性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

2016.11.10 大森靖子さんを観てきました。(@BIG CAT)

 「トランプさんが大統領になるってニュースに凄い悲観的な事を言う人いるじゃないですか、もう本当にゆとりがあるんだなーと思っちゃうんですよ。別にどっちが大統領になってもそのお陰で彼氏が出来る訳でも無いし、よその国の偉い人の勝ち負けとかどうでも良過ぎて笑っちゃう」

「へーそう言えば僕、今日結婚記念日なんだ」

「え!おめでとうございます!ていうか、そう言う幸せな話を普通にするタイプだったんですね。」

「どういう意味だよ」

「幸せって何ですかね」

「結婚記念日を無事に迎えることかな」

「参考になりません」

これは僕と後輩によるランチミーティングでの言葉のキャッチボールだ。豪速球だな。

 幸せって何だろうね。知らんけど、結婚して丸4年が経った。自分が不幸だとは思わないし幸せだと思うけど、幸せって何とか言われてもよく解らない。

 

記念日というのはどうしようもなく節目であり、ボンヤリと過去のことを振り返りながら1日を過ごした。ボンヤリ考えながらも手が自然と仕事をこなすのが気持ち悪かった。奥さんにたくさん感謝したし、逆に感謝されて来た気もするのでそこそこ良い月日の流れ方だったんではないだろうか。決して垂れ流しではないハズ。

翌日が健康診断ということでバタバタと退社し、サイゼリヤで炭水化物ばかり食べる。

お腹いっぱいを通り越して少し気持ち悪いくらいの状態でライブに行った。

 

2016.11.10@BIG CAT

大森靖子

 

ネタバレしてるし、ネタ以外がクソ長いので文句言いそうな人は読まないでください。 怒るのにもエネルギーが必要な様に、こっちも申し訳ない気持ちになるのにもエネルギーがいる。そしてあなたの痒いところに手が届いてないんだとしたらそれは僕とあなたが別の人間だという何よりの証拠。素晴らしい。

 

開場前の列に並んでいる時に、地元に好きなアーティストが来てくれるという事の嬉しさがムクムク大きくなる。最近は開演に合わせて行ったりする事が多くて、まだかまだかと思いながら待つという事も無かったし、周りも皆そうみたいな場にあまり居合わせ無かったからかも知れない。

その土地の人がずっとアーティストを待っていて、それが叶う日に勝る尊さは無いと思う。尊さって言葉をあてがうと消費感も出てきてうんざりするんだけど、どう表現したらいいんだろう解らない。

だからホームタウンで好きなアーティストを迎えるという事に心から幸せを感じる、という話。

余談に次ぐ余談だけれど、ここ1ヶ月程は仕事中に聴くロックキッズ802のCMでよく流れる大森さんの肉声ライブ告知を支えに残業を片付けてきた。地味に滅茶苦茶楽しみにし続け、心の支えにしていた。

 

そんな感じなのでワクワクしっぱなしのまま入場。

客入れBGMが大森さんというよりもバンドメンバーセレクトな気がしてならない。

入った時はBOOM BOOM SATELLITESが鳴っていて、確かPILLだったと思うんだけどやっぱり格好良くて家に帰ったらCDを聴こうと思った。あとはミスチルのフェイクが流れていて、結婚してからの4年に留まらず社会人になった頃のこととか思い出してて、奇跡的に社会人1年目の社員旅行の帰りのバスで疲れてしまい人と話したくなくて2時間に渡ってイヤホンからフェイクを流しっぱなしにして寝たふりしてたのを思い出していたので感動を通り越してゾッとした。シングル盤はアウトロが凄い長くてそこがおどろおどろしいというか、ミスチルの妙な幸の薄さとメンタル的な重さをインストにぶち込んで水分がなくなるまで熱した様なサイケなものになっていて凄く好きだった。その辺全部ブチ切られてたからアルバムバージョン的なやつだったのかな。何百回、何千回と高校1年生から聴き続けていた天体観測を聴きながら思春期の方が人間として完成されていた気がし始めて気持ち悪くなった頃、ライブが始まってホッとした。

 

PINKの弾き語りから始まったライブ。こんなに静かなBIG CATは初めてかもしれないというくらいにギンギンに集中して、皆が大森さんを見ている。ピリピリというよりは今目の前にいるんだという確認と、あまりにガツンとした挨拶に幸せの両替機みたいなものがぶっ壊れてザーザー出てくる感覚というか。こんなにたくさん頑張りつぎ込んでませんけど大丈夫ですか。長崎と大分で観てきたのにこんだけメンタル的に飛ばして無事に最後まで観れるんだろうかと若干不安になる。

バンドメンバーを呼び込んでのミッドナイト清純異性交遊。音が完全にバンド。サポートならではの完璧な技術という前編成絶対少女バンドに対して、ツアーで叩き上げた最初からバンドとして活動してきたというニュアンスのバンドの音がする。

H MOUNTAINS、きのこ帝国、そしてオワリカラ。全部H MOUNTAINSは同時期くらい、残り2組は大森さんに出会う前から好きで聴いていて、そのメンバーが大森さんに繋がってバンドの音を出しているとうのが、予想以上に自分の好きな音で足し算っていうよりは掛け算で胸いっぱいになった。

特にキーボードのカメダくんは軽く100本以上のライブを馬鹿みたいに観てきて、奥野さんという化け物のパートを担当する事に対してこういうのマジクソダサいと解っていながら勝手に心配していたんだけど、とても良かった。ハイパー担当のサクライさんが効果音やノイズを担当していたのもあって主線パートをカメダくんが担っていた。奥野さんが流暢にえげつない弾き方をするバージョンに無い激しさと音の多さでたまんなかった。

