性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

目指せ、スピードキングへの道。

滅茶苦茶久しぶりにこのブログを書きながら、え?このブランク何してたっけ?と思い出したりしてみたんだけど、特にこれといって夏のレジャーみたいなのを楽しんだ訳でもないし、というかそもそも毎年夏のレジャーなんか楽しめないタイプの人間なので海とか川とか祭りとか花火とかコロナがあろうがなかろうが行ってないし、平常運転じゃないかと気付いて愕然とした。

それを平常運転としてしまう人生とかに愕然とした。

人生、うまくいかないね。打ちのめされてばかり。

 

じゃあ本当に何もしてなかったのかと言えばそんな事もない。

土曜プレミアムという自称するには中々強心臓な枠で放送されていたマッドマックス怒りのデスロードを観ながら、あ、僕もこの夏はスピードキングと毎日レースを繰り広げてたじゃん!と思い至ってそれを書くことにした。

 

最寄駅から職場へのルートに200mはあろうかという直線コースがあり、そこを通勤で歩いていると、お尻に「SPEED KING」と刺繍されたデニムをはいたおじさんに後ろから毎日ブチ抜かれているということに気付いたのは8月の頭くらいだったと思う。

いつも同じパンツなので覚えてしまったんだと思うんだけど、通勤中の歩く速さにはちょっと自信がある自分をいとも容易く抜き去っていくおじさんに衝撃を受けた。

この、通勤中に同僚から話しかけられたくないというネガティブさ一点で磨きあげた脚が通用しないなんて間違っている、というのが最初の感想で、そこからスピードキングへの一方的な挑戦が始まったんである。

 

そもそもスピードキングって自称していい肩書きなの?何かしら競う場があってそこで頂点に立って初めて主催者とかから讃えられて冠されるものなんじゃないの?実は僕が知らないだけでこの直線で毎朝レースが開催されてて、スピードキングは前年度の年間チャンピオンか何かなの?

いや、速いのは認めるんだけど、それをもし自称で身につけているならまずスピードキングと言うに相応しい戦歴が必要なんじゃないかなと思うんだけれど、その辺どうなんですか?と聞いてみたいが全然追いつけないので聞きようがない。

スピードキングの凄い所は、追いつけないほど速くてもそのフォームが競歩的な感じでもなく、ましてや走ってもいない所である。それなのに追いつけないのがスピードキングのスピードキングたる所以だと僕は勝手に思っている。

本当に普通に歩いてるのに、いや、歩いているように見えるのに滅茶苦茶早い。

冷静に観察する様になって最初に抱いた感想が「あれ?作画バグってる?」だった。それくらい歩いてるなぁ、というフォームで速い。

HUNTER×HUNTERのハンター試験の最初試練で滅茶苦茶速く歩いていたサトツさんを思い出した。スピードキングはサトツさんの生まれ変わりかも知れない。サトツさんが存命なのかどうか休載が多過ぎて思い出せない。冨樫先生は今、何にハマっているんだろう。

ガラスの仮面」のファンが自身が生きている間に完結してくれるかどうかを心配している様に、僕もまたHUNTER×HUNTERが完結するまで自分が生きていられるのかを密かに心配、あ、ヒソカに心配してるよ♣︎である。

 

話は逸れたがスピードキングはそんな感じで本当に速い。

毎朝観察していると、陸上経験者から聞いた速く走るコツを裏付ける様な歩き方をスピードキングがしている事に気付いた。

走る際に足を前に振り出し、地面を踏み込み、蹴り出して前に進むという一連の動きの中で、最初の足を前に振り出す動きをいかに速く行うかが速く走る事に大きく関わってくるという話であった。

スピードキングは、一連の歩くという動作の中で、足を前に振る動きが異常に速かったのである。

さして強く踏み込んでいる様にも、強く蹴り出している様にも見えないコンパクトさの中で、前に振り出す動きだけが目立って速い。

エネルギーをそこに収束することで力感のないフォームで滑る様に歩いているのだとしたら、一般的な「速く歩く=強く蹴り出す」という認識の人よりも少ない消耗で先に進めるのではないだろうか。

僕はこの仮説をもってスピードキングの速さの秘密を解明出来た気がしたし、これでスピードキングと闘えると思った。

後ろから華麗に抜き去られ続けた毎日、この夏の悔しさに、この夏のうちにピリオドを打ってやろう、と。

その日を境に、自宅から駅までの道でその歩き方を身につけようと練習しながら歩き、駅から会社までの道でスピードキングに挑戦するというのが日課になった。

少しずつスピードキングのフォームに近付き、少しずつ離される距離も短くなっているが、未だ勝てずにいる。

流石に相手はスピードキングである。

そう簡単には勝たせて貰えないけれど、いつかスピードキングに「中々骨のあるヤツもいるじゃねえか」と思わせたい所ではあるけれど、こっちが勝手に盛り上がってしまっているだけなので普通に勝った所で物語が進展する訳でもないし、スピードキングが速さを自負して名乗っているかどうかすら解らないし、どっちかって言うと自負してスピードキング背負ってたらそれはそれでキツいものがあるなと思わなくもないけれど、僕の、終わろうとしているこの夏の最大のトピックがコレなのでその軌跡を記しておきたい。

