性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

続・2020年って何だったんだろう会議。

前回、2020年を振り返ってダラダラ書いてみたものの何か他にあるんじゃね?ない?いや普段より1日多く、366日もあったんだから何かあるでしょ?(1日多かったくらいでどうだという指摘、そしてこれを書きながら本当に閏年だったっけ?と思ってしまう時点で詰んでる表現)と振り返りまくっていたんだけど、もう振り返り過ぎてどっちが前か解らないということにして宇多田ヒカルがデビューした辺りまでシレっと戻ったろうかと企むものの、とりあえず今がハイライトみたいな(それにしたって凡打)人間でもあるので源泉徴収票と貯金通帳を観てニヤリと笑う事で自分を慰めたいなと思う、が、しかし、話が逸れはじめているので無理矢理戻そう、あ、時を戻そう!(2018年末のパワーワード)

 

2020年は服もほぼ買わなかったし、漫画もほぼ買わなかったし、要するに例年自分を彩ってくれたものをほぼ何も買わない一年だったと言うことである。

 

とは言え、服ではスーツを一着、オーダーで作って貰って、これが滅茶苦茶良かった。流行りとか高級ブランドとか解らないけど、ジャケットは身体にピタリと合っていて、パンツなんか履いてるのを忘れるくらいに心地良く、そのうち履かずに出掛けてしまいそうで怖いレベルである。

仕上がったものを店で試着した時、驚きの余り店員さんに「これは…?」と言ってしまい、店員さんを「どこか不具合が?」と困惑させるという事案を発生させてしまった。不具合なんてとんでもないです、凄いですと早口でフォローしまくる事になり変な汗を大量に流すことになった。サウナだったら整ってただろうに。

前年に入れ替えるつもりで某オーダーチェーン店に2着仕立てて貰ったけれど、ピッタリであるものの窮屈で身体に張り付いてるみたいなものが出来上がり、それでも既製品よりサイズ感が随分マシだから助かってたし愛用していたけど、その感謝の日々をすっ飛ばしてしまうくらい今回のお店は滅茶苦茶当たりだった。値段は同じなのにこんなに違うのかと衝撃を受けた。もう暫く他の店でスーツは買えない。サイズ感と着心地しか拘りが無い以上、冒険する必要はない。

こうして、スーツを巡る冒険は最終回を迎えてしまった。前回のお店で打ち切りにしないで良かった。大団円だ。先生の次回作にご期待下さい。

 

大団円と言えば今年買った数少ない漫画は「鬼滅の刃」だった。劇場公開されている内容以前と以降で描かれ方が随分変わった印象だったけれど、最後まで滅茶苦茶面白く読めた。

正直、幼い子供まで観て良い内容だとは思えないのでここまでのヒットにはビビっているけれど、辛く、苦しい2020年を共に耐え、そして打ち倒したという気持ちも乗っかったのかなと思う。

好きなところは沢山あるんだけれど、胡蝶しのぶさんが大変に好きだと言いたい。野球観戦までの暇つぶしに南堀江をぶらついていた時、貫禄たっぷりの男子の小学生のランドセルに胡蝶しのぶさんの大きな缶バッジがついていて「同志よ…」とドキドキしてしまった。君は胡蝶しのぶさんのどこが好き?と聞いてみたかったけど声掛けも立派な警察出動案件なので控えた。波動球打てそうな凛々しい子だったから青学の柱の方が最寄りかも知らないけど、君が何らかの柱になることを陰ながら応援しているよという気持ち。

あと猪之頭少年が最終巻にみせた成長が何より泣けたこと、甘露寺さんと伊黒さんの愛おしさに胸がいっぱいになったことは僕にとって今年は出番が無いんじゃないかとすら危惧していた己の感情がまだ息をしていたと気付かせてくれた、とても支えられた出来事であったと忘れない様に書いておく。

 

物を買うという事に対して、今年一番印象に残った出来事は立ち飲み屋で横になった見知らぬ40代くらいの男性が雑談の中で「自分の欲望にすら金を払えない奴は本当に最低だと気付いて反省した」と話してくれた事だった。

彼はこれまでエロ動画を無料で楽しんでいたけれど、ある日ふとAVを自分の仕事と置き換え、「誰かに利用されて自分に報酬が入ってこない」と考えた時に物凄く反省し、その日は事に及べなかったと恥ずかしそうに言っていた。

こちらはどうせもっとドギツイ下ネタを聞かされるんだろう、立ち飲みは安いけどこういう話を聞かされることもあるからなーとたかを括っていたのでそれが恥ずかしくなってしまった。申し訳ない。

千鳥や霜降り明星の似てもないモノマネや「全集中!」とか「〇〇の呼吸」とかつまんない寄せも挟んでくるんだよなーきっととか思っていた。本当に申し訳ない。まあでも言ってたよな全集中。ちゃんとつまらなかったし。

これを断ずる事が出来る人は、YouTubeで無断転載されたMVやテレビ番組も見ず、違法アップロードの漫画を読んだり音楽を聴いたりしたことのない(そういう場があると知っていながら選ばなかったという)人か、彼と同じ様に行いを恥じて改めた人くらいのものではないだろうか。

