性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

ニベアを塗りたくって福を呼び込みたい。

「あそび」という検索しにくさこの上ないコンビの『新人バイト』というコントを眺めていたら恐竜がコンビニに新人バイトとしてやってくるという内容で面白かったんだけど、何より序盤で肌がベトベト(かベタベタかヌルヌル)していると言われたのに対して「ニベア塗ってきたんで!」と恐竜が元気よく返しているのが滅茶苦茶ツボに入ってしまったし、僕も乾燥肌で夜なんかはニベアをベトベトになるまで塗るタイプなので今後は「ニベア塗ってるんで!」と元気よく言っていこうと何故か励まされてしまった。元気よく「こうなんで!」と言えるのは凄く気持ち良いし、羨ましい。特に自分は何に負い目というか、どこに卑下しているのか解らないけどへり下りがちな所があるので、あの恐竜の様に肯定感高くニベアを塗りたくりたいなと思った。
コント自体、好きなテンポで続くので楽しかった。


そう言えば、家の周りが何故か割と緑豊かなので唐突にビワの木なんかもあったりする。
別に今が旬という訳ではないけれど、その木の前を通るたびに思い出すことがあるのでそれを書いておきたい。
ビワの実が沢山なり始める頃、毎年綺麗だなと思って通る度に眺めているんだけど、毎年毎年、ある日突然カラスが大挙して一日でそれを食べ尽くすのが映画の様で滅茶苦茶怖い。
その日までは抜け駆けもせずに大人しくしているのに、何を合図にしているのか解らないが毎年一日で食べ尽くすんである。
たまたまその日にビワの木の前を通るとカラスが実を落とすわ、それを横取りするなと威嚇されるわで大変恐ろしい目に遭う。
熟れて実が落ちたのを確認して「いけるぞ!」となるにしろ、ボス的な個体が「よし!今日は祭りじゃ!」と解禁するにしろ、何にしてもカラスの社会が高度過ぎて感心するし滅茶苦茶怯えてしまう。賢過ぎる。
「このあと夕飯に揚げ物食べるんだけどなぁ」と思いつつも我慢出来ずにばくばくチョコを食べてしまう僕なんかよりもカラスはずっと賢いと思うし、飛べるし、気も強いし、群れだしで勝てる気がしない。ヒッチコック監督の「鳥」を観て以降尚更そう思う。あの世界でも間違いなく僕はさっさと始末されているだろう。最後まで生き残れる訳がない。
木の前を通り、カラスのビワ狩りを思い出す度に「そもそも残らないんだし、残り物には福はないな」と思っていたらYouTubeでたまたま流れてきたトリビアの泉というテレビ番組の切り抜き動画で「80歳以上に聞いた『嘘だと思うことわざ』ランキング」にも「残り物には福があるは嘘だと思う」とランクインしていたのでカラスと人生の大先輩方の両方からお墨付きを頂いた気がする。
早まってもいけないし、出遅れても行けない。
非常に難しいが程々に上手くやる器用さがこんなに大切だとは子供の頃には思いもしなかった。
何の話だっけ?


拝啓工藤、大阪がカジノ建設云々でヤーヤー言うとりますけれども、その辺どうお考えでっか?なんやて?(誇張し過ぎた服部)
僕としての意見はカジノよりUSJの2号店を建てたら良いのになぁ、の一点掛けでスーパーひとし君人形、ファイナルアンサーである。
折角ハンターハンターコラボをしているのでグリードアイランドや天空闘技場を作ったりしたら混雑の分散にもなるし、皆通う程に強くなるので厳しい時代を楽しくサバイブ出来るのではという安直な発想。将来的にはあなたの街の美味しい暴飲暴食の心強い相棒ことじゃんぼ総本店(お世話になっております)の様にどんどんUSJを展開して行って、最終的にはUSJUFJどっちが多いの論争、という大阪生まれ大阪育ちが子供の頃からずっと距離感が微妙な友達同士の苦し紛れな会話でねじ込みがちな精度もへったくれもないネタを現実のものとしてあげる事で土地に溜まりに溜まったネタの怨念が浄化されて皆の心も晴々、気分も良くなったので経済も右肩上がり、ハンターが多数いることで犯罪も激減、強豪校の野球留学の様に大阪からハンターを各地に派遣するという新たなビジネスも軌道に乗り、最終的にはサマソニの東京と大阪での面子及びステージ数の格差が是正されるというハッピーエンドを迎える、というのが僕の筋書きなので今後を注視したい。
米津玄師さんのLemonの再生回数よりも多く繰り返されたネタを今更引っ張り出してきたせいで動悸がするので果たしてその結末を見届けられるのか、多少不安もあるもののそこそこ頑張っていきたい。


