性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

例え僕らが「成功したオタク」になれなくても

「成功したオタク」という映画をネタバレ無しに紹介すると『韓国ではスターやファンに認知されている熱狂的なファンを「成功したオタク」と呼んでおり、主人公である監督こそがあるスターにおける「成功したオタク」だったが、心の底から愛し、憧れ、励まされたその対象が性犯罪で逮捕され、全てを失い「失敗したオタク」になってしまった怒りや悲しみを癒す為、同じように「推した有名人を性犯罪で失った経験をしたオタク」たちに当時はどう思ったか、今はどう捉えているかを聞いていくというドキュメンタリーです』と一息で早口で説明したい、そんな気持ちになる作品だった。

https://youtu.be/kb9ouWyWxdY?si=E4EvnN_0K4Z_YtBc

↑予告編。


僕はYouTubeにこの映画の予告をお勧めされて、タイトルの語感が癖に刺さる気持ち良さ(最近では「スケベなだけで金がない」というフレーズが好きです)に惹かれて再生した時に「これは僕のための映画なので観なければいけない」と思った、というのがキッカケだった。

YouTubeで映画の予告を延々観続けていて良かった、アルゴリズムは使い方によっては友達になり得る、そんな可能性を感じてしまう出会いだった。

好きなバンドのメンバーが性的・金銭的な不祥事で脱退したり、好きで観ていた劇団で酷過ぎる出来事が起こったり、好きなアーティストの身内への対応が個人的に受け入れ難いものだったと発覚したり、自分がハマったエンタメで大小様々な問題がここ数年続いており、塵も積ればで慢性的に肩こりというか、身体が重いというか、何か憑いてます?で霊視したら小ちゃい霊が集団でのしかかってるのが視えますみたいな状態で、でもそんなの人に話すと「勝手に推してるだけじゃん」で終わってしまいそうで話せなかった。

そんな背景が自分にあるので、推しが犯罪者になってしまった人たちがどんな思いで、何を話してくれるのか、自分の向き合い方の参考になるかも知れないと思って、初日の初回に観に行った。

映画館は大体繁華街にあるので、もしキツい言動で満ちた作品で消耗してしまったら、繁華街の明るい人混みに耐えられないぞ、と思って街が活気付く前に帰れる回を狙ったら早起きになってしまった。

結論としては、身構える様な攻撃性は一切なくて、完全な癒しとして作用してくれる優しいドキュメンタリー作品だった。

だから似た経験をした元、現役問わず誰かのファンでモヤモヤしている人には是非観て欲しいと思った。同じ対象を好きな同士って意外とネガティブな話がしにくいと思うので、余計にそう思う。その為の2000円と90分が高いかどうかは各自の感覚によるだろうけども。

以下、ネタバレを含んでの雑感になるので観られる予定のある方はご注意ください。


オ・セヨン監督は、僕の記憶の中にすらもボンヤリと残るクラブ「バーニング・サン」での一連の事件に関与していたチョン・ジュニョン氏を熱狂的に推しており、本人にも認知され、テレビ出演で愛を語る、ファンの代表格に上り詰めていた。

彼からかけられた「一生歌い続けるから君も勉強を頑張れ、良い大学に入れ、親孝行しろよ」という言葉を励みに努力を重ねてそれを成し得てきたのに、肝心の推しは性犯罪で逮捕されてしまうという苦いを通り越して痛過ぎる経験との向き合い方を模索していく中で自分以外の人たちもまた悩んでファンを辞めたり、続けたりしている事を知り、彼女たちと話をする事を通して考えを整理していく姿にずっと自分を重ねながら観ていた。

「全てを許せない」と言う人もいる一方、「当時は好きだったけど事件後は好きじゃなくなった」と言う人もいる。

監督も踏ん切りを付けるつもりで愛蔵(愛憎)グッズを断捨離しようとしながらも物に付随する思い出が今の自分を構成していることに思い至り処分出来ない物もあると思い直す姿だったり、それぞれの感性でユニークな表現に評価しながら「しょうもない奴」とかつての推しを評する人たちが浮かべる「時間が薬になりました」的な穏やかな表情だったりを眺めていると、一緒にその場にいて「わかる、あの頃は大切だったよね」とか「僕の場合は…」と話したくなった。


