性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

ナナイロエレクロリックソカワパーティー

以下、ライブレポとして中身に触れて無さ過ぎて全く機能してない個人の感情語り倒してるだけなので期待しないで欲しいし、了承頂けなくてもどうでもいいです。

 

2019/10/05

大森靖子さんのライブを観に梅田クラブクアトロへ行く。

クアトロの足元に埋まる泉の広場が完全に閉鎖された姿を初めて観た。交差点の地下に噴水の広場を作ってしまうという何をどうしたらそういう発想になるんだろうという広場だった。

駅から伸びる地下道の果て、水の匂いが充満し、明るさが妙に足りず何とも気怠い、通る人から何かを吸い取って永らえている様なRPG感のある空間で、心底ゾッとした都市伝説「赤い女」の舞台でもある。あれ考えた人、どこの誰なんだろう。怖過ぎて一時期マジで通れなかったから一発殴らせて欲しい。

工事看板に印字された通り、予告された終わりがその通り迎えられただけ。それに対して感傷に浸る程の思い出もないのだけれど、何度も通った道が塞がれてしまう事に時間の流れを見て、もうそんなに生きてきたのだなぁという感想を抱いた。

結局、何を通しても欲しがってしまうのはそういう生を実感出来る何かなのかも知れない。些細なことでも、大層なことでも、自分の手でそういうのを用意することを放棄した人たちはそれを実感出来る何かを外から得ようとする。そういうもので世の中は成り立っているという考え方は年々強くなる。

人という字が支え合っているなんてのは弱い者の都合の良い解釈だと思う。もたれ掛かって、縋って、自分より強い者に頼って生きている。じゃあ強いとされた方はどうしたらいいんだろう。大差ないのにそういう役割を果たせと言われる側は、足踏ん張って胸を張って背伸びしてまで騙し騙しやってかなきゃいけないのかよ、などと言う様に、たった二画の漢字のことを時々凄く考える。芸術も、宗教もそうやって考えた末の拠り所として生まれてきたんだと思う。より大きなものに肯定されたい、救われたいという気持ち、あとは自分だけじゃないと思いたいその気持ちを随分とまあ美しく、まるで正しいものであるかの様に導いてくれるもの。生きてると思いたい。生きてていいと思いたい。

自分のそんな感情について考えると、心底苛立つ。口の中が苦々しく、言葉は刺々しくなる。自分で自分をうるさいと思う。ガッカリだ。

大森靖子さんのライブは、それをいちいち全部並べて1個ずつ光を当てて、こうすると綺麗に見えるんだよと教えてくれるライブだといつも思う。

光を当てて白飛びさせてしまえば大体のものは綺麗に見える。カメラアプリと同じ様に。

ただ大きく違うのはカメラアプリで補正を掛けるのは自分自身だけれど、こちらは大森さんが大森さんの言葉で補正を掛けてくれることだと思う。人にその人の言葉で自分の気持ちを間違いでないと言って貰えると心底安心する。感情のキュレーター大森靖子

ただ頷くだけでなく、自分の言葉で返してくれる、果てしなく手間が掛かって回りくどい方法をずっと続けてくれる人だな、と大森さんのライブを観ているといつも思う。

長いツアーで喉を酷使して、それでも全身を大きく使いながらそういう事を届け続けてくれる姿を観て本当に励まされる。お陰で自分に対して頷いてあげられるエネルギーを引っ張り出せる気がする。面倒ばっかだけど、もうちょっと頑張っていくしかないよなぁ、みたいな。

そんな気持ちになった。

あと、単純に曲が格好良いから凄い。

クソカワpartyの収録曲やでBPMがガツガツしたものを音源で聴くと30代特有の邦ロックのダサさで溢れかえっていて世代的に「2019年にまさかこの純度でかまされるとは思ってなかった」と何とも言えない気持ちになることもある(大抵その時は自分の気が滅入っているのでバロメーターとしても非常に優れている。そういう時は何故か浜崎あゆみTOKIOの長瀬のことを思い出す)んだけど、ライブで音としてもプレイスタイルとしても躍動している様を見せ付けられると鈍器で殴られる類の凄みがあって痺れる。family nameも冗談じゃない執念を見せ付けられた気がしてハッとする。チムドンドンの漫画を思い出す。俺もチムドンドンしたい。最高にチムドンドンしたから。ギャグにしたい訳ではなく、それくらい執念というものは周りから見るとウケてしまうのかも知れないと思っていて、例えばバッティングセンターでホームランを打ちたくて球数を打てる様になりたい一心で手首の強化に努めた話をすると割と笑われるんだけど僕はクソ真面目に言っている訳で、そういうものなんだなと思って、それを思い出してハッとした。悪い傾向じゃないんだよな、そういうの、みたいな。

最近はピエール中野さんのドラムがバチクソに活きるタイプの曲が多いのもあって、どの曲でもドラムが格好良い。それでいて目立たない叩き方をするのがえげつない。

ギターの畠山さんもバンマスとして引っ張るし器用に表情を変える演奏だけれど畠山さん!!!って感じにならないのが凄い。戦隊ロボみたいな感じで、メインはレッドが操作してるけど他の隊員もエネルギーを確かに送り続けいて、大きな大きな大森靖子を動かしている様な印象を受ける。夜のスーパーヒーロータイムだと思った。

曲単位でどう、みたいなの時間が経ち過ぎてて薄れているんだけど、歌詞飛びまくってても、伝えたい言葉が溢れかえってる大森さんの姿を見せられると、ここまでしてくれる人がいるんだからもうちょっと頑張って暮らしていかなきゃいけないよな、みたいなことを思ったことは鮮明に覚えているのでそんな感じでした、という終わり。

ライブの後、餃子を食べ、友人の営業ネタに覚えたというELLEGARDENのジターバグを聴いた。そういう風にしかやっていけないんならそういう風にやってくしかない。新鮮で面白かった。

 

2019/10/18

相変わらず映画「プロメア」の夢をみる。

自分がどこに感情移入しているのかいまいち判然としない。ただ、スポーツの試合を観ている様な気持ちになるのは確かで、リオとガロにそれぞれ別々に想いを託している気はしている。

プリキュアがんばれ現象とはこういうものなんだろうか。知らんけど。

そんな夢をみたあとはあまり疲れが抜けておらず、大事なライブがあるのにな、という気持ちになるものの感覚としては部活で夏の大会初日の2試合を勝ち抜いた2日目の朝というニュアンスで案外悪くない。疲れはあるけど今日も試合が出来る的な。

午前中はバリバリ仕事を片して午後から半休。

インテックス大阪へ、ナナイロエレクロリックツアーを観に行く。

ナナイロエレクロリックツアーというクソダサい名前のイベントはASIAN KUNG-FU GENERATIONストレイテナーがやってた企画にELLEGARDENが加わってえらいことになっていたもので、15年ぶりにそれが開催されるという事でチケットを手に入れられたので行ってきた。

自分の中では高1でストレイテナー、高1の終わりにエルレ、そして大学1年にアジカンという順番で当時のナナイロを知る身でもあり、年季が入っていて眩暈がする。歳を取ったという実感に涙が出て死にたい気持ちで一杯になると同時に、まあ上手い事ここまで勝ち抜いてきたよなーという変な達成感を抱いた。

