性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

前半飛ばし過ぎたので後半ダラダラしたというだけの記録。

ゴールデンウィークの前半は旅行に行ってきたんだけど、後半何をしてたっけなという記録を後付けで思い出しながら書く。

 

5/1

朝、帰国して空港でジャイアントキリングの新刊を購入して読みながら帰る。花森選手好きだなー。

数少ない買い続けている漫画となった。

帰ってとりあえず寝てみたら呆気なく寝坊して美容室の予約に遅刻した。

担当美容師に「何かあったんですか?」と聞かれてマジで寝坊しかしてないので「寝てました」って言ったら「単純に最悪っすねー」と笑われた。単純にすいませんでした。

旅行前に「日本に朝帰ってくるなら美容室くらい行けるやろ」と易しく考えていた事が見事に仇となった。

髪を切って貰って帰ってまた寝た。

 

5/2

日中、旅行で溜まった洗濯をするなどして過ごす。基本的にライブの物販で買ったTシャツ以外は現地で捨てられるものをチョイスして持って行き、実際に捨てたりしていたんだけどそれでも割と量があった。

アニメ「鬼滅の刃」や「RobiHachi」、「グラゼニ」などを観ながら片付ける。

夜は友人の誘いでAKIRAの重低音バキバキ上映みたいなの(ちゃんと格好良い名前がついていたけど思い出せない)を観に行く。

AKIRAは初見で、名作と勧めてくれる誰もが納得のいく説明をしてくれた事がなくて、何でだろうと悶々としていたんだけど観て理由が解った。難解なんである。

ただの青春モノでもなければSFモノでもなく、バトルモノでもないし恋愛モノでもない。

要するに僕に勧めてくれた人たちは皆、その雰囲気の虜だったんだと思う。難解だけどオシャレだから好き!みたいな。気持ちは滅茶苦茶解るのでそれを責める気は微塵もないけれど、人に勧めるんだから何かしらの自分なりの核くらいは見出しといて欲しかったな、という気分にはなった。

鉄雄の劣等感と欲望に切なくなりながら観た。甲斐が可愛くて好きだ。

サラッと面白いセリフがあっても各シーンのインパクトに全部流されてしまい、めっちゃ気が利いた言い回しあったのに何て言ってたっけ…とひとつも思い出せない。DVDが欲しい。

友人とあれやこれや感想を言い合って楽しく帰宅。

コミックスも読みたくてAmazonで注文したら全6巻というボリュームで「あ、これはナウシカパターン(映画と原作で随分違う)あるぞ」と覚悟しながら楽しみに待つ。

 

5/3

チケットを譲って貰って阪神タイガースvs横浜ベイスターズを観戦に甲子園へ。

譲ってくれた本人がチケットを失くして不在という申し訳ない事態。

初対面の人もいて、試合の後でゆっくり話せるかなーと試合に没頭していたら、いつの間にか忽然と消えてしまっていて反省。(用事があったらしく終了即帰宅だったらしい)

試合は延長で僕の推しの大山選手が劇的タイムリーヒットを打ってくれて阪神のサヨナラ勝ちだった。興奮し過ぎて阪神のキャップを買う。

鉄板焼きを食べ、何か色々話して帰宅。

 

5/4

何をしていたか全然思い出せない。

5/4とかあった?

自信持ってあったって言える?言えなくない?ホラ、やっぱ今年は無かったんだって!皆が令和パリピしてる隙を突かれた訳だからね、責任感じて欲しい。落ち着いてくれよな。

あ、でもブルースブラザーズと劇場版ジョジョを観た気がする。もしかしたらその記憶が4日のものなのかも知れない。自信ないけど。

 

5/5

AKIRAのコミックス版を延々と読み、ジム通いを再開した。(帰国後、カンボジアで痛めたお腹が治っているのかいないのかよく分からなかったので安静にしていた。滅茶苦茶ビールとか飲んで冷やしてたけど安静にしていたつもり)

ほぼ一週間、マトモに筋トレをしていなかったので身体が重かった。退化を感じた。

コミックスのAKIRAは劇場版と設定や展開が違ってやはりナウシカパターンだった。

コミックスありきではあるし、コミックスも滅茶苦茶面白いんだけど個人的には劇場版の方が上手くまとまっていて流れも良く感じた。

とは言え2時間そこらでこのスケールを描くなんて不可能な訳で、回数を重ねるとコミックスの方が長く楽しめそうな気もした。

AKIRAを人に勧める際に自分なりの核を持てる様になりたい。目先の目標が「会社に取れと言われた資格の取得」から「AKIRAを自分の言葉で人に勧める」にすり替わっている。

緊迫感というか話の流れ上、5巻に入った辺りからガクンと読むペースが落ちる。読んだそばから理解が追いつかず、振り返って追いついてくるのを待って先へ進むの繰り返しになった。

