性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

焼肉丼定食ください!!!

転職組の後輩と久々に飲みに行った。

生肉を食い、焼いた肉も食い、特に記憶にも残らない話ばかりゲラゲラ笑いながら交わし続けた。2人が揃って前職に勤めていた終盤、もう1人を加えた3人組の仲が非常に良く、そのLINEグループが未だに現役だったので、残りの1人を軽くおちょくって過ごすなどした。辞めた挙句に酷い人達である。

話の中で唯一しっくり来なくてハッキリ覚えているのが「何だかんだ言って素直だし、ストレス無さそうですよね」と言われた事だろうか。

マジでえっ?てなった。

怒った訳でも不快に感じた訳でもなくて「こんなに仲良くてもそう見えるんだ」という衝撃があった。

それは得なのか、損なのか。

社会的に言えば得かも知れないけれど、人付き合い的には損ではないだろうか。「お前は頑丈だもんな」がデフォルトの人生だったので、最終的に今では自分ですらその根拠のない評価に縋って生活している気がするし、そこに果てし無く恐怖を感じる事もある。「僕、頑丈なんで」とか普通言う?漫画とかだと硬度が売りのキャラって大体倒されちゃう。モブかよ。ある日急に無限にダメになっちゃうんじゃないか、という予想が捨てられない。

ここ1年はやたらヒトカラに行ったり、映画館で映画を観たり、猫カフェに行ったり、立ち飲みに挑戦したり、直感的に欲しいものを買ってみたり、運動を始めてみたりと色々やっている。

ストレスは無限に湧いてくるんだから、解消法なんてものは本来1つでは足りないんじゃないか、という思いで楽しいと感じる事柄のチャンネルを増やそうと思いつくことに順番に手を出している感覚である。手を出したもの自体は楽しんでやっているが、そんな動機もあって思い出した様に切なくなることも稀にある。

1つで足りる人が、或いはそんなものが無くてもストレスと折り合いをつけて行ける人が本当の「ストレスが無さそうな人」なのではないか。そんな人いるんだろうか。いや、いるんだろうけど、成り方も、その眼を通した日常も全く想像がつかない。

ちなみに一番歴の浅いストレス解消法は筋トレで、メニューは2日に分かれていてざっとこんな感じである。

【DAY1】

・腹筋 20回

プランク 30秒

・サイドプランク 左右それぞれ30秒

・腕立て伏せ 30回

ダンベル2kg 各腕30回

ダンベル4kg 各腕20回

体幹を立てて腰を回すやつ 右回りと左回り各50回

これを1セットとして3セット行う(40分くらいで終わる)

【DAY2】

・ジョギング 2.5km

・30mダッシュ 10本

(ランニングではなく、のんびりしたジョギングなのでダッシュも入れるとやっぱり40分かかる)

この2つを交互に行ってるんだけど、そんなに縛りもないので飲みに行けばサボるし、仕事であんまりに疲れてもサボる。

無理しないことが続ける秘訣だと信じて結構甘やかしている。

メリットとしては肩凝りが楽になるのと、運動不足が解消されることと、筋肉がつくこと。

デメリットは、細身タイプの私服がガッツリ似合わなくなっており強制断捨離が発動してしまうことである。目に見えてムキムキになるような負荷の高いメニューではないけれど、それでも胸板が若干厚くなったりするせいで、お気に入りの服があまりに身体のラインと合わなくなってしまい手放す事が増えている。自分が繊細な服を好んでいたことに気付かされた。

得るものがあれば失う物もある、ということだろうか。残念である。

まあメリットが優っている気がするので無理に負荷をあげたりせず、細々と続けていきたい。

運動していると限界突破まで食べても「動けばいいんだよ」と思えるので気が楽である。

ただわ、まあその「よーしめっちゃ食べるぞ!デブってしまうけど食べるぞ!ふひひ」みたいな背徳感は薄れてしまったのでこれも一長一短なのかも知れないけれど。

 

食べると言えば、あなたは海鮮丼のご飯がホカホカなの許せる人だろうか。

僕は許せると思っていたのだけれど、あんまりに温かいとダメであると最近気付いた。

多少ネタがぬるくなるくらいなら何とも思わないんだけれど、ネタがご飯の熱を受けて温かくなってしまうのは好きではなかった。

これは僕を大いに落胆させた。海鮮丼にではなく、温かい刺身を受け入れられなかった自分自身に落胆したのである。焼き魚も刺身も好きなのにその中間地点(かどうかは怪しいが)を受け入れてあげられなかったのが辛い。

しかし、そう考えるうちに丼というスタイル自体に疑問が生じるに至った。

大前提として、刺身を温かくせずに食べるには2つの手段が存在する。ご飯を冷たくするか、ご飯とは別に提供するかである。

外食においては皿を洗う手間やそもそもの利益率が関わってくるのでそこまで言及するのは「お客様は神様論」を都合の良い受け取り方をしている残念クソ野郎に成り下がってしまうので触れないが、家で食べる分には答えはただ1つ、「嫌なら丼にするな」である。

刺身定食のスタイルを採用すれば万事解決なんである。これまで海鮮丼という日本語自体にビリビリと魅力を感じていたので盲目的に「刺身はご飯の上に乗せる」となっていたが、お腹が空くとご飯が冷めるのなんて待ってられないのだから別々にして食べるべきだったのである。そもそも論、ここに突然極まれり。

ついでに述べてしまうが、大体、丼でさえ米をおかわりする人間である。まず丼というスタイルが向いていない。「丼でも茶碗でも1杯は1杯、量の問題でなく1杯なのだからおかわりするのが当然」な我々からすると、丼はご飯を追加するのに向いていない。乗っている具材を温存したり、おかわりのご飯の下敷きにならぬ様に避けるのが面倒である。

要するに、米を食べたいなら定食スタイルが最も利便性に優れているのである。

また、食を野球のバッテリーが組み立てる配球の様に戦略的にエンターテイメントに昇華するという意味でも丼のよりも定食は優れている気がするのである。

これはまだ細かく自身を分析した訳ではないのであくまで自論ではなく仮説であるが、ここに記しておきたい。

以前、フードファイターがステーキの大食いの為に敢えて途中でカウントに加味されないサラダを食べていたのをテレビで観たことがある。彼は「サラダを食べることでより肉が食べられる」と言っていた。要するに食感、味、リズムに変化をもたらすとより食自体のエンターテイメント性が増すということである。

米を如何に多く、美味しく食べるかが大切な我々にとっては目先のボリュームを満たす丼よりもストーリー性に優れた定食の方が向いている気がする。

そして、その為に丼に洗い物の観点などからくる面倒さを倒し、定食を美味しく組み立てて食べるプロデュース力を培うべきではなかろうか。

何となくそんなことを思った。結局、米を沢山食べたいという話にすり替わっている気もするけれど、お米は美味しいんで仕方がないんである。

 

またー。