性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

今更レビュー:オワリカラ「イギーポップと讃美歌」

身体が二つあれば、などと言う事をベタにもよく考えるのだけれど、二つあっても三つ目の悩みがきっと出てくるだろうし、逆に一つしか行き先が無い場合の持て余した感じに耐えられそうもないという理由で身体が一つで良かったと思う。
自分の事は直接的に視認出来ないから良いのではないか。人間は大抵ナルシストだと思うのだけれど、容姿に対して自己愛が乏しい人間としては流石に自分を見続けるというのは不快だ。
彼氏彼女の事情の椿(県下一の公立進学校でモデルの様な肢体で運動神経抜群の性格がスパっとしてる美女)が「美と言うのは選択と言う残酷な行為を経るからこそ良い」みたいな事を述べ、浅葉(同学校に通う芸術家肌のイケメン)の「女の子は皆可愛い」と言う意見と対立する。
僕は何と言うか、性格の歪みのせいか漫画のキャラクターですら苦手な人はとことん苦手で、椿がとても苦手だったのだけれど、これに関しては椿の意見に納得だ。
ただそれには選ばれなかった者の僻みと言うか、「でも結局僕じゃなかった」の積み重ねがある為、椿の意図しているソレとは厳密には違っているけれど。
そんな訳で、「何も話す事も無ければ話そうと言う気概もあまり無いけれど、会えるものならいつだって会いたいギター」が京都に来る一方、「別に話す事も無いし話そうと言う気概も特に無いけれど、2年以上成長を見守ってきて誰よりも成長した鍵盤が卒業するバンド」が福岡でライブをするという選択。
また別の日になるけれど、同上ギター(もっと別の形で出会っていたら友達になれたどころか殴ってると思うけど好き。ある種のジャイアニズム?)が東京でワンマンを行う一方、鳥取ゲーム音楽が嫌いと言う別プロジェクトでは先のギターの同僚と言うシンガーのワンマンがあるという選択。
直近で上記二つの選択を強いられている。
結果的に悲観的になってはいないけど単純に鍵盤の女の子の見納めが近い福岡(卒業まで見続けたい)と、ツアーに全く行けていない鳥取に行くことにした。
この苦悩の最中で椿のセリフを思い出した。僕が苦手なキャラクターは大抵の場合正しい事を言う。
わーめっちゃカッコつけた感じの文章だから気持ち多めに( )付けたよー今日も文字の上なら精が出ますねー。
 

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本題に入る為に伊藤英明に似ていると僕の中で話題の犬の写真をアイキャッチよろしくご覧ください。
じゃあ本題行きます。
 性懲りも無くぼちぼちと長々書き溜めました。元気な人は読んでくれたらラッキー☆

本人が好きだから、とかPVがそういう質感だから、という理由も勿論あるのだけれど、2011年に発売されたオワリカラの「イギーポップと讃美歌」から感じるソレは正に特撮映画の風格。
本人には恐れ多くて尋ねてないけれど、一番近いのは「ゴジラ対へドラ」だと思う。全体的にサイケで不穏なムードがあって、途中何故かアニメパートが飛び出すキャッチーさ。ヒッピーの様でそうでもない彼氏が死んでも彼氏なんて元からおらんかったんや...!みたいな環境問題ストレート提起オチ。
コンセプトアルバムってこういうものの事を言うんだろうな、とコンセプトが特にない人生を送っている28歳は思う。

