性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

宇宙よりも遠い場所ことジュマンジ、マジ卍。

度々推していたアニメ「宇宙よりも遠い場所」が最終回を迎えて、それが凄く良かったので泣いてしまった。

色んな場面でドラマチックに泣かせにかかれたはずの最終回である。ブリザードを効果的に演出に使うもよし、もっと爽やかに終わるも良し。

でもその中で、一番現実的でシリアスな進路を選んだ容赦の無さと愛おしさにガン泣きしてしまった。

母親を失ったどうしようもない喪失感と向き合う為に突き動かされる様に南極へ来たものの、それを認める最後の一歩が怖くてたまらなかったり、その喪失感を受け入れるのに躊躇する仲間の幸せを願い背中を押す友人の姿が凄く良かった。

喪失感を認めた時に堰を切ったように溢れてくる悲しみを少し離れたところで自分のことのように一緒に悲しんでくれる友人たちを見て、何て優しい話なんだと思った。

大味な感動に逃げず、穏やかさの中で人の汚さを隠さず、ふんばった人の先には本当に大切なものがあると思わせてくれる良い作品だった。

こんな作品がもっと増えれば良いのに。

 

花見のついでに万博公園の民族博物館に行った。生活や信仰や文化に関わりのある資料ばかりが膨大な量展示されまくっているので脳がフル回転して滅茶苦茶楽しく、同時に滅茶苦茶疲れる。

入館料も安いし、真剣に全てを満喫しようとすると一日いても全然足りない情報量なので控えめに言って最高の施設である。こんな施設が空いてるなんてどうかしていると来るたびに思う。

万博公園は桜も綺麗だけれど他の草花も綺麗だし、大人250円の入園料が掛かる為に民度が高いので花見客にも綺麗に保とうという意識があるし、そもそも整備が行き届いているし、広いしでとても良かった。

 

その後、映画「ジュマンジ-ウェルカム・トゥ・ジャングル-」を観た。カタカナにするとダサさが増す副題ではあるがカタカナが非常によく似合う作品だった。

先行上映で4DXで3Dで吹き替え版という情報量の多い状態で観た。4DXには3Dが含まれていると思っていたけれど別モノだと初めて知った。

生まれて初めての4DXは揺れるわ風くるわ匂いするわ水かかるわで派手だったけれど、普段のシートよりドッシリ座って観ていられない(動くから)ので姿勢を保つのに力が入り膝が痛くなってしまった。

チケットが2800円に加えて3Dメガネが400円というなかなかなお値段だったけど初体験だったので経験値として元は取れた気がする。楽しかった。

3Dメガネは持ち帰って良いらしかったのだけれど、普段の生活で活用する場が思いつかず回収ボックスに入れて帰った。「不要な3Dメガネ回収ボックス」という絶妙な名のついた箱だった。

映画自体はもっと派手でバカみたいな作品かと思いきや普通にしっかり作られていた。

ジュマンジというゲームの世界に取り込まれた主人公たちがクリアを目指すという内容で、ゲームの特性というか残機システムを活かしたステージクリア方法など面白かったし、派手な映画の癖に普通に挙動と会話のテンポで笑いをバンバン取りに来るので油断ならなかった。

1996年と2018年の高校生に流行り、自然と使われている言葉のギャップが日本語の「チョベリバ」「マジ卍」「神ってる」などで表現されていて親近感が凄まじく理解しやすかった。

字幕だと音声として受け取れないのでここまでの共感は無かったと思う。

一方で字幕版だったら英語でこの世代差をなんて表現するのか聞けたのにな、と思った。ハッキリ言って短期間に複数回観る様な作品では全くないのでそれを知るのはかなり先のこととなりそうである。

ただ、これは吹き替え版の方が当たりという珍しいパターンではなかろうかと思うくらい笑いという意味ではハマっていたので是非観る予定がある方には吹き替え版を推したい。

 

パシフィックリム、コナン、リメンバーミー、坂道のアポロン、赤ん坊のやつなど観たい映画がやたら公開中及び公開間近な為、どれから観るか、また無事全部観れるのか、何故やたらアニメが多いのかなど気が気ではないけれど全部面白かったら良いなーと思う。

 

またー。

婚姻届の証人になった僕はチョコレートプラネットにハマった。

友人の婚姻届に証人としてサインした。

巷では親族でなく友人にサインしてもらうパターンも増えつつあると聞いていたものの、それを求められるという展開は全く想定しておらず身に余る光栄であると共に自分が果たして彼らにとってどんな風に見えていて何者なのかが解らず困惑した。そんな素敵な人間でいれてるんだろくかほんとうにわわわわわわたくしでよろしいのですかあああああ人生わかんねーなってなった。