まだ名古屋と東京が残っているのであまり内容に触れない様にしたいけれど、どうしても曲名を書きたい部分もあるので嫌な人は読まないでいて欲しい。そもそもここまで2900字くらい書いているので9割以上が立ち去っている気もする。最初の30秒で掴めないとリスナーは去る的な。

ストレイテナーは2019年のストレイテナーを見せ付けつつ、時折過去のハイライトたる曲を織り込んでくるセットリストだったと思う。

ストレイテナーは一番長く観てきおり、メンバーも2→3→4人と増え、ボーカルの技量も一番伸びたなぁと都度感じさせられるバンドで、二組に比べれば派手さはないけれど確実に表現が多彩になり続けた成長する末っ子という感じで本当に頼もしかった。こんなにメンバーが増えて嬉しい気持ちになるバンドもいない。

「幸せになろう」みたいな年相応なメッセージを送りまくっていたのには笑ってしまったけど、その言葉に説得力を持たせるだけの曲をストレイテナーは生み出せる様になっているんだなと思い知らされた。良い意味でファンタジー一辺倒だった時代から、今、日々の暮らしを彩る地に足つけた歌が歌えるまでになったのかと思うと凄く励まされた。

高校生が時を経てサラリーマンになる様な。その中で演奏された「REMINDER」に変わらない根っこを垣間見て少し泣けた。

 

ASIAN KUNG-FU GENERATIONは、好きになったり嫌い(というよりは苦手)になったりと思い出の多いバンドである。君という花咲かなくて良くね?な時期もあったり、いや別にリライトせんで良くね?という時期もあったりした癖に常に好きという起伏が多くて忙しない思入れがある。

同じく来ていた大学時代の友人と会場の外でビールを飲みながらリライトを聴き、ゲラゲラ笑ってしまった。リセットとリライトの違いを何故か東京03に引っ掛けて考えていたけどビールでサッパリ洗い流されてしまっていて言語化出来ない。その程度の話なんだと思う。

アジカンアジカンの表現で「ありがとう」を伝えまくっていてイベントのアニバーサリー感がエグい。同窓会を通り越してシルバーホームみが出てきている。ありがとうの言い方及びゴッチの顔が友達に凄く似ていて友達に対して腹が立った。俺のゴッチの威厳を返せ。

これ以上の名曲はあるのかと思ってしまう広がり続けるギターの「サイレン」、フラッシュバックや振動覚にない圧倒的な重みと打力を両立した「Easter」など、リアルタイムで聴いていて完成されたバンドだと思っていた彼らの表現力にまだ先があったのだと感動するステージだった。サイレンは本当に今のアジカンが一番映える曲なのではと改めて驚愕した。リアルタイムでシングルを買った時の衝撃を僕の中では超えた。初聴を超えてくるというのは尋常でないと思う。

 

ELLEGARDENを観たら死んでしまうと思っていた。

好き過ぎて、聴き過ぎて、待ち過ぎた。

絶対にまた観れると信じていた一方で、次に観たらもう全部どうでも良くなってしまうんじゃないかという怖さがあった。

大森靖子さんが全てを言語化して救ってくれる存在なのだとしたら、細美武士は腐った所を全部並べてうるせえ生きるぞと発破をかける存在だと思う。大森さんが天使なのだとしたら、細美さんの視点は肯定というより事実認定に近く、翻って残酷さとも取れるソレは超然的なので神なのかも知れない。

結論として、ELLEGARDENは相変わらずELLEGARDENであったけれど、ナナイロエレクロリックツアー仕様というか、カムバック仕様の祝賀会編成のセットリストだったことが功を奏してメンタル的に持っていかれることも少なく、リハビリとして本当に良いライブだったと思う。各々の中にある「あの日」のツアーTシャツを引っ張り出して会場に駆け付けた人たちにはきっとこの感覚が伝わるんじゃないかと思う。

当たり障りのないセットリストで、大声で歌う感覚、飛び跳ねる感覚、拳を突き上げる感覚を1つ1つ思い出させてくれる愛おしい時間だった。

唯一、この尺で演奏されると思っていなかった「金星」でボロボロに泣かされてしまったけれど、まあこれも演出的にはナナイロエレクロリックツアー仕様だったので振り切れて戻って来れないなんてことも無く、「無事に帰して貰えた」という言葉がしっくりきた。

「今度はもっと小さいハコで会おう」という趣旨の細美さんのMCを「次は容赦しないぞ」と勝手に読み替えて(完全に誤認である)、観たかったELLEGARDENではあったけれど会いたかったELLEGARDENかと思うと少し違った違和感が腑に落ち、単純に楽しみに待とうと思った。

少しずつ、自分を犠牲にすることで何となく上手くいくことを覚えて、それが自然になって、どんどん過剰になってもう麻痺してしまった毎日の中で、何を犠牲にしても自分を守ってやんなきゃいけない、という気持ちを少し思い出さされるライブだった。

 

ここまで自分の話ばっか書いてるの凄いな。思想及び死相でも出てんのか。

 

またー。

荒れ狂う猫ちゃん部族のゾンビ

公園を歩いたり走っている際、トコトコ歩いている鳩を警戒から飛ばしてしまうと申し訳ないので距離を取るルートを採用しがちであることを同僚に指摘され、動物愛護的な所があるという評価を受けた。

そもそもの取っ掛かりとして愛護とは違うものではないかと思うのだけれど、それを言うとここで終わってしまうのでそこは本作の設定、世界観として処理したい。

その中で、人間としての価値観において、「自分だったら警戒から無駄な運動をさせられたら嫌だな」と愛護よりも怠惰と小心に基づく結論であるのでそんな大層なものでも無いのだけれど、そもそもその視点で鳩について考えない層も普通にいるとは思うので、そこと比べるとまあ愛護とまでは行かずとも動物贔屓な方なのかも知れないと思った。動物贔屓。大人になってからは猫ちゃんに対する贔屓が一番酷いかも知れない。んー猫チャン!申し訳ない、忘れて欲しい。

いつか猫を飼う日が来るのかは解らないけれど、可愛がり過ぎてノイローゼにしてしまわないか一抹の不安がある。結果、嫌われ過ぎて僕もノイローゼになるだろう。共倒れという暗い未来しか想像出来ないネガティヴな僕は贔屓を通り越して畏敬の念を動物に抱いているのかも知れない。そんなことを考えた。畏敬の念という言葉を俺に教えた作品、ぬらりひょんの孫

 

暫し日記を書いていない間に色々あったのでどんどん思い出してサクサク書き留めていく。

 

USJのハロウィンイベントに「荒れ狂う部族のゾンビ」が登場すると人から聞いてその情報量の多さに妄想が止まらなくなってしまった。

人から聞いた存在である為、真偽の程は定かではないのだけれど、少なくとも僕にとって大切なのはそこでは無くなってしまっている。

ゾンビになった部族が荒れ狂う様になった訳ではなく、恐らく元々荒れ狂っている部族がゾンビになったからこそ「荒れ狂う部族のゾンビ」であると思う訳で、ではその荒れ狂うという部族の様式に到達した由来は何だったのだろう。資源に乏しく周りから略奪する生活がそうさせたのだろうか、それとも厳しい自然の神を自分たちも荒れ狂う事により同調を示すことで治めようとしたのか、そんなことを考えていた。

