性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

茹で卵の神様のお導き。

今週の観た作品だけでわりと長くなってしまったので、もうそういう日記ということにしたい。


ポッドキャスト「こじらせ平成夜話」で紹介されていた仮面ライダーアマゾンズを観た。アマゾンオリジナル作品なのに、いつか観るぞと放置していたらアマゾンプライムで配信されなくなってしまったというよく解らない経緯を辿っていたので忘れ去っていたのだけれど、パーソナリティの方の熱弁に観たいという気持ちを目覚めさせてもらい、とりあえず配信されている劇場版のseason1を観た。
仮面ライダーというよりは人間に生み出された種族が人間の理不尽に翻弄される姿を通して生きる事やら生き物を食べる事なんかを考えさせられる作品だった。
かなりシリアスな作品だったんだけど、初登場時に生卵を食べて気怠げにキメてるキャラがいてあまりの面白さにツボに入ってしまい、滅茶苦茶笑った結果お腹が痛くなった。持ち歩いていた生卵なんか生のまま食べるから…という気持ちになったけど持ち歩いていた生卵を食べているのは登場人物であり僕ではないので勝手に腹痛を起こしただけであるし、茹でた方がいいよ…と言っていたら本当に茹で卵を持ち歩いている描写が登場して「心が通じてる?」と全く関係ない部分でドキッとさせられた。
作品自体もかなり面白いんだけど、劇場版で視聴する場合は「こじらせ平成夜話」での紹介を聴いてから観るとわかりやすいと思う。Spotifyで検索したら出てくるしApple Musicにもあるのかな?(YouTubeにもあるけどまだアップされてない?)という感じだった。誰かが好きなものを話してるのを聞くというのは自分が知らない作品でも凄く楽しいというのを思い出させてくれる良いポッドキャストだと思う。


同日にたまたまジョージ秋山さんの「灰になる少年」を読んでいて、割と主人公の苦しみに通じる所があって、何かそういうのと巡り合う周期なのかな、とボンヤリ思っていた。


その翌日、AKIRAのセル画展の為に近未来感が通じると噂の「ブレードランナー」を初めて観たら人工的に生み出された存在が抗い、人類が排除せんとする物語で、本当にそんな作品を欲して第六感で引き寄せているのではと思うほどの引きの良さに少し怖くなってしまった。
ブレードランナーも面白かったし、理不尽な悲しみと虚しさが根底にある物語だなと感じつつ、強力わかもとのゴリ押しは何なんだろう。人生で一番高頻度で強力わかもとを見かけた。そしてブレードランナーにも茹で卵が出てきて笑ってしまった。
卵の神様に祝福を受けている可能性がある。


何となくこの連鎖を一度断ち切っておいた方が良いのではと思いつつ食器洗いをしていたら何故かAlexandrosの主題歌が思い出され、これは丁度良いぞと「グッバイ、ドン・グリーズ!」を観た。
dアニを契約しているので見放題作品として観られてラッキー。想像していたファンタジーっぽさがなくて、描かれ方もあまり感情移入出来るものでは無かったんだけど、予想は外しつつ面白く観れた。
割とYouTubeならサムネにプロモーションを含みますと表記出そうなキーアイテムの使い方があって、それってもっと物語に染み入る役割を与えられたのではと思ってしまったのだけが残念だった。
プロ野球のシーズンが終わると筋トレ中に野球中継が見れなくなる代わりにdアニでアニメを観ながら筋トレをするのでそろそろ僕の中でdアニのシーズンが本格的に開幕する。
一年中どころか何年も膨大な作品を提供してくれているのに勝手に半年がシーズン本番扱いされてしまいdアニさんが怒らないか心配ではあるが、きちんと会費を払い続けているので許して欲しいし、最近もちょいちょい観続けて「スクライド」を完走した。荒廃した世界、暴力が支配する世界というのは性別が滅茶苦茶前面に押し出されるよなぁ、と思いながら観た。
結構どのキャラも頑固で、頑固さが「一本筋が通っている」となる成長がそれぞれあったのが熱血っぷりに拍車をかけて良い作品だった。
保志総一朗さんと緑川光さんという組み合わせは何度か見かけた気がするんだけど、どうなんだろう。ロストユニバースとか。
滅茶苦茶ダサいけど好きなキャラソンをカラオケで歌ったのを思い出して、今度カラオケに行ったらまた歌ってみようと思うなどした。


またー。

心でなく腹部のエコー写真に映画の場面が焼き付いている症例。

健康診断で腹部のエコーを受けながら、技師の方の「息を吸って・・・止めて・・・」と言う消え入りそうなボリュームの声を聞き逃さない様に聴覚に意識を集中させていた(隣のブースの技師の声の方がよく聞こえるので「もしかして聴力の診断も兼ねているのでは」と思ったほどである)ら、検査が終わったらしい隣のブースで男性患者がエコー写真が貰えないかとお願いしており、技師の方もそれが何故なのか分からず困惑している会話が聞こえてきた。

