性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

ドキュメントを見ながら誰もがドキュメントしてる。

生活スタイルが単純に変わったのもあって、今年の夏は殆ど蚊に刺されなかった。

昨年購入したムヒの残りの出番は今年訪れず、肌につけるものであるしいい加減処分しなければと思っている。

今年に関してはお盆休みという長期間暇な日(アクティブでないので)をコロナで潰してしまった為、連休に毎日やる「運動がてら公園でジョギング」ができなかった事もあり、余計に蚊に遭遇することもなかった。

マンションの3〜4階以上は蚊が登ってこない何て本当かどうか判らない話も聞くし、その条件を満たした環境で暮らしているので自然と蚊を遠ざける生活が成立してしまっている。

元々蚊に刺されたいなどと思っている訳ではないが(世の中には痒みに興奮する人もいるのかも知れない。痛みの親戚みたいなものだろうし)、何というか季節を丸ごと1つ取りこぼした様な気が、そんな些細なことからしてしまう。

何となく見始めて早シーズン7に到達してしまったアラスカで自給自足の暮らしをするドキュメント「氷点下で生きるということ」では夏といえば長く厳しい冬への備えに大忙しであり、その最大の脅威が熊と蚊であり、もっぱら2022年の蚊の脅威はこの番組から得ている。

カメラの前で語る住人(全員が愛嬌がありながらも真面目で、自然を愛している家族想いの人たちである)の輪郭をzoomのエフェクトばりにほんのりとぼやけさせる程の蚊が飛び交っているのは圧巻で、当人たちも慣れた様子ではあるものの作業中は気が散る為に悪態をついたりする。

アラスカで生活をする強靭な精神を持ち合わせた彼らが悪態をつくほどの状況なので、自分が同じ状況に見舞われたら即発狂するだろうなとある種熊よりも恐ろしいものとして眺めている。

アラスカで蚊が猛威を振るうのは蚊を捕食する生き物の数が日本に比べて少ないというのがあったりするんだろうし、それを含めてアラスカの方が生まれ育つに適した環境ということなのかなと考えながら見ている。

 

ドキュメントと言えば、海外のサッカーやアメフト、アイスホッケーなどのチームの1シーズンに密着する「ALL or NOTHING」では海外に行った経験もほぼ無ければ英語を主に使う生活もしたことが無い僕からすると驚くほど多種多様な「F●CK」に触れられることが一つの楽しみと化している。

不平不満がある時、憤っている時、鼓舞する時、褒める時、笑い合う時。どこにでも出てくるのが驚愕である。

ポケモンイーブイが三種類に進化するだけでも胸躍った子供が大人になってから更に多岐に渡る進化のバリエーションに度肝を抜かれた様なものである。因みに僕は草ポケモンばかり使いがちな子供だったので、何というか今の自分に通ずる感じもあって虚しい気持ちを抱く日もあるが、それは別の話。

喜怒哀楽に寄り添うソレの表情豊かさに勿論それを真似する様な生活文化ではないが驚くばかりである。

身近にないコミュニケーションに触れることは「そういうのもあるんだ」と想像、許容、理解にも繋がると思うので知れて良かったといつも感じる。

他方、ONE PIECEのサンジの「クソ〇〇」の多様さへの親しみも同じ意味合いで湧いてくるものなのだろうかと思うし、系統は違えど語尾に特徴があるキャラクターのソレに感じる魅力もまた遠からずなのかなと思うに、基本的に影薄めの人生で忍者、隠密みたいな称された事のある自分のキャラ立ちへの一発逆転の布石はやはりその辺りにあるのかとあれこれ企んでみるに至る。

キャラが薄い人と言われる人間は、幾つになっても世代、立場などで都度名を変えながら大学デビューの様な爆弾を抱えて生きているんである。大変だろう?

 

また凄い人たちと自分に共通点があると嬉しくなるのもドキュメントの良い点であり、僕の中で身近な凄い人たちと言えば春や夏の全国高校選手権大会を目指す高校球児である。

絶え間ない努力と競争の世界に高校生にして身を投じ、目標に向かって突き進んでいく彼らの日常を垣間見れるドキュメントがYoutubeで見ることが出来、元気を貰っている。

浦和学院の生徒が週一度のコンビニ通いを楽しみにしており、そこで生ハムやおつまみの美味しさに目覚めてしまった球児や、常葉菊川地域猫を愛でる選手たちの様子などを見ると自分と似たような事をしているなぁ=自分もこの人たちと同じ部分があるなんてやるじゃんという謎の公式が成り立ってしまい、失礼ながら親近感を抱くに至っている。

最近ではKing Gnuの常田氏がタクシーの長蛇の列に並んでいるというニュース(そんなプライベートをいちいち記事にして報じるなよとは思うが)などにもそんなことを感じたし、常田氏に関しては過去にtofubeats氏との対談で「追い焚き機能有りの風呂のある部屋に住むということがアーティストとして一つの通過点」みたいな話をしており、その対談が行われた氏の当時の制作部屋は押し入れの戸を外して机に改造されており、その辺りでも幼少期にそんなことをしていた自分と被るものがあり、その上で好きな曲も多いことからファンを公言するに至っている。

因みに押し入れの襖を外して机や見せる収納とする手段は一人暮らしの手狭な部屋を視覚的に広く見せる手段として割とポピュラーなのではと勝手に信じており、先日撮り溜めしていたタモリ倶楽部を片っ端から観ていた時にトリプルファイヤーの吉田氏も同じことをしていたので元々好きだった吉田氏もさらに好きになった次第である。僕らの家の押し入れにドラえもんは住めない。

 

これらのことから分かる様に、単純過ぎる人間にドキュメントを与えるというのはあらゆる点で親近感を湧かせるという意味で非常に有用であると同時に、染まりやすいという危険性を伴うとも言える。

用法容量を守り、自身のスタイルとしっかり照らし合わせる冷静さが求められるし、まぁフェイクニュースなんかに気をつけたいなと思う次第である。

 

またー。