性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

毎日は比較的手作りだよね日記。

お弁当のおかずを5〜6品、日曜日の夕方にパパッと作り置いて平日の月〜木曜日のお昼ご飯として持参している。

やれ食中毒だなんだと言われがちだけど、傷みにくい材料と調理法で尚且つ保冷剤はガンガンに必須というスタイルなのでどうか心配無さらぬ様。それで腹壊しても僕のお腹が痛いだけである。指差して笑ってくれたらいい。

このお弁当持参の習慣は一人暮らしの頃に始めたもので、単純に節約の為、供述風に言えば「遊ぶ金欲しさ」というやつで、随分とまあ長いこと続いている。

ただ、目的が遊ぶ金である上に自分の料理に対する向上心や愛着が一切無く、時短しか頭にないので30分か40分で調理器具の片付けまで終わる様に頭で順序立ててバーっと作って終わりという有様。料理名がついているメニューはほぼ無い。炒めたやつ、揚げたやつ、漬けたやつに唯一名前がある卵焼きが入ってくるフォーメーションである。ニュアンス的には海外でプレーしている選手は1人だけという感じだろうか。ナカータ!ナカータ!ホワイトバンド、お茶漬け、日本酒!ウィー!(未だにYOUTUBEのプレー集とか観てると本当スゲーなと思うけどね)

どれもこれも味は全く悪くないけれど、別に繰り返し食べたい気にもならない為、大体水曜には外食したくなり、木曜までそれを騙し騙しやり過ごし、金曜に好きなものを食べるという生活を送っている。生活が困窮している訳でも、そこまで散財が酷い訳でも無いのに食生活に謎の締め付けを強いて何がしたいのか、実のところよく分かっていないのだけれど自分が些細なことではあるけれど何かを成しているという自信が欲しいのではないかと分析している。自分のことだけど当たっている気はあまりしない。

だったらトーイックの勉強でもしろという話だけど、それはそれ、これはこれである。ていうかトイックだと思ってた。それくらい縁のない世界で生きている。英語よりもガラガラでカサカサな中高年の発声を上手く聞き取っていくスキルが求められている。シビアな業界である。

しかし、英語のソレであるTOEICをカタカナで書くと素晴らしく馬鹿っぽくて可愛い。トーイック!トーイック!POLYSICSみたいで良いな。トーイック!

そう言えば先日の大森靖子さんのライブでピエール中野氏が「トイス!」ってPOLYSICSめいたらフロアが完全に無反応でピエールさん以上に僕が「マジかよ…」ってなった。笑ってるの周囲で僕だけだった。皆、笑顔をどこに忘れてきたのってなった。さっきまで一緒にめっちゃ笑ってたじゃん、急に全員真顔とかオカルトスレみたいでこわいからやめて。読み過ぎて引き寄せちゃったのか、パラレルワールドに迷い込んだのか、果たして元の世界に帰れるんだろうか、くらいの世代差を感じた。

ジャンル差と世代差の合わせ技が炸裂してしまったのかも知れない。あの瞬間、この世に人間は僕とピエール中野氏だけになってしまった気がした。地球最後のふたり/ピエール中野feat.俺。自然とラップをし始め、最終的にラップパートのみで構成されそうな気がしている。ちなみにラップ経験は無いが、何故か一時期コナンvs服部平次という設定のラップバトルをTwitter上で繰り広げていた。検索したら出てくるかも知れない。探さないでください。

何だか大森さんとDAOKOさんに申し訳ない。

そう言えば「地球で最後のふたり」という映画があった気がするんだけど観たことないなーと今ふと思った。モチーフになってたりするんだろうか。知らんけどタイトルから想像するに物静かな映画である気がする。これで戦闘機でUFOに突っ込んで世界救う的なヤツだったらお恥ずかしい限り。覚えているうちに観ておきたいところ。

話が逸れているけれど、お弁当である。

お弁当を持参するメリットがもう1つあったので書いておきたい。それは運動不足の解消である。お弁当の輸送方法が僕の場合、ランチトートに保冷剤と450mlの水筒と一緒に突っ込んで手持ちで運ぶというもので、これが絶妙に重たいのである。通勤時間は歩きと電車で1時間程度。家でダンベルを1時間持ち上げるのはしんどいけれど、弁当なら手放すと勿体無いので持っているしかない。これを腕に掛けたりせず手持ちでいると程よい負荷が掛かり、運動になるのである。これを始めてからというもの、腕に筋肉がついた気がする。

主人公の親が総入れ替えになる奇跡の野球漫画、メジャーの主人公 吾郎が名門校の生徒は荷物を肩から掛けたりせずに手で持って鍛えるのだと説かれているのを読んだ記憶がある。自身を持ってその説得力を得た気がしている。どうでもいいけど、あの家庭環境で吾郎ちゃんがあれくらいのふてぶてしさで済んだのは奇跡だと思う。良い子だよね、吾郎ちゃん。

そんな訳で、お弁当持参派の方は運動不足を嘆く前に一度これを試してみては如何だろうか。臆病者なので(※効果には個人差があります)と但し書きしておきたいところ。

 