自費の検査で気にしているならまだしも、健康診断で撮った写真を欲しがる理由は自分の中で全く見当がつかず、また技師さんからしてもイレギュラーな事だったようで、どうして良いか解らずに困っている様だった。

どんな理由で腹部のエコー写真が欲しいのだろう。きっと何かしらの理由があって、それは話したくない事なんだろうか、そんなことを考えているうちに自分のエコーを担当してくれている技師さんの小さな声を無視してしまっていた様で、腹部に押し当てられている機械でお腹をグリッと強めに抉られて、咄嗟に「すいません」と言い、大きく息を吸い込んだ。

支配されている、健康を盾に絶対服従ってやつかと思うと、何と言うか隣のブースの患者さんの希望も必要性という枠からはみ出た反抗の様な気がしないでも無いな、と思いながらその後の検査を受けた。

即時結果が分かるものに関しては前年とまるで違いのない数値で健康極まりなく、本当に1年を過ごしたのかな、自分だけ1歳若いまま年齢を留めてくれたりしないのかなと思いながらその日を過ごした。

 

最近、平日にも土日にも映画を観る。

途中で止めれば二時間近い映画でも余裕のない日にも鑑賞できる事にようやく気付き、その方法を導入した。

まぁ余裕というのは作るものであるので、それが捻出できない自分において優先順位が低いとも言え、あまり自慢げに言うほどのことではないのだとは思う。

何となく映画を観たいと思って「バグダット・カフェ」の気怠くなってしまいそうな暑さと、どこへも行けない中の自由みたいなものをボンヤリ眺めた。

コーヒーの濃さにお国柄を通り越してキャラ立ちを垣間見れるのは素敵だなと思うと、他の作品でもコーヒーの飲み方で割とその人の雰囲気が感じられたりするよな、と思った。ホテルもモーテルも何となくホラーやサイコスリラーの舞台になることが多いけど、こういう小さな幸せ系(人生としての変化は大きいけども)も良いものだなとしみじみ感じる。

また別日には「マグリナント〜狂暴な悪夢〜」を観た。何となくパワー系のヤバいやつが出てくる映画が観たいなと思いながらプライムビデオを適当に漁っていたら辿り着いた。何を書いてもネタバレになりそうなので詳しく書けないので、ヤバい身体能力の連続殺人犯が出てくるホラー要素もある映画と言うに留めておきたい。発想の一点突破でしっかりエンタメに振り切っており、超満足した。

2日に分けて観たのだけど、たまたま丁度前半から後半の分岐くらいのタイミングで持ち越した様で、前日の内容を自分で整理して後半に挑めたのも良かった。思っていた通りの仕掛けで思っていた通りの展開だったけれど、視覚的に予想を上回る派手さで凄く楽しめた。内容を知ってしまうと2度とこの新鮮な楽しみ方は出来ないのだろうな、と思うと残念ではあるけれど、知らない映画が星の数ほどあるので次の出会いに期待したいと思った。

その他には朝早くから「ユージュアル・サスペクツ」を観て、どんどん明るくなってくる外に対して基本的に夜に物語が動き続けるので「朝に観る作品ではなかったかも知れない」と後悔しつつ、結局面白くて最後まで見続けてしまった。美学も躊躇いも大きな恐怖の前に揺らいで、遠くに見えて「そこにあるぞ」と思っていた破滅へ向けてワンチャン狙いで突っ込んで行かなくてはならなくなる主人公たちの苦しさにゾワゾワしたし、感じていた会話の違和感もしっかり明かされ、しっかり寝て早起きしたはずなのに徹夜特有のギンギンした感覚になってしまったので、立て続けに「ドラゴン・タトゥーの女」を観てしまった。

昔に映画館で観た予告の雰囲気からバリバリのアクション映画なのかと思っていたけど、かなりミステリー要素が大きくて意外だったけれど、ダニエル・クレイグ氏の善良なパパっぷりと娘と同年代のヒロインに終始押されっぱなしの愛らしさ、猫ちゃん愛でパートなんかも意外な良さだったし、ルーニー・マーラさんのスタイリッシュなビジュアルと知的ながら自己防衛本能全開な姿にはビリビリ来た。

割とロマンス要素で好みが分かれてしまいそうだなと思うんだけど、ロマンスじゃなくてヒロインが欲しくて手に入らなかった人生への望みを主人公に垣間見れたんじゃないかと思うと凄く切ないというか、それでも信頼出来る繋がりを得られたと言うことが彼女の糧になってくれたらいいなと願わずにはいられないし、続編もあるので早いとこ観たいなと思っている。

最後は「文芸版プラダを着た悪魔」と言う、宣伝の仕方としてはリスペクトもへったくれも無いコピーが添えられてしまった「マイ・ニューヨーク・ダイアリー」を「きっとそれだけじゃねぇだろ」と勝手に反抗的な気持ちになって、これを書いている今日の朝に観た。

