性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

猿学OBによるハヌマーンカラオケ入ったよというコメント。

ずっと聴いてきたハヌマーンの楽曲がJOYSOUNDに入ったので配信開始当日にカラオケに行った。
道中、何故か今津線の倉庫街のイベントスペースでとんでもないメンツなのに超ガラガラだったイベントで観たハヌマーンのライブの記憶をなぞりながらカラオケに行った。ネットショップが選択肢の一番手になり、物流拠点が投資対象としても激アツな令和の今となっては、もうあの場所もないだろうと思うと倉庫という無骨な出立ちにも関わらず儚さを感じてしまう。つわものどもが夢の跡。知らんけど。
春休みの土曜日という、ハヌマーンを好きになりそうな人からするとかなり不向きな週の中で最も陽当たり良好なタイミングであったものの、やはり何年もどうせ検索してもヒットしないと解っていながらデンモクで検索した日々を過ごした人間の怨念(情熱とかではない)は凄まじく、朝の9時にはカラオケにいた。
春休み料金、春休み極まりない客層の真逆にいる、沈み切ったサラリーマンがそんなアウェーをものともせずに120分延々とハヌマーンを歌った。
山田氏が公表していた10曲にお楽しみの1曲を含めて11曲。フルアルバムに匹敵する曲数を突然与えられて過剰摂取で感覚が麻痺して全曲歌った後は延々とトラベル・プランナー→リボルバー→パチンコ(Fever Beliver Feedback)→猿学(猿の学生)を時間が終わるまでリピートしていた。
テニスの王子様のように誰かが柱になれとは言ってくれない非主人公(まだまだだね)なので「俺が猿学の柱になる!」とキーキー頑張って鳴いた。
帰りの電車でより近づける為にYouTube日本猿の鳴き声を検索したが、そもそもそんなキーキー分かりやすく鳴かないという収穫があるだけであった。人間が記号的に割り当てた鳴き声なんて狭義なコミュニケーションで成り立つ程度の社会性を野生動物が持っている訳がないか、という帰結。浅はかで申し訳ないと思った。自然は人智を超えて偉大。
それはそうと、そんな所まで歌詞付きなのか、というポイントがあったりカラオケとしてそこまで収録されているのかという部分があったりと発見が楽しかった。
カラオケPVで割り当てられる映像がダンスっぽいものだったり廃墟っぽいものだったりというのが割と生々しくて後ろ暗い生活感で満ちたハヌマーンの曲を彩るのは凄く風俗街っぽい感じがして、これはこれで良かった。程よい場末感を生じさせる、というか。
全曲歌うとなると「幸福のしっぽ」と「アパルトの中の恋人達」がそこそこの尺なので60分だとリピートする時間が短い為、全曲歌うつもりなら75分あると良い。
こんな始発以外の朝が似合わないバンドが未だに好きなのに自分は早起き上等、常套の仕事を何年も真面目にこなしてそこそこ勤め人としてやって来れている矛盾、その両者がカラオケなんて場所で何年振りかに顔を合わせるという意味不明な構図はさながら「幸福のしっぽ」で歌われる「近づいていたつもりが 高速ですれ違っていただけ」の再現みたいで笑ってしまう。

ハヌマーンというその名前に違わぬ、と言うとインド神話の方かバンドの方がどちらかに失礼なのかも知れないが、まあ違わぬ活動と終焉であったので、こう名は体を表しますなぁ、と思うと共に、その神話の様に復活したハヌマーンに喜んじゃった僕は僕で風を吹かせたいなんて事を思うなどする。

合ってるか解らないので後で読む。https://ja.wikipedia.org/wiki/%25E3%2583%258F%25E3%2583%258C%25E3%2583%259E%25E3%2583%25BC%25E3%2583%25B3

何かハヌマーンというバンドで猿の学生なんて曲を生み出してるの結構な荒くれっぷりで凄いな。
それはそうと、同じフロアに同じ様にハヌマーンを歌っている方がおり、トラベル・プランナーが聴こえてきた。

