性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

映画「ひらいて」の雑感(※ネタバレ有り)

映画「ひらいて」を観た感想をネタバレを含めて書きたい。

そんな事を言って突然書き始めてしまうと内容が目に入ってしまって滅茶苦茶ショックを受けてしまう方がいるかも知れないのでスクロール避けにまず自分の原作の綿矢りささんの認識ついて書いておこうと思う。

特別な出会いではないのでネタバレを踏みたくない方は読まずにチェンソーマンを読もう。
「ひらいて」をこれから観るにあたって絶対に役に立つし、そもそもチェンソーマンは面白いんだから。


僕と綿矢さんの出会いはデビュー作の「インストール」で、僕も綿矢さんも高校生だった。
とんでもなく不器用で妙に気持ちの悪い大人を生み出す先輩だな…と漫画研究部の女性の先輩たちがこぞって最遊記のポエム付きの際どいイラストを文化祭の配布冊子にねじ込んで一般生徒及び市民にばら撒いていたのを思い出し、その凄い版が登場したんだなくらいの認識だった。
当校においては、そのテロとも言える爆撃配布芸が翌年以降、文化祭における作品の事前提出及び検閲を引き起こし、演劇部は台本を、軽音部は演奏曲目を提出せねばならん事態に発展していく訳であるが、よもやそんな厳格なルールの発端が漫画研究部という目立たない部によりもたらされたものとは思わず、反抗的な抗議の目を向けられた先生方はなんというか可哀想であった事をよく覚えている。
綿矢さんは、僕にとってその「アカンで」という隙間を文学で滅茶苦茶に上手く抜け切った先輩という第一印象だった。
綿矢さんの書くズレて戻せなくなってしまった大人たちを「いやいや、大人ってこんなにポンコツではなくない?」と思っていた僕だけれど、受験生になり、大学生になり、社会人になるにつれて大人の権利の自由度の割に首も回らなくなってしまう程の不自由さ、しかも子供の頃から思ったほど成長していないという絶望感をあらゆる場面から感じ、そうして初めて「綿矢さんは本当に鋭くて、しかもそれをきちんと言葉で表現できるヤベェ人だったんだ」という当然の事を思い知った。
ずっと教えてくれてたのに随分と遠回りしてしまったなぁ、と少し恥ずかしくなってしまった。
綿矢さんは外力に強いられ、自主的にも強いる様になってしまった人間(年齢性別不問)の歪みを込めつつも普通に面白く読めてしまう物語として広げてくれるので、そういう各種の「呪い」に縁の薄い人は何も気付かずスキップしながら通り抜けられるのに敏感な人にとっては何でこんなに打ちのめされねばならんのかという地雷原と化す、「ある方向に感性を研いだ人間だけをボコボコにする作品」を何度も何度も高純度で生み出してくれるかけがえの無い存在である。
何度身構えても無事にボコボコにされている自分がそう言いながらも綿矢さんが好きなのも、何というか綿矢さんの作品の登場人物に自分のダメな部分を重ねて恥ずかしさでのたうち回る事で社会に出て行ける部分が多少なりあるからではないかと思っている。


以上がスクロール避けの雑談であり、予想外に長くなってしまった上に割と「ひらいて」の感想としても機能してしまう内容になってしまったんだけどオタクは話し出すと段々早口になって止まらなくなってしまうのでこのまま続けようと思う。
オタクと車は急に止まれないんである。
などと言いながらまず原作を手元に置きながら未読ということを先に謝っておきたい。
何かあまりに喰らいそう過ぎて、もう少し生活が落ち着いたら…を繰り返している内に映画が公開になってしまった。
なので雑感は全て映画に対してという事をご了承頂ければと思うし、解釈違いがあっても個人の感想なのであんまり怒らないで欲しいと思う。
以下、宣言通りネタバレを解禁とさせて頂く。


「ひらいて」を乱暴に説明してしまうと、幸せそうに見えるけどちゃんと破綻している家庭の愛という女子高生が、目に見えて破綻している家庭のたとえというクラスメイトに恋をして、彼と大き過ぎる制約のもと破綻しない事を心情とする様な家庭で育った恋人の美雪との間に割って入ろう、というものだと思う。
(以下、劇中で互いを呼ぶ際にちゃん及び君付けで呼んでいるのでそれに倣う)
清い、何時代の文学だよくらいの交際をしているたとえ君と美雪ちゃんに自分の願望を満たさんと突っ込んできて引っ掻き回す当たり屋の様な愛ちゃんという構図が成り立つものの、先述の通り皆それぞれ難しい環境にいるので感情的にどんどん複雑になっていくのが印象的だった。