普段は我々と変わらぬ気質でありながら催事の際には荒れ狂う風習としての荒れ狂いなのだとしたら大阪の岸和田と岸和田祭りに近いものなのだろうか、だとして荒れ狂う部族の村の特産品は何なんだろうか、荒れ狂う部族が手塩にかけて農作物を育てているという考えれば普通なのに言葉の流れとして何となく面白い現象を当人たちや周りに暮らす他の部族はどう受け止めていたのだろうか。

実に興味深いので荒れ狂う部族に詳しい方がおられましたら教えて頂ければと思う。(USJだから何かの映画に出て来てたのかな、くらいの素の推理はしている)

 

ナンバーガールの活動が活発になるにつれ、逆に周りの渇望がさらなる境地に達しているのを感じる。存在しないと思っていた憧れが存在している現状なのだから、欲しいと願うのは当たり前であるが、案外自分がそこに全く何も感じないのだなと思って大変に意外で驚いた。

とても好きで聴いていたつもりだったし、実際好きだったと思うんだけど、各々の活動でバッチリ格好良い姿を「続き」として観てしまったので僕の中でナンバガは始発点ではあるけれど最高到達点ではなくなってしまったのかも知れない。だから何だという話だけれども。

あとは割と歌詞に対しての思い入れの無さが楽曲に対しての思い入れの高さについていけていないのも大きいと思っている。自分も歌詞から多くの情報を得るとされる邦楽リスナーなのだな、と今回のことで実感している。

 

宝塚へ宝塚歌劇を観賞へ行った。

煌びやかで美しく、皆が凛としており眩しかった。そして予想の10倍くらいギャグパートが盛り込まれており、滅茶苦茶笑った。

美しい作品に触れに行くぞ!というモチベーションで行ったのでまさか美しい上にこんなに笑わされると思っておらず度肝を抜かれた。

阪急電車などでよく演目のポスターを見かけており、素人的にベルサイユの薔薇みたいな「宝塚でやりそうな世界」だけでなくかなり多彩な演目を上演されているのは何となく知っていたけれど、ここまで1つの演目の中でコロコロと表情を変える演出がなされているというのは大変に衝撃で面白かった。

若干の当日券、そして立ち見券が出るというのも知れたので今後は興味が湧いた演目には積極的に飛び込んでいこうと思うものの、日本でも有数の老舗の沼である為、オタク気質な自身が深みに嵌ると人生が変わってしまいそうで腰が引けている部分もある。

それでもまた足を運んで観劇しようと思う。

 

怖い話が苦手なのに怖いもの見たさで覗いてしまう習性があるので「ほんとうにあった怖い話」の特番を録画してしまった。

そんなものがいつまでもレコーダーに残っているのも呪われそうで怖いので、怖くなったら止めてラグビーかバレーのW杯を観て溌剌とプレーする彼らに幽霊の類を蹴散らして貰い、挙句勇気を貰って再び「ほん怖」へ向き直るというチキン極まりないスタイルを採用した。

日本代表のスポーツ選手もこんな国民へこういうジャンルの勇気を与えているとは思わないだろう。申し訳ない。

幽霊も幽霊でスポーツ選手に蹴散らされて戸惑っていると思う。頼むから成仏してくれ。

今回の「ほん怖」はそのお陰か寝られない程怖いという感じもなく(ホラーの情緒を根刮ぎ断っているのだからそれはそうだろう)観終わる事が出来た。

ラグビーもバレーも日本代表は試合に勝利し、ホラーの流儀において僕だけが負けたという構図に気が付いて多少落ち込んだけれど、これくらいじゃないとホラーを受け止めきれないので仕方がない。精進せねば。

 

森見登美彦先生のトークセッションが武庫川女子大であるとの事で、そのついでに甲子園球場のスタジアムツアーを予約して行って来た。

阪神タイガース高校野球の試合で沢山通った甲子園球場ではあるものの、普段は入れないブルペンやロッカールーム、グラウンドやベンチに入れるツアーは物凄く新鮮で楽しかった。

全員赤の他人なのに一同、どこを見せて貰っても手を叩いて喜ぶ赤子の様なテンションで妙なグルーヴが生じ、最終的にはその後訪れた甲子園球歴史館ですれ違う度に会釈をする様な関係性に到達していた。一緒に高揚する体験をすると性別や年齢に関わらず親近感が湧くんだろうか。

色々コースに種類がある様なのでまた別のコースにも参加したい。

野球帰りにたまにご飯を食べに行くお店でハンバーグを食べてから森見登美彦先生のトークセッションへ。

在校生と卒業生から選ばれたパネラーと司会進行の方と森見先生のトークで、基本的にパネラーが一番好きな作品における質問をして、それに森見先生が答えてくれるという流れで面白かった。

トークセッションでガチガチに文学的な解釈の話をされたら置いていかれてしまうという緊張感を持って挑んでいたので、ライトな、一読者からの素朴な質問に終始してくれてホッとした。

好きな作品は沢山あれど、セッションの中で森見先生が仰っていた「現実社会で言うと引っ掛かってしまう様な言葉を言える様な世界を描いている」という内容の話がとても印象的で、どうしても作品と著者を結びつけてしまう結び目を優しく解いて貰った様な気がした。

考えずとも当たり前のことではあるんだけれど、例えば村上春樹先生なんかに対して、個人的に無意識にそういう見方が働いている様な気がしていたので納得がいった。

後は語彙責めとなりそうな所を軽やかに和らげてしまう森見作品の魔法の仕組みやら、その語彙自体に対する自然な付き合い方(向き合い方というよりは付き合うという表現が似合う)、自分が自然と必要とする語彙があれば良いのではという考え方は作品と同じ様にホッコリさせて貰った。

合わないものを無理に振るうと思った様な伝わり方にならない。大事な視点だなと感じた。

 

色んなものに触れているのだなと我ながら驚く。

少しでも血肉となっていれば良いのだけれど。

 

またー。

夢で見た映画の料金が増税の煽りを受けて値上げ。

このところ、夢の中で映画「プロメア」をやたらと観るので、起きてプロメアの受注生産のTシャツを二着予約した。何度も夢にみるくらい強いインパクトを自分の中に残した作品なのだろう。リスペクトを込めてポチった。ブルーレイもこの調子で買う気しかしない。

夢の中で見聞きしたものを現実に生み出すという流れから、ポール・マッカートニー氏がyesterdayを夢の中で作り、それにジョン・レノン氏が歌詞をつけたという話を思い出した。

そこと並べるには構造的に差異があり過ぎて浅はかではあると思うんだけど思い至ったのだから仕方がない。

僕はこの文体からも察して貰える様にビジュアルもまあオタクっぽさというか芋っぽさがあるので購入したTシャツを着るとステージがひとつランクアップしてしまう訳で中々外には着ていけない事が予想される。ジム通いのユニフォームとして活用したい。

