性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

くるみ割り人形が、来る。

「ぼぎわんが、来る」を読んだ。

これは映画「来る」の原作なんだけど、まだ映画は観ておらず、しかしながら興味があって読んだ。

再三に渡り述べている様に(初見の方はすいません、これまで何度も何度もホラーは怖いから無理みたいなことを延々書いているんです)苦手で、でも観たい、じゃあ原作読んでおけば予習出来るから映画館でビビり倒して周囲に別の驚きを提供しなくて済むんじゃないかという魂胆である。

このパラシュートを開いた状態で飛ぶというか、それ醍醐味のスリル激減しません?と言われる様なことをしている自覚はあるものの、人より断然ホラーが苦手なのでこれくらいのカンニングは許されて然るべきだと思う。

そんな事を言いながらITやらヘレディタリーやら洋画のホラーを多く観て来て、遂に自分の生活圏である日本を舞台にしたホラーへ挑戦するレベルに到達したことが少しばかり誇らしくもある。

原作を読んだ感想としてはホラーと言うよりもBLEACHゲゲゲの鬼太郎に近い霊能若しくは妖怪バトルな雰囲気にじっとりとした人間ドラマが絡んだ印象で、ココスの新メニューが大きなハンバーグに酒盗乗せて辛口の日本酒と一緒に出て来るみたいなニュアンスだった。

需要と供給がここまで食い違う人間関係はヤバ過ぎるけど普通にありそうだもんなコレ…と思わず自分の胸に手を当てて考えてしまった。

 

という文章を年末に書いて保存しており、すっかり興味がアフリカ諸国の独立後の問題へと振り切れてしまっていて、ようやく思い出したのがこの日記の投稿前日である。

まーここまでチャドの霊圧が消えた…?なソウルソサエティ(カタカナにするとティーティーニューヨークの新作みたいだな)っぷりならば映画も何とかなるんじゃなかろうかと腹ペコサラリーマンの強い味方(食べログのクソレビュー風)ことレイトショーにて鑑賞することにした。

とは言え素面で恐怖に耐える自信も此の期に及んで無かったのでビールを飲みながら映画「来る」との決戦の時を迎えた。どんだけ怖がりなんだよ。

 

そして、結論としてはマジでBLEACHだったから全然大丈夫だった。ムヒョとロージーの魔法律相談所の方が怖かったレベル。ムヒョ可愛いよな。

とある家族(父・母・娘の三人家族)が軋みに軋んでもうダメだって時に出来た隙間から微かに光が射す様な原作に比べ、映画はマジでBLEACHだった。マジでチャドの霊圧が消えてた。

これはITだのヘレディタリーだのホラーのメジャーリーグに揉まれた成果なのか、アルコールを摂取し過ぎて恐怖を感じる神経が一時的にロシア人ばりになってしまったのかと考えながら観ていたのだけれど、結論としてBLEACHだわコレと思ってからはBLEACH風に作品を鑑賞する事が出来た。

原作を随分と変わった受け取り方をして描き直したオリジナルストーリーだなと感じつつ、これはこれで面白いなと思いながら観た。

映画のストーリーの方が「こんな悲しいことあるか?」という気持ちになった。有るべき所に救いがなさ過ぎる。普通に脚本家を恨むレベルで母子に同情してしまうので順番的には映画を先に観てから原作を読む方が良いかも知れない。僕は逆だったので脚本家を一発殴らせて欲しいくらい凹んだ。どこの列並んだら殴らせてくれます?それとも僕が先頭ですか?滅茶苦茶派手で別モノ感突っ走ってくれたの本当に良かったですありがとうございますパンチ。

2時間以上ある割にテンポ良く観れる所がとても良かったし、黒木華さんや妻夫木聡さんの壊れっぷりも良かったし、松たか子さんのキャラの立たせ方もよく原作のまんま表現できたなコレって感じだったし、岡田准一さんだけ「いつも凄いのに今回調子悪かった?後半インフルエンザだった?タミフル服用してない?」と思ってしまったり、スーパーヒーロータイムで怪獣が巨大化する時の細胞の蠢き的なカットイン多用なのが宅配ピザばりに脂っこい気もするけど良かった。

地上波だとシーンをカットされる尺なので、DVDが出たらもう一度観たい。そう思えるシーンがいくつかある映画だった。

あとオムライスの国でオムライス食べたくなった。

 

今年もこんな感じでネタバレしない代わりに何の参考にもならないスタイルで映画の感想を書いていきたいと思う。

 

ので、もう一本感想を書く。

映画「くるみ割り人形と秘密の国」を観た。

老若男女ドンと来い仕様のスマートに、何も考えずに全部ちゃんと理解出来るディズニーらしい映画だった。(それを考えるとリメンバーミーなんかはかなり異質なメッセージが込められ過ぎてはみ出している気がする)

ディズニーの実写と言えば素晴らしい音楽と映像、そこに生身の人間が入っていくという表現の美しさが最高だと思っていて、今作も大満足だった。バレエの舞台表現がファンタジーにガッツリと噛み合っていて凄く楽しかった。