とは言え真っ先に書いた様に大変に光栄だったので二つ返事でこちらこそお願いしますという気持ちで引き受けた。どうしようを通り越して超どうしようとあとから思った。超あとから超思った!具体的に言うとひと月以上前に言われてたのに前日になって思った。

当日、友人カップルは友人夫妻になるべく意気込んで遠方より新大阪に婚姻届と共に降り立ち、もう1人の証人となる友人との待ち合わせ場所として狙いを定めていたカフェが残念ながらどこも満席なのもあり、昼前からビールの飲み比べセットを舐めつつ待つ事となった。率先してそこを選んだ訳ではなく、仕方なく酒場を選んだことを強調したい。緊張をアルコールで和らげ様とした訳ではなく、結果的にそうなってしまったのである。

友人は1年前の冬にネタ的な勢いでお揃いにして呉を旅行した贔屓目にみて若干ダサいライ◯オンのパーカー(ユタ州ばりにのどかな州の名前が異常に細いフォントで記されている)を着てくる気合の入れ様で待ち合わせるなり僕と僕の奥さん二人掛かりでdisってしまった。口が悪い。

ちなみに僕は揃いのパーカーを荷物になるからという友達甲斐のない理由で友人宅に置いて帰った。ちょっとした悪人である。

自宅に移動し、予約していた某メルヘンのサンドイッチのパーティーセットを食し、腹ごしらえをした後に婚姻届にサインをした。

婚姻届は成人男性の平均的な筆圧に耐えうるか些か不安が残る薄い紙で出来ていた。自分たちの時もこんなに心許ない素材だったか奥さんに尋ねるものの、奥さんもこんなに薄くはなかった気がすると曖昧な返答をくれた。覚えてる訳もない。自分の時だって緊張していたのである。恐らく紙質まで詳細に覚えていられるのは役所の人間と発注を受け婚姻届を印刷した業者と3回くらい婚姻届を提出したことがある人と色んな人に証人となってくれと言われる人望が有り余っている聖人くらいのもんである。結構いるけど自分は入る余地がないんで覚えてなくても仕方のないことなのだ。

書きながらペン字を習っておけば良かった、間違えたら全員書き直しになるからヤバイぞこの連帯感を煽る感じ軍隊式の新人研修っぽいな行ったことないけど、ていうか本籍久々に書くけど全然馴染みがない土地だなこんな町名本当にあるのかな、判子が俺の存在感より薄い気がするけど大丈夫か、ただ単純に手汗がヤバい、などなど余計な事ばかり考えながらも無事に書き終えた。

その後からジワジワ友人カップルの夫婦化に伴う幸せを祈り、祝う気待ちが湧き出して来た。

このまま出しに行くというので最寄りの役所に提出しにいった。そこは僕と奥さんが提出したのと同じ市役所の同じ休日受付窓口で、所縁もない土地で2人はあっさり夫婦となってしまった。

先輩風を吹かせていいのか悪いのか判断がつかず、特に気の利いたことも言えず、何故か脳内で延々とらんま1/2のオープニングテーマが鳴り響いていた。(KUSU KUSUの地球オーケストラだった。普通そこはじゃじゃ馬にさせないでだろ)

桜が綺麗に咲いており、天気も良く、控え目にいって最高のロケーションで記念撮影をし、市役所に掲げられがちな率直かつシリアスな交通安全標語を人生訓として解釈し胸に刻むなどした。この美しい門出をバッチリ納めるカメラマンとしてだけでも十分なのに2人の人生にガッツリ加担させて頂きヤバいくらい光栄だな、やらかす予定は全くないんだけど悪いことして新聞載ったりしない様気を付けようと思った。

本当に、本当に嬉しかった。

お祝いの焼肉を食べ、宅飲みをし、最終的にアニメ覇穹封神演義を鑑賞して日付が変わった頃に呆気なく寝た。

全員が緊張しており、その緊張からようやく解き放たれてドッと疲れたのだと思う。よく寝た。

客間が新婚夫妻で埋まってしまったのでもう1人の証人となった友人は書庫を兼ねた部屋に泊まって貰った。地震がこないで本当に良かったと思う。ジャンプコミックスの下敷きにならなくて済んだ。