ジムに通ってる人は服を通り越して視界に入った対象の筋肉しか見てないので最悪上半身くらいは裸でも全然気付かないと思うのでアニメTを着ていたとしても問題ないのである。

唯一、仕事としてジムに来ているスタッフだけが気付く可能性があるが、それはあくまで上裸であった場合であり、服さえ着ておけば「服を着ている筋肉信者がいるなぁ。筋肉ポイント2000、まあランク的にはCか」としか思わないので服の柄まではやはり視界に入らないんである。

ちなみに筋肉ポイントというのは言うなれば戦闘力みたいなものであり、「筋力」と表記すれば良いものを何故だかそう書いてしまっただけなのだけれど、国際協会が国際基準を定めている厳格や評価軸なのだという事にしておきたい。

筋肉ポイントが高い者がランクが高いかと言えばそんな単純な話ではなく、鍛えた筋肉を上手く使った動きを出来る者だけがランクを上げることが出来る。見てくれだけでなく使いこなしてこそ真の覇者となれるんである。

僕がジムのスタッフに値踏みされた筋肉ポイント2000でランクCというのはマッスルワールド(ジム内にのみ存在する仮想空間。オンラインで全世界と繫がっている)では下の上といったところ。まだまだ鍛錬を積み、精進しなければならないのだけれどあまり意欲的でないので本気の目とやらが大好きなジムのスタッフには少し煙たがられている。月会費払ってるのにね。

ちなみにマッスルワールドでは相手から「凄い」とか「◯◯筋がいいね」と思われるとその褒めの大きさに比例して仮想通貨マッスルペソが振り込まれる訳で、マッスルペソはマッスルワールドでしか利用出来ないんだけど自分の身体ひとつで稼げて、それをプロテイン(仮想なので飲んでも効果はない)とかウェアー(仮想なので現実世界では着れない)などと交換出来るので大人気だし、ランクSやそれ以上となるとランクとマッスルペソの所持額により天空フロア(特別なスペースに見えるけど仮想なので実際は周りの人と同じフロアにいる)でトレーニングをすることが許されたりと盛り沢山なのである。どっかで聞いた設定だと僕も思う。

これはやる気のなかった僕が、ひょんなことから村を天空フロアに君臨するボスに焼かれ、相手の土俵でぶっ倒してやらんとする地味めの冒険譚ではなくアニメTシャツを着るにはジムが最適という話であった。何なの。

 

あとなアレしたよね。アレ。増税

何だかんだで増税を実感する買い物をしていないせいでそんな気がしないんだけど、増税なんてものは、したらしただけ悶々としてしまうものであるからして、増税に対して批難の声が挙がるのも当たり前であるので、当たり前なリアクションであるなぁ…と感慨深く世の中を眺めている。日本語難しいね。

何故そんな冷静でいられるのかと言うと、先に述べた様に何だかんだで増税を実感する買い物をしていないからである。ドンと構えているというよりはキョトンと立ち尽くしている感覚。

恐らく今後、買い物をしてレシートを貰った際にマジか…これが噂の…とジワジワきて、そして本気で落ち込んだりするのだと思う。

いや、上がることは知ってたし、身構えてなかった訳でもないんだけど、キャッシュレス決済すると何故か割引になるとかもあるし、あと選挙にもちゃんと行って意思表示してるから何かこう、賛成してようが反対してようが「いや僕は意思表示したんでね」って気持ちでいられる。この世の中の騒ぎっぷり、投票率を鑑みた結果、意思表示をしないで決まってしまった事に対してギャーギャーいってる人がそこそこ潜んでいる気がしてゾッとする。

普通に色々思うところはあるけど、別にそういう人たちに対してどうこうして欲しいって言うよりは、それを眺めてて感じる漠然とした悔しさみたいなものを忘れないでおこうって思う。

悔しさは忘れない方が良いって最近バカみたいに見続けてるアニメ版ハイキュー!!から学んだ気がしている。

特に推しはいないものの、ハイキューのキャラクターは皆可愛いからホッとする。

バレーはレシーブだけやたら得意で、他がとても下手だったので学校の体育の授業だというのに消去法でリベロをやらされた記憶がある。ハイキューを観てリベロもトスをあげて良いことを知った。僕をリベロに任命したバレー部の真中(仮名)は、僕のトスの下手さから敢えてそのルールを僕に教えなかったのだと思い至って今更凄く悔しい気持ちになりながら観ている。

時間が経つことで見えるものもある。

税金に対しても同じ様に見張り続けることで自分の主張の置き所がきちんと見つかるんではないか、と良いことを言っている様で中身のない話に無理くりつなげて終わりたい。

 

某大臣により注目されている「良いことを言っている様で中身のない話」に関しては僕もこのブログでずっとやってきているので多少ね、出来るんだぞ、と珍しく胸を張っている。

別に誇らしくはない。

 

またー。

囮をピアノレッスンに送り込む高度なサボりをみせる小学生。

プロ野球のシーズンも9月の中頃を過ぎると終盤戦に突入し、大方の順位もある程度定まってくる。ナイターで頬を撫でる風は21時を過ぎると随分とまあ涼しく、ていうか天候によっては極寒。ビールそっちのけできつねうどんやラーメンに長蛇の列を形成する程になる中で、僕の大好きな阪神タイガースは今年も低空飛行で何とか着陸を目指すというニュアンスに収まりつつある。

大人しく、どこかのんびりしている印象を受ける阪神の若手選手たち、就任初年度の監督、その監督を軸に組閣された頼れるのか未知数なコーチ陣、皆を支えたくともあらゆる要素が重なって苦しかったベテラン勢、間違いなく皆が頑張ってくれていたけれど(現地で観ればそんなもん解る。ヤフコメちゃうぞ)そこを突き抜けなければ勝ち抜けない世界で、ある意味正直で相応の結果になりそうな気がしている。

今年、シーズンが始まってから苦しい思いをした分だけその課題を超えて来年に繋げてくれたら良いなぁと思ってしまうけれど、それよりも終わっていない今シーズンを順位云々でなく何勝して終われるかを楽しみに、贔屓目に見ても通いすぎなくらい甲子園に通って応援している。

 

この週末、その甲子園球場阪神タイガースを応援し、途中離脱して難波ベアーズにotoriを観に行った。

otoriは音階無視してません?なギターに削ぎ落とし過ぎて哲学なのか何なのか判別出来ない程にソリッドな歌詞が乗った音楽的特性により、緩やかに、だけども確実に拒否反応が出て濃くなっていた僕の「インプット無理病」の音楽部門のフィルターをスルッと抜けて聴き続けられる特異点的なバンドであった。

(あとはインストバンドなんかをよく聴いていた。mudy on the昨晩とかmudy on the昨晩とかmudy on the昨晩とか)

甲子園で知り合ったお婆さんと沢山お話しをしてから好きなバンドをライブハウスで観る。なんて贅沢な一日なんだろう、とは思う。

その前にYOLZ IN THE SKYを10年以上ぶりに観てオルタナというかレスザンっぽいというか鋭くてザラっとしていてガンガンに突き進んでくる感じが物凄く久々で感動してしまった。

