性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

記憶の底に沈めた思い出の拗らせ部門を発掘してしまったので供養の気持ちで書いたもの。

久しぶりに創作文を書きたいなぁと思って書いた。

いつか、この街を出ても|大きな小皿

書きながらも自分のその年頃のことを思い出していた。

あまり人に話したことが無い、どうでも良い出来事を思い出したので日記に書いておこうと思う。

それは唯一のバイトばっくれ、というか未遂のエピソードなのだけれど、当時の自分は高校2年生だった。

友人がバイトしている飲食店の人員が足りないとの事で、友達に働いてくれる人がいないかと言われたクラスメイトが仲が良かった僕に声をかけてくれたのだった。

それはつまり、バイト先の店長からクラスメイトへの「ちゃんと働いてくれるこの子の友達なら戦力になってくれるのではないか」という評価が成せる展開なので、こちらも友人として誇らしい気持ちもあり、普段バカな話ばかりしている彼がそんな風に思ってもらえるほどに頑張っているのだなとの若干の焦りや、働くからにはその評価を裏切ってはならないというハードルを感じた。

とは言え、当時の僕はアルバイトをしたことが無かったのもあり、友人と一緒に働けるという気楽さも魅力で、面接だけでも受けてみようと決意してそう伝え、また日取りを教えてもらうことになった。

その直前に家の近所にオープンした回転寿司屋のアルバイトに応募したら店の外で立ったまま、履歴書を開きもせず、「男の子はあんまり募集してなくて」と言われて、募集要項にそんな事書いてませんでしたけど?と聞いたら、「そう言うことを書くとよく無いから・・・」と返されて、じゃあどうせ落ちるし履歴書返して下さいと言えなかったマジで気持ち悪い出来事があったので(その店は回転寿司という人気の飲食店なのにあっという間に潰れていた。正直ザマーミロと思った)、その二の舞になることだけは無いという労働を始める前から随分と不幸な安心感で履歴書もしっかり用意出来た。

面接当日、履歴書を持って夕方4時半にお店に行くと、大柄だけれど優しそうな店長が対応してくれた。

「まぁ康太(仮名)の友達なら履歴書なんて書いてもらわなくても良かったんだけどね、ありがとうございます」と受け取った履歴書を読みながら店長が言う。ボックス席で向かい合い、流石に緊張しながら次の言葉を待っていると、こちらを見て店長が尋ねる。

「圭介(仮名)って言うんだね、圭介は週にどれくらいシフトを考えているの?」

初手で下の名前を呼び捨てにされて、面食らった。

親しみの終着駅みたいな感じの呼び方だと思っていたので、好感が持てるかも未定な大人に唐突に呼ばれて混乱してしまった。

今となってはそんな程度の事でと思うんだけれど、バリバリ体育会系で暮らして来たのに「いや初対面で?」となってしまった。

どんなに馴れ馴れしい野球のコーチ(教わる事は多かった)やOB(早よ自分の社会で居場所見つけろ)ですら、最初は苗字の呼び捨てから始まるというのに、いきなりクライマックスかよという困惑。

あー、平日でも土日でも、4日くらいは、と言いながら胸元の名札を見ると「たけし 特技:元気な店長」と書いてあった。

いやいやいや、下の名前で平仮名!っていうか元気なことは特技じゃなくて性格やらコンディションの範疇だし、店長って役職じゃないの?特技として元気発揮しないといけないって事はオフは暗いの?(歳を重ねるにつれ、それがあながち間違いではない事は学びました。ごめん、たけし)え?特技って何?特技を何か作って世の中にアピールしながら働かなきゃいけないの?野球って書いたら「野球上手いの?」みたいになるって事?常連さんにいじられる未来とかキツ過ぎるんですけど?っていうか康太(仮名)は特技なんて書いてんだよ、あいつ中学からずっと帰宅部じゃん!

「あ、それは助かる!良かったら今日雰囲気見て帰る?」

嬉しそうに頷きながら、こちらに選択権というか、まず希望を聞いてくれる穏やかな雰囲気で接してくれるたけし(特技:元気な店長)ではあるものの、何となくしんどさがバーストしてしまって「あ、ごめんなさい、今日は歯医者さん予約してしまっていて、帰ります」と嘘をついて逃げ帰ってしまった。

絶対に悪い人ではないし、働きやすそうなお店だなと当時も頭では解っていたけれど、何かが頑なに受け入れられなくて、翌日「働くなら家の近所にしてくれと親に言われて、申し訳ありませんが辞退させてもらいたい」とクラスメイトの康太(仮名)にも伝えたし、たけし(特技:元気な店長)にも電話で謝った。ちなみに康太(仮名)の特技は「特に無し」だった。アリかそれ。

 

二人とも残念がってくれた事で罪悪感を覚え、それからしばらくは「僕は社会不適合者なんだ、アルバイトなんてしてはいけない」と謎の自重をし、学校生活オンリーで過ごしたものの、後に別の店で何の問題もなくアルバイトを始めていた。

今では普通にサラリーマン生活が送れているので思春期ならではの拗らせだったのだろう。

どこか恥ずかしさもあって人に話さないまま記憶の底の方に沈んでいたのが創作文を書く事で浮かび上がって来てしまったのだと思う。

時効を過ぎて浮かび上がってきた青春の死体、という感じなので供養するためにも文字にしておきたい、とこれを書いた次第である。

手向ける花にしては色がくすんでいるが、大したドラマも起こさなかった未遂の出来事などそんなものである。

 

またー。