性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

人類よ、鰻のタレご飯を守れ!!

相変わらず帰宅すると急激に手足が浮腫む。

家に帰る際は大体お腹が空いているので、クリームパンの様にパンパンになった手を洗いながら「今なら清潔だから喰えるんじゃないか」という気持ちになる。

随分とまあ、陰鬱な気持ちになるクリームパンである。

 

散々危惧されており、周期的に話題に挙がる鰻絶滅危機問題が今夏もアツいのだけれど、僕も非常に危機感を抱いて鰻の運命を注視している。

鰻丼ではなく、鰻のタレご飯が好きだからである。

世の中的には、鰻が絶滅すれば鰻のタレを売る必要は無いのである。鰻が絶滅した場合、その後を追う様に鰻のタレもヒッソリ姿を消すだろう。僕らにサヨナラも告げずに、忽然と。それが自然の摂理であると理解はしている。でもそんな事って、寂しすぎるよ。僕らはまだまだ君と一緒にいたいんだ。

鰻が無いのにタレが売っている、という構図は流石にこの立場からしてもピンと来ないものがあるが、我々、鰻のタラー(鰻のタレ愛好家の意)としては鰻のタレの販売をどうにか続けて欲しい。勿論、鰻が絶滅しない及び万が一の際も鰻っぽい何かが食べ継がれる形でタレが存続してくれたらと願っている。

全く不謹慎かつ本末転倒な主張ではあるものの、死ぬ前から死んだ後の事を考えて保険に加入する日本人がそれを批難するのは腑に落ちない。代用品は保険である。タレが一般に存続する為の。

鰻のタラーの中でも派閥はあるので全員がこう思っていると勘違いされては困るが、僕にとっての鰻丼の主役は米である。米を美味しく、より多く食べるおかずとしてタレがあり、その食感のアクセントとして鰻が採用されただけなんである。完全に「卵が先か鶏が先か」の様な口ぶりであるが、成り立ちを度外視しているという認識はあるので安心して欲しい。

単純に味覚の好みとしてこの順番なんである。味のついた米をおかずに白米を食べるという構図がとても好きなのである。

広義ではお好み焼きでご飯を食べたり、そば飯と同じ括りだ。それ自体は割とポピュラーな傾向であるのにそれらより圧倒的に受け入れられていない現実と、そのマイノリティー感に対する憤りについてはまた別の機会に書きたい。

ちなみにこの括りにおいてはポン酢かけご飯も好きなんであるが、ポン酢は色々使い道があるので何か1種類、ポン酢をかける対象が滅したところで安泰である。夏はサッパリしたポン酢かけご飯の魅力を実感して貰える季節だと思うので、是非ご賞味頂きたい。

 

話が逸れたが、そういう訳で鰻のタレがとても好きなのだ。

 鰻のタレご飯は貧乏飯にランクインするのが現状である。ここはセレブや芸能人が鰻のタレご飯が好きだと公言(この際、ステマを含んでも良い。生存戦略である)して認知度及びイメージを変えていく必要がある。

まずは星野源斎藤工叶姉妹などSNSが生活の一部になっている界隈に根強い人気を誇る人たちが土台を獲得し、ユーチューバーや子供向けアニメに進出し子供に浸透させる事で未来への種を蒔く。少子高齢化が叫ばれる中、長い目で見れば魅力を伝えるべきはリミット迫る老人ではなく、子供である。子供に普及できれば親も祖父母もついてくる。子は鎹、ここに極まれり。

 

とかツラツラ書いているものの、世の中で売られるということは人の手で生み出せるという意味である。これを勝機かつ商機と捉え、今から美味しい鰻のタレを自作する術を身につけ、ネット通販で売れる様になっていれば全国の鰻のタラー御用達の人気店になれるかも知れない。

研究と試行錯誤を血の滲む努力でもって積めば、将来的に予約殺到で生産が追いつかず、闇レートでもって高値で取引されるくらいになれるかも知れない。

夢は広がる。現実にはやっても個人で楽しむ程度に作るだけだろうけれども。

先にも述べたが、そもそも鰻が絶滅しないのがタレにとって一番安泰なんである。

鰻には本当に頑張って欲しい。何なら捕まらない様に進化を遂げて欲しい。ただ行き過ぎると絶対に人間に捕まらない生き物になってしまい、食べられることもなくなり、人々が食べてきたという記憶を失い、最終的にその為に鰻のタレが世の中から消えるというパターンもあるので鰻の皆さんも人間の皆さんも、本当に程々にお願いしますね。

とある鰻のタラーより。

 

またー。