性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

例え僕らが「成功したオタク」になれなくても

「成功したオタク」という映画をネタバレ無しに紹介すると『韓国ではスターやファンに認知されている熱狂的なファンを「成功したオタク」と呼んでおり、主人公である監督こそがあるスターにおける「成功したオタク」だったが、心の底から愛し、憧れ、励まされたその対象が性犯罪で逮捕され、全てを失い「失敗したオタク」になってしまった怒りや悲しみを癒す為、同じように「推した有名人を性犯罪で失った経験をしたオタク」たちに当時はどう思ったか、今はどう捉えているかを聞いていくというドキュメンタリーです』と一息で早口で説明したい、そんな気持ちになる作品だった。

https://youtu.be/kb9ouWyWxdY?si=E4EvnN_0K4Z_YtBc

↑予告編。


僕はYouTubeにこの映画の予告をお勧めされて、タイトルの語感が癖に刺さる気持ち良さ(最近では「スケベなだけで金がない」というフレーズが好きです)に惹かれて再生した時に「これは僕のための映画なので観なければいけない」と思った、というのがキッカケだった。

YouTubeで映画の予告を延々観続けていて良かった、アルゴリズムは使い方によっては友達になり得る、そんな可能性を感じてしまう出会いだった。

好きなバンドのメンバーが性的・金銭的な不祥事で脱退したり、好きで観ていた劇団で酷過ぎる出来事が起こったり、好きなアーティストの身内への対応が個人的に受け入れ難いものだったと発覚したり、自分がハマったエンタメで大小様々な問題がここ数年続いており、塵も積ればで慢性的に肩こりというか、身体が重いというか、何か憑いてます?で霊視したら小ちゃい霊が集団でのしかかってるのが視えますみたいな状態で、でもそんなの人に話すと「勝手に推してるだけじゃん」で終わってしまいそうで話せなかった。

そんな背景が自分にあるので、推しが犯罪者になってしまった人たちがどんな思いで、何を話してくれるのか、自分の向き合い方の参考になるかも知れないと思って、初日の初回に観に行った。

映画館は大体繁華街にあるので、もしキツい言動で満ちた作品で消耗してしまったら、繁華街の明るい人混みに耐えられないぞ、と思って街が活気付く前に帰れる回を狙ったら早起きになってしまった。

結論としては、身構える様な攻撃性は一切なくて、完全な癒しとして作用してくれる優しいドキュメンタリー作品だった。

だから似た経験をした元、現役問わず誰かのファンでモヤモヤしている人には是非観て欲しいと思った。同じ対象を好きな同士って意外とネガティブな話がしにくいと思うので、余計にそう思う。その為の2000円と90分が高いかどうかは各自の感覚によるだろうけども。

以下、ネタバレを含んでの雑感になるので観られる予定のある方はご注意ください。


オ・セヨン監督は、僕の記憶の中にすらもボンヤリと残るクラブ「バーニング・サン」での一連の事件に関与していたチョン・ジュニョン氏を熱狂的に推しており、本人にも認知され、テレビ出演で愛を語る、ファンの代表格に上り詰めていた。

彼からかけられた「一生歌い続けるから君も勉強を頑張れ、良い大学に入れ、親孝行しろよ」という言葉を励みに努力を重ねてそれを成し得てきたのに、肝心の推しは性犯罪で逮捕されてしまうという苦いを通り越して痛過ぎる経験との向き合い方を模索していく中で自分以外の人たちもまた悩んでファンを辞めたり、続けたりしている事を知り、彼女たちと話をする事を通して考えを整理していく姿にずっと自分を重ねながら観ていた。

「全てを許せない」と言う人もいる一方、「当時は好きだったけど事件後は好きじゃなくなった」と言う人もいる。

監督も踏ん切りを付けるつもりで愛蔵(愛憎)グッズを断捨離しようとしながらも物に付随する思い出が今の自分を構成していることに思い至り処分出来ない物もあると思い直す姿だったり、それぞれの感性でユニークな表現に評価しながら「しょうもない奴」とかつての推しを評する人たちが浮かべる「時間が薬になりました」的な穏やかな表情だったりを眺めていると、一緒にその場にいて「わかる、あの頃は大切だったよね」とか「僕の場合は…」と話したくなった。


個人的に日本と韓国の推し方には文化的に違う点がある気がしていて、それを明確に言及されている場面はなかったものの推測として書いておきたい。

韓国のお受験事情は大学卒業後の就職をゴールに逆算し、学校で1位、地区で1位で名門高校に入ったのに300人中で下から数えた方が早いし実家が太い人ほど有利みたいな、日本以上に超熾烈な環境で、その貴重な時間を割いてキラキラしたスターを応援する事で自分の頑張りを肯定してもらうという願望が日本よりも強いのではないかと思った。