デリケートな産業の話ではあるけれど、消費者という点において、対価を支払うことは大切なことであるし、自分も欲しいものは対価を払って手に入れる派なのだけれど、全然関係ない人からそう言う話を聞けたことは本当に良い事だったよな、と。

そう思ったので書いておく。

 

まあ似たエピソードというのはどこにでもあるだろうし、今年に関しては皮肉であり自虐だけど心に染み入らせたりする余裕は自分には殆ど無かったんだなと改めて考えてしまう。

良い言葉だったけれど、手っ取り早く何か胃に収めなければという選択だったかも知れない。

年の序盤に「ハイパーハードボイルドグルメリポート」の書籍と柚木麻子さんの「BUTTER」を読んでいる頃には物凄く揺さぶられて、それこそ酔って吐きそうなくらい振り回されて、感受性が鋭い一年になりそうだなと思っていたのにどうなるか解らない。

来年は少しでも上向いてくれたらな、と思う。

 

毎日少しずつ運動と掃除と読書を進める年末を経て、新年も引き続きそんな生活だろうから読んだ本についてまとめておきたいし、服を長らく買わなかったせいで服の選び方を見失っていた事も書いておきたいと思う。多分。

 

2020年にこのブログを何らかの形で読んで下さった方、ありがとうございました。

良いお年を。

 

またー。

2020年って何だったんだろう会議。

2020年って何だったんだろう。

こんなにやり直したい一年ってあっただろうか。

やり直したいと言ってもコロナ禍云々をもう一度と言うよりはコロナ禍が訪れない世界線で、という話である。

ただ、例え同じ世界を繰り返した場合でもこの記憶さえ皆に残っておれば強くてニューゲームなので全人類で立ち向かえる可能性もある訳で、どっちでもいいからやり直したいと思ってしまう一年だったように思う。

皆でせーので息を止めて目を閉じたら、2019年の紅白であいみょんマリーゴールドを聴いている頃に戻れないかな、と考えてしまう。

好きな人が何人もこの世を去ってしまって未だに上手く処理が出来ないし、制約の多過ぎる新しい生活様式とやら(必要があると思うからこそ守るんだけれど)に疲れて当たり判定がバカになってしまっているのかこれまで何とも思っていなかった事がストレスになるし、オンもオフも気を張っている感じで白髪も生えてくるし、100点満点評価で-500点くらいの1年だった。

あまりに心が落ち着かないので、何がこんなに飲み込めないんだろうとずっと思っていたけれど、飲み込めないとかじゃなくて単純に恐怖しているんだと解った。

自分に余裕がないのはいつもの事だけれど、世の中全体に余裕がないので「とりあえず殴っておいて、訳を聞いて『知らなかったんだ、許して』と言って俺もまた被害者という面をする」という怒り方が横行している気がしており、単純にそれに心底ビビッてしまっているんである。向けられる恐怖と、手を染めてしまう恐怖のダブルパンチ。

2020年は難易度が高過ぎる。

嫌だなと思っていても最低限何とかなって過ぎ去っていく、という人生は終わってしまったのかも知れないと思うと、何も前向きな事を言える気もしないし、お腹が痛くなる。

明るく振り返れたらいいけれど、今年はそんなもん無理。プロ野球を観ている間だけは気を抜ける1年でした、という感じである。野球がシーズンオフの今、何に支えて貰えるんだろうという感じである。

 

そんな1年だったけど、何かしら良かった事もあるハズなので、そういったものを軽く振り返ってダラダラと書いておきたい。

 

まず今年は、ある日急にジョジョを読み始めた。

バンドマンや音楽ファンは割とジョジョでマウントを取ってくる種族なのでアルハラの実に2割がジョジョ、1割が刃牙と言われる地獄である為にずっと敬遠していたんだけれど(界隈の飲み会でジョジョの話は政治と信仰に次いで面倒な話題とされている)、その界隈とも程よく距離が空いた2020年、遂にジョジョを読み始めた。

音楽ともソーシャルディスタンス取ってしまったのは別に疲れたとか気力がないとかじゃなくて単純に周期的にそうなだけで、藤崎竜先生の偏食周期に重ねて頂けると分かりやすいが、それで理解出来てしまう人は30代のオタクであるという踏み絵状態であるので心の中で申告して貰えたらと思う。(声を上げられても哀しげな目で微笑んで会釈で返す以外のリアクションがないので)

本当はビジュアルに憧れもあり、かつ読みやすそうな5部から読み始めようと思っていたけれど、何故か4部の序盤を再現した実写版を観てしまったので確認を込めて4部から読み始めた。原作ファンにはあまり評判でない映画ではあるけれど、僕の中では新田真剣佑の読み方が「にった」ではなく「あらた」であるという気付きを得た作品である故、無下に出来ないし、そこそこカッコイイ映画だったのではとも思っている。

