性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

背徳の鳥料理と自転車ラブコメ及び謎の読書録(2023年ゴールデンウィークの記録③)

友人の公式グッズとして、友人がプリントされたアクリルスタンドを持っている。(物凄い異質な文章だけど事実なので仕方がない)

外食の度にそれを添えて写真を撮影し、ユーモラス(は?)な言葉を添えてSNSに投稿するのがパターン化しているんだけど、本人よりアクスタの方が頻繁にお目に掛かっているせいか、SNS上の自分が添えたセリフによって生じたキャラクター性を本人に求めてしまいそうで危ねえ!と思わず口走った。

ゲームと現実の区別が云々の親戚なのか、はたまた鏡に喋り掛け続けて精神崩壊的な話の遠縁なのか解らないけど、何にしても地に足つけて現実をサバイブしたいと決意を新たにした次第である。

 

5月4日(木)
何故か目覚めと共に「肉食べたい」と思ってしまい、平日ならやらなきゃいけないアレコレであっという間に霧散するのだけれど休日となると全く動く素振りも見せず頭のど真ん中に鎮座されて困る。また始末の悪い事に、平日と同じ早朝に当たり前に目覚めてしまって余計やる事もないのでそればかり考えてしまう。
いかんと思い、加納愛子さんの「これはちゃうか」を朝の5時半から読み進めた。
実際に沢山喋っている人と、頭の中の方が沢山喋っている人がいると思うんだけど、加納さんの小説は後者で、僕もどちらかと言うと後者なので親近感を通り過ぎて地味に痛くなってしまう。
的確、最短、いかに正解かを、何と言うか言葉のセンスみたいなものが人を作り上げると信じていたい部分を刺激される。
「最終日好き」という設定を公言する登場人物がDMでクラスメイトといかにサラリとした言葉で確実に刺さるかみたいな応酬を繰り広げる話がかなり効いてしまい、クラクラした。
駅が無限増殖する街の話も、よく解らない関係の大人と同居する事になった男の子の話も、本人にしか解らない心情を過度に汲もうと試みる人たちのドヤ感ってあるよなぁ、と暫く考え込んでしまった。それは確かに優しさであり、理解せんとしてくれる思い遣りを無下にしたい訳ではないんだけど、これは贅沢な事なんだろうか、みたいな。そんな事を思った。


そうして過ごしていても、多少薄らいだ癖にまだまだ「肉が食べたい」という欲が幅を効かせているので、流石に諦めた。時計は8時になろうとしており、そこまで粘るなら本物だと認めざるを得ない。弟子入り志願の座り込みの様な欲望だな、と思いつつ、別に朝からトンカツ食べようが自由なのにそもそも自分がどうして「朝から肉なんてもう…」と呆れていたのかも解らなくなってしまった。
作り置きしている鶏ハムを皿に並べて胡椒を振り、電子レンジで加熱した。
折角柔らかくなる様に作ったものを電子レンジで固くなるまで加熱する、という温めの範疇を超えた加工である。
この方法でコンビニのサラダチキンをジャーキー風にするというレシピをネットで見かけ、どうせ温めて硬くなるならジャーキーくらいまでやってやろうと試した。
結果美味しかったのだけれど、この美味しさは「わざわざ柔らかさを目指したものをカチカチにする」という背徳感が胡椒以上に最高のスパイスな気がした。

トイレの壁に会社で貰ったモーリス・ユトリロの絵画をテーマにしたカレンダーが掛かっていて、それが3、4月のままなのに気付いてめくった。
5、6月を彩る作品は「ロバンソンの居酒屋」というもので、初めて見たんだけど自然の中に東屋みたいなものが何棟も並んでいて、中には3、4階建てのものもあって、それが全部居酒屋の個室みたいなのかな、という印象で凄く楽しそうで気に入った。
こんなのあったら行ってみたいなーと思いつつも、自分の最寄りで連想していくとアクティブな人たちが集う海辺の手ぶらでバーベキューとかグループごとのテントサウナみたいな印象に到達してしまい、これは気質的にあっても行かないやつやな、とトイレで落ち込んでしまった。
それに働く側は大変そうだ。動線も悪いし、キッチンから遠い先も多そう。中には楽天イーグルスのスタジアムにあるイーグルスタワー4Fテラス席みたいな所もある。絶対虫にキャーキャー騒ぐ奴も来店するだろう。自然の中にあるんだから来る前から予想つくだろうに。
余程時給が良いとか、賄いが美味いとか、起業したい人が勉強の為とか、スタバ的に勤めるだけで一目置かれるとか、そんなんじゃなきゃ続けられないし、そもそも僕の様な根暗は面接で落ちるな、と何故か「行きたい」から始まった筈の妄想が「働かない」になっていて、天下のゴールデンウィークも真っ青。労働に毒されている。ゾッとしますわ。
いつまでトイレでカレンダーの絵を眺めているんだと1人で苦笑した。


その後も特に用事もないので洗濯をしたり、進撃の巨人を何話も観たり、ジェローム・K・ジェローム氏の「ボートの三人男」を読んだりして過ごした。
特にこれといった予定もないのに早起きした為、眠くなるのも早いし躊躇いなく早寝。

 