プラダを着た悪魔」と言うフレーズから脳内に米津玄師のKICK  BACKが流れるオタク脳。チェンソーマンの中でハイブランドの悪魔ってどれくらい強いんだろう。恐怖というよりは畏敬って感じだろうけども。

作家を夢見ながらも出版エージェントの職についた主人公が、職務であるサリンジャーへのファンレターへの返事を通して読者の人生や想いに触れ、やっぱり作家を目指したいぜ!という気持ちと向き合うかどうかというあらすじの作品で、だとしてもプラダを着た悪魔みたいにライバルとバチバチとかじゃなく、感情に振り回されながらも手放さず、尊敬に値する行動力で生活を切り開いて進んでいく良い作品だと思った。

サリンジャーのファンの手紙を書く人たちがX(旧Twitter)にいる文学的に140文字を使い切る天才と近い価値観で迫ってきて、やっぱりTwitterは文学的側面があるし、それがXになっても残って欲しいなと明後日なことを思ったし、本が好きな人や詩が好きな人はこういう事をどうしても考えちゃうんだろうなと思ってしまった。返事なんてどうでも良くてファンレターを書くほどに好きな作品に出会いたいなと思うし、これまで書いてくれば良かったと思う映画だった。

何となく始めた習慣なのでそのうち飽きるんだろうけど、それまでに何本か映画が観れたらいいなと思いつつ。

 

またー。

気付かなかった角やドアを教えてくれる体験は貴重かも知れないと言いたいだけの日記。

尾崎世界観さんがラジオで「本にはアート期がある」という、平たく言うと積読仕方ないよね発言をされていて、アート期という言葉の選び方はポジティブでいいなと思いつつ、その飾るとかモロ積読のソレとして寝かせるみたいな事があまり出来ない気質で、経験値や知識が足りずに思ったより難易度が高い場合にも時間を置くなどが出来ずに苦しい思いをしながら何とか読み切るという、スポーツ強豪校の食トレみたいな修行めいた読書を自分に課してしまう事がある。誰にもそんな事は求められていないのに。興味があるから買ったのだし、読めるはずだという根拠としては弱い思い込みで突っ切ろうとする自滅根性。著者や本そのものからも「また今度読んだらいいでしょうが…」と思われそう。
古本が苦手なので新品で買うのだけれど、何と言うか正規の値段で買ったものなんだから頑張らねば!みたいな気持ちもあって、全てが悪循環な気がしている。
とは言え9割5分は身の丈にあった本を選んでいるので子供がカッコつけて無理してコーヒー飲むみたいな、そう言う事が一生出来る世界が読書なのだとしたら、それはそれで素敵な事ですよねと、これもまあ尾崎世界観さん的なポジティブな言い訳。
クリープハイプは本の匂いやら映画の予告みたいな情景が見える曲が多くて定期的にドカ聴き(ドカ食いみたいな)している。
本にも音楽にも、あと映画にもお世話になりつつ、少しずつ自分の価値観を肯定したり疑ったり付け足したり差っ引いたりする作業は中々凄い作業な気がする。
今は脳科学者の方のお母様が認知症を発症されて、脳科学者としてどう向き合うか、という本を読んでいる。これも将来の可能性とかでなく、単純に興味本位で購入してしまっているんだけど、そういう本を読んだ事が記憶の端にあるかないかでその時に身動きが取れるかどうか違う気がしていて、アンテナに引っ掛かったからには引き出しを用意して突っ込めていたら良いなと思う。
それが解決法でなくても良くて、何というか「ああいう世界が来たのか?」と感じられるだけでも大分価値があると思うので。


それはそうと映画「アステロイドシティ」をようやく観たんだけど滅茶苦茶面白かった。
相変わらず「難解なものは簡単に見える」という、易しさにはあまり配慮していない設定(そもそも単体の物語でいけたものをそれがテレビ番組のドラマですという二重構造で描いているというのが難し過ぎる)なのだけれど、割ととんでもない事が起こっている筈なのに妙に呑気なのを当たり前に受け止められるのは「ドラマを演じている人たちだもんな」で済ませられるからなのかな、と思っていた。
核実験やら、どう考えても新たな軍事転用技術コンテストやら、情報統制やら、宇宙人やら、エリア51ばりの殺伐さをギャグ用のフックとして当たり前に利用してるのはその二重構造あってこそまろやかなギャグとして通じてるのかな、と思う。
エリア51でこんなことが、にするにはあまりに直接的なのかなぁ、なんて事も考えながら。
語り部のセリフ的にそれ以上の意味を見出せると思うけど、一回観ただけでは自分には難しかった。
何にしてもパステルの色彩とおしゃれな衣装(衣装協力がエルメスなど錚々たるブランド…ポロシャツやらシャツの襟元美し過ぎたもんな)がサラッと満載で目の保養になったし、多様なキャラクターが会話しているのもテンポが良くて楽しいし、皆とても優秀だけど何か不器用で、そこもまた現実味がない吹っ切れ方しているのにきちんと親近感があって良い。
多分、この人はどんな人だろうと考えながら映画を観る人にはとても楽しいだろうし、説明があって当たり前な作品を好む人には難しいだろうし、人に勧めにくい作品だなとも思った。
二重のフィクションを簡単に説明することは単純に至難の業であるし、その仕組みを話そうとすると何かネタバレを踏んでしまいそうな気がする厄介なトラップでもある。