個人的に日本と韓国の推し方には文化的に違う点がある気がしていて、それを明確に言及されている場面はなかったものの推測として書いておきたい。

韓国のお受験事情は大学卒業後の就職をゴールに逆算し、学校で1位、地区で1位で名門高校に入ったのに300人中で下から数えた方が早いし実家が太い人ほど有利みたいな、日本以上に超熾烈な環境で、その貴重な時間を割いてキラキラしたスターを応援する事で自分の頑張りを肯定してもらうという願望が日本よりも強いのではないかと思った。

何者でもない自分が何者かになるまでの支えを何者かに託す、というか。

そうやって大きな愛を背負って貰う代わりに音源やグッズを買い支えるという構造故に、推しが罪を犯した場合に「私たちがこんなに献身的に支えてきたのに何をやっているんだ」となるのかなと思う。

何より劇中で皆が語っていた事だけど、自分にとって魅力的で、夢をくれた男が自分が稼がせたお金で自分と同じ女性に酷い行いをして逮捕された時に感じる「性別的には被害者だけど彼を調子に乗らせて加害に加担させてしまったという意味では自分は被害者」という両方で傷ついてしまう意識は相当に辛いだろうと感じた。

これは韓国の女性が宗教的な縛りに対するフェミニズム的な問題意識も影響している様に思えて、日本よりもずっと活発な環境だと外からは見えていたけれどそれでもまだまだ半ばなのだろうと考えさせられてしまった。


推しが懲役を言い渡されて尚、熱烈に支持する人たちとして監督が話を聞いたのはパク・クネ元大統領(汚職で懲役刑)の支持者団体で、当時の自分たちの正当性だったり、自分たちの受けた恩恵とそれを失った今のギャップを埋める為に「彼女は正しい」「彼女を今でも支持している」という主張する彼らを見ると、何だか他人事だと思えない。

このドキュメントの枠組みの中で改めて見せられる事で、日本にも身近にあるこういった構図が自分の理想を託したはずなのに…の一つの終着点なのだなと思い知らされる。

皆、結構「成功したオタク」を願いつつ「失敗したオタク」になってしまっている。この点の失敗というのはあくまで「社会的にレッテルを貼られてしまう」という事であるので信条を否定するものではないし、映画としてもそういう否定は一切行っていないのが良かった。

監督もまた、団体の人たちの気持ちが理解できるし、映画を観ている人も興味を抱いた時点で全員理解を示せてしまうというか。


また監督は事件発覚当時、推しの記事を書いた記者へ批難を述べていたものの、時間を経て謝罪したいという気持ちを記者本人へ伝える場面も良かった。

物凄く理解のある、人を貶める為ではなく、正しくあって欲しいと願う凛とした記者さんの言葉選びと、成長してその気持ちをしっかり汲める様になった監督の対話は本当に良かった。子供を見守る愛情深い正しい大人と、反発していたけれど意味に気付いてそうなろうと成長していった子供の様な関係性で、メディアの役割というものを体現した存在で物凄く感動してしまった。


どんなにショックな出来事でも最後は「間違ったことは罪を償って、幸せに暮らして欲しい」と願ってしまうファンの心理は別に間違ってないんだよ、とこの映画はずっと説いてくれている。

勿論ずっと許さない人がいるのも仕方ないけれど、執拗なネットの書き込みの様に私刑を続ける事に意味があるのかなとも思う。取り戻せないものは確かにあるけれど、やり直せない社会は怖い。