あとはAmazonプライム孤狼の血が100円レンタルだったので観た。

映画館に観に行って松坂桃李役所広司の演技の良さにビビっていたんだけど改めて観ても凄かった。任侠映画なんてどう足掻いてもヒットしないと思うんだけど、この映画のキャストの良さは間違いなく昨年の日本映画の最強の布陣。どこからでも点が取れる抜群のチーム打率を誇る演技重視の素晴らしいメンバーだと思うので大人が怒鳴りまくってたり殴る蹴るしてるのが大丈夫な人には漏れなくお勧めしたい。

 

5/6

連休最終日。

冬に大変お世話になったコートとマフラーをクリーニングに出したら全部で5000円くらい掛かってビビった。

長く綺麗に着る為には必要経費だと思うんだけど、一気に持っていくと金額に驚いてしまう。

周囲にマフラーをクリーニングに出した事がないって人が割といて、首回りという皮脂つきやすい部分に巻いてるのにクリーニングしないって発想になるの謎過ぎる。そういう人は洗濯もしないみたいだし、どうしてるんだろう。ワンシーズンで捨ててしまうんだろうか。

かく言う僕もクリーニングに出し始めたのは数年前だけど、それまではシーズンの終わりに洗濯くらいはしていたので皆がどういうケアをしているのかが非常に気になる。

あとはジムに行って軽めに運動して、またAKIRAを読んで早めに布団に入ってゴールデンウィークを終えた。

 

前半が飛ばしまくったので後半はパッとしないというか、その分ゆっくりしたので長い連休というのはそう言う事が出来て有難いなーと思った。

 

またー。

輝け!悪夢コレクション2019(上半期)

寝落ちすると睡眠におけるコンディションに難があるせいか質が悪くなり、結果として悪夢をみる機会が多い。

週7日のうち5日は寝落ちする人間なのとネガティヴな妄想が過ぎるタイプなのが合わせ技で引き起こしているのか、悪夢の頻度が絶対に人より高い気がしている。

夢を日記につけるのは良くないとオカルト的な記事で見かけていたものの、悪夢をみてゲンナリして終わりというのは損をしっぱなしで癪である為、目覚めて内容を覚えていた場合メモすることにして3ヶ月程が経ち、そこそこの件数となったのでブログに転記してみることとした。

尚、余りに悲惨なものや普通の夢に関しては記録をとっておらず、比較的人を不快にせずに済む悪夢ばかり集めることに成功した様に思う。

こんな事をする前に寝落ちそのものを根絶すべきな気もするけれど、最早習慣化している為あまり期待できない。

では、以下、悪夢。

 

会社のトイレに靴下で入って掃除しろと命じられる悪夢。

 

コロッケを買ったら手掴みで渡される悪夢。

 

友人たちと泊まったホテルで夜な夜なお腹が痛くなり、正露丸を投薬しようとするも床にばら撒いてしまい、友人たちに臭気的に苦しめてはいけないので片付けねばと思うもライトをつけても這いつくばっても一粒も見つからず滅茶苦茶焦る悪夢。

 

何もしていないのに「電車が止まっているのはお前のせいか」といかつい人に詰められる悪夢。

 

ユニクロの商品の中にg.u.が混ざっているというクレーム対応に巻き込まれる悪夢。

 

迷子センターの前で子供と接触したという罪で死刑を言い渡される悪夢。

 

両親がミニ四駆のコースを買ってくれるという約束を反故にした悪夢。(というか回想夢)

 

ポン酢のレシピを流出させたという冤罪でバイトをクビになり賠償金を要求される悪夢。

 

映画カンフーキッズの3がこの世に存在しないと自称映画評論家に言い張られて「あるのに…」と悔し過ぎて親の前で泣く悪夢。

 

実際に京都で寸借詐欺を仕掛けてきた老婆と再びエンカウントする悪夢。(しかも3回、別シチュエーションでみた)

 

カラオケのドリンクバーが壊れて噴き出したコーラで服が染まってしまう悪夢。

 

マヨネーズを買いに行ったら世の中がハイパーインフレになっていた悪夢。

 

以上である。

溜まったらまた書くかも知れないけれど、溜まらない方が良いに決まっているのでそうあって欲しい。

 

またー。

カンボジアに行った話。

カンボジアを旅行した。

 

呆れるほど長い(まあ有難いので文句を言うつもりはないけれど)連休の前半を賭して人生二度目の海外旅行。

まさかのカンボジア、まさかの遺跡群である。

東南アジアの食べ物と治安、そして何より狂犬病のリスクに自分は耐えられるのだろうかと不安になる余り、ウルトラCの噛まれ方をして狂犬病リスクを抱えた筆者のブログを探し当てたり、日本人スタッフが在籍している病院の場所や診療時間を調べたり、野犬に襲われた時の動作をイメージトレーニングするなどに手間を掛けてしまい、肝心のカンボジアの売りである遺跡群の知識ついてはノーマークとなってしまった。