最大のトピックがコレか。

 

人生、うまくいかないね。打ちのめされてばかり。(2回目)

 

またー。

ラストシンデレラに救われて筋トレを続けられた男の話。

今回は、三浦春馬さんの事を少しだけ書きたい。

とは言え、熱心なファンでもなく、良いことも悪いことも何も書いていないので、ファンもアンチも(いるのか知らんしいないで欲しいけど)何の期待に応えられる様な内容でもないので暇な方以外は読まないで何の問題もない。

暇な方は時間が潰れるという利点があるので任意でお願いしたい。

 

僕は、三浦春馬さんが出演されていた「ラストシンデレラ」というドラマに凄く救われた経験がある。(ラストとシンデレラの間に♡が入っているのだけれど、凄く無駄な自意識が定位置に入れることを拒む。何なんだ)

放送当時、勤めていた会社で割と仲の良い人たちが連続で辞めるという流れが起こっており、しかも割と仲が良いだけに誰かが退職した直後に「実は次のボーナス貰ったら辞めようと思ってて」と次回予告的な告知を受ける様なヘビーな展開の最中にあった。

別に誰か死ぬ訳でもなし、とは思っていても生活の大半を過ごす職場で心を許せる人がどんどんいなくなっていくのは随分と堪えた。

そんな中でたまたま初回を観た「ラストシンデレラ」における三浦さんの肉体美に何故だか癒されてしまったのがキッカケである。

それまでも三浦春馬さん自体は「ごくせん」などで知っていたんだけれど、丁度空いた穴にストンとハマったのが「ラストシンデレラ」の三浦さんなのだった。

ただ、自分の中でドラマ自体の面白さとしてはあまり順位の高いものではなく、菜々緒さんの「大好きなお兄ちゃんを傷つけるという発想が欠けてしまう程に大好き過ぎるブラコン」というブラコンあるあるコンテスト3連覇殿堂入りしそうな演技に12000点差し上げたい(僕などに12000点差し出されたところで変換出来る有用なポイントもマトモなレートも存在しないと思うが)以外には、妙なポジティブさ、皆不平不満を漏らしながら頑張っている姿、何より三浦春馬さんの肉体美に元気を貰うという感じであった。菜々緒さんの役所は週刊少年マガジンのハーレム物に出てきそうなブラコンっぷりだった。

ただ、三浦春馬さんが篠原涼子さんにえへへとなってしまっている姿や、倉庫の夜間仕分けのバイトを黙々と、そんな滅茶苦茶洒落た格好でこなします?オラ、経営者!今すぐ作業服支給差し上げらろや汚れたらどうしてくれんだコラ!!な姿を見ることにより、当時の自分が頑張れていたのは揺るがぬ事実なのである。

それから7年程が経つ中、運動不足解消に始めた筋トレを続ける中で、胸筋とウエスト周りの周長差、肩から腕へかけての筋肉のバランスの理想はずっと変わらず「ラストシンデレラ」の三浦春馬さんだった。(そもそものキッカケ自体は西川貴教さんなので全てが三浦さんのお陰ではないけど)

勿論、同じになれるなんてことは思った事もないけれど、苦しい時や少し成長が見られた時に劇中の半裸の三浦さんを思い出し、微かにでもあんな風になれたらいいなぁと思っていたからこそ、わざわざしんどい筋トレを続けられたんだと思う。

あまり長く物事を続けて来れなかった僕に継続する自信をくれた筋トレの、その理想像として君臨してくれた事への感謝が大き過ぎて、今、物凄く悲しいし寂しい。

勿論、自分が大したファンでないことも自覚しているし、自分より悲しんでいる人たちが本当に沢山いるということも理解している。この文章がもしファンの方を傷付けてしまうことがあったらどうしようとも思うけれど、それでも僕だって僕なりに悲しくて寂しい。申し訳はないけれど、僕だけは僕の気持ちを肯定したい。