またー。

カラーギャングみたいなとこある阪神ファン。

大好きな阪神タイガースが順調にリーグ制覇へ向けて頑張ってくれている。
制覇となると、記憶にほぼないくらい久々で関西がどうなってしまうのか気が気でない。
YouTubeSNSが普及してから初めてのこととなるので、どんなヤバいファンがどんなヤバい事をやらかすのか、恐らく大阪・兵庫の警察関係者や警備、公共交通機関に携わる人の中には嬉しさ反面頭を抱えている方もいるのではないだろうか。
意味のわからないウケ狙いと、それを率先として配信する人たちが現れてしまわないことを願うし、それでもやはり甲子園球場の試合で決めて欲しいと願っている。
沢山の人が長いこと信じて待ち侘びた瞬間なので、チームは是非その人たちに素敵な時間を勝ち取ってあげて欲しい。


それはそうとチェンソーマンや呪術廻戦の舞台が今より若干前の時代なのって、メインの読者層が思春期過ごしてて共感しやすいからか、現在が便利過ぎて物語の進行を淡白にしてしまうから、みたいは要素があるのかなぁと突然ボンヤリと考えていた。

どこかに理由はあるんだろうけど、それを調べてまで知りたいというものでもなく、自分の考えの正誤も興味はないけど、何故かそういう事を考えてしまうし、そういう探究心もないのにあれこれ考えてしまう時は疲れが溜まっているサインなので湯船に浸かるに限る。さっさとお風呂掃除をした。
普段シャワーで済ましているのもダメなんだろうけど、毎日湯船に浸かるほど入浴に時間を割くくらいなら寝たいと思ってしまう。
子供の頃、さっさと風呂から出てきてしまうので親に烏の行水と言われていた事を湯船に浸かっているとよく思い出す。今では20分くらいはしっかり入っているので成長したのだな、と思う。


そう言えば最近は池袋ウエストゲートパークのドラマをアマゾンプライムビデオで観ている。
原作を読んでいた以外は特番ドラマ回を観た事がある程度だったので懐かしさよりも新鮮さが強く、楽しく観ている。
錚々たるメンバーが大変若い。自分も所持したことのない折りたたみじゃないガラケーを登場人物たちが使っている辺りにレトロ感という意味での懐かしさを感じる。
そして何故かアイコンの様に登場する焼きそば。
作るのが楽だし野菜も摂れるので週に一度は焼きそばを作って食べている自分からすると親近感極まりない頻度で登場する焼きそば。
週一の焼きそばで楽をせんとする自分を肯定された様な気になる。
僕もウエストゲートパークの住人だったらと妄想するも、あんな治安が悪くてサイコめいて尚且つ暑苦しい登場人物ばかりの環境に馴染める訳がない。カラーギャング怖過ぎるし親に忠告なぞされずとも絶対近寄らないだろうなと思った。


またー。

念能力「CRAZY GAL ORCHESTRA」は恐らく強化系。

バスケットボールの日本代表が知らない国の代表と試合をしたのをニュースで観て、自分の無知っぷりが恥ずかしくなる。
Wikipediaで調べて少しだけでも知れたら、と読みながら、このパターンでいつも真っ先に思い浮かぶのが「僕が今まで知らなかったこの国には、僕が知らない美味しい食べ物があって、皆が美味しい美味しいと言って食べているんだろうな」という事である。言語とか主な宗教とか経済とか政治とかそんな事よりもそれが思い浮かび、これまた一つ覚えの様に何故かラム肉を焼いた料理だったり、でかいエビをどうにかしたやつだったり、豆主体のドロリとしたスープのいずれかをランダムで連想(というか予想)してしまう。全く失礼な話ではあるが、どこかの国に暮らす人たちからすると自分もそんな感じでイメージですらない博打的な予想でもって想像されている事もあるのかも知れない。
そんな事を考えていた中でサイゼリヤで夕飯を摂る事となったのでラム肉の串焼きを食べた。
美味しかったしグラスワインに合う。
サイゼリヤは他の外食チェーン店がタッチパネルを導入し操作性に試行錯誤している中で注文用紙を導入してコストを云々とよくネットが盛り上がっているけども、一面としてはそうだけど別の面があって、単純にそういうものが出揃うまでの待ち方が上手いというか、ある意味ズルいとも言えるんじゃないかなと思っていて、それも何も悪い事じゃなくて立派な戦略だけど、だとして記載した注文番号の内容を確認する為に元素記号が如くメニューを暗記して唱えてくれるスーパー店員さんたちに救われている側面があると思う(全店にいらっしゃるのか不明)ので、賞賛するならそっちだろう、と思ってしまう。食べ物はほんといつもいつも美味しいので感謝しきりである。