 バンドとして最初にミッドナイト、そしてイミテーションガールというセットリストの楽しさに加えて前の編成とこんだけ違うんだぞ、ライブハウスへようこそという勢いが凄く気持ちよかった。

私は面白い絶対面白いたぶんのダイナミックさからサビのわちゃわちゃ大騒ぎっぷりとサクライさんとベースえらさん、カメダくんの制服コスプレから学祭っぽいなーとスーツなのに汗だくになってしまった。

絶対少女バンドでもピントカでも来来来チームでも表現しなかった一面が頭の3曲で押し寄せて、笑い過ぎて頬が痛い。

非国民的ヒーローの畠山さんのギターとえらさんのベースがとんでもなく恰好良くて釘付け。サクライさんのコーラスの入れ方が普段腹から声出さないひとの発声っぷりなのにスルスルと入ってくるから妙な人だなと思った。ハイパーな人だ。

ピエール中野さんのスパンと歯切れの良いドラムをこんなガツガツしたバンドに乗せて聴くというのも新鮮だった。(時雨と大森さん以外のピエールさんを星野源でしか知らないので)

超新世代カステラスタンダードMAGICマジKISSは歌詞も曲も好きで行くライブではあまり聴けないので変な声出た。「なんでも幸せになれるなら僕の音楽とらないで」に持っていかれるモードだった。

ピンクメトセラはただ逃げるだけじゃなくて、ギリギリまですり減らしても向かってボロボロになった状態からセーブポイントへ連れて行ってくれる曲だと思っていて、スーツを着てるサラリーマンとしての自分を重ねてしまって音源はあまり聴けなかったんだけど、ライブで聴くと不思議と肯定されてる気持ちになるから不思議。(音源でもそう受け取れるはずなのにこの差は何なんだ。この時代にも営業がわざわざ出向いて顔を合わせる意味を垣間見た気がする)

絶対彼女のソロ争奪不幸エピソード披露大会で一番ぶっ刺さったのは「化粧ポーチをトイレに落とした」というもので、まぁ持ってないんでそれ故に勝手にどんどん悲惨なイメージになっていくというか、例えば厳選を重ねて組んだ遊戯王デッキを落とすみたいな、日々に対する防御力を上げてくれる最強装備を落とす感覚になって後味がどんどん濃くなった。結局ソロは二宮さんが歌っていた。

さっちゃんのセクシーカレーの表面の穏やかさに対する刺激のジャワカレー度。

オリオン座は合唱で。歌詞を読みながら声に出すと涙腺にくる。色んなところに張り出したい。歌詞がとんでもなく好きなので上手く言及出来ない。載せて良いのか解らないのでネットを探して欲しい。こんな長文を読んでくれる人は乗りかかった船という事で探してでも読んで欲しい。よろしくお願いします。

給食当番制反対、少女漫少年漫画のドラマチックさから一転、弾き語りでのSHINPINは凄まじくソリッドだった。サクライさんもいるのに敢えての弾き語りというのも面白かったし、元がポリリズムで都市型の複雑な間合いなのに弾き語りにすると歌詞が強くなる。弾き語りのギターの展開がジャキジャキしてて格好良い。

 あーちゃんの「あまい」のギターを聴いてこんな波紋みたいに静かに広がるギター弾けるのやっぱりあーちゃんならではだよな!!と思った。静と動は別に早弾きも変拍子も関係が無いと教えてくれたきのこ帝国でリードギターを弾くあーちゃんの魅力がこのバンドでも発揮されていてゾクゾクした。

あまいからの本編ラスト3曲で特に感じたのは、えらさんがベースをしっかり弾く人だなという事だった。股下89は何度かYOUTUBEで観た事がある程度の認識だったのだけれど、その飄々とした荒っぽさとは違う印象だった。HOMMヨと親交のあるバンドの様で、一度ライブを観たいなと思った。

あと初めて観たんだけど僕をジャンプの角で思い切り殴った元カノに凄く似ていて(衝撃も度を過ぎるとちょっと笑ってしまう事を学んだし、何なら相手もちょっと笑ってた)、結婚記念日に記憶が立ちはだかるというクソ展開に陥り、えらさんに本当に申し訳ないという気持ちになった。

TOKYO BLACK HOLEを絶対少女バンド編成で聴いた時はいつも何故かTHE CORALを思い出すんだけど、この編成だとThe Libertinesが連想された。何かギターの冷たい渇きっぷりがUKっぽさを連想させるのかも知れない。その中でハイパー担当のサクライさんは、ハイパー担当という事でありとあらゆる音をブチ鳴らしていて飛び道具屋さんって感じで、ライブハウスのライブバンド然とした今回の編成においてはアクセントだったりと存在そのものも効いていて観ててとても面白かった。個人的にはもう少しギターのボリュームが出ていても良かったかなーとは思うんだけど、次は何を鳴らすんだろうとワクワクしながら観ていた。

あーちゃんのコーラスとサクライさんのハイパー担当はこれまでのバンドに無かった要素なのもあって新鮮だった。

音楽を捨てよ、そして音楽へのダイナミックな感情大爆発に嫌なものが全部ぶち壊されてパーッと明るくなる様な快感を味わう。いっそ神々しい。

アンコールのマジックミラーは自己肯定の鏡だった。あっという間に終演。でも20曲近く演奏してくれてお腹いっぱい胸いっぱい。

 