本当は簡単お弁当レシピみたいなの書きたかったんだけどなー。

 

またー。

蓮の化身とおしゃべりな筋肉の対談。

蓮の早朝開花を鑑賞しに出掛ける。

朝のランニングをしているおばさんには本来一徹夜明けしか出せない根拠のないハツラツとした甲高い元気を平然と生成する人種が含まれており驚異である。健康という魔物に取り憑かれし物の怪の類か。

蓮の早朝開花などと言うと雅であるが、脳内に過ぎるのは蓮の化身、封神演義の哪吒、それも藤崎竜ver.である。おい、今頭に仙界伝ってつけた奴黙れよ。そっちは米倉千尋の主題歌以外認めないからな。

 

西川貴教の「おしゃべりな筋肉〜心のワークアウト7メソッド〜」を購入する。

筋肉トレーニング本ではありません、と注意書きがあるものの、各章の表紙が常に全裸でムキムキな為、何を説かれても結局最後は筋肉がメンタルを改善してくれるのではという気持ちになってしまう。素敵な事が書いてあっても次の章の表紙の筋肉がその余韻を全て洗い流す。焼肉における黒烏龍茶。もしくは本編が黒烏龍茶で表紙が壺漬けカルビ。むしろカロリー的にはこちらの説が有力か。

構成がツッコミ待ちを極め過ぎており、所持しているだけで乳酸が溜まりそうな本と化している。

まったく何て本を出すんだ、ううう美しい。筋肉がの凹凸が作り出す影になりたい。

筋トレの本ではないと断っているが、何となく読んでいると体を動かしてしまう自分がいる。夏本番には間に合わないし海やプールに行く予定はないけれど、涼しくなってぶらっと温泉に行くこともあるかも知れないのでそこをデビューに見据えて少し身体を絞りたいところ。

そんな気分になるのでメンタルというよりはやっぱり筋トレ本なのではなかろうか。

西川貴教と言えば、以前後輩が「西川貴教とライブのあと食事に行く夢をみた」と報告してくれた事があり、普通にそれに嫉妬するというなかなか文字にするとアレな感じになった経験があるのだけれど、未だに夢ですらそんな展開が無くて辛い。

マネージャーに命を受け、アサイーボウルを2人前買いに行くも戻ると次の現場に移動されており1人で2人前食べるとう夢を更新したい。夢でいいから逢いたい。ていうか夢ですら逢えないってなんなの。奥ゆかし過ぎだろ。どんだけ性格がいいんだ僕は。西川姓が未だに欲しい。マスオさんになる覚悟は出来てる。結婚してくれ。

今更だけど本の内容でとても嬉しかったのはオタクか否かの捉え方が自分と同じだったこととか、ネガティブに関する考え方が近かったこと。ただし読み物としての内容は松井くんの家でご馳走になったカルピスを彷彿とさせる薄さで、たまに飲みたくなるんだよなと思うなどした。イナズマロックに行きたい。

 

この連休は、現実逃避に普段聴かない音楽を流しながら洗濯を2回して、本を読んだりしてダラダラ過ごしている。サチモスポルカドットスティングレイジャスティンビーバーなどなど。音楽配信専門じゃないアマゾンなのでアップルに比べるとCDコーナーが充実している図書館の様な雰囲気もあるんだけど、そもそも今の日本の浸透具合だと聴き放題なんてものは「買うまででは無いけど聴けたらラッキー」くらいのものだと思うので、図書館くらいの認識で丁度良いのかも知れない。

 

連休に限らず、平日もそんな風に過ごすことが少しずつ増えている。楽しい事は多い方が嬉しいけど、疲れてしまう面倒な性格なので性に合ってるのだと思う。

鋼の錬金術師を1日で15話くらい観てしまったりもするけれど、まあそれはそれ。ホークアイとヒューズめっちゃ可愛いよね。最高かよー。

 

お弁当のオカズをパパッと作って続きを観たい。

 

またー。

2017.07.15 SuiseiNoboAzなどを観てきました。(@十三ファンダンゴ)

プライムビデオに追加されていたアニメ「鋼の錬金術師」を見始める。実写版公開へのプロモーションなのかな、とても有難い。

前評判が銀魂と比べて悪過ぎて応援したい気持ちで一杯。逆に銀魂はどんだけ受け入れられてるんだという。どちらも普通に観たい。

しかし、当方「コードギアス反逆のルルーシュ」にどハマリした挙句にルルーシュと結婚したいなどと供述していたので同じ展開になる可能性があり、暫くは泳がせておくというか経過観察すべきだと我ながら思っている。ちなみに未だにルルーシュは凄く好きだ。ゲス顔の賢いイケメン。古くはブラックジャック、そして夜神月、終点はルルーシュである。

それにしても何だかんだプライムビデオをかなり使い倒している自分がいる。正直意外である。

今期はメイドインアビスがかなり面白い。主人公の女の子がとことん腹立つのがたまらなく良い。

 

