性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

霊魂が差し出したベーコンが気持ち浮腫んでいる。

会社の会議の待ち時間にボンヤリしていると周囲が頻りに「ベーコン」と口にするので加工肉大好きクラブ名誉会員(ただし赤いウインナーには厳しい)として参戦せずにはいられず、「僕大好きなんですよ!アスパラベーコンかハニーマスタードが特に」と華麗に飛び込んだらまさかの聞き間違いで「ベーコン」ではなく「霊魂」の話をしていたという大変恥ずかしい体験をしたのでせめてもの発散としてここに記しておきたい。

霊魂の話をしてたとしても急に「僕大好きなんですよ!」って墓場生まれか水木さん(水木しげる先生の一人称)育ちのどっちかしかねえオカルトアラサー野郎が登場したら普通に引くわ。まあ僕は後者ですけどね。幼少期、局地的に流行ったメンコブームで祖父の家から発掘した古びた鬼太郎のめんこで周囲を圧倒して「過去から来た凄いやつ」みたいな扱いになっていたくらいに本格的に水木さん育ち。あまりの無双っぷりに腹を立てたガキ大将がメンコでなく石を投げてきて流血するという騒ぎに発展した。オイオイ坊や、ママのお腹の中で習わなかったのかい?「ルールを守って楽しくデュエル」ってな、などと言う余裕もなく病院のお世話になったというオチがつくくらいの水木さん育ちなのである。心なしか水木さんどんどん関係なくなってるけど。

ただ、事実がそうであれ社会生活においてキャラが確立出来ていない新しい環境であることを考慮すると完全に不要な一撃であるし、何より霊魂をベーコンと聞き違えて好きなベーコンを用いたメニューを発表までしてしまっている。

自ずと話の流れは霊魂からベーコンへ移行する訳だけど、本当にその優しさが心に痛い。恥ずかしさを助長する。いっそ流してそのまま霊魂の話をしてくれた方がいくらかマシである。でも優しい人程そんな事は出来ない訳で、有難いんだけど辛いという状況を味わい変な汗をかいた。

ていうか霊魂って言い方する?霊じゃね?そこは霊じゃね?という八つ当たりから、夏になるとどうして怪談話が持て囃されるんだろう涼しくなった事などないというのにという回りくどい八つ当たり、挙句単純に怖い話無理という直球な八つ当たりまで(とか言いながら怖い話スレを滅茶苦茶読む。怖さの予防である)、とにかく八つ当たりを網羅する展開となってしまい我ながら器が小さくて大変ダサいなと悲しくなるに至った。

せめてアスパラベーコンをお腹いっぱい食べたい。

 

最近、何故か非常に身体がむくんでしまい手も顔も当社比で丸々として見える。

このままでは丸くなり過ぎてゆるキャラとして生計を立てねばならない日がくるのではないかと考えている。

キャラ設定やらポージングやら、強者揃いの業界でスポットライトを浴びる活躍が果たして自分に出来るのか、不安は募る。

流派としてはゆるキャラではないがヤクルトスワローズつば九郎の様にフリップコメント芸人枠を狙うのが一番可能性があるのではないかと踏んでいる。

土屋太鳳さんの様に毎日長文のブログを更新し、上手くいけば名作選という体で異常に爽やかなどっかの出版社の編集さんがまとめてくれて書籍化、著名人との対談、日めくりカレンダーなどで一山当て、不労所得で毎日猫カフェに行く生活が出来るかも知れない。ただ働いていない僕に懐いてくれる猫様などこの世にいるのかという新たな不安が生じる。

猫に嫌われるくらいなら働くし、ゆるキャラになんてならなくて良いし、ていうかまずこのむくみと一生付き合っていくのマジ無理だし、身体の異変で一儲けすることについての虚しさはムーミンコミックス「黄金のしっぽ」で痛い程学んだハズである。

それを忘れてこんな事を書いてしまい本当にお恥ずかしい限りでミン。

ムーミンコミックスは面白いので全員買って読むように。むくみの妖精ムクミンとの約束だミン。

 

それはそうと自分はちゃんと頑張れているんだろうかみたいな事をひたすら考えてしまい、やれ甘えているのではないか、やれ自己愛以外が実際のところ理解出来ていないのではないかなど堂々巡りを脳内で繰り返し、最終的に慢性的な頭痛に悩まされている。

同世代の同性が何を考えて生きているのかなどが無性に気になり、友人とご飯に食べに行ってあれこれ聞いたりして(そんな小難しい話はしてないけど)少し楽になったり、単純にこれまで以上にその人の事が好きになって花*花の「あ〜よかった」が帰り道エンドレスリピートされるなどしてその根深い何かと上手い事付き合っていこうとしている。

自分が頑張り過ぎていること、その逆で甘えきっていること、それは抑えた方がいいのか、もっと素直に出すべきなのかなど、全然判断がつかない。

インターネットにはヒント(実際にはヒントのフリしたドヤ顔であることが多い)は沢山溢れているが、答えらしい答えは全然転がっていない。

自分から突き放してどうするんだと思わなくもないけれど、まー自分なりに「こうしなきゃいつか死ぬ」「こうしたら結構スッキリする」などなど、色んな部分で自分がどうしたいかを考えなくてはいけない気がしている。もしくは全部ポーンと諦めてしまうかである。

そう、あらゆる場面で「ついで要員」としてかなり優秀な成績を修めてきた自負はあるんだけど、結局未だに諦めがつかないんだなーと思った。ララランドを観た時にそれを認識した。世間が言う程に素晴らしい映画だとは思わないけど、たまたまタイミングが合致したというか。

これ以上意味不明な主張を書いても意味ないのでそのうちまとまったら書くかも知れない。

 

またー。