今は4→5→1→2→3部と辿ってきているんだけれど、3部が一番好きかも知れない。

ポップさと自分の考えるジョジョっぽさのバランスがとても楽しい。花京院とポルナレフが好きだ。2人とも可愛い。レロレロレロ。

 

あとは全員横一列に並べ、そして歯を食いしばれ、指導ォー!バシン!指導ォー!バシン!という鬼教官を求められ、能力アップの為の研修を受け持たされたので仕事術やらメンタル系やらの自己啓発本の類を月に2冊くらい読まなければならない年となった。

そもそもそういったものに苦手意識があるので未だに気乗りしないけれど、滅茶苦茶凹むので効果がありそうとよく分からない感じで好評を博しているので来年も続投させられそうでこっちが凹みそうである。

形から入る事で何とか自分を騙して振る舞い続けているので、文庫よりソフトカバーやハードカバーの本の方が効く、というかやっている感が出るいうビギナー特有の幻想、謎のプラシーボ効果で読了し、活かせそうなものを取り入れて改善に当たっている。

数多くこの手の本を読んで思ったんだけど、ボリュームに関わらずこの手の本は1500円を中央値に誤差の範囲に大体の作品が集まっている気がする。

値段も見ずに「どうせ1500円くらいでしょ」と思ってレジにいくと増減100円以内にちゃんと収まる。

商材としての値付けが機能しているとは思えないけれど、「割とどの本も似たようなことを言っている」という小説などに見られない特徴から、他より高くしても売れないという熾烈な価格競争があるのかも知れない(知識を売りにしているジャンルなのに底が知れるジャンルである)し、そういう本を求めている人間にとって安くもなく高くもない、丁度買いたくなる値段というのが1500円そこらなのかも知れない。

それにしても啓発本、研修本の互いは色々格好良いことを説いている割に誤植が多いのでダサさが際立つ。格好良いことを言い切る為に、せめて大事な所だけでもチェックして欲しいと思う。

そんな事を偉そうに言っている癖に、自分も研修の資料でしっかり誤字をかましていたので何とも申し訳ない気持ちになると共に敗北感に打たれる始末である。

 

そういえば今年は、というか今年も映画をそこそこ観た一年だったと思う。

ミッドサマー、パラサイト、シークレットジョブ、ブックスマート、星の子、鬼滅の刃、ロシャオヘイ戦記、その他何本か。

分析(的外れ含む)も含めてとても楽しめたのはミッドサマーで、感想noteが3万アクセスくらい読まれてそれも含めて怖かった。考える程に単純な出来事に複雑に傷ついてしまう人間の脆さを痛感する作品だった。

宗教というテーマを含んでいると言えば星の子も同じ恐ろしさがあって、だけど家族愛の視点からとにかく切なく、考えようによっては絶望的に虚しくなる。映画はほんのりと希望が持てる優しい匂わせで終わったけど、原作は最後まで薄暗い感じで終わるというのも面白かった。ラストシーンで随分と分岐してしまったぜ、という。どちらも面白い。

そんな中で、ブックスマートが個人的に今年一番面白かったと思う。

遊んでばかりのバカばっかと見下していたクラスメイト達が実は遊びも勉強も両立しており見事な進路を勝ち取っている事に愕然とした優等生コンビが卒業パーティーに潜入したり、恋心に正直になってみたりと爆走する割とシンプルな作品なんだけど、優等生コンビの絶妙さ、オタク特有の勘違いの暴走、色眼鏡を自覚して変わっていく心境などが見事に全部愛おしくなってしまうし、しかも滅茶苦茶笑ってしまうという最高のコメディー映画であった。

 

まだ何か書けることがたくさんありそうだけど、無駄に文字を費やしてしまったので今回はこの辺で。

 

またー。

 

青柳カヲルさんの所有作品について。

画家の青柳カヲルさんが逝去されました。

青柳カヲルさんの作品が好きで、何作かお迎えしておりましたので、皆さんにもご覧頂けたらと思います。

コメントは全て青柳さんから購入時に頂いたものを句読点までそのままに転載したものとなります。

またいつか、青柳さんに展示して貰える日がくると思いあまり人様に見てもらえる様にしてはおりませんでしたが、この現実の中で、こんな作品も描かれていたんだと自分以外にも改めて触れて欲しいと感じましたので今回の更新と致しました。

尚、私が所有者となりますので一応、無断転載は禁止とさせて頂きます。

本来なら、こんな謎のブログに載せて良いものではないと重々解っておりますが、一番最寄りの手段を選んだことを御了承頂ければと思います。

以上、今の気持ちも思い出も、全て展示の邪魔となりますので割愛させて頂きます。

青柳カヲルさん、ありがとうございました。

 

 

f:id:oka_p:20201205113517j:image

(2017)

『花弁』

 

f:id:oka_p:20201205114440j:image

Day Dream Drawing No.4(2018/03/04)

『花と雨』

“花と雨"は生きる花と降り注ぐ雨の対比を考えながら描きました。上へ左右へ広がる意思と下へ落ちる意思。

 

f:id:oka_p:20201205114528j:image

Day Dream Drawing No.6(2018/03/06)

