性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

何を隠そう、ゲ謎の苦しみは山菜の苦味ですよ。

「何を隠そう」って言える人を見ていると、「あぁこの人は自分のことエンタメと思えているんだな」と感心してしまう。自分を面白いと思う節は誰にでも備わっているハズだけど、単に話す場が無かった話を隠しエピソードに昇華出来てしまう人は自分を面白いと思う節がいくつもあり、三節棍みたいにビュンビュンやれる感じにこちらからは見えていて心底羨ましい。

これは皮肉でも何でもなく、本当に自分もそうなりたいと願っている。
やっぱり結局、自分で自分を面白いと思えないと毎日は急激に暇になってしまう。
最近じわじわとそう思うので、少しずつでも何らかの間口を広げていけたらいいなと思う。


それはそうとAmazonプライムビデオで遂に「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」が見放題配信されたので早速観た。Amazonがこれ買ってくださいよ、と過去の購入履歴や視聴履歴を元に忙しなく送り続けるメールを基本的に無視しているんだけど、プライムビデオの配信予定作品のメールだけは気付いた時には開いて読むようにしていて、その中に同作がラインナップされていたのを目にしてからずっと楽しみにしていた。
遂に、と言うほど時を経た訳でもなく、ロングランを続けたロードショーの影響で実際には「え?もう?」てなものだけれど、楽しみにはしていたので「遂に」と添えたい。実時間も体感も待ってないのに、待ち遠しさに大袈裟な言葉を選んでしまう。
とは言え劇場で観た作品であり、そんな小躍りしながらの明るいテンションで迎える様な映画ではないと重々承知である。救いがない。マジで救いがない。
救いがない事を救いがない事で上書きして、救いがない事を合体させて、救いがない事で発酵、蒸留した結果に微かに希望が生まれた気がするけど、見えた?くらいの物語である。
楽しみ過ぎる、という気持ちを行動で表現せんとしてドラッグストアの菓子売り場に足を運んだものの、ゲ謎はポップコーンムービーではないだろうとポップコーンを選べなかった。じゃあ何にしよう、ポテトチップスもドンタコスもエアリアルポリンキーとんがりコーンも何と言うか陽気過ぎる。
かと言ってぬれおかきや柿ピーは音がうるさ過ぎる。
そう迷いに迷ってキャラメルコーンを買った。どう考えても正解ではない気がしたけれど、こんだけ考えてコレというものが導けないので正解は無いのかも知れないと会計を済ませたが、退店一歩目で「別にお菓子食べながら観なくてもよくない?」と思った。
きっとこれが正解に近いのだろうが、折角買ったので食べながら映画を観た。
キャラメルコーンは美味しかったし、ゲ謎はやっぱり救いがなかった。


Amazonプライムと言えば、オリジナルのアメリカのドラマも大好きだ。

暴言、暴力、薬物、セクシャリティーなどなどテロップにして並べとけば注意喚起になるでしょ、という余りにも大雑把な倫理観。
苦味があっても「山菜なんで」と言われると、あぁ春の味ですねみたいに納得される雑な感じがあって、表現そのもののドギツさに顔を顰める事はあってもそれを内包した物語の方に没入している事は間違いがない。
子供の頃は暴力的とされる北斗の拳の再放送やドラゴンボールそして下品という理由でクレヨンしんちゃんが観せて貰えなかった。
かたや妹はセーラームーンを観せて貰っていて、制服着てればボコスカ殴り合ってもいいのかよと不貞腐れた事の反動がそう言った作品でも割と観れてしまうという今の自分を作り上げているのでは、と親の教育の賜物なのか失敗なのか解らないが思っている。
自分では絶対に言わない言葉、持ち合わせていない価値観、出来る気もしない暴力行為などなど、案外突拍子もないSFなんかよりも自分にとってファンタジーの領域めいていて、一線引いた所から観ている感覚があり、その有り得なさが病みつきになっているのではと最近では分析している。
ヤクザ映画が好きな穏やかな人にお目にかかった事もあるが、何と言うか同じ視点な気がするし、そういうものなのかなとボンヤリ考えるなどしている。


またー。