セットリストを振り返ると、やっぱりライブバンドっぽい曲に偏って組んである気がして、わちゃわちゃした曲も多くて、

 何となく色んな嫌な事がバーッと汗になって出た気がする。スッキリした。

次のセーブポイントまで生活が続くことかも知れないなと思ったし、次のセーブポイントでもこの編成で観られたら嬉しいなと思った。

このバンドの名前カッコ良すぎませんか。

新⚫️z(シン・ブラックホールズ)って。

バイよね。

 

翌日の健康診断の結果はきっと良いハズ。

楽しいライブで最高の結婚記念日になりました、と小学生の作文のオチみたいな事を書いてしまうくらいに楽しかった。

 

またー。

星野源がくれたもの。

完全に思いつきだけど試験的にタイトルをちゃんと書こうと思う。特に意味はない。

 

星野源の人気が凄い事になっている。
僕と星野源との出逢いはCOUNTDOWNJAPAN10/11に遡る。(08/09でも観ているハズなのだけれど全然覚えてない)
絶妙なユルさとそれに反して平均年齢高めな女性客による強靭な黄色い声援。
浜野謙太の存在感に押され気味ながら何となく気になったのが星野源だった。単純に好みだったからだ。
その後、夏帆のお気に入りとして堂本兄弟に出演しているのをぼんやり眺めていた。
そこからあれよあれよと好きになった。決定打が夏帆なあたり「もう、男の子だなぁ」である。
当時は星野源プチフィーバー期であり、そこで生み出された大量の新規ファンの一人に過ぎなかった。(過ぎなかったって言うか今も過ぎないのだけれど)
その頃の星野源には「俺だけの(私だけの)星野源」「俺だけは(私だけは)良さを解っている」と言う、地味で引っ込み思案な人間による片想いの受け皿として機能していた気がする。
人が寄り付かない路上の弾き語り、何故かちょっとダザい彼女が最前で観ているという四コマを江古田ちゃんで読んだけれど、その構図を何万人規模で叶えてくれるのが当時の星野源だった。
などと言うとそれ以前のファンからボコボコにされそうであるけれど、そう感じていたので申し訳ないと謝るしか出来ない。
音楽的にもビジュアル的にも言動的にも本当に好みでズブズブとハマって行った。
日本語の通じない中国人が1500円で髪を切ってくれる店に切り抜きを持っていったらアラサーにも関わらず小学生の坊ちゃん刈りにされた事もある。
1度目に撃沈し、2度目に念押しすると「OK!大丈夫!」みたいな事を言いながらまたしても小学生の坊ちゃん刈りにされて再度撃沈するという苦い思い出だ。
それ以降、僕は美容師に4000円払って髪を切ってもらう人間になった訳で、つまり星野源が僕の成長を促したと言っても過言ではない心温まるエピソードとして脳内に燦然と輝いている。
何の話だろうか。
それほどまでに星野源は僕に大きな影響を及ぼしたのだ。
それがドラマに出演する様になり、ビッグバンド編成に振り切れた辺りで自分が乗ったフィーバーよりも何倍も大きな波がやってきて、見事星野源はそのビッグウェーブに乗ることに成功した。
そして僕の女優さん可愛いランキングでトップをひた走る新垣結衣と連ドラ主演を掴んだ。
我がことの様に嬉しかった。リリースされる楽曲は最高だし、演技でも新垣結衣と共演。皆が星野源の名前を知りつつある。ただのファンなのに幸せの絶頂である。
ファンは勝手に幸せに(そして不幸に)なるものなのだなと思い知った。
例えるならば、星野源スクールカーストの決してトップではない階層の中から飛び出したヒーローだ。
あの時、一緒に漫画の話や音楽の話をしていた穏やかな輪の中で皆が大好きだった友達の一人が、あれよあれよと学内・地域全体・そして全国で人気者になっていく様な感覚に陥る。
なので自分たちの世界から突然変異的に生まれた福山雅治と渡り合える逸材の様な存在に思える。
「俺、中学生の頃あいつと購買にパン買に行ったりスレイヤーズの作画について話したりしてたんだぜ」みたいな事が言いたくなる。
福山雅治サイヤ人である。悟空でありベジータだ。姿かたちは似ていても地球人とは何もかもが違う。
星野源はこれだけ人気を博しても尚、地球人なのだ。地球人のままでサイヤ人と渡り合う可能性を示している。
クリリンが悟空と良い勝負を繰り広げられる、そんな夢を星野源に見てしまう。
音楽、文章、演技。
星野源は偶然であるものの総当たり戦の体で福山雅治に挑むことが出来る。
一芸に秀でるどころか、全てを手に入れようというのだ。
星野源がどこまで魅せてくれるのか、単純に星野ファンなのを差っ引いても期待してしまう。
のだけれど。
ここまでの記述は別に勝ち負けが必要な話でもないし、そもそも福山さんに引いては世の中に何の恨みもないし、ただのファンの下世話な妄想なので是が非でもご了承ください。
しかし、一方でこの流れが大きく、また早すぎてついていけない自分がいるのも事実。
心の底から余計なお世話ではあるが、果たして新垣結衣が隣に立たなくなってからも皆は星野源を変わらず好きでいてくれるだろうか。
そんな事を考えてしまい、挙句録り溜めているドラマ自体もそれが妙に怖くて観れないで、遂には観てもいないのに「やっぱ俺、歌ってる星野君が好きだな」とマジ死ね拗らせワードを発するに至っている。
このままではいけない。これ以上ファンから嫌われるファン像を突き進んではいけない。そのうち最近の星野源味しめて弾き語り忘れてるとか言い出す気がする。本当にマズイ。ソウルジェム濁る。あがががが。
もう徹底的に素直になってドラマをガッツリ観て心のままにキャーキャー言うんだ。自分で嵌めた足枷を外せ。自由になれ。空は広いぜ。飛べないけど。
その決心をする為にここに全部ぶちまけた次第です。2000文字も必要だったとか根深さスゲー。
ふはは、お目汚し失礼。では拙者これにて。
散ッ―


