性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

大きなおじいちゃん主催のデスゲーム

毎朝、電車で会社へ通勤していると基本的に同じ時間の同じ車両に乗るようになり、名前どころか声も聞いたことはないけど見た事のある顔が増えていく。

その逆に普段の時間の電車を逃した場合は「普段と大差ないけど知ってる人がいない世界」になってしまう。

先日、家を出るのが少し遅くなり、普段と違う時刻の電車に乗った際、170cmジャストの自分より背の低い同性がいないという事態に遭遇し、前にもこんなことあったよなと思い出した。

それは中学生の頃に部活の試合に向かう為に乗った電車で、自分以外に目線の合う男性が1人もおらず、老人ですら大きかったのでとても驚いたのだった。

自分の祖父は小柄だったので大きいおじいちゃんっているんだ、と思った。
鮮明に思い出すものの、この手の思い出はリマスターの過程で修正が施されている可能性が高い気がする。

周囲の平均身長の高さにばかり目を奪われ、視認に至らなかった同じくらいのサイズの人々がいるのではと思う。

その記憶の真偽は確認しようが無いけれど、少なくとも今回に関しては確認することが可能だ。
そう思って周りをもう一度見渡してみたら、自分より大きいおじいちゃんがいた。
やっぱり大きいおじいちゃんはいるんだなぁと何だか満足な気持ちになり、結局真偽を確かめる事なく電車を降りてしまった。

後に似た様な場面に再び遭遇した時に、二度あることは三度あるのだなと感じる布石を不正確な情報のまま打ってしまった。

人の記憶も歴史も案外適当な事の積み重ねなのかも知れないな、とボンヤリ考えながら出社した。


それはそうと、マンションで他の住人や管理人さんとすれ違う時の挨拶がとても難しい。

古典的な話ではあるが、「おはようございます」なのか「こんにちは」か、もしくは「こんにちは」なのか「こんばんは」か微妙な、個人の時間の感覚が露わになる、個性剥き出しの無防備なタイミングというのがあり、どちらを選択すべきかで一瞬固まってしまう。

固まってしまうと相手に先攻を許してしまう訳だけど、先にカードが「こんにちは」なのにこちらが手を決めきれず癖から「おはようございます」と返してしまった時の敗北感たるや。後出しでじゃんけんに負けているかの様な気分になってしまう。

今のところは一時の気落ちで済んでいるが、イカゲーム筆頭にあらゆるデスゲームが市中に浸透した御時世である。

この挨拶の種類がチーム分けの基準になり、世の中のボリュームゾーンから微妙にズレたメンツで少数精鋭のチームを組まされる可能性もある。それは鋭というか鈍な気がして泣けてくる。

黒子のバスケの赤司くんでもいない限りそうそう勝てないが、赤司くんは挨拶に厳しそうなので敵対するだろう。もう未来がない。

そんな感じで同僚との仕事の電話でも午前中は「お疲れ様です」なのか「おはようございます」かで似たようなことを考えたりする。

ただ、職場の場合は何度も面倒を被らされている相手と挨拶の選択すら被りたくないと言う気持ちがあるので、居合斬りの様に一閃、相手より先に挨拶をする事で負けない戦いを徹底している。

こうして文章にしてみると器の小ささが目立つが、小さいのに目立つというのは大きいとも言えるのではと意味不明な事を考えて論点を見失わせる事で今後もうまくやって行こうと思う次第である。

 

またー。