翌日はのろのろと起き出し、全員でポプテピピックの最終回を鑑賞し、蒼井翔太に度肝を抜かれ、ガストでのんびりと朝食を摂るなどした。

夫婦とは何か、何をしたらアウトでどこまでセーフか的な話を気怠い空気で和気藹々と話した。結婚は制度的なもので、かつカジュアルなものなんじゃないかとボンヤリ思った。

上手く行くに越したことはないんだけど、ダメでももうどうしようもなく詰んでしまうイベントではないとその話をしながら思った。

しかし、当然ながら友人夫妻には末長く幸せでいて欲しいし、先輩(?)として同じ役所に婚姻届を提出してしまっている僕と奥さんも、可愛い後輩が出来たということで上手く続くと良いなと思った。まーダメならダメで、ではあるけれども。

どうやら誰の人生もそれぞれ結構長そうな気がするので、どうか良い感じであって欲しい。

 

夜はライブ。感想は別のエントリーで。

 

翌日は有給休暇を取得した。

年に何日かは絶対に消化しないといけないと言われており、その日数に1日足りないまま今年度が終わろうとしていたので滑り込みで取得した。

前後がパンパンに詰まっており休まない方が楽なレベルだったので取得したものの心の底から喜べない事態であるが休みは休みである。

特に日中の予定が無かったので高校野球を観戦に甲子園へ足を運んだ。

山口、長崎、大阪、佐賀などの代表校の試合をビールを飲みながら応援した。大阪桐蔭の選手は体格、落ち着き、スイングスピード、球速の全てで頭ひとつ抜き出しており、吹奏楽部も貫禄の一言だったんだけど、対戦相手の伊万里の在校生及びOBの結託した大応援団の和気藹々とした雰囲気にとても惹かれた。

強大な優勝候補相手に苦戦しながら徐々に喰らいつける様になり、最後には遂にランナーを生還させ、まだまだステージを上げようという熱狂をチームと応援席が一体となって生み出していた。

僕自身は大阪桐蔭を応援していたんだけど、とてもグッとくる光景だった。

 

一度帰宅し、お弁当のおかずを作り置きなどしてから再出動し、生まれて初めてお笑い芸人のワンマンライブを観になんばグランド花月へ。

2度ほど新喜劇を観に訪れたことがあるけれど、単独公演は初である。

お目当はチョコレートプラネットで、ここ半年くらい度々動画を見てファンになってしまった中、単独公演があると知り、チケットを予約した。

流れとしては漫才から始まったものの、ロバートやインパルスでコントに目が向いてラバーガールというコンビを知り、その人を傷つけない笑いの取り方がとても素敵だなと思って他にもないかと探しているうちに辿り着いたのがチョコレートプラネットで、加えて博多華丸大吉であった。疲れたOLが可愛い若手俳優にハマるのとある種同じである。笑いに優しさを欲していたのだ。

その中で一番ハマったのがチョコレートプラネットだった。

小さなジャブを繰り返し打ち、それを積み重ねる丁寧さと計算に基づいて隙の多い設計ながら異様にしっかりした小道具。急にぶち込まれる勢い。

お笑い芸人さんのネタバレは絶対に書けないので詳しくは述べないけれど、その魅力が遺憾無く発揮された90分に及ぶライブだった。

東京03のDVDを鑑賞した時にも感じていたのだけれど、長い尺の中での地続き感が面白さに及ぼす影響はエゲツないのだな、音楽のライブと同じ様にネタをセットリストとして組んでライブ全体でひとつの大きなうねりを作るのだなと自分の爆笑をもってチョコレートプラネットに改めて思い知らされた。

あとはただ2人の体格が好きだなと。良い、肩幅だと思う。

また彼らの単独公演を観たいし、他にも色々足を運びたい気になっているが、これ以上飛び込む先を増やしてしまうと破産一直線である。

用法容量を守り、ご利用は計画的に、であるけれど、楽しいことは決して無駄にならないという気もするので積極的に自分を甘やかすスタイルを採用したい。

 

またー。

3月に聴いた音楽のまとめ。

3月に初聴きして良かった奴です。

 

MUSE/THE RESISTANCE

サミットのスーツの提供がポールスミスでシャツが花柄。

 

Phoenix/Alphabetical

会う度にデカフェの美味しさを説いてくれる。

 

AFRICAEMO/Squatter

サバンナで一番売れてる哲学書。

 

serial TV drama/マストバイ

憧れの先輩の二次会での一気コールを許せるかどうか。

 

Clean Bandit/new eyes

着メロ作曲の奇才が2010年代にタイムスリップ。

 

Django Django/Born Under Saturn

スタッフが全員菅田将暉科学技術館

 

w-inds/INVISIBLE

どこに出しても恥ずかしくない細身の音楽オタク。

 

Apogee/OUT OF BLUE

めっちゃ美味しいんだけど「こんな味だったっけ?」となる冷凍パスタ。

 