はてブを書く人は大体面倒臭いを体現している様な記事ですね。(他方、はてブの面汚し、2000文字Twitterとの評もアリ)


またー。

 

個人的にお勧めしたいご飯の食べ方について。

お気に入りのご飯の食べ方をただ紹介する。以前、ご飯×炭水化物という組み合わせを推す日記を書いた事があるんだけど、今回は単純に幼少期に好んで食べており、今もたまに食べる言わば個人的な鉄板ひと工夫メニューだ。

僕はこれを日常的に繰り返したせいで親から「米泥棒」「米騒動」と罵られ、本当に一時期ではあるがおやつに米を食うのでお菓子を買って貰えない暗黒期を経験するに至った。

未だにその仕打ちに納得いってないものの親はそんな歴史を忘れ去り、自分でも時効をとっくに迎えてしまったと思っている。

気持ちを切り替えて紹介していきたい。

 

1.冷やご飯にポン酢

冷やご飯にはホカホカの炊きたてご飯にない美味しさがあると思っている。

冷やご飯の何が良いって、食感が硬めだしサラっとしている所。また比較的塊になりやすい為、大きめな状態で飲み込むとジャンキーさもありドカ食い感も味わえる万能選手なのである。

その冷やご飯にポン酢。

サッパリしており、酸味が食欲を掻き立てる。量はお好みで、だが個人的にはポン酢が茶碗の底に溜まらずご飯に軽く染み渡る程度のポン酢の量を勧めたい。

これは冷やご飯の持つ硬さを最大限に引き出し、またポン酢で辛みを感じずに食べきれるという利点がある。

感覚的には博多ラーメンの粉落としくらいの通っぽさと思って貰って良い。あくまでポン酢はご飯を食べる為のオマケなのだ。ポン酢でご飯を食べるのは素人がする事だと僕は思っている。

 

2.冷やご飯に温かい味噌汁

これも幼少期より食べ続けているソウルフードだ。我が家は両親が共働きだった為、朝に夜の分の味噌汁も一緒に作り米も炊くという手法で手間を省いていた。

要するに日常的に冷蔵庫に冷やご飯と味噌汁の鍋が冷えている環境に生きていたのだ。

育ち盛りの小学生、食べない方がどうかしている。(自らの正当性を声高に主張)

勿論両方冷たいままで組み合わせても美味しいが、冷たいご飯に温かい味噌汁をかけるのが一番良い組み合わせだと僕は断言する。

味噌汁は温かい方が風味が良いし後味の塩辛さも和らぐ(気がする)のと、序盤は冷たいご飯と温かい味噌汁の温度差を楽しみ、終盤は打ち消しあって適温になった状態を食す事ができる。一石二鳥だ。国語の授業で一石二鳥の例にこれを書ける子供でありたかったが恥ずかしがり屋だった為に無難なことを書いた。

感覚的には讃岐うどんの「ひやあつ」と思って貰えば良い。思えないなら残念ながら我々は分かり合えない生き物かも知れない。せめて互いを否定しあわず共生出来ればと願っている。

 

3.冷たいご飯に温かい中華スープ

なんだか冷やご飯ばかり食べている様に見えるが実際の比率としては半々であると自分の名誉の為に申告しておく。とは言え冷やご飯ばかり食べている=マイナス評価という訳ではなく、あくまで自分は温かいご飯も冷たいご飯も両方平等に好きであるということの何だコレ、スッゲー面倒臭い奴だな僕。

この場合の中華スープは調理済みの野菜や卵が入った中華スープではなく、鶏ガラスープor味覇(シャンタンDX)をお湯で溶いたものだ。電気ポットさえあれば火も使わない親御さんも安心のレシピだ。

鶏ガラスープの場合はコショウをふるとパンチ力が増す。味覇は何かよくわかんないけど油っぽくてジャンキーさが得られるのでコショウをふる必要も感じない。

両方のパターンに言えるのだけれど、濃いめのスープをつくり、冷やご飯の中腹が浸かるくらいの量をお勧めする。完全に沈んでしまうと先のポン酢と同じ様に冷やご飯の硬さが失われてしまう上、味噌汁と同じ様に温度差を楽しむ事も叶わない。悲しい。折角なのに。まあそれが好きならそれで良いんだけどさ。

 

4.冷たいご飯で卵かけご飯

冷たいご飯ばかりだけど、手が冷たい人の心は温かいという迷信を受け入れるくらいならこっちの市民権を受け入れて欲しい。どういう仕組みで手が冷たい人の心が温かくなるんだよ。器官として別じゃね?そうであって欲しいけどじゃあ手が温かい人は心が冷たいんですかね。焼きたてジャぱんの主人公とか超冷酷って事じゃん怖っ。それとも手が冷たい分、単純にギャップで心が温かく感じるんだろうか。だったら省エネで羨ましい。不良が捨て猫に餌やってれば見直して貰えるのにそもそも常に人畜無害で穏やかな人間は(以下省略)