ストーリーはクリスマス〜お正月映画らしく、滅茶苦茶に単純で案外狭いスケールでしっかり完結させてくれていて、素敵な児童書を読んだ時に感じる魅力を味わえる映画だと思う。

登場人物の感情の移り変わりにニヤニヤするタイプの根が暗い僕にはストンと真っ直ぐに眩しくて純粋なキャラクターばかりだった。

鑑賞後、何故だかソフトバンクホークスの松田選手や柳田選手を見ていて感じる「振り切れてる明るさがマジで怖い」という感覚を思い出してしまった。プレーはカッコイイから好きなんだけどメンタルも肉体も強靭過ぎてマジで怖いんだよな。YouTubeでプレーの動画を観ながら勝手に死を覚悟してしまうんだけど、まさか本人たちもプレー動画から死を覚悟するファンがいるとは思ってないだろうし、そんな感想の癖に来季も半端なく活躍して欲しいと思っているのどういう思考回路なんだろう、矛盾している気がするんだけど自分でも理解が及ばない。

何でくるみ割り人形と秘密の国の話してたはずなのにソフトバンクホークスの話をしているのか謎で仕方ない。何が起こったんだろう。

話の戻し方も見つからないし、とりあえずコレ言っときゃオチると思うので最後に書いておこうと思う。

 

阪神優勝や!

 

またー。

第九の楽譜がプリントされたニューイヤー感のあるトレーナーが部屋着。

新年明けましておめでとうございますね。

ルーマニアモンテビデオってどんな精神状態で名付けたんだろうと考える頻度を今年はちょっと下げたいなと思います。頑張りますので宜しくお願い致します。

 

今回の紅白歌合戦は、と頭につけられるくらいこれまでを真面目に観ていないので比較が出来ないのだけれど、平成を締めくくるという熱量に満ちた映画の様な作品だった様に思う。

比較対象が無いなりにその合戦っぷりは関ヶ原くらいのものだったのではと推測している。毎年観てる人の意見を聞いてみたい。

内容としては前半のコミカルさと終盤の美しさの、その都度見所があるのに確実に繋がっており「盛り上がり」の意味を少しずつ変えながら一度も下げることなくピークを更新し続けて走り抜けたので感心してしまった。

この完成度を毎年放送するのは不可能ではないだろうか、視聴者側も紅白歌合戦は「支払った受信料でこんだけの作品が観られる年もあれば、同額支払ってても半分くらいの合戦っぷりな年もある」とドル・コスト平均法を導入してますよ、的な心の余裕を持って楽しみたいところ。

今作は支払った受信料に対してツッコミを入れられるポイントも多く用意されていてかなりお得な年だったのではと思うし、サービス精神が豊富でこちらを試す様なシュールさ投げっぱなし、スベりを厭わず、ボケが混雑しっ放しなのでお前らツッコんどけよという姿勢がYouTubeなんかで漫才やコントを観てクスクス笑っている僕の様なネガティヴ層に特に刺さったのでないだろうか。

冬休みに入ってからアメリカの医療制度や奨学金制度と保健制度の繋がりについてだったり、犯罪における加害者家族が置かれる状況についてだったりと興味故ではあるものの重たいテーマの本ばかり読んでいたせいか勝手に若干ナーバスになっていたのだけれど紅白のお陰で随分と明るい気持ちになれたと思う。

西野カナの「トリセツ」はオリンピック周期くらいで価値観の変化に則してアップデートしながら歌い続けて欲しい。70年つぎたしている鰻のタレの様に、などとシャ乱Qの「ズルい女」を大人になってから聴いた時に感じた「時代に合わせて歌詞変えて欲しい」という思いを勝手に西野カナに背負わせるなどした。

その後、ジャニーズのカウントダウンを観たらセクシーゾーンのメンバーが2018年もあと2分というタイミングでステージから転落し、そのまま年を越してしまい、やって来た2019年よりも安否が心配でそれどころじゃない、空気読めよ新年という気持ちで素直に祝えなかった。綺麗な男の子の身はやっぱり案じてしまうな。

その後、元気にパフォーマンスする姿が観られてようやく「本当に2019年になったのだなー」というモードになるも実感は特に無く、結局仕事が始まるまではこんなモンなのかな、案外世の中の人たちも初日の出とか初詣とか初売りとかそういう場所に行く事で実感を育む?養う?ことで実感を得ているのかな、などとボンヤリ考えながらタッキー&翼を観た。

夢眠ねむさんの「コズミックメロンソーダマジックラブ」って凄い情報量でイモ餅明太チーズ味みたいだな、とホットスナックのことを考えている間に眠りに落ちていた。新年早々ファミチキ先輩である。ファミチキ先輩がサラダチキンでムキムキになってるCMを見かけるけどお前揚げ物の癖にストイック装うのどうなん?という気持ちが強い。揚げ物には揚げ物の良さがあるのだから忘れずに自分を信じて欲しいと切に願う。