僕は誰かのオタクであった時間と今は繋がっていて、そこで得られたもの、培われたものでここまで生きてこられたとも思っている。

大袈裟かも知れないけど好奇心や承認欲求が自分を自分として今まで延命させてくれたと思っているし、ただの消費活動で一見何も残っていなさそうだとしても物事の見え方に必ず影響が残っていると信じているので、そういう自分にとってのスターやヒーローやアイドルがいてくれた事は例え裏切られたとしても財産だし、否定しなくて良いのだと思えたので本当に嬉しかった。

宇佐見りんさんの「推し、燃ゆ」の共感の先は自分で進むしかないんだなという、そんな感じ。


その他、韓国の人たちが普通にツンデレという言葉を使っていたり、チケットを取るためにネカフェの高速回線で争奪戦に挑んでいる姿、何かを考えながら雑な食事(カップ麺)を摂る姿など、親近感の塊みたいな場面が沢山登場して笑ってしまった。

個人的には「素面では語れない」とミキサーでヨーグルトマッコリを作ろうとして操作を誤って全部ぶちまけ、掃除もさせられた上に素面で語る羽目になっていたソ・ジェウォンさんが神掛り的な面白さだった。それこそ神様に「汝、素面で語りなさい」と言われている様で、その後ちゃぶ台で麺を啜りながら気怠げに語らっている姿は何となく宗教画みたいでジワジワ来てしまった。

彼女は自身の推しを断たれた失意を「推し活にお金を使うなら、そのお金でチキンを一羽分買う(CD1枚と同程度の金額の為)」と言っていて、それも欲を上手く別の欲に置き換え出来ているのが面白過ぎて吹き出してしまったし、そんな彼女が最終的に推し活に復帰した際にチキン十羽分のチケット代のミュージカルに熱を注いでいるのを観て流石に笑い声が出てしまった。天才だと思ったし、こうありたいと思った。


間違っていることは間違っていると思っていいし、黙らないでいたいと思うけど、それに必要なエネルギーを好きなものから得られる大人でありたいと改めて考えさせられる映画だった。


またー。

2024.03.17〜03.23の日記

03.17(日)

朝スーパー、鶏ハムの仕込み。

午後から天気が悪いせいか朝からレジが混んでいた。

雨に濡れてまで買い物したくないのは皆同じなんだな。

Amazonプライムビデオで「アニアーラ」を観る。

火星を目指した宇宙船が故障により宇宙を漂流する暗めなSFで救いがなかった。

神話的な時間の尺度で人間のちっぽけさを感じる。

じわじわ終わりに向かうと言う意味でリアルな作品だった。

映画館で観た作品や創作のネタ出しに使っていたノートが1冊終わった。

せっかく使い切ったので読み返してみようと思う。

 


03.18(月)

自分で何もしないのに人に全て聞いてくる人が腹立たしい。

仕事用のセットアップを買いに行こうと思っていたけど気力がなくて諦めた。

人の疾患の症状や体調をベラベラと大声で喋る人が親身であろうとしながらなんだけど普通にハラスメントなのでキツいなと思った。

自分が心配されているとしても言いふらされていたら余計に参ってしまいそうだと思う。

 


03.19(火)

若手社員で焼肉に行った。

日記書かず。

 


03.20(水)

仕事用のセットアップとスーツの間くらいのものを買った。

資産管理アプリを導入するも銀行口座がネットバンク化出来ていなくてあまりまとめられず。

せっかく導入したので早いところまとめたい。

 


03.21(木)

持っている口座のネットバンクを連携した。

企業型確定拠出年金が提携していなかったけど年金まで資産としてカウントしてしまうにはまだ若いかと放置することにした。

まとめてみると思ったより全然お金があるかも知れない。

メジャーの試合で大谷選手対スアレス投手を見て楽しかった。

 


03.22(金)