またー。

雨乞いサンバで雨に挑む天才。

同じマンションの住人に集会室に集められ、「YouTubeで見た」と豪語する雨乞いの踊りを教え込まれるという夢をみて、目覚めたら雨が降っていた。YouTubeで(どこかで伝承されているであろう)雨乞いの踊りを見る、というのは物凄く現代的な組み合わせだなと思いつつ、それを見たとして何故住人を集めてダンススクールさながら教え込もうと言うのだろうか。皆で踊った方が効果が高いんだろうか。何故雨乞いの踊りを舞う必要があったのだろうか。マラソン大会や運動会や球技大会が嫌だったんだろうか。どれだけ疑問に思ってもそもそも夢なので解消のしようはない。
ボンヤリした頭で「雨乞いの踊りをYouTubeで見るって…それを人に教えるって…」と踊り自体を思い出せないモヤモヤ(バラバラに練習している中、そろそろ円になって踊りましょう!みたいな事を言われた辺りで夢から覚めた)しつつ窓を開けると雨が降っていて完全に目が覚めた。
思わず「えー…」と言った。
とは言え前日から天気予報で雨が降るかも、という予報は知っていたので、夢が降らせた雨だなどと言うつもりもないが、だったとして雨を降らせたい用事が予報を見た自分にあって、それが夢に雨乞いの踊りという謎イベントを採用させたのだろうか。
むしろ通勤の荷物に傘が増えるので全く歓迎する要素がない様に思えるが、深層心理で雨を欲している可能性もあり、それは表面上からでは自分ですら解らない。
果たしてYouTubeにある雨乞いの踊りとはどんなものなんだろう、と興味本位で検索したらテニミュ(テニスの王子様のミュージカル)の「雨乞いサンバ」なる動画が出てきて滅茶苦茶ウケてしまった。
思っていたのと違うが、これはこれで良い。
天才不二が歌い踊っていた。
その後、普通に雨乞い踊りも出て来て、福井県大野市のチャンネルで越前大野越前リョーマ…と結局またテニプリに帰結してしまって本当に何なんだ。テニプリ無限回廊にでも放り込まれたのかと震えるなどした。
素人が手を出してはいけないものNo.2ことテニスの王子様、遂に向き合う時が来たのかも知れない。(No.1はFX)
それにしても最近夢が鮮明過ぎて困るまではいかないけれど睡眠の本分であるはずの休息を得られているのか怪しく、どうにかした方が良いのでは(そう思ったからと言って何が出来るのだと)と思っている。
何故か「ポケモン言えるかな」のサビ終わりの「ポケモンのなまえ〜」を別のフレーズに置き換える大喜利に巻き込まれており、何か出さなきゃと思って「ラ・ラ・ラ言えるかな、き・み・は言えるかな、親が転売〜」と答えたら静か過ぎて耳がキーンとするという夢をみた。最悪過ぎる。自分の回答も夢の中と言え重ねて最悪過ぎる。
夢日記をつけると良くないとは言え、強烈なものは覚えてしまっているので仕方ない。有象無象の夢を書き留めていないのでセーフと言うことにしておきたい。
夢は自分の記憶やら感情を整理するためにみると言う話も聞いたことがあるけど、だとして今日ここに記した夢で僕は自分の何をどう整理したかったんだろう。僕の記憶は汚部屋か?だとしたら自力じゃ無理なんで清掃業者をお願いしたい。