それはそうとCRAZY GAL ORCHESTRAという集団の結成記念コンサートに誘われたので行ってきた。
『関西最凶ギャルズが室内楽でフロアを揺らす』という物騒なコピーに興味津々であるし、最強でも最恐でも最狂でもなく『最凶』であるところに不吉さとまがまがしさを感じてテンションも上がる。
クラシックは基本的にのだめカンタービレを主戦場にと言えば聞こえが良いが、単にそこから外へ飛び出していく機会をあまり掴んでこなかったので「のだめ以来のエンカウントが『1万人の第九』を除いてコレなの大丈夫かな…まあ響きだけで考えたら滅茶苦茶丁度良さそうだけども」と思いながら誘いを受けた。
普段乗らない地下鉄、普段歩かない街。今福鶴見には確かに強めのギャルが暮らしていそうな空気がある。根拠はないが。
本公演はレベッカ・クラークというイギリス出身の作曲家を特集した内容になっていて、初めて聴く曲ばかりだけれどとてもキャッチーで揺れて聴きたい曲が多かった。(そういう楽曲を選んでくれていたのだろうけども)
かなりパンチの効いたフレーズが複数回登場して「エヴァのサントラかな?」と思ってしまうくらいの派手さもあり、面白いものを観たぞ、という気持ちになった。
ギャルマインドを持ったメンバーがギャルマインドと重なる作曲家をギャルフィルターを通してこちらに提示してくれるので「(オタクに)優しいギャルは実在したんだ…!」と思ったし、優しいギャルは実在するし、寧ろギャルに優しくないオタクの方が多いだろうなと思うなどした。
レベッカ・クラークはヴィオラ奏者との事で、ヴィオラがガツンと来る曲があるとの事で、ヴィオラを意識して聴いた事がない僕からするとマジでこんな良い音がする楽器だったのかという衝撃があった。ヴィオラ好きだわ。正直ヴァイオリンの声の低いお兄ちゃん(擬人化した場合、運動部に入っている)くらいの認識だったのでアップデートして貰えて得した気分だった。
ヴィオラの音はブラーをたくさん聴いた今年の自分の耳にはドンピシャだった。ヴィオラもブラーもメロウなパートが凄い良いという共通点がある。
パンフレットはピンク、ギャルの定義から楽曲解説までするする読める文章も凄く良かったので、それを書いていたギャルのはこびてゃさんの作品が含まれている本を物販で買った。折角買うなら面白そうな本を買わないとな。
物販にアクリルのキラキラしたメリケンサックが売っていた。デコれるパーツ付きの豪華仕様で、いつでも心の拳は握れないとな、と何か背筋が伸びた。


翌日、冨樫義博展『puzzle』を観に行く。
朝食の為に厳しい名前の、何やら由緒あるんですわ系のパン屋兼カフェに入る。コーヒーの名前がどれも独自路線の名前をしており、それに倣ってオーダーをしたら「アメリカーノブレンドですね」とメニューを言い換えられてモヤモヤした。
慣れない人間がそちらが定めたレギュレーションに沿って頑張ったのにハシゴを外す様な言い換えをされるとアウェイに乗り込んできたチャレンジャーを大事にしてくれないんだなと思ってしまう。
まあ聴きなれない響き過ぎてお客さんに散々説明させられたりして嫌気がさしてて、もう先にジャブ打っとこうみたいに思ってるのかも知らないが、ジャブもパンチであることには変わりなく、不意に殴られた気がして釈然としなかったがコーヒーは美味しいしパンも美味しかったので今回は許す。
冨樫先生の原稿は修正が異常に少なく、どんだけ高い精度で脳内を紙の上に表現してるんだよとゾッとすると共に、皆完全に知ってることだけど絵が上手過ぎて生原稿を見ても尚実在するのが信じられなかった。
どの作品も面白いし、どの作品も読み返したくなった。レベルEの甲子園の話とHUNTER×HUNTERの幻影旅団のエピソードが特に好きだ。
展示会グッズの暗黒大陸総柄Tシャツはマジで色味もシルエットもサイズ感も良過ぎて気付いたら買っていた。ブラインド商品のハンター試験の番号札を買ったらクラピカが当たった。推しの1人なので嬉しい。
今月は髪も切りたいし飲み会もあるし節約しなきゃなと思っていた筈が、圧倒的なパワーの前ではこんなもんである。これを糧にテンションあげて精進しますわ。


またー。

君にもかけたい、15時の魔法。

世の中の人は仕事のメールチェックを日曜の15時にやりがちなのでそこを狙ってビジネスメール書こうぜ!と受け取れる地獄が緩めにジョギングで近付いてくるニュースを読んで、じゃあこのブログもそれくらいに投稿すれば或いは…?と思うものの、何のビジネスみもないので無配慮に書き終わったタイミングで投稿して海に漂う瓶詰めの手紙みたいな感じで続けていこうと思いました。おわり。
瓶ギチギチの枚数で内容がコレだと思うと新手の兵器の様相だろうけども。メンタルの膝に来る攻撃に成り果ててしまう。