ソファに座って記念撮影していたら知らない女子高生にその模様を盗撮され、TikTokで晒されると言う悪夢を見て寝汗をかいて起きた。

寿司屋とラウンジ嬢のいざこざとか電車の変な客とかを晒しているポストとTikTokという触ったことのないアプリへの警戒感が合わさって見せた夢なのかも知れない。

Amazonプライムでオカルト番組を見ていたら低予算過ぎてテロップも画像も映像もほとんど入らず、ロフトプラスワンとかのイベントみたいな感じだった。

テレビ局で予算がついて作成される番組って凄いんだなと思った。

 


03.23(土)

雨で野球が中止になった。

奈良に本店があるという思想強めだけど美味しい店でトンカツを食べた。

誰かの世話ばかりしているので、そんな事をするために生きている訳でもないのになと思った。

こんな人生でなければ、どんな人生だったんだろう。

文字にすると重たく響くが、割とライトにそんな事を考えていた。

 

この日記から連想して短編を書きました。

漂流レジ(2024.03.17〜03.23)|大きな小皿
またー。

猿学OBによるハヌマーンカラオケ入ったよというコメント。

ずっと聴いてきたハヌマーンの楽曲がJOYSOUNDに入ったので配信開始当日にカラオケに行った。
道中、何故か今津線の倉庫街のイベントスペースでとんでもないメンツなのに超ガラガラだったイベントで観たハヌマーンのライブの記憶をなぞりながらカラオケに行った。ネットショップが選択肢の一番手になり、物流拠点が投資対象としても激アツな令和の今となっては、もうあの場所もないだろうと思うと倉庫という無骨な出立ちにも関わらず儚さを感じてしまう。つわものどもが夢の跡。知らんけど。
春休みの土曜日という、ハヌマーンを好きになりそうな人からするとかなり不向きな週の中で最も陽当たり良好なタイミングであったものの、やはり何年もどうせ検索してもヒットしないと解っていながらデンモクで検索した日々を過ごした人間の怨念(情熱とかではない)は凄まじく、朝の9時にはカラオケにいた。
春休み料金、春休み極まりない客層の真逆にいる、沈み切ったサラリーマンがそんなアウェーをものともせずに120分延々とハヌマーンを歌った。
山田氏が公表していた10曲にお楽しみの1曲を含めて11曲。フルアルバムに匹敵する曲数を突然与えられて過剰摂取で感覚が麻痺して全曲歌った後は延々とトラベル・プランナー→リボルバー→パチンコ(Fever Beliver Feedback)→猿学(猿の学生)を時間が終わるまでリピートしていた。
テニスの王子様のように誰かが柱になれとは言ってくれない非主人公(まだまだだね)なので「俺が猿学の柱になる!」とキーキー頑張って鳴いた。
帰りの電車でより近づける為にYouTube日本猿の鳴き声を検索したが、そもそもそんなキーキー分かりやすく鳴かないという収穫があるだけであった。人間が記号的に割り当てた鳴き声なんて狭義なコミュニケーションで成り立つ程度の社会性を野生動物が持っている訳がないか、という帰結。浅はかで申し訳ないと思った。自然は人智を超えて偉大。
それはそうと、そんな所まで歌詞付きなのか、というポイントがあったりカラオケとしてそこまで収録されているのかという部分があったりと発見が楽しかった。
カラオケPVで割り当てられる映像がダンスっぽいものだったり廃墟っぽいものだったりというのが割と生々しくて後ろ暗い生活感で満ちたハヌマーンの曲を彩るのは凄く風俗街っぽい感じがして、これはこれで良かった。程よい場末感を生じさせる、というか。
全曲歌うとなると「幸福のしっぽ」と「アパルトの中の恋人達」がそこそこの尺なので60分だとリピートする時間が短い為、全曲歌うつもりなら75分あると良い。
こんな始発以外の朝が似合わないバンドが未だに好きなのに自分は早起き上等、常套の仕事を何年も真面目にこなしてそこそこ勤め人としてやって来れている矛盾、その両者がカラオケなんて場所で何年振りかに顔を合わせるという意味不明な構図はさながら「幸福のしっぽ」で歌われる「近づいていたつもりが 高速ですれ違っていただけ」の再現みたいで笑ってしまう。

