている。
問題も文庫本よろしく紙のしおりを今週のページに挟んで解決し、そこそこ快適に使っている。
糸井重里さんの手帳など、使わない機能がある電子レンジみたいにやたら機能が充実したものが多い中、使いこなせず落胆するくらいなら初めから最低限の機能のものを選べばいいのだ。
まっちゃんは僕に大切なことを教えてくれた気がする、んだけどこの内容なら百均で売ってそうだなーと微かに後悔していたりする。
まっちゃんと僕の冒険はまだ始まったばかり。
応援してくれよな!
追伸、清張と手帖でリリック書こうとする僕は学校へ行こうビーラップハイスクール世代。

 

ところで垂涎。
垂涎って読めますか。
こんな事を言うと教養の無さがモロバレなのですが、僕は生まれてこのかた垂涎を読もうと思った事が無かったんですよ。
意味は知ってて「はいはい、欲しくて欲しくてたまんないやつね」とか垂涎と言う文字を見かける度に思っていたんですが、読んだ事が無かった。
本当に今日、生まれて初めて「なんて読むんだろう…すい、ぜん?」と疑問が生じて調べたら「すいぜん」であってて心底ホッとした。
普通に顔見知りで会ったら挨拶もするし一緒に食事にも行った事があるのに名前を知らない人と同じ存在感がこれまでの垂涎にはあった。
もうスゲー今更過ぎて聞くに聞けないっていうか。
だから知らなかった癖に読み方があってたと言う事で関係にヒビが入らずこれからも付き合っていけると安心してるんですが、コレ本当に人間だったらヤバイですからね。
皆知らないと思うけど、人の名前ってスゲーいっぱいありますからね。勘でどうにかなるとか宝くじみたいなもんですよ。
それが出来たらもうそれで食っていけそうな気がしますもんね。何の仕事か知らんけど。
名前と言えば外国人作家の本を読んでいると「〇〇、嫌いな名前だ」とか結構頻繁に出てくる気がするんですけど、あれ何なんだろう。
それが文化的に理解出来てないのか、自分の感覚的に理解出来てないのか解らなくて悶々とする。
田中Aに酷いことされたから全田中がマイナスからのスタートになってしまうみたいなモノだろうか。
田中Aと言う人が嫌いでもその他大勢の田中まで嫌いになる必要ないと思うんだけど、これは僕の主観なので本の文章がどういう気持ちで書かれたものか非常に気になってしまう。
話が逸れ過ぎてて戻り方がわからないので終わり。

 

またー。