その上、出発前日の夜は金曜ロードショーで「名探偵コナン零の執行人」を観ながら安室のオンナをしていたせいで準備がギリギリまで終わらなかった。

マジ半端ないノーガード戦法である。

 

遺跡の歴史的浪漫を浴びる心積りが一切出来ていないで出国、ベトナムホーチミンを経由してカンボジア入りした。

到着したのは現地の夕方であり、空の色や空気の匂いが日本とまるで違った。

サッカー日本代表がアジア杯やW杯予選で東南アジアへ遠征して試合を行っている際の、テレビ中継で観る空の色そのものが広がっていて、完全に失礼なんだけどカメラの性能が悪いからあんな色になっていると思い込んでいたので衝撃だった。皆さん、あの色の空はね、実在するんですよ。

カンボジアは、とにかく暑かった。

元々一番暑い時期に行ったというのもあるんだけど40度を超えるような、そして湿度も中々高い環境だったので先述したサッカー選手たちが如何に凄いかを思い知る毎日だった。


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カンボジアの主な移動手段はトゥクトゥクで、行き先を告げ、値段を交渉して口約束で成立させてから乗る。普通に倍額くらいを吹っかけられるので、最初は丁寧に値下げ交渉していたけれど面倒になり「お前、地元民でもその値段言えんの?」という半ギレ状態で「は?5ドル?3!3ドル!」と金額しか話さなくなっていった。相手もそっちの方が楽そうだったけれど、自然と値段交渉役に落ち着いてしまい、メンチを切るのが異常に上手くなった自分に滋賀のイオンモールでイキっている中学生を重ねて異国の地で切ない気持ちになった。(因みにカンボジアで最高のデートスポット兼便利スポットはイオンだとガイドさんが教えてくれた。カンボジアは滋賀なのかも知れない。)

トゥクトゥクという乗り物はカンボジアの交通マナーのマッドマックスっぷりと砂塵の凄まじさでもってただの移動をアトラクションに変えてしまう素晴らしい乗り物で同行者も皆虜になっていた様に思う。

トゥクトゥクに限らずバイクも含めてノーヘルは当たり前、電話しながらも当たり前、乗れるだけ乗るのも当たり前という感じで制服姿の子供がノーヘルで三人乗りし、一番後ろの子がスマホでゲームをしているという光景に感動すらしてしまった。ヤバ過ぎる。

基本的に車間距離が死を意識するくらい狭かったり、割り込み方や曲がり方が無茶苦茶で、何に対して鳴らしているのか解らないクラクションで現地の人たちは確実にコミュニケーションをとっていた。(たまたま飛行機の中でラリーを題材にした東出昌大新田真剣佑の映画を観ていて先のコーナーを予測して先に曲がるという仕組みが披露されており、そのクラクション版かなーなどと考えていた)

トゥクトゥクに初めて乗った時、町の一角で停電が起こって真っ暗になったというのに何のリアクションも見せずスピードを落とさず走り続けるトゥクトゥクに遺書を書いてくれば良かったと思ったものだけれど、最終的にはチャンスがあれば乗りたいという気持ちになっていた。

ツアーガイドさんが手配してくれた観光向きのトゥクトゥクよりもその辺にたむろしている野良のトゥクトゥクの方が運転が荒くてアトラクション向きで楽しかった。


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街並みはというと、遺跡より高い建物が建てられない規制があるので京都や奈良に近い高低感だった。道路の状況は悪く、バスがバウンドしまくって尻が若干腫れるというスパンキング仕様のアトラクションであった。

あとは道端という道端がゴミ捨て場みたいになっていて、綺麗な歩道というものが街中には存在しなかった。街中を移動しているとゴミの匂いが常にするという感じ。自分からすると非日常的だから良いけれど、現地の人たちは気にならないんだろうか。最後まで聞けなかった。

 

カンボジアの食べ物は基本的に唐辛子ではなく胡椒と香草を濃縮した辛さがあり、それが毎食続くと段々食欲が湧かなくなっていった。

味はかなり日本人好みだと思うのだけれど、やはり根本的に食べ慣れていないのだなと痛感した。あと硬いくらいに火が通り過ぎていたにも関わらず、川魚の揚げ焼きでお腹を壊してしまい人生で初めて正露丸のお世話になった。正露丸は凄い。効果も匂いも凄い。

帰国して丸2日経つこれを書いている今では腹痛は無いのに未だに便が水の様なのでそろそろ病院に行かなければいけないのではと思い始めている。氷や水や生野菜、フルーツに物凄く警戒していたのにまさかガッツリ火が通った料理にオーバーキル食うとは予想外だった。