何者でもない自分が何者かになるまでの支えを何者かに託す、というか。

そうやって大きな愛を背負って貰う代わりに音源やグッズを買い支えるという構造故に、推しが罪を犯した場合に「私たちがこんなに献身的に支えてきたのに何をやっているんだ」となるのかなと思う。

何より劇中で皆が語っていた事だけど、自分にとって魅力的で、夢をくれた男が自分が稼がせたお金で自分と同じ女性に酷い行いをして逮捕された時に感じる「性別的には被害者だけど彼を調子に乗らせて加害に加担させてしまったという意味では自分は被害者」という両方で傷ついてしまう意識は相当に辛いだろうと感じた。

これは韓国の女性が宗教的な縛りに対するフェミニズム的な問題意識も影響している様に思えて、日本よりもずっと活発な環境だと外からは見えていたけれどそれでもまだまだ半ばなのだろうと考えさせられてしまった。


推しが懲役を言い渡されて尚、熱烈に支持する人たちとして監督が話を聞いたのはパク・クネ元大統領(汚職で懲役刑)の支持者団体で、当時の自分たちの正当性だったり、自分たちの受けた恩恵とそれを失った今のギャップを埋める為に「彼女は正しい」「彼女を今でも支持している」という主張する彼らを見ると、何だか他人事だと思えない。

このドキュメントの枠組みの中で改めて見せられる事で、日本にも身近にあるこういった構図が自分の理想を託したはずなのに…の一つの終着点なのだなと思い知らされる。

皆、結構「成功したオタク」を願いつつ「失敗したオタク」になってしまっている。この点の失敗というのはあくまで「社会的にレッテルを貼られてしまう」という事であるので信条を否定するものではないし、映画としてもそういう否定は一切行っていないのが良かった。

監督もまた、団体の人たちの気持ちが理解できるし、映画を観ている人も興味を抱いた時点で全員理解を示せてしまうというか。


また監督は事件発覚当時、推しの記事を書いた記者へ批難を述べていたものの、時間を経て謝罪したいという気持ちを記者本人へ伝える場面も良かった。

物凄く理解のある、人を貶める為ではなく、正しくあって欲しいと願う凛とした記者さんの言葉選びと、成長してその気持ちをしっかり汲める様になった監督の対話は本当に良かった。子供を見守る愛情深い正しい大人と、反発していたけれど意味に気付いてそうなろうと成長していった子供の様な関係性で、メディアの役割というものを体現した存在で物凄く感動してしまった。


どんなにショックな出来事でも最後は「間違ったことは罪を償って、幸せに暮らして欲しい」と願ってしまうファンの心理は別に間違ってないんだよ、とこの映画はずっと説いてくれている。

勿論ずっと許さない人がいるのも仕方ないけれど、執拗なネットの書き込みの様に私刑を続ける事に意味があるのかなとも思う。取り戻せないものは確かにあるけれど、やり直せない社会は怖い。

僕は誰かのオタクであった時間と今は繋がっていて、そこで得られたもの、培われたものでここまで生きてこられたとも思っている。

大袈裟かも知れないけど好奇心や承認欲求が自分を自分として今まで延命させてくれたと思っているし、ただの消費活動で一見何も残っていなさそうだとしても物事の見え方に必ず影響が残っていると信じているので、そういう自分にとってのスターやヒーローやアイドルがいてくれた事は例え裏切られたとしても財産だし、否定しなくて良いのだと思えたので本当に嬉しかった。

宇佐見りんさんの「推し、燃ゆ」の共感の先は自分で進むしかないんだなという、そんな感じ。


その他、韓国の人たちが普通にツンデレという言葉を使っていたり、チケットを取るためにネカフェの高速回線で争奪戦に挑んでいる姿、何かを考えながら雑な食事(カップ麺)を摂る姿など、親近感の塊みたいな場面が沢山登場して笑ってしまった。

個人的には「素面では語れない」とミキサーでヨーグルトマッコリを作ろうとして操作を誤って全部ぶちまけ、掃除もさせられた上に素面で語る羽目になっていたソ・ジェウォンさんが神掛り的な面白さだった。それこそ神様に「汝、素面で語りなさい」と言われている様で、その後ちゃぶ台で麺を啜りながら気怠げに語らっている姿は何となく宗教画みたいでジワジワ来てしまった。

彼女は自身の推しを断たれた失意を「推し活にお金を使うなら、そのお金でチキンを一羽分買う(CD1枚と同程度の金額の為)」と言っていて、それも欲を上手く別の欲に置き換え出来ているのが面白過ぎて吹き出してしまったし、そんな彼女が最終的に推し活に復帰した際にチキン十羽分のチケット代のミュージカルに熱を注いでいるのを観て流石に笑い声が出てしまった。天才だと思ったし、こうありたいと思った。


間違っていることは間違っていると思っていいし、黙らないでいたいと思うけど、それに必要なエネルギーを好きなものから得られる大人でありたいと改めて考えさせられる映画だった。


またー。