ハヌマーンというその名前に違わぬ、と言うとインド神話の方かバンドの方がどちらかに失礼なのかも知れないが、まあ違わぬ活動と終焉であったので、こう名は体を表しますなぁ、と思うと共に、その神話の様に復活したハヌマーンに喜んじゃった僕は僕で風を吹かせたいなんて事を思うなどする。

合ってるか解らないので後で読む。https://ja.wikipedia.org/wiki/%25E3%2583%258F%25E3%2583%258C%25E3%2583%259E%25E3%2583%25BC%25E3%2583%25B3

何かハヌマーンというバンドで猿の学生なんて曲を生み出してるの結構な荒くれっぷりで凄いな。
それはそうと、同じフロアに同じ様にハヌマーンを歌っている方がおり、トラベル・プランナーが聴こえてきた。

大阪はハヌマーンのお膝元なのだなと思い知らされ、楽しみにしていた人が他にもいたのかという喜びもあった。
今後も上手いこと時間を見つけて「カラオケ行こ!」に負けないくらいカラオケに行きたいものである。


またー。

2024.03.10〜03.16の日記

03.10(日)

朝家事、ドラッグストア、筋トレ。

昼から住んでいるマンションの管理組合。

夜は「関心領域」の先行上映へ行った。

公開する頃にはプロ野球のシーズンが開幕しており、あまり目立たない作品は気付いたら公開終了しているなんて事が多いので早めに観られて有難い。

何が起こっているのか音だけで想像がついてしまう、かなり不穏な作品だった。

映像として見せない事で各自の持ち合わせている知識で最大の怖さを想像させる、受け手を最大限利用する映画だったと思う。

 


03.11(月)

支店から研修を1人受け入れたので担当する。

会議、研修、客先対応と喋る通しで喉がカラカラの1日だった。

 


03.12(火)

日記書かず。

 


03.13(水)

飲み会に顔を出す。

人が思っているよりもよく喋るし、自分が思っている以上にウケを狙っていくスタイルであるということを感じる。

人に笑ってもらうと嬉しいけど、そういうのが自分の素なのかと言われると違う気もする。

 


03.14(木)

全く知らない店の営業スタイルが気になってピンサロと貴金属買取について調べた。

パチンコも雀荘も知らない。

世の中に知らない世界と仕事が沢山あり、それを必要とする人も沢山いる。

人から見たら自分もそういう面があるんだろうか。

阪神ファンというだけでも野球を知らない人からするとそうなんだと思う。

 


03.15(金)

研修疲れもあってソファで寝落ち。

ずっと無料公開されていた烈&豪を読んでいた。

夢のある世界観を維持する為に大人の狂気的な熱意が標準装備されていて、最初はキツ過ぎてドン引きしていたけれど、読み進めるに従って素敵なものだなと思うようになった。

 


03.16(土)

ハヌマーンの楽曲がカラオケに入るとのことで9時からカラオケ。

10曲くらい入っていて、120分延々と歌い続けた。

別の部屋から「トラベル・プランナー」を歌う女性の声が聴こえてきて、大阪がハヌマーンのお膝元であることを痛感させられる。

始発前を除いて朝が似合わないバンドだなぁと思いながら歌った。

Amazonプライムビデオで「見えざる手のある風景」を観た.

より大きい力を持つ存在に共生を促される事で表面上は穏やかでありながら支配され、見下され、生かしてやってるんだぞ感が露わになるかなり風刺的な作品だと思った。

公開された頃に予告を観てSFベースのラブコメだと思っていたので、それを期待した人からするとガックリくるかも知れないと思った。

服の通販サイトのポイントが4月で2000円分失効するので何か買おうか迷っている。

ポイントがなければ別に買い物しない様な気もして、踊らされている・・・と思う一方で欲しい色味の服がちょうどあったので無駄にはならないんだけど、という状態。

明日までに決めたいと思う。

 