ラストシンデレラ以降も三浦さんは当たり前にいてくれたので、たまに観てる作品に出演されててラッキーという毎日を過ごしていた。

日本全国を回って、その土地の素晴らしい物を取り上げる書籍が刊行された際、面白そうだなぁとポスターを眺めながらも今度にしようと買わなかった。

自分で、より好きになれるチャンスを見逃してしまった事が悔やまれる。

本人に届く訳じゃないけれど、もっと好きって公言しまくってくれば良かった。こういう影響受けたんですよって言いふらせば良かった。

だからって何も変わらないけれど、強くそう思ったのでこれを書いた。それだけである。

今更だけども。

 

雨宮まみさんの時も感じたけれど、結果的に僕を救ってくれた表現者が世の中からいなくなってしまった時、余りに寂しくて、自分が何者でもないという自覚はあるのに何もお返し出来なかったという気持ちで落ち込んでしまう。(雨宮さんに限っては印税などでマジのマジで微かにお返し出来てはいたけれど)

 

人の人生なんてものは当人にしか決められない、本人以外の誰にも喜びも辛さも正しく測ることは出来ないから、自ら死を選ぶということに異議を唱える事と同じ様に、それしかないとなってしまった事を、何ていうか否定しないでくれないかという気持ちになる。(反対意見も解るんだけども)

 

今日は大好きな阪神タイガースの試合を生で観戦していて、阪神の伊藤投手の今シーズンのSEがこれまた大好きなELLEGARDENの「風の日」で、マスクの下で小さめに歌って(声を張り上げての応援はコロナ対策で自粛することになっている)楽しくて、阪神も勝ったけどやっぱりふとした瞬間に三浦さんいなくなっちゃったんだなと思って寂しくなった。

ただ、三浦さんへの憧れでついた筋肉(当社比で2.5回りくらい大きく成長した)を大事にしていこうと思う。

三浦春馬さん、あの頃の僕を助けてくれてありがとうございました。

やれるとこまでやってみます。

 

またー。

普通の日記。

たまには普通の日記を書いてみようかなーと思ったので最近のことを。

白状すると、予約して届くのを楽しみにしていた左右社の「仕事本」が発売になり、パラパラ読み始めた影響である。

緊急事態宣言の中、宣言が全国に拡大された辺りまでではあるものの、色んな仕事をしている人たちが思いを日記形式で書いてくれていて、それを読んで「最近のこと書いておこう」と思ったからである。

影響受け過ぎ。

全て読めていないけれど、この本は専門的な知識や情報を与えてくれるものではなく、ただ「皆それぞれにそれぞれの大変があって、自分とそんなに変わらない」ということを教えてくれる本である。

取るに足らないと感じる人もいるだろうけど、その取るに足らなさこそが根っこにないとどんな知識や思想を上に重ねても何にもならないんじゃないかなーと思うので、自力で気付けない大半の人(自分も含めて)にはとても大切な本だと思う。

 

以下、最近のこと。

 

コロナ云々は相変わらずで、在宅勤務は取りやめになったけれど時差出勤は各自の判断で行って良いとの事で、1時間前倒し、毎朝7時半に始業する為に6時半に家を出る為に5時半に起床している。為に、為に、為に。

やってみると案外起きれるものの、夜が早いので1日が長いという感じはしない。

常時の定時が5時半の為、1時間前倒されて4時半に定時となる。毎日圧倒的に定時退社。(常時でも定時退社する事に全力だったけど。それにしても時という字が多い文章だな)

大半の会社員の人よりも早く退社出来るので電車は空いているし、買い物も楽。

 

4時半となると、まだまだ日が落ちていないので暑いけれど、どうせ帰るだけなので汗をかいても気にしない。朝も1時間早いだけで涼しいし、電車も空いているので快適ですらある。毎朝、小学生の頃の夏休みのしおりに「宿題は涼しい午前中にしましょう」と書いてあったことを思い出す。

5年生の時、たまたまそのしおりを準備する先生を手伝った時に「いつやっても同じじゃないですか?」と聞いたら「小学生はそうかもね、先生も思ってたよ」と注意するでもなく返してくれた。

先生の言っていた事が今になって解る気がする。先生って凄いな。先生、生きてる?(お元気ですか?って言え)

先生に教えて貰ったことの中で一番よく覚えているのが「ダチョウに蹴られると死ぬ」で申し訳ないけどお陰様でちゃんと自力で生活出来る大人になれました。

ちゃんと社会人になれた事、それも自分で言うのも何だけど割と優秀である事、自分に関わってくれた大人たちの影響が大きいと最近やけに思う。

親はまぁ、いい人たちだなぁと元から思ってたけど、小学4年から6年までの担任の先生だったり、中学生から高校生にかけてお世話になった塾の先生だったり、前職の社長だったりへの感謝が何となく、薄ぼんやりとだけれど枯れずに湧き続いている。

 