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僕のお腹を破壊した川魚。憎い。味はサバっぽくて美味しかった。

 

カンボジアのお土産事情は単純で、ナイトマーケットに行けば空港やホテルより格安で同じものが買える。Tシャツなら2着で9ドルとかその辺。

日本語がバリバリ通じる店は随分と高くふっかけてくるので電卓を使って頑張って値切る。Tシャツとバックで50ドルと言われたのを20ドルまで値切った際には僕も店員も半ギレを通り越していたと思う。「あっちの店なら同じTシャツ二着で9ドルだった」と言えば「ウチの方が質が良い」と意味不明なことを言うので「ここにH&MのタグついたTシャツがあるけどじゃあこれ幾らなんだよ!」って聞いてやろうかと思ったけど面倒なのでやめた。絶対日本で買った方が安い値段を言われるのは目に見えている。

このアトラクション的な経験にお金を払うと思えば良いとも思っているので他店より高くても早めに折れて購入するなどした。(ぶっ飛んだ友人が相手の言い値で購入してあげていて仏かよと爆笑した。観光客の鏡だよアンタ)

シルクと胡椒、銀細工などがポピュラーなお土産だと思う。胡椒は本当に美味しくて料理が好きな人なんかにはマストな逸品だと思った。あと観光地特有のダサいTシャツは星の数ほどあるのでそういうのが好きな人にもたまんなく良い国だと思う。

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現地に生まれ育たないと食べられないだろうな…という食材の売り方がなんとも良い雰囲気だった。

 

何故順番的にこれが最後にくるのか解らないけれど、観光自体にも触れておきたいと思う。

とは言えこんなブログで歴史的背景なんかを言及してもあまり意味がないのでサラっと書きたい。

カンボジアで観光と言えばやはりアンコールワットを筆頭とした遺跡群であり、その最大の魅力は何と言っても石である。

石がこれでもかという次元でてんこ盛りであった。

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石を積んで、組んで、その表面に壁画を掘る。建築としてあまりに重厚過ぎる構造でもって馬鹿デカい遺跡があちこちに存在するということに物凄くテンションがアガり、写真を無限に撮ってしまうのだけれど全部石で全部茶色いので特別個性が強くない限りは見返した時点でどこの遺跡の写真なのか解らなくなってしまう。

一日に何箇所も見学出来る贅沢な密集具合なのもあって、貪欲に数を沢山見学するのも重なって境界線がどんどん曖昧になり、石の重厚感と壮大さに魅入られて最終的に若干キマっているかのようなラリっぷりに到達してしまう。石は重くて硬くて最高。石は宇宙とか言い出す。

ツアーを担当してくれた現地ガイドさんが本当に超当たりで説明が解りやすくて面白かったので宗教観だったり壁画の物語がバンバン頭に入ってきて楽しかった。親戚のおっさんに顔が似ていた。

このガイドさんじゃなかったら早々に暑さにダウンしてただスケジュールを消化するという旅になっていた可能性があるくらい雲泥の差だったと思う。僕らは本当に幸運だった。

本当はもっと色々書くべきなんだけど3000文字をとっくに超えてしまっていて指が疲れてきた(フリック入力で書いている)のでこの辺にしたい。

ポルポトや内戦についても見て回りたかったけれど、遺跡徹底攻略ツアーだったのもあり、最終日にキリングフィールドに立ち寄っただけとなってしまった。そこは残念だった。

 

カンボジアに行って良かったかと問われると「超良かった」と答えたいけれど、食事の仕方を現地料理に偏らない様に工夫する様にはアドバイスしたいとは思う。

またいつか行く事があるかも知れない。

その時、カンボジアはどんな国になっているんだろうなー。日本も。

帰りの乗り継ぎで立ち寄ったホーチミンで日本の改元の瞬間を迎えた。眠過ぎたから特に何も感慨とか湧かなかったけれど、良い時代になるといいなとは思った。

 

とりあえずそんな事よりカンボジアで痛めたこのお腹を治さなければ。

 

またー。

平成最後の寸借詐欺。

「平成最後の」という触れ込みが「新元号発表記念」に塗り変わったと思ったら、いよいよ平成最後が迫ってきた辺りからまた追い上げが凄くて何となく焦ってしまう。

心配性なのでそわそわするのが苦手だから最後のとか言って煽るのやめて欲しいし、「平成最後」にそんな煽られるイメージしかなくて、仕事で外出した時におかしな高齢者ドライバーに煽り運転を食らって「平成最後の煽り運転食らいましたね!」って爆笑しながら運転してくれていた営業担当に言ったら、彼はガチギレしていてスーパーに入ってく車を追いかけようとしてて面倒だからやめてくれと何故か僕が謝る事態に発展し、更に「平成最後」に対する僕の中でのイメージが悪くなってしまった。