時系列に上手くまとめられないのでそれぞれについて簡単に感じた事をまとめたい。


【愛ちゃんの事】
愛ちゃんは、とにかく自分の思い通りにしたいという強い願望と行動力がある人物で、その為に自身を磨く事に余念が無い。
それは単身赴任という仕事を盾に家に寄り付かない父親(不倫しているのか愛情が無いのかは不明)へ食べきれない程の手作りのお菓子を送り続ける母親という両親を見て育った事が大きいのではないだろうか。
自分は絶対にこんな風にはならない、という強い思いが成績も容姿も人間関係もどんどん登っていかなければ、しかも各ステージで最高到達点ではなく1番になれる場所を選んで手に入れ続けなければ、という姿勢を取らせているように感じる。(塾のクラスは上位なのに進路選択でも無理せず推薦を選んでいる、など)
その愛ちゃんが恋人として絶対に手に入れたいと願った相手がたとえ君だった訳で、そのたとえ君がどう頑張っても自分を全く見てくれない事で、「父の視界に入れない母」という憐れんでいた存在に自分がなっているという自覚が彼女の積み上げてきた努力とバランスを失わせたのではないかと感じた。
ただ、愛ちゃんがたとえ君や美雪ちゃんに責められた様な凶暴で身勝手な人間なのかと言われると全然そんな風には思えなくて、愛ちゃんは割と明暗共に抑えてバランスを保っているのに、感情の蓋を開ける音と動作が大きくなってしまうせいでさも自由気ままで何も我慢していない様な見方をされてしまうんだろうなと感じる。
彼女からすると緩くてふわふわして無知に見えているミカちゃんが自分を心配してくれている事にすら苛立ち、セフレと罵った場面で、ミカちゃんが「セフレだったらバカだと思う?」と悲しそうに問いかける姿にハッとして「思わないよ、ごめんね」と返したシーンが「これまでと同じ愛ちゃん」に戻ってこれる最後のタイミングだったんじゃないかと僕は思っていて、ここが今作の中で1番好きだ。これは何回見ても変わらないと思う。
絶対に手に入れたいたとえ君だけでなく、美雪からも飼い犬に手を噛まれたくらいズドンと咎められ、ズルズルガードを下げて打たれっぱなしになり、毎朝手入れしていた髪も爪もボロボロになる程に追い詰められてしまうのは観ていて本当に辛かった。
ただ、我慢してやり過ごす人生を多少なり送ってきた側の自分が実際にあの中にいたら愛ちゃんを「お前は良いよな」的な目でみてしまっただろうなとも思うので自己嫌悪もあり、余計に辛くなってしまった。
その愛ちゃんがたとえ君と美雪ちゃんが「容認してくれるはずがないと解っていても直視出来なかった」たとえ父の無理解と、その傲慢な憤りに対するカウンターもぶちかまして、2人の夢の世界を守った挙句に砂被り席でオールナイト観戦させられるというのは、前世で小国を滅ぼしたくらいの罪がないとあんまりにあんまりなんじゃないかと思ってしまった。
それにしても、愛という名前のキャラクターが恋に固執して愛に辿り着けないのは中々凄い重みだ。
そういう解釈をしているので主題歌の「恋がしたい、恋がしたい、恋がしたい…最悪」という終わり方が僕にとっては愛ちゃんの言葉に聞こえる。あくまで僕の場合は。


【たとえ君の事】
たとえ君は、母性に飢えて俺の理想の聖母を探す旅に出た結果美雪ちゃんという存在に出会った、絶対に誰にも渡さないという凶暴性が印象的だった。
愛ちゃんに投げつけた「美雪を見つけた時の俺の気持ちがお前にわかるか?」的なセリフがあんまりにたとえ君のヤバさを一言に凝縮している様で吐きそうだった。これがオーラの力って奴?
絵に描いたようなクズの父親から逃れる為、必死に勉強をして東京へ進学し、美雪ちゃんと幸せに暮らすことを夢みるというよりそれしか自分にはストーリーがありません、という突っ走り方がセカイ系ラノベみたいで滅茶苦茶10代男子って気がして、年相応感に家庭環境故の凶暴さが加わってとんでもねえキャラクターだと思った。
東京?で暮らす母親と連絡を取り合っている事が明らかになった瞬間に「あ、これは母親が自分をクズの父親の元に置いて出て行ったことを認めたくなくて勘定に入れてねえな」と思ってしまってたとえ君が結構無理になってしまった。
どんなにクズでも一応育てた父親とたまの連絡で心地よい言葉をくれる母親。凄いテンプレにスーパーヒトシくん人形で正解を掻っ攫う的な。
全然人と目を合わせない、極力外部との接点を断つことで自分の内面を出さないように生きているた彼にとって、ガンガン目を合わせてパワーで押して行こうという愛ちゃんは脅威だったと思うし、自分の聖母である美雪ちゃんを変えられてしまう恐怖が彼女に対するリアクションに出ていたのではないかと感じた。