 漫画、「恋と嘘」を発売されている最新刊まで揃えるも気恥ずかしさが日毎に強まって段々億劫になっている。テーマのシリアスさに対して物語の展開が浅過ぎる気がするのだけれど、こんなもの言い訳である。気恥ずかしいからアレコレ理由をつけたいんだと思う。解っていますよ、もー。

したくはない言い方であるけれど年相応にダサくなっている。家族の団欒に投下される金曜ロードショーのラブシーンへの親が醸し出す空気みたいな。そういう所は是非どうにかぶっ飛ばしていきたいものですね。

 

音楽番組をボンヤリ眺めている中でディーン・フジオカの楽曲の湿度の低さに感心した。完全に洋楽だった。マルチなイケメンはダメージ加工されたジージャンを着ていた。ジージャンのお洒落な言い方が解らない。デニムのジャケット?日本語が長えよ。

普段なかなか聴かないアーティストの曲が沢山聴けて新鮮だった。AKB系のグループが総出演しており、その中では乃木坂が一番好きだと改めて思った。高山一実さんが相変わらず可愛かった。欅坂は世間の昼間から完全に浮いていた。二人セゾンしか知らないので本来の欅坂にとてもビックリした。

 

インドア決め込む一方、外は容赦なく夏の日差しで、ただ生活するだけで立派に競技として採用されそうなくらい人間としての強度を試されている気がした。歩いているだけで応援されたい気持ちになる。

暑さが和らいだ頃に隙を見てバタバタと外出して、ライブ。

 

2017.07.15 @十三ファンダンゴ

SuiseiNoboAzのセトリバレを含むので知りたくない方はご注意下さい。

 

ライブハウスらしいライブハウスは随分久し振りな気がする。(BIG CATはデカ過ぎてライブハウスって気がしない)

 

GEZAN

とてもロマンチックなバンドだった。

キラキラした少年性をぶん回す様が眩しくて目を細めてしまう。

 

KING BROTHERS

ロックンロールの無邪気さと美学と色気がある。

ライブを観る度に武骨ながらキャッチーな曲が多くて意外な気持ちになるんだけど、いつも門扉を開けっ放しにして飛び込んで来るのを待っててくれる感覚をくれるので楽しくなってしまう。

フロアに降り立ってからというもの、マーヤさんは客の上を三周もサーフしながら格好良さを惜しげもなく降らせてくれた。とんでもねえ。西宮の狂犬。

 

 SuiseiNoboAz

石原さんを目の前にすると松本大洋のピンポンのペコ覚醒時の気分になる。

反応・反射・音速・光速、もっと速く!もっと!!感情の制御装置みたいなものがブチ抜かれる。圧倒的ファズなのであります。

冒頭の「ultra」「PIKA」でここ数ヶ月出せなかった感情が剥き出しにされてしまって汗だくになって飛び跳ねていた。

僕が大好きなスーパーファミコンギタリスト高野メルドー氏は、ボアズにおいてはスーパーファミコンギタリストではなく完全に石原さんの良きパートナーであった。

コーノさんのベースもアリトさんのドラムも語彙力が溶けてしまうくらいズドンとしたものでヤバイヤバイとうわごとの様に呟きながら目が乾いて痛くなるくらいガン見していた。正直何がどうしてそんな鈍器みたいな音がするのか解らないけれど、解らないからこそ目が離せないという事はあると思う。

ライブ中の石原さんはもし自分の先輩だったら確実に「大仏」とか「文豪」ってアダ名を心の中でつけて呼ぶ(声には出せない。確実に可愛がりにあう)くらいのデカさで、不良特有の、文豪特有の甘えた部分そのままに山の様なスケールを感じる。

「tokimekinisisu」「rock'n roll」から特にそれをバチバチに感じる。

そこに全員が釘付けになり、少なからず心の何処かに棲む少年性が呼応するのだと思う。

それは、例えば自分で追記したWikipediaをオカズにシコッてそうなおっさんも、高野メルドーの機材の写真を嬉々として撮ってる軽音サークルの優しげな兄ちゃんも、そして何かに疲れている事を隠さなくなった輪郭の線がボンヤリした僕も同じで、皆、単純にブン殴られ、あっという間に14歳にされてしまう轟音が石原さんから、SuiseiNoboAzから放たれているのだと思う。

そんな全員を汗かき働こうと歌う「liqiud rainbow」がやって来て助けてくれて本編終了。テンションをぶち上げたまま少年を大人に戻して終わるなんて本当にズルい。

かと思えばアンコールは「E.O.W」を盛大に炸裂させる。そういう所な、そういう所だ。ズルい。

拳を突き上げ、喉が枯れる程の絶叫などいつぶりだろうと一滴も泣いてなどいないのに泣き腫らした様な清々しい気分で呆然と余韻を味わった。

出し尽くしたら結局お腹が減るのでカリトロでたこ焼きなどをガツガツと食し、仕上げはローソンのメガアイスカフェラテで。メガである事に大変意義がある。

大きなものに満たされるあっけらかんとしたバカっぷりが自分の中に残っていることを嬉しく思いながら、こんだけスッキリしたのだから、まーまた色んなことを強いられても折れない程度にやり遂げようという気持ちになった。