勝手に自分で使っただけなのでこの場合はフレーズに罪はないのだけれど、何となく損した気持ちになった。

 

そんな風潮に便乗する訳じゃないけれど、ゴールデンウィークに久々に旅行に行くので「万が一旅先で死んだらどうしよう…」と思い、ゴールデンウィーク前に行きたい所に行かねばと慌てて大好きな猫カフェを訪れる為に京都へ行った。

烏丸駅前から市バスに乗る為に待っていると、おばあちゃんに有栖川に行きたいとバス停の場所を聞かれ、「僕は観光客みたいなものなので解らないかも知れないけど調べてみますね」ってスマホであれこれ調べながら中々解らなくって、案内所で聞いてきましょうか?とか聞いても曖昧なことしか返ってこないし、交番が近くにあるから聞いて来ようかなーとか言っても要領を得なくって「あー道に迷ってる人ってこういう感じになりがちだよなぁ」と本当にどうにかしなきゃなーと思っていたんだけど、途中から財布を落としたとかバス代を貸して欲しいとかあくまで低姿勢で言い始めて、「交番で貸してくれるから紛失届出すついでに借りに行きましょう」って言っても警察は信用出来ないとか嫌だとか言うし、あ、これ寸借詐欺というやつだわと思った所で乗りたいバスが来たので「乗らなきゃいけないんで、あっちの交番で助けて貰って下さい!ごめんなさい!」って逃げ乗ってしまった。

別に悪態つかれたりはしなかったけれど、親切で解らないなりに調べたりしていたのになーと思うとあまりに辛過ぎて、まだ酷いこと言われた方がこっちもクソが!って思えるのにと凹んでしまった。クソが…って感じで辛い。小銭程度を騙し取ろうとする詐欺だから、なんかそんな小銭を取ろうとする人がいるのかというのが辛過ぎて強めにクソが!ってならないのが辛い。

あんまりにもクソな気分だったし、話し過ぎて喉も渇いたので「もークソだ…あークソ…」と呟きながらコンビニに入り飲み物を選んでいたら、それ(クソ)と匂いの成分が一緒というネタが割と流行ったジャスミンティーが売っていたので気分にベストマッチじゃんと買ってしまった。

ナーバスな時やネガティヴな時は変に明るい曲を聴くよりも、寄り添う様に一緒にナーバスだったりネガティヴになって同調してくれる音楽を聴くのが良いと思っていて、そういう意味でクソな気分に寄り添ってくれるんじゃないかという発想で、といくら言い訳を長々書いてもジャスミンティーに対して何のフォローにもなってないからもう謝った方が良いんじゃないかなこれ。ジャスミンごめん。

自分のお金でジャスミンティーを買ったのは初めてかも知れない。久々に飲んだジャスミンティーは爽やかできちんと美味しかったことを強調したい。爽やかできちんと美味しかったよ!!

 

そんな辛い思いをして辿り着いた猫カフェは本当に微笑ましい空間で癒されまくって救われた気持ちになった。

「平成最後の」ではなく「万が一旅先で死んだらどうしよう…」の遣り残しシリーズとして猫カフェを達成出来たのであとはカラオケと名探偵コナンの新作映画なんだけれど、連休前の繁忙期に達成出来る気が全くしないので、無事に、そして楽しく旅行をして帰ってくるしかねえなという結論に達している。

 

とりあえず旅行の準備がまだ終わってないからそろそろ焦らなきゃいけない。

旅行への現実味が未だに中途半端で心配性の癖がまだ活性化してないのが怖い。2日前とかに急に焦り出さない様に少しずつ何とか支度を整えたいところ。

 

またー。

苗字に引きずられて感情移入出来ない人オフ会。

普通にアニメが好きなので新クールを迎える度に観られる環境にある作品の第1話を片っ端から観て面白かったものを追い掛けようみたいな事をするのだけれど、今期の作品の中に自分と同じ苗字のキャラクターが出て来ており、名前を呼ばれる度に割とキラキラした作品の世界観も相まってゾワゾワするという体験をしている。光の力で滅されんとする悪霊か。

しかも何がしんどいってその作品、全然面白くないんである。あんまりに面白くなくて、それが自分の何の変哲も無い名前のせいではないかと思ってしまう。ネガティヴの度が過ぎている。

名前がキャラクターのフックになっていないというか、名は体を表すを地でいけるのがアニメの良いところなのに全放棄みたいになっているのがキツい。アニメに現実味を中途半端に持ち込まれると結構しんどいんだなと思い知った。

そう言えばポプテピピックスペシャル、緑川光子安武人もしくは保志総一朗石田彰という声優ガチャは30〜40代を今更殺しに来ててほぼ死にかけみたいな僕らをどうしたいんだという気持ちになって面白かった。