メンバーが随分と大人っぽくなっていてそれに面食らった感はあったんだけど元々お兄さんだろうに何を今更と思いながらビールを飲んだ。

otoriは新譜の先行販売ツアーという名目で一応のリリースツアーを終え、ファイナルシリーズっぽい位置付けで再来阪だった。

オワリカラのベースを兼任するツダさんが加入してから、軌道が読めなかったUFOに足が生え、今度は真っ直ぐこっちに向かってくるんだけど何をぶち当ててもブレない重戦車みたいなリズム隊になっていて格好良い。勿論前のotoriも格好良かったので甲乙は付けられないんだけども。

要するに、その加入前後くらいで随分と魅せ方が変わった気がすると書きたいんである。

それこそニューウェーブオルタナ一直線だったスタイルが関西ゼロ世代に負けないキャラのキャッチーさを伴ってきたというか。

小難しくて嫌な言い方になっているんだけど、これが文章能力の限界。伸び代が半端ないと慰めたい。

ラーメン啜ってチャーハン食べてさっさと寝たら阪神タイガースを応援している中で酔っ払いに鬼滅の刃をdisられ物凄く悲しくなるという悪夢をみて安眠叶わなかった。繊細か。

 

台風の動向が気になり早朝に起きてそのまま東京へ向かった。

perfect piano lessonの活動休止記念(記念ではない)ワンマンが目的地である。

渋谷は相も変わらず坂ばかり、台風の余波で風もエグいほど強く平時週末にこなして来た運動(格好良く言うとワークアウト?知らんけど)の代わりとばかりに坂という坂をウォーキングし倒して開場と同時にイン、汗もかいておりスッキリしたなという気持ちで全て台無しにする即ビールというダメなお父さんの見本の様な流れをこなしてライブを観た。

大学4年生の冬だったろうか、1stアルバムのツアーで大阪のライブハウス(6〜7組出演のトリという拷問の様なブッキング)で観て以来、たくさん観てきたバンドである。

ここ数年は仕事がなんやかんやとか、余裕というものが自分に足らずに東京までライブに行く事が出来ずにいたけれどキッパリと休止しますと言われると行くしかねえと奮い立たせて無事辿り着いた。

強靭で手数が多い工場の生産ラインみたいなドラマ、ブリブリの水揚げ直後のブリの様なベース、千切りキャベツの様に物凄い刻むギターとウィスパーボイス。もしかして今お腹すいてんのかな。腹一杯色々食べたんだけどな。

で、何より綺麗なアンサンブル。ドルトムント時代の香川真司選手を軸にしたゴールへのボール回しみたいな曲の展開。フジテレビのスポルト全盛期で度々観た様な、そんなバンド。伝わらないと思うけどそんな感じ。ドラマはマンチェスターユナイテッド期に近いかも知れない。スコールズ好きなんだよな。

休み休みだけど、まあ加齢によるフィジカル低下で主にボーカルが危ない所もあったんだけど、それは別の部分でカバーしてくれて、思った以上に沢山の曲数を演奏してくれて本当に素晴らしいライブだった。

思い入れのある曲のベスト3で演奏されたのはアンコールのstage in the shadowだけだったんだけど、そこだけ滅茶苦茶泣いてしまって慌てて拭ったら右目のコンタクトがハンカチに持っていかれてまさかの紛失、トイレでストックと装着する羽目になってしまった。

物凄く穏やかな気持ちで心底楽しいなって観てたつもりだったので自分で凄く驚いてしまって最終的に半笑い、恥ずかしくて終演後会った誰にも言えなかったのでネタ供養の意味合いでここに記しておく。虫の知らせで親でも死んだのかと思った。LINEしたら全然生きてた。

外タレかよというくらい年々太い音で太いアプローチの曲が増えていて、それも時を経てという旨みも加わり実に素敵であった。歌割りを分担したりね。ネルシャツ腕まくりしてるどっしりUSおっさんバンドの未来がボンヤリと。

割とガッツリした活動休止なのにリリースされていないという意味での新曲も、マジのマジで生み出したばかりというタイトルすら泣いて新曲もあって、待たなしゃーないという気持ちでスッキリ落ち着いてしまった。

こっちも覚悟決めて上手いこと歳を取るしかない。

存在をすっかり忘れることもあるだろうけど基本的に待っているので、というスタンス。

 

あと完全に副産物なんだけど、インストバンド部門でこの世で一番好きなギターを弾いてくれていた人がそのライブを観に来ていて、大変に好きでしたと、まるで50代の後は死ぬだけみたいなうだつの上がらないおっさんが同窓会で言われてみたいセリフNo. 1みたいな事を口走ってしまった。

当人は随分に怪訝な思いをしたろうけども野良犬に噛まれたと思って忘れてほしい。当方、予防接種は受けておるので狂犬病の心配はないと思われますので。

 

その後は仕事帰りの友人と夕飯を食べた。

我々としてはかなりラグジュアリーな空間を友人に手配して頂いて(四文屋みたいな店かと思ったらホテルのお洒落飲み屋だった。ホッピーなど勿論存在しておらず、遠い席で男が女をスマートに口説いていた)なんやかんやと話した。

とりあえず元気そうで良かった。

翌月も会う予定があるので仲良いんだなーと他人事の様に思った。

 

ライブハウスや友人との食事でアルコールをたらふく飲んで気が大きくなっていたので、新幹線では大量に乗り込んで来た千葉ロッテマリーンズのファンにいつもこんな大勢で遠征するんですか?と話し掛けたり(福浦選手の引退試合だったらしい。金曜にオリックスとの対戦を生で観戦してたんすよって言いたかったけど、その試合でロッテは負けていたので流石に言えなかった)してしまい、我ながら酔っててヤバいんではないかという自制心が働き、ワゴン販売が目に止まったので反射的にアイスを購入して大人しく黙るなどして帰った。(新幹線の車内販売で売られているスジャータのアイスはカチカチに凍っている為に騒いでいる子供が硬くて中々食べられないアイスに没頭して静かになるというツイートをどこかで読んでいた為、自身はもう可哀想なくらい年齢を重ねた幼児なのだと認識して身銭を切って黙らせるに至ったというある種悲しいエピソード)

釘を打てそうな硬いアイスにアトラクション性を見出し、ある程度の水準で幼児後退を果たした頃、幼児から更に遡った現役の乳児が新幹線の気圧変動や細かな振動、鳴り続く騒音に異議申し立てて泣き始め、本当に辛いだろうな、泣きたい気持ちだろうなと思うと感情移入してしまって本当にしんどかった。いや、自分の持ってる感情と乳児が持ち合わせてる感情は随分違うものだという自覚はちゃんとあるんだけども、ホラ酔ってるから。ゴブリンとかゾンビくらいの気持ち悪さで滅する対象としてでも良いから認識して頂きたい。しゃーない。討伐で済むならそれで許してほしい。来世頑張るから。