5月5日(金)
先日、実家に顔を出した際に折りたたみ自転車を貰った。
最近亡くなった親戚の遺品整理で引き上げてきたものだそうで、7年近く自転車を持っていなかったので「有り難く頂戴します」と受け継いだ。
折りたたみ自転車はメインで使われていなかったそうで、防犯登録すらされておらず(されてたら変更煩わしかったろうからラッキーなんだけど)、近く登録しなければなと思いながら、とは言え急ぐ理由もないので自宅マンションの駐輪場に停めて満足した。
前の持ち主もロクに使ってなかったろうけど、新しい持ち主もそんな乗ってあげられないかも知れない。そんな予想をしてしまう。
何故そんな予想に至ったかと言うと、折りたたみ自転車では無理がある距離のファミレスにレンタサイクルの電動自転車で行く約束があって、よりによってその当日が今日だったからである。

自転車目線で考えると最低過ぎるムーブだけれど、元々の予定として決まっていた所に彗星の如く折りたたみ自転車が現れたのである。
展開がラブコメではあるが、現実的に体力を使い果たしてまでファミレスに行くのはおかしいので大人しく電動自転車を借りて行った。
連れ立って運転しながら、ヘルメットが努力義務から必須になったらレンタサイクル業界はどう対応するんだろう?ヘルメットも鍵付きでぶら下げて被れる様にしてくれるのかな、などと考えながら久々のサイクリングを楽しんだ。
急ぐほどの予定でも無いのでのんびり漕いでいたけど、他の自転車にビュンビュンと追い抜かれていく。
皆そんなに速く走って周り見えてる?と思ったけど、車はもっと速いのを思い出して、皆はもっと凄いのが当たり前なのかと思った。
でも冷静に考えれば自分も車の免許を持っているので運転出来る訳で、一体何に対して凄いと思っていたんだろう、と腑に落ちない感じになってしまった。


ファミレスでパフェを食べながら、今日がこどもの日という事に思い至った。
母親が保育士だったので、行事の類については家より園でやり尽くしてる感があってあまり好きじゃなかったのをよく覚えている。

自分もマンションに住んでる下の子達の面倒をみて、夕方になったら皆が親に呼ばれて帰る中、自分の親は19時くらいにならないと帰って来ないという日常だったし、自分の母親の仕事の真似事みたいな事をやってしまっている自分が気に食わなかった。
大人に「いつも面倒みてくれてありがとうね、きっとお母さんみたいな保育士さんになれるよ!」みたいな事を言ってもらえても、やりたいかどうかじゃなくてお手伝いはするものであるって教わってるからなぁ、絶対保育士とか先生にはなりたくないなって子供の頃はずっと思っていた。
なのでこういう行事において自分の親が人の家の子供との方が盛り上がってる気がどうしてもしてしまって苦手だった。
ハチクロの竹本くんが母親が看護師でクリスマスがどうして良いか解らんみたいなエピソードを初めて読んだ時にわかり過ぎて泣けたくらいに。
まあ大人になった今、休みありがとうございます!くらいで良いとは思っているけれども。


帰宅後、ジェローム・K・ジェローム氏の「ボートの三人男」の残りを全部読んだ。
偏屈というか、自分に甘いというか、3人共に自分こそが秀でているという自信に溢れていて面白かった。森見登美彦さんの四畳半シリーズにも通じるくどくど喜劇っぷりに、イギリス人の執念のスタミナたるやという気持ちになった。
不得手な事や不都合が生じようとも「私は悪くありませんし」みたいなスタンスを崩さないのは喜劇なのについつい立派だなぁと皮肉でなく感心してしまう。こうなれたら、という。
ボートでの旅の最中、その場にいながら風景や出来事から全く違う思い出を創作含めてなぞりまくっており、今現在を楽しんでいるという感じが薄い時間帯も随分多いなと感じつつ、でも確かにこれは旅行でやりがちな事なのかも知れないと思い直した。
旅に出てゆったりした時間を手に入れて、ふと振り返って正誤の確認をする作業を自分もした事がある。そういう行為もまた「リフレッシュ」に含まれているのかも知れない。
それにしても自分の立場で腹を立てていたのに、同じ事を相手に言われ「心が狭いなー」となる感じのどの口が言うのか的な事を延々と繰り返しており凄い。
これが英語の教科書に採用されていると聞いた事があるが、事実だったとして、この文章で学んだ場合に身につくのは語学なのか言い訳のバリエーションなのか興味深い。
イギリスの地名も街の位置関係も丁寧に図示頂いておったにも関わらず馴染みが無くて頭に入ってこず、川下りの記憶も特にないので「何か身近に置き換えられないかな」と考えた結果、淀川が登場する曲を二曲思い出した。
QOOLANDの「白夜行」とハヌマーンの「猿の惑星」だった。
『「がたんごとん」阪急の声も淀川は溶かす』(白夜行)
『冬の淀川を流れる死体 猿の学生さん』(猿の学生)
片や小説がモチーフ、もう片方は映画のタイトルパロだけど、何と言うかそんな物騒だと思ってはいないけど自分の淀川のイメージと遠からず。
好きな曲だと感性が寄っていくのかな、などとボンヤリ考えながら日記を書いていたら22時を過ぎてしまった。日付が変わるまでには寝たいところ。


またー。