性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

舐められ属性のポケモン。

これまで「後輩に舐められまくる」や「京都の市バスで毎回老人に足を踏まれる」など自身の人間性が招いた様なものから憑き物を疑う様なものまで、自分の設定について書いてきたけれどここ1年くらいで新たな設定が追加されたので久々の日記の書き出しに丁度良いと思って書いている。

それは「大阪の地下鉄で酔っ払いに絡まれる」である。

流石に先述した2例に比べると頻度は高くないんだけど(2例のうち後輩に舐められることの頻度が高過ぎることを自分で認めている言動が物凄く切ないし虚しい(んだけど嫌われてる感はない(と信じたい(嫌われての舐められだったら立ち直れないかも知れないから親しみだと思いたい))))この1年、2月に1回くらいは大なり小なり絡まれている。

よくSNSに登場する人にぶつかる事でストレスを発散するタイプの歪んだ性癖おじさんだったり、普通に白線の内側で立っていたら線路側の通路が狭いといちゃもんつけてくる酔っ払いのおじさんだったり、トイレの出入り口で鉢合わせて避けたのに邪魔だと怒り始める酔っ払いのおじさんだったりする。

普段ひとりでいると滅茶苦茶ボーッとしている様で間抜け面がそうさせているのかも知れない。対策として背筋を伸ばして歩いたり、胸を張ってみたり、しっかりしてますよという感じで目を見開いたりしているんだけれど特に効果がない。

その為じゃないけど筋トレもしていて体格も良くなったけれど、そういう厄介なおじさん達は僕のビフォーアフターなんて知らない訳で「こいつなら勝てる」というマウントをもってして吹っ掛けてくる訳なのでいくら自分自身を進化させてもあんまり関係ないのだなという結論に至った。

そこで同僚に相談したところ「服装じゃないか」という意見を頂戴した。

重たそうな黒のセルフレームのメガネ、しっかり締めたシャツのボタン、無造作な髪。その融合としてビジュアルから「弱そう」という判定が下されているんじゃないかという話だった。

確かに裸眼の方がのび太っぽさが抜けるので強そうだし、シャツのボタンも2つくらい開けてる方が締めてるよりも強そうだし、髪もちょっと刈り上げたりするくらいの方が強そうかも知れないと感心したので、手っ取り早く眼鏡を外してシャツのボタンを2つ開けて同僚に感想を求めた。

多少なり改善がみられたのではと自己採点をする僕に向かって同僚はハッキリと「寝起きの人みたい」という査定を下した。

過度な期待はしていない、というかしてはいけないと思っていたけれどその低めに設定したハードルすらも下をくぐってくる評価に現実を思い知らされた。結局のところボーッとしているという点を改めない限り、何を変えても同じなのかも知れない。

後はもう物々しいフレーズがプリントされたTシャツを着るしかないんじゃないかと思う。ARMYとかserial killerとか、なんかそう言うの。ただの現実の悩みでしかないのでオチも何もないんだけど、とりあえず心が一ヶ所折れたというか、日頃の行いは悪くないと思うし、だとすればもう運だし諦めようという気持ちになった。

 

休日出勤の腹癒せも兼ねて映画館で「名探偵ピカチュウ」をレイトショーで観た。

その日のストレス、その日のうちにということでお酒をたらふく飲んでから観たら脳が小学生になっていて、予想以上に大人向けだった内容に置いてけぼりを何度か喰らいながら観る羽目になったけど面白かった。

これは親子で観るというよりは、小学生の頃にポケモンやってたよなーという人が観たら楽しい、というニュアンスの映画だと思う。

演出、物語云々というよりも人とポケモンが当たり前の様に共に暮らしている光景というのが尊過ぎて胸が苦しかった。技とか属性とかそんなんどうでもいいねんというのが大人の率直な感想だと思うし、実際そこに全く焦点当てた内容じゃなくて狙われているのは俺たちだという当事者意識が凄まじかった。まあそれでもうわーんポケモン好き!ありがとー!みたいになっちゃうんだから感情のハードルは大人ほどガバガバに下がりやすいのかも知れないし、そもそも子供を対象にした存在を大人仕様に組み直してくれたという事実に神を拝むが如く感謝したいという意味合いもある。生活感が素敵だった。

とは言え内容と言えば中盤くらいでオチまで察しがつくハードル設定なので子供も勿論楽しいのではと、とっくに30を過ぎた大きな子供は感じた。

BGMが憎いくらい絶妙にビットチューンを軸に生音組み上げていて生身って本当にビットじゃ足らないんだなと感心したし、何よりフシギダネ可愛過ぎて手をこう、ワキワキしながら食い入る様に観た。涎も垂れそうだった。

小学生の頃、フシギダネが好き過ぎる余り、目がフシギダネに似ているクラスメイトの女の子にガチ恋していた思い出がある。何が凄いってクラスメイトの女の子に似てるからフシギダネが好きだったんじゃなくて、フシギダネが好きだから目が似てるクラスメイトの女の子を好きになったという点であるし、好きは全て褒め言葉みたいな子供特有の認識のせいで本人に「フシギダネみたいで可愛い」とか言ってしまった結果、「え?あのカエルと一緒にされてんの!?」と滅茶苦茶嫌われるという結末を迎えた。ほろ苦い。フシギダネはカエルじゃねえよ!とキレた最悪の子供の名残を自身に感じて映画を観ながらセンチメンタルになった。

ストーリーよりもあの街の暮らしぶりをもう一度観たいという願望で映画館を再訪するかも知れない。そんな気もする作品だった。

 

またー。