赤ちゃんは泣き疲れて寝てしまい、それを受けて僕も一先ずホッとした。

そんな感じで延々とこの日記を書いているうちに無事に新大阪に到着した。文字数凄いな。

もう読み返すの面倒だからノーチェックで投稿する。

 

ともかく、久しぶりに音楽に触れて、そのことばっか考えたりする休みを過ごした気がする。

特に明確に書いてないのはもう、そういうの書きたいモードじゃないんだなと思う。

今後、酔っ払って書く日を定期的に設けても良いかも知れない。近い将来、読み返した自分を凹ませる為に。

 

またー。

9分丈のシャツが燃える夢。

TOTOのウォシュレットは座ってTwitterのツイートボタンを押すとおしり洗浄のシャワーがONになるという詳細かつよく分からない夢をみたので「もしかして…いやいやまさかな…」と思いながらも一応やってみたら何と、当然ながら何も起こらなかった。何と、と勿体ぶらせて自分を励ましてあげたいくらい恥ずかしかった。夢に少しでも可能性を見出してしまった自分の謎の素直さと間抜けさたるや後からどんどん増していって増えるワカメを乾燥したままでバリバリ食べて水を飲んだらお腹がパンパンに膨れてしまった人の話を思い出すくらいに恥ずかしさが時間と共に膨張していった。

こういうのを割とやらかすタイプではあるのだけれど、世の中の人たちはどうやって折り合いを付けているんだろうか。

 

季節の変わり目ということで衣替えをしたのだけれど、私服の長袖のシャツが全て9分丈に縮んでいて大ピンチに陥っている。(関係ないけど、私服と入力しようとしたら至福の長袖シャツに変換されてしまいネットのダサい通販サイトみたいなキャッチフレーズだなと思った)

縮んだというか、自分自身が膨らんだだけである。筋トレの結果、胸と肩と腕が当社比で随分と逞しくなり、袖が持ち上げられてしまい丈が足りなくなってしまったんである。はーいナイスバルクでーす。全然求めてなかった負の副産物。

丈が余りに中途半端なので「7分丈ですけど?」みたいに着られないし、大体肩の位置が縫製と全く合わなくなってしまっていて不恰好だし、高校生の息子が買ってあげたのに全然着なかった服を勿体無さから着させられているお父さんみたいな状態になっている。

ムキムキな人がタンクトップ着てるのって見せびらかしたいからじゃなくて、筋肉の成長に合わせて服を買い換えるコストへの対策だったのかも知れない。まあ境地に達し過ぎて入る服がない人もいるかも知れないけれども。

子供の頃にタンクトップを着ている人を袖のある服を買えない貧乏な人だと思い込んでいたのを思い出した。(子供って残酷で恐ろしい)

それはそうと一気に何着もシャツを買い換える程の金銭的余裕が無いのとピンチとか言いながら何故だかボンヤリしてしまっていて未だに服屋にも行っておらず、袖を折って「短いんじゃなくて折ってんすよ暑くないすか?」を装って着ている。

本格的に涼しくなると使えなくなる手ではあるが、本格的に涼しくなったら上にジャケットとかニットを着てやり過ごすことも出来るのでこの局面を上手く乗り切りつつ、シャツを買い足していきたいと思う。

 

少し前になるんだけど、映画「プロメア」を観た。

非常に解りやすい内容と重たいテーマをそのまま怒涛のテンションとスピード感に乗せて投げ込んでくる素晴らしい作品だった。

人体発火で人種が分けられ、差別と弾圧と反骨が充満する世界というのは日本にもアメリカにもミャンマーにもイスラエルにもどこにでも形を変えてある社会なので滅茶苦茶考えさせられる。考えさせられるんだけど、のんびり考えている暇もないくらいのテンションで物語が突き進んでいくので主人公たちに置いていかれない為に顔を上げるしかない、ついていくぞ!となるのがこの映画の一番素敵な所だと思う。

バーニッシュ(人体発火能力に目覚めた人間)を自分と同じだと思いながらも、確かな差異に苦しむ主人公が愛おしかった。

バーニッシュという通称はアーミッシュに通じてるのかなと思ったけれど、アーミッシュの意味合いとは発祥も生活文化も類似が見られないので語感の問題かなという結論に至った。

DVDや配信がリリースされたらまたゆっくり見返したい。ゆっくり見返すというより常に全力ダッシュを要するエキサイティングな映画だけれども。

全く関係ないけど人体発火と言えば「炎炎ノ消防隊」も人体発火を題材にした作品で、その扱い方、発症した人間の描き方なんかが随分と違って面白いので見比べてみるのも良いかも知れない。

まあ人体発火と言えば子供の頃にテレビで観た「銀狼怪奇ファイル」というドラマが主人公が一生懸命推理したのを軽く超えるガバガバ展開だったのが一番印象に残っている。

あーでもない、こうでもないと人体発火の仕組みを真面目に考えた主人公に対し、一般人がどうやっても準備出来そうもない人体発火装置で燃やしてるんで小細工とかいらないでーすみたいなオチだった。シリーズの割と序盤だったのでまだ主人公と一緒に真面目に考えながら観ていた優良な視聴者だった僕はこの推理全部無駄でした事件以降、テレビをあまり信用出来なくなったのだけれどそれはまた別の話。

 

またー。

感情を筋トレするのお休みしている人間の日記。

最近、音楽とか小説とか想像で補う部分がある系の感情インプットが無理な周期に入っていて、まあ藤崎竜先生の偏食周期みたいなものだと思うので心配していないし、でも藤崎竜先生の偏食周期について意味がわかるアナタの事は本気で心配している。オタクってもう死なないと治らないらしいよ。お互い御愁傷様だね。海、見に行こっか。貝にでもなれば?

それでも活字を読みたいという気持ちは何故だか衰えなくて、最初はアメリカの貧困問題とか世界銀行家の陰謀説の本とか読んでたんだけど最終的に日本経済新聞を駅の売店で買って2、3日かけて大体読むという行動に落ち着いた。

毎日あの分量を読む暇と根気もなく、そもそも知識として蓄えたいんじゃなくて純粋に活字欲を満たす為だけに読んでいるのでまるで賢くなっていないけれど、人が書いた文章が毎日売り出される新聞って存在はマジでヤバいなと思っている。

最初は他の新聞社のものを読んだりもしたんだけど最初に書いたように感情インプットが無理なので、朝日とか読売とかそれぞれに思想を持ち合わせていると感情の気配を感じ取ってしまってビビってしまうので日経新聞に落ち着いたんである。

日経新聞にもドラスティックにビジネス!ってキャラがあるとは思うんだけど、朝日が人参のグラッセなら読売はピクルスで、日経はサラダ(ドレッシング別売り)というニュアンスなので日経が一番向いている。味を考えるのは読み手の仕事にしといて欲しい。や、味がついてるのが楽な時もあるんだけども。

毎日読む訳ではないので連載物なんかはブツ切りなんだけど、連載物は割と思想を感じてしまうので読み飛ばしてしまう。文字並んでますわ。こんな沢山の文字で紙が埋まっていて凄いと思うに留めている。

