性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

絵を飾る。

絵を買った。

 

青柳カヲルさんという方の絵が売られているのをたまたま見掛けて、一目惚れみたいな感じで買った。

 

振り返ってみると、美術館に行くのは好きだった。

とは言え美術も芸術もよく解らなくて、混雑してようがガラガラだろうが等しく殆ど何も持って帰れていないと言う自覚は常にあった。違うのは人混みに対する疲労感だけ。

ドキッとした絵のドキッとしたポイントも上手く説明出来ないくらいで、その言葉にならない塊を磨くことも削り出すことも苦手で億劫になり、結局物置に押し込んで忘れていくみたいなことをずっと繰り返してきた。

歴史的な背景や、画家の人物像や生き様をいくら頭に刷り込んで見返しても絵の印象が変わるなんて事はない人間で、これは感情や想像力が死んでいるのでは無いかと我ながら心配でもあった。

でも、棚に上げた発言と承知で言えば、良くも悪くも情報にブレないとも評価出来るので、自分ではそんなに悪くないのではとも思っている。だから改善ならないのかも知れない。

なので、正しく理解出来ないけど、ドキッとした作品はもうそれで僕にとっては最高だった。野生児か原始人の発想だろうか。

ちなみに僕の使う「ドキッ」の出自はFIELD OF VIEWの5枚目か6枚目のシングルで、小学生ながらとても好きだった。

ドキッとした瞬間に未だに頭の中で再生される。メンバーの顔は誰一人として思い出せない。名前も知らない。歌詞は結構気に食わない。それでもドキッの発声と曲がとても好きだった。まぁ一番好きなのは「渇いた叫び」なのだけれど。

ちなみに彼等は曲の後半で突如世界観がスケールダウンする事がある。TVサイズと取るか、生活感を纏うことで身近に感じるかは人それぞれだと思われる。世界観のスタミナ切れはもどかしくて目(正しくは耳)が離せない。話が懐メロ方向に逸れた。随分とまぁ歳をとりましたね。

 

そんな訳で青柳カヲルさんの絵を買った。

理由は「ドキッとしたこの絵を細部まで見たいから、手元に欲しい」というもので、なんて言うかそれだけだった。

iPhoneの画素数は信頼に足るものではあるけれど、信用は出来ない。見えない線が沢山あるのだろうなと思うと、もう買うしかないと思った。

個展があろうがやっぱり遠くに住んでいるので足を運ぶだけで3万とか5万とかぶっ飛んでいく。それをポンと出せるだけの余裕も教養も無いので最善の一手だと思う。

買った事は届く前日まで誰にも言わなかった。

理由はよく解らないけど、言ったら何だか勿体無い気がした。 

 

届くまでの間、父方の祖母のことを思い出していた。

祖母は負けん気が強い商売人で、食糧難の際に討ち入りの切込隊長だった事を自慢げに話す僕とは真逆のパーンと開かれた人物だった。犯罪自慢のDQNは一代で財を成し、最終的に芦屋の高級住宅地で眠りに就いた。(表現が不適切であるという自覚はある)

それでも多分、絵に対してだけは僕と同じ感覚の持ち主だった様に思う。

彼女は晩年、サイゼリアの壁のあの絵がいたくお気に入りで、何度か連れていかれた事があった。僕には何故その絵が好きなのか理解出来なかった。

彼女にとってサイゼリアはここにしかないお店だから特別だと思っているのかなと思ったけれど多分それは違って、きっと全国どこの店舗にあると知っていてもサイゼリアの絵が祖母の好きな絵だったんだと思う。

サイゼリア好きだよね」と言った僕に対して「安いし、絵を眺めながら食べられるから贅沢でしょう」との返事をくれたから、きっとそうなんだと思う。

ちなみに祖母の家にも彼女が選んだ絵が一枚あった。桜島を描いた風景画だった。

それを飾っていた当時の祖父母は桜ノ宮にマンションの、内廊下を挟んで向かい合った3LDKを2部屋所有して暮らしており、僕は主に客を泊める為にあった普段使わない部屋で昼寝をさせられていた。

シンと静まり返った3LDKの奥まった部屋で目覚めると、いつも夕日が差し込んでいて、その絵を真っ赤に照らしていた。真っ赤に染まり煙を吐き出す桜島がとても怖くて、僕はその絵が大嫌いで慌てて人が集まっているもう一軒の家の方へ走っていった記憶がある。

でも祖母はその絵が好きだったのだろう、よく眺めていた。結局、どこが好きなのかは僕が大人になってからも一度も教えてくれなかった。

僕と同じで上手く説明出来なかったんだと思う。

そんな事を思い出しながら、絵の趣味は壊滅的に似てないけど感覚は同じだったのかなと嬉しくなりながら絵が届くのを楽しみに待っていた。

 

絵はあっという間に届いて、日本の物流の便利さは凄まじいなと海外に住んだこともないのに感心してしまった。そんなに急いで頂いて申し訳ないという気持ちにすらなってしまう。

 

絵を生で見た感想は詳しく書かない。

日記に書かない幸せだ。

ただ、やっぱり画素数の壁はあるなって感じで本物の質感は僕しか知り得ないのかという申し訳なさを含みつつ、改めて生で見るのってとてつもない意味があるんだなと思ったのと、素敵なものを自分で買える生活が出来ているのが単純に嬉しかった。

絵はずっとずっと大事にしたいし、また好きな絵に出逢えたら良いなと期待してしまう。

 

いつか青柳カヲルさんに、明後日な物言いかも知れないけど「ドキッとさせてくれてありがとうございました」って直接お伝え出来たら嬉しい。

 

FIELD OF VIEW / ドキッ - YouTube

やっぱり歌詞が気にくわないけど曲は大好きだ。

 

またー。