性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

ジョイフルメドレーの魔力にやられた人間の戯言。

最近、スタバの「ジョイフルメドレーのホットのティーラテ」が凄くお気に入りで、頑張ったな!と思うときに買うことがある。
よく「自分へのご褒美は無駄遣い」みたいな話題がネットで節約記事になってるし、まあそれはそうと自分でも思うんだけど、別に節約してお金貯める事が好きなんじゃなくて、今この世の中に不安が多過ぎてそんな些細な、バイトの1時間の最低賃金よりも安いものすら買うか躊躇しなきゃならんだけなのに叱られる事ある?そんな解り切った事わざわざネットでまで言わないでよ…圧が怖いよと思いながら、その重りを背負った上で結局買おうとしている背徳感と「いや、別に金貯める為に生きてるんじゃなくて生きる為に金貯めなきゃと思ってるだけなんで」と滅茶苦茶言い訳してでも労いたい達成感があると買っている。
いいじゃんね、平日の昼ごはん週5で自作のおにぎり2個だぜ?
スタバのカウンターって基本的にコーヒーの良い匂いが充満してて、だからコーヒーでも本当は良いんだけど教えて貰ったジョイフルメドレーは紅茶で、しかも滅茶苦茶華やかな香りがするのに味はくどくないという凄いバランス感覚の持ち主で、カウンターで待ってる時にコーヒーの香りを切り裂いて辺り一面に特別感を主張してくるのまで込みで好きなのである。
誰も何も思ってないのに「あれ俺のなんスよ」みたいな気持ちで待っている。味も凄く好みで落ち着くので更に有難い存在。
仕事の外出からの帰社というタイミングで買った時、ダライ・ラマさんに似てる人にエレベーターホールで一緒になって、「すげえ匂うな、いい匂いだわ」と言われて「香るって言ってくださいよ、いい匂いには」って返して「そういうもんかぁ」ってわははって笑って別れたんだけど、1人になって「自分滅茶苦茶浮かれてない?」と愕然とした。初めてスタバ飲んだ中学生くらい浮かれてる。恐るべしホットティーラテジョイフルメドレー。最近じゃ小学生でもスタバで落ち着いてコーヒー飲んでたりするのに。あの子ら全員パリス・ヒルトンの親戚か?くらいここに自分がいるのは当然みたいな落ち着きで本当に尊敬する。
え?皆あるの?親がスタバ連れてってくれる子供時代。僕はなかった。火サスとかの再放送で刑事が一般人に話聞く為に入るみたいな雰囲気の喫茶店しか連れて貰った事がない。
今でこそレトロ可愛いみたいな受け取られ方があるけど、そう言う所ばっかりだった。
だからレトロ可愛いってのが、何かこう、生活圏に無かった人たちが持て囃してるみたいな気もする時があって、本当に流行ってるレトロ可愛いっていうのは滅茶苦茶ブランディングして、本来のそれとはかなり遠い所にあって、古いものを大切にはしてるんだけどそれはガワの話であるよなと思う。そういう新しいトレンドとしてのレトロなんだと思う。そんだけ言いながら滅茶苦茶そういうカフェ行ってるけど。美味しいものが提供して貰えるから。
こんなにダライ・ラマさんに似てるって情報が何にも活きてない長文あるか?触らないものまで書くなよと思いつつ、気付けばジョイフルメドレーも見る影もないのは何故なんだろう。何を書いて、そして何を読まされるんだろう。
ここにたどり着いた方には申し訳ないけれど、何かの亜空間だと思ってもらうしかない。
お疲れ様です。


それはそうとTwitterのタイムライン上に「このテープ持ってないですか?」に怯える人がチラホラいて、気になってTverで観たらホラー系のモキュメンタリー(と呼んでいいのか)だった。呪いは伝染して拡散していくという作品の中でも、この何のせいで、何のために、どの程度の影響が出るかみたいなものが不明確な本作はかなりパンチが効いているし、頭では解っているのにあり得ると思ってしまって寝付けなくなってしまったし、ようやく寝たら滅茶苦茶難解な構成の悪夢で最悪の初夢で早朝に飛び起きるというブッ刺さり具合だった。
関連作品として2021年末に放送されていた「Aマッソのがんばれ奥様ッソ!」もラインナップされておりこちらも不穏な作品だった。
AマッソのYouTubeチャンネルの同様のスタイルの豪華版だなーと思いながら観た。やはりテレビというスタイルはYouTubeよりも構成も尺も凝っていて良かった。
モキュメンタリーで提供される違和感には心を不安定にするものが多くて、それをふとした瞬間に思い出して怖くなるというものが多い気がする。
YouTubeにアップされているホラーモキュメンタリー「Q」シリーズはその最たるものだと思うのでまだ観た事のない方は是非という感じだ。
それにしてもお祝いムードの年末年始にこんな作品を毎年投げ込んでくるのはやっぱりフワフワした空気感へ居心地の悪さを感じてしまう一部の人たちの感情の現れみたいなものもあるのかなと思う。
僕自身も年末年始にやたら重たいテーマの本(地方衰退、トー横界隈、貧困ビジネスアメリカ社会問題など)を毎年読んでいて、そういう気持ちがあるからだと思う。今回の年末年始はヤクザの元に生まれた子供への取材をまとめたルポ「ヤクザ・チルドレン」を読んでいた。
知りたいという欲がまずあるので逆張り扱いしている訳ではないけど、煌びやかなものが溢れる一方でそこから遠い何かへ気持ちが向いていくという事なんだと思う。
それが自分1人の捻くれではないと思えて嬉しかった。


またー。