あとフルーツバスケットは美麗過ぎて「こここここれがフルーツバスケット!!?美しい…」と見惚れて内容が頭に入ってこないでいる。早く見慣れて、もう一度見返したい。

 

3月末にプロ野球のシーズンが開幕し、推し球団の阪神タイガースは去年に引き続き苦しいチーム事情ながらそこそこ頑張っているのでは、と甘めの分析をしている。

4番に据えられた大山選手の苦しさの陰でベテラン勢の方が案外酷い成績なのとか(まあ彼らは成績よりも精神的支柱というポジションなのだけど)、守備が悪いせいで投手が苦しい展開に持ち込まれてしまうとか、チェンジアップマジで打てないっていうか苦手な球種皆一緒じゃね?仲良しか?とか、まあ前年の焼き直しの様な展開が多いんだけどまだ四月。残念ながら前年の成績は最下位だったので妥当と言えば妥当なので勝負は始まったばかりである。

そう言えば先日、立ち飲み屋でアメフトのドキュメントを観てるという話を同僚としていたらカップルに話し掛けられ、その流れで阪神ファンである事を明かすと彼女の方に「阪神ファンのおっさんはすぐ話し掛けてくるし酒奢ろうとしてくるしキャバクラ行けよって感じでマジ最悪」とdisられてしまい、そんなの少数ですよ、と言いたかったけれど実在するのも事実。普通にキレていたのでコールセンター勤務な気持ちになって当然の様に謝ってしまった。ファンを代表して謝罪致します。でも謝ってから飲み屋で話し掛けた相手にそこまで言う彼女もまーまーヤバい奴なんじゃないかと思ったので僕は僕で彼女に対して当たられた感を抱いてしまった。しんどかったけど、世間的に阪神ファンってあんまりイメージ良くないし、そういうエピソードが滅茶苦茶広がっていくんだろうなとしみじみ感じた出来事だった。

僕は男なのでそんな経験はしないで済んでるけど、ヤジの凄さは身に沁みている。

ここまで4試合を球場で生観戦した勝率は5割だし、今年は監督が変わったりと順位を気にしてはいけない気もする一年(とは言え勝ってくれた方が嬉しい)であんまり悲観しても無いのだけれど、球場にいくとまー凄い。ヤジが。

愛があるヤジとかないと思うんですよ。ヤジである時点で。個人的には。せめてリリックにしたためてラップにしてくれたらフリースタイルっぽくて聴けるかも知れない。せめて切れ味鋭い感じに昇華して欲しい。ゲンコツ振り下ろすみたいな感じだと単純に痛い。

野球やってた身だからか、本人が一番悔しいのに酷い言葉をぶつけて何してくれとんねんという感情の方がでかい。本人が悔しそうな顔してたらもうそれで十分じゃないですか。違うんかな。知らんけど。

そもそもヤジが文化なんて甘えだと思うんだけど、しかし勝てばヤジも止む訳で、結局チームがそこ含めて黙らせてくれるのが一番スカッとするし正しい在り方なのかなーとも思う。

でも、とりあえず負け展開の試合に行くと滅茶苦茶祈っている自分がいる。頑張れとか、逆転してくれとか、あのヤジが選手の耳に届きません様にとか、僕だけはそんなヤジ飛ばさないぞとか。野球観ろよって話ですけど。いや、観てるけど。

そう、ヤジ飛ばしてる人の半分は居酒屋かなんかと勘違いしてるビアガーデン甲子園なのだけれど、残り半分は滅茶苦茶野球自体に詳しいんである。そんな人に負けたくない一心で野球自体も滅茶苦茶ちゃんと観ているので負け試合の後は相当に疲弊している自分がいる。鍛錬が足りん。

まあ自分の方がマイノリティーではあるので大人しくDAZNなりスカパーなりで観られる環境を整える方が自分のメンタルにもお財布にも優しいと思うんだけど、やっぱり好きな選手は生で観たい。大山選手や梅野選手や糸井選手やジョンソン投手が観たい。二軍にも好きな選手が沢山いるので上がって来てくれるのを迎えたい。今年も甲子園球場には目一杯お世話になる予定。

負けじと楽しむぞ!