 

初夢は友人と知人と言っていいのか、の2人が瀬戸内寂聴法話を聴きにいくというのでその財布係として嵐山へ同行するという内容だった。

「当券でるから」という理由で寂庵の列に並んだけど、財布係ということは嵐山に至るまでの交通費や友人が持っていた餅なんかを僕が買い与えていた訳で「当日券って前売りより高いんじゃないの?」と文句を言いながら当たり前の様に三人分の料金を支払っていた。我ながらどんだけ太っ腹なんだよ。富豪にでもなったのか。あと法話への参加のシステムがライブハウス仕様なのマジで想像力と知識量の限界って感じだよなと目覚めて振り返りながら思った。

三人分の料金を支払ったのに法話はおろか入場前に目が覚めた。夢でくらい瀬戸内寂聴さんに会いたかった。

 

2日の初売りは回避し、3日に普段からお世話になっている服屋さんへ買い物に行った。

13000円するトレーナー(オシャレに言うところのスウェット)を購入する。トレーナーにしては随分と高いのだけれど、トレーナーを着ると部屋着のお父さん(ホームセンターが異常に好き)みたいになる率が高い中、そのお父さん感がお兄ちゃんくらいまで緩和される商品と出会えた喜びもあって購入してしまった。部屋着のお兄ちゃん(凄いオタクっぽく見える)を宜しくお願い致します。

予想外の出費であるので新年早々自炊を頑張らないといけないと自らを鼓舞するなどした。

 

幸いなことにまだ冬休みは続く。

シリアスなテーマの本を読みながらものんびりと過ごせたら、と思う。

 

またー。

今度の舞台は自由の国アメリカ!な続編は桃鉄くらいしか知らない。

年末になると貧困もしくは人口減少を題材にした本を読む癖がついていて、縁起が悪い様な気もするんだけど、どうしても12月になると只でさえボンヤリしているのに加速してしまうのでシビアであり自身にも関係のある情報を得て重しとして地に足をつけたい気持ちもあって読んでしまう。

今年は遂に日本を飛び出し、舞台をアメリカに移して(こんな表現でいいのかって話だけど国内すらそこまで知識として蓄えられてないのに海越えちゃったよ感がある)の貧困の現実で、オバマ・ケアに関する報道やマイケル・ムーア監督の作品程度の知識しかないのでこれをキッカケに色々興味を持てたら良いのだけれど、と企んでいる。

年末年始はテレビが似た様な番組ばかりになるのでどうにも退屈だし、浮かれた空気感に何か馴染めない元来のネガティヴさと出不精に拍車が掛かるので本を読む時間が増えてしまう。

まー本を読むこと自体悪いことではないと思うので読めるだけ読みまくってしまえたらと思う。

 

あとは冬休み中は毎日何かしら運動したいという目標があって、やり切りたいと意気込んでいる。

足腰にもう少しドッシリ感が出るとバッティングフォームが安定すると思うので無理のない範囲で下半身を追い込みたく、その土台がちょっとでもこの休み中に出来れば嬉しいなーと思っている。

子供の頃、野球をやっていた身としては一つ覚え的に走り込みがやっぱり効きそうな気がしていて、実地とルームランナーだとどうしても実地の方が良い負荷が掛かり効率が良さそうだなと思うんだけれども、ここまで12月感のないのんびりした気候だったにも関わらず年末に無理くり間に合わせたかの様な寒波到来でとにかく冷え、ルームランナーが恋しくなってしまう。

この甘えをお年玉的に許すべきかどうかはもう少し脳内会議が必要と思われる。

 

急にインドアに振り切れてしまうけれど、こみっくがーるずNEW GAME!を立て続けにプライムビデオで観た。

それぞれ面白かった。

行き過ぎた同性社会っぷりの作品って多いけど何でだろうという事をふと考え、その傾向が強そうだなと思ってこの二作品を観た。何故こういう世界の描き方をするのか考えながら観始めたものの、結局ただ楽しく観てしまったけれど。

こみっくがーるずの主人公たちだけでなく出版社が見渡す限り女性、学校の先生も女性だったりする世界観や、NEW GAME!の主人公たちだけでなくゲーム製作会社、ゲーム発売日の列に並ぶお客さん、居酒屋やレジの店員さんまで皆女性という世界観はとても不思議だなと思う。

両作品とも登場人物が皆優しく、一生懸命なので平和で癒される。様々な性格のキャラクターがいるのに、皆お互いをリスペクト出来ていて、夢がちゃんとあって、それを眺めているとちょっと元気になる。こみっくがーるずの主人公かおす先生に対する担当編集さんの想いなんかでホロッときてしまった。

純粋に応援するってこういう事か、と教わった気がする。

一方、サブどころかモブとしての男性キャラもいないのは女子校神聖化みたいなものなのかなーという気がしている。勿論、男性キャラしか出てこない作品にも同じ歪さがあって、同性同士で社会を形成している、ということに異性としてどこか安心する側面があるのではと考えていた。