『黒い流星』

“黒い流星"は通常流星は周囲が暗く、流星が光っているように描かれますがこの絵では逆になっております。その意味はご想像頂けたら幸いです。

 

f:id:oka_p:20201205114520j:image

Day Dream Drawing No.33(2018/04/02)

『息吹』

この絵は春の訪れを感じた日に描いたものです。

萌え盛る花や植物の暴力的ともいえるようなエネルギーを肩肘張らず、画面に流し込みたいと思い描きました。楽しんでご覧頂けたら幸いです。

 

f:id:oka_p:20201205115121j:image

Day Dream Drawing No.40(2018/04/09)

『泣かなくていいよ』

この絵は、目の前で泣きながら自分を責める相手に対し、「泣いていいよ」と言いながら、心の中で、「責める必要もない程既に素敵だから泣かなくていいよ」と思った日でした。人の苦しみに立ち合う時その尊さに胸打たれます。お気に召して頂けたら幸です。

 

f:id:oka_p:20201205123318j:image

Day Dream Drawing No.50(2018/04/19)

『目舞』

この絵は自分の価値観が揺らぐようなことがあり、その状態を取り繕うことをせず、そのまま画面に定着させたものです。揺らぎはネガティブなものではなく、目が舞う「舞」ともとらえられると考えました。不確定な1日の感情に価値をつけて下さりありがとうございました。

 

f:id:oka_p:20201205115806j:image

Day Dream Drawing No.83(2018/05/22)

『愚者と愛』

“愚者と愛"は愚者だから愛を欲してしまうのか、愛はもう側にあるのに気がついていないから愚者なのか、という人間と愛の距離について思いながら描いたものです。

愛は人を愚者にするのか、愚者はもしかして聖人なのでは、など…何か感じて頂けたら幸いです。

 

f:id:oka_p:20201205120132j:image

Day Dream Drawing No.164(2018/08/11)

『思想化学現象』

“思想化学現象"はタイトル通り、思想が化学によって現象として目の前に現れる、これほど矛盾のない完璧な作品があるだろうか、という感動を描きました。何のことでしょう。

 

f:id:oka_p:20201205120416j:image

Day Dream Drawing No.227(2018/10/13)

『恋情』

殺意と好意の区別が

時々つかない

柔らかな殺意と激しい好意

その間

 

f:id:oka_p:20201205120609j:image

Day Dream Drawing No.309(2019/01/03)

『ZONE』

一瞬だけ、全てのチャンネルが合致して無から有が生まれる時がある。それをできる限り積み重ねる。

 

f:id:oka_p:20201205120753j:image

個展:Living iDoll(2019/03)

『Flower』

"Flower"はゆいみちゃんに出会う前にとある絵描きの描いたあの展示の中では最も生活に近い絵です。

実際に私の部屋にも飾っていました。

 

目指せ、スピードキングへの道。

滅茶苦茶久しぶりにこのブログを書きながら、え?このブランク何してたっけ?と思い出したりしてみたんだけど、特にこれといって夏のレジャーみたいなのを楽しんだ訳でもないし、というかそもそも毎年夏のレジャーなんか楽しめないタイプの人間なので海とか川とか祭りとか花火とかコロナがあろうがなかろうが行ってないし、平常運転じゃないかと気付いて愕然とした。

それを平常運転としてしまう人生とかに愕然とした。

人生、うまくいかないね。打ちのめされてばかり。

 

じゃあ本当に何もしてなかったのかと言えばそんな事もない。

土曜プレミアムという自称するには中々強心臓な枠で放送されていたマッドマックス怒りのデスロードを観ながら、あ、僕もこの夏はスピードキングと毎日レースを繰り広げてたじゃん!と思い至ってそれを書くことにした。

 

最寄駅から職場へのルートに200mはあろうかという直線コースがあり、そこを通勤で歩いていると、お尻に「SPEED KING」と刺繍されたデニムをはいたおじさんに後ろから毎日ブチ抜かれているということに気付いたのは8月の頭くらいだったと思う。

いつも同じパンツなので覚えてしまったんだと思うんだけど、通勤中の歩く速さにはちょっと自信がある自分をいとも容易く抜き去っていくおじさんに衝撃を受けた。

この、通勤中に同僚から話しかけられたくないというネガティブさ一点で磨きあげた脚が通用しないなんて間違っている、というのが最初の感想で、そこからスピードキングへの一方的な挑戦が始まったんである。

 

そもそもスピードキングって自称していい肩書きなの?何かしら競う場があってそこで頂点に立って初めて主催者とかから讃えられて冠されるものなんじゃないの?実は僕が知らないだけでこの直線で毎朝レースが開催されてて、スピードキングは前年度の年間チャンピオンか何かなの?

