性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

己のなんかパッとしない読書体験のハイライトを書く。

最近、崩壊書評という厨二病もしくは念能力みたいなカテゴリーで読んで面白かった本で抱いた雑念をただ書くだけっていうのをやっていて、己の読書体験でハイライト的なのって何だったろうかと振り返ってみたので、それを書く。

 

1.中学生の頃、毎朝始業までの10分間読書をすると言う時間があって、これの為ならと親が本を買ってくれたのが嬉しくて面白かった部分をひたすらノートに書き写した。解釈を添えたり分析をしたりはしなかったけれど、どこか良いなと思った言葉は使いたくなる。
自分の言葉で何か書く時、自然とその中にある表現に倣えた時、好きな言葉や視点を自分の言葉に消化出来たのでは、と嬉しくなった。こういうのが役に立つかどうか解らないけれど、こういうのをどんどん使いたいと思ったらやっぱり外から教わってくるしか無いな、と思って読書が好きになった。
その後、厨二病展開のオタク人生へ踏み出した為、表現の根幹が富士見ファンタジア文庫に染まる。今も抜けきらない。これが10年遅ければ昨今の崩壊ラノベだった可能性もあるので、まだまだそれらに比べるとしっかりしていた時代だったのが不幸中の幸い。
タカハシヒョウリ氏が僕と全く同じ見解でボンボンについて書いているので、ここはボンボンを経ている分、必然と言えば必然かも知れない。
詳しくは下記リンク参照。タカハシくんの漫画の解釈はどこを切り取ってもボンボン気質。

オワリカラ : タカハシヒョウリの「火星から来た漫読家」【第20回】 | Skream! 特集 邦楽ロック・洋楽ロック ポータルサイト

 
2.高校生の頃、近所にあそこは売ってくれると評判の小さな本屋があり、そこで買ったエロ本を父親に没収されるという非常にテンプレ(だけど没収とか普通中学生くらいまでじゃね?)イベントが起こった際、気不味さは特に無かったし別に返して貰う必要も無かった(人が触ったエロ本とかいらん、という妙な所で潔癖なガキだった)のだけれど父親が言いにくそうに「中学生(を相手にしたら)ダメだよ」と告げながら返してくれた事があって、そんな話あったっけ?と思って読み返したら一話だけそういうのが収録されていてお前しっかり読んでんじゃねえかと一人部屋でゲラゲラ笑い転げると同時に、普段何を考えてるかイマイチ解らなかった父親が自分の事で四苦八苦してくれている事を感じて好きになった。読書体験と言えるか微妙だけど、めっちゃいい話だと僕は思うんだけど?どう?どう?
 
 
3.ワンダフルライフと言う映画があって、これを大学生の頃に繰り返し観た。
社会人になってそのノベライズを読んだ時、目に映る描かれ方と文字にして伝える場合の組み立て方の違いと言うか、こう書けばこう視えるのかと言う感動があった。
単純な読書体験からはズレているかも知れないけれど、自分の好きな映画を文字にしても好きだったと事がとても幸せであったし、のだめカンタービレで主人公のだめがパリに渡って言葉の壁にぶつかった際に大好きなアニメのフランス語吹き替え版でフランス語を習得するという超展開があったのだけれどそれに近い感覚を味わった。
そこから単純に読んで楽しんでいたものを情景まで想像して読める様になった気がする。
日常系の小説だってそう捉えれば全て非日常で、自分の毎日に無いもの、想像の外側から受け取った物を自分の中に構築する作業が楽しくて仕方なかった。
ささやかな現実逃避はオンとオフのスイッチで、切り替えるだけじゃなくてどちら側にも少しずつ何かを持ち込めてしまう追加アビリティの様な存在となった読書体験。

何というか、全体的に「超感動した凄く好きな本があって~」みたいな愛おしい体験が少なすぎる気もする。
人並みに泣いたり笑ったりしているはずなのにこうなるのは、多分自分を通してみないと上手く解釈出来ないからだと思う。まだまだお子様。
根幹が軽いせいか名作と言われまくってる古典作品とか全然手を出して無いのでいつか読める日が来ると良いなぁ、と己に微かな期待を抱いている。

またー。