またー。

オニギリアソリッド3

平日、会社勤めの昼食としてほぼ毎日おにぎりを3つ握って持参している。
元々はお弁当を作っていたのだけれど、昨年の夏に傷む可能性を考慮して秋になるまでおにぎりだけで我慢しようと思って始めてみたら、自分がそもそもおにぎりだけで全然満足するタイプだった事に気付き、通年オニギリスタイルに切り替える事にした。
これまでのお弁当の作り置きは何だったんだと思うものの、もう何年もそうしてきたからこそ解った事かも知れないと言い聞かせている。
お昼に食べたいものを考えるのが億劫というか、好きなものを好きなだけ食べたとしてもどうせまだ半日職場で仕事しなきゃいけないんだと思うと「そこまでのコストを掛ける程のものなのか」という若干歪んだ思想を持ち合わせている影響もある。
そんなこんなで打ち合わせなどで外出する場合は外食になる可能性を考慮して作らないものの、基本的には部下にランチを無心されない限りはおにぎりを握っている。(自分がランチを無心出来ないタイプの部下だった為とても羨ましい。この世に後輩風というものもあると思う。先輩風が不得手な目上の為に吹かせてやるのだ)
おにぎりは前夜か当日の朝に握る。
夜は早く寝たい、朝は単純に1分でも惜しいという理由でもお弁当より準備が楽である。
最初は塩、鮭フレーク、おかかなど毎日違うバラエティー豊かさを追求していたものの、鮭フレークを適量掬うスプーンや鰹節と醤油を和える為の箸と容器を洗うのが億劫に感じられ、どんどん研ぎ澄まされた結果、塩、胡麻塩、塩になった(塩×2としないのは何故か塩→胡麻塩→塩の順番に握る癖がついていたから)にまで単純化されていたんだけど、塩、素、塩でも良いのではと思った時に「いやそれは流石に…」と自分で引いてしまい、手間とのバランスも考慮して塩、塩昆布、ゆかり(ふりかけ)に落ち着いている。どれくらい落ち着いているかと言うとこの布陣が不動で半年続いているレベルで落ち着いている。色々ふりかけジプシーをした訳でもなく、まあ十分かなとさっさと落ち着いてしまった事は悔やまれるも、自分のボーダーが塩、胡麻塩、塩よりも若干上に設定されているんだろうなぁ、と納得済みの為、飽きない限りはこのオーダーが続くだろう。
だから何だという話でしかないけども。


アマゾンプライムビデオで名探偵コナンの歴代劇場版が見放題なので気になったタイトルから順番に観ている。自分が小学生の頃にはアニメ化されていた作品を今も電子書籍で全巻所持しており、劇場版の新作を毎年楽しみにするだけでは飽き足らず過去の劇場版作品まで観ているんだよ、と小学生の頃の自分に言ったら何て言うだろうか。
きっと「え?テレビやってるのに観ないの?本当に好きなの?」と言うだろう。
「大人になっても好きなの?」と言われるよりも抉られる気がする。大人になっても好きなのでそんなものは何のダメージにもならないけれど、好きを自負しているのに肝心要、ここから入ったと明確な地上波テレビ版を観ていないのに何を言っておるんだ君はと言われるとぐうの音も出ない。作中でコナンくんにやんわりおとぼけ調で論破されたありとあらゆる大人たちの気持ちが痛いほど解る。痛みを知ると人は成長するらしいのでそこに全額賭けていきたい。
それはそうと名探偵コナンに長く触れていると自身が子供だった頃には気付かなかったのに今はやけに気になってしまうポイントがいくつかある。
微妙過ぎるんだけど、微妙過ぎる故にチラチラ気になってしまい進行するストーリーを前に自分だけが一瞬足を止めてしまい、我に返り早足で追いつくみたいな事をしてしまう。
今回は少年探偵団の皆をまとめて蘭姉ちゃんなどの保護者枠や大人が呼ぶ時に「子供たちー!」と呼ぶ場面に遭遇してしまい、それが大変気になってしまった。
文章では「子供たちと」などと書くことは当たり前にあるが、声に出して子供たちを呼ぶ際に「子供たちー!」と発声するだろうか。僕は聞き逃しも多々あるだろうけど今まで「皆ー!」と呼びかける場面には遭遇したけれど「子供たちー!」と呼びかける場面には遭遇した事がない。
もしかしたらコナンの世界では「皆ー!」と呼ぶと阿笠博士なども嬉々として駆け寄ってくるんだろうか。それはもう現場というよりパーティー。パーティーは足で稼ぐ世界線
あとはやっぱり大学生老け過ぎ問題があるけど、これは前からなので割愛したい。大学生に村でも焼かれて恨みでもあるのかというくらい基本的に老けている。大学生に村を焼かれるって金田一少年の事件簿であったけど、まさか金田一少年の事件簿の村で生まれた少年が大人になって名探偵コナンを描いているなどと?思う訳?ない。


