性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

推しがマットレスに挟まれる夢。

寝具メーカー西川のAIRシリーズのマットレスを購入した。
寝心地も良く、壁に立てかけるなり、丸めて自立させて乾燥させられるのも気持ち良く、既存のマットレスの上に敷いて使っている。
ベッドが大きめなのにお試しでジングルサイズを買ってしまった為、既存のマットを処分するとフレームが余ってしまうからなんだけど、割と身体に合っている事が判ったので次はフレームに合うサイズを買い替えたいと思う。
そんな訳で現在は西川のマットを既存のベッドの上に立てかけて風を通す様にして、寝る時にマットを重ねて敷くというスタイルで生活している。
先日、飲み会から帰ってきて「休憩してからお風呂に入ろう」と既存のマットに腰掛けていたら寝落ちしてしまい、朝目覚めると寝相で倒してしまった西川のマットの下敷きになっていた。
漫画によくある何か重いものがのし掛かって苦しいという悪夢も見ず、マットレスにサンドされて眠るのは品質が良かろうとも気持ち良くも何ともなく、普段よりも大量の寝汗をかくだけの結果となり何の面白味も得られず、割と長時間寝られたのに全然疲れが取れていなくて要するに最悪だった。
何でもネタになると思うなよ、という自分自身からのメッセージだったのかも知れないな、と思いながらシャワーを浴びたけど、今考えるとせめてネタになってくれないとただコンディション整えられなかっただけになっちゃうし損した気分になるよなと思ってしまった。
まだまだアニメや漫画の様な展開に憧れるお年頃なんだなと思って照れ臭い気持ち。


そう言えば、ヒグチアイさんの「最悪最愛」が凄く好きでここ数週間は毎朝通勤と帰宅の時間に聴いている。ヒグチアイさんの楽曲は元気というよりも攻撃力が付与、もしくは湧いてくるんだけど、多分単純な励ましや根暗な人間からすると根拠不明で不安になってしまう謎の明るさみたいなものとは違う、懇切丁寧に憤り、そのポイントを更に丁寧に説明してくれる作りなので「よし、僕もぶっ飛ばしちゃうぞ!」と拳を握り直せるというのが一番好きな所なのだと思う。
元々気になっていたところ、吉住さんのラジオで「ほしい物リスト公開して買ってもらってる同業者と自分はステージが違うと思っていた」という話を聴いて一気に好きになった。
「最悪最愛」の一曲目の「やめるなら今」が仕事に向かう自分の背中をバンバン叩いてくれるし、帰り道には「悲しい歌がある理由」が自分の定義する不条理と願望の距離感をそうだよねと背中をさすってくれる。
他の作品をまだ追えないくらいに延々とこのアルバムを聴いているので知った顔は全然出来ないんだけど、耐えている事や諦めている事なんてものは消し去れる訳もなく、それに対する自分の感情が間違ってないし大事に出来ることで少なくとも守れる自分がいるんだよ、という事を節々から感じるアルバムで厳しいけど本当に優しい人みたいな1枚で完全に懐いてしまっている。
握り拳のまま自分のために頑張るぞー。


それはそうと宇佐見りんさんの「推し、燃ゆ」が文庫本になっていたのを見かけ、ずっと先延ばしにしているうちに文庫になってしまった…と謎の敗北感(ハードカバーで発売された時から買いたかった作品が文庫になるまで手を出せなかった自分への敗北感と思われる)に打たれながら即購入した。
推しがいる事の活力というよりは、推しがいる事で何とか生きているという人の側面をかなり深めにえぐる作品なんじゃないかと思った。
推しの対象も様々、その推し方も様々な中で、何もうまく出来ない自分を世の中に何とか立たせてくれるという位置付けだった場合の熱量の凄まじさと悲しさをひしひしと感じた。
解釈する事に推し方として重きを置く人たちにかなり深く刺さって痛い作品だと思うし、主人公が父親の推し方を笑う、下に見る描写が1つだけあって、滅茶苦茶キツかった。
コロナ禍でカジュアルになった「推し」だけど、個人的には「自分が弱っている時ほど人を助けたいと思ってしまう」という精神構造を「推し」だと思ってしまっている人も多い様な気がしていて、その言葉を思い出し、逃避と逃亡は違うと自分にも言い聞かせながら読んだ。
原動力になるには違いないけれど、誰かを支えたいという気持ちを肯定し過ぎるあまり自分の人生を投げ売りしてどんどん立てなくなっていく、という暮らし方についてハイライトが描かれているだけ本物よりも迫るものがある、という受け取り方も出来た。
「純文学に強い奴はいない、誰も読みたくないから」という事をクリープハイプ尾崎世界観さんとラランドのニシダさんが言っていたけれど、意地が悪いけれど読みながらそう思った。
完璧だったり、信じがたい跳躍(身体的、精神的に拘らず)をみせる人間よりも、自分と同じ様に弱く、ある面で自身よりも不得手な存在が気付かせてくれる事がとても多いことを本作でも感じると共に、人は何だかんだ限られた面でしか人を見れなくて、そこを脱する事は中々難しいんだな、と改めて思い知らされた。
ただ自分を賭しても推したい、という幸せへの羨望が物言いを皮肉っぽくさせている事も間違いのないことなので、解釈するというのは大切なのだな、と思うなどした。


またー。