何だこの文章。

 

またー。

場所と食べ物の相関性は寝落ちと悪夢のソレに近いみたいな。

場所と食べ物が結びついているという経験があるだろうか。

僕は人よりも食い意地が張っているという自負があるので結構あるんだけれど、周囲にそういう人がおらず寂しいばかりであるし、何かそういうの通り越して自分の単純さとか卑しさみたいなものの表れなんじゃないかと心配になることもある。

例えば野球を観に球場へ行くと唐揚げとポテトとビールが欲しくなるし、祖母の家に行くとコンビニに行きたくなるし、髪を切りに行くとビックリマンチョコが食べたくなる。

球場の例はまあ売店や売り子さんが売っているので伝わりやすいが、他は繋がりが人には解りにくい。

祖母の家に行くとコンビニに行きたくなるのは幼少期、祖母が都会に住んでおり交差点の4つ角のうち3つがコンビニであり、遊びに行く度にそのうちのどこかに連れていって貰ったからである。当時自分が住んでいた家も田舎では無かったが最寄りは山崎パン兼駄菓子屋みたいなお店であり、コンビニという無機質で最先端な存在に強い憧れがあったものと思われる。

髪を切りに行くとビックリマンチョコが食べたくなるというのは、幼少期に親に連れていかれた床屋が家族ぐるみでビックリマンシールをコレクションしており、食べきれないビックリマンチョコを梅酒を漬ける様な大きな瓶に目一杯詰めて客が自由に食べられる様にしていた事に起因する。シールに一切興味がないけれど食い意地が非常に張った子供だったので髪を切る為にというか食べたくなると伸びてもないのに髪を切りたいとせがんで親を困惑させた記憶がある。普通にスーパーとかで買って貰うという選択肢が浮かばなかったのはその店でしか食べられないものだと思い込んでいたのか、それとも買ってもらえないと思い込んでいたのかが思い出せないものの、今でも髪を切るとビックリマンチョコが食べたくなるという刷り込みだけが残った次第である。

因みにビックリマンには全然興味もないのだけれど凄く強い老人(ゼウス?)がとても苦手だったことをよく覚えている。自分の祖父母は腰が痛いだの動きが緩慢だったりするというのにこの老人は随分強いらしい、きっと世の中のお爺ちゃんお婆ちゃんのエネルギーを吸ってその機敏さを得ているのだ的な妄想でもって苦手であった。

よく考えられた設定ではあるものの、思い込みや言い掛かり以前に2次元と3次元を混同している残念感が実に子供らしい。

話が逸れている気もするので戻すけれど、そんな感じで何かをする時やどこかに行った時に今でも特定のものを食べたくなったり飲みたくなったりする癖が続いている。

大人になるとその辺には折り合いがつく、みたいな事を言われたのでまだ子供なんだと思いたいが、流石に子供を名乗るには無理しかない年齢の為どうすべきか、とこれを書いている今もボンヤリ考えている。

結論は出ていない。

 

それはそうと、「仕事で徹夜する」という悪夢をみて寝落ちから目覚め、げんなりしながらも深夜に家事をこなし、無事片付けて寝ようとする、という夢をみて寝落ちから目覚めた。

ややこしい言い方なので簡単に言い直すと「夢の中で夢をみていた」という事だと思うんだけど、実際の寝落ちから目覚めた瞬間は「家事までしたのにまた寝落ちしてしまったのか」というレベルの軽い自己嫌悪だったものの、実際家事をしていたのも夢の中の話であり食器も洗濯物もそのままであることに気付いてからは本格的に落ち込んで半泣きになりながら深夜に家事をした。春だというのに深夜の水はまだまだ冷たかった。

僕の直近の寝落ち悪夢コレクションとしては「猫を触るのが有罪の世界で懲役2年の判決を受ける」というものや「駅で揚げ過ぎて茶色になってしまったカリカリのゴボウみたいなEXILE系のウェイに絡まれて豚肉が好きという事をギタギタに否定される」というもの、「友人が所有しているAVを全て預かってくれと言われて承諾したら友人が入院して病死した」というものなどがある。実際は猫に触っても投獄されないし、豚肉が好きだからと言って責められる国ではないし、友人はAVを預けてこないし健在である。

この様に、寝落ちしてみる夢において悪夢である確率が割と高い気がしている。身体もさして休まらず、心もさして癒されない。寝落ちのダメージの深刻さを知りながらも人は寝落ちてしまう。

寝落ちる瞬間の心地よさには恐らく中毒性がある。

皆さんも寝転んでこんなよくわからない日記を読んでないでさっさと風呂入って歯を磨いて寝て欲しい。寝落ちしない為に。(と寝転んでこれを書いている)

 

またー。

おそ松さんを観ながらぬいぐるみを愛でる生活。

身長60cm、身幅が100cm近い巨大なぬいぐるみを買った。

それも予約販売で、店頭で予約票に必要事項を記入して見受けに要する代金を支払ったのは12月中頃だった。

それが今月の中頃、満を辞して我が家にやって来た訳なんだけど巨大な段ボールを前に真っ先に頭に浮かんだ感想が「一体、どんな精神状態でこんな大きなぬいぐるみを欲し、店まで予約へ赴き、15000円ものお金を支払ったんだろう」という過去の自分に対する心配をベースにした困惑と哀れみであった。