大阪はハヌマーンのお膝元なのだなと思い知らされ、楽しみにしていた人が他にもいたのかという喜びもあった。
今後も上手いこと時間を見つけて「カラオケ行こ!」に負けないくらいカラオケに行きたいものである。


またー。

2024.03.10〜03.16の日記

03.10(日)

朝家事、ドラッグストア、筋トレ。

昼から住んでいるマンションの管理組合。

夜は「関心領域」の先行上映へ行った。

公開する頃にはプロ野球のシーズンが開幕しており、あまり目立たない作品は気付いたら公開終了しているなんて事が多いので早めに観られて有難い。

何が起こっているのか音だけで想像がついてしまう、かなり不穏な作品だった。

映像として見せない事で各自の持ち合わせている知識で最大の怖さを想像させる、受け手を最大限利用する映画だったと思う。

 


03.11(月)

支店から研修を1人受け入れたので担当する。

会議、研修、客先対応と喋る通しで喉がカラカラの1日だった。

 


03.12(火)

日記書かず。

 


03.13(水)

飲み会に顔を出す。

人が思っているよりもよく喋るし、自分が思っている以上にウケを狙っていくスタイルであるということを感じる。

人に笑ってもらうと嬉しいけど、そういうのが自分の素なのかと言われると違う気もする。

 


03.14(木)

全く知らない店の営業スタイルが気になってピンサロと貴金属買取について調べた。

パチンコも雀荘も知らない。

世の中に知らない世界と仕事が沢山あり、それを必要とする人も沢山いる。

人から見たら自分もそういう面があるんだろうか。

阪神ファンというだけでも野球を知らない人からするとそうなんだと思う。

 


03.15(金)

研修疲れもあってソファで寝落ち。

ずっと無料公開されていた烈&豪を読んでいた。

夢のある世界観を維持する為に大人の狂気的な熱意が標準装備されていて、最初はキツ過ぎてドン引きしていたけれど、読み進めるに従って素敵なものだなと思うようになった。

 


03.16(土)

ハヌマーンの楽曲がカラオケに入るとのことで9時からカラオケ。

10曲くらい入っていて、120分延々と歌い続けた。

別の部屋から「トラベル・プランナー」を歌う女性の声が聴こえてきて、大阪がハヌマーンのお膝元であることを痛感させられる。

始発前を除いて朝が似合わないバンドだなぁと思いながら歌った。

Amazonプライムビデオで「見えざる手のある風景」を観た.

より大きい力を持つ存在に共生を促される事で表面上は穏やかでありながら支配され、見下され、生かしてやってるんだぞ感が露わになるかなり風刺的な作品だと思った。

公開された頃に予告を観てSFベースのラブコメだと思っていたので、それを期待した人からするとガックリくるかも知れないと思った。

服の通販サイトのポイントが4月で2000円分失効するので何か買おうか迷っている。

ポイントがなければ別に買い物しない様な気もして、踊らされている・・・と思う一方で欲しい色味の服がちょうどあったので無駄にはならないんだけど、という状態。

明日までに決めたいと思う。

 