スゲー楽しかった。

 

ボアズの感想を書くと「俺が考えた石原節」がちょいちょい出てくるのウケる。好き過ぎだろ。ふふふ。

 

またー。

2017.07.13 大森靖子さんを観てきました。(@BIG CAT)

慎重で疑り深いハズが仲良くなってしまうとガバガバなせいか、未だに定期的に前職の後輩の冗談に騙される。

自分でもここまで素直で世間知らずだと思ってなかったし、後輩達もそこを評価しているらしいので、実に複雑な気分である。

 

たまに行く肉バルに初めて予約の電話したら「声が気持ち悪い」という理由で断られるという夢を見て汗びっしょりで目が覚めた。

一度目は間違えて切れちゃいましたみたいな風に切られ、二度目は「ダメなんですよ、一度でわかれよ」と言われてガチャ切りされるという二段構えの悪夢で、目が覚めてそれが夢だと理解するのに暫く時間を要した。

正夢にしたくないので今後も予約の電話はせずに時々食べに行こうと思った。

 

ボンヤリしている営業さんとボンヤリしている僕の二人で外出する事になったのを見た上司が「何かボンヤリしたコンビだな…」と言っており二人とも電車に乗るまでそれが悪口だと気付いていなかったので受け入れるしかなかったり、それの裏打ちであるかの様に乗るバスの路線を間違え、アイスを食べたりしながら暑い中2人で歩いた。夏あっちー。

 

そんな感じで寝たり起きて働いたりしてからライブに行った。丸二ヶ月のライブ。

 

2017.07.13 大森靖子@BIG CAT

※セトリとまでは言わないけど披露曲のネタバレを含みます。知りたくない方はご注意下さい。

 

丸二ヶ月もライブに行かない生活なぞ高校生になってからはしてない気がして、人生の半分ライブを楽しみにしている生活をしていたのかという衝撃がじわじわと。体感そうでもないのに振り返ると人生長過ぎだろ。怖。

 

最早神話じゃね?という荘厳さと圧倒的肯定感。色んな在り方を、ありのままをあの手この手で受け入れてくれる印象の本編だった。

大阪住みの僕からすると好んで聴いてきた新宿motion出演バンドが大森さんの楽曲を演奏してくれる面白さ半端ない人たちな訳で、そこに含まれない代わりに青春にトドメを刺してくれたピエール中野氏を含めて大好きな人たちによるスーパーバンドが久々に観れるのがまず楽しかった。

どこ観ても楽しいので、大森靖子のツアーではあるものの、新🌏zのリリースツアーなんだなと実感した。

 

本編はあまりにも一本のライブとしての完成度が高くて小出しにするとキリが無いので端的に、箇条書きで。

🌏ドグマ・マグマからトップギアで駆け抜ける中、きゅるきゅるが鳩尾にキマッた感覚でうおースゲー曲だと悶絶。

🌍オリオン座を合唱している間だけは自分がとても綺麗に思える。

🌎avexのローディーはマジで念能力者かなんかだと思う。「絶」の使い方が秀逸過ぎる。

🌏ナナちゃんを入れると8人がスタージにいて音を出しているのに全パート上手く絡み合うのでどこを観るべきか解らないくらい迷う。目移りしてしまう。

🌎君に届くなのあまりにディープな音とパーソナルな世界観に己を投影し尽くしてグッタリしてしまうくらい感動した。

🌍音楽を捨てよ、そして音楽へのえらさんとピエール中野さんが素晴らしくて見惚れてしまった。何度聴いても想像をピョーンと超えてくる素敵な曲だなと思った。

 

アンコールは激長いMCから。雰囲気的にはいいとも!本編後のフリートークパートみたいな感じなのだけど、このいいとも!比喩もどんどん通じなくなっていくのだろうな、とボンヤリ思いながら聞いていた。

バンドメンバーで和気藹々と話す感じは、本当にちゃんとサポートの域を超えた各々の個性ありきのバンドなのだなと感じられて嬉しかった。

ピエール中野さんは相変わらず覇気のある声でよく喋る。飲み屋にいる気がいいけど面倒な兄ちゃんみたいだ。彼は僕の中ではMCを一点集中型でしゃべり倒す元祖で、今日の大森さんのライブの構成の余分なものを削ぎ落としたソリッドさは凛として時雨のライブに通じるものがあるし、ロングMCもまたその辺と親和性があってふふふとなる。MCに気持ちが呼応する瞬間も好きだけど、こうやってスパーンと分けて、あくまでライブでブチ上げて貰える時間はもっと好きだ。

お客さんの「今日の不幸だった人選手権」は家出して退学、彼女にフラれた、ヒモを放流、内科医に鬱を疑われたなどなど文字にするとパンチが効いているんだけど、彼女にフラれた青年が優勝であった。

話を聞いてても一番キツかった。他は大森さんが言及していたように家出も退学も希望を叶えているし、ヒモも美術品として愛でた期間があるし、科が違う医療従事者が鬱診断を振り回すのなんてどう考えてもノーカンだし、幸せとも取れる。

