2016年もそろそろ終わるとなると、2017年の目標みたいな話もチラホラと出てくるものの、このチラホラの出所というのがクリスマスの予定が無い界隈だったりするので妙に切なくなる。結婚しただけでその界隈から黙殺され追い出されてしまう節もあるし、仲間では無いという認定を下す側の気持ちも解らなくはない。
だけれど、結婚したからといってそういう世界の住人になれるという訳ではないという事もご理解頂きたい、という主張は贅沢なんだろうか。贅沢なんだったらごめん。僕は贅沢なんだよ。
今年の秋に引っ越したマンションにはパーティールーム兼ゲストルームが併設されており、それを住人が借りる事が出来るのだけれど、まだ全戸入居している訳でもなさそうな微妙に人気の無いマンションなのにパーティールームの予約はパンパンだ。その予約表を眺めながら、この世にホームパーティーというイベントは実在するのだと激しい衝撃を受けた。生きてるステージが違う。早くお家に帰ってベッドで眠りたい。
そんな気持ちになった。
これを覆すにはパーティールームでパーティーを主催するしかない気がする。
こんな精神的フィジカルの強い世界でも隙間があって、そこで細々と過ごしている自分は一体何者なんだろう、という気がしている。
これを書いている今も、パーティールームでは意味解らないアッパーなアレンジが施されたクリスマスソングが流れ、脂質と糖質とアルコールで膨らんだキラキラとした明るさで満たされているのだろう。凄い。
まあ実際は大したことないというか、普通に楽しい世界なんだろうと容易に想像がつくものの、経験値の有無はその理解を当然の様に超えてネガティヴに作用する。
さて、そんな訳で2017年の目標を考えてみる。
話が逸れ過ぎて突然の感もあるけれど、書き出しからするとこれが本筋なのでしっかりして欲しい。話が長い上に湿っぽくてごめんね。
最近、承認欲求についての本を読んでいてそれが中々に納得いく内容でそんな事ばかり考えてナーバスになっている。それについてはまた6000文字くらいかけて書くとして、だ。
目標というと大それた響きなんだけど、やってみたいなーという事が幾つかあるのでここに書いてみる。
その前に今年やったことを簡単に振り返る。
○マンションを買った
○自分にしては高い私服を買った
以上である。少ない。他にも何かあったんだろうか。しかも買い物ばっかり。楽天市場かよ。
その反省を踏まえて、以下2017年の目標。
1.ボイストレーニングを受ける
半年に一度のペースでガス抜きとして突発的にヒトカラ(3時間コース)に行くんだけど、その時に毎回「もっと気持ち良く歌えたらいいなー」と感じていて、そんな同期でもボイストレーニングを受けている人がいるのかと検索してみると、高齢者が趣味のカラオケの為に通っているとの情報を得て一気にボイストレーニングに親近感が湧いた。
ただ、高齢者のカラオケの最終目的地はストレス発散ではなくカラオケスナックのコミュニティーにおける熾烈なポジション争いを有利に進める為の一手である事を知っているので親近感は得ても仲間意識は芽生えない。
高齢者になっても一芸に秀でなければキャラクターを確立出来ないというのは、考えてみれば当然なのだけれど切なくもある。
あとは雨宮まみさんがボイストレーニングを受けていたのが楽しそうで、というのもある。
何だか完全に後追いみたいになっているけれど、それだけ喪失感が凄い。雨宮さんに対する感謝の気持ちというか、彼女が与えてくれた影響を自分の中に探しているのかも知れない。
ちなみにコレも完全に雨宮さんの綾波レイコスに感銘を受けた結果である。
HOT LIMITスーツを買ったよ。 - 性格の悪そうなBLOG
まあ色々あるんだけど、半年に一度、3時間のヒトカラで気持ち良く歌う為に月に2回くらいレッスンを受けるのも良いのではないかと思っている。身1つで出来る習い事としても秀逸ではなかろうか。
2.あんまり知らない人と遊びたい
存在は知ってるけど、とか顔見知りだけど、くらいの人と遊びたい。
何となく自分の世界(社会ではなく、世界。ここ重要)が狭い気がして、とりあえず何かしたいという気持ちがある。
書き出しの根暗つらつら節も要は世界の引き出しの少なさ及び狭さが影響している。
単純に世の中には色んな人がいるのだなと思いたいので何かしたい。
とは言え、そこそこ社交的ながらパーティーピーポー気質では無いのでどうしたら良いのかなと考えた結果、以下の様な候補を定めた。
a.誰かと服を買いに行ってお茶をする
b.誰かと美味しいご飯を食べに行く
c.誰かと映画を観てお茶をする
ただ会うだけより楽しいのでは無いかという気がする。一緒に何か目的を果たす為に会うとなるとワンクッションというか、ハードルも低くなる気がする。(僕の場合は)
どの様に募っていけばいいのか解らないけれど、まあやってみようと思う。(相手がいないと始まらない話ではあるけれど)
3.パーティールームでパーティーをする。
これはもう、完全に書きながら思いついたんだけども、この脳内にあるホームパーティーを具現化せねば一生この影に付纏われるのではないかと感じ、ならばやるしかあるまいという結論に至った。
自分が想像するホームパーティーに沿って料理やイベントを用意する。そしてそれを参加者に強いる。かなりエグみのある企画であるし、場合によっては会費が発生するという恐ろしい展開が待ち受けている。金を取るのか。
とりあえずパーティールームで何かする、くらいから始めて最終的にパーティーを目指す方が良いかも知れない。突然100m全力疾走したら痛めてしまうのと同じで、取り返しのつかない傷(精神的なもの)を負う可能性がある。
アラサーでこの類の負傷をすると将来設計に関わるので多少なり慎重にならざるを得ない。
誰を呼ぶのか、パーティーとは何なのか、それを1年かけて考え、夏にとりあえずパーティールームの全貌を把握する何らかの催しをして、冬に本番のパーティーを実行する長期計画となるだろう。どうしよう書いてて全然楽しみにならない。いや、でももうこれは楽しみというより己との闘いとも言える訳で・・・。
好きなアーティストに集まってもらった自主企画よりも全然緊張を伴う。だってその時のお客さんの目当てはあくまで音楽。パーティーのために集まるとかマジちょっと今の所「日本語としては読解出来るんだけど意味は解らない」という状態だ。このパーティー偏差値から上げて、あ、アゲていかなければならないのである。道程は果てしなく遠い。
まぁ、年が明けても覚えていれば、そして他にこれより叶えたいものが無ければ実行したい所存。
とりあえず何でも良いけど、2016年と違う発見を自分の行動で得たいという気持ちはある。
その前に、今年の残りを楽しまねば本末転倒ではあるのだけれど。
頑張ルンバ!(懐かしい)
またー。