KASABIAN/48:13

パシフィックリムの序盤のテンション。

 

Bud Powell/Bud Powell in Paris

高いレストラン行ったら食器下げる音が大きくて緊張が和らいだ話。

 

またー。

オークションで絵を買ったという報告日記。

青柳カヲルさんという好きな絵を描く人がオークション形式で毎日1枚作品を出品するという試みをされており、作品が素敵だったのとオークションを利用してみたいのとで入札に参加してみた。

 

売れなければ1日で出品を取り下げるとのことで、基本的に出回るのは1作品ずつ(数時間ダブることはあるけどそれでも2作品である)、その作品と全力で向き合って欲しいかどうか考える必要があり、こっちの本気を引き出してくれる感覚が楽しかった。素人なりに感性が研ぎ澄まされる。個別指導の塾の様な熱烈マンツーマン。

毎回欲しくなると思いきや、長い時間考えると本当にどんどん欲しくなる作品と競り負けても致し方なしという作品が出てくる。これは作品の優劣じゃなくて好みの問題なので誤解なき様に。

 

それを繰り返した結果として、これを書いている時点で2つの作品を落札することが出来た。1作品手に入れると、違う一面が欲しくなってしまい、もう1作品にもトライして落札することが出来た。

幸運もあるだろうけれど、この世で今、この作品を一番欲しがっているのは自分で、それが入札額という形で認められたという気持ちになれたのはとても嬉しい発見だった。

ちなみに最初に手に入れた作品は、自分の誕生日に描かれたもので、一目みた瞬間に「あーこの日っぽい、めっちゃこの日っぽい」という気持ちになりどうしても欲しくなってしまった。

自分の誕生日が得意な方ではないので自身を祝いたくて絵を買うというのは、やっちゃう?本当に?と何度も自問しながらの作業であった。

この絵があれば自分が生まれた日も斜に構えず過ごせるかも知れない。そんな気さえした。気の持ち様なんだけども、気の持ち様だからこそ。

そんな風にどうしても欲しかったので落札出来た時は興奮してスマホを床に落としてしまった。指が震えた。胸キュンLINEがブッ込まれた少コミのラブコメの登場人物かよ。

 

最近は仕事の休憩の度にオークションのアプリで入札に参加していない作品まで必ず動向を確認している。

そこで印象的だったのがアーティストがこれまで広く知られる様になったキッカケとも言える色合いの作品の入札件数が多く、入札額も高いことだった。

感覚的に言えばバンプと言えば天体観測アジカンと言えばリライトみたいなもので、そのアーティストが生み出した個性(と皆が思っているもの。特色とも言える)が強く現れている(と観て感じる)作品の方が人気なんだなーと動きを眺めていた。

そう言った自分がその人らしいと思える作品へ連想しやすいものが特に欲しくなるというのが凄く良くわかるので皆同じなんだなーと嬉しくなった。

子供の頃、万博公園近くの美術館でピカソのちんまりとした人物画を観て「こういう絵もあるんだ、でも超ピカソって感じのやつも観たいなー」と感じたのを思い出した。その写実的な人物画からは子供の頃の自分が抱く「超ピカソって感じ」は連想出来なかったのとそんなに遠い感覚ではない気がする。

今ならどっちもピカソだしそれぞれ良さがあるだろうと思うんだけど、当時はそうだった。

今回手に入った作品はどちらかというと超ピカソではないのかも知れない。でもパッと見た時に「この絵が家にあったらめっちゃ嬉しい」という作品が手に入って心から良かったと思う。

「絵が欲しい」「絵を飾りたい」という気持ちを芽生えさせてくれ、実行に移させてくれたアーティストの作品であるので喜びもひとしお。

 

加えて初めて買った絵である青柳さんの作品(デッサン画)は額縁まで付いた作品だったので、今回はもう1つの試練として額縁を買い、自分で整えるという工程を授けられた気分である。

欲しかった絵に自分の表現を加えるというレベルの行為だと思うので素人にはハードルが高い気もするけれど、新たに与えられた楽しみだと思い、あれやこれやとネットで似合いそうな額を探して購入し、絵と額がそれぞれ届くのを待った。

まずは絵の到着を待ち、額屋さんに持ち込もうと思っていたのだけれど「服を買いに行く服がない」という素人ならではっぽい症状に陥り、そんなんで額屋さんの門を潜ったら角で殴られ血を見るのではという敷居の高さを捏造することによる被害妄想に取り憑かれ、とりあえず自分なりに似合うんではないかと思われる額を手配した次第である。発想がダサい。芸術童貞のソレで初々しいと思って処理して欲しい。