その中で彼がフラれた際にメール?LINE?で言われた言葉「付き合うメリットがなくなった」は共感100万点差し上げたいくらい刺さった。何故なら言われた事も言った事もあるからである。思い出補正もあって彼が優勝して絶対彼女のソロを歌ってくれてとても嬉しかった。

道重さゆみさん生誕祭ミッドナイト清純異性交遊からIDOL SONGの凄まじい口上の応酬に花山薫の無呼吸連打を見た。そもそもアイドルに詳しくないというのもあるのだけれど、大森さんとアイドルの好みが全く合わないので推しのソレが無い。好みがピッタリ合致しているファンは特に嬉しいだろうなと思った。別に羨ましくはない。好きの歩調はわざわざ合わせるものじゃないし。

絶対彼女に挿入される「コンビニで一番高いアイスでエロいことをしよう」のコール&レスポンスは僕の思い出のビートクルセイダースの例のコールを記憶から呼び起こさせるパワーポップさである。

大森さんの想像掻き立てる胸キュンっぷりとは違いビークルのソレは大声下ネタ大快晴って感じなので全く別物であるとは理解しているのだけれど、解放され方が近い。

本編とアンコールは全く別物というか、別のライブだった。

コンセプトというか、流れというか、一本のライブを作り込んだ本編と、とにかく極限まで突き抜けた楽しいアンコールという印象。こういう構成のライブをもっと沢山観たいなと思いつつ、完全に幸せにして貰ってライブが終わった。

長い一日でもあったのでドッと疲れて使い物にならず、頭の悪そうなカップ麺を啜った後にバタリと眠った。悪夢はみなかった。 

 

これは完全にライブの感想以上に知らんがな部門の願望なのだけれど、僕の好きな大森さんとT.M.Revolutionこと西川貴教氏には小柄である以上に「歌唱時の動きに無駄が多い」という共通点があり、今回も改めてそう感じたので「西川貴教のイエノミ」に大森さんが出演してくれる日を心待ちにしている。

BiSやHISASHIさんも出演してらっしゃるので希望は捨てずに待っていようと思う。

ちなみに「動きに無駄が多い」は無駄な動きが多くてパフォーマンスが荒いという意味ではなく、楽曲の表現として動きがよりそれを引き立てるという解釈を僕はしております。ご了承下さい。(西川氏による言及はイエノミcali≠gari回を参照下さい。ていうかこの回普通に面白い)

何だこのくだり。

 

次に観にいけるのはいつになるんだろうと思いつつ、そこまでは頑張ろうと決意新たに。

 

またー。

せ・ん・ご・く!Tポイントカード大名行列。

ポイントカードを上手く使いこなせた事がない。

ポイントカードをカードゲームのデッキばりに所持している人たちは果たしてポイントカードを有効に活用しているのだろうか。貯める事で満足感を得ている層がそこそこの割合いるのではないかと邪推するも、これは使いこなせない自分の都合の良い妄想な気もしている。

僕はと言えば、口にするのも恥ずかしいが天下のTポイントカードですら全く活かせていない世間的に笑えない次元の不向きっぷりである。コンビニ、本屋を筆頭にありとあらゆる場面でTポイントカードの所持を尋ねられる。独自のポイントカードを使っていたハズのお店もどんどんTポイントカードの軍門に降る。戦国大名かよお前ら。BASARAとかいうやつか。

まあ要するにあらゆるお店でポイントが付与されるのである。TSUTAYAなんぞより他店利用によるポイントが大半である人が殆どではないだろうか。

 

そんな世の中において、僕はTポイントカードを持っているのに出さない。否、出せないのである。財布の、開ければ目につく場所に刺しているカードを出すという動作が酷く面倒に感じられ、ついつい不所持を装ってしまうのである。Tポイントの有用性や重要性を一切認識していないからこそ可能な行為なのかも知れないけれど、とにかく面倒なのだ。

お節介で人の良さそうなおばちゃんに「それTポイントカードじゃない?」と指摘され、苦笑いを浮かべながら「いや、大丈夫なんで」と断った経験すらある。おばちゃん視力良過ぎだろ。そして人の財布の中身を見るな。

この原因を考えたところ、先に述べた様にTポイントの有用性を全く理解していないことが挙げられる。何に使えるのか知らないのである。レンタル料金を割り引いてくれる程度ならばここまで浸透していない気もするし、もしそれだけのポイントがこんなに浸透しているのならばネット配信なぞ日本では流行っていないハズである。よって何らかの、その他の活用が成せるポイントなのだろう。

 

ここからは完全な妄想であるが、Tポイントはおそらく円より強い通貨で、円より有利なレートでもって換金も不要で海外で通用するとか、きっとそんな感じなのだろう。凄いぜTポイント。凄いぜTSUTAYA。お前は何屋なんだ一体。

そのうち円をTポイントに換金して貯蓄、資産運用に回す人々が日本を牽引するハズである。

賢くない人は損をしがちな世の中ではあるが、まさかまさかの出すだけでバカでも貯まるTポイントカードがその格差を埋める事となるかも知れない。では出さない僕はなんなのか。大馬鹿か何かであろう。知らんけども。

話が意外と逸れている気がするので戻す。逸れていない気がするのは本題よりも圧倒的ボリュームをもってTポイントカードを担ぎ上げていたからである。わっしょいわっしょい夏祭りである。ねー浴衣デートで彼氏だけが浴衣のパターン見たことある人いるー?