コロナの影響で、想像力の乏しさを実感したからこんな事を思うのかも知れない。

自分の興味や知識が及ばない世界に対して、人が余りに優しさに欠け、それに気付けない生き物であるかというのを思い知った。

人に対する影響なんて無いけれど、せめて自分だけでも気をつけていかねばと思った時に、こう思える性格というか人格はどこから来たんだろうとなったのがキッカケかも知れない。

RIZEの「Why I'm Me」が脳内で再生された。まさかの感謝ソングの選曲。そもそも感謝系ソングが得意で無いのでレパートリーが少ないんだと思う。

世の中の冷たさと厚かましさは度し難い程に愚かで「あ、もうこの国滅ぶわ」と思ってしまうこともあるけれど、自分が誰かにとってそうである可能性は捨ててはいけないし忘れてはいけない。真の優しさから軸がズレている捉え方であるという自覚はあるけれど、「真の優しさ」なんてものは残念ながら解らないので理解でなくまず配慮を続けるしかないんだよなぁと思うなどしている。

何の話なんだろ。

でも、そういうのもあって最初に挙げた本の宣伝を見かけた時、反射的に予約したので、まあそういう話なんだと思う。

 

自粛生活で休みの日をトレーニングウェアとTシャツでばかり過ごす様になってしまい、流石に宜しくない、出掛けることは例年に比べて少なかろうが、外出に耐えられる服を手に入れようと給料日に百貨店を彷徨いてポロシャツを買った。

何店舗も回って目星をつけて購入したのは随分久々なので達成感があって満足した。

店員さんのお陰で悩んでいた2色から1色を選ぶことが出来た。

ネット通販は安いし気楽どけれど、サイズ感も色味も賭けな部分もあり、その勝負勘というか審美眼を養ってこなかった自分は苦手でも店へ行くべきなのだなぁと自分への説教を込めて言い聞かせた。

まぁすぐ嫌だ、苦手だ、なるべく避けたいとか言い出すけども。

 

天元突破グレンラガン」を一気に観て、そのテンションの高さと集団の描き方の浅さ(主人公クラスの視点しか掘り下げがない)のリアルさに驚いた。準レギュラーの人生を全く深掘りしないので、現実と同じく「実はあまり知らないけど一緒に集団を形成してるし信頼してる」という感じになっていて、2クールも使ってそれを貫いたのは凄いなと思った。

終わり方がまたハッピーエンドなのかどうなんだと、妙に生々しいので正直言うと戸惑った。

その後、「ふしぎの海のナディア」を観始めたものの、あまりのトラウマ展開の連続及びナディアの性格のキツさに打ちのめされて中々進まないでいる。

とりあえず30話近くまで来て、未だにナディアを微塵も好きになれない。

だったら途中でやめればいいんだけど、気になって観てしまう。面白いって凄い色んなものを超えてくるんだな、と実感している。

ここからどうなっていくんだろう…そして僕はナディアを理解出来るんだろうか。

 

またー。

アメリゴ・ヴェスプッチの歌。

友人と食事に行き、「絶望というほどの深刻さじゃないけど悲観的に捉えてしまうことに対して充てられる、絶望と同じくらいキャッチーな言葉はないのか」を真剣に考えて「無理」じゃないかという案が出たんだけど、無理はあまりに守備範囲が広くてピンポイントさに欠ける、例えば「ヤバイ」がマイナスだけでなくプラスの意を持ってしまった様に、みたいなことを一頻り話した訳ですよ。

ちょっと難しい議題を語り合うの、カッコイイよね。2人ともインタビュー記事の写真によくある「ろくろを回すポーズ」滅茶苦茶してたからね。NewsPicksかと思うよね。(まあ僕は微塵も思わないけど)

実際のところは合間に料理を食べてなかよしビクトリーズの岡田さんの真似して「ベリーウマーバ」連呼してたからそんな議論を交わすに値しない人間であることは確かなんだけど、ベリーウマーバ、うまんつええ味、坂東英二ゆでたまごでした。ゆでたまご先生、使い終わったハサミ出しっぱなしにするのやめてください。ちゃんと直してください。ごちそうさまでした。とかやってると平和だなぁと思う。「岡田を追え!!」を観てない人たちには何のこっちゃ解らんと思うが、何のこっちゃ解る必要があるのかと言われるとマジどっちでもいいんで岡田(敬称略)を追ってみたい人はYouTubeで検索してみたらいいと思う。追いつけるかどうかは貴方次第である。

 

で、その食事中に友人が突然「お前が考えた『アメリゴ・ヴェスプッチの歌』、飲み会でウケたらしいで」と言ってきて、え?アメリゴ・ヴェスプッチ?中学生以来で聞いたし発声しましたけど?歌?アメリゴ・ヴェスプッチの歌?どういう事?となって尋ねたら、マジで覚えてないのかとドン引きしながらコトの端末を教えてくれた。