この日記から連想して短編を書きました。

https://note.com/sideboard/n/n1e1820af8f10?sub_rt=share_pw


またー。

食べ合わせバタフライエフェクト

交差点で信号待ちをしていたら、その1、2分の間に居合わせたお婆さんが同行者に「なんくるないさー」のイントネーションで「インフルエンサー」と連呼していて、得体の知れない煌びやかなだけの存在が急に温暖な気候の自然豊かな土地で育った穏やかな人のような親近感を抱くに至り感心してしまった。イントネーションの魔法。インフルエンサーから普段遠い価値観で暮らされているだろう方から発せられているのもまた効果を抜群のものとした気もしている。
しかし、自分の中で反芻し、SNSに報告し、仲間内に話すに従って何と言うか嘘エピソードの様な都合の良さを感じてしまい、確かに聞いたはずなのに「本当に聞いたのか」という気持ちになってきてしまった。
俗に言う「嘘松」現象である。
何故か覇権を握ったおそ松さんの過激さに呼応する無遠慮なオタクたちが撒き散らした嘘みたいな、恐らく嘘であろうエピソードの数々を指す意味の「嘘松」はおそ松さんが終わった今でも「嘘エピソード」の総称として今も残り続けている。
そもそも現実世界よりSNS上での経験値が豊富な人間が、見てもいない誰かの発言を一方的にジャッジしていくレギュレーションが狂っているが、そういう歪みというものがある種のポップさを伴って、作品から分離したことで何処にでも顔を出せる存在になっていっている気がして、正に胡散臭いインフルエンサーの様な存在感がある。
お婆さんが和らげてくれたインフルエンサーの印象が徐々に基準点へ戻り、そこからマイナスにじわじわと領域を拡大するのを感じる。
嘘松は映画「ミスト」の霧の様に広がり続けている。侵されているのは心なのか身体なのか、何にしても映画の様に胸糞悪いエンディングを迎えないよう、細心の注意を払いたいもしくは気に留めずに生きていきたいとは思う。

 

それはそうとファミマにジャークチキン風味という、これまで自分が聞いたことのない料理を模したサラダチキンが売られており、試しに買うついでにどんな料理なのかを調べてみたらジャマイカの伝統的な料理だと知ることが出来た。
ジャマイカというと陸上の短距離走が滅茶苦茶強い国というイメージで、食べ物については何も気にした事が無かったなと、コーヒーを中心にジャマイカについて紹介してくれるUCCのサイトを興味深く読んでいた。
https://journal.ucc.co.jp/column/1165
ジャマイカの代表的な料理を紹介するページにアキー&ソルトフィッシュという料理が登場しており、これが中々にインパクトのある説明で面白かった。果物と魚と野菜を炒めた結果、スクランブルエッグのような味わいになる、との事である。
色んな材料で色々やった結果がスクランブルエッグかい、というのが第一印象である。
味覚やら栄養素やら何やらもあって定着している国民食になんたる無礼な物言いだろうと思うが、見慣れなさ過ぎて仕方がない向きもある。
日本人に味の蓄積、経験値がないからスクランブルエッグみたいな味と近いもので説明するのが最善という判断なのだろう。実際にイメージも湧くし、本当にそういう風味なのか食べてみたいという気持ちになる。
実際のところ日本人にはそう感じられるだけでジャマイカの人たちにとってはもっと立体的な風味なのだと思う。
各家庭の味噌汁の微妙な違いを認識できるのは、日本人が味噌汁を飲む機会が多いのでデータが蓄積されて区別がつけられるからという話を思い出した。
海外の料理を食べた時に、これを食べ慣れた人たちは自分が感じられない小さな差をより楽しんで美味しく感じているのかと悔しくなるし、そういう意味では多様な料理が当たり前に食べられる国に生まれて幸運だった気がするし、贅沢になっちゃってるんだろうなという気もした。
何にしてもジャマイカ料理がどれも美味しそうなのでいつか食べてみたいなと思った。


