性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

2月になった事を受け入れられない人は何処へ行くのか。

気付いたら2月になっていてビックリした。

1月31日の時点で普通は「今月ももう終わりか」となりそうなものだけど、正月の休みで実働日数が少なかったり、そもそも新年という別に地続きなのに何かリセットされてしまった感が影響しているせいか「月が変わる」という認識が滅茶苦茶薄くなってしまうのが原因なのではないかと思っている。

1月31日が3日間続くハズでは?という体感である。1月31日が3日間続くハズもないし、1月31日が3日間続くという日本語も書いてみると物凄い頭が悪そうでビックリしている。

どれくらいビックリしているかと言うと、この頭の悪そうな響きの方が2月になっていたことよりも驚きが強く、2月になっていたこと自体はすんなり受け入れられる程である。これが無かったら2月になったことをおいそれと受け入れる事は出来なかったかも知れないし、そういう意味では大いに矛盾を通り越して日本語としても太陽暦的な意味合いでも崩壊していた1月31日が3日続くという言葉に初めて役割が生まれた気もして、何だか良かったなという気持ちになる。あまりに何の役にも立たないと言葉を吐いた身として責任を感じてしまう。小心者なので。

2月になったことをすんなり受け入れられて良かったなぁと思う一方で、仮にこの下りが無かったとして、2月を受け入れられなかったとしたら僕はどんな日々を送っていたのだろうか。

正直、曜日感覚こそあれど日付の感覚は割と希薄な方であるのでそこまで困らないかも知れない。

スーパーを筆頭に○日は特売デーだとかポイント倍デーだとか、そもそも行かなければ!という気になるどころか混んでそうだし行きたくないという気持ちが勝ってしまう。ダブルスコアでの圧勝くらいの勝ち方。普段の待遇で大丈夫っす、もう本当、いつも十分有難いと思ってますんで、となってしまうのでたまたまスーパーに寄った時にそれらの開催日だった場合、あー運が悪い、ちゃんと調べてくれば良かったとなってしまう。普通逆だと解っている。店が混んでいるのは「今日こそ行かねばならない」ということの現れであるし、お得に買い物したい、家計を助けたいという気持ちも痛いほど良くわかる。僕だって大してお金を持っている訳でもないので安く買えたに越した事はないんであるが、混雑に弱い人間が混み合った店内で張り切っても最後まで集中力が保たないし、余計なものを買ってしまうし、どっと疲れて何もやる気がなくなってしまうし、疲労感からビールも飲みたくなってしまうしで、要するに普段の方が自分に合っているんである。

人間には向き不向きがある。ライフスタイルの確立ってそういう所に目を向けるとこから始まるんじゃないですかね?

2月になったことを受け入れられない場合の想定を述べていた筈が、買い物における持論を振りかざす流れになっていて、しかもシメが何かいい事言えてそうだし偉ぶってみても読み流してくれるんじゃないかという浅い感じが透けていて辛い。何なんだこの器の小さき生き物は。

ただ、2月1日に僕が2月になったことを受け入れられなかったとしても世の中は受け入れて進んでいる訳なので特に問題はないのでは、という見方も出来る。周りが2月然として(何だ2月然って)いてくれれば、小心者なので仲間外れは嫌だし2月を渋々受け入れるだろうし、バレンタインが近付くと自身へのご褒美に高いチョコレートを買ったりする為に急に2月である利点を最大限に活かそうとするだろうし、最悪そこを耐え抜けたとしても2月25日には大好きな給料日があるからして(支給日には個人差がありますが弊社は25日)、そこで2月は日数も少ないのに他の月と変わらずお給料が貰えてお得だな!2月って最高だな!となること受け合いである。

2月を受け入れないなんてのは最早不可能であろう。起こり得ないことを想定する時間があれば、世の中とは言わずとも何らか自身の役に立つことをあれこれ考えてみた方が良いと思う。

 

思うのだけれど、こんな事をダラダラと書いていたせいで非常に眠たくなってきたので本日は寝ることとする。

 

またー。