この組み合わせの魅力は卵に熱が入らないという一点に尽きる。正直温かいご飯での卵かけご飯の方が一体感及び味のまとまりとしては遥かに優れているし量も食べられる。

ただ、それに物足りなさを感じた時にこれをお勧めしたい。

ポイントとしては卵はしっかりと溶いた状態で冷やご飯にかける事だ。

冷やご飯を使用する為、ご飯の塊がほぐれずあまり上手く混ざらないので、卵は事前に溶く方が良いのだ。

あまり混ざらないので、冷たい卵に表面だけ包まれたご飯の塊が口の中でほぐれるのが良い。

チョコレートフォンデュ的にチョコレートに具が包まれているもののそんなに一体感を感じないけど何か美味しいし非日常感が楽しい、というイメージでもって好意的に受け入れてもらえると嬉しい。

 

ダラダラとここまで2000文字費やしてクックパッドに削除されそうなメニューを書いてきたけれど今日はこれくらいにしたい。

本当はあと2つ(冷たいご飯を冷たいハムで巻いて食べる、冷たいご飯を温かいご飯と食べる)あるんだけどこの文字数を自覚すると急に冷静になってしまい、マジ何してんのかな、疲れてるのかな、大丈夫かなと不安に駆られてソワソワしてしまうので温かいお風呂にゆっくり入ってさっさと寝ようと思う。

冷やご飯は冬場に深入りすると身体を冷やすのでくれぐれも初心者は節度をもってあくまで自己責任でお楽しみ下さい。

また、未成年の方は保護者に確認を取らないと食卓に打撃を与えてしまい査定に響くのでくれぐれも気を付けて頂きたい。No more 米泥棒。

 

またー。

思いついた事を思いついた順に書く。

 宅配ボックスとの距離感が掴めない。

先日は炊飯器との距離感が上手く掴めないという趣旨のエントリー(と称すると実にはてブっぽいのでカッコイイ)を書いたので、まぁ我ながら忙しいというか器が小さいというか。
とりあえず、宅配ボックスと言うものに対する感覚が「便利過ぎて怖い」と言うもので、怖さの部分がジワジワとロボットに支配される人間的なハリウッド映画風に育っていて戸惑いを隠せないでいる。
これまでの人生は、不在票と再配達の戦いだった。
とは言っても実際に戦っていたのはわざわざ再配達に応じてくれる配送業者の方でこちらと言えば荷物が届くのをぼんやり待っているだけだった。
まずこの関係はコンビニ受け取りが可能になった事で自分の中で変化が生じた。
コンビニに荷物が届くというのも最初は不安があったのだけれど、自宅への再配達よりも受け取る時間が自由で便利だったのにすぐ慣れた。
それにコンビニのアルバイトと言う細かく色々な作業がある仕事をしているスタッフが対応してくれるのだから、下手すれば自分が受け取るよりも安心なのではと言う気がして、軽いものなら全てコンビニで受け取る様になっていた。
話は逸れるのだけれど、大学時代の交友関係にあった留学生は皆、コンビニでアルバイトしていた。
たどたどしいにしても全く不備がない日本語と、あらゆる業務をそつなくこなす彼らの意欲に対する尊敬が凄かったのもコンビニ受け取りの順応に一役買ったのかも知れない。
ちなみに一番好きだった留学生はキャンパス内でフランクフルトの串を咥えている姿を頻繁に目撃した中国人で、28歳くらいだったろうか、必殺仕事人でも観て感化されたのかなと思うも直接尋ねる機会も無く帰国してしまった。
彼には飲み会でELLEGARDENを聴かせた事があり、自虐調の歌詞(例:Space Sonic)に自分を投影していると思われた様で(事実投影していたのだけれど)スゲー泣きながら「お前はもっと自信を持って良い人間だ」と泣きながら手を握り説教をされた事がある。
親にも泣きながら怒られた事が無いのでリアクションが上手く出来なかったけれど、とても嬉しかったのを今でも覚えている。
彼は帰り道、深めの側溝に落ちて骨にヒビが入っていた。
あとNIRVANAが好きでよく歌っていた。人の事を励ます前にお前こそ感情移入してんじゃねぇかと思った。
後に知り合いではないもののtwitter上にNIRVANAを熱唱する中国人の動画を発見し、中国の人たちはNIRVANAが好きなのかも知れないなと思った。
逸れると前置きしていたとはいえ逸れ過ぎの感は否めないけれど、話をグイッと戻す。
引っ越した先に鎮座していたのが宅配ボックスだった。
暗証番号すら不要で、家の鍵で開くという便利な代物は、3日放置するとさっさと引き取れとメールを寄越すというこちらのキャパを完全に超えてくる全能さだった。神話の登場人物ですらもうちょい隙があるぞ。インド見習えよ。
これが、完璧に仕事をこなすのだけれど当然の様に出来すぎる為にどうにも冷たい印象を受ける。
そして中に保管されるものがCDだったり衣類だったりからはじまり、クレジットカードまでが放り込まれるという配達員から全幅の信頼を勝ち取っているのが怖い。
クレジットカードなどは誤配や誤作動で別人の手に渡る事を考えるとあまりにも恐ろしいのだけれど、配達員と宅配ボックスには完全な信頼関係が成り立っている。
ただでさえそこに割って入るというのは難しい上に、何よりこちらが不在である為に宅配ボックスを頼るという後ろめたさもある。
こうなってくると自分の噛ませ犬感が凄いのでステージに上がるのすら躊躇われる。少女漫画の噛ませ犬は颯爽と登場するも微塵も勝ち目を感じない。颯爽とすら登場しなかった自分はどうすれば良い。困った。
僕の記憶に燦然と輝くBEST OF 噛ませ犬と言えば須王銀太fromママレード・ボーイなのだけれど、思い返すとそんなに噛ませ犬では無かったというショックが大きい。
そもそもママレード・ボーイの何が凄いかと言うと、主人公と彼氏の両親がそれぞれの両親とくっついて挙句に子供まで生むという人間を辞めないと思いつかなさそうな設定が鎮座しているせいで、他の作品ならば主軸に据えられるであろう「血がつながっているかも知れない恋」も「先生と生徒の禁断の恋」も霞んでしまう所だ。
どんなに盛り上がっても「でも御両親ぶっ飛んでますもんね」であたかも普通の出来事の様に感じられ、そこが小学生ながら辛かった事をよく覚えている。
その中において銀太はと言えば物語への貢献度をどれだけ再確認してもパンチ力が足りず、幼心に噛ませ犬認定してしまった様だ。完全に被害者。ごめんな銀太。
未読なので言及出来ないが、続編ではこのぶっ飛んだ両親が生んだ子供たちが恋仲になるという文字だけ追えばディストピアな展開らしく、手を出す勇気が出ないでいる。
作者である吉住渉の何が恐ろしいかと言うと、このとんでもない設定を漫画に描くとお茶漬けばりにサラっと読ませてしまう所。
一方で「ミントな僕ら」ではシスコンを拗らせた弟が女装して双子の姉が通う学校に入学するという設定が登場するも、シスコンっぷりの失速が素晴らしい。この読者に気付かせず巧みに急ブレーキを掛けられる様は感動的ですらある。
ママレード・ボーイとは逆でトンデモ設定を完全に忘れさせる魔法を吉住先生は使っている。
このどちらもお手の物と言う感じが、アラサーが未だに吉住先生を忘れられない理由なのではないかと思っている。
ちなみに僕が好きなシーンは読者人気が無かったが色々あって同情票を集め出していたのに奔放さを取り戻した姉のまりあに主人公ののえるが「折角同情票が集まって来ていたのに」的な説教をするシーンなのだけれど、前にこのブログに書いた気もする。
だけれども、まりあ的に自分に素直に生きるとすれば、そんなことは知ったこっちゃない。きっと3年後また同じ事を書いていると思う。
主題が途中ですり替わっているんだけれど、吉住先生の漫画を買って宅配ボックスに届けて貰えば万事解決なので気にしないで良い。