勿論、箱を開けた瞬間にそんなものは跡形もなく消し飛び(何故なら大きい分だけ可愛さも大きいから)、その手筈を踏んでくれた過去の自分への感謝に変わったのは言うまでも無いんだけれど、とにかく開けるまでは陰鬱とした感情が支配していた。

12月の自分を振り返ってみると随分な疲れっぷりで、誰も固くなった心身を緩和してくれる訳でもなく、ぬいぐるみの柔らかさに頼ってしまう傾向が強かった様に思う。実際この大きなぬいぐるみの他にも2点ほどぬいぐるみを購入していた。成人男性ぞ。我、成人男性ぞ。尋常でない。


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さて大きなぬいぐるみとの生活は程よい距離感を保っている様に思う。

抱いて眠る訳でもなく、愚痴を聞いて貰うでもなく、ただ横に座って本を読んだり、眠る前に目があって特に何も視線に込めず見つめ合ったりしている程度である。

大変愛らしい虚無感を讃えたつぶらな瞳とドライマンゴーの様な嘴を眺めていると妙に力が抜けて疲れがどうでも良い事へ転化されていく気がする。

IKEAだったりコストコだったり京都水族館の大きなぬいぐるみがバズる世の中であるからして、疲れた現代人の中に「大きなぬいぐるみ」という需要は計り知れない。

勿論、ぬいぐるみを迎え入れるということは生き物を飼うのと同等に責任が伴う(洗ってあげたり、干してあげたり、最期は人形供養に出してあげたり)ので多少のハードルはあるかと思うのだけれど、「恥ずかしいなんて思ってることが恥ずかしい」くらいの気持ちでこの子だと思ったら迎えてみてはいかがだろうか。

変われるよ。現に俺は変われた。という宗教勧誘漫画の様な劇的な変化は望めないけれど、家にいてくれると何となく良い感じになる瞬間が多少あり、それは大きいほど増す気もするのでオススメしたい。

 

映画「えいがのおそ松さん」を鑑賞した。

2期に渡るテレビシリーズの、特に1期がとんでもないヒットになっていたけれど、自分の狙った笑いを取り切る事に狂気的なまでに執着する故にホラーの様な仕上がりになることを厭わない姿勢が凄く面白くて観ていた。単発で常に違う獲物を狙っていたのも印象的で、それをどう劇場版という長尺でやってくれるのか楽しみにしていた。

何か普通にホロっとくる滅茶苦茶良い映画だった。「おそ松さん」の六つ子のキャラクターを最低限知っていれば誰でもしっかり楽しめるし、短編マシンガン構成でなくて1つの話をしっかりやる内容だった。

おそ松さんの笑いの取り方に「繰り返す」というものがあって、これが1回目が一番面白いネタを持って来て2、3と慣れに従って笑いのグレードすらも徐々に下げるというのがある気がしていて、徐々に平熱に近付けた方が次のネタのインパクトが出るからなんだろうなーと思っていて、本作もそれを感じた。ブレない。

やり切って詰め込みきった映画でとても楽しめた。

ニートで童貞なのが良いとは思わないけれど、自己肯定感や承認欲求の理想形ではあると思った。

 

春の選抜高校野球プロ野球の開幕戦を短期間に沢山、生で観戦した。

甲子園球場で行われているセンバツは7試合、京セラドームで行われている阪神タイガースの公式戦は開幕戦から3連戦を現地で観ており、特に詰め込んだ日は高校野球を3戦と阪神タイガース1戦を観戦した。

ルートとしては甲子園→京セラドーム→甲子園の往復であった。

どの試合も白熱しており、どちらが勝ってもおかしくない緊迫した試合で面白かったんだけれど、最後に見た智弁和歌山vs明石商業の一戦がドラマチック過ぎて涙が出そうで、それまで重ねた数々の試合が全部ぶっ飛んでしまいそうで焦った。

映画を1日にハシゴすると先に鑑賞した方がどうしても薄まってしまうのだけど、そんな感じだった。

この一戦、かなり押してしまって終盤はNHKですら放送が終わっているという事態の中、極寒の甲子園でラジオを除けば両校とその場にいた観客だけがリアルタイムで立ち会ったクライマックスの凄まじさは劇場型とも言える熱狂で最後の最後、客は総立ちで歓声と絶叫の間にある様な声を発していた。とんでもないものを観せて貰った。

流石に我ながら狂った様に観ているという気もするんだけれど、体力を削りながらも感情を回復させる作業に近いと思っている。インプットではないけれど、感情を解す体操の様な位置付け。

ただ自業自得であるものの疲労の色も濃く、とりあえず寒過ぎて身体がバキバキなので暖かくして眠りたい。

 

またー。