別にアニメに実社会を持ち込む必要なんて無いのではあるけれど、何となくそんなことを思ったというだけの話。(但し、NEW GAME!の続編NEW GAME!!では早々にセルフツッコミが入り、別部署には男性がいると明かされているし、その後相変わらず男性の影が無さ過ぎて前述のセルフツッコミが何だか強烈な蛇足に感じられる)

それはそうと遂にdアニメストアに課金してしまったので劇場公開が迫るユーリ!!! on ICEも復習として観られるし、これまでプライムビデオで観られなかったアニメも大体観れる環境になった。

自分の中のアニメ好きをアニメオタクの領域に持っていける強力な味方を迎えることが出来た。

アニメオタクというのは個人的にハマりっぷりが探究心に繋がるタイプの人のことを指していて、階級的にアニメを楽しく観てるだけの自分はただのアニメ好きである。

ここからアニメオタクの領域まで持ってけるくらいハマれる作品があると嬉しいなーと思いながらあれこれ観たい作品を検索しまくっているのが現状である。

 

年末には良く解らない熱量と分量で意味不明な自由研究をしていた様な気がするんだけど、今年はやる余力が無かった。残念。年始に思いついたら何か書きたい。

今年はずーっとバタバタしてた気がする。

もうあんまり振り返りたくもないというか、振り返るだけで疲れてしまいそうで怖いというか、よく無事で走り抜けられたなーというくらいのもんで、とりあえずお疲れって感じである。

そこら中に過去に自分で埋めた地雷が埋まってて、それを上手いこと避けてこれたかな、と思うのでそれだけで十分褒めに値する、という事にしてしまいたい。

来年も頑張れるかは解らないけれど、真面目だから頑張るんだと思うし、まー来年は来年で程々に頑張れよって声をかけてあげたい。自分に。

 

こんな中身のない長文を読んでくれた方、兎にも角にも良いお年を。

来年もよかったらお暇な時にでもお付き合い頂けたら嬉しいし、超ラッキーです。

 

またー。

2018年に観た映画をまとめただけ日記。

今年は映画をよく観たので勝手にその振り返りというか総括をやってみようと思う。

ネタバレだけは気をつけたいと思うけれど、予告編で流れている内容くらいは触れる可能性があるので予告編すら許せないネタバレ極刑主義の方はどうか自己責任でお願いしたい。

 

ちなみに2018年、映画館で観た作品はコチラ。

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自分用の記録としてメモに書いていたものなので表記的に端折ってしまっているものもあるけれどこんな感じである。

全23作品でそのうち1作品は2回観たので24回映画館に足を運んだことになる。半月に1回のペース。

今年公開の作品に限らず、過去の名作「バグダッドカフェ」や「灰とダイヤモンド」もスクリーンで観たのでカウントに入れている。

個人的なペースとしては例年に比べてよく観た方だと思う。

 

映画って本当にメインテーマだろうがそうじゃなかろうが人間関係が何となく歪で、それを根っこにして進んでいくことが多いなと思っていて、人間集まればそりゃ関係性も生じる訳で、そこをすっ飛ばして捉えようと思うと僕のキャパ程度ではもう1人で無人島で暮らさせるくらいのことをして貰わないと無理かなーみたいな気がしている。極論的にはナスDの無人島生活くらいのニュアンスで単独突破というか。

だから何を観てても関係性に目が向いてしまう。本筋が面白いより先に気になってしまう。

今回はそういう部分ばかり目を向けて書いていこうと思う。

そういうのではなかったナスD的な映画は「ヴェノム」と「ジュマンジ」くらいかも知れない。ヴェノムは関係性を創り上げていく映画だったし、ジュマンジスクールカースト的なやり取りが設定としてあるのに作品の深みに全く繋がっていなくて機能していなかった。(面白くなかった訳ではない)

 

まず家族における人間関係にエグさを感じた作品を挙げていこうと思う。

「blank 13」と「バーバラと心の巨人」、「ヘレディタリー」は家族における葛藤が三者三様で凄かった。「blank 13」は家族の生活を滅茶苦茶にして失踪した父親との向き合い方を淡々と描いた作品で、予告編でも死んでるので言うとその父親は死んでしまうし、失踪してる間に色んな人と生活して好意を抱かれている事への「残された家族」としての納得のいかなさと受け止め方が良かった。コミカルでまぁしゃーねーな的な落とし所から、少し先にある「とは言ってもなぁ」まで持ってってくれた感じが良かった。

家族の評価に葛藤があるという意味では「パシフィック・リム アップライジング」も割としっかり描いていて、ロボットかっけー!!怪獣こえー!!みたいなのを観に行ったのに「あ、お疲れ様です…」となる部分があった様に思う。

バーバラと心の巨人」は立ち向かう事で逃げる、もしくは逃げる為に立ち向かうという、誰でもやってしまう「没入することで死角を無理やり作る」と言う事で主人公と主人公の姉が心を護ろうとしているのが痛々しかった。