いや、速いのは認めるんだけど、それをもし自称で身につけているならまずスピードキングと言うに相応しい戦歴が必要なんじゃないかなと思うんだけれど、その辺どうなんですか?と聞いてみたいが全然追いつけないので聞きようがない。

スピードキングの凄い所は、追いつけないほど速くてもそのフォームが競歩的な感じでもなく、ましてや走ってもいない所である。それなのに追いつけないのがスピードキングのスピードキングたる所以だと僕は勝手に思っている。

本当に普通に歩いてるのに、いや、歩いているように見えるのに滅茶苦茶早い。

冷静に観察する様になって最初に抱いた感想が「あれ?作画バグってる?」だった。それくらい歩いてるなぁ、というフォームで速い。

HUNTER×HUNTERのハンター試験の最初試練で滅茶苦茶速く歩いていたサトツさんを思い出した。スピードキングはサトツさんの生まれ変わりかも知れない。サトツさんが存命なのかどうか休載が多過ぎて思い出せない。冨樫先生は今、何にハマっているんだろう。

ガラスの仮面」のファンが自身が生きている間に完結してくれるかどうかを心配している様に、僕もまたHUNTER×HUNTERが完結するまで自分が生きていられるのかを密かに心配、あ、ヒソカに心配してるよ♣︎である。

 

話は逸れたがスピードキングはそんな感じで本当に速い。

毎朝観察していると、陸上経験者から聞いた速く走るコツを裏付ける様な歩き方をスピードキングがしている事に気付いた。

走る際に足を前に振り出し、地面を踏み込み、蹴り出して前に進むという一連の動きの中で、最初の足を前に振り出す動きをいかに速く行うかが速く走る事に大きく関わってくるという話であった。

スピードキングは、一連の歩くという動作の中で、足を前に振る動きが異常に速かったのである。

さして強く踏み込んでいる様にも、強く蹴り出している様にも見えないコンパクトさの中で、前に振り出す動きだけが目立って速い。

エネルギーをそこに収束することで力感のないフォームで滑る様に歩いているのだとしたら、一般的な「速く歩く=強く蹴り出す」という認識の人よりも少ない消耗で先に進めるのではないだろうか。

僕はこの仮説をもってスピードキングの速さの秘密を解明出来た気がしたし、これでスピードキングと闘えると思った。

後ろから華麗に抜き去られ続けた毎日、この夏の悔しさに、この夏のうちにピリオドを打ってやろう、と。

その日を境に、自宅から駅までの道でその歩き方を身につけようと練習しながら歩き、駅から会社までの道でスピードキングに挑戦するというのが日課になった。

少しずつスピードキングのフォームに近付き、少しずつ離される距離も短くなっているが、未だ勝てずにいる。

流石に相手はスピードキングである。

そう簡単には勝たせて貰えないけれど、いつかスピードキングに「中々骨のあるヤツもいるじゃねえか」と思わせたい所ではあるけれど、こっちが勝手に盛り上がってしまっているだけなので普通に勝った所で物語が進展する訳でもないし、スピードキングが速さを自負して名乗っているかどうかすら解らないし、どっちかって言うと自負してスピードキング背負ってたらそれはそれでキツいものがあるなと思わなくもないけれど、僕の、終わろうとしているこの夏の最大のトピックがコレなのでその軌跡を記しておきたい。

最大のトピックがコレか。

 

人生、うまくいかないね。打ちのめされてばかり。(2回目)

 

またー。

ラストシンデレラに救われて筋トレを続けられた男の話。

今回は、三浦春馬さんの事を少しだけ書きたい。

とは言え、熱心なファンでもなく、良いことも悪いことも何も書いていないので、ファンもアンチも(いるのか知らんしいないで欲しいけど)何の期待に応えられる様な内容でもないので暇な方以外は読まないで何の問題もない。

暇な方は時間が潰れるという利点があるので任意でお願いしたい。

 

僕は、三浦春馬さんが出演されていた「ラストシンデレラ」というドラマに凄く救われた経験がある。(ラストとシンデレラの間に♡が入っているのだけれど、凄く無駄な自意識が定位置に入れることを拒む。何なんだ)

放送当時、勤めていた会社で割と仲の良い人たちが連続で辞めるという流れが起こっており、しかも割と仲が良いだけに誰かが退職した直後に「実は次のボーナス貰ったら辞めようと思ってて」と次回予告的な告知を受ける様なヘビーな展開の最中にあった。

別に誰か死ぬ訳でもなし、とは思っていても生活の大半を過ごす職場で心を許せる人がどんどんいなくなっていくのは随分と堪えた。

そんな中でたまたま初回を観た「ラストシンデレラ」における三浦さんの肉体美に何故だか癒されてしまったのがキッカケである。

それまでも三浦春馬さん自体は「ごくせん」などで知っていたんだけれど、丁度空いた穴にストンとハマったのが「ラストシンデレラ」の三浦さんなのだった。

ただ、自分の中でドラマ自体の面白さとしてはあまり順位の高いものではなく、菜々緒さんの「大好きなお兄ちゃんを傷つけるという発想が欠けてしまう程に大好き過ぎるブラコン」というブラコンあるあるコンテスト3連覇殿堂入りしそうな演技に12000点差し上げたい(僕などに12000点差し出されたところで変換出来る有用なポイントもマトモなレートも存在しないと思うが)以外には、妙なポジティブさ、皆不平不満を漏らしながら頑張っている姿、何より三浦春馬さんの肉体美に元気を貰うという感じであった。菜々緒さんの役所は週刊少年マガジンのハーレム物に出てきそうなブラコンっぷりだった。

