性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

9分丈のシャツが燃える夢。

TOTOのウォシュレットは座ってTwitterのツイートボタンを押すとおしり洗浄のシャワーがONになるという詳細かつよく分からない夢をみたので「もしかして…いやいやまさかな…」と思いながらも一応やってみたら何と、当然ながら何も起こらなかった。何と、と勿体ぶらせて自分を励ましてあげたいくらい恥ずかしかった。夢に少しでも可能性を見出してしまった自分の謎の素直さと間抜けさたるや後からどんどん増していって増えるワカメを乾燥したままでバリバリ食べて水を飲んだらお腹がパンパンに膨れてしまった人の話を思い出すくらいに恥ずかしさが時間と共に膨張していった。

こういうのを割とやらかすタイプではあるのだけれど、世の中の人たちはどうやって折り合いを付けているんだろうか。

 

季節の変わり目ということで衣替えをしたのだけれど、私服の長袖のシャツが全て9分丈に縮んでいて大ピンチに陥っている。(関係ないけど、私服と入力しようとしたら至福の長袖シャツに変換されてしまいネットのダサい通販サイトみたいなキャッチフレーズだなと思った)

縮んだというか、自分自身が膨らんだだけである。筋トレの結果、胸と肩と腕が当社比で随分と逞しくなり、袖が持ち上げられてしまい丈が足りなくなってしまったんである。はーいナイスバルクでーす。全然求めてなかった負の副産物。

丈が余りに中途半端なので「7分丈ですけど?」みたいに着られないし、大体肩の位置が縫製と全く合わなくなってしまっていて不恰好だし、高校生の息子が買ってあげたのに全然着なかった服を勿体無さから着させられているお父さんみたいな状態になっている。

ムキムキな人がタンクトップ着てるのって見せびらかしたいからじゃなくて、筋肉の成長に合わせて服を買い換えるコストへの対策だったのかも知れない。まあ境地に達し過ぎて入る服がない人もいるかも知れないけれども。

子供の頃にタンクトップを着ている人を袖のある服を買えない貧乏な人だと思い込んでいたのを思い出した。(子供って残酷で恐ろしい)

それはそうと一気に何着もシャツを買い換える程の金銭的余裕が無いのとピンチとか言いながら何故だかボンヤリしてしまっていて未だに服屋にも行っておらず、袖を折って「短いんじゃなくて折ってんすよ暑くないすか?」を装って着ている。

本格的に涼しくなると使えなくなる手ではあるが、本格的に涼しくなったら上にジャケットとかニットを着てやり過ごすことも出来るのでこの局面を上手く乗り切りつつ、シャツを買い足していきたいと思う。

 

少し前になるんだけど、映画「プロメア」を観た。

非常に解りやすい内容と重たいテーマをそのまま怒涛のテンションとスピード感に乗せて投げ込んでくる素晴らしい作品だった。

人体発火で人種が分けられ、差別と弾圧と反骨が充満する世界というのは日本にもアメリカにもミャンマーにもイスラエルにもどこにでも形を変えてある社会なので滅茶苦茶考えさせられる。考えさせられるんだけど、のんびり考えている暇もないくらいのテンションで物語が突き進んでいくので主人公たちに置いていかれない為に顔を上げるしかない、ついていくぞ!となるのがこの映画の一番素敵な所だと思う。

バーニッシュ(人体発火能力に目覚めた人間)を自分と同じだと思いながらも、確かな差異に苦しむ主人公が愛おしかった。

バーニッシュという通称はアーミッシュに通じてるのかなと思ったけれど、アーミッシュの意味合いとは発祥も生活文化も類似が見られないので語感の問題かなという結論に至った。

DVDや配信がリリースされたらまたゆっくり見返したい。ゆっくり見返すというより常に全力ダッシュを要するエキサイティングな映画だけれども。

全く関係ないけど人体発火と言えば「炎炎ノ消防隊」も人体発火を題材にした作品で、その扱い方、発症した人間の描き方なんかが随分と違って面白いので見比べてみるのも良いかも知れない。

まあ人体発火と言えば子供の頃にテレビで観た「銀狼怪奇ファイル」というドラマが主人公が一生懸命推理したのを軽く超えるガバガバ展開だったのが一番印象に残っている。

あーでもない、こうでもないと人体発火の仕組みを真面目に考えた主人公に対し、一般人がどうやっても準備出来そうもない人体発火装置で燃やしてるんで小細工とかいらないでーすみたいなオチだった。シリーズの割と序盤だったのでまだ主人公と一緒に真面目に考えながら観ていた優良な視聴者だった僕はこの推理全部無駄でした事件以降、テレビをあまり信用出来なくなったのだけれどそれはまた別の話。

 

またー。