 

弱小ポイントカードホルダーである僕が唯一そこそこマトモに出してこつこつポイントを貯めているのはスギ薬局だけである。スギ薬局が全国チェーンなのかも知らないのだけれど、チェーン展開しているドラッグストアである。

スギ薬局で付与されるスギポイントなる貯まると花粉症になりそうな名前のポイントだけは割と真剣に貯めているのだけれど、このスギポイント、決して会計時の割引に使える訳ではなく、このご時世にまさかの商品と交換なんである。昭和感が凄い。

その商品は公式HPから確認して貰いたい。

 ポイント・景品|スギ薬局グループ お客さまサイト

どうだろう、このイトーヨーカドーの2階以降をwebにぶち込んだ様な生活感溢れるラインナップは。店頭にも一部商品が飾られているんだけども、その光景の生活感たるや圧巻である。

現在5000ポイント程度所持しているので結構色んなものが選べるのではあるが、何と言うことでしょう、欲しいと思えるものが特にないので「一体何の為に貯めているのだろう?」と疑心暗鬼になってしまう次第。やっぱり貯めているという行為自体に快感と達成感を抱いているんだろうか。意味ねー。

ただ、またカタログが更新されるのでラインナップも入れ替わるだろうし、ポイント有効期限内はのんびり貯め続けようとは思っている。

 他にも書きたいことがあったハズなんだけど思いの外長くなってしまったのでここらで終わりにしたい。

ポイントカードに振り回される者はお得感に溺れて損をするので皆さん気をつけるのですよ、とポイントを蔑ろにして損をしている僕が言うのもおかしいけれど、どなた様も素敵なポイントライフを過ごせますように。

 

今回の日記でやたらと連呼された語尾の「ある」の数だけどうかTポイントカードにポイントを不要して欲しいものである。

 

またー。

無題ノート。

旦那デスノートというサイトを延々と読んでいた。匿名制のサイトの中では突出して語彙数が少なく、反比例するかの様に憤りの度合いが凄まじい世界だった。

何がどうしてこうなった、を全て端折って怒りに直で繋ぐ姿勢は思いの強さの表れである。そして、匿名制なので何も見えない分だけ手加減しなくて良くなる。表現の既視感、集約される語彙、定型文化されていく十人十色の痛み。

このサイトに対しての感想は「別にあっても良い」に尽きる。

一方、それに対するアンサーとして爆誕した(と紹介されていた)のが「俺の嫁が可愛い」なるサイトであり、これもまた個人的な感想としては「別にあっても良い」しかない。

ただ、旦那デスノートに対するアンサーという持ち上げられ方がミスマッチ過ぎやしないかという気持ちで一杯である。

これはそれぞれのサイトの問題ではなく、その様な取り上げ方をしたメディアに問題があるというだけなのだけれど。

構図として一見クロスカウンターに見えるものの実は遠近法を駆使してすれ違っているだけでした、みたいな明後日感を僕は非常に感じている。

大体、「旦那デスノート」を酷いと言い「俺の嫁が可愛い」を素晴らしいと思う感性の持ち主に「旦那デスノート」の切実さなんて理解出来ない。ネタで、ストレス発散で書いている人もいるだろうけど、ここでしか発散出来ないという人がいる限り必要なのだと思う。

加えるならば、「旦那デスノート」に本心から書き込む人にとって「俺の嫁が可愛い」は回復薬になるのであろうかという思いもある。そんな素晴らしい旦那が世の中にいるのかという希望を抱かせるのだろうか。どっちかと言えば真面目に全部受け取ったとしてより絶望が深まるのではないだろうか。手持ちのカードが違い過ぎる。絶望のデュエルモンスターズではなかろうか。

そして、旬が過ぎたかの様にどちらの話も人から聞かなくなってしまった。旬とカテゴライズ出来てしまう人たちは、特に「旦那デスノート」を悪く言うべきでは無い、と今更ふと思ったので書いておく。

 

暗い話ではないつもりなのだけど、そう取られても仕方のない話をついでに1つ書いてしまおうと思う。

実の家族の話ではあるのだけれど、僕はあまり家族に対する執着も愛着もあまり無くて、それが何故なのか時々ぼんやり考える。

その時々は、あまりに連絡しない僕に対して親がメールを寄越す時で、大体3ヶ月か4ヶ月に1度やってくる。

別に親を恨んでもいないし、とても感謝しているし、だから呼ばれれば会いに行くのも全く苦じゃ無い。でも自分から欲したり、発した事はない。て言うか「苦じゃ無い」って何だ?と我ながら思うんだけど「苦じゃ無い」が一番しっくり来るので仕方がない。