それはそうと筋トレをしてTシャツはしゃーなしで着替えるけどパンツはまあいいか、あと数時間もすればお風呂入るし洗濯物が増えるし勿体無いもんな、という貧乏臭く、そしてもしかしたら汗臭い暮らし方をしているんだけどエアコンをつけていると下半身の微妙な汗の湿りが冷房で冷えてお腹が痛くなる事が年に何度も起こるので全然良くないし、パンツ一枚洗濯物が増えたところで誤差みたいなものなのに毎回それを忘れて繰り返してしまうので「人間は愚かな生き物である」という前提を忘れずに謙虚に生きていられている気がしている。学ばない事を肯定するのは愚かではあるんだろうけど。とは言え、そろそろ冷房無しでも過ごせる時間が長くなってきており、あぁ、季節って巡るのか、あの地獄の釜茹で、気分はうどんか蕎麦かラーメンかみたいな日々も一過性だったのだな、と人間だった頃の記憶を取り戻した様な気分でのんびりと切なさ、あるいは虚しさが入り混じった浸り方をしている9月。突入姿勢としては間違いに違いないが、まあそれはそれ、誰も気付いている訳もないので、さもちゃんとしてますよという顔をして暮らしている。
余裕ぶってやってくのが大事っていうのはスラムダンクで宮城選手が言っていたので、その実践という事にしておきたい。


かのロングラン上映となったFIRST SLAM DUNKも遂にフィナーレという事で誘われて最終日に観に行ってきた。
特にどう、という事も最早ないんだけど良過ぎて良かった。
良過ぎて良かった、というチゲ鍋(鍋鍋)、クーポン券(券券)みたいな物言いで片付けていいのかと言われたら正直ダメなんだろうけど、そういうのって響きがセーフならもう大丈夫みたいな所あるじゃないですか、じゃあ良過ぎて良かったが大丈夫なのかって言われたらそんな事ないんだろうけど先述した宮城選手論法で素知らぬ顔、余裕綽々でやっていきたい。
とは言えミッチーがやっぱ、あの疲れてからの方が愛嬌を増していく、疲れて無駄な力が抜けてからが本気みたいなジェネリック酔拳みたいなプレースタイルは元運動部としては憧れざるを得ない。競技から暫く離れてましたよーみたいな身体付きも更にポイント5倍のスギ薬局である。カウンセリング商品枠であるかポイント15倍、みたいな次元の格好良さなので凄く良かった。


そう言えば友人にチケットを譲っていただいてcovetの来日公演を観に行った。
心斎橋は様変わり、改札の外に真新しいドトールが出来ており、ラグジュアリーブランドの路面店との対比かと思いきや内装が割と凝ってて凄い、挑んでる…という気持ちになった。基本高齢者のエンドレスエイト、終末の四畳半体系、繰り返される溜まり場としての機能としてはZepp級のドトールも心斎橋となるとオシャレだった。時間もあったし甘味を欲していたのでミルクレープを食べたが十三や南方や淡路と同じ味で海外でマクドナルドを食べて安心する人の気持ちがわかった気がする。絶対笑っちゃいけない。
時間があったので突入したろうと思っていたBurberry路面店は改修中で大人しくライブハウスに直行したものの、道中、洋画の賭博場や遊郭描写でしか見た事がなかった着物の着こなし方をする女性と複数人すれ違いパラレルワールド太秦かと思った。皆、素敵だった。
covetは申し訳ないことに全く知らなかったのだけれど大好きなポリフィアとツアーを回った事もあるアーティストということで類は友を呼ぶのだな、と来れなかった友人を思いビールを飲む。機会をくれて本当にありがとうございました。本人がいない事が心残りである。
インタビューを読んでみようと思って検索をかけたら凛として時雨やmudy on the昨晩を好きなアーティストとして挙げていて、時雨はまだしも昨晩を聴いていたアーティストが来日する時代なのかと驚愕する。昨晩良いよね、僕も大好きと一気に親近感が湧く。実に単純である。
開演まで何故かリンプビズギットの下品な歌詞を思い出していたので有り難みをもう少し感じた方が良いのではという疑惑もありつつ、サポートアクトの水中スピカからcovetまで大変楽しかった。
水中スピカは名は体を表す、という感じの深いところでキラリと光るバンドだった。浸透圧…と化粧水みたいな事を思ってしまったけども、こう、液ダレせずに染み込んでいく様な、間延びも過剰さもない適度な構成をぶちかましていてとても良かった。
covetは変則的でタッピング駆使したテクニカルな演奏なのに全然小難しさとかなく、常に気持ちの良い方に流れていく感じが眩しかった。
マスロック(に入れていいのか解らんけど)の鋭角な美しさも好きなんだけど、それとはまた違う自然体な雰囲気もバッチリ融合しててラフに過ごせた。コロナビールのCMみたいな過ごし方はやった事がないんだけど、何かそう言う事が自分にも出来ましたわみたいな思い出が捏造される良さだった。
海辺で濡れた髪を風で乾かしながら夕陽を眺めて微笑んだり、そういうの。足裏に砂がつくのが苦手なんだけど演奏からの妄想であれば心配ないんで。まあ心配なのは音楽から直接的に関係のない風景を思い浮かべている自分の心と頭である。
何かこんな事してる人みたことあるなーと思い出しながら帰ったけど、のだめカンタービレの佐久間さんかも知れないと予想を立てた。
僕も書くか、ポエムを。


