性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

褒められた時のリアクションは練習しておくべき。

豆腐の話をしていて、小学生の頃のことを思い出した。

地元の商店街の人に話を聞きに行こう、みたいな校外学習で豆腐屋に行った時(商品は早朝に準備しているので、お客さんの相手をしながら掃除をする店主のおじさんに緩く話を聞くだけという、貴重な機会にも関わらず小学生としてはインパクトに欠ける場であった)に、「豆腐を作るには綺麗な水がいる」という話に対してクラスメートがスカした感じで「綺麗な水がないと作れない…シリコンバレー半導体と同じですね!」と言い放ち、その場にいたクラスメート全員が「それ、この前社会の授業で習ったやつやん」となり、おじさんには「この子供は何を言っているんだ?」という感じで流されてしまったのを思い出して、今更である上に他人事にも関わらず滅茶苦茶恥ずかしくなってしまった。

豆腐と半導体を結び付けられる柔軟性を持ちながら何故愛されないタイプの円谷光彦(名探偵コナン)みたいな感じになってしまったんだろう。光彦の社交性が高く、紳士的な性格が突き刺さる。

光彦、お前は素晴らしい子供だよと最終的には光彦を崇め、光彦が自分と同じように成長したとして、どんな音楽を聴く大人になるんだろうなぁと妄想した結果、クラシックとか声楽とか洋楽じゃなくてtofubeatsなんじゃないかという結論に達したんだけど、これ完全に豆腐の話に引っ張られただけだなとなって己の単純さに溜息が出るに至った。

バーロー…。

 

それはそうと、このブログを書いていて褒められる事はほぼ無い。

別に褒めてくれと言いたい訳ではない。

褒められる事がほぼ無いという現実よりも褒めてくれと言いたい訳ではないことを解って欲しい気持ちの方が強いくらいである。どうかお願いしますよ、お願いしますね。

何故なら、褒める為には褒められるべき内容がまず必要という、この世界の真理に僕も辿り着いているのだから…(最近「鋼の錬金術師」を観て影響受けている。すいません。)

そう、褒めるポイントとなるべき内容がそもそもないんである。

無い袖は振れない、皆、着たくもないタンクトップを着せられて、こんな、長い文章を、読まされている。

その苦しみの岩を潜りて「内容が無いのに長い」という点を無理やり褒めてくれる慈悲深い人にお目に掛かる事が稀にあるので、最早インターネッツ荒業として成り立っているのかなと開き直っている次第である。

そんな中、「内容が無い時に下ネタに逃げないのは偉いですね」と言って頂く事があり衝撃を受けた。え?そういう褒め方あるの?マジ?と、褒めの新大陸を発見した気分である。そもそも大海に漕ぎ出してもないのに大陸側からやって来て頂いて申し訳ない。ハワイ島ですら少しずつしか寄ってこないというのに大盤振る舞いにも程がある。楽天ポイントの還元率が霞む程のサービスっぷり。神…様…(RADWIMPSふたりごと」参照https://youtu.be/gmLXEmCExIE)

しかし、下ネタに逃げる方が滅茶苦茶難しい不自由な性格をしているが故にその偉さが微塵も体感出来ないでいる。実に勿体ない。褒められる事なんて基本的にないというのに、その貴重な機会に俺は一体どうしちまったんだ、とキャラにないニュアンスで狼狽するばかりである。

下ネタが言える人はマジで凄い。

芸人同士が相手を笑わせんと激闘を繰り広げる「ドキュメンタル」なんかを観ていても、起死回生の一撃が下ネタである事は実に多い。要するに下ネタを使えない人間は窮地で狩られる側の存在であると思っており、そう思っているにも関わらず下ネタを振ず、奮えず、震えている自分がまさか褒めてもらえるだなんて、という感じである。

確かに僕自身も下ネタを使わないタイプのお笑いが大好きであるので、下ネタを使わないことを褒めて貰えた事自体は滅茶苦茶に嬉しいのだけれど「下ネタに逃げない」というのは間違いで、単に「下ネタをかます根性がない」というのが正しい。

この「使わない」と「使えない」の違いは余りにも大きく、勝手に過大評価と受け取って勝手に怖くなってしまっているのである。

まあ、お笑い芸人でも無いので有り難く受け取って、その喜びだけで100年くらい生きられちゃうよ的な漫画のヒロインくらいしか許されなさそうな表現でお礼を言えたら一番良いのだとは思ってはいる。

この度は、お褒め頂き本当にありがとうございました。人生100年時代、年金よりアテになる気がするよ。

そんな感じで味をしめて引き続き内容の無い文章をまき散らして行こうと思う。よーし頑張らないぞー。

 

またー。