またー。

苦手な家事っぽいもの。

最も苦手な家事は何だろうと真剣に考え続けるというよく解らない時間を設けてしまった。
そんな事を考えたいほどに潰したい時間があったとは到底思えないけれど、現実逃避したいという願望とその罪悪感が「どうせ考えるなら自身の危機感を抱かせるものをね」という謎の配慮でそうなったのだと思う。
結果、選ばれた最も苦手な家事は「使い切ったオリーブオイルやごま油の空き瓶を処分する」という事だった。台所周りの家事をこなしていると頻繁に処分しなきゃなと過ぎるにも関わらず、どうしてかすっかり忘れてしまうせいでそれぞれ三本ずつ貯めてしまっている。
家事を多少きちんとこなす人からすると油の入っていた瓶というのは割と処分が面倒である事はご理解頂けると思うが、現在自分が住んでいるマンションは油の瓶ですらいつ出しても良いルールで運営されているハイパーイージーモードで、それなのに忘れ続けるというのはもう一番苦手な家事と言っても差し支えない。家事を生物のように分類した場合、家事[界]台所[門]ゴミ捨て[綱]割れもの[目]瓶[科]空き瓶[属]油の空き瓶[種]みたいな感じだろうか。何言ってんのか解らないけども。
ともかく、わざわざ時間を割いて考えた数ある家事の中でも最も苦手とする家事なので、もう前世から苦手なのだと思う。
何かのついでにと思っているとどうせ4本、5本と増えていくのでここまで書いた所で処分した。
毎回こういう文章を書けば捨てられるかも知れないという凡そ改善とは思えない泥沼の対策を思いついた。何でも全部得意な人などいないのだから、と自分を励ましながらやっていこうと思う。


それはそうとカニカマとかうに風味の豆腐とか、〇〇味の食べ物みたいなのが結構好きで、辿っていくとスナック菓子とか大体そうで、最上流にはチョコバナナ味の歯磨き粉になるんだけど今でもあるのかな。言うほどそのものの味を表現するつもりもないけど、そう名乗っても大丈夫な範疇で寄せて来ることで本家とは違う謎の良さが生じている故にあんまり味という意味でどれも悪口とか聞いた事ないなぁと思ったりする。
化けるのが下手なキツネやタヌキを愛でている的なフィクションを現実でやれる稀な分野なのかも知れない。ニア崎駿監督作品、令和たぬき合戦ぽんぽこ。
まあ確かにコーンポタージュっぽい味ではありますわ、頑張ったんだねぇ、みたいな寛容なノリというか。スナック菓子に至ってはもうその「ぽい味」を最初から求めて買っているのでネタ元よりも欲していたりするから不思議だ。ピザポテトとかも別にピザの味はしないし、ピザポテトが食べたいから買うみたいになってるし。
ぽいものの方を欲している、代替品が当たり前になっているのが最寄りのSFみたいな感じだなと思うなどしている。


またー。

2024.03.03〜03.09の日記

03.03(日)

朝スーパー、洗濯、鶏ハムの仕込み。

平日にも家事を毎日やるのに何故か土日しか報告記載していない謎。

家事も仕事なので休みにまでやってるんだぞという自意識かも知れない。

ドキュメント72時間の北海道の灯油の移動販売が知っているものと随分と違った。

30mものホースを体に巻き付けての超労働。住んでいる環境で色んな仕事があるのだなと改めて感じた。

サマソニの先行販売で33000円入金。安くはないけど楽しみ。

大森さんのライブのチケットも買った。

大森さんには沢山助けられているけど、今回は色々と思うところがあるので悩んだけど、それでも観たいと思ったので買った。

それが弱いと言われればそうですねと思うけど、世の中の言い分と僕と大森さんの相違は結構違う気がしているので弱いと言われても「こっちは結びつきが強いんだよ」と言うしかない。こういう話の時に外野が一番客観性があって偉いみたいな風潮はしんどいものだなと考えさせられる。

僕は大森さんが自身の表現に関わる全員に株式会社大森靖子の看板を背負ってもらう中で、余りにも雇用主として個人の感情よりも自分の理想への再現度を求めすぎる所に違和感がある。どこからを任せるか、どのくらい待てるか、出てきた結果をどこまで信用してあげられるかを僕はずっと勝手に問うているんだと思う。勝手に、一方的なことで、これもまた大森さんを自分の枠組みで評価しようとする、やってる事変わらんがなという葛藤もあるけども。わんこ蕎麦のルールを誰も教えてくれなくて追い込まれて最後腕をぶん投げるしかない、となった時に勿論ちゃんと伝えろよとも思う一方で、投げなくても済む道を店が用意出来なかったんですか、みたいな。何を書いてもうまく言えないけども。