それは、何かが欠落しているのかも知れないし、そんな大した問題でもなくそういうものなのかも知れない。だけど、ぼんやり考えてしまう。

そうやって考える度に1つの仮説に辿り着く。

僕は家族の中で手のかからない子供という役割を勝手に負い、既に全うした気でいるというものだ。

母は仕事柄他所の子供の相手をしており、僕は他所の子の世話をする母の帰りを待ちながら家事の手伝いをして過ごしていた。

でも別に学校が終わったらすぐ家の手伝いだった訳ではない。僕の門限は5時だった。早過ぎるだなんて思ったことはなかった。親も目一杯遊んでも当番をこなせば喜んでくれたし褒めてくれた。サボっても別に怒らなかった。

だけど自分の母は他所の子供の面倒をみる為にいるのだという気持ちが強く、手を煩わせない様にしようという意識がとても強い子供だった。その割に成績はそんなに良くなかったけども。どうにもツメが甘いのである。

反抗期もほぼ無く、常に親が安心する方を選んだ。決して強いられた訳ではなく、ただそっちの方が良いと思ったからである。

全ては緩やかで、自然だった。

僕には妹が一人いて、その妹は僕とは逆に親の迷惑を考えず、良い事も悪い事もとにかく自由に選んだ。

ワガママを言う、言うことを聞かない、学校に行かない、親に学費を払わせて身につけた技術で就職した業界も呆気なく辞める、親も会ったことのない男とデキ婚する。

単純にスゲーと思った。憎いとも、羨ましいとも思わないし、憧れもしなかったけどスゲーなコイツと思った。そして僕は勝手に「コイツの分まで手のかからない子供でいなくては」と思った。

妹が荒らした家の中で、自分だけは淡々と普通でしっかりしようと思い、振る舞った。

自分が就職してからは、妹がデキ婚して実家を出るまで毎月小遣いをあげていた。妹と、あと親にも記念日や誕生日やクリスマスや正月にプレゼントを贈っていた。妹の、父の、母のそれぞれの話の聞き役が僕だった。

なかなか手のかからない息子であったと思う。

ただ、長い目で見てどうだったんだろうと思う。手が掛かって仕方なかった妹は結果として世間一般の親が欲する(とされるが実際は知らない。親じゃないし)「近くに住み、よく顔を見せてくれて、孫がいる」を全て実現しているし、色々手を煩わせたという自覚もあるのか、とても僕を含めた家族に感謝し大切に思っている様子であるし、両親も楽しそうである。

一方僕は、自分を献身的に緩衝材として使った挙句に執着も愛着も無いなどど供述しており、勝手にフェイドアウト気味である。書きながら不思議なのだけれど、寂しくないし、後悔もしていない。

ただ何となく、そんな感覚でいる事を家族に申し訳なく思っている。

僕の家族は皆いい人で仲も良いし、とても感謝している。

好きよりも先にいい人だの感謝だのが飛び出す自分を、家族に申し訳なく思っている。

だからそれを悟られないように、仲良くしていくこと(幸いそれは自然に出来る。だって仲が良いから)が自分に出来る孝行なのだと思っている。

うわーイタイ事書いてんなーと思う人も、意味不明だなーって思う人も、お前のような人間は許せないという人もいるかも知れないけど、あくまで自然とそんな人間になってしまったので仕方がない。

こう書いてしまうと何だか矛盾している点も多い気がするのだけど、矛盾してるけどスッと収まってしまっているので、これが自分にとっての対肉親の自然なのだと思う。

その他人付き合いや感情表現については、人に共感してばかりなので普通なのだと思う。そう考えると家族とは特別なのだなと改めて感じる次第である。

なんにしても、今後も仲良く暮らしていきたいし、親も妹も元気でいて欲しいものである。

それに、心変わりというか考え方も少しずつ変わっていくかも知れないので、そんなに心配することではない気もする。

良くも悪くも人生は長そうだから。

 

またー。

最遊記への恋と嘘。

恋と嘘」という作品を何となく観てみたかった。

プライムビデオにあがる予定とのことで、それを楽しみにしていた。

設定としては結婚相手が政府によって決められる世界で己の恋を貫かんとする男女の物語ということで、可愛らしい絵柄の割に重たいテーマだなと興味が湧いたのである。

有頂天家族2からリアルタイムでアニメを追う生活を始めたのでアニメっぽいアニメ作品を観たい!という気持ちも大きかった。(有頂天家族は何て言うか、森見作品って感じでアニメって印象が薄い)

第1話を鑑賞して、そのラブコメ漫画らしいご都合主義っぷりに参ってしまう自身(分別ある大人になったつもりなんでしょうね的な)にゲンナリしつつも、盛り上がる度にドーンと政府通達による結婚制度が行く手を阻むのでブラインドの向こうにシリアスが常に待機してて時々顔を出すという、中々に中々な作品だなと思った。

続きが気になり過ぎて本屋さんで4巻まで単行本を購入し、一気に読んだ。

先述した社会で生活する登場人物がとても優しくて皆漏れなく愛らしいので、感情移入出来ない代わりに全員の幸せを滅茶苦茶願って応援してしまう。

アニメも漫画も続きが楽しみ。 

もっと沢山読むなり観るなりしたら改めて感想を書きたい。

 