 

またー。

 

思いついた事を思いついた順に書く。

ハロウィンが日本ならではの亜種感で本格化してからというもの、パーティーピーポー通称パリピは四季を制したと評しても過言ではない。

春は花見、夏は海に花火大会、秋にハロウィン、冬はクリスマスとカウントダウンパーティーだ。

例年では花見や海まではキョロ充が大いに含まれるが、彼らは徐々に振り落とされ、クリスマスまでに生粋のパリピと叩き上げのパリピだけが残る。外野から見ていると真のパリピは狭き門で、選考から漏れたキョロ充はというとキョロ充のままその周囲でパーティー感の護衛に当たる。パリピは軍隊の様だと思う。

しかし、サッカーの世代別代表にとってU-20W杯の出場権を獲得出来るかどうかで経験値が雲泥の差である様に、ハロウィンが本格化するまではここまでの成長は見込まれなかった気がしてならない。夏から冬に至るまでの舞台の少なさがこれまでパリピの成長を妨げていたのではないかと分析するが、ハロウィンが都市部で定着し始めた今、最早全国にこの強化の波が波及することは疑いようもなく、国際的な強豪国となる日は近い。

読んだ事はないけれど、パリピの経済学なる新書にはそんな内容が書いてあるんじゃなかろうかと予想している。

ハッピーハロウィン!トリックオアトリート!オッケー!ウィーアー!ウィーアー!オンザクルーズ!ウィーアー!

何ていうかパリピに対して凄く敗北感を抱いている。恨みとかではなく、単純に羨ましくて抱いている。あと何故かパリピの話をし始めるとワンピースを持ち出してしまう。パリピ、ワンピ。似てる。経験値が無さすぎてね。

どこでどうやったらそのルートあったんですか、と自分の人生を振り返るとスゲーいっぱいあった気がするんだけど、まあそこを何となく避けて通ったうちにこの人格に落ち着いてしまった。これは怠慢なのかと問われると、こっちはこっちで茨の道ではあったので引け目は感じていないものの、どうしても何かいいなーパリピ、みたいな羨ましさは拭えない。

今の自分のままではパリピにはなれないと重々承知なのだけれど、パリピで溢れる街から誰もいない自宅への帰路で、街で耳に飛び込んで来たヒュー!とかフゥ〜!とかパリピっぽい声を反芻し、1人小声で練習しながら帰ったりして気を紛らわせている。

たまに離れた民家に暮らす犬が反応してスゲー吠える。苦情かも知れないが「俺のパリピ魂が犬の心を動かした!」と妙な満足感がある。凄い寂しい文章だなコレ大丈夫か。

そこまで来るともう拗らせ方のコントロールが効かず、自分は自分のままでパリピに近付いていく方向で妄想がスタートする。

何故か落ち込んでいるパリピを一生懸命励まし、パリピに元気を出させる妄想が16/17秋冬のトレンドなのだけれど、発想のダサさが凄いなとちょっと感心しながら書いている。

「パリピ、元気ないな」「うるせぇよ、ほっとけ」「ヒ、ヒュー!ヒュー!!」「な、何してんだよお前」「いや、いつもパリピに盛り上げて貰ってるからさ、たまには俺がと思ったんだけど、中々上手くいかないなぁ・・・ヒュー!」「へ、へったくそ!こうすんだよ!ヒュー!!」みたいな。

