性格の悪そうなBLOG

いちいち長いですが中身は特にないです。

書き散らしていく根暗のストーリーライン。

年末から最近まで、vaundyを重点的に楽しんで聴いていたのに、気付いたら米津玄師に帰ってきている事が度々あった。
どちらも素晴らしいアーティストに違いなく、好きなアーティストなんだけど、聴き馴染んだ米津玄師に癒されている自分がいるのが驚きだった。
5年も遡れば米津玄師の革新性に度肝抜かれて聴き狂っていた自分が確実にいるのに、今やその米津玄師がホームというか、リスナーとしての起点になっており、落ち着く。
それだけ染み付いていたらladyで「子供みたいに恋がしたい」とかPale Blueで「ずっと恋をしていた」だの歌われたら足早に帰るしかねえわ。ただいまー。
でもこの流れで考えると数年すればvaundyを基準にしっくりくる日が来るのだろう。いつかvaundyを起点に出発して楽しい刺激に一息つきに戻ってくる家になるのだと思う。
こんな九龍城砦みたいに果て知らずのアーティストで落ち着ける日が来るのだろうか。正にGetBackers-奪還屋-、それは無限城、悪夢(ユメ)はみれたかよ…?


マクドナルドのモバイルオーダーが出来たり、ジャンカラのすぐカラ予約が出来てからというもの、ハードルが下がって暮らしやすくなった。
例えばマクドナルドのレジでシェイクのSサイズだけを対面で購入するのに「わざわざ感」が湧いてきて億劫になってしまっていた。
それがモバイルオーダーでレジを介さなくなっただけで「わざわざ朝マックやランチと併せて頼まなくて良くなったぞ!(そもそも単品で注文しても良いのに)」と躊躇いなく利用出来る様になった。
カラオケも1人でわざわざなぁと思っていたけど、すぐカラのお陰でストレスが限界に達した際に人目気にせず受付素通り出来るのでありがたい。
まぁこんな生きにくい大人で大丈夫かと思うものの、数少ないコロナによって生じたメリットを積極的に享受している。
取り返していかなきゃいけないし、ちょっとでもコロナに奪われたものの数に得たものを近付けていかないと腹が立つ。
追い越す事は出来ないかも知れないが、気持ちは大事である。例え後ろを向いても逃げ出したくても、時間は前にしか進まないのだから、などと書いているけれど単にラフな使い方が出来て良かった、と安堵しているだと言う事を我ながら忘れてはいけない。調子に乗ってしまうので。


それはそうと吉住さんのラジオ番組「吉住の聞かん坊な煩悩ガール」をリアタイ勢100回超えの中、大幅に出遅れて39回まで聴いているんだけど、30回くらいから急に「宗教法人吉住の説法ラジオ」に変貌していってて滅茶苦茶面白くてちょっとした隙間に率先して聴いている。教祖と化した吉住さんが信者となったリスナーからのお便りを愛でたり、自身の失敗を延々と嘆いたり、教祖の筈がどんどん信者に振り回されて苛まれてストレートに悪態ついたりしており、大変面白い。
この番組の特色の獲得、変貌、謎の主導権争いは時系列で回を重ねて年表的に追っていくのが一番面白いんだけれど、この面白さを何とか一発で喰らって欲しいので第回のヒグチアイさんのゲスト回「#32:友達になれるかどうかは分からない」(ちなみにスタッフさんが付ける大仰しいタイトルも吉住さんの苦悩の種になっている)を聴いていただくのが魅力が伝わりやすそうな気がしている。
ヒグチアイさんという、番組に染まり切っていないオブザーバー(にしてはヒグチさんもあまりに切れ味が鋭いのだけれど)と、宗教法人化間もない、まだ入りやすい感じが同居しておりバランスが素晴らしい。是非。
穏やかなのにサイコで、ウジウジと根が暗いのに案外攻撃的と、割とはてなブログTwitterを主なフィールドにされている方には親近感が湧く様なスタンスで、あまりに共感というか、上手く言えなかった筈のマイナスな感情を嘆き口調のまま言い表してくれる(悲鳴や泣き声である場合もある)ので「泣きジェーン・スー」的な扱いになっている。
ジェーン・スーさんと桜林直子さんの「となり雑談」も感情の言語化においてとてもお世話になっているので、これで多角的に防御壁を構築する事が出来き、厳しい世の中をサバイブしていきたい所存。


またー。