それはそうと、最遊記に最初にハマったのは中学生の頃だった。

当時の僕は意味もなく年に1度か2度ファンロード(今で言うpixivの雑誌版と考えてもらえばそう遠くない気がする)を買う趣味があり、そこでやけに流行ってる印象で、たまたま入ったブックオフで1冊100円で売られていたので試しに立ち読みした結果、その日の昼食代をつぎ込んで全巻購入し、翌日にはブックオフに流れてきていなかった最新刊を書店で購入していた。

当時何故か出入りしていた同い年の女の子の家(お兄ちゃんとゴエモンマリカーをプレイしたり、お婆ちゃんと時代劇や新喜劇を観るなどしていたがその子とは幼馴染という訳でもなく、付き合ってもいなかったし家もそこそこ遠かった)のお姉ちゃんに話を持ちかけた所、高校の漫研女子の間で強烈に流行っているらしかった。

それはジャンプか最遊記の二択となっているという情報で、ジャンプという掲載誌一括りに対して最遊記という作品単独で派閥を分けるというのは僕からすると衝撃であり、また自分が高校生でない為にリアルにそれを感じられないことが少し寂しくもあった。

バリバリ体育会系の部活に属していたこともあり最遊記の話が出来る親しい人は身近におらず、実質漫画研究会の癖に美術部と名乗っているクラブには運動部というだけで敬遠されてしまい上手く近付けなかった。逆の立場なら何故スポーツゴリラが文化部に来るのだと警戒しただろう。気持ちが普通に解るだけに取りつく島もない、というか自分から無いと思い込む様にしていた気がする。冷めていると言えば聞こえはいいが、何事も期待しないというのと諦めるのは違うものであると教えてやりたい。

さて、僕の中で最遊記の位置付け及び登場はガンガン、エニックス系の作品(ハーメルンのバイオリン弾きアークザラッドなど、王道の少年漫画にはない残酷性と艶っぽさを備えていたものが流行っていた。僕は浪漫倶楽部PON!とキマイラなどハートフルかつコミカルな作品を特に好んで読んでいたので掲載誌は同じでも別の畑という意識があった)が培った土台に降り立った天性のアイドルという印象であった。最遊記Gファンタジーなので別誌ではあるが。

モーニング娘。ゴマキが加入した瞬間がイメージとして伝わりやすいかも知れない。人気を博していたグループにとんでもない新人が加わるというイメージ。要するに僕にとって最遊記ゴマキであった。では加護ちゃん辻ちゃんはどうであったか。黒乃奈々絵とか、まぁその辺なんじゃない?

一方自分自身と言えばジャンプとマガジンが幅を効かせる体育会系に身を置き(サンデーはオタクの読み物という風潮があった。皆コナン観てる癖に)、最遊記と遠い所で生活していた。せめて世の中の最遊記熱を共有したいが為にアニメイトに通ったり、高校の学園祭に潜入し、漫研の展示を見ることに精を出していた。年上の漫研所属の彼女を作ればいいのではないかという発想にまで達したのは行き過ぎであったと反省している。

ともかく、骨の浮く程痩せた身体や煙草の煙や友情を挟まない単純な暴力、倫理的タブーなどなど、全てが乾いており尚且つ艶っぽく、詩的にすら感じられる色気にクラクラしたのを未だによく覚えている。ワンピースや封神演義からは感じ取れないものが最遊記にはあり、それに完全に魅せられた。

それ故に当時のアニメ化による最遊記は、作画に納得がいかなかったりテンポが想像と違ったりと散々でアニメの限界を思い知らされた気がして絶望してしまった。(EDに起用されていたチャコールフィルターにはその後何年かドハマりするなど収穫はあったが)

とにかく、そんな思い出を胸に、2017年の7月、アニメ「最遊記RELOAD BLAST」の第1話を鑑賞した。

放送局はサンテレビであった。当日は録画しているのにソワソワしてしまい、開始の30分前からテレビをつけてチャンネルを合わせた結果、ケバケバした甘味で財を成した女性経営者が女性モデルをはべらせてゴルフをするというよく解らない番組を見守る羽目になってしまった。

そうして始まった最遊記は、作画も崩壊していないし声優陣も懐かしくてあっという間の30分であった。

懐かしさよりも、峰倉かずやの線にアニメが少し近付いたという感動が大きかった。

しかし、直近どハマリしていたのが12話に世界観を完璧に詰め込んだユーリ!!!on ICEだったのでそれと比べると1話あたりの中身のなさが凄くて笑ってしまった。

何がどう好きだったか、そして今も何が好きかなどなど、好きについて言及し無さ過ぎてサイコパス感もあるんだけれど、まだ書かない方がいいんじゃないかという気持ちが大きい。

いつか、地獄の門を開け、地獄の釜の蓋を開け、地獄の業火に身を焼かれくらいの掘り下げを行なった後に淡々と述べたい。

続きは次回の講釈で(何故か黒乃奈々絵オチ)

 

以上、オタクの話は要領を得ず長いという日記。

 

またー。