性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

「容易く、人一人を値踏みしやがって」とはグングニルの歌詞ですが…

大阪は中之島の日銀の真横を歩いたら寸借詐欺に遭いかけた。お婆さんに財布を落としたので電車賃をくれないかという内容の事を言われ、その要領の得なさから「あ、これ寸借詐欺だ」と良い天気に呑気に歩いていたのに突如警戒感MAXに振り切れてしまった。
「警察に行ったらお金貸してくれるから交番の場所調べますね」と言ったら「それは知らなかったので自分で調べてみます」と去っていったので事なきを得たんだけど、タバコを吸いながら一部始終を見ていたおじさんに「通報したら良かったのに」と追い討ちをかけられてマジのマジで気分が最悪になってしまった。
確かに被害なく切り抜けた僕が何もしなければ他の誰かが被害に遭うかも知れない、という意味ではおじさんの言うことは正しいなと思うけど、ただでさえ「この人ならお金くれるかも知れん」と値踏みされて善意につけ込もうと沢山の人の中から選抜されてしまったというショックを受け、そのダメージを負いながらも「払いませんよ」と意思表示にエネルギーを割いた上に通報するなんて莫大なカロリーを消費しろというのか、割に合わなさ過ぎる、というのが自分の結論だった。
そもそも警察に対応して貰う程の悪なのか、僕にはちょっと判別がつかない。いや、勿論やってほしくないけども。
「プロメア」という映画で炎を操る変異を遂げた人たちのボスであるリオというキャラクターが「襲う時、人々の逃げ道は用意しておく」という美学を持っていて、その映画を二桁回くらい観てるせいかそういうものだと思っている節が自分にある。
漫画やアニメから影響を受けるタイプの人間。
おじさんが言うように通報する事がきっと正しいのだろう。正論で追い詰め過ぎて良い事なんかあるのかなぁ、と思ってしまうというか。日常生活でもやっぱ間違ってた人を追い詰め過ぎても良い事なんてないというか。
まあリオは理想の実現のために結構滅茶苦茶やってましたけども、そんな事を考えてしまった。
おじさんは自分が被害を受けたら通報したんだろうか。自分は被害者じゃないけど「お前は被害者なんだから権利あるし責任持って処理しろよ」という感じに聞こえてしまって、間違ってないけど部外者がうるせえなと思ってしまった。
大前提としておじさんは何も悪くないのにな。ごめんな。こんな事書いてどの口が言うんよって話だけど、言い方ってあると思うわ。


過去にも被害に遭いかけて、その時は気付いてなかったものの時間に追われていて交番を探す事もしてあげられずバスに飛び乗ってしまった。
車中、その罪悪感で一杯だった中、冷静に考えれば寸借詐欺だったなと後から気付いてジワジワとダメージを受けた経験がある。
良く言えば「人が良さそう」「親切そう」に見えるんだろうけど、悪く言えば「断れなさそう」「騙せそう」な訳で、人からそんな風に見られているというのは結構キツいものがある。
切り抜ける事は出来ても、そう値踏みされるのがまず辛い。やたら舐めた口調で話しかけてくる取引先に当たった時や、ぶつかりおじさんに選ばれた時と程度は違えど同ジャンルの辛さというか。
複数回選ばれた事でいよいよ「そう見える」のだと凹んでしまった。
だからって早々人相(語感が異常に良い)なんて変えられないし、人格だってこんな出来事に対して労力費やしてどうにかするのは馬鹿げている。
ずっと同じような事を繰り返し書いている自覚はあるけど、そういう分かり切っている答えの周りを、ついついグルグルとダラダラと周回を重ねてしまう様な問題なんだと思う。
頼むから寸借詐欺もぶつかりおじさんもマルチの皆さんもやってくれるな、と願っている。
善い事じゃないんだから、やってて良い事なんてないよ。


ただ一方、エンカウントした瞬間に日銀が真横にあったので「隣に日銀があるんで、日銀に貰いましょう」という言える訳のない謎に煽りまくったセリフも思い浮かんでいたのでちょっとは成長というか、順調に耐性と歪みが生じているかも、とも思った。頼もしいかはさて置き、だけど。


完全な愚痴を延々と書いてしまった。
日記過ぎてウケるけど、まあ「性格の悪そうなブログ」という名前にここまで沿った内容もそうない。お目汚し失礼しましたと思ってはいるので、もうええわ、ありがとうございましたーくらいで済ませて貰えたら、などと甘えた感じでいる。


またー。