また愛ちゃんや父親を侵略者扱いする事で、父親が自分を逃さんとする姿が美雪ちゃんを理想の外に出さない様にしている自分と重なってしまう事を認めたくなかったのかな、とか。
最後に愛ちゃんの頬を両手で包んでまっすぐ彼女を見た場面は、初めて愛ちゃんの存在を認めた、目があった瞬間だったと思うんだけど、それが「お前は俺と似てると認める」という意味なのか「お前の今の目、悪くねえぜ」なのか「親父ぶん殴ってくれてありがとうな」なのか何なのか解らないけど、ほんの少し前進したのではと思いつつ結局それも卒業だからだよなぁとか思うと切なさがある。このシーンのたとえ君の気持ちが自分なりに解釈出来なかったのは自分の程度が知れるというか、複数回観るフラグなのかなと感じている。削られる面積が大き過ぎて暫くは無理だけども。

 


【美雪ちゃんの事】
美雪ちゃんは、自分の糖尿病が大前提となって、破綻しない事を心情とする事で温かな家庭が出来ており、守られていると信じている。
その制約を両親よりも彼女本人が何倍も大きいものであると思い込んでいる事が彼女の献身的な性格を培っていると同時に、自分はいいから、という自己犠牲にまで及んでいるのはご両親からすると中々に難しいだろうなと感じる。
自由にさせてあげたいけど、あまりに狭い世界で生きてきた、外の世界を知らない娘をどう諭せば、という中で愛ちゃんという同性の友人を連れてきた事はきっと嬉しかったろうなとよく解らん視点で見てしまった。
たとえ君も同じなのだけど、2人はお互いの激しい所をお互いに知られる事を恐れている(たとえ君は強固な一面を彼女には見せないし親にも合わせない。美雪ちゃんも自分の欲求を彼に見せないし愛ちゃんとどんな関係になっているかを言わない)節があるので夢の中にいる2人がいつまでも幸せにやっていけるんだろうか、というソワソワ感がついてくる。
美雪ちゃんが愛ちゃんとたとえ君の家に乗り込んだ時、たとえ父に出された蒲鉾を気圧されて食べた時に、相手に出されたものを食べるという行為にまず屈して、更に食べ物と一緒に自分の言葉まで飲み込んでしまうというダブルパンチで何も言い返せなくなってしまった姿が、こんな家族関係があるなんてというショックも含めてとても痛々しかった。
その現実を受けて避難したホテルでずっと寄り添いたとえ君を励まし続ける事で彼女は彼女なりの決意を新たにしたんだろうな、と思った。
最終的にたとえ君の隣に自分がいなくても良い、と言っていた頃とは違う彼女になれたんだろうなと感じた。
彼女にとって、愛ちゃんはどんな存在だったんだろう。最初は求められる事に不慣れというか、されるがままだった美雪ちゃんが受け入れ、求めていく変化は愛ちゃんによって引き起こされたものに違いなく、その愛ちゃんに裏切られてた、利用されていたと知った時はとてつもないダメージだったろうし、それでも自分の悲しみや怒りを言葉にするよりも愛ちゃんの嘘の言葉による謝罪を咎めたのは聖なる力や…と感じてしまった。愛ちゃんもまさかその角度で咎められると思ってなかったろう。
知らない事で母性に見えていたものが、その難解さを受け入れた上で本当の母性に進化している感覚があって、彼女がどんどん神々しくなっていくのが驚きだった。
ラスト、手紙を読んで愛ちゃんが膝をついたのは、美雪ちゃんに赦され、心から受け入れられたと感じて彼女の中に神様をみたんじゃないかと思っているんだけどどうなんだろう。


【マジの余談】
僕はヘレディタリーやミッドサマーなど、アリ・アスター監督の作品がとても好きで、とは言えそれらと出会うまでそういう映画は特に観てこなかったので「急に好みが変わったのかな」と思っていたけど、人の心が歪むときに立てるギシギシという音を綿矢りささんによって高校生の頃から叩き込まれいたのだなと今作で納得がいった。
個人的には「ちいかわ」のナガノさんも別の角度からそれを存分に煽ってくる存在なので、ナガノさんをずっとアリ・アスター的に捉えていたんだけど、それすら綿矢さんから始まっていたのかと思うとマジでヘレディタリー状態。(良かったら観てください。意味が解って貰えると思います)
「高校生から始まってた、ってコトォ!?」と心の中のハチワレが映画開始早々脳内で叫んでいたことを忘れない様にここに書いておきたい。


何か他にも書きたい事が出てきそうな気もするので思い出したら追記しようと思う。


またー。