この日記から連想して短編を書きました。

https://note.com/sideboard/n/n1e1820af8f10?sub_rt=share_pw


またー。

食べ合わせバタフライエフェクト

交差点で信号待ちをしていたら、その1、2分の間に居合わせたお婆さんが同行者に「なんくるないさー」のイントネーションで「インフルエンサー」と連呼していて、得体の知れない煌びやかなだけの存在が急に温暖な気候の自然豊かな土地で育った穏やかな人のような親近感を抱くに至り感心してしまった。イントネーションの魔法。インフルエンサーから普段遠い価値観で暮らされているだろう方から発せられているのもまた効果を抜群のものとした気もしている。
しかし、自分の中で反芻し、SNSに報告し、仲間内に話すに従って何と言うか嘘エピソードの様な都合の良さを感じてしまい、確かに聞いたはずなのに「本当に聞いたのか」という気持ちになってきてしまった。
俗に言う「嘘松」現象である。
何故か覇権を握ったおそ松さんの過激さに呼応する無遠慮なオタクたちが撒き散らした嘘みたいな、恐らく嘘であろうエピソードの数々を指す意味の「嘘松」はおそ松さんが終わった今でも「嘘エピソード」の総称として今も残り続けている。
そもそも現実世界よりSNS上での経験値が豊富な人間が、見てもいない誰かの発言を一方的にジャッジしていくレギュレーションが狂っているが、そういう歪みというものがある種のポップさを伴って、作品から分離したことで何処にでも顔を出せる存在になっていっている気がして、正に胡散臭いインフルエンサーの様な存在感がある。
お婆さんが和らげてくれたインフルエンサーの印象が徐々に基準点へ戻り、そこからマイナスにじわじわと領域を拡大するのを感じる。
嘘松は映画「ミスト」の霧の様に広がり続けている。侵されているのは心なのか身体なのか、何にしても映画の様に胸糞悪いエンディングを迎えないよう、細心の注意を払いたいもしくは気に留めずに生きていきたいとは思う。

 

それはそうとファミマにジャークチキン風味という、これまで自分が聞いたことのない料理を模したサラダチキンが売られており、試しに買うついでにどんな料理なのかを調べてみたらジャマイカの伝統的な料理だと知ることが出来た。
ジャマイカというと陸上の短距離走が滅茶苦茶強い国というイメージで、食べ物については何も気にした事が無かったなと、コーヒーを中心にジャマイカについて紹介してくれるUCCのサイトを興味深く読んでいた。
https://journal.ucc.co.jp/column/1165
ジャマイカの代表的な料理を紹介するページにアキー&ソルトフィッシュという料理が登場しており、これが中々にインパクトのある説明で面白かった。果物と魚と野菜を炒めた結果、スクランブルエッグのような味わいになる、との事である。
色んな材料で色々やった結果がスクランブルエッグかい、というのが第一印象である。
味覚やら栄養素やら何やらもあって定着している国民食になんたる無礼な物言いだろうと思うが、見慣れなさ過ぎて仕方がない向きもある。
日本人に味の蓄積、経験値がないからスクランブルエッグみたいな味と近いもので説明するのが最善という判断なのだろう。実際にイメージも湧くし、本当にそういう風味なのか食べてみたいという気持ちになる。
実際のところ日本人にはそう感じられるだけでジャマイカの人たちにとってはもっと立体的な風味なのだと思う。
各家庭の味噌汁の微妙な違いを認識できるのは、日本人が味噌汁を飲む機会が多いのでデータが蓄積されて区別がつけられるからという話を思い出した。
海外の料理を食べた時に、これを食べ慣れた人たちは自分が感じられない小さな差をより楽しんで美味しく感じているのかと悔しくなるし、そういう意味では多様な料理が当たり前に食べられる国に生まれて幸運だった気がするし、贅沢になっちゃってるんだろうなという気もした。
何にしてもジャマイカ料理がどれも美味しそうなのでいつか食べてみたいなと思った。


