性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

これはいけませんねぇおじさんの話。

 最近はKing Gnuとあっこゴリラの音源を購入したのでよく聴いている。どちらもとても良いので改めて簡潔に感想を述べたいのだけれど、それらと並行して「以前よく聴いていたのに最近あまり聴いていなかった作品」をいくらか聴きなおしており、とても格好良くて「え?こんな素敵な音楽誰がインポートしてくれたの?僕だ!」という茶番を度々繰り広げているのでそれについてサラっと書いておく。

まずはPsysalia Psysalis Psycheの「#7」と大森靖子さんの「TOKYO BLACK HOLE」である。この2枚はそもそも現時点での「人生の十傑」に普通に入ってくるくらい好きな作品なのだけれど、どちらも少し間が空いてしまったので新鮮さが出てたまらなく素晴らしかった。前者サイサリは不良っぽさとアングラさと美学を艶っぽい粗暴さでもってブチかますバンドでたまらない。文学めいてから一転ギャグかよくらいにユーモラスな舵の切り方をしつつ、美しく苛立ちを表現出来てしまうところが大好きであり、それが極まった最高傑作(だと僕は思っている)がこの「#7」である。音圧とか声量とか技術とは別の、魅せ方が凄まじいバンドで、未だに聴く度に身悶えてしまう。恋をしている。

大森靖子さんの「TOKYO BLACK HOLE」は好きな作品ばかりの大森さんの中でも特別刺さったアルバムで、こちらは魅せ方も歌も演奏も凄まじいというとんでもない作品である。シリアスな曲の希望と、明るい曲の中に混ざっている絶望はその日の気分によって抱き上げる部分が異なるのでその都度自分がどういう状態で、何を欲しているのかが少し解る気がする、純度と情報量が濃いアルバムだと思っている。

その他ではmudy on the昨晩の「pavilion」を聴き返した。歌の必要性を微塵も感じさせないキャッチーさと爆発的な展開力が魅力のトリプルギターのインストバンドで、特にこの作品は冷んやりした質感で難解な絡み合い方をしているのにテンションが無限に上がっていくという楽しい作りとなっていてたまらないんである。好きなパートのギターを弾くメンバーが脱退するという試練を2度味合わされた経験があるのも思い出深く、また観たいので3度目も辞さないくらいの気持ちでいる。観れる日が来ると良いのだけれど。

mol-74の「ルリタテハ」も聴きなおして恍惚とした作品で、これはもう美しくって優しくってヤバい。「3.9」から「待ちわびた音色」へ続いていくところが特別好きなんだけど、細くて還暦迎える頃には聴き取れないんじゃないかという美声がじんわり温かくて、この透明感と深みの両立として「暗さ」を出してこない姿勢が意外と硬派で好きなのだと思う。

逆に暗さを率直に出す事で透明感と深みを悪魔の様に増して天使と化しているのがplentyの「this」だと思っており、こちらも数珠繋ぎ的に聴き返した。plentyは透明感があるのに浮遊感が無い、身近でゴツゴツした感情を切々と鳴らす様が好きだった。掴み所がない風でいて誰の目にも見えていることを歌うという不思議な存在だなといつも感じる。plentyは僕の中では悲しみというよりも憤りで、だからこそ好きなのかも知れない。悲しいで止めるなんて日常でやり尽くしてる感があるので、彼らなりに憤っている部分に触れると心が軽くなるんである。

他にも聴き返しているんだけど、長くなるのでまた別の機会に書きたい。

それにしてもこの、中身が伝わらなさそうな書き方は何なんだろう。

 

それはそうと、東京の雪による交通網の麻痺っぷりをみて大変だなーと他人事の様に思っていたけれど、雪こそ降らないものの大阪も気温がぐっと下がり、氷点下の中を通勤しなければいけない朝を迎えた。

ちなみに氷点下と響きが似ているのが黄天化である。封神演義でお馴染みの彼、そう「仙界伝の方」と口にするだけで当時を知るファンが机を拳で叩き顔を伏せてしまう、存在自体が黒歴史のアニメにおいてキャラソンばかりが先行してしまったあの彼である。どのキャラよりも仙界伝時代の汚名を晴らそうと意気込んでいる可能性があるので、この度の「覇穹 封神演義」でも意気込み過ぎて空回り結果として恥ずかしさで血が止まらねえさとならない様に、特に入りに関しては慎重を期して欲しいと願っている。流れるプールならば漂流者を多々出さんとする濁流の様な展開速度である。前回よりも期待出来ることはまず間違い無いけれど、果てしなく心配である。寒い扱いだけはもう本当にやめてあげて欲しい。ただでさえ他のキャラより布の面積が小さいんだから。

そんな黄天化と響きが似ている氷点下の話に戻るけれど、そんな訳で大阪も朝から大変寒かった。我ながらそんな中でよくもまあキチンと起きて支度して家を出れたなと自画自賛したいレベルだった。

しかし家というのは外よりも暖かいものである。外で生活する過酷さから脱却する為に人は床と壁と屋根がある家を発明するに至ったのだから当然である。何が言いたいのかというと、外よりあまりに暖かい家の中で「頑張って準備した」の頑張りがソレとしてカウントされない程度のものだったことをいざ外に出た瞬間に痛感したのであった。頑張ったつもりだったけどアレ別にウォーミングアップですらなかったな、本当にそれしかしてないけど起きて顔洗って歯を磨いて着替えただけだったな、草彅剛が撮影前に歯を磨いて目を覚ますってインタビュー滅茶苦茶前に読んだけど何でいつまでもこんな些細なこと覚えてんのかな、などと余裕ぶっこいていた己を恥じた。寒い。本当に寒い。

マンションの共用廊下を歩き、エレベーターに乗り、エントランスから外へ出た瞬間に冷たい風が頬を張った。撫でるとかそんな生易しいものじゃなく、完全にぶたれた。出会い頭に暴力ってもうDQNじゃなくてサイコパスだと思うよ。

その一撃があまりに寒くて思わず石田彰が言いそうな優男ニヒリスト風に「これはいけませんねぇ」と呟いたのを知らぬ間に後ろに来ていた同じマンションの小学生集団にバッチリ聞かれてしまい恥ずかしさのあまり競歩で五輪目指せるくらいのスピードでその場を去った。

警戒心の強い僕の背後を取るなんてとんでもない子供たちである。義務教育ではなく忍術学園に通っている可能性がある。忍たま彗星…。

マンションの子供達の間で「これはいけませんねぇおじさん」が都市伝説として流行ったらどうしよう。悪いことをすると背を向けた状態のおじさんが現れ、「これはいけませんねぇ」と呟いてからこちらを振り返る前に本心から謝らないと連れ去られ翌日死体で発見されるみたいなエピソードがどんどん広がって実写化されたらどうしよう。始祖としてはやっぱ最終的には貞子か伽倻子とバトって欲しいところであるし、実現した際には軽く取材も受ける可能性があるので何かしら上手いコメントを用意しておきたいところだ。

独り言を子供達に聞かれてすごい恥ずかしかったということをここまで判りにくく書けるものなのかと焦りを感じている。この焦りを今後に活かしたい。

 

またー。