性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

マジカルグランマに触れるマジカル管理職。

コーチェラのライブ配信で唯一タイミングが合ってBLACK PINKの出番だけ観れた。
それに向けて朝から洗濯をし、スーパーへ買い物に行き、平日用にブロッコリーを茹でたり鶏ハムを作ったり(身体作りしてる人みたいなラインナップだけど作るの楽だからおかずの足しにしてるだけで油物とか炭水化物ガンガン食べてる)、トイレ掃除をするなど片付けた。
無事辿り着いたBLACK PINKのライブは格好良くて身体を動かしたい衝動に駆られ、筋トレしながら観た。
コーチェラは派手さや自由な空気感と裏腹に中々厳しい制約を課すみたいな記事を思い出すと、とんでもない機会損失の上に提供されているステージでもあると思うんだけど、それでも遠い所でその姿を見られるのは凄いし、恩恵にあやかっているのだなとしみじみ感じた。
終演後、その勢いで夜に入る為にお風呂を洗った。
平日はシャワーでさっさと済ませてしまうので週一くらいは湯船に浸からないとな、と年度末の限界突破の疲労感に見舞われてようやく習慣付いてきた。
自分を救う場所は自分で準備しなければならない。
それもまた自由の厳しさなのかな、などとボンヤリ考えながら風呂掃除をしたら靴下がビショビショに濡れてしまった。
抜かりがない様に見えても暮らしというのは締まりのないもので、まあゆとりの範疇として捉えたいところ。


半ばまで読み進めていたものの、自身があまりに忙しくて疲れてしまっていたのか、主人公の「私を見ろ」というエネルギーに気押されて付いていくのを断念して放置してしまっていた柚木麻子さんの「マジカルグランマ」の続きに最近ようやく入っていける様になって、BLACK PINKに貰った勢いもポジティブに働いて楽しく読み切れた。
主人公の70代半ばの俳優・正子さんの成功することに貪欲な自分を肯定するまでの葛藤や、時代により押し留めてきた事を取り返さんと奮闘する様、優しい存在感と裏腹にその瞬間に強烈に発せられる我儘さと素直さがエネルギーに満ち溢れていてほぼ毒みたいな威力なのがおかしくて笑ってしまった。
映画やドラマで若者を肯定し、無条件に慈愛を持って助けてくれる「マジカルグランマ」や、白人を助けてくれる「マジカルニグロ」についての違和感と、そういうものをマイノリティーに都合良く求めるマジョリティーの特権っぷりだったりを丁寧に書いてくれており、知ってはいたつもりだったけど「そうだよな」となりながら読んだ。自分はまだまだなんだろうな。
「マジカルグランマは若者を助けるし、マジカルニグロは白人を助けるけど、決して自分の同胞を助けたりしない」という言葉にゴツンとやられてしまったのがその証拠だと我ながら思った。

まあ自分も誰かに何らかのマジカルさを求められているし、それを提供して成り立っているし、自分も誰かに求めている。
その仕組みが出来上がった世の中でそれを主目的にしないというのはかなり難しく、またエネルギーを要する事なのだなと思うし、何より見失う事でスムーズに暮らしていけるというのが困難さに拍車をかける。
社会というのは大変なシステムなのだなと感じた。著者の柚木さんは「BUTTER」でも全く違う尺度のキャラクターにそういうモノを揺さぶり、突き破る様に教えてくれていて、何というか助けられているなと感謝しながら読んだ。
正子さんの「マジカルグランマ」としての需要との距離感の移り変わりなんかに触れていると、その言葉の響きから大森靖子さんの「魔法使いは二度死ぬ」を思い出した。
大森さんの表現には、自分を認めて諦めも含めて受け入れて、抗う力があると信じている、名前も明かさない誰かにない事をある事にされたり、ある事にない事を重ねて火をくべられたりしてもやりたい事にまっすぐな姿があると僕は信じていて、そういう部分においても正子さんと大森靖子さんを重ねた。

僕はそういう人にはなれないと諦めているけれど、何というかそれは諦めた事にしている、もしくは諦めたつもりになっているのかも知れない。
そもそも「諦めている」と言えるのは「諦めたくない」と思ったことがあるということで、だったら最初から疑問に感じた事のない諦めようもない人と違って取り戻すというか、これからでもそうなる事が出来るんじゃないかとグルグル考えながら長風呂をして大森靖子さんの「超天獄」を聴いた。
収録曲の「TOBUTORI」が僕の中の正子さん像に重なるんだけど、存在感は「アルティメット♡らぶ全部」な気がする。
「マジカルグランマ」が好きな人で大森さんを、大森さんが好きな人で「マジカルグランマ」が好きな人がいてくれたらいいなと思いながら、次に何を読もうかボンヤリ考えている。
面白かった先に、結果的に何か得られたら最高だなと企みながら。


またー。