またー。

苦手な家事っぽいもの。

最も苦手な家事は何だろうと真剣に考え続けるというよく解らない時間を設けてしまった。
そんな事を考えたいほどに潰したい時間があったとは到底思えないけれど、現実逃避したいという願望とその罪悪感が「どうせ考えるなら自身の危機感を抱かせるものをね」という謎の配慮でそうなったのだと思う。
結果、選ばれた最も苦手な家事は「使い切ったオリーブオイルやごま油の空き瓶を処分する」という事だった。台所周りの家事をこなしていると頻繁に処分しなきゃなと過ぎるにも関わらず、どうしてかすっかり忘れてしまうせいでそれぞれ三本ずつ貯めてしまっている。
家事を多少きちんとこなす人からすると油の入っていた瓶というのは割と処分が面倒である事はご理解頂けると思うが、現在自分が住んでいるマンションは油の瓶ですらいつ出しても良いルールで運営されているハイパーイージーモードで、それなのに忘れ続けるというのはもう一番苦手な家事と言っても差し支えない。家事を生物のように分類した場合、家事[界]台所[門]ゴミ捨て[綱]割れもの[目]瓶[科]空き瓶[属]油の空き瓶[種]みたいな感じだろうか。何言ってんのか解らないけども。
ともかく、わざわざ時間を割いて考えた数ある家事の中でも最も苦手とする家事なので、もう前世から苦手なのだと思う。
何かのついでにと思っているとどうせ4本、5本と増えていくのでここまで書いた所で処分した。
毎回こういう文章を書けば捨てられるかも知れないという凡そ改善とは思えない泥沼の対策を思いついた。何でも全部得意な人などいないのだから、と自分を励ましながらやっていこうと思う。


それはそうとカニカマとかうに風味の豆腐とか、〇〇味の食べ物みたいなのが結構好きで、辿っていくとスナック菓子とか大体そうで、最上流にはチョコバナナ味の歯磨き粉になるんだけど今でもあるのかな。言うほどそのものの味を表現するつもりもないけど、そう名乗っても大丈夫な範疇で寄せて来ることで本家とは違う謎の良さが生じている故にあんまり味という意味でどれも悪口とか聞いた事ないなぁと思ったりする。
化けるのが下手なキツネやタヌキを愛でている的なフィクションを現実でやれる稀な分野なのかも知れない。ニア崎駿監督作品、令和たぬき合戦ぽんぽこ。
まあ確かにコーンポタージュっぽい味ではありますわ、頑張ったんだねぇ、みたいな寛容なノリというか。スナック菓子に至ってはもうその「ぽい味」を最初から求めて買っているのでネタ元よりも欲していたりするから不思議だ。ピザポテトとかも別にピザの味はしないし、ピザポテトが食べたいから買うみたいになってるし。
ぽいものの方を欲している、代替品が当たり前になっているのが最寄りのSFみたいな感じだなと思うなどしている。


またー。

2024.03.03〜03.09の日記

03.03(日)

朝スーパー、洗濯、鶏ハムの仕込み。

平日にも家事を毎日やるのに何故か土日しか報告記載していない謎。

家事も仕事なので休みにまでやってるんだぞという自意識かも知れない。

ドキュメント72時間の北海道の灯油の移動販売が知っているものと随分と違った。

30mものホースを体に巻き付けての超労働。住んでいる環境で色んな仕事があるのだなと改めて感じた。

サマソニの先行販売で33000円入金。安くはないけど楽しみ。

大森さんのライブのチケットも買った。

大森さんには沢山助けられているけど、今回は色々と思うところがあるので悩んだけど、それでも観たいと思ったので買った。

それが弱いと言われればそうですねと思うけど、世の中の言い分と僕と大森さんの相違は結構違う気がしているので弱いと言われても「こっちは結びつきが強いんだよ」と言うしかない。こういう話の時に外野が一番客観性があって偉いみたいな風潮はしんどいものだなと考えさせられる。