ずっと書けていなかった年賀状の返信を書く。来年こそは早く出すぞと毎年思っている。

 


03.04(月)

誕生日だった。

若い方が良いとは思わないけれど歳を取るのはやめたい。

午前は仕事、午後は運転免許の更新講習。

朝から証明写真を撮影した。1枚しかいらないのに大量に余る、わざわざ見たくもない自分の顔の集合に気が滅入る。

通勤定期も買った。

普段通りの頑張りをみせたけど、転んでしまったし、飲み物をこぼしてしまった。

お米が切れかけていたので買いに行きたかったけど、これ以上小さな不幸が重なるとやる気が月曜日から枯れてしまうと思ってやめた。

1年のスタートとして幸先が悪過ぎる。

 


03.05(火)

歯医者に行く。

スムーズに治療してくれて完了。お世話になった。

治療費がトータル1万円近くかかっているのでもっと手前で何とか出来ればと思い、定期検診を予約しておく。

相変わらず薄い不幸に見舞われていたので、ドラッグストアでお米を買った時に店員さんが「袋が破れやすいので気を付けてください」と声をかけて下さっただけでグラリときてしまった。我ながらヤバいと思う。

その店の繁盛を願った。

 


03.06(水)

野球の代表戦を観て寝た。日記書かず。

 


03.07(木)

選抜高校野球のチケットを買う。2日のみ。

年度末のせいか、会社の数字がどうやったら今よりも上がったんだろうと考えている。

貢献意欲というよりは、自分の給料やボーナスが下がったら困るという動機である。

ハヌマーンの曲が16日からカラオケに入るというのが数少ない目先の楽しみ。

客先へ行った際に足をぐねってしまった。

転んで右のひざにアザを作り、今度は左足首をぐねった。両足に負傷を抱える。

ひねることをぐねると言うのが方言なのか、それとも自分だけが使っている言葉なのか考えていたけど聞くのも億劫で誰にも尋ねないで過ごした。

 


03.08(金)

日記書かず。

 


03.09(土)

朝スーパー、鶏ハム仕込み。

買い物に行く中でカワセミを見かけた。とても綺麗だった。

住宅地なのに自然も割とあるので年に1回か2回は見かけるのでラッキーカワセミと呼んでいる。

消防署のガレージに消防車や救急車がびっしりと勢揃いしており、出動なく備えていられるということの平和さにホッコリすると共にその格好良さに痺れる。

鳥山明先生が亡くなられたことで、自分の世界にどれだけ先生が多くの彩りを与えてくれていたのかを思い知る。

親に観るのを禁止されたなぁ、とか作品以外の記憶も含めて思い出しながら過ごした。

R-1を観た。皆面白かったけど、その後にバカリズムさんのネタを観たら遥か上からでっかい拳でペシャンコにされるくらい面白かった。R-1だって滅茶苦茶面白かったし凄かったけど、また別の凄さがあるなと思った。

あんたんたるおもい、で泣くほど笑ってしまった。かりんとうの車に乗りたい。

 


この日記から連想して短編を書きました。

アマノコウスケの日記②(2024.03.03〜03.09)|大きな小皿


またー。

煮干しが前髪を泳ぎきるまで。

最近、誰でもいいから本屋に行って各自買い物をし、何故その本が欲しかったか、どこに興味を惹かれたのかをコーヒーを飲みながら発表だけして解散するという事をやりたいとずっと思っている。
勧め合いとか、書評みたいなのはハードルが高い。
お互いこれから読む本のどこに好奇心を刺激されたのかというワクワクを伝えるだけの時間があってもいいのではと考えているんだけど、令和はやっぱりコスパ・タイパの世界でもあるので読み終わった後の見解というものの方が重宝されるんだろうか。
ジャンルに興味を持ったとか、タイトルから想像したのが面白かったとか、表紙買いした本のどこに買ってみようと思うほど惹かれたのかという話が滅茶苦茶面白そうと思う人は少ないんだろうか。
何となくそんな事をずっと考えている。