言葉がないよね。

大丈夫、自分でもそう思ってるよ。

それはそうと本当に直近、これを書いている2時間前くらいのエピソードなんですけど、電車にのって家に帰ろうとしていたら途中の駅でパリピがコスプレして乗って来たんですよ。

今日はハロウィンの当日なので、まあ繁華街に出て楽しむんだろうなーと思っていたんだけど、混み合う車内でパリピのうち1人がスゲーこっちに背中を預けてくる。電車の傾き方で預けたり離れたりするので別にわざと寄りかかっている訳ではないのだな、こういう格好してどこで集まって遊ぶんだろうな、などとボンヤリ考えていたら、仲間内で僕に背を預けているパリピのコスプレのクオリティーが頭一つ抜けた感じで高い様で褒められていたんですね。

「お前スゲーな」みたいな。車窓に映る背中越しのパリピはドラえもんのコスプレっぽくて、ドラえもんのコスプレでスゲーなという評価を引き出すってどんだけ本格派なんだよと凄い気になるも全然上手い事顔が見えなくて「こんなに支えているのに!!」という嫉妬みたいなものが込み上げてきてヤキモキした。

何で褒めるだけの奴らが見れて支え続けている僕が見れないんだ!と冷静にならんでも交友関係にない他人だからだろと解りそうな感情でもって彼を支え続け、挙句見えないまま彼は下車して行ってしまい、僕は彼を支えた反動か何故か足をつった。スゲー痛かった。

僕は心の底から遠く離れて行くパリピに向かって「いいか、何かしたら褒めてくれる奴は沢山いる。だけどどんな時も支え続けてくれる存在を蔑ろにしたら大切なものを失うぞ!!」と名声や浮気に溺れた人間を想定したコラムの様な事を考えてしまった。まあ負け惜しみだしズレてるんだけど、それはそれでそうな場面もあるんだろう今じゃないけどなと変に冷めた感じで家に帰りましたとさ。

来年はコスプレしようかな。憧れのロフト店員のコスプレ。ハンズでも可。同僚募集中。

ヒュー!

 

またー。

思いついた事を思いついた順に書く。

白米をギチギチに詰めた上に厚切りのベーコンを焼いたものを敷いたタッパーという稀に見るデブの弁当を手抜きの結果生み出してしまい、あまり人目につきたくない気持ちで自分のデスクでこそこそ食べていたら、その日に限って後輩がお菓子の差し入れにやってきてくれて嬉しかったんだけどガッツリ弁当というかカロリーを目視した後、一切それに触れずにお菓子をくれて尚且つそのお菓子がどこのお店のものでお気に入りなんですと説明をしてくれたのが精神的に物凄くキツかった。

聞かれてもないのに思わず「普段はちゃんと4品くらいおかずがあるんだよ」と言い訳をはじめてしまい、逆に説得力を欠くという失態を犯した。

見られたくない時ほど見られる傾向にあるので、もしかしたら日頃の行いが悪いのかも知れないし、折角説明してくれたお菓子の情報は何一つ頭に残っていなかった。

それでもお菓子はとても美味しかったので結果オーライである。

 

急に西野カナのhave a nice dayがツボにハマってiTunesで購入した。

圧倒的にポジティブで共感は根暗な性格故に皆無なのだけれど、「そのままの君で良い」みたいな歌詞よりも圧倒的にこの曲の「頑張っている自分が輝いている」という世界観の方が最近のメンタルに近くはないが良い影響をくれる気がする。身体が野菜を欲している、みたいな気分だと思ってくれて良い。

完全に同調している訳ではないけれど、そのままで良いという甘えた免罪符を盾に俯いているよりもスカッとして、足掻いている事に達成感を得る方がよく見える周期に自分がいるのだと思う。

ネットでこれまで散々言われてきた通り、中身が無いと言われるとまあそうなんだけど、意味を見出せない人間にはトムヨークの歌詞でも同じ事が言えるしボブディランも同じ。

ていうか、とことん暗い人間の為に「なんでも無い日が記念日になる」と歌う音楽があって良いなら、毎日キラキラしていたいと思う人間の為に1日をバタバタと頑張る明るい人の為の歌が存在しても良いハズだ。

暗い人間はすぐに自分に無いものを持っている対象をそれだけで満たされていると思いがちだけど、普段明るい人間だって肯定されたり励まされたりしたい時があるんじゃないだろうか。まあ実際には僕はとても暗いので明るい人の実態は解らないし、隣の芝は青く見えるけど意外とヘタってる的にそうであって欲しいと思っているだけかも知れない。

去年の紅白で西野カナの後がBUMP OF CHICKENだった事が思い出され、それこそ何よりの証ではないかと思えてならない。音楽は色んな人を照らしている。

などと述べていても仕方ないので、とりあえず歌詞で特に気持ち良かった部分を感想付きで紹介したい。

I say, がんばれ私! がんばれ今日も

「行ってきます」「行ってらっしゃい」

I sayと日本語を「 , 」で繋ぐスマホを感覚で操作出来るのと近いあっけらかんとした感じと独り暮らしあるあるのセルフ行ってきます行ってらっしゃいの愛おしさよ。

みんな帰っちゃうお先に

気付けば夜も10時過ぎ

よっしゃ!こうなれば本気出すしかない

ココにしても「週末まではあと2日 あと2日」と二回繰り返して己を鼓舞する所も学生には正しくは解らない感覚だと思うし、西野カナを全然聴いてこなかったのでこのネガティヴな社会人ならではの状況をこうも上手くキラキラさせられるともう感心するしかない。ここの歌詞だけでiTunes購入したと言っても過言ではない。

そうやって 今日だって

一生懸命生きてるから

I say,have a nice day

「一生懸命生きる」という言葉を逢いたくて震えてた人が歌うというのはちょっと凄いと思いませんか。しかも一生懸命生きてるから、I say,have a nice dayって強過ぎてキュンとする。

あと最後に1フレーズ。

お腹すいた(I'm hungry!)