カウントから突入するイントロのザラつきと鍵盤の軽快さのインパクトとサビの「swingするする」という頭おかしいとしか思えないサビに一撃必殺の文化を感じる。東京を拠点とするとある紳士が「神様が作った曲だよ」と京都でえらく興奮して語ってくれた事があり、神様っていうかコレを作ったのは特撮だな、と僕は思ったのだけれど、完全に目上の紳士が興奮しているという事実があまりに嬉しく感動に打ち震えたという思い出が去年あったのでここに記しておく。
ライブでは速さの限界に挑戦!という実に反射的にブチ上げてくれる役を担っている「ガイガンボーイ・ガイガンガール」も歌詞が解る原曲で聴くとswingで紛れてしまっているけれど相当に頭おかしい曲だということに気付く。ちなみにゴジラガイガンはどっちかと言うとアンギラスの萌えパートが実に良い映画で、ガイガンより「悪い仲間」のキングギドラの方が目立つ始末。見た目がかなりイカした怪獣だけに「もっと強くあってくれ」と思ってしまうけど「悪い仲間」ってほのぼのしたキャッチコピーでやってくる怪獣ですから、何て言うか平和で和む。東京生まれ東京育ち悪そうな奴は大体友達を信じてドキドキで遠征してきたけど悪そうな奴ほぼ見かけないという感覚に似ている。
この曲をライブで観ていると高揚感と共にオワリカラは器用貧乏なバンドだな、と時々思う。理由は書かない。
ガイガンの炸裂っぷりから一転、ジャズっぽくムード一直線に落ちる「オワリカラの気分」はガイガンの流れからして毎度痺れる。特にカメダくんの鍵盤がサックスと交互に前に出て来る感じで凄く良い。ムードある深い所を進む楽曲がオワリカラの中で一番好きなので、これは大好物。
「ベイビーグッドラック」は神々しい荘厳さよりもベースに何故か意識が引っ張られる。不思議。何でだろう。
「夢見る機械」は子供時代、キラキラした目で働く車の本をボロボロになるまで読み返した記憶がくすぐられるのに貧弱なプログレみたいな感触の楽曲で本当に楽しい。内容に負けじとユーモアたっぷりで深夜から朝へと空がジワジワ明るくなっていく感覚が素晴らしく良い。
昭和なら児童合唱団に課題曲としてコンテストに挑んで欲しい。平成っぽくないのはサイケっぷりがそうさせるんだろうか。魅力がジワジワくる。ジワジワ。
そこからパーンと荒野にポツンとある街の埃っぽい教会からシスターをジープで連れ去ろうとしてビンタ食らわされる様なガツンとしたロックに雪崩れ込む。これもライブだと早くなりがちなんだけど、この太さこそがこの曲の最大の魅力だと僕は思っています異論は認めますが譲りません。このギターが端から端までテンションブチ上がる。原曲ペースのどっしりさは40代とかになっても聴き続けるんだろうな、という希望と絶望に満ちてる。
このアルバムで最強の楽曲は間違いなく「ゼットン
特撮感を確固たるものにしてる!というよりは不穏に始まって凄まじい熱量に達してサッと引くという感じがゼットンの強さと儚さを如実に伝えてくれる。子供の頃はゼットンが嫌いだったんだけど、一周回って好きになる。この曲の鍵盤が妙に丁寧なのがゼットンの不穏さを煽る煽る。最後のぐぐぐぐぐっと上がってパンと終わる、焼き払われた感覚がたまらなく良い。
タカハシヒョウリの休日のルートだろと思わざるを得ない幕開け「8と約1/2」は細かいなーというのが引いて見るとでっかい絵になってる様な緻密な曲だと思う。教会の懺悔パートの様なサビの鍵盤が軽快さに不思議とマッチしていて聴いてるとピョンピョンしてしまう。全く関係ないけど、これを叩いているプレイングマネージャーカワノさんは手芸に目覚めた土方みたいな空気で観ていて実に興味深く、推せる。
アルバムの最後、ゆったりと大海原に漕ぎ出していく希望に満ちた「船」は踊り疲れた気分をゆったりほぐしてくれる。遠征に出る朝に聴くととても気分がポジティブになって楽しい。

かなりキャラが強い曲が揃っているのに通しで気持ち良く踊れる一枚だと思う。
しかも尖ってると思ってたけど付き合っていくうちにかなり柔らかい人間だと気付く、的な周回重ねる毎に身近な存在になるアルバムだと感じている。
突き抜けている!という感触ではないけど、確かにこれは突き刺さる!(キャッチコピーが「奇跡的に突き刺さる」だった)という素敵な一枚なので、是非昔はロックだったのに日和ってしまったお父さんへの誕生日プレゼントと称して親子で聴いて欲しいアルバムです。コミュニケーション取ろう?


またー。