またー。

ハイブランドンキあれそれ。

Twitterを10年以上使っていて、時々「この、いつでも辞められるんだからな!と思いながら延々辞めないこの感じは恐らくギャンブル好きとかタバコ好きとかと分かり合えるんだろうな」と思う。実際どうなのかは解らないし、お互いにお互いをコイツと一緒にしないで欲しいと心のどこかに秘めている可能性はある。社会って大変。
何となくネットで見かけたシャネルの香水が可愛すぎて買って以降、ちょいちょいハイブランドの広告がタイムラインに流れてくる様になった。
これがインターネットに監視されてるってやつか!最近攻殻機動隊を観てるからこれくらいじゃビビらんけどな!と斜なのか何なのかとりあえず構え、それぞれのブランドのプロダクトが綺麗なのでついクリックしていたら流れてくる広告が90%ハイブランドで埋め尽くされる事態となっている。
あらゆる新作コレクションのショーなども観ており、何故かプラダエルメスなどの新作を滅茶苦茶見知っている状態なのに全く購入したことがないという化け物が育成されてしまった。買ってもらえないおもちゃの広告を切り抜いてコレクションしていた幼少期を彷彿とさせる。その頃との当社比とは言え「金ならあるわよ」と言える大人なのにも関わらずである。
まあ何にしてもハイブランドの造形美や視覚表現はお金が掛かっているのもあってやはり美しく、目の保養として有り難く逐一拝見している。(正直香水の広告は表現がぶっ飛び過ぎてて全然ついていけないので所詮は付け焼き刃と思い知らされる訳だけども)
今後も誰かが買い支えてくれるお陰で生まれ続ける豊かな表現のおこぼれを頂戴したいし、そのうちカバンくらいは買いたいと企んで吟味している。
ちなみに残り10%にねじ込んでくるのはドンキの広告である。強過ぎやろお前。飲食店で溢れかえる食べログにコンビニのイートインスペース投稿する会員か。まああれはあれで役立つんだけど。
ドンキの経緯としては、恐らくトー横界隈の話を検索し過ぎた事で生じたアプローチであろう。
もしかしたらその派生で新宿の煌びやかな夜の街という角度からハイブランドも流れ込んで来たのではと思わなくもないけども、それは流石に自分がシャネルの香水を調べて買った事によるものにしておきたい。これがプライドというものである。


先日、阪神タイガースの試合を見に行こうと電車に乗ったらピカチュウのリュックに鬼滅の刃の雷の呼吸の使い手である我妻善逸のキーホルダーをつけた男の子を見かけて「属性がハッキリしていてカッコイイな!」と感心した。好きなキャラクターがたまたま両方電気属性だったのかも知れないけど、一貫していて良いなぁと思った。自分はどんなキャラクターが好きだったろうと思い返しても全然一貫性がない。
僕はポケモンではフシギダネが好きで、鬼滅の刃では蟲柱の胡蝶しのぶさんが好きです!当方、蟲の呼吸というか虫の息です!バトルお願いします!
僕も随分と古のオタクの諸先輩方に近付いてきたので、雷の彼には天野銀次をオススメしたい。雷帝になって欲しい。冷静に考えて奪還屋って何やねんな。
その彼もまた甲子園に阪神タイガースを応援に行くようなので(ピカチュウのリュックから応援用のメガホンが突き出してデッドプールみたいになっていた。例えが最悪でごめんな)何としても勝ってもらいたいと思い、大山選手のタオルを買って応援したら大山選手の活躍もあって勝利してくれて本当に良かった。
今年の阪神タイガースは我慢の時間が長いけど少しずつでも取り返して行ってくれたら良いな、と思った。
この短時間で話の内容がすり替わってしまっている。やはり一貫性のない人間、こんなものである。


それはそうとユニクロにチノパンを買いに行ったら裾上げの対応として下さったスタッフさんの対応が丁寧過ぎて「1990円のチノパンにして頂く接客じゃなさ過ぎる」と恐縮するレベルだった。
無事に裾上げ位置をピン留めして貰って着替えている最中、「もう脱いだタイミングでカーテンを開けられる悪戯でも喰らわないと割に合わない気がする…」と思ってしまった。
丁寧に接して頂いて本当に有難いのだけれど、そこまでして貰うようなレベルじゃないんでとハラハラしたし、平日というのもあったけど裾上げが20分で仕上がるというのも何というか頑張り過ぎなのでは、と。話題のヤクルト1000を差し入れしたいレベルだけどそんなもんを渡してしまったら「もっと頑張れと仰るのか」とあらぬ誤解を抱かせてしまいそうだなーと実際差し入れもしないのに考えていた。
見知らぬ人間からの差し入れなんて怖過ぎるしな。
感謝の気持ちで「本当にありがとうございます!」って伝えるに留めた。
また利用することが一番の恩返し。