そう言えば定時になったところで部下に「今日は髪を切りに行ってきます」と宣言され、そう言われてからずっと「翌日髪型についてコメントをするべきなのか」をめちゃくちゃ悩み続けて最終的に触れないことにした。単純に早く帰りたい理由の報告かも知れないという、僕なりの結論による選択である。
これまで一度たりとも早く帰る理由の説明を求めたこともないし、さっさと帰って欲しいというのは「はいはい」というぞんざいな重ね言葉を引き出すほどに重ね重ね浴びせ続けてているので伝わっていると思っていたが、まだ足りなかったのかも知れないと反省した。
有給休暇の申請も「明日休みます」とか「今日午後休もらいます」と言ってくれたらそれで良い。何故なのかは興味もないし自分が聞かれたら普通に嫌だ。どうしてもお願いしたい予定ですら案外いないならそれなりに何とかなるものである。
そう言った気持ちを持って翌日たまたま開催されたミーティングで「年度末で帰りにくいかも知れないけど予定と照らし合わせて上手いこと帰りましょう、有給も消滅してしまう分がある人は少しでも使いましょう」みたいな事を改めて伝えた。
頭に「繰り返しでしつこいかも、ですが」と添えてである。
そしたらミーティングが終わった後にその部下がやってきて、あ、休みの報告かなと思ってどうしたのと尋ねたら「昨日髪切るって言いましたよね、何の感想もないんですか?」と髪型のコメントを求めてきてマジでただの前フリだったのかと衝撃を受けた。己をコンテンツとして認識できる自信がマジで羨ましい。
愛されて育ったんだなと思う、と言うのは簡単だけど僕もまあ愛されて育ったはずで、どこまで自覚的なことに無自覚でいられるかみたいな話に頭の中でなっていった辺りで働かねばとシャットアウトした。


それはそうと自分の間食の最適解が煮干しであると導き出された。
それもナッツが入ったり胡麻がふられたオシャレなやつでなく、ガチで出汁用に売られている大きめでガシガシした徳用の煮干しである。
味の濃さと噛みごたえを追い求めて辿り着くというガムを選びと何ら変わらない発想で、後から健康にも良いと控えめに言い訳として付いて来る事態となっている。
とは言え職場で徳用煮干しをボリボリやってるのを周りに見せてワイルド通り越して奇怪な獣として怯えられるのも本意ではないのでこれまた徳用サイズのタフグミをずっと食べている。
歯磨き効果を除けば犬の骨ガムとやってる事に差が無い気もするせいか、最近では街ですれ違うわんちゃん達に並々ならぬ親近感を抱いて「僕もガシガシ噛んでるんですよ」とニンマリする始末。
生粋の猫派だと思っていたが親しみを抱くと随分と傾くもので、元々YouTubeに上がる最高ドキュメントの一つ富山ソフトセンターの集団狂犬病予防接種を観て自分も頑張ろうとインフルエンザの予防接種を打ちにいったり献血に行ったりしていたので犬好きが加速しているのを感じる。
これまでの好きのJRの新快速くらいのスピードだったものが新幹線のこだまくらいになっている気がする。
自分の精神構造が単純過ぎると思い知るたびに恥ずかしさに苛まれるが、一方でこんな偏屈な割に読後感が特に残らない謎の長文を書いている人間にそんなスカッとした面が残っているというのは喜んでもいい事だとも感じている。
喜び、どう表現すればいいのだろう。
イェーイ!
違うか。