 

偶然ではあるけれど、絵が届いた翌日に額が届いた。

届いた絵を見て、まず当然なのだけれど「これが自分のものになったのか」という感動が大きかった。

その後スマホの画面では気付かなかった細部のニュアンスや発色の魅力(明るさよりも暗さにえげつない差異がスマホと現物にはある)が追い打ちをかけてきた。

もっと色々印象や好きなポイントなど書きたいのだけれど、書くのも野暮だしどうせ生の絵をみて貰わないと伝わらないから控えることとする。でも、めっちゃ良い絵なんだよってことだけ聞いて欲しい。面倒な年頃である。

現物に触れ大事にしようと思う一方で、自分が選んだ額が果たしてこの絵を引き立ててくれるのか、いやもうこれそのまま壁に飾った方が絶対素敵だろ、なに磨きゼロの知識で調子乗って額用意しちゃってんのと不安になった。

ちなみに額は化粧台紙のあるものと、予備で化粧台のないポスター用のものを手配していた。

化粧台紙が何なのかすら今回まで知らなかったレベルの素人ではあるけれど、額と絵の間の余白を生む紙のことだよと同じ様な人は参考にして欲しい。

まじまじと現物を見て初めて知ったのだけれど、化粧台紙は絵の縁の断面が斜めになっており、絵が非常に際立つ様に出来ていた。普通の画用紙を切っただけだと思っていたので驚いた。地味ではあるけど、バーンと絵を前に出してくれるヤベェやつだ。破天荒な生徒会長をサラッとサポートしてしまう書記の様な存在だった。額もまたそうなのであるけれど、存在感的には副会長といったところか。

緊張しつつも額装を施したところ、なんということでしょう、愛おしさが倍増した。

大袈裟だし烏滸がましいのだけれど、この絵を世界一欲しかったのは僕で、この絵にどんな額が合うか一番考えたのもきっと僕なんである。それがしっくり来ないハズがない。めっちゃ似合う。めっちゃ似合うし絵をもっともっと大切に出来る気がした。

勿論、プロにあれこれ提案して貰うという更なる探求も楽しみではあるし(服を買いに行く為の服がない状態も脱した訳なので)、額屋さんに近いうちに持ち込んでみたいとも思うけれど、暫くはのんびりと眺めて過ごしたいという気分である。

 

何にしても一度成してしまうとやれば出来るという気持ちになってハードルが良い意味で下がった。

これからも本当に欲しい作品があったら迷わず手に入れられるよう、ちょっとした節約などを積み重ねて予算を確保しつつその時を、今回自分の元へやってきてくれた作品を眺めながら待ちたい。

 

またー。

相変わらず俺はプライム付いているという話。

最近アマゾンプライムで観て面白かった作品をただ紹介するだけの日記。

 

・紺田照の合法レシピ(ドラマ)

料理マンガ、料理アニメ、料理ドラマ全てに言える事であるが、僕の中でここ最近一番大切なポイントは「ちゃんと後片付けしそうかどうか」である。

ちょっと何言ってるか解らないという人もいるかも知れないので説明すると、料理パートそのものよりも前後の言動や性格により「コイツはこんな手の込んだ料理を作る癖に後片付けしなさそうだな」と感じてしまうと評価ポイントが大幅に減点されるのである。

後片付けを面倒臭がる描写があればまだ良いが、一切そこに触れない作品もあるので由々しき事態である。

実生活においては、たまの休日に父親が手の込んだ料理を作り、後片付けは母親任せという残念なパターンと近いものがあるのでその様な着眼点と思って頂いて良い。

そこをいくと本作の紺田くんは手の込んだ料理ばかり作る割にどこをどう見ても後片付けまで完璧にこなしそうな気配しかない最高の逸材である。突飛な材料も使わず、手間暇を惜しまず、後片付けもちゃんとしそうで、しかも高身長で責任感の塊である。結婚して欲しい。

作品自体は日活感があるのかないのか詳しくないので解らないものの、露骨なセクシーパートや人相の悪い人を集める技術は中々のもの。アマゾンプライムオリジナル作品にありがちな「予算が潤沢にありそうなのにどうにも使いこなせてない感」があり、何となく「俺は今アマゾンオリジナルを観ている」という気持ちになれて良い。その感覚も東京ヴァンパイアホテルに比べれば大人しいものではあるけれど。

まだ続く作品なので興味のある方は是非ご覧頂きたい。

 

ポプテピピック(アニメ)