「ヘレディタリー」に至ってはすれ違いや思い込み、押し付けのオンパレードがスカイツリーくらい積み上がった状態で映画が始まっており、昼集合で延々飲み続けていた地元の集まりに夜9時ようやく帰省し直行、合流したくらいのぶっちぎり具合で「あ、仕上がりまくってんなー」という感覚だった。入店した頃にはOASISの合唱が始まってる感じ。

ヘレディタリーの場合は「この愛を何故解ってくれないんだ」というのがナイフ同士のクロスカウンターと化していて、その押し付けが生んだ想像を絶する恐怖映画って感じなんだけど、この愛情の押し付け方については「リメンバーミー」が案外ヘレディタリーに近いものを感じた。

近いと言っても蒙古タンメンとミネストローネを遠くから見て似てるなと感じるくらいに同色異味ではあるんだけど、リメンバーミーは兎に角「幸せとはこうあるべき」「愛してるからこうなって欲しい」という家族ならではの押し付けが凄くて、教育熱心な親とか絶対このテーマ発狂しそうなモンだけど全然話題にならなくって、押し付けてる側ってまず押し付けてる感覚がないから自分がこういう事をしてるって気付かず楽しく見れちゃうんだなーと思うと本当に恐ろしい映画だった。主人公みたいに主張し続けないと解って貰えないんだなとちょっと陰鬱とした気分になった。作品としては滅茶苦茶面白かったけど。

 

人間関係と言えば社会とか組織における関係性もドラマチックで凄く気になってしまう。

孤狼の血」はこれがマル暴とヤクザという任侠感ドカ盛りの世界観でギュウギュウに描かれていて滅茶苦茶面白かった。粗暴な様で繊細なバランスの上に社会が成り立っていて、何かを満足に得る為には誰かに退場して頂かなくてはならない、という社会の縮図。おおきくふりかぶってやH2しか知らずに高校野球の観戦に行ったらガラの悪さというか無骨さにビビるくらいのインパクトがあった。

暴力抜きにこれを表現していたのが「ビリオネア・ボーイズ・クラブ」で、表現っていうか実話に基づいているから現実にこういう事はあるんだよなーと思う。どちらの作品にも金と地位に追われる脅迫観念みたいなものが横たわっていて足を取られまくっている。

両作品とも格好良い男性俳優が山程出ているので、そういう意味でもオススメである。ビリオネア〜の洋画あるあるな非日常全開のイケメンスーツじゃなく、日常にいそうなイケメン大集合なのが妙にリアルでその辺りを特に推したい。ニベアのCMに出てくる外国人くらいの親近感。

これを全員難があるのにチャーミングなおじさん、おじいさんに置き換えたのが「スターリン葬狂想曲」で、ソ連のお偉いさん達が皮肉めいた笑いをバンバン提供してくれたんだけど、社会主義の冷徹さへ急に舵を切るそのタイミングが絶妙で「あ、この人たち政治家だったわ」と思い知らされた。ハロウィンにお菓子くれても銃声したわヤクザはヤクザだったわみたいな。

他にも「名探偵コナン ゼロの執行人」も意外とこのカテゴリーに入ると思っている。「安室のオンナ」を全国的に生み出した強烈な褐色キャラ推しアニメ(昨年は全国的に平次の彼女が爆誕した。コナンで人気になる為には日サロに通うか怪盗になるのが近道)ではあるけれど、トリックや動機のガバガバさに反して組織に対する葛藤みたいなものが色濃い。えっ…そんなん気にして観てないんですけど…という憧れのバンドマンの対談記事で着ているTシャツの英文だったりテーブルに置かれたペットボトルのラベルに写真のピントが合っている様な気持ちになる。ただそこを細かくあるものとして描いてくれているから骨太感が出てくるという気はしている。

そりゃバンドマンがTシャツ着てなかったら服着てってなるわな。着てる方が対談内容が頭に入ってくるし良いに決まっている。(着てなかったらそれはそれでご褒美なのかも知れないけど)

あとは「プーと大人になった僕」も家族というより社会との関係性についての重さが強かった様に思う。管理職の苦悩。世間という同調圧力が作った幸せを目指さなければならないという使命感による疲弊。100エーカーの森にお住いの皆さんはいちいちとっても可愛らしくって癒されまくったんだけれど、でもこいつら税金払ってないし、食ってく為にお金がいるとか理解出来ないしな…と求めてはいけないものまで求めてしまって己の小ささに軽く凹んでしまった。

現実社会の政治、宗教を踏まえた関係性という意味では「華氏119」と「ガザの美容室」が強烈だった。華氏119についてはドキュメンタリーなのでリアリティーという言葉を使うのもおかしな話なんだけど、例えば水道事業の民営化や銃社会なんかについてはマジでこうなる可能性もあると思うと怖くて仕方がない。