あと新聞持ってると会社の人に褒めて貰えるから別に嬉しくはないけど得した気分にはなる。(30代の発言とは思えないな)

周期を抜けたその後にもこれくらいのペースで新聞を読む習慣が残ると雑食性が増して面白いなと思うんだけれど果たしてどうなることやら。

 

そう言えば、硬式高校野球の秋季大会が始まったので大阪桐蔭高校の試合を観に豊中ローズ球場へ行ってきた。

おおきく振りかぶって」のアニメを観ながら筋トレしているので、試合前や試合後のグラウンド整備を選手がやっていたり、攻撃時の声出しなんかを目の当たりにして「本物だ!!!!」とアガりまくっていた。甲子園球場やプロも試合を行うトーナメント終盤の球場と違い、随分近くで試合を観られて凄く楽しかった。(昨年も秋季大会を観戦したのだけれどそれは近畿地方の頂上決戦でプロ用の球場だったのでまた雰囲気が違った)

大阪桐蔭は半端じゃなく強かった。軌道で言えば120mを超える様なアーチを4本ブチ込んだり、深いゴロを捕球して上半身だけで投げてアウトにしたり、情報共有の徹底っぷりなど隙が全くなく、初戦だと言うのにマスコミも大勢来ていてとんでもない存在なのだなと改めて感じた。

対戦していた渋谷も守備で焦りがあったものの練習を重ねてきたチームだと思えるものだったし、その他の試合に出場していたチームも格好良いなと思ったけれど、大阪桐蔭の様な強豪の鍛え上げられたプレーは美しいなと思った。

豊中ローズ球場は小ぶりだけどしっかりスタンドもあるし芝生席もあり、近くにテイクアウト出来る「かみかわ珈琲焙煎所」という美味しいコーヒー屋さんがあって(前に座っていた選手の保護者さんが話していたのを盗み聞きして行ってきた。350円で本格的で多彩なアイスコーヒーが飲めた。オススメして頂いたエチオピアの豆はフルーティーで幸せな気持ちになった。)駅も近いしで良い環境だった。また試合が組まれたらどこのチームでも良いから観に行きたい。

頑張っている選手たちを観たあとは身体を動かしたくなって走るなどした。身体に良い。

秋季大会と言いながら観ているとサウナみたいに暑く汗をかくのでそれも身体に良い気がする。高校野球観戦健康法と名付けてオススメしたい。

 

そう言えば、筋トレをする様になって随分経つのだけれど、その副産物で家事力がメキメキ上がっている。筋肉は大して増強されてないのに。ちょっと納得がいかないのだけれどそこを突くともう話が逸れ過ぎて元に戻ってこれないので今日は見逃してやろうと思う。命拾いしたな。

夏場は汗をかくので洗濯の頻度が上がりがちだし、その上に筋トレをすると更に洗濯物が増える。だから出来るだけ洗濯物を減らそうとした結果、料理や買い物なんかも一連の流れでまとめて片付けてしまう様になった。

「仕事から帰る→夕飯を作って大物(フライパンとかまな板)を先に洗ってしまう→食べ終えた食器をシンクに残っていた食器とまとめて洗う→ここまでで既にちょっと汗をかいているのでお風呂に入りたいけど我慢して食休みにアニメを観たり本を読んだりする→筋トレをする→お風呂に入る→洗濯機をまわす→もともと外に干していた洗濯物をたたみながらアニメを観る→新たな洗濯物を干す→ダラダラしてるうちに寝落ちして悪夢をみて起き、変な時間にもう一度寝る」という流れで全部片付けている。洗濯は2日に一回なんだけども大体こんな感じである。(洗濯物を2日干しっぱなしというズボラさを世界に向けて発信してしまっている)

これが何故筋トレの副産物かと言うとパパッとやってしまえる体力がついたことが影響しているのではと思うからである。

仕事を片付けて帰って来てこれだけの行程を踏むなんてことは過去の自分では出来なかった訳で、どれか一個こなして偉いと自分を慰めていたことを思い返すと滅茶苦茶な進化である。(寝落ちは相変わらずだし、寝落ちすると悪夢をみて気分最悪で起きるのだけはやめられない止まらないのが残念ではあるが、人間そう簡単に変わらないんだから仕方ない。)

他にも4キロ程度のジョギングも楽にこなせる様になって、自然豊かな公園を走っている最中に目の前にスマホが飛び出して来て(子供が転んだ拍子に投げてしまったらしい)、野生のスマホだ!と1人でニヤニヤしながら走り続けすれ違う女性に露骨に怖がられる余裕も出て来ている。運動を始めた当初は何をしてもヘトヘトだったことを考えると中々遠くまで来たなぁという気持ちになる。

特に達成したい目標もモチベーションも無くここまで続く自分にちょっと気持ち悪さも感じるんだけれど、こういう副産物(他にもスーツが似合う様になってきたとか風邪を引きにくいとか)の寄せ集めに助けられてるから続ける、というのも悪くないのかなと思っている。

因みに野生のスマホは子供にYouTube見せる用なのか知らんけど画面バッキバキだった。

 

またー。

色々あったことを書いた日記。

ガストのチーズINチーズONハンバーグにライスとコーンポタージュのセットをつけるのが大変に好きだ。

チーズがINしているのかONしているのか、これは元来派閥が生じるレベルの重要な問題であったと記憶している。内に秘めることで伸びとチーズ自体のボリュームを実現するチーズIN、それに対して見た目でチーズのとろける様を堪能出来る姿麗しいチーズON。どちらの美学も理解を示す事が出来る選び難い両者。過激派同士の衝突で怪我人や死人も出たであろう。

それを悩ませる事も争うこともさせず1つにまとめて、沈静化してしまったガストは何らかの平和賞を受賞して然るべきである。ノーベルは何だかんだ後々胡散臭くなることが多いのでもっと別な何かで。

子供味覚及び子供舌にとっての至宝ハンバーグの中でも満足感にお値段まで含めて最高のバランスを有している。

ファミレスの鉄板deサーブ系のメニューにおいての常套句「鉄板がお熱くなっております」に対して、実際触れても平気な程度の熱さである事に落胆したことのある方は累計で8億人くらいいるものと推測されるが、このチーズINチーズONハンバーグにおいてはその心配は無用である。何せチーズがINでONなのである。両方を溶かし、なおかつ溶けた状態で提供しようと思うと熱々の状態で提供しなければならないのである。これまで3度オーダーしたが、毎度他の鉄板deサーブ系のメニューとは温度差があり、フェスのB'zで言うと「ウルトラソウル」、CHARAで言うと「やさしい気持ち」を初見の人たちに披露した時くらいの熱さでブチ上がりである。

皆様もガストを利用した際はチーズINチーズONハンバーグを是非オーダーして欲しい。

ガストはモーニングのフレンチトーストや唐揚げが10個乗った10カラ定食など、僕の好きなメニューを悉く終了させてきた過去があるの(僕が不人気メニューを好んでしまっているだけという説もある)で色んな人が沢山オーダーしてくれたら生き残れるのではという策略である。目指せ看板メニュー。何卒宜しくお願い致します。俺は本気も本気だ。

