性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

今更レビュー:スパルタローカルズ「sunsunsun」

2004年の夏に発売されたスパルタローカルズのsunsunsunの今更レビューを書きます。
段々レビューになってない割合が増えてきてマジあーあって感じなんだけど、まぁ自己満足極まれりだし?などと言い訳言い訳ーはじまりー!
スパルタは解散して随分時間が経つけど、終わった感が全くなくて、未だにしょっちゅう聴いてるから今更感すら無いのだけれど、たまたま発売日のクレジット読んで10年も前なのかと仰天して書いてみようかなーと。
現在進行形、常にお世話になり続けてユルユルと気付けば10年聴いてる。
1年めちゃくちゃ聴くアルバムも素晴らしいことは間違いないけど、そんだけ何気無く聴き続けて実は10年という作品の凄みを今更感じている。

「ウララ」という素晴らしくユルく愛おしい曲で幕を開けるこのアルバム。
「何かどうでもいい理屈や不安に ちょっと溺れてた冬は終わったんだ」「生きてる事とかに緊張したってしょうがねえや」辛い事は辛いし、無くなったりしないけど、まあ楽に構えてみれたら良いなという聞き手に穏やかに。ただし取り巻く環境にはニヒルに肯定を。
「トーキョーバレリーナ」は都会のギラギラした世界を痛快に踊り飛ばすダンスチューン。都会に踊らされている事を知りながらも、だったら自分の踊りを続けてやろうぜ的なカウンターポジティブを発揮してる。
不満なさそうに社会が機能してる時点で己がマイノリティーであると解ってる。だからマイノリティーによるマイノリティーの為のダンスが必要なんだよな、と感じる。
「ぼくのポッパー」などを聴いて特に思うのは、sunsunsunというアルバムは飄々としつつもしっかり怒り狂っていて、ヤマアラシの威嚇の様にささくれ立った棘を隠そうともせず踊り狂っているな、と。
踊り狂ってるのを観ているうちに、棘をが立てる音が妙に高揚感を煽り、楽しくなって一緒に踊ってしまう。
怒りを共有する事で、呼応する事で頭の中がスッカラカンになって楽しくなってしまうアルバムだと思う。
「ぼくのポッパー」の世間と自身の感情の乖離への気持ちの踏ん切りのつけ方。
そこから何と無く昭和感のある「UFOバンザイ」へ。どうしても昭和ドラえもんのタッチの絵でイメージされてしまうUFOとの遭遇。性急で淡々としたリズムに鋭いギターがループで煽られる物語。
この辺りからギターの焦燥感というかヒリヒリした刻み方が容赦なくなってきて身体が勝手に動く。
勝手に動いた所をベースに乗せられてドラムに背中押されちゃう。恐ろしい作品やで...!

どの曲もそうなんだけど、「ロマンチックホテル」が特にそうだなと思うのは舞台設定がスルスルっと入ってきて世界観に引き込まれる楽曲が本当に多いアーティストだなと思う。世の中を斜めに見てる人しか集まらなさそうなホテルの、哀愁漂う妙なポジティブ感。
「ピース」の真っ赤に燃え上がる怒りのビートには抗えない。踊るしかない。「トレンディーな都がトレンディーな唾を吐く」に震える。何でもあるし溢れてるけど、どうにもこうにもムカつく。強烈なベースにグイグイ引っ張られて吐き捨てる様な掛け合いを経て「ピース!!!」と叫ぶ。平和?だったら何だよ。だったら何でそんな我慢してんだよお前、みたいな。
そこから不穏な心の中へ潜る様なイントロの「The Club」へ突入。心の上澄みを突っ切ったらやっぱり外に出せない憤りがやっぱりあるじゃねえかと言われてる気になってしまう。歓声だけがルールになると歌われる。出すもん出すしかない。

「Aloha!」は絶妙にユルっと踊れるクールダウンチューン。「堂々突っ走れ!」とある意味一番突き上げられているけれど、何でも話せる飲み屋の常連のお兄さんみたいな懐の深さがある曲で何と無く疲れた時に聴いたりしてホッコリして眠れたりする。
そこからまたまた強烈な「名なしの犬公」へ。植え付けられた価値観で失ったイマジネーション取り戻そうぜ!というひょうきんなサンバのリズム絡めながらムーディーに疾走する姿がマジなのかふざけてるのか解らないわとか言いながら、目がマジだから全部解ってるよって気分になる。
そんなドロドロの泥試合を全て洗い流す様な「森のメロディ」でアルバムが完結する優しさが愛おしい。夕日が沈むから家に帰ろう的なほっこりした包み込む様な「君がいる」と歌いながらフェイドアウトしていく温かさたるや。

まだまだお世話になりっぱなしのまま歳を重ねていきそうな一枚だな、と改めて思う。
生き辛さを感じてるけどたまには息抜きしたい、だけど空っぽな癒しやエールなんてクソだわ!なんて何と闘ってるのか解らないけど立ち向かわずにはいられないそこのアナタにオススメします。
是非是非、ゴールデンウィークの散歩のお供に。

またー。