アンチを煽るに留まらず、アンチを水増し発表するJリーグなら処罰されかねない姿勢の番組を僕はポプテピピック以外に見かけた事がない。

あらゆる製作元が集って好き勝手にやっている様も好きだし、何より異なる製作元がネタ被りを無視してそれぞれのアプローチで作っている感じが好きだ。

ちなみにアンチの存在を公にするという意味では「ミントな僕ら」の南野まりあが一番サラッと自然で見習いたい。

パロディーの精度としてはもう思い入れのないものは一切解らないんだけど、パロディーというかザキヤマばりに人のネタで笑いを取る姿勢なので賛否は凄まじいと思う。

人のネタで笑いを取る場合は「人のネタを使ってやがる」という事実がまず笑いを起こす為、本家よりも文脈が破綻している分、テンポだけはズバ抜けている。ポプテピピックは一切の説明を省いた結果、更にテンポだけはズバ抜けている気がする。

再放送の男性声優陣は先攻の女性声優陣に比べれ非常に個性が出難い為、更にネタに特化する傾向にありカオティック過ぎてよく解らない空気になることも多い。

面白いかどうかと言われるとマジで回による、という感じではあるが、僕はとても好きなのでオススメしたい。

 

宇宙よりも遠い場所(アニメ)

女子高生が南極を目指す物語である。軽音部でもないし戦車を駆りもしないしラブをライブもしないしプリをパラもしないが、その代わり南極を目指すんである。

非常に平和な世界で皆優しいし、一生懸命であるが、和んだら胸がギュッとなって微笑ましく構えていると急にキツいテーマをぶっ込んでくる恐ろしいアニメである。

焦り妬み嫉み劣等感。優しい世界の外側があってはじめて優しい世界となり得るのだと妙にソリッドな気付きを得て観てしまう作品である。

 

・ロア〜奇妙な伝説〜

ジャンルが解らないんだけど、伝承を信仰や時代背景などの観点から解明していくという趣旨の番組。

海外作品の割に再現ドラマの質が悪いのと淡々とし過ぎているので緩急に乏しく、ハッキリ言ってどの回も「あと15分短くまとめてくれたら最高なのにな」と強烈に思ってしまう。

怖さ云々じゃなくて不可思議という意味合いでのオカルトが好きな人や、怖さよりも怪しい雰囲気が好きな人に向いている気がする。

個人的にはロボトミーの回が年代的にも近く、テーマ的にも興味深くて面白かったのでオススメしたい。でもあと15分短く作って欲しい。シリアスなトーンが続く上に展開がゆったりしているので眠くなってしまう。

 

面白い番組があったらまた紹介したいところ。

 

またー。

シックスパックからカレーのルーを射出するタイプのC・ロナウド。

筋トレは週1のジム通いを含めて続いており、これまで50回は「松本人志みたいになるの?」と言われるという副産物を生み出しながら徐々に身体つきが大きくなってきている。

松本人志みたいになるの?」のあとに3割程度の確率で「松本人志って筋肉つけ出してから面白くなくなったよね」という最早僕への評価ではない言葉を頂戴することがあり、率直に言って嫌だ。

マジ知らんがなだし松本人志は面白いし何より松本人志よりつまんねーやつしかそれ言わないだろそれ宣伝してどうするんですかマゾなの?という気持ちになってしまい何故か親族でも友人でもない松本人志評に怒ってしまう気質と化した。

その他にも風邪をひいたり体調を崩すことがなくなったり、疲れにくくなったり、ユニクロの服を着てもそんなに安っぽく見えなくなるなどのメリットと、可愛らしいデザインの服などがあまり似合わなくなったり持ってる服のサイズが微妙に合わなくなって出費がかさんだりというデメリットも実感している。

とても好きだったズッカの花柄のシャツがサイズ的にパツンパツンになってしまい、考えうる中で最も似合うだろうという男に勿体無いから着てくれと押し付けたらディズニーシーに行く時に着ててマジでクッッッソ似合っており、見立て通りなんだけど何故か腹立った。でも似合ってるから嬉しくもある。複雑だ。

腹筋はまだ割れないものの、シックスパックのシルエットが見えつつあり、あ、ちゃんと僕も腹筋6つに割れるんだという気持ちになると同時に地黒なのもありカレーのルーを彷彿させ、カレーが食べたくなる。

実家のカレールーがいつも2つの商品のどちらかで、拘りがあるのかなと思っていたけれど自分で買い物する様になってからそれがどのスーパーでも最安値の商品であることに気付き、ただ単純に安いものを選んでいただけなんだと切ない気持ちになったことを毎回思い出しながら腹筋をしている。