食べ物の恨みは恐ろしいのである。

次回、「唐揚げ定食に唐揚げが3つしか入っておらず怒ってしまった話」へ続くかも知れない。

 

お盆休みが終わって久しい。

お盆休みを振り返ると、生でも中継でも野球を観戦していた記憶しかない。

お盆休みの直前から2日間の有給休暇を行使して甲子園球場高校野球を観に行き、阪神タイガースを応援に京セラへ行っている間にお盆休み本編が始まっており、隙あらば甲子園球場に突撃している間にお盆休みが終わっていた。

甲子園球場に6日、京セラドームに2日、そしてお盆休み明けにも京セラドームへ2日間行ったので8月だけで考えると10日間は何らかの球場におり、野球を観ていたことになる。呆れるという意味で凄いなと思う。やり過ぎ。

高校野球プロ野球を観たあと、その鍛え上げられた身体のイメージが残っている間に筋トレをすれば当社比でより効果が得られるのではないか、と深夜に筋トレをしてみたり、録画した試合を観ながら筋トレしてみたりして過ごしたけれど、特に運動強度を上げたり普段より追い込んだりなどはしていないので現状維持のまま休みは終了してしまった。

まあ球場グルメ(お祭りの屋台みたいなジャンキーなやつ)やファストフード店を乱発していたので現状維持でも万々歳なのかも知れない。命拾いしたな、とすら思う。ほんのりと。

高校野球では履正社の野口海音選手がとても好きだった。171cmでありながらエグいくらい筋肉が分厚く、肩も強いし打力もある。閉会式の優勝旗授与はたまたま録画していたので筋肉の為に巻き戻して2回観た。

後は作新学院林勇成投手も好きだった。球速ばかりが注目を浴びがちな中で、制球力を活かして配球で凡打の山を築く様は圧巻だった。対角線をきっちり攻めたり、初球より厳しい同コースに投げ込んだり、おおきく振りかぶっての三橋を観ている様な気になった。

二人ともどの様な進路へ進むのか解らないけれど、野球を続けてくれてもそうじゃなくてもとても素敵だったので感謝したい。

阪神タイガースは相変わらず、シーズン終盤に入ってもバタバタしていて、応援しているものの「この調子でよく勝てるな…」と思ってしまう試合が多い。今年に関しては順位よりも選手の調子ばかり気になるので、皆が活き活きしてくれていたら成績も付いてくるだろう程度の心持ちになっている。近所のおっさんみたいだな。

 

土曜日、大森靖子さんのツアーの奈良公演へ行った。

とりあえず奈良まで出て、昼から日本酒を飲めるお店を目指すも跡形もなく閉店しており、諦めて別の店で飲んだ。

アテのメニューにサーモンのなめろうがあったので頼んだらモッタリしたサーモンとミョウガやショウガなどの薬味が混ざり合い滅茶苦茶複雑な味がして、「美味しいと思う」と「え?これ何味?」が入り混じって物凄く考え込んでしまった。評価が分かれるとかじゃなくて評価出来ない。採点不能だった。

日本酒は何を飲んでもお猪口1杯100円とのことで色々飲んで色々美味しかったけど、そもそも日本酒に対する興味が薄いので何も覚えていない。「色々美味しかったです」という作文なら再提出を命じられそうな感想しか述べられない。

その後、観光するでもなく新大宮のジャンカラで時間を潰し、久々にV系ボーカル風にピンクメトセラを歌ったり、甲子園で聴きまくったからいけるやろという浅はかさでofficial髭男dismの「宿命」にチャレンジしたら全然歌えなくて喉と感性が死んだ。あとは宿命ってやつを燃やして暴れ出すだけだったんだけどな…。

会場となった奈良ネバーランドは奈良が誇る化け物バンド、LOSTAGEのホーム(店長がドラム)で音が大きく、ガツンとしていて非常にロックバンドが映えるハコである。音が滅茶苦茶良い。

喉の不調にこんな事を言うのもおかしいかも知れないけれど、普段の大森さんよりも声量が無く、掠れているコンディションがネバランにピッタリだったと思う。

セットリストは組み換えまくっているだろうけど一応書かないでおこうと思うんだけど、会場の特性を活かす強めで速めな曲が多くて鋭かった。ピエール中野さんのドラムがほぼ全身見える代わりに大森さんがほぼ見えないというガラ空きポジションで観ていたのだけれど、大学時代から見てきたピエール中野さんのドラムをこんなに近くでまた観られる事があるなんて、という感じで感慨深かった。

そもそもファンのピエール中野さんとそもそもファンのカメダタクさんが一緒に演奏しているのが凄く嬉しくてたまんなかった。

大森さんの曲は励まされるとか救われるとか、そういうフェーズを僕は通り越してしまったんだなと思う。

はっきり言って大森さんの歌詞と自分を取り巻く、あと培ってきたものとの距離感は広がるばかりで共感を探すのは本当に難しくなりつつあると感じた。

だから単純に曲の良さだったり、大森さんとバンドの表現に感動している自分に振り返ってみて、とても安堵した。

あと、これまでの内容に矛盾しているけれど「新宿」の歌詞、やっぱり凄いよなと思った。

さっさと帰ってファミチキをおかずに米を食べて寝た。微妙な合わなさに徐々に慣れて違和感なく美味しく食べられる様になっている。

 

翌日の日曜日、全く予定のない一日の過ごし方が中々だったので記録しておきたい。

朝起きてジョギング4km→公園にある懸垂器具に挑戦するも3回で死亡→洗濯機を回してからスーパーに米を買いに行く→シャワーを浴びて朝昼兼用の食事を摂る。兼用なので2食分食べないと気が済まない。米2.5合に肉屋さんの惣菜(唐揚げ200g、ハムカツ)を食す→洗濯物を干す→アニメを観る→何となく観たことないまま生きてきた作品部門である『時計仕掛けのオレンジ』を観る。思ってたんと随分違ったけど面白かった→アニメを観る→夕飯ついでにお弁当の作り置き(4日分)と平日の夕飯の副菜(3日分くらい)を作りおく。凄い。普段はこれの半分くらいでやる気が無くなる。野球で例えると猛打賞。→夕飯を摂る(大根の煮物、豚の生姜焼き)→アニメを観る→食器を洗う→ジムへ行く→ジムのテレビで24時間テレビをやっていることを初めて知る。俺はこの24時間何をしていたんだろう…(知ってても見てはいなかったと思うが)→筋トレ中、阪神が負けたことを知ってやる気がなくなって帰る→お風呂に入る→YOUTUBEで人の平日の生活におけるルーティーンを観る(最近ハマっている。全員なんかちゃんとしてて偉いなと思っているだけではあるけれど、偉いなと思える人の心が残っているという事実で自分を褒めている)→洗濯物を取り込んでたたみながらアニメを観る→翌日のお弁当用に炊飯器のタイマーをセット→寝る。

結論としては「アニメ観過ぎ」に尽きる。用事が無ければインドアという思考の根は深い、といか元々それを悪い事だと思っていないのだと思う。

そんな感じ。

 

暫く書いてなかったので色々書いてしまった。

 

またー。