R-1楽しみだなぁ。


またー。

誕生日に転んだんですけど私は元気です。

誕生日に転んだし飲み物をこぼして一年のスタートの幸先が悪過ぎて草。
普段文末に草を生やすなんてことをしていないので、慣れないで草を生やすとまたロクな事がないのではと思うほどにちょっとした不幸ばかりの誕生日を過ごしてしまった。
働いて、免許の更新も行って、自炊して食器も片付けて洗濯もしたのに普段より運に恵まれないのは何なんだろうか、と考えてしまう。
本当は米が底をつきそうなので買いに行きたかったけれど、外の世界で活動してまた微妙に嫌な事があったら流石に泣いてしまうと思ってゴロゴロしてしまった。
年明けは地震だし誕生日もこの調子で2024年を好きになる要素が今の所あまりないんだけど、ここが底として上がっていってくれる事を願いたい。
免許の更新のために証明写真撮ったら何枚もほしくもない自分の顔が余ってしまって呪力と重力を感じる。見慣れた顔ではあるけどわざわざ写真にされると謎の違和感があって、自分で撮った自分の顔なのに処分に躊躇う。
切り刻んだらくしゃくしゃにしたり燃やしたりしたら何かバチが当たるんじゃないかとぼんやり考えてしまう。もちろん自分自身なので供養に出すなんて発想までは至らないものの、なんだか気が引けてしまう。
世の中の人たちはどうやって証明写真の余りを処分しているんだろう。そんな事を考えているうちに寝落ちしてしまい、何というか淹れるのを失敗して薄過ぎて不味くなったコーヒーを勿体無いと啜るような誕生日になってしまった。
ここからV字回復はあるんだろうか。出来るように楽しみを作っていきたいとは思う。


そういえば僕は魚座でB型の男性なんだけれど、同僚たちとの話の流れ(いい歳したサラリーマンたちが小学生の昼休みみたいな会話してるのウケる)で占いを調べてみたところ、自分らしいを通り越して自分過ぎる性格的な特徴が延々と列挙されており、マジでこの結果のモデルが自分ではないか、当て書きされているんじゃないか、もしやトゥルーマン・ショー的な人生を生きているんだろうかと思ってしまうほどにそのまんまだったので1人だけ世にも奇妙な物語のホラー回に巻き込まれたくらい凹んでしまった。
誰にでも当てはまる表現も多々あるものの、どちらかと言うとそうかなぁを逸脱するほど、アーチェリーのど真ん中を連続で射抜いて一矢を二矢が破壊するくらいのものだったので本当に嫌だ。
しかも割とネガティブな方で当たっているので占いはもう暫くいいですと思うと共に占いがちょっと嫌いになった。
そんなさ、何でもかんでも言い当てたらダメだと思うんですよ。正論ばかり並べる人間は正しいかも知れないけど好かれるかどうかって言われたらそうとも限らないんですよ。わかります?
それにしても生まれた月と血液型で凡その個性が特定出来るというのは面白い。幼少期からある程度の基本ルートが決まっていて全国的に同じ体験をしているから似た性格に皆が寄っていくというのはあるのだと思うし、そういう意味では日本は本当に立派な制度が確立されている国なのだとも思う。
これまで出会った同じ星の下に生まれた人もまあ近い性格をしていた気もする。3月生まれはクラスで下の方で、特に保育園や幼稚園だと「なんでコイツが同い年やねん」という発育の良い同い年と同じクラスに入れられ、体格と腕力にモノをいわせての加害を受ける事も多く、あまり溌剌とした性格にはなりにくい。逆に我が物顔で謳歌しがちな春から夏に生まれた皆さんは今もどちらかというとポジティブ思考が基本なんじゃないですかね、皆さんは自分がつかまり歩きが出来たところにズンズン歩いてきた同い年に突き飛ばされるなんて経験がないから、記憶の外でまでくっきり刻まれた敗北感がないから。
おれたちはな、生まれながらにして敗北を知るナチュラルボーンリベンジャーズなんだよ。意味不明ですが。
話が逸れてよくわからない方向に着地してしまったのでこの辺で。


またー。