またー。

幻のスギちゃんと1000年後に会おう。

仕事で外出し、交差点で信号待ちをしている時に同僚が突然「あ、スギちゃん!」と言ったので「え!?どこどこ???」と当たりを見回していたら「暑過ぎちゃうん、って独り言を言っただけですけど…どうしたんですか?」と挙動不審な人を見る感じの物凄いジト目で呆れられた。
「いやスギちゃんって聞こえたからいるのかと…」と素直に打ち明けると「え?スギちゃんに会いたいんですか?そんなことあります?」とサバサバと言ってのける。
「会いたいんですか?」だと?会いたいに決まっているだろう。そんなことありまくりだわ。他にどんな選択肢があるんだ。スギちゃんと、ついでに俺を舐めるなよ。大体、君みたいな好きなスカした人ほどいざスギちゃんを目の前にするとちいかわみたいなってしまって「ワァ…!」とか「ワワッ!!」とか言うんだよなぁ、などと言ってやりたかったものの、この同僚よりも僕の方がそうなっちゃいそうだし、相手からそう言われると否定できる材料が無いので黙っておく。何故かそのあと暫く「どうせ僕の方がちいかわちゃんの再現度高いだろうな…」と他人からは見落とされてしまう程に薄い落胆を引きずって一日を終えた。何がそうさせるんだよと自分でも解らない。
ちいかわは資本主義社会のメルヘン化だから僕が再現の才能に満ちているのもまぁ仕方ないよね。


それはそれとして思い切る事の大切さというのはあるよな、と思う。
まあ前言が完全に矛盾しているんだけど人間というのは多面性があるものだしそんな事もある。人間ってオモシロ!
何度か来訪しているお洒落クレープ屋さんでいつもシンプルにシュガーバターのクレープを食べていて、まあこれが美味しいので他のを試す事もなく延々と「やっぱりシンプルが一番」などとほざいていたんだけど、「お前はかけうどんに油揚げトッピングするんか?それはきつねうどんやろ?生クリームつけるなら初めから組み込まれてるやつにしな!」と洗礼を受けるのではとビクビクしながらも試しにシュガーバターのクレープに生クリームをトッピングしたら洗礼は受けなかったし美味し過ぎてバカになってしまった。美味し過ぎて美味し過ぎるんだが!?みたいになった。
また別の場面では重過ぎるストレスを緩和する為に出先でスタバに駆け込んだものの特に飲みたいものがなく、とは言え甘いものを本能が所望しておるとのことでメニューの文字の上をツルツル滑っていく視界を「しっかりして!」と励ましながら最終的に
アップルルイボスティーなるものを咄嗟に注文した。
これまでスターバックスラテとフラペチーノしか飲んで来なかったので紅茶メニューの豊富さに初めて気付いた。スゲーなスタバの幅広さと僕の固定概念の強固さ。
今「うちはスターバックスコーヒーって言うんですけどコーヒーって知ってます?」みたいな対応されたら心が死んじゃうな、とありもしない可能性に被害妄想膨らましていたんだけど勿論無事に作っていただけ、「お仕事休憩中ですか?頑張ってくださいね!」という突然のエールに後光が射して眩しくて目が潰れますありがとうございますという謎の救われる落伍者ムーブを脳内で繰り広げてしまった。それだけ心にダメージを受けていたんだろうけど、構図的に高僧が旅の最中に罪人の心を解きほぐした逸話みたいになってしまったなとアップルルイボスティーを頂きながら思った。これがあの店員さんが後に何かの宗教の始祖になった場合、1000年後くらいに説法になるんだろう。どうも名無しの罪人です、お前らより1000年先に救われちゃいました。(教えが響いていない先輩風)
そんな感じで思い切って違うことをしてみるというのも新鮮さがあって良いなと感じた訳で、何をそんな当たり前なことをなんて思われるかも知れないけどほか弁に行けば唐揚げ弁当しか頼まない様な人間というのもココにおる訳で、そういうタイプからすると些細な変化が非常に大きく感じられるのでたまには良いなと思ったというだけの話。
それだけの話を、こんな文字数で?そんなことが?