それは、この友人をAとして、Aと2人でしこたま飲んだ挙句にカラオケに行った際、大学時代の別の友人Bと何故か通話した時の出来事らしかった。

その通話相手のBは営業職で転職したばかり、前職は穏やかな社風だったものの、現職は体育会系バリバリで飲み会になると一発芸を強要されるという荒廃した世界との事で困っている、何か良い一発芸は無いかという相談を我々に持ちかけてきた。

今思うと、そもそも相談内容が「一発芸を回避する方法」でない時点で「一発芸をやる」という決意は出来ている様な気がするので営業として申し分ない度胸の持ち主な気がするので、営業なんかしたら発狂してしまうと思っている節のある自分が授けられるアドバイスも無いんだけれど、突然ビデオ通話に切り替える様に指示を出したらしい。

そして、DA PUMPの「USA」のサビの振り付け(通称イイネ!ダンス)をしながら真顔で「アメリゴ・ヴェスプッチ〜アメリゴ・ヴェスプッチ〜」と連呼するというシュール過ぎる一発芸を授けた、との事だった。

全く覚えていない。

当時、あまりに酔っ払っており、朧げにカラオケで通話したという記憶はあるんだけど、まず一発芸が出来るメンタルが自分に備わっていないという自覚が超弩級にあるので全然信じられないんだけれど、確かにやったらしい。

そんな僕が、扱いに困るネタをも上手くコーディネートする「あらびき団」ですら即不採用となりそうな一発芸を瞬時に考案して披露するなんてあり得ない、と思うが、Aの証言を信じるならば滅茶苦茶あり得たらしい。お酒怖過ぎ。お酒の力、強過ぎ。

そしてBはまさかのアメリゴ・ヴェスプッチの歌を一発採用。

採用理由は「USAとアメリゴ・ヴェスプッチには確かに関係性があるのでウケると思った」というもので、そのピントの果てしないズレっぷりからBは敏腕営業なのではなく、良くも悪くも鈍感で響かない故に営業が務まるタイプなのではと心配になってしまう。

そのヤバめな感性をお持ちのBの報告を間に受けて良いのか判断が難しいものの、著作「アメリゴ・ヴェスプッチの歌」はBの職場の飲み会でそこそこのウケを記録したらしい。

それはただ職場に恵まれただけなんじゃないか、お前の転職はきっと成功だよ、頑張れよという気持ちになると共に、全く覚えていない自分の言動が恥ずかし過ぎて消えてしまいたい気持ちになったし、今すぐ酒に溺れたいと思うものの、溺れたらまた何をしでかすか解ったもんじゃないという恐怖との板挟みでオシャレランチを目の前に変な汗を流し、声を上げて泣きたい気持ちになった。

くれぐれもお酒は程々にした方が良い。

せめて、この失敗が誰かの役に立つ日が来れば良いなと思う。

 

冒頭の話に当てがうと、これは「無理」をあっさり通り越して「絶望」の域である。

セルフサービスで「お前に絶望を教えてやる」をかましてドン底にいる訳だが、時間を掛けてでも立ち上がり、這い上がっていけたらと思っている。

 

またー。

 

追伸:アメリゴ・ベスプッチと記載していましたが、ネットで検索をかけると「アメリゴ・ヴェスプッチ」となっていたので自戒もこめて一つ一つ手打ちで訂正しました。

担当美容師はトム・ブラウンが生み出した最強の渋沢キャプテン。

先週の金曜日、仕事でムシャクシャしてしまい、どうしようもない、これは何とかガス抜きをせねばなるまい、と10時頃に「この気分共々切り落として貰おう」と思い至り担当美容師にアフターファイブの予約に空きがあるかの問い合わせLINEを送ったところ、普段ならお昼には返信を下さるのだけれど待てども待てども返事が来ず、「今日は混み合っているのかなぁ」と思っていたものの、定時になっても返信が無く、「あれ?もしかして嫌われたのでは?何かしたのか?」と流石に心配になりLINEのトーク画面を開いたら、文章だけ打ち込んで送信していないという状態で放置してしまっており、そもそも連絡が出来ていない事が発覚した。

ムシャクシャとかそういうのをすっ飛ばし、最初に抱いたのは「あーよかった!嫌われた訳じゃないんだ!!!」というもので、自分の間抜けさに恥ずかしさを感じているうちにムシャクシャが消え去ってしまい、結局髪を切るということ自体を先送りにして送れていなかったメッセージは消去し、真っ直ぐ帰宅してしまった。

自分の小心者っぷりと気恥ずかしさでまさか外的要因によるストレスを打ち消せてしまうなんて思いもよらず、「これがマイナスにマイナスを掛けるとプラスになるというやつか」と妙に感心して眠りについた。