ただ、三浦春馬さんが篠原涼子さんにえへへとなってしまっている姿や、倉庫の夜間仕分けのバイトを黙々と、そんな滅茶苦茶洒落た格好でこなします?オラ、経営者!今すぐ作業服支給差し上げらろや汚れたらどうしてくれんだコラ!!な姿を見ることにより、当時の自分が頑張れていたのは揺るがぬ事実なのである。

それから7年程が経つ中、運動不足解消に始めた筋トレを続ける中で、胸筋とウエスト周りの周長差、肩から腕へかけての筋肉のバランスの理想はずっと変わらず「ラストシンデレラ」の三浦春馬さんだった。(そもそものキッカケ自体は西川貴教さんなので全てが三浦さんのお陰ではないけど)

勿論、同じになれるなんてことは思った事もないけれど、苦しい時や少し成長が見られた時に劇中の半裸の三浦さんを思い出し、微かにでもあんな風になれたらいいなぁと思っていたからこそ、わざわざしんどい筋トレを続けられたんだと思う。

あまり長く物事を続けて来れなかった僕に継続する自信をくれた筋トレの、その理想像として君臨してくれた事への感謝が大き過ぎて、今、物凄く悲しいし寂しい。

勿論、自分が大したファンでないことも自覚しているし、自分より悲しんでいる人たちが本当に沢山いるということも理解している。この文章がもしファンの方を傷付けてしまうことがあったらどうしようとも思うけれど、それでも僕だって僕なりに悲しくて寂しい。申し訳はないけれど、僕だけは僕の気持ちを肯定したい。

ラストシンデレラ以降も三浦さんは当たり前にいてくれたので、たまに観てる作品に出演されててラッキーという毎日を過ごしていた。

日本全国を回って、その土地の素晴らしい物を取り上げる書籍が刊行された際、面白そうだなぁとポスターを眺めながらも今度にしようと買わなかった。

自分で、より好きになれるチャンスを見逃してしまった事が悔やまれる。

本人に届く訳じゃないけれど、もっと好きって公言しまくってくれば良かった。こういう影響受けたんですよって言いふらせば良かった。

だからって何も変わらないけれど、強くそう思ったのでこれを書いた。それだけである。

今更だけども。

 

雨宮まみさんの時も感じたけれど、結果的に僕を救ってくれた表現者が世の中からいなくなってしまった時、余りに寂しくて、自分が何者でもないという自覚はあるのに何もお返し出来なかったという気持ちで落ち込んでしまう。(雨宮さんに限っては印税などでマジのマジで微かにお返し出来てはいたけれど)

 

人の人生なんてものは当人にしか決められない、本人以外の誰にも喜びも辛さも正しく測ることは出来ないから、自ら死を選ぶということに異議を唱える事と同じ様に、それしかないとなってしまった事を、何ていうか否定しないでくれないかという気持ちになる。(反対意見も解るんだけども)

 

今日は大好きな阪神タイガースの試合を生で観戦していて、阪神の伊藤投手の今シーズンのSEがこれまた大好きなELLEGARDENの「風の日」で、マスクの下で小さめに歌って(声を張り上げての応援はコロナ対策で自粛することになっている)楽しくて、阪神も勝ったけどやっぱりふとした瞬間に三浦さんいなくなっちゃったんだなと思って寂しくなった。

ただ、三浦さんへの憧れでついた筋肉(当社比で2.5回りくらい大きく成長した)を大事にしていこうと思う。

三浦春馬さん、あの頃の僕を助けてくれてありがとうございました。

やれるとこまでやってみます。

 

またー。

普通の日記。

たまには普通の日記を書いてみようかなーと思ったので最近のことを。

白状すると、予約して届くのを楽しみにしていた左右社の「仕事本」が発売になり、パラパラ読み始めた影響である。

緊急事態宣言の中、宣言が全国に拡大された辺りまでではあるものの、色んな仕事をしている人たちが思いを日記形式で書いてくれていて、それを読んで「最近のこと書いておこう」と思ったからである。

影響受け過ぎ。

全て読めていないけれど、この本は専門的な知識や情報を与えてくれるものではなく、ただ「皆それぞれにそれぞれの大変があって、自分とそんなに変わらない」ということを教えてくれる本である。

取るに足らないと感じる人もいるだろうけど、その取るに足らなさこそが根っこにないとどんな知識や思想を上に重ねても何にもならないんじゃないかなーと思うので、自力で気付けない大半の人(自分も含めて)にはとても大切な本だと思う。

 

以下、最近のこと。

 