そして切ない気持ちになりながらも高いルーを経て結局普段使いは親と同じルーのチョイスに落ち着いてしまったことに思い至り、家カレーは食べ慣れた味が最強なのではないかという気付きを得た。つまりカレーのことばかり考えながら筋トレをしているので、ジムの他の利用者よりも絶対にお腹が空くのが早い気がしている。大した重りも挙げられないのに食欲だけは一丁前である。チャームポイントということにしておいて欲しい。

ちなみに普段使い云々を度外視した場合に好きなカレールーはZEPPINである。美味しさとネーミングセンスが非常にツボである。どちらかというとネーミングセンスの方が自分の中で強く前に出ている向きもある為、ネーミングセンス補正で余計に美味しく感じているのかも知れない。参考にして欲しい。(何の)

 

会社の異動に伴う送別会みたいなものの煽りを受け、楽しみにしていたライブに行けないかった。

チケット代は勿体無いが、世話になっている人の送別会に行かないわけにもいかず、僕に使われずチケットは紙屑になった。

もっと前もって手放しておけば良かったと反省している。送別会の日程が一度変更になっていたので、ギリギリまで再度動く可能性に賭けてしまった。

ここ最近の中では珍しく執着していたライブなので欲深くなってしまったのかも知れない。

年々、色んなことに対して期待しない人間になりつつあり、こういったちょっと残念な出来事が更にそれに拍車をかける。

あまり関係ないけれど、朝の大混雑しているマクドナルドで子連れの女性が野放しにした子供にメニューを決めさせる為にさも当然の様に時間を費やし、ハッピーセットのおもちゃを袋の上から触って持ってる形だからと交換させ、言ってないのに持ち帰りでオーダーしたと言って商品を下げさせ(絶対に言ってない。僕は順番待ちしながら暇だったので全やりとりを聞いていた)、飲み物の氷がこのタイムロスで溶けるので作り直せと言っているのに遭遇してエネルギーを吸い取られた。

期待を通り越し、そうするのが当然のことと思って生きられる人がいる一方で自分は何なのだという意味で滅茶苦茶疲れてしまった。

どうとでもなると思っているだろうし、実際どうとでもなってきたんだろう。

笑顔と丁寧な言葉遣いで言えば何でも我儘でなく受諾されるべき要望となると思い込んでいる人がいる。こんなに丁寧に言ってるんだから断る方がおかしいと思っている人がいる。

確かに世の中そんなもんである。そう出来ない自分でもそう思う。

それでも、そうなれない自分が、そんな些細な期待も年々抱けなくなっていく自分が、とても虚しくなる。何の話だろう。やめやめ。

 

大森靖子さんが配信ライブで「メジャーデビューしたての頃、嫌なことから逃げた」という話を自身を振り返ってしていて、凄く素敵な人だなと思った。

自身を守る為に必要なことだったかも知れない。美化も出来るかも知れない。

でもそれをただ「もっと頑張らなきゃいけなかった」「逃げてしまった」と率直に話している大森さんの声を聞きながら、こんな風に自分もなりたいと思った。

これやらなきゃなーと思うことを出来たか出来なかったかだけでしっかり見返せる大人になりたい。

「そんなことないよ」に甘え過ぎると、きっと優しさではなく持ち合わせがないから「そんなことないよ」としか言えない大人になってしまうから。

 

小難しいことばっか書いてて息切れしちゃうわ。

 

またー。

「blank 13」の感想になってない感想。

3月9日はレミオロメンの「3月9日」を思い出すんだけど、今年は「これが藤巻さんが『サンキュー』って仮タイトルつけててスタッフがマジでヤベーと語呂合わせ的に考えたタイトルが『3月9日』だったらどうしよう」となり調べるのも怖くてそのままそっとしておくことにした。歌詞の感謝の仕方をカジュアルダウンし過ぎだろ。絶対そんなことないだろうけど、万が一語呂合わせ的に生まれたタイトルだったら今後真っ直ぐ聴けないかも知れない。

 

そんな一日の終わりに映画「blank 13」を観た。

予告編を初めて映画館で観たときに、嫌な予感がしていてどうしようかなと思ったんだけどちゃっかり前売り券を買って観に行った。

世は空前の高橋一生ブームで、まあそれもウォレットチェーンと革ジャンと羽生結弦と千のプーさん(革ジャンを着たチバユウスケが千のタンバリン風にプーさんを「黄色いアイツ」と呼ぶところまで妄想した)を前に若干落ち着いた気もするけれどそこで下車してしまう程度のライトな愛情を、自分でもどこかでそうだろうから否定出来ない。ただ自分でもどこかでそうだから笑ってしまえるんだと思う。

