性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

ソシャゲの角で頭ぶつけてピヨれ。

電車に揺られていると、どこぞの駅で随分尖った奴が乗ってきた。凡そ大人しそうというかナードかつギークな要するにオタクっぽい風貌の細身の男である。灰色なのか茶色なのか曖昧なセルフレームのメガネを掛け、苛だたしげな視線をあちこちに忙しなく放ち続けていた。

大人しそうではあるがヤバイ奴だな、とボンヤリ思いながら目を合わせぬ様に彼を観察していた。

すると、彼がソシャゲをやり始めた。周囲に向けていた苛だたしげな、好戦的な鋭い目のままである。外に攻撃性が向かっていた訳ではなく、単純に目つきが穏やかでないだけの人かも知れないとボンヤリ思ったものの、明らかに舌打ちをしながらプレイしているので近付くもの全て傷付けるナイフの様な人なのではという見方が僕の脳内会議で可決された。

そして気付けば彼を眺めながら、彼のことを「ソシャゲの角で人を殴りそうな奴だな」と思っていた。

スマホの角ではなく、ソシャゲの角で殴るという表現になったのは目つきを除く風貌の暴力性の乏しさからかも知れない。

デジタルで殴る方が似合っているんである。まあだからと言って「ソシャゲの角」なんて有りもしない角を生み出してどうするんだという気もする。でも小豆の豆腐って諺もある訳で(意味は全然違う)(あり得ないという意味)(この前NHKでみた)、存在しないものを引き合いに表現するというのは割とポピュラーな技法であるからして、「ソシャゲの角で殴る」は非常に自然な言い方である、と僕は主張したい。

ソシャゲの角で殴りそうな彼はたった4駅で降りてしまい、残された僕はソシャゲの角で殴られたら果たして痛いんだろうか、痛くは無さそうだけれど無性に腹立ちそうだな、ソシャゲの角で理不尽に殴られた日には飲みたいのはビールではなくてストロングゼロだろうな、などと妄想しながらトリプルファイヤーの「次やったら殴る」を聴きながら職場へ向かった。

多分この曲が無ければソシャゲの角で殴るという表現は出なかったろうと思う。曲のストイックさに加え吉田氏のダウナーながら確実に苛立っている様がインスピレーションを与えるのだと思う。トリプルファイヤーは本気だ。

以上、今週の「ソシャゲの角で殴る」のコーナーでした。

また来週。(嘘)

 

またー。