コロナ云々は相変わらずで、在宅勤務は取りやめになったけれど時差出勤は各自の判断で行って良いとの事で、1時間前倒し、毎朝7時半に始業する為に6時半に家を出る為に5時半に起床している。為に、為に、為に。

やってみると案外起きれるものの、夜が早いので1日が長いという感じはしない。

常時の定時が5時半の為、1時間前倒されて4時半に定時となる。毎日圧倒的に定時退社。(常時でも定時退社する事に全力だったけど。それにしても時という字が多い文章だな)

大半の会社員の人よりも早く退社出来るので電車は空いているし、買い物も楽。

 

4時半となると、まだまだ日が落ちていないので暑いけれど、どうせ帰るだけなので汗をかいても気にしない。朝も1時間早いだけで涼しいし、電車も空いているので快適ですらある。毎朝、小学生の頃の夏休みのしおりに「宿題は涼しい午前中にしましょう」と書いてあったことを思い出す。

5年生の時、たまたまそのしおりを準備する先生を手伝った時に「いつやっても同じじゃないですか?」と聞いたら「小学生はそうかもね、先生も思ってたよ」と注意するでもなく返してくれた。

先生の言っていた事が今になって解る気がする。先生って凄いな。先生、生きてる?(お元気ですか?って言え)

先生に教えて貰ったことの中で一番よく覚えているのが「ダチョウに蹴られると死ぬ」で申し訳ないけどお陰様でちゃんと自力で生活出来る大人になれました。

ちゃんと社会人になれた事、それも自分で言うのも何だけど割と優秀である事、自分に関わってくれた大人たちの影響が大きいと最近やけに思う。

親はまぁ、いい人たちだなぁと元から思ってたけど、小学4年から6年までの担任の先生だったり、中学生から高校生にかけてお世話になった塾の先生だったり、前職の社長だったりへの感謝が何となく、薄ぼんやりとだけれど枯れずに湧き続いている。

 

コロナの影響で、想像力の乏しさを実感したからこんな事を思うのかも知れない。

自分の興味や知識が及ばない世界に対して、人が余りに優しさに欠け、それに気付けない生き物であるかというのを思い知った。

人に対する影響なんて無いけれど、せめて自分だけでも気をつけていかねばと思った時に、こう思える性格というか人格はどこから来たんだろうとなったのがキッカケかも知れない。

RIZEの「Why I'm Me」が脳内で再生された。まさかの感謝ソングの選曲。そもそも感謝系ソングが得意で無いのでレパートリーが少ないんだと思う。

世の中の冷たさと厚かましさは度し難い程に愚かで「あ、もうこの国滅ぶわ」と思ってしまうこともあるけれど、自分が誰かにとってそうである可能性は捨ててはいけないし忘れてはいけない。真の優しさから軸がズレている捉え方であるという自覚はあるけれど、「真の優しさ」なんてものは残念ながら解らないので理解でなくまず配慮を続けるしかないんだよなぁと思うなどしている。

何の話なんだろ。

でも、そういうのもあって最初に挙げた本の宣伝を見かけた時、反射的に予約したので、まあそういう話なんだと思う。

 

自粛生活で休みの日をトレーニングウェアとTシャツでばかり過ごす様になってしまい、流石に宜しくない、出掛けることは例年に比べて少なかろうが、外出に耐えられる服を手に入れようと給料日に百貨店を彷徨いてポロシャツを買った。

何店舗も回って目星をつけて購入したのは随分久々なので達成感があって満足した。

店員さんのお陰で悩んでいた2色から1色を選ぶことが出来た。

ネット通販は安いし気楽どけれど、サイズ感も色味も賭けな部分もあり、その勝負勘というか審美眼を養ってこなかった自分は苦手でも店へ行くべきなのだなぁと自分への説教を込めて言い聞かせた。

まぁすぐ嫌だ、苦手だ、なるべく避けたいとか言い出すけども。

 

天元突破グレンラガン」を一気に観て、そのテンションの高さと集団の描き方の浅さ(主人公クラスの視点しか掘り下げがない)のリアルさに驚いた。準レギュラーの人生を全く深掘りしないので、現実と同じく「実はあまり知らないけど一緒に集団を形成してるし信頼してる」という感じになっていて、2クールも使ってそれを貫いたのは凄いなと思った。

終わり方がまたハッピーエンドなのかどうなんだと、妙に生々しいので正直言うと戸惑った。

その後、「ふしぎの海のナディア」を観始めたものの、あまりのトラウマ展開の連続及びナディアの性格のキツさに打ちのめされて中々進まないでいる。

とりあえず30話近くまで来て、未だにナディアを微塵も好きになれない。

だったら途中でやめればいいんだけど、気になって観てしまう。面白いって凄い色んなものを超えてくるんだな、と実感している。

ここからどうなっていくんだろう…そして僕はナディアを理解出来るんだろうか。

 