このカード社会にウォレットチェーンってまだ有効なのだなという感想である。高校生の頃、定期と3千円しか入っていない財布をウォレットチェーンに繋いで夏祭りへデートに行ったらあったその場で外せと言われたアイツは見る目がなかったんだろうか。それとも高橋一生だから許されるだけなんであろうか。

ちなみに社会人になり、当時も手放した今でさえもお気に入りのTシャツを着て行ったらその後「あのTシャツ、本当にダサかった」とあらゆるタイミングでdisってくる女性と結婚した。その場で言うか後々言うかでこうも結末が違うというのだから人生解りませんな。

ハッキリ言って未だにdisられる度に「未だにdisんのかよ」というのと「あれ未だに気に入ってるんですけど」というダブルパンチで腹が立つし、そんなことで未だに腹がたつ自分にも腹が立つ。

blank13」はそういう映画だった。

 

 ネタバレは極力避けたいのだけれど、恐らくしてしまうので観る予定がある方や自分の感想以外許せない気質の方はまたどこかでお目にかかりましょう。

 

冒頭に書いた「嫌な予感」というのは、自分の家族を取り巻く環境がblank13と同ジャンルのテーマ違いという代物なのではないだろうかというもので、それはもう見事に当たってしまった。

奔放な祖父は祖母や僕の親とその兄弟を振り回して大変な苦労をかけた挙句に宗教を出禁になり、最後は彼女に遺骨を持ち逃げされる始末。その祖父をキッカケに関係が悪化した親の兄弟は僕の結婚式だけでは飽き足らず祖父の葬式までも揃わない。

だから本当に腹が立つし、どいつもこいつも揃いも揃って一生許さないだろうと思う。

思うんだけど、やっぱり良い思い出もいっぱいあるし、きっと亡くなると辛くなるだろう。祖父がそうだった。

葬式について僕は常々卑怯だと思っている。

そこに集うのは何だかんだ言ってその人を好きな人ばかりで、素敵なエピソードが集まってくる。んなもん知らんがな、死ね、死んだるけどとなりたいけど、相手は全くその通り死んでいる上に周囲もなんか「今日くらい許してやんなよ」「死んだんだから終わりになさいよ」という空気になる。お前ら死んだ人間に優しくする前に生きてて仲の悪さに心を痛めている僕の母親に優しくしろよと思わずにいられない。

でもそう憤りながらも自分の中にも祖父との良い思い出があって、しかもエピソード聞いてると「あーやりそうだな」とか思って微笑ましくなってしまう。

そして結局何にも言えずに黙ってお供え物の果物を貰って帰るんである。祖父が糖分を吸っていったのかどれも中途半端に水っぽくてガッカリする味だったのをよく覚えているし最後の何個かは腐らせてしまい捨てた。美味しかったらもう少し印象が薄まるだろうに、最後まで祖父はズルい。

blank13は、13年のブランクを必死に生きて徐々に平穏を取り戻した家族と、13年変わらないまま生きて勝手に呆気なく死んだ父親の話で、どこか他人事でない物語だった。

勿論、僕は劇中の様な苦労をしていないので熱烈共感とか言えないんだけど、ボンヤリと39度の風呂に入っていて隣にいる知らないおっさんに「なんかぬるくないすか?」「あーわかる」みたいな感じの共感を受けた。

そのボンヤリした部分がことごとくタバコの煙で上手く現されていて、煙というのは実にズルい、掴めないものを掴めないものとして掴めないまま表現しきってしまうんだなーという気持ちになった。

画の明度と彩度の雰囲気がお洒落を素通りして生活感という感じで、どことなくホームビデオの様にもアルバムの様にも感じ、過去の回想と現在が別々に暮らしてきたのに繋がってるんだろうなと思った。

高橋一生の戸惑い方や苛立ち方がたまらなかった。

最後、母親が吸ったそのタバコはまさか、まさかと想像を煽ってちょっと涙が出た。

あと、テーマ曲があんまりに良かった。

 

滅茶苦茶面白かったよ!と人に言える感じじゃないけど、人が暮らしたということは何かを遺すんだということをただ普通のテンションで言ってくれる良い映画だった。

葬式コントは受付の導入から高橋一生の挨拶というオチまで、あの実際の葬儀に付き纏うムズムズとした笑いをねーよという手を使ってあるあるという親近感に変えてくれた気がした。

だから全然派手じゃないしドンデン返しとかないけどちょっと優しい気持ちになれるの好きな人は観たら良いと思う。

 

喪服姿の金子ノブアキも拝めるし。

 

またー。