スピードラーニングかよ。

 

こんな風に毎日バタバタと社会人が出来たら楽しいかも知れないなと思うんだけど、3日でエネルギーが尽きて死ぬと思う。アクセル常にベタ踏みだろコレ。

だけど、それがいいなと聴いて思ったし励まされてしまったのでそれでいいのだと思う。

https://youtu.be/VeP9jRiTazc

とりあえずここまで読んだんだから仕上げにPVを観ろ。

こんだけ社会人として励まされた僕だけど、その歌詞に反してどう見てもハワイを満喫している様にしか見えない(働いたご褒美にハワイ旅行って感じが微塵もしないのがマジで凄い)ので肩透かし感が凄まじく、西野カナがネットで叩かれる理由を垣間見た気がするものの、この隙を敢えて提供しているのだとすると本当に好きになってしまいそうだな。困った。(別に困らない)

 

またー。

2016.10.23 何かしら楽団、QLIPを観てきました。(@京都VOXhall)

 最近、クッション代わりにムーミンのぬいぐるみを抱いてソファで寛いでいるんだけど、そうしてる時間はリラックスタイムであると同時に「31歳のサラリーマンなのに」という現実がひっきりなしに打ち寄せるちょっとした海岸。寄せっぱなしの歳の波との静かなる格闘。

で、まーどんな感じで抱いてるかと言うとこんな感じですね。

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首に完全にキマッてるんだけど、この身体と顎の隙間が丁度心地良い圧迫感ですいませんねって思いながらいつも突っ込んでる。

サイズ的にも全長60センチくらいあるから膝上での収まりも良い。酔っ払った勢いで買ったのにかなり有能。

このままゴロゴロしていると次第に顎を摩るようになり、気分がノッてくるとこうなる。

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顎を揉みだす。

お値段5000円程度のぬいぐるみなのだけど、容赦なくパンパンのミチミチに中身が詰まっており、弾力があるので手持ち無沙汰になるとやってる印象がある。手遊びと無縁の子供だった筈がこの歳でこうなるとは親も思ってないだろう。申し訳ない。

尚、ここから性癖を導き出そうと試みるのは自由だけど本人は知りたくないので教えないで下さい。教えたら最低でも孫の代まで祟るからな。ていうかお前の代で終わる様に呪うからな。こちとら小野不由美読んでんだぞ。不可能ではない。

ともあれ、あまりに酷使し過ぎてボロボロにはしたくないので早めにクッションなどを購入したい。本音を言うと、このままではムーミンのぬいぐるみに心を許し過ぎて話しかけるようになりそうで31歳サラリーマンとしてかなりキツいものがある。そういう危機感もあり、弾力とサイズ感を満たすクッションを婚活サイトくらい気合い入れて探す必要がある。

以上、ストレス社会が生み出したほんのりとした闇のコーナーでした。

 

あとライブいってきました。

 

2016.10.23@京都VOXhall

 

何かしら楽団

初めて観た。

飄々とツインボーカル(というよりボーカルとメインコーラスを2人で曲ごとにパートチェンジ)する、何とも緩いカントリーとポップとロックの隙間を流れる様なバンドだった。

カエルの歌だったり学校のチャイムのメロディーを決して目立たないけれど面白いタイミングでぶち込んで来るニヤニヤしてしまう展開で楽しかった。

涙腺にくる様なセンチメンタルな曲で突然ベースのフレーズが迂回を始めてビビッてたら何事もない様な感じでサビに帰ってきて笑ってしまったり、何とも京都で観るとどうしてもくるりが過るんだけど、どっちかっていうとチューリップ的な和やかさと妙な鋭さを併せ持つ存在感でとても面白かった。

音源買った。のんびり聴きたい。

 

QLIP

VOXhallのQLIPが一番カッコ良い。

先週のライブが試運転だったのではと言うくらいキレまくっているギター玉岡くんの鳴りっぷりがギターヒーローのソレで、ゲームボーイにしろヘイ!!にしろギャン鳴りで最高に良かった。

ドラムも吉田さんの圧倒的な安定感とストイックさがたまんなく懐かしくて、抜けた時よりズドンとした音が出てて続編パワーアップという体で笑ってしまった。

僕は神の鍵盤がクラシカルで曲の淡々とした不穏さを流暢に煽ってた。

アンコールは新曲で、大人になったことを切々と歌って終演。

新曲で終わる事がQLIPのしぶとさというか図太さというか、楽しみに次を待てしまう要因だと思う。

バンドとしての活動が止まってから、自分自身の環境が変わって目まぐるしく、バタバタして中々観に行けなくて、生活とか立場が変わることの有意義さの揺れ戻しみたいな気分になったりした事もあって疲れたりもして、それでもここまで観に来れる自分でいられて良かったなと思った。

このバンドがマイペースでも続いてくれたら、と願う。楽しかった。

 

 昼に別のライブをやっていたみたいでライブが始まるのが遅く、その分チケットも割安な設定だった。遠方から来るとどうしても帰りが夜遅くなりしんどいんだけど、お得感があるのは良いし、イベント自体がコンパクトでスムーズなのは魅力的だなと思いながら帰った。

 

またー。