またー。

集団予防接種英雄伝(OVAシリーズ)

三度目のコロナワクチンの接種予約をようやくしたは良いのだけれど、三度目となると当日を指折り数える様な緊張感もなくうっかり忘れてしまうのではという気さえしてくる。市町村の接種は未だ大繁盛なのか、それとも数が少ないのか一向に予約が取れず、結局都道府県が実施してくれている大規模接種会場で予約を取った。
複数の選択肢を与えてくれて本当に助かるし、沢山の方が関わってくれるから可能なのだと思うと頭が下がる。どこに、いつ行っても凄く丁寧に接して下さる。
とは言え、うっかり忘れそうで当日まで何度かスケジュールを確認し直す。
そこまで有り難く思っているのに行くのが面倒だな(行くけど)と感じてしまう自分を奮い立たせる意味でとやまソフトセンターが取材されている犬の狂犬病予防注射集団接種シリーズの動画を片っ端から全部みた。
このシリーズは犬と飼い主さん、獣医さんにリスペクトを欠かさず、狂犬病がどんな恐ろしいものなのかも優しく説いてくれる非常に真摯な映像で、注射に挑む犬の喜怒哀楽と人間たちの微笑ましい姿を沢山提供してくれる上、割と撮影者及び編集者の犬愛がダダ漏れで本当に良い。
あわよくば自分は先生や看護師さんやスタッフさんたちからこの様な存在なのだと錯覚出来れば接種日を指折り数え、張り切って行くことが可能なんだけども、流石にそこまで強靭な自己肯定感を持ち合わせておらず、伸び代もそもそも無さそうなのでその視点ではさっさと諦めた。
とは言え今後も4回目の接種(機会あるのだろう。多分。その頃にはどんな世の中になっているんだろう)やインフルエンザの予防接種、果ては採血の時にも見返して主に勇気を奮い立たせようと思う。
当日の集団接種会場は絶え間なく人が来るものの工場のラインの様にスムーズに流れ、あっという間に終わった。ゴールデンウィーク前がピークだったんだろうなぁ、と思いつつ、それでもこの大きな会場を抑えて運営していくのは流石に税という気がした。納得いかない使われ方も多いけど、恩恵もある。
診察を担当してくれた先生が挨拶がてら「ダイナミックで良い名前ですねぇ、どなたがつけて下さったんですか?」と超ありきたりな名前を誉めてくれてビックリしてしまい、祖父につけてもらったのに間違えて「祖母です!」と答えてしまったのでその後訂正するのも変だしで祖母の話を暫くする事になった。祖母は幾つで亡くなったんだっけ、戦時下に米求めて蔵に討ち入りする時に特攻隊長だった話がウケた。
接種後の休憩タイム中、「ダイナミックで良い名前」の定義が先生と自分で解釈が違ったな、とぼんやり考えた。やっぱ豪とか剛とか大地とか海とか空とかそういうのがダイナミックで良い名前だと思っているので「褒めてもらえたのに納得いかないの切な過ぎるな…」と待機時間一杯自分の器の小ささを呪う時間と化していて有望な呪物、とは言え呪術廻戦では噛ませにもなれないレベルという塩梅だった。
熱は出す、身体が極端に怠い程度の為に馬鹿正直に出社してしまい副反応が出た時に付与される特別休暇を使い損ねる。
怠いは怠いものの、その身体でわざわざ出社したのでとんぼ返りも悔しいし、午後くらいから「あ、熱出て来たかも!」などと供述してユニクロとスタバでも寄って帰ろうと思っていたのにあっさり忘れて定時までバタバタしてしまった。
貧乏性を拗らせてまた一歩最悪に近付いた気がする。
掘り尽くしたと思っていた銀河英雄伝の外伝に観ていないシリーズがあって歓喜し、少し持ち直す。
ボンヤリしたビジュアルの中年軍人さんたちが毎度毎度自然でエグい愛らしさ。
80〜90年代にこの作品で開く予定のなかった扉を設置された挙句に蹴破られた人たちが回り回って僕の好きな世界を作ってくれているんだろうな、などと何視点なのか解らないことを考えている。