勿論上手くいく可能性だってあるけれど、知らないままで決められてしまう事への恐怖を知るというのはとても大切なことだと思った。

ガザの美容室は宗教と政情不安を丸々描きながら、美容室という閉鎖空間で二重にそれをゴリ押ししてくるので心が締め付けられる思いだった。頼んでもないのに大盛りカレーをサービスで更に大盛りにしてくれた様なインパクトは凄かった。

 

家族の関係性が素晴らしくても社会的な関係が追いついていないという複雑さが主題に大きく影響を及ぼしたのが「君の名前で僕を呼んで」だった。性的マイノリティーという言葉すらまだ無いのではという時代に同性愛を描いた作品というポジションになるのかも知れないけれど、とにかく美しくて素晴らしい恋愛映画だった。

主人公エリオの背伸びしてフラついてしまう自身の足元への苛立ちだったり、投げたボールが思ったところに返ってこない拗ね方が胸を締め付けたし、オリヴァーの社会を知っているからこその葛藤とエリオへの気持ちが痛かった。

映像も風合いと言っていいのかとても色彩が美しく、テンポも絶妙だしエンディングも素晴らしかった。

 

その他、全然触れてない映画も面白いものばかりで「カメラを止めるな!」は二回観た。最初は関西では京都のイオンでしか放映されてなかった時で2回目は拡大上映のタイミングだった。映画って面白いなー!映画って最高だな!という気持ちで観られた楽しい作品だったけれど、気持ち的に惹かれるポイントがほぼ無い作品だった。

ボヘミアン・ラプソディ」はライブシーンの再現度と臨場感が凄くてテンションがブチ上がった。リアルタイムの世代では全くないので彼等がどんなポジションのアーティストであったのか勉強になって良かった。

他にもあるけどとりあえずこれくらいにしといた方が良い気もする。

 

今年観た作品の中で無理やりベスト3を選ぶとしたら、

1位:君の名前の僕を呼んで

2位:孤狼の血

3位:名探偵コナン ゼロの執行人

今の気分ではこの感じ。

 

来年も観たい作品が控えてるし、もう公開中なのに行けてない作品も複数あるので時間とお財布に相談して観にいきたいと思う。

 

またー。

俺が夢子なら相手は二宮くんしかない。

一時期、国民的アイドルグループである嵐の夢小説に何故かどハマりして貪る様に読んでいて、その中でも櫻井くんがNEWS ZEROの放送中にカメラ越しに夢子(夢小説の主人公のことを総じて夢子と名付けている)にプロポーズするという話が大のお気に入りでこのままいくと65とか70とかになった時に校外学習の一環で老人ホームを訪れた見知らぬ小学生とかに「おじいちゃんの大好きな昔話を聞いておくれ」とか前置きして語り出しそうなので困っている。子供にボランティアかったりーって思い出を手渡しかねない由々しき事態である。

ラ・ラ・ランド」及び「ボヘミアン・ラプソディ」のスタッフ総動員してこの夢小説を映画化して映画史に足跡をガッツリ残してもらうしかこの惨憺たる未来を美談に転化する術はないと本気で考えている。

本気で考えた結果がコレなのかと愕然としなくもないけれど、自身が長生きするという最悪のシナリオ(ネガティヴなので最悪のシナリオから想定してしまう)をなんとかするには超常現象の域で他力本願、おててのしわとしわをあわせてしわが消えるくらい擦って拝み倒すして願うしかない。

人生ライトプランだと老人ホームに入る前にあっさり死んでいるハズなのでこの鬱展開は回避されるんだろうけど、まあ人生って何があるか解らないのでいざという時の備えはしといた方が良い。

そう自分に言い聞かせてバカ高い半年払いの生命保険の引き落とし額を納得させようとしているって話、をするつもりも無かったけどそうなってしまったのでこっちはそんな感じ。

そっちはどう?

 

それはそうと、会社からインセンティブ表彰を受け、現金を数万円頂いたので全くアテにしていなかった収入であるのを良いことに数年ぶりに宝くじを買うことにした。

存在がセンシティブなツイートみたいな僕がインセンティブを???と狼少年的な見方をされるかも知れないけれど貰えてしまったものは仕方ない。ちゃんと狙ってバッタバッタと案件を倒した結果無事に授与されるに至った。小さくとも立派な俺の物語、俺の冒険なんである。アバンストラッシュ!!!