お陰で髪はボサボサである。

 

普段、あまり漢文調を読まないので稀に読むと「え?何?何て言ってるの?」から始まって「言ってる事は解るけど意味が解らない」というM-1グランプリ2019のかまいたち状態を経て「あ、うん、大体言いたいことは解ると思う!スッとは入ってこないけど!」という域に到達するんだけれど、大体がこの第三形態を迎える頃に本そのものが終わってしまい、疲れから読み返すなり別の本で更に漢文調に慣れるなりするという事を怠り、背伸びしないで読める文章を欲して甘やかしているうちにまた最初の状態に戻ってしまうというのを年単位で繰り返している。

第三形態で歩みを止めなければ更に理解が進んで第四形態「良い事言うじゃん、それな」状態へ到達出来るのかも知れないけれど、その尻尾どころか影さえも目にした事がないので距離はかなり離れていると思われる。

世間と時差と温度差がある捻くれた僕にも周回遅れ甚だしいものの渋沢栄一論語と算盤」ブームが訪れ、読んだ結果、先述の有様なのである。

僕の中で渋沢と言えば異様に女性人気の高いサッカー漫画「ホイッスル!」に登場する武蔵野森中学サッカー部のキャプテンで東京選抜でも正GKだった渋沢克郎なのであるが、渋沢という名前に馴染みがある分だけ読み易いだろうという謎理論及び「俺は噛み砕いた参考書なんかじゃなくてきっと原文を読めるハズだ」という奢りにより爆死という流れで今日に至っている。

ところで、この「何言ってるの?」から始まり「言ってる事は解るけど意味が解らない」を経て「スッとは入ってこないけど言いたい事は解る」という流れを渋沢栄一以前に最近体感した様な気がしてずっと悶々としていたのだけれど、遂にそれが何だったのかついさっき判明したのでここに書いておきたい。

トム・ブラウンの漫才である。

まず初見では2人が何を話しているのか聞き取る事が難しい。渋沢栄一の漢文調と同じである。

慣れてくるとそこから「サザエさんに出てくる中島くんを五人集めて合体させて最強の中島くん、NAKAJIMAXを創りたいんですよ〜」と、言っている事は解るけど意味が解らないという段階へ移行する。渋沢栄一の漢文調と同じである。

そして更に慣れてくると「RPG攻略の要領でまず花沢さんを召喚して、彼女の強権発動による鶴の声でもなきゃ中島くんを5人も集める事は出来ない訳ね」とスッとは入ってこないけど言いたい事は解るというモードに達するんである。渋沢栄一の漢文調と同じである。

ここで歩みを止めなければ更に理解を深めてトム・ブラウンが最初に何のキメラを生み出さんとするかを聞いた時点でその錬成ルートに予測が付けられるレベルに到達するハズである。渋沢栄一の漢文調と流石にここは異なると思われる。

自分でも何を言っているのか解らないけれど、渋沢栄一=トム・ブラウンという公式が頭の中で成り立ってしまったので、自分なりにその根拠を納得出来る様に書いてみているものの、納得というより日本語として読むことも割と困難な気もしている。

奇しくも両者とも存在するもの(渋沢栄一論語を、トム・ブラウンは芸能人や概念を)組み合わせて新しいものを生み出すという共通点があるので、決して的外れではない、とは全く言い切れないんだけど言い逃れついでに書いておきたい。

勿論オチなどない。

 

またー。

ウォシュレット仕事術。

自宅のトイレは元々ウォシュレットが装備されてて、初めて対面した時には「標準装備ってやつか俺も成り上がったモンだぜ」と思ったものなんだけれど、今日では大学生が住むワンルームマンションにすら標準装備されてる事も多いそうで、特段ステップアップした訳じゃないんだなと思うとあの胸を張っていた自分は何だったんだろう…と遠い目をすると共に、周囲に言いふらしたりしなくて本当に良かったなぁ、イオンをデパートと勘違いしていた小学生の頃の自分と同じタイプの恥ずかしさを感じてしまう。子供でない現在の方が圧倒的に痛手であるのは、やはり社会におけるキャラクターというものが自分にもあって、そのイメージから逸脱することは避けたいというプライドによるものなのだろうか。

トップバリュー的に安いプライドである。

などと悲しい話をしたい訳じゃなく、そのウォシュレットは洗浄ボタンなどが壁掛けのリモコンに集約されているタイプで、本体と別であるが為に電池で稼働している。

これは利便性というよりも省エネを謳った家電業界が、人々の浮いたお金を徴収しようと電池式リモコンを率先して採用しているのではなかろうかとみみっちい邪推に至る訳であるが、もはや地理も積もれば論は馬鹿にならないほどにウォシュレットは普及している訳である。あながち間違いでは無いのでは、と僕は思っている。