僕は大森さんが自身の表現に関わる全員に株式会社大森靖子の看板を背負ってもらう中で、余りにも雇用主として個人の感情よりも自分の理想への再現度を求めすぎる所に違和感がある。どこからを任せるか、どのくらい待てるか、出てきた結果をどこまで信用してあげられるかを僕はずっと勝手に問うているんだと思う。勝手に、一方的なことで、これもまた大森さんを自分の枠組みで評価しようとする、やってる事変わらんがなという葛藤もあるけども。わんこ蕎麦のルールを誰も教えてくれなくて追い込まれて最後腕をぶん投げるしかない、となった時に勿論ちゃんと伝えろよとも思う一方で、投げなくても済む道を店が用意出来なかったんですか、みたいな。何を書いてもうまく言えないけども。

ずっと書けていなかった年賀状の返信を書く。来年こそは早く出すぞと毎年思っている。

 


03.04(月)

誕生日だった。

若い方が良いとは思わないけれど歳を取るのはやめたい。

午前は仕事、午後は運転免許の更新講習。

朝から証明写真を撮影した。1枚しかいらないのに大量に余る、わざわざ見たくもない自分の顔の集合に気が滅入る。

通勤定期も買った。

普段通りの頑張りをみせたけど、転んでしまったし、飲み物をこぼしてしまった。

お米が切れかけていたので買いに行きたかったけど、これ以上小さな不幸が重なるとやる気が月曜日から枯れてしまうと思ってやめた。

1年のスタートとして幸先が悪過ぎる。

 


03.05(火)

歯医者に行く。

スムーズに治療してくれて完了。お世話になった。

治療費がトータル1万円近くかかっているのでもっと手前で何とか出来ればと思い、定期検診を予約しておく。

相変わらず薄い不幸に見舞われていたので、ドラッグストアでお米を買った時に店員さんが「袋が破れやすいので気を付けてください」と声をかけて下さっただけでグラリときてしまった。我ながらヤバいと思う。

その店の繁盛を願った。

 


03.06(水)

野球の代表戦を観て寝た。日記書かず。

 


03.07(木)

選抜高校野球のチケットを買う。2日のみ。

年度末のせいか、会社の数字がどうやったら今よりも上がったんだろうと考えている。

貢献意欲というよりは、自分の給料やボーナスが下がったら困るという動機である。

ハヌマーンの曲が16日からカラオケに入るというのが数少ない目先の楽しみ。

客先へ行った際に足をぐねってしまった。

転んで右のひざにアザを作り、今度は左足首をぐねった。両足に負傷を抱える。

ひねることをぐねると言うのが方言なのか、それとも自分だけが使っている言葉なのか考えていたけど聞くのも億劫で誰にも尋ねないで過ごした。

 


03.08(金)

日記書かず。

 


03.09(土)

朝スーパー、鶏ハム仕込み。

買い物に行く中でカワセミを見かけた。とても綺麗だった。

住宅地なのに自然も割とあるので年に1回か2回は見かけるのでラッキーカワセミと呼んでいる。

消防署のガレージに消防車や救急車がびっしりと勢揃いしており、出動なく備えていられるということの平和さにホッコリすると共にその格好良さに痺れる。

鳥山明先生が亡くなられたことで、自分の世界にどれだけ先生が多くの彩りを与えてくれていたのかを思い知る。

親に観るのを禁止されたなぁ、とか作品以外の記憶も含めて思い出しながら過ごした。

R-1を観た。皆面白かったけど、その後にバカリズムさんのネタを観たら遥か上からでっかい拳でペシャンコにされるくらい面白かった。R-1だって滅茶苦茶面白かったし凄かったけど、また別の凄さがあるなと思った。

あんたんたるおもい、で泣くほど笑ってしまった。かりんとうの車に乗りたい。

 


この日記から連想して短編を書きました。

アマノコウスケの日記②(2024.03.03〜03.09)|大きな小皿


またー。