唐突なアバンストラッシュに驚いたかも知れないけれど、子供の頃、歯医者に行くのを渋る(怖いとかじゃなくてアニメの時間だから嫌だとネチネチとゴネた)僕を「漫画を買う」とエサで釣った母親が「これでええやろ男児が好きそうやし」と買い与えたのがダイの大冒険の四巻で、それからというもの僕の中で冒険と言えばダイの大冒険となった。

何故選ばせてくれなかったのか、そして何故1巻でなく4巻を買い与えたのか未だに納得がいかないし、その後他の巻を買い与えてくれることもなく謎は謎のままであるが、冒険と言えばとなる程には影響を受けた。何故ならカッコいいからだ。

話が逸れたけれど、月給やボーナスとも違う、第三の収入を前に「これがアシがつかない金って奴か」という謎の背徳感を得るも、ただ仕事を頑張ったのに加えて運良く業績も上がったから貰えているので何も卑屈になる事はない。自分を偉いと褒めて良い。

しかし、やる事やってようが制度が無ければ貰えなかったお金であることを考えるとツキが向いてきたのではという気もする。お小遣いの外側に突如湧いたこのお金でさらなる飛躍を果たすべく宝くじを購入する事にした。

とは言え、全額突っ込む勇気は流石に持ち合わせていないサラリーマンなので合計30枚だけ購入した。

これでもし1等が当たったら仕事を辞めたい。

物凄く恩を仇で返している発言な気もするけれど、こんな事を考えている社員なぞ上手いタイミングで辞めて貰う方がきっと会社の為でもある。

辞めたら現金の預金と資産運用を半々くらいにして、猫を飼って、コンビニでアルバイトして暮らしたい。

社会との接点として働いてはいたいと思うので、憧れのアルバイトであるコンビニバイトにチャレンジしたいと思った。

大抵のことは機械が助けてくれるとは言え、あの地味に多岐に渡りまくる業務内容を気怠いテンションでそつなくこなすコンビニ店員への憧れは年々強くなる。メインの職業としては中々収入的に難しいところもあるので、宝くじで高額当選した暁にはコレ幸いと面接を受けたいと思っている。

思っているだけで「でも1枚300円のクジとか勿体無いな」と思って舞台にすら立てていなかったこれまでに対し、今年はちゃんと豚に立てている。凄い。

凄過ぎてこれはもう当たったも同然。将来は明るいな。は?舞台じゃなくて誤字って豚って打ってる。

所詮資本主義の豚ってことなんだろうか。

ブーブー!

 

あとはゾンビランドサガめっちゃ面白いから全人類見て欲しい、くらいかな。

 

またー。

///20180919-20181220///

///傷ついた虎の子、大きな声で有りもしない国の名前を叫んだ/繰り返す文鳥、近付いては離れ、円と輪の違いをガラス越しに見ていた/何に生まれたら、何に生まれても、隣の運命ばかり奇跡みたいに輝いて/その箱の中にある棘の痛みを知らずに僕ら/来世は、来世は、来世はきっと///

 

///霧に包まれた明け方、駅までの道/カラスが荒らす前のゴミ袋は忘れたいことの死体/後悔とほんの少しの満足感で赤く腫れた目で交差点を走り抜ける車のナンバーを追う/僕にとって何の意味もない数字で心を埋められたら、どんなに楽に、曖昧でいられるのかを始発まで考えて缶コーヒーで吞み下す///

 

///踏まれて解けてしまった靴紐の結び方も知らずに赤いニューバランス/誰に倣って歩いてきたのかも思い出せない生活が当たり前な顔して続いていくんだろう/この先も、この先も、この先もずっと/皆もそう思っているよ、実数不明な正解はミスタードーナッツ/甘さを飲み込んでしまえば 食べた側から欲しくなる/何度でも、何度でも、何度でもきっと/この先も、この先も、この先もずっと///

 

///解らなくなった非番の兵隊は/淡いニットについて乾いたチョコを血の跡かと思った/知っていたつもりの勝ち方も負け方も/言葉に出来なくて舌先は痺れた味オンチな兵隊だ///

 

またー。

2018.12.07 大森靖子さんを観て来ました。(@心斎橋BIG CAT)

昼から日本酒を飲み、大好きなキャラクターの新作ぬいぐるみを買いに行くなどした。

ぬいぐるみを集める大人は精神的に成熟していないみたいな記事をどこかで目にしたのだけれど、まあ自身について僕がどう捉えているかと言うと「管理職が風俗で赤ちゃんプレイしに行く」みたいなものと親戚だと思っているので全く異議申し立てるつもりはない。

ただ、日々の降りかかるストレスからそうやってガス抜きをしている人たち(しかも合法で)を何らか欠落してまっせみたいに指摘するだけ指摘してオチが無いままドヤ顔してるのは、それはそれで人のことをあーだこーだ言って気持ち良くなってる性癖にしか見えないけどな、という気持ちにはなる。

 

何度も書いたり話したりしているので初見の方以外は「おじいちゃんまたその話してる」と思って貰って良いし、初見の方には初めましてなのにこんな話しててごめんなという感じなのだけれど、幼少期ミニ四駆(烈豪世代)が爆流行りしていて、ミニ四駆が主人公達の想いを乗せてコースだろうがオフロードだろうが走りまくるという世界観だったのに影響を受けた僕たちは車通りの少ない道路でミニ四駆を走らせるという遊びをしていた(とても危ないので真似してはいけない)

コースと違い力でマシンに追いついて止めなければならない為、子供ながらに自身の運動能力に見合ったスペックのマシンを組み上げる必要があり、そんな環境に身を投じた僕らのコミュニティーはそこそこ自身とマシンのバランスについてシビアに比較を重ねている何か嫌な子供の集まりだった。

