性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

地獄はTシャツを着てすぐそばで暮らしている。

「mid90s」という映画を観て、90年代のカルチャーとか、青春とかそういうのをすっ飛ばしてリアルタイムで苦しみを提供される主人公の兄の「所詮、主人公になれない地獄」がキツ過ぎて気が気でなかった。自分が生まれ育つ過程では滅茶苦茶だった母親が弟を産み育てる過程では真っ当であろうとする姿とそれに沿うことを要求される生活、その正解を注がれて「ちゃんと育ててるんだからこの子は大丈夫」と扱われながらも反抗して荒れていく弟に対する「恵まれてる癖に何言ってんだコイツ」という怒りと羨ましさを足蹴にされた悲しさ、それでも弟だからという根っこの情。
決して主人公になれない添え物の地獄を味わっている兄からすると弟が輝きたいんじゃ!言うてもがき苦しんでいる姿は眩しいとは思いつつも、やっぱり「尊い犠牲こと俺」という地固め的にトライアンドエラーの結果である自分あってのステージングじゃないですかという気持ちは決して拭えない訳で。
まあ「タコピーの原罪」ではその逆が優等生キャラで描かれていたし、どちらの順番もあるとは思うんだけど、とにかくそういう地獄はマジでキツいので基本的に意識をそっちに持って行かれてしまう。
クソバカB級映画(面白かった)の「必殺!恐竜神父」ですらそういう場面が突然出て来て、ギャグ漫画の途中でトラックが突っ込んでくるかの様な衝撃に漫☆画太郎先生かよとなって動揺してしまった。
別にそれで映画の優劣を云々言う訳じゃなく、観る自分自身のウィークポイントがそこにあるんですわという話で、ポケモンのバトルであればそこが攻略の鍵になる的な事が言いたいだけ。

「mid90s」もそういうダメージを喰らいつつちゃんと面白く観たことを報告しておきたい。


映画つながりで「名探偵コナン〜ハロウィンの花嫁〜」を観たのでその話を書いておきたいんだけど、まあ毎年毎年新たな関係性萌えを提供してくれるなーという感じで、コナンくん達が推理のギアを上げて脳をギュンギュンいわせていくに従ってこっちのIQはジェットコースターの様に下がりまくり、最高です!!しか言えない感じになっていく訳なんだけど、阿笠博士ノーベル賞何回取れるんだよというレベルの発明を量産する大活躍なのに、アカデミックな世界から出禁喰らうようなとんでもないことをしたとしか思えない影の薄さで、マッドサイエンティストというよりは発明家界のヒッピーみたいなセルアウト(この言葉選び自体がそもそも失礼な気はするが)に興味がまるでないんだろうか、しかしあのバカでかい家に住んでいるんだから何らかの、自分達が当たり前に利用している何かを阿笠博士が開発していて、その特許で富を確保しているからあんな感じなんだろうか、もしかしてサスペンダーとかボールとか作る過程でゴアテックスとかヒートテック生み出して一山当ててる?お世話になってます!みたいなことを考えながら観ていた。
渋谷には地下貯水施設はあってもマンホールと下水道はないのかな、と思ったけど野暮が過ぎてバーローなので「新一…?」の強弱は歴代で言うと強めなのか弱めなのか、そもそも「新一…?」自体の物語における重さを強と取るのか、別に連想しなくない?という薄めのタイミングで新一の存在を引き出せることを強と取るのかみたいな事を脳内で競わせる事で邪念を払うなどした。
ドラえもんクレヨンしんちゃんの映画を特にチェックしないし、ディズニー作品を毎回観る様な大人にもなれず、コナンの映画を毎年楽しみにしている自分の、コロコロじゃなくてボンボン、リボンじゃなくて花とゆめ、ジャンプじゃなくてガンガンを選んできた圧倒的地続き感にクラクラしつつ、これもまた人生なのだと胸を張りたいし来年の作品もとても楽しみです。


またー。