それはそうと、そのウォシュレットのリモコンは電池が無くなってくると電池マークが点滅して取り替え時期ですよと知らせてくれる優れものである。

まあこれがなくてある日突然電池切れを起こし、それがシャワー洗浄稼働中だとしたら、お尻を洗う水を止める術が無くなるという地獄絵図。

即座に濡れたままの尻をあげ、コンマ数秒で便座の蓋を閉めることでシャワーの拡散を防ぎ、リモコンを片手に電池を探しに走るという展開もあり得るので、電池切れを知らせるサインがあるというのは良心的であると言える。(やったことは無いけど、便座から腰を浮かしたら重みでセンサーが反応して水が止まるのではないか、という安全設計が成されているのではないか、僕なんかより100倍賢い人たちが作ってるんだからとも思っているが、まだその信用に根拠が無いので何とも言えない)

最初こそサインが出たらすぐに電池を取り替えていたものの、慣れてくると「まだいけんじゃね?」という気持ちで少しずつ取り替えるのが遅くなるのは怠惰な人間の常。段々と点滅し始めてから取り替えるまでの期間が延び、最初は1週間、次は半月と放置を繰り返し、まだいけるな、え?まだいけるの?と引き延ばしを続けた結果、今回は点滅し始めてから丸3ヶ月が経とうとしている。

電池側からすれば「こんだけ知らせてるんだから早く交換しろよ、そろそろキレんぞ(バッテリーが)」だと思うんだけど、こちらからするとチキンレース的なスリルと同時に「え?こんな保つ癖に3ヶ月前から交換しろって煩かった訳?(無音だけど)」という気持ちになってしまっていて、3ヶ月経った今もその電池交換を呼びかけるランプの点滅に「どうせまだいけるんでしょ」と半信半疑になってしまっている。

完全にウォシュレットと僕の心がすれ違ってる。ワンチーム、ワンチームと昨年度の飲み会の度に繰り返していたラグビーのルールも知らないおっさん達くらい足並みが揃っていない。どうでも良いけどあいつらどこ行ったんだろうね?今は何を同じ口で言ってんだろう。在宅で干からびてるのかな。知らんけど。

ただ、冷静に考えるとウォシュレットの方が正しいのである。

先日、何故だか眠れない夜、ベッドに横になり、真っ暗な部屋の天井を延々と見つめながらずっとウォシュレットの電池が全然切れないということを考えていたのだけれど、余裕を持ってエネルギーが切れるよ、と呼びかけるウォシュレットの姿勢を自分も、ひいては社会全体が見習うべきではないのか、という結論に至った。

ウォシュレットが正しい。(凄い日本語)

世の中のギスギスした感じは、余裕のなさが根源であり、自分に余裕がない分、人にもそうであって欲しいという心の弱い願望が生み出しているのではないか。

時として全力を出すことは大切だけれど、無闇矢鱈と代償もなく全力を求められる世の中に応え続けては疲弊してしまう。そんな社会の仕組み、皆の認識を変えることは個人では難しい。

だとすれば、ウォシュレットの様に早めに「限界でーす」と言っておく方が良いのではないか、と言う事である。別に手を抜くという事ではない。ウォシュレットが手を抜いたことがあるだろうか。

お願いした通りの水圧、水温で、お願いした分だけ送風するし、お願いしただけの水量で汚物を流す。ウォシュレットは自分の仕事に手を抜かない。

そう、手を抜くことと余裕を持つことは全く違うことなのである。

キチンと仕事はしますよ、でも平時はここまでを限界と仮定して仕事をしますよという姿勢である。

だからこそ踏ん張りどころでちゃんと頑張れる。

ウォシュレットが正しい。(2回目)

そう結論付けたあたりで、ようやく眠りについた。

そして、あまり覚えていないが紛争地帯で出前館みたいな派手なケースを背負って物資を届ける仕事をするという悪夢をみた。

ウォシュレットについて延々考えてしまうほどにこんがらがった思考で眠った結果、何の整理もつかなくなって悪夢をみたのだと思う。

大体怖くない?眠れない夜にウォシュレットのことを考えてる成人男性。事案だろ普通。

 

結局、見習おうとか言ってる癖に今も電池は替えていない。

ウォシュレットよ、これがな、社会という名の化け物の根源だよ。

まあ、これを投稿したら替えるけど。

流石にこのタイミングを逃したら切れるまで替えなさそうだし。

 

最近おかしな日記ばかりになってるので、そろそろ平常運転に戻りたい。

 

またー。

霊感があるとかないとか、もうどっちでも良い話。

霊感、あります?