またー。

アメリゴ・ヴェスプッチの歌。

友人と食事に行き、「絶望というほどの深刻さじゃないけど悲観的に捉えてしまうことに対して充てられる、絶望と同じくらいキャッチーな言葉はないのか」を真剣に考えて「無理」じゃないかという案が出たんだけど、無理はあまりに守備範囲が広くてピンポイントさに欠ける、例えば「ヤバイ」がマイナスだけでなくプラスの意を持ってしまった様に、みたいなことを一頻り話した訳ですよ。

ちょっと難しい議題を語り合うの、カッコイイよね。2人ともインタビュー記事の写真によくある「ろくろを回すポーズ」滅茶苦茶してたからね。NewsPicksかと思うよね。(まあ僕は微塵も思わないけど)

実際のところは合間に料理を食べてなかよしビクトリーズの岡田さんの真似して「ベリーウマーバ」連呼してたからそんな議論を交わすに値しない人間であることは確かなんだけど、ベリーウマーバ、うまんつええ味、坂東英二ゆでたまごでした。ゆでたまご先生、使い終わったハサミ出しっぱなしにするのやめてください。ちゃんと直してください。ごちそうさまでした。とかやってると平和だなぁと思う。「岡田を追え!!」を観てない人たちには何のこっちゃ解らんと思うが、何のこっちゃ解る必要があるのかと言われるとマジどっちでもいいんで岡田(敬称略)を追ってみたい人はYouTubeで検索してみたらいいと思う。追いつけるかどうかは貴方次第である。

 

で、その食事中に友人が突然「お前が考えた『アメリゴ・ヴェスプッチの歌』、飲み会でウケたらしいで」と言ってきて、え?アメリゴ・ヴェスプッチ?中学生以来で聞いたし発声しましたけど?歌?アメリゴ・ヴェスプッチの歌?どういう事?となって尋ねたら、マジで覚えてないのかとドン引きしながらコトの端末を教えてくれた。

それは、この友人をAとして、Aと2人でしこたま飲んだ挙句にカラオケに行った際、大学時代の別の友人Bと何故か通話した時の出来事らしかった。

その通話相手のBは営業職で転職したばかり、前職は穏やかな社風だったものの、現職は体育会系バリバリで飲み会になると一発芸を強要されるという荒廃した世界との事で困っている、何か良い一発芸は無いかという相談を我々に持ちかけてきた。

今思うと、そもそも相談内容が「一発芸を回避する方法」でない時点で「一発芸をやる」という決意は出来ている様な気がするので営業として申し分ない度胸の持ち主な気がするので、営業なんかしたら発狂してしまうと思っている節のある自分が授けられるアドバイスも無いんだけれど、突然ビデオ通話に切り替える様に指示を出したらしい。

そして、DA PUMPの「USA」のサビの振り付け(通称イイネ!ダンス)をしながら真顔で「アメリゴ・ヴェスプッチ〜アメリゴ・ヴェスプッチ〜」と連呼するというシュール過ぎる一発芸を授けた、との事だった。

全く覚えていない。

当時、あまりに酔っ払っており、朧げにカラオケで通話したという記憶はあるんだけど、まず一発芸が出来るメンタルが自分に備わっていないという自覚が超弩級にあるので全然信じられないんだけれど、確かにやったらしい。

そんな僕が、扱いに困るネタをも上手くコーディネートする「あらびき団」ですら即不採用となりそうな一発芸を瞬時に考案して披露するなんてあり得ない、と思うが、Aの証言を信じるならば滅茶苦茶あり得たらしい。お酒怖過ぎ。お酒の力、強過ぎ。

そしてBはまさかのアメリゴ・ヴェスプッチの歌を一発採用。

採用理由は「USAとアメリゴ・ヴェスプッチには確かに関係性があるのでウケると思った」というもので、そのピントの果てしないズレっぷりからBは敏腕営業なのではなく、良くも悪くも鈍感で響かない故に営業が務まるタイプなのではと心配になってしまう。

そのヤバめな感性をお持ちのBの報告を間に受けて良いのか判断が難しいものの、著作「アメリゴ・ヴェスプッチの歌」はBの職場の飲み会でそこそこのウケを記録したらしい。

それはただ職場に恵まれただけなんじゃないか、お前の転職はきっと成功だよ、頑張れよという気持ちになると共に、全く覚えていない自分の言動が恥ずかし過ぎて消えてしまいたい気持ちになったし、今すぐ酒に溺れたいと思うものの、溺れたらまた何をしでかすか解ったもんじゃないという恐怖との板挟みでオシャレランチを目の前に変な汗を流し、声を上げて泣きたい気持ちになった。

くれぐれもお酒は程々にした方が良い。

せめて、この失敗が誰かの役に立つ日が来れば良いなと思う。

 

冒頭の話に当てがうと、これは「無理」をあっさり通り越して「絶望」の域である。

セルフサービスで「お前に絶望を教えてやる」をかましてドン底にいる訳だが、時間を掛けてでも立ち上がり、這い上がっていけたらと思っている。

 

またー。

 

追伸:アメリゴ・ベスプッチと記載していましたが、ネットで検索をかけると「アメリゴ・ヴェスプッチ」となっていたので自戒もこめて一つ一つ手打ちで訂正しました。