自力で追いつけないということは、クラッシュしてひっくり返ったり、草むらに突っ込んだりして止まらない限りは己の限られた小遣いで手に入れたミニ四駆を失う事になるからである。

最悪のシナリオとしては壁に当たって方向を変え、ミニ四駆がマジ四駆に轢かれたり、マジ四駆なら受け止めてくれるハズのガードレールの下を潜って川にダイブして還らぬものとなってしまう。実際何台か尊い犠牲を出しながらも、僕らの中では自己責任が招いた凄惨な事故と処理し、当たり前のものという認識で過ごしていた。サバンナかスラムみたいな価値観である。力を見誤ると運にしか頼れないことを僕らはよく知っていた。

今振り返ると「ミニ四駆を早く走らせたければミニ四駆より早く動ける様になるしかない」という大前提がガバガバであり、コースで走らせるべきなのは明白なんだけれども、僕らの中では前者が当たり前だった為に後者について考える事はまず無かった。

自身の走力を上げる者、自転車やローラーブレードを駆使する者(僕はローラーブレードを駆使した結果骨折するに至る)、己の運に賭けるギャンブル狂いを起こす者など色々いた。

勿論、ミニ四駆はマシンの速さを競う遊びであるので追いつくことを放棄してぶっ飛ばすギャンブル狂の命知らずが一番強かった。それでも僕らの中ではそれは邪道で、「如何に速く走らせ、そして追い付けるか」の両立こそが最上の評価を得ると考えていた。技術点と芸術点みたいなものだろうか。

何が言いたいかというと、傍から見ていると「何で公式の外側から自分たちでそんな苦しいルールを課してやってるんだろう」と感じる事が2018年にも多々ある、ということだ。

メルカリの謎マナーだったり就活の謎ルールだったり仕事のメールの謎長文だったり、そういうものを見る度に自分が身を投じていたミニ四駆界隈のルールを思い出すんである。速いだけでいいハズなのによくわからない別の作法がある、というか。

今回は徳利の謎マナー「注ぎ口から注いではならない」を目にしてそれを思い出した。

美学であることは間違いないので謎マナーなどと呼ぶのは申し訳ない気持ちもあるけれど、では何の為に注ぎ口がついているのか良く分からなくなってしまう。

日本酒は美味いから素敵、で完結出来ている人たちの存在を認めてくれたらと思った。

何の話だ。

 

あとライブに行った。

2018.12.07 大森靖子 @心斎橋BIG CAT

沢山ツアーを回ってくれていたのに結局地元の1本にしか行かなかった。その分、一本に並々ならぬ意欲で臨んだのでコイツ、乾いたスポンジみてぇにどんどん吸収しやがる…という感覚だった様に思う。

今回はアルバム「クソカワparty」のレコ発ツアーということで、その世界観に溢れるライブだった。コンセプトというよりも世界観だったと思う。

「クソカワparty」のシリアスな一面は同じものを別の角度から同じ様なアプローチで描かれていると僕は感じていて、聴いてて諭されている気持ちになることもあった(自分のコンディションが悪かっただけ)んだけど、このツアーではある意味ロックオペラみたいな、組曲的な通しで大きなテーマを歌ってくれている壮大なライブとなっていて凄く凄く感動した。

こんな広い景色を見せようとしてくれていたのに俺は…俺は…という気持ちになった。

アルバムの再現ではなくて、より効果的に届く様に組まれた最強のデッキ、封印されしエグゾディア、いやもう辞めとかないとこれ以上は自滅する。

そう言えば、今期のナナちゃんのCVが完全にボブネミミッミで2018年を象徴する表現だったと感心した。来期はどんなナナちゃんが観られるのだろう。

それはそうとバンド編成もここまでメンバーを固定してツアーを重ねると、バンドの無敵感が出て来て滅茶苦茶に格好良い。

元々バンド畑から来たリスナーなので、個人でも演れる凄い人がバンド編成を採用するとどうしても演奏は素晴らしいのにバンド感が弱くて「やっぱバンドのマジックは起こらないな」と思ってしまうんだけれど、大森さんのバンドからはバンドのマジックを感じる。

各パートの演奏に再現だけでなく個性も求められているからだと思う。実際はどうだか解らないけれど。M-1で審査員を務めた富澤さんが仕切りに口にしていた「人間力」というやつだろうか。

畠山さんのギターがH MOUNTAINSの複雑で大道芸の様でサイコな間合いじゃなくてドッカリしたバンマスとして完成しまくっていて元々大道芸の方の畠山さんのCDを滅茶苦茶聴いていた身としてはバンド「シン・ガイアズ」で今回一番度肝抜かれたのはそこだったかも知れない。

鏡を持って来たり、神様になってみたりしてきた大森さんが今度は生身で目の前にやってきて「お前めっちゃ良い顔してんよ」と優しく教え続けてくれるの本当に超歌手って感じだったしとても素敵だった。

 

またー。