幼少期からゲゲゲの鬼太郎悪魔くんが好きで、幼児の頃から鬼太郎のメンコをお守りにしていたし、自分で初めて選んで買ってもらった玩具は悪魔くんに登場するメフィスト2世の暗闇で目が光るフィギュアだったし、大人になってからDVD BOXまで購入し所持している(ネットで7割引くらいになってた)んだけど、そんな純粋培養された霊感ありそう人間なのに僕には霊感が無い。

まあオカルトが好きな癖にマジの怖がりである為、そんなもの無いに越したことないんだけれども、何となく釈然としないのも確かである。

しかし数年前から、とあるマンションから唯ならぬ恐怖を感じており、前を通る度にとても気になっている。

そのマンションは、大変お世話になっている協力業者さん(大阪に拠点を置いているのに兵庫や京都、挙句は和歌山にまで同行という名の道連れになって頂いている)のオフィスの近所に建っており、訪問する度にそのマンションの前を通るので毎回根拠のない威圧感というか視線を感じ、ほんのり冷たいものに触れたような気分になりながらなるべく見ない様に足早に通り過ぎている。

そうして数年が過ぎた後、つい先日の話だけれど、遂にその協力業者のオフィスでの打ち合わせの席で、弊社を担当して下さっているTさん(ネットに転がってる寺生まれのTさんという無敵霊能者エピソードにあやかった仮名。こちとらそんなものにすら縋りたいレベルでビビりなんで)にそのマンションの存在を打ち明けたのである。

「凄い圧迫感があるし、視線みたいなものをいつも感じるし、何か寒くなるんですよね…」と打ち明ける僕に対し、Tさんは「えー?あそこのマンションが?通勤は車だから全然気付かなかったなぁ」と笑いながら、続けて「お昼ついでに今から前通ってみましょうか!」と言うのである。

何を隠そうこのTさん、本人や彼の同僚たち曰くバリバリに霊感があるらしく、僕も一緒に京都に同行してもらった際、あるビルの階段で「あ、ここ本当ダメだわ、早く出ましょう」って言い始めてイヤ!やめて!死ぬ!と僕が滅茶苦茶ビビって他の同行者たちを引かせてしまったこともある。

道中、Tさんに「でも確か霊感全然ないんですよね?」と聞かれ、まあそのはずなんですけど、何かあそこだけ怖いんですよね…と答える僕に「目覚めちゃったんじゃないですか?」と悪戯っぽく笑うTさん。絶対そんなん嫌じゃボケ、泣くぞクソが、お前と懇意にしてたせいでスイッチ入ったとかなら訴えんぞ、やっほー未来の被告、最高裁までいこうぜという気持ちで可能性を否定しながら2人でそのマンションの前に到着。

人といるという安心感からか、普段の様な圧を感じることはなかったものの、それでもやっぱり怖いものは怖い。

「どうですかね?」と恐る恐る尋ねると、Tさんはマンションの屋上を見上げながら、視線を外さずに「いやー…」と言葉を切ってしまった。

そこで切るの?え?何それ?屋上なの?屋上に?何か?何かが?いる?と固まる僕をふっと見やってTさんは言った。

「マジなんも感じないですね!」

そうですか。

は?じゃあ何?さっきのタメは何なの?紛らわしいからやめて?本当に怖かったんですけど?謝って欲しいんですけど?お詫びにお昼奢って欲しいくらいなんですけど?高そうな焼肉屋さん駅前にありましたけど?テイクアウトやってましたけど?(不安が取り除かれたという意味ではこっちが奢るべきなのではという疑念)

結局、ランチはどこにでもある中華料理チェーン店で、当然互いにご馳走することもなく済んだ。

別れ際、何となく「ずっと感じてたあの怖さって何だったんですかね?」と口にした僕に寺生まれじゃない(と思う)のTさんは少し考えてから言った。

「生きた人間がずっと窓から通行人を見張ってて、その気配を感じてたとか?」

うっわ、こっわ、はー引くわ、その想像力に引くわ、霊的なものじゃなかったって安心してる人に対してそんな霊障度外視にリアル怖いこと言い出せるのマジで引くわ、貴志祐介先生の黒い家的なやつ引っ張り出してくるのか怖過ぎて引くわ、え?さっき暫く上の方見続けてたの、その住人と目があってたとか?ははは、ありえる?えー、ありえるんじゃない?それならもう霊的な方がまだいいわ、怖スギ薬局ポイント100万倍、心の底から無理でーす、となってしまい、「不採用でお願いします」と返したら、また少し考えてから寺生まれ(じゃないハズだけど最早どっちでもいい)Tさんは言った。

「じゃもう、生理的に無理ってやつじゃないですか?」

 

急に適当だな。

じゃあもう、て。

じゃあもう、採用で。ワガママでごめんて。

 

またー。