またー。

宅配クリーニングというものが世の中にある事を知った男の活躍。

向き不向き、能力を培ってきたかどうか云々は自分が誰より自覚しているので度外視して、まず服屋さんと美容室が苦手なんだけど、その次くらいに苦手なのがクリーニング屋さんである。何が苦手ってまず預けに行って、受け取りに行くという2回のムーブを必要とする事で、スーパーロボット大戦ですら2連続行動するにはかなりの経験値が必要である事から察するに自分にそう簡単に出来る訳がなく、毎年シーズン終わりに颯爽と出すなんて事が出来た試しもなく、衣替えから随分立ってからコソコソと、冬物のコートを暑くなってからダラダラ汗垂らしながら持ち込んで結局悪目立ちみたいな流れを幾度となく経験してきた訳である。
その上、次の季節の直前まで預けっぱなしなんてことが出来る程神経も太くはなく、サービスとして提供していないお店でやるのはそもそもマナー違反だが、預かってくれる所でさえも仕上がり日にしっかり合わせて受け取りに行く損な性質をしている。
これから解る様にお店には何の落ち度もなく、完全に自分由来で苦手意識が極まってしまっているクリーニング屋さんであり、コミュニケーションが重要視される服屋さんや美容室よりも適合出来ない事を諦め切れない微妙さがまた何とも気負ってしまう。
そんな訳で今年も冬物のコートやらスーツをクリーニングに出したいなと4月から思い始め、ゴールデンウィークも毎日思い続け、用意もしないまま連休も明け、ふと最寄りのクリーニング屋さんが施設改修に合わせて撤退している事に気付き、最寄りでさえこんなに腰が重かったのにもっと遠い店舗まで行くなんてダメだ、もう一生クリーニングしてもらった服を着ることは無いのかも知れないと打ちのめされていたものの、宅配クリーニングをお願いすれば良いのではと思いつき、自分の頭の回転の速さに天才を垣間見て歓喜、伊達に名探偵コナンを全巻所有(DMMブックスの100冊セールで全巻揃えただけ)して劇場版も沢山観ているだけあると褒めつつ、本当はそのサービスを思い付いた人が、その次に自分が思いつく程身近になるまで利用し続けてくれた先輩客の皆さんの方が賢い事にはとっくに気付いており、ウダウダと悩み続けた自分に気恥ずかしさを感じながらもサクサクと申し込みを終えた。
値段もお店に持って行くのと大差なく、集荷ですらネットで完結する有難い仕様。
とは言え、事前に申し込んだ点数を超えない様に不織布のバッグに詰めるという工程は不慣れで、何度も数えて詰めたにも関わらず結束バンドで固定(道中開かない様に鍵がわりに付ける必要がある)した後で1点オーバーしている事に気付く失態を犯してしまった。素面であんなに何度も数えたのにどうして間違えたんだ、初めての経験に緊張し、高揚しているのかと我ながら驚く。
結束バンドもクリーニング屋さんが送ってくれていたのに消費してしまい、100均で120本入りを買う羽目になってしまった。
これで120回失敗出来るぞ!とヤケになりつつ、こういう時にビニール紐とかで代用出来る太々しさが欲しいなとまたも不要なダメージを受ける。仕事なんかだとどうでも良くて失敗しちゃった!!!と言いふらすのに、こういう些細な事で失敗したんだなぁと思われるのが恥ずかしい意味不明な部分だけやたら高い己のプライドが嫌になる。
その後、集荷に来ていただいて冬物たちが旅立って行ったんだけど、今度はちゃんと届くのかな、とかちゃんと全員戻ってくるのかな、と自分以外はそれぞれプロしか携わっていないのに不安になっている。
初めてだから仕方ないんだけど、何というか小2の夏休みに知らない子供たちとキャンプに行くみたいな6泊7日のイベントに放り込まれたその初日の夜に寝ていたら家が恋しくなった参加者が啜り泣いている声で目が覚めて「あ、そっか暫く帰れないんだ…」とその時ようやく気付いてハラハラしたことを夢に見た。
立場的には送り出した側なので親の方な筈ではあるが、親は親で「あの子ちゃんとやれてるのかな」と心配だったろうし、僕も「あの子たち(コート2点、ブルゾン1点、ジャケット3点、パンツ2点、マフラー2点)、不安で泣いてたらどうしよう」などと思う訳だが、まあ所詮布なのでそんな訳もなく、随分とまあ古い記憶を引っ張り出して来たなぁ、と自分の記憶のディグり方がビンテージ向きなのでよーしアメカジでも嗜んでみますか!と思ったりする、なんて事はなく、只々仕上ってお届けされる日を待つ今日この頃である。


またー。