またー。

大森靖子さんのライブとサマソニを観てきたよ!という日記。

お盆休みが終わってバタバタとした日々を送っている。
こんなにバタバタするなら7日とか10日とか纏めて休まずに3連休を月に3回みたいな方が嬉しいんだけどなと思うものの、これは完全に旅行が楽しみな人たち、実家が遠くまた地元が大好きな人たちには受け入れ難い事だろうと思うし、もっと選択制みたいな風潮が蔓延り、少しずつ浸透して常識と化してしまえばいいのにと思いながら働いている。
実家へメールの一通も入れず、また向こうからも何の連絡も無いのでお互いの話ではあるが放任主義も行き過ぎると非常にドラスティックなファミリードラマ、Mr.無味っ子ルネッサンス低熱。
何も上手く言えていないけど夏になると何故か子供の頃によくみた再放送アニメを思い出して、その中でもMr.味っ子が好きだった事に想いを馳せてみたりする。


それはそうと最近の土日はライブ三昧だった。
2023年8月19日(土曜)大森靖子@味園ユニバース
距離感が常識的(自分の価値観の中でのキャパ感としてZeppくらいになると広過ぎてライブハウスではなくてホールの区分)なライブハウスで観る大森靖子さん率いる四天王バンドの演奏は半端なくオルタナで滅茶苦茶格好良く、それを纏って超歌手っぷりを遺憾無く発揮する大森さんは神々しさと生々しさがわざわざスクランブル交差点で待ち合わせて果たし合い始めるくらいのインパクトだった。
オルタナバンドの様な演奏にツアーの影響のコンディションか演出か、若干枯れた様な声になった大森さんがハマり、また会場のユニバースのサイケっぷりが遊戯王のトラップカードの様に上手い事やって僕の中の城之内くんが死んでも死んでも生き返る様なライブだった。
まだ続いているツアーなのであまり内容に触れてネタバレみたいになっちゃうとたまたまこれを読んだ人に悲しい思いをさせてしまう可能性があるので抽象的に書いたつもりが散々茶化している様に見えかねなくて最悪ではあるが、あれだけ素晴らしいバンドが超天獄のツアーから更に演奏集団としての一体感を増し、サポートとかバックバンドみたいな領域から完全に上へ大ジャンプしているのが最高で、大森さんを観にきたハズなのにバンドを観に来たのだと断言出来る無敵感だった。
リリースツアーでは中々出せないノリノリパート、同じく中々出せない組み合わせでのドロドロパートなど、基本的にアルバム単位で聴いている自分からすると使っていない脳細胞を活性化させられる様な組み合わせが繰り広げられて脳トレ。かなり若返った気がするし、世界観に喰らい付いていってヘトヘトになった。
夕方ミラージュ、死神、自分の未来がどこへ行くのか見当もつかないけれど、こういう曲があってくれたら何とかやっていくんだ、金使い果たさずしてこんなつまらんところで終わる訳には、と思える。
MCで藤巻亮太さんの名前が飛び出して、大森さんファンの大半が最早知らない、音楽の教科書に載ってた!みたいな存在になりつつあるその名を聞いてちょっと頭痛がしてビールを追加で買って飲んだ。
その後、久々に会った友人と焼肉デート。
二軒目の居酒屋の有線放送みたいなやつで真夏に藤巻亮太さん率いるレミオロメンの「粉雪」が流れてまさかの伏線回収となるものの、マジで嘘松と大差ない現実に震えて上手く言語化出来なかった。悔しい。
友人も相変わらず良かったし、終電になってしまう。
明日の朝も早いのに、眠ることも忘れてしまう様な生き甲斐がこんなものだなんてね、嘘みたいだろう。
キラキラしてような。どんな種類の光り方でもいいから。


2023年8月20日(日曜)SUMMER SONIC 2023 OSAKA
一番の目当てが大トリ、次点がトリだったので体力を考慮して観たかったSKY-HIを諦めて昼の1時に到着。
バスを降りると遠くでPerfumeポリリズムが聴こえる。駆けつけたい気持ちもありつつ、フードエリアが空いているうちにと人生初のビリヤニを食べる。
X(旧Twitter)で皆が脳が溶けているのかと思うほどに譫言の様に唱えるビリヤニは、確かに美味しかった。SNSで繰り返されるこのポリリズムされる食べ物に個人的に当たりが少ない食の好みをしているんだけど、ビリヤニは美味しかった。いつでも食べたい。食欲なくても2合くらい食べられそうだった。皆、こういう衝撃で脳が溶けてしまうんだと思うと美味しいものというのは驚異であると思った。
まずは事前に気になっていた張惠妹さんを観る。
台湾を中心に中華圏で大変人気のある方らしく、かなり中華圏のお客さんが多かった(他のステージにも台湾のアーティストがラインナップされててこれもまた目当てと被ってなければ観たかったけど断念)のが面白かった。パワフルさは想像以上だったし、楽曲もゴツゴツの骨太ロックから涙腺にくるバラードまで多種多様で凄かったし、その迫力にオリエンタルなニュアンスがしっかり乗っててこれまで聴いたことのないジャンルを一番良い形で教わった気がした。
続いて、ずっと真夜中でいいのに。を観た。
これは日中のお目当てという感じだった。初見にはステージ上の情報量が多過ぎて面食らう形になってしまったけれど、どういう仕組みなの?という機材も面白かったし、聴けたら嬉しいなと思っていた曲をドカンとぶちかましてくれて大満足だった。単独公演行ったりライブDVDを観ればもう少しその世界観に没頭出来るのかなと思うとこちらの準備不足が悔やまれた。
これまで観る機会を得られなかったKroiをようやく観られたのはこのフェス3番目に嬉しいトピックで、飄々としたイカツさとファンクっぷりがハッピーで一番の衝撃だったかも知れない。良過ぎて飛び跳ねてしまい、イオンウォーターをがぶ飲みする事になった。
邦楽主体のフェスに年に数本行っていた時期はそのお陰で触れられたアーティストに中々アクセス出来なくなっているんだな、と自分の生活リズムの変化に切なくなるも、だとしてもその限られたキャパの中で今日Kroiを観られた事を褒めてあげないとなと思い直す。ポジティブな気持ちになる音楽だった。
その後、HONNEやセカオワをチラ見して散歩して、ご飯を食べたりしてからwet legを観た。
冬の来日ツアーを仕事で余裕が無さ過ぎて泣く泣く諦めた(本当に金はあるけど時間はない、みたいな最悪の諦め方でかなり気持ち的に引き摺ってしまった)のでこんなに再チャンスを貰えるなんて有り難く、出てきた時にちょっと泣きそうになってしまった。
ゆるゆるとしたハッピーな空気感と決める所は決める演奏がやっぱり凄く好きだと思った。
BLURとタイムテーブル的に被りが出るも途中離脱なぞするものかと最後まで目一杯楽しんだ。
BLURを観るために移動しながら背中を蚊に刺されている事に気付く。
蚊に服の上から刺されると、せめて肌を露出しているところから刺してくれと思う。
何故ならば露出していないところは人体構造的に薬も塗りにくいし掻きにくいからである。
こういう刺され方をすると悪意を感じてしまう。血を吸うなとは言わない、吸い方にも思い遣りというのがあって良いのではと僕は問い掛けたいと思っている。これを読んでいる蚊の方はそういう考え方もあるのだと思って貰えたら嬉しい。

遅れて到着したBLURは三大聴きたい曲(好きな曲というよりは生で聴いておきたい曲)の「park life」「girls and boys」「song2」のどれかは聴けないと覚悟していたけど奇跡的に全部聴けて有頂天だった。後々セトリを検索して頭の方も凄く良い並びだったものの、やっぱり思い出の強い曲を全部聴けたのは喜びの桁が違う。
メロウな曲の方が格好良いというレジェンドっぷりに射抜かれながらBLURを聴いてきた数々の記憶をまとめて浄化してくれる様なライブを満喫し「the universal」からの花火でしっかりフィナーレ、名残惜しさもないくらいに締めてくれたのがまた素敵だった。
その後はBLURのライブよりも倍以上長いバスの列に並び、9時台から並んだのに11時半の終電に危うく間に合わない所だった。諦めていた人も見かけたので、多分逃した人もいたと思う。
動線がグズグズ過ぎたのだと思うし、タイムテーブルももう少し調整出来たのではと素人考えでは思ってしまうけど、このアーティストたちを東京だけでなく大阪にも連れて来てくれる運営には感謝の方があまりにも大きい。グッズは買わないので感謝の気持ちをコンビニを利用せず会場内で飲み食いをするという部分で表すなどした。微力だけども。
来年もまた大阪で開催してくれたらいいなと思う。
結果的に2日続けて終電になってしまったので倒れる様に眠った。


2日続けてライブなんてかなり久々な気がするけど、行けて良かったと思う。
結局、過酷だったり汗をかいたり面倒が多いのは間違いないけど夏のライブが一番楽しい気がする。
